小説「ママ、いかないで。」

     プロローグ
     
     
     
 青い鳥は意外な場所にいました。
 散々探したのですが、本当に意外な場所にいました。

 

     ★

 

 健さんは奥さんに電話して私の所にいると言った。
 私はよせばいいのに、と昔の演歌を思い出しながら黙っていた。
 よせばいいのに、本当によせばいいのに。
 そんな事をしたら、あなたの妻はこのアパートに来ようとしてタクシーを飛ばすだろう。場所を明確に覚えていないから、運転手に当たり散らしながら車をあちこち迂回させ、苛立ち、また精神を病むだろう。修羅場になるのは目に見えている。
 よせばいいのに、あなたは何故わざわざ修羅場を望むのか?
「逢いたいです。逢えますか?」
 確かに私はあなたにそう言った。だが本当に逢いたくてそう言った訳ではない。
「逢いたいです。逢えますか?って、俺に言ったじゃねえか」
 そう息巻くあなた。だから何?それがどうしたの?
「お前、俺に逢いたいです。逢えますか?って言ったよな」
 はいはい、確かにそう言いましたよ、認めますよ。
 ただね、何故そんな事を言ってしまうのか、自分でもよく分からないんですよ。そう言って相手が慌てふためくのが面白いんです。その後、急に態度が変わり、色々便宜をはかってくれるのも嬉しいんです。
「逢いたいです。逢えますか?」
 そう、それは私の常套句。
「逢いたいです。今○○に居ます。来てくれますか?」
 そう言えば、たいていの男性は落ちる。こっちから逢いに行くのではなく、どこそこに居るから来い、と言う。あなただけではない。男たちは勇んで飛んでくる。私のゲームだ。
 健さんが受話器に向かって言う。
「舞ちゃんから電話が入ってね。泣きが入っていたんだよ。で、心配だったから来たの」
 私のせいにして、男らしくないねえ。映画俳優の高倉健さんとエライ違い。だいたい泣きが入っているって何なのよ。
「舞ちゃん?今代わるね」
 そう言って私に受話器を差し出す健さん。うまく話を合わせろ、そう顔に書いてある。
 誰がそんな事をしてやるもんか。無視していると受話器に向かい
「ああ、舞ちゃんトイレに入っちゃった」
 と言う。

 ああ私は何故いつもこういう事をしてしまうのか。本当に病気だ。

 

 十八歳になり、年を誤魔化さずに水商売を出来るようになった私は、遂に銀座デビューを果たした。それまでは埼玉のクラブで年をふたつみっつ上に言って働いていた。若いから、器量もスタイルも良いから、どこでも雇ってもらえた。
 源氏名は舞(まい)。本名は山路美知留(やまじみちる)。
 水商売には本名でやると夜の世界から抜けられなくなるし、続けたとしても上に上がれない、というジンクスがある。だから源氏名は必須だった。
 舞ちゃん、舞ちゃんって指名してくれる客は幾らでもいたよ。
「昼間は何しているの?」
 たいていの客はこう聞く。
「〇〇さんを思って過ごしています」
 そう言うと必ずウケる。
「俺を思って昼間過ごしているの?あはははは」
 昼間は派遣で画廊勤務。派遣でなきゃ美大出身でもない私が、銀座の画廊なんて雇ってもらえないよ!
 受付に座り、ふらっと入って来た客が、展示されているシャガールやらカシニョールを見てまたふらっと出て行く。それで商売になるの?って、思われそうだけど、経営は何とか成り立っている。そこの仕事が終わると、そのまま歩いてクラブへ出勤。


 クラブは銀座でも一等地、並木通りにある。在籍ホステス、二百人を抱える大所帯。下は十代から上は五十代まで、銀座のホステス特有のオーラを放っていた。ビルの一階から三階まで姉妹店になっていて、それぞれ売り上げを競うようになっている。
 私は三階の「クラブ江里子」。江里子組って呼ばれる所に属していた。一階は麻耶(まや)ママの率いるクラブ麻耶、二階は深雪(みゆき)ママが取り仕切るクラブ深雪。
 私は江里子ママの人柄が好きだから、江里子組に配属されて良かった。江里子ママはね、きっぷが良くて江戸っ子って感じの人。サバサバしていて私の事も可愛がってくれる。だから好き!ママの悪口言う人もいたけど、私は絶対言わなかったよ。
 そこに新しく入って来たのが咲(さき)さん。年は二十六歳だから中堅になるんだけど、この道十年とかで、じゃあ十六歳からやっていたの?私と同じじゃん!って思った。
 最初見た時、こういう人を妖艶って言うんだなって思った。何か大物政治家の愛人でもやっていそうな雰囲気。
 水商売にも仕事が出来る、出来ないってあるけど、咲さんは出来る!一度付いたお客さんの名前やどこに勤めていて、役職が何で、有名人の誰とつながりがあるとか、好きなお酒の銘柄、前回どんな会話したかとか、全部頭に入っていた。

 私も負けていないよ。小さいメモを持ち歩き、そのお客さんの特徴や、どんな会話したか、ちょこちょこメモっていた。
 咲さんは他の人と違う!美人だししっとりしていて声も綺麗。もうひとつ、咲さんには普通の人が一生経験しないような事を知っちゃいましたって雰囲気があるの。そこが人を惹き付けるんだよね。だからママにもすぐ気に入られ、ママの御贔屓さんの席には必ず咲さんが座っていた。
 咲さんはあっという間に人気ホステスに昇りつめた。本当にあっという間。それまでナンバーワンだった京子ちゃんはナンバーツーになり、悔しそうに咲さんを睨んでいる。
 銀座のクラブって言うと、高級で高給(駄洒落じゃないよ)そうなイメージだけど、実際は日当で、働いた分だけ収入になる。夜の七時半から十一時半までの四時間勤務で、一万二千円。世間の人が思っているほどの収入ではないの。
 これは派遣も同じ。派遣は朝の十時から始まり夕方の六時に終わる。日当七千円。
 目黒のアパートにひとり住まい。
 勿論、生活費は自分で全部まかなっている。誰の助けもなく。自力でやっているよ。
 昼も夜もクタクタになるまで働いて月収三十八万円くらい。ボーナス?何それ、そんなもんないよ。ゴールデンウイーク等で出勤日数が少なければ収入も減る。家賃や水道光熱費、食費や雑費諸々支払いを済ませ、貯金をするとたいして手元に残らない。何の為に働いているのか?何の為に生きているのか?時々分からなくなるよ。
 どうしてそんなに働くのって聞かれそうだけど、忙しければ忙しい程孤独を忘れられるから。さびしいならどうしてひとり暮らしするのって聞かれそうだけど、親が親であって親でない、機能不全な家庭に育ったから。

 

 父親の顔は知らない。母親は十六歳で私を産んだ。つまり私の年にはもう小さい子のいるお母さんだった訳。私を産めばその彼氏が自分と結婚してくれるって思っていたのか何だか知らないけど、決してそうはならなかった。父親は私ごと母親を捨てた。お互い高校生だったっていうのもあるんだろうけど。
 母親は高校を中退して私を産み、ホステスをしながら一応育ててくれたけど、家事もしないし、親らしい事は全然してくれなかった。食事は出来合いのお弁当やパンばっかりだし、部屋はいつも散らかっているし、怪我しても火傷しても赤チンだけ塗って放っておくし、夜になると私を布団に押し込んで
「寝てな」
 って、言い残して仕事に行くし、良い親とは決して言えなかったよ。
「ママ、行かないで」
 って、泣いて追いかけても、振り向きもせずに玄関を出て行く。
「ママ、置いて行かないで」
 って、私の声にも反応せず行っちまう。
 ガチャリ、外から鍵を掛けてツカツカと、ヒールの音を響かせて遠ざかっていく母親。取り残された私はたったひとりで過ごすしかなかった。テーブルの上にパンが幾つか置いてあって、お腹すいたらこれを食べろって事だろうと思った。
 ただ、数が少なくてさ。いつ次のパンを買ってきてくれるか分からなかったから、ちびちび食べたよ。この一個のパンでお腹いっぱいにしなきゃいけないんだ、明日の朝はこっちを食べよう、とか思いながら。
 
 誕生日を祝ってくれた事もなく、
「今日、みちるの誕生日だよ」
 って、試しに言った事あるけれど、
「うん、おめでとう」
 としか言ってくれず、ケーキもプレゼントも何もなかった。勿論クリスマスにサンタさんが来た事もなかったしね。何回か言ったけど結果は同じ。
 抱っこして欲しくて母親に向かって両手を上げても無視するし、椅子に座っている母親の膝によじ登って座ろうとしても拒否された。私の頭を撫でて欲しくて母親の手を持って自分の頭に乗せてみた事もあったけど、すっと引っ込めて撫でてもくれなかったし。甘えられるのが嫌だったんだろうね。何回も挑戦したけど結果は同じ。
 だから段々そういう事は望まなくなった。突っぱねられて惨めになるばっかりだし、何より私は愛される価値がないんだって分かったからさ。
 本当に母親らしからぬ母親で、自分の事ばっかり!私の事はまるきり眼中にないんだから!
 いかにも水商売って風貌で、首の後ろやら肩やら太ももの両側に入れ墨なんてしちゃって、見せびらかさんばかりにミニスカート履いたり、肩の露出した洋服を着たり、派手なギャルママだったよ。段々大きくなるにつれ、そういう母親が恥ずかしくて嫌になった。
 
 おぼろげに覚えているのが、いっぺんだけおじいちゃんとおばあちゃんって人に会った時の事。この子?って、いうような、変な目で見られたよ。孫の私に優しい言葉のひとつもかけてくれなかったし、こっちも何なんだろうって思った。
「若気の至りの子なんでしょう」
 だってさ。ワカゲノイタリ?なんじゃらほい。意味が分からなかった。
 
 勿論小さい頃は母親が好きだったよ。本当に大好きだった。どこかへ連れて行ってくれれば嬉しかったし、そこで知らないおじさんやらお兄さんに紹介されて、あれ?この前の人と違うって心の中で思いながらも、母親を愛してくれるならいいかなって挨拶していた。
 多分私が二歳くらいの時の事。そのうちのひとりに
「パパって呼んでくれる?」
 って、懇願するような顔で言われたのを覚えている。訳が分からないまま頷いたもんだよ。何となくこの人にすがったら生活が良くなるような気がしたからね。
 綺麗な教会で結婚式も挙げたし、母親もその時だけはしおらしい顔で花嫁衣裳着ていたし、私もドレス着せてもらえたし、披露宴で新しいパパが私を抱っこして
「二人を幸せにする事を誓います」
 って、宣言して大勢から拍手喝采受けていたし、私にもまあまあ優しかったし、その人の事は割と好きだった。母親もしばらくは水商売を辞めて家にいる生活するようになったし。
 でね、そのパパが出張で家を空け、翌日帰って来るっていう日の事。知らない男が家に来て、母親とイチャイチャしていたの。子ども心にも、あれえ、何かおかしいなって思っていたよ。黙って見ていたけど。
 そこへ翌日帰る筈のパパが
「ハーイ、ただいま!」
 なんて言いつつ、ビデオカメラ(当時はとても珍しかった)を回しながら笑顔で家に入って来たんだよ。
 どびっくり!母親と私を良い意味で驚かせようとしたんだろうね。
「パパ!」
 と叫んで家に入らせまいとしたよ。母親を庇いたかったからね。勿論パパが傷つくのも嫌だった。
 だがパパは見てしまった。下着みたいな恰好でくっついている母親と知らないお兄さんを。
 まだ昭和四十年代、そりゃあ今と違ってスマホもSNSもない時代だったから、その映像を世界に向けて発信、なんて事はなかったけど、その場は凍り付いたよ。
 その後どうなったか、よく覚えていない。その男が服を掴んで窓から飛び降りて逃げて行ったのだけは見た(アパートの一階だったので、怪我しなくて済んだのは不幸中の幸いだった)。パパもその日のうちに家から出て行った。
 母親は埼玉の坂戸にアパートを借り(それまでどこに住んでいたかよく覚えていない)、再び水商売を始めた。そして男ばかり作るようになったよ。
 母親の関心は自分の事だけ!自分がいかに綺麗でいるか、ホステスとして売れるか、それしか興味なくて、実の娘にさえ無関心を決め込んでいた。
 本当になんにも言わないの!学校の成績が悪くても帰りが遅くても!
 掃除も洗濯も全然やらないし、うちはいつもゴミ屋敷みたいで、そのせいか喘息になり、咳が止まらずいつもコンコン咳をし続けているような子どもだったよ。

 小学校の入学式でさえ、露出の多い派手な格好で来て、記念写真もうちだけ浮いていたし、その頃からうちは他の家と違うのかなって段々分かってきたのを覚えている。  


 学校で自分の名前の由来を聞いてきましょうって言われた時の事。
 息せき切るように家に帰り、母親に
「どうして美知留って名前にしたの?」
 って、聞いたら
「童話の青い鳥の話が好きだったから」
 って、極めて素っ気ない返事が来ただけで、あんまりよく考えて付けてくれた名前でもなかったみたいだし。
 学校の図書室で、青い鳥の絵本を見つけて読んでみて、母親はこの話が好きなんだって思った。親子だからって訳じゃないけど、私も青い鳥の話は気に入ったよ。私もチルチルミチルみたいに青い鳥を見つけたいな。名前がミチルだから見つけられるかな、なんてね。〇〇子って名前が主流だった時代にしてはハイカラな名前だったしさ。
 学校の授業参観にも、面談にも、運動会にも、母親はまったく来なかった(入学式に来てくれただけ良かったんだろう)。友達は教室に自分のお母さんが入って来ると、妙に舞い上がっちゃってさ、私も心の中でいつも、今日はもしかして、今日こそ来てくれるんじゃないか?と期待していたけど、母親は一度も来なかった。
 みんなのお母さんはちゃんと来て、あれやこれや世話してくれている様子だったけど、私の母親は一度も来なかったし、友達が家に遊びに来ても、布団の中でただ眠っているだけで、こんにちは、さえ言わず、おやつ出してくれる訳でもなく、本当に「お構いもしません」状態だった。
 反対に私が友達の家に遊びに行った時の事、そこのお母さんがお茶やおやつ出してくれたのはいいけど
「あなたのお母さん、お仕事は何している人なの?」
 って、咎めるような目つきと口調で聞かれた。返事に困って黙っちゃったよ。
 家に帰って母親にその事を話したんだけど
「ふうん」
 としか言ってくれなかった。娘が嫌な思いしているのに、全然心配してくれず、話もろくに聞いてくれず、余計傷ついたな。
 次にまたその友達の家に遊びに行った時の事。私が家に上がる際に他の友達の真似をして靴を揃えたら、そのお母さん、独り言のようにこう言ったよ。
「親が水商売の割に、きちんとしているわね」
 勿論傷ついた。

 次の日学校に行ったら、その友達に
「うちのお母さんが、山路さんのお母さんは夜、男相手に働いている人だって言っていた」
 って、見下すような顔で言われたし。それも返事のしようがなかった。
 ひどい友達になると
「うちの親、山路さんの親は水商売だから、そんな家の子とは遊ばない方がいいって言っていた」
 って、面と向かって言うし。その友達、給食の時間に牛乳をお酒みたいな注ぎ方しながらこうも言ったよ。
「山路さんのお母さんの真似」
 別の友達が調子に乗って、近くに居る男子と腕を組んでしなだれかかりながら
「山路さんのお母さんの真似」
 って、言いやがった。そうしたらまた別の友達が、絵の具で腕に模様を描いて
「山路さんのお母さんの真似」
 だってさ。みんな嘲笑って私を見るし、たまらなかったよ。
「山路さんって、いつも同じ洋服だね」
 とも言われたし。それもしょうがないじゃん。母親は自分の洋服はちょこちょこ買うけど、私の洋服なんてめったに買ってくれないし。心の中で呟くのが精一杯だった。
 先生が見かねたのか、私がひとりの時に
「山路さん、大丈夫?」
 って、聞いてくれた事があったけど、その時も返事のしようがなくて黙っちゃった。大丈夫じゃなかったし、それより友達が私の母親の真似をするのをやめさせて欲しかった。
 ただその先生、運動会でお弁当を食べる人がいない私を可哀想に思ったのか、二人分お弁当を作ってくれて、一緒に教室で食べてくれた。他の子たちはみんな校庭で家族と食べていたけどね。友達にからかわれたりいじめられたりしないよう気を使ってくれているのは分かったけど、先生の憐れむ目は嫌だった。
 その先生、私が卒業するまで毎年必ず運動会のたびにお弁当作って持って来てくれて、教室で一緒に黙って食べてくれたよ。勿論遠足の時も、作ってくれたお弁当を他の子に分からないようにさっと渡してくれた。もしかして家庭に問題がある私を気の毒に思って、毎年自分が担任を引き受けるって校長先生か誰かに言ってくれていたのかな?
 家庭訪問の時も、母親がネグリジェで玄関を開けるから恥ずかしかったな。いくら女の先生ったって、そんな恰好で出て来る母親なんて見た事ないみたいで、びっくりしていた。
 それで、何回目かに
「お母さん、私がお片付けをお手伝いしましょう」
 とか言って、乗り込んできたよ。うちがゴミ屋敷みたいになっているから、見るに見かねたんだろうな。
「あらあ、どこから手をつけましょうねえ」
 だって。せっかくの日曜日、彼氏とかいないのかね?先生ったら汗だくになりながら、一日がかりで私の家を片付けて、山のようなごみを捨てて、洗濯までしてくれて、
「ああすっきりしたわね」
 とか言って、帰って行ったよ。何回もそうしてくれた。帰り際、
「先生、有難う」
 って、小さい声で言うと
「いいのよ、山路さん」
 って、また可哀想って目をされた。母親はその先生に有難うとさえ言わなかったけどね。

 卒業式の時も、他の友達はみんな新しい洋服を着て誇らしげにしていたけど、私は普段着で出たよ。母親は来なかったしね。
「山路さん、卒業おめでとう」
 って、私の胸に花を飾ってくれたのは、六年間担任を務めてくれた先生だった。
「先生、何度もうちを片付けたり、お弁当作ってくれたり、色々気づかってくれて、有難う」
 そう言おうとしたけれど、何故か言葉にならなかった。
 もう会えないから、今言わなきゃって思ったけど、どうしても口が動かなかった。

 

 小学校はともかく、中学校は授業参観が少ないし、来ないお母さんも増えるから気が楽だった。制服もあるし、いつも同じ洋服だとかいじめられなくて済むしね。
 母親は相変わらず昼間は寝て、夕方クラブだかスナックだかに出勤していき、夜更けや明け方に酔っぱらってイカレて帰って来てガーガー寝る。この繰り返し。
 それでもグレる元気はなかった。グレている友達もいたけど。両親揃っていて、まともな家庭に育っていながら何が嫌でグレるのかい?って、思っていた。
 私なんて生まれた時から片親で、お金もなく、ほっとかれて、会話らしい会話もなく育った子だよ、なんて言えなかったけどさ。
 それより早く大人になってこの生活から抜け出したいって思っていた。この家もこの母親も嫌いだけど、坂戸自体も田舎でなんにもなくて、嫌いだった。

 

 ああ東京へ行きたい!
 電車に何時間か乗れば行けるけど、遠くて光り輝くような大都会。
 是非とも東京に出たい!
 必ず青い鳥が見つかる筈!
 そう、私を幸せにしてくれる青い鳥!
 母親を、私の理想とする良いお母さんにしてくれる青い鳥!

 

 中学でもひとりだけ、いつも私を心配そうな眼差しで見てくれている先生がいたな。美術担当で、まだ教師になって日も浅くて、あまり教師として免疫が出来ていないような女の先生だった。
「山路さん、山路さん」
 って、何かと声かけてくれてね。その先生も色々と気づかってくれてさ、小学校で六年間お弁当を一緒に食べてくれた先生の魂が受け継がれているような気がしたもんだよ。惨めな気持ちに変わりはなかったけどね。

 

 高校に進学する時も、私はうちの経済状態をじゅうぶん分かっていたから、県立に行くしかないって言われずとも思っていた。埼玉県内でも偏差値の低い県立高校を受け、何とか入学。美術の先生はおめでとうと言ってくれたけど、母親はそれすら言ってくれなかった。
 本当に私の事なんてどうでもいいんだろう。新しい男の事しか頭にないんだろう。
 その美術の先生、卒業式の日も
「山路さん、元気でね」
 って、言ってくれた。変わらぬ憐れむ目で…。

 

 高校生になっていちばん嬉しかったのは、アルバイト出来るようになった事。高校の近くにあるショッピングセンター内のケーキ屋で働き始めた。時給は四百五十円。当時としては普通だった。
 学校が終わると制服のままアルバイト先へ行き、そこの制服に着替えてケーキを販売する。ケーキの種類が多く、覚えるまで大変だったけど、母親はろくにお小遣いなんてくれなかったから、アルバイト代は貴重だった。もらった給料はとにかく貯金。友達に映画に行こうとか誘われる事も、そりゃたまにはあったけど(その友達は私をいじめない子だった)、それよりお金を貯めて高校卒業と同時にアパートを借りて母親を捨てるつもりでいた。高校だけは卒業しておこう。それまではあんな母親でも、こんな田舎でも、辛抱しよう。
 心の中でいつも早く、早くって思っていた。早く大人になりたい。早くひとりで暮らしたい。早くこの生活から抜け出したい。早く青い鳥を見つけたい。早く早く早く・・・。
 放置されるのも嫌だったけど、母親が男を作る方がもっと嫌だった。
 いちばん嫌だったのは、家に母親の男が来る事。本当にそれがいちばん嫌だった。
 この人に母親の資格はない!こんな酷い母親いない!って、常に思っていたよ。
 決して本人には言わなかったけどね。
 私が出掛けている間に男をアパートに呼び込み、寝乱れた布団を見るのも、男が気まずそうな顔で私を見るのも、母親が悪びれもせずに平然としているのも、お金がないのも、放置されるのも、何もかも耐えられなかった。こんな酷い育ち方している子なんて、私くらいだろう!

 

 家はとにかく苦痛だった。だからなるべく外にいるようにしていた。ケーキ屋でシフトを増やしてもらい、働いている方が楽だと思っていた。
 そうそう、ケーキを買って行くお客さんが喜んでいる姿を見るのは好きだったな。この人は恋人の為に誕生日ケーキ選んでいるんだなとか、この人は孫の入園祝いの為に買うんだなとか、この人は親の還暦祝いの為とか、この人は今日が結婚記念日なんだなとか、色々背景が見えて微笑ましかった。
 いちばん微笑ましかったのがね。私と同世代の男の子が来た時の事。ショーケースの前でホールケーキを見ながら、どちらにしようかな、っていうように指を動かしていたの。私と目が合い、照れくさそうな顔をしたから
「迷いますよね」
 って、声をかけたの。そうしたら
「今日、母親の誕生日なんですよ」
 って、話してくれたの。まあ親孝行な若者だ事、って感心したもんさ。きっとまともな家庭に育った男の子なんだろうね。って事は、親もまともなんだろうし、だったらそのお母さんは自分の息子にお金を使わせたくないって思う筈。まして同じ高校生ならお金もないだろうと思って、こう言ったの。
「小さくてもお気持ちがこもっていれば、じゅうぶん喜んでいただけますよ」
 そうしたらその男の子、小さい方のホールケーキを選び
「プレートにお母さんって書いてください」
 って、言ったの。私が下手なりに一生懸命書いてケーキに乗せ
「これで良いですか?」
 って、聞いたら本当に嬉しそうに頷いてくれて、こっちまで幸せな気持ちになったな。包んだケーキを渡しながら
「おめでとうございます」
 って、心から言えた。その男の子がニコニコしながら帰って行く姿を眺めながら、心を込めて接客するたいせつさを学んだよ。
 その男の子だけでなく、ケーキ買う人って大抵幸せそうだから、見ていて嬉しかった。みんな決まって楽しそうに受け取って、足取り軽やかに帰って行った。お客さんに
「有難う」
 って、言ってもらえるのがいちばん嬉しかった。お金を払ってもらっているのはこっちなのに、有難うなんて言ってくれるなんて、このお客さんよっぽど性格が良いんだな、なんてね。
 売れ残ったケーキをもらえるのも有り難かったし。母親は私の為におやつを用意してくれた事なんて一度もないし、お店のお客さんから貰った高そうな御菓子を自分ひとりで食べちゃうし、せめて半分こだろ!まったくどっちが大人か子どもか分かりゃしないよ!
 アルバイトの後、
「お疲れ様」
 って、笑顔で見送ってくれる店長や先輩たちに見送られるケーキ店からの帰り道はいつも楽しかったな。
 だから半年くらいでその店が閉店する事になった時、すごく残念だった。売り上げがふるわないから、だって。ああ接客って楽しかったんだけどなあ。またどこかで何かやるかなあ、どうしようかなあって迷った。

 

 でね、求人雑誌をめくっている時に、ふと思ったんだ。
 私、将来何になるのかな、っていうか、何になりたいのかな。
 その時、湧き上がるようにこう思ったの。
 そうだ、私は銀座の高級クラブの超売れっ子ホステスになろう。
 母親は坂戸の安アパートしか借りられず、埼玉のクラブホステスに甘んじている。
 けれど私は都心で暮らし、誰もが一目置く銀座の一流クラブで働こう。
 よし、必ずそうしよう。
 だったら今からその準備をしなくては。高校生だし銀座ではまだ雇ってもらえないだろう。坂戸から銀座に通うのは物理的に無理だけど、家から通える範囲の店なら雇って貰えるだろうし、クラブのなんたるかを勉強出来る。今は本番を迎える前の準備期間と考えよう。
 そこでナイトクラブに応募した。高校一年生にして、ホステスになったよ。学校や家からは少し離れた場所にある店を選んだし、年は十八歳と偽ったけど。時給は何とケーキ店の二倍以上の千円!びっくり!
 勿論躊躇したし、口から心臓が出そうな程緊張したよ。クラブ特有の雰囲気に飲まれたし、酒はまずいし(みんなどうしてこんなまずいものを好んで飲むのか分からなかった!)、客と何を話せばいいのかも、何をどうすればいいのかも、何にも分からないし。
 けれど先輩ホステスが水割りを作ったり、灰皿を用意したり、客と話したりするのを見てこうすればいいんだなって覚えた。洋服も、母親が着なくなったスーツやワンピースをアレンジして着て凌いだ。洋服なんて買っている場合じゃなかったしね。
 働いている人たちを見ていてこうはなりたくないって思う事もいっぱいあったけど、気の毒でいたわらずにいられない時も同じくらいたくさんあったよ。
 この人たちも家に帰れば、私くらいの息子や娘がいるんだろうし(うちの母親もそうだけど)こんな年まで雇われの身で水商売しているなんて本当はつらいだろう。どの客にもババア呼ばわりされて傷ついているだろう。どう見ても四十歳は過ぎているのに、自分は二十四歳、二十四歳と繰り返し言い張って、年をごまかしているのもしんどいだろう。
 自分の店を持ちたいって夢を持っている人、
 ここでナンバーワンになるって張り切っている人、
 私も昼間はOLですからって、この仕事だけじゃないんだと主張したげな人、
 借金を返す為に仕方なくやっている人、
 何の資格も技術もないからここにいるしかないって人、
 もう年だからこの道しかないって人、
 色々な人がいた。
 共通して言えるのが、どうしてもこの仕事をやらざるを得ないって事。
 もうひとつ、みんなあまり自分をたいせつにしていないって事だった。
 自分をいたぶるような酒の飲み方をする人もよく見た。客でも働いている人でも…。そりゃあ見ていてつらかったよ。
 お客でも特定のホステスに毎回意地悪して傷つけている人がいた。何でそんなにいじめるんだろう、その先輩ホステスが可哀想だった。
 みんな本当は嫌なんだろう。意地悪するのもされるのも悪酔いも、本心ではないんだろう。クラブからの帰り道はいつもさびしかった。

 

 でね、ある朝登校した時の事。
 教室の黒板に私の似顔絵がデカデカと書いてあったの。ドレス姿でお酒のボトルを手に笑っている姿で、特徴とらえてうまく描いてくれちゃっている上、「山路美知留」って名札まで描かれていた。黒板の上には大きく「ホステス高校生」って書いてあるし…。
 呼吸が止まったよ。どうしてばれたんだろう?…分からない…、けど現に目の前の黒板に書かれている。
「山路さん、ヤバいバイトしちゃって」
「でも山路さんの場合、親が親だもんね」
「蛙の子は蛙ってこの事ね」
 クラス全員が非難する目で私を見る。
「って事は、お尻も軽いの?」
 男子が一斉に嫌らしい目で見る。
「お客に変な事、されてんでしょ?」
 とまで言われた。
 もう耐えられなかった。そのまま教室を飛び出す。
「山路さん、どうしたの?」
 途中で先生にすれ違い声を掛けられたが、無視してそのまま家に逃げ帰った。母親はまだ寝ている。どうせ話なんて聞いてくれないんだろう。
 それまでホステスやっている事は誰にも言わなかったし、ばれていないだろうと思っていた。友達とも当たり障りないように接していたし、なるべく自分の事は話さなかった。ってか、話せなかった。
 とにかく今をやり過ごして早く大人になって生活を変えたいとしか思っていなかったし、小学校時代から母親のせいでからかわれたり、見下されたり、散々嫌な思いしたし、何より可哀想な家の子だって思われたくなかったから。
 みんなの視線を思い出す。ああもうあんな学校、今日で辞めるんだ。行ける筈ない、行ったらいじめられる、きっと嫌らしい事も要求される。
 私は確かにホステスやっているけど、それは将来の夢を叶える為にそうしているのであって、お客さんと変な事するわけじゃないし、決してお尻の軽い子なんかじゃない!


 それから本当に登校出来なくなった。「しない」のではなく「出来なくなった」。
 先生が心配して家まで来てくれたけど、会わなかった。
 母親も私が学校に行かない事を何も言わなかった。 

 

 信じられない母親!
 娘が苦しんでいるのに!
 無関心も無神経もいい所だよ!
 本当にこんな酷い母親がどこにいるんだよ!

 

 電車で大宮まで行ってみたら駅前はなかなか栄えていて、働く所は幾らでもありそうに思えた。よし、お金を貯めるまではこの近辺のクラブで働こう。銀座に出るまで、ここで修行をしよう。勿論青い鳥も見つける!
 そう決め、レストランとクラブでそれぞれ面接、朝から晩まで大宮で働き始めた。坂戸に住む者にとって、大宮は大都会だ。友達と会う危険は少ないだろう。
 とにかく高校という縛りが無くなった事は良かった。卒業を待たずとも、金さえ出来ればいつでもあのサイテーな母親を捨てられるんだから!

 

 そうそう、レストランの仕事もまあまあ好きだったよ。お腹すいていてご飯食べたい人の気持ちは分かるからね。空腹でげっそりした顔で入ってきたお客さんが好きなものを選び、満腹して気分良さそうに帰っていく姿を見るのは好きだった。
 恋人同士で料理を分け合って食べている人たち、
 子ども連れの家族、
 誕生日祝いの為に来ている人たち、
 同窓会、
 主婦の息抜き、
 サラリーマンの昼休み、
 どんなお客さんも微笑ましかった。私が運んだ料理を嬉しそうに、おいしそうに食べている姿を見ているのはこっちも幸せな気分になれたな。
「ご馳走様。おいしかったよ」
 って、言ってもらえるのも嬉しかったしね。
 クラブで嫌な客もそりゃあいたけど、この人はきっと会社で嫌な事があって私に八つ当たりしているんだろうと思うと、やっぱり可哀想で邪険には出来なかった。


 そう、私の高校時代の友達のように誤解している人も多いけど、クラブの仕事は「会話で相手を楽しませる事」が主だった。いろんなお客さんいたけど、楽しい会話を目的とする人が多かった。これは母親と会話らしい会話がなかった上、友達とも本当に打ち解けて何か話す事が少なかった私にとって「有り難い話」だった。
 私は誰かと「会話がしたかった」のだ。何かにつけ、突っかかって来る人もいたけど、この人は誰かに突っかかられてきたんだろうと思うと、気の毒でやはり素っ気なくする事は出来なかった。
 毎日たくさんの人と会話が出来る、これ以上「嬉しい話」があるだろうか。
 私は接客が好きだった。

 

 行ってりゃ高校二年生の春、笑いさざめきながら歩いているギャルやボーイが羨ましかったな。私もあんな事がなければ学校に行っていたのにさ。だがあのクラス全員の軽蔑の眼差しには耐えられなかった。中退した事は後悔していない。
 そんな時、レストランで一緒に働く友達がアパートを借り、
「美知留ちゃん、一緒に住もう」
 って、言ってくれた。彼女もさびしかったんだろうね。
 彼女が借りたアパートは与野にあり、駅からバス便で、バス停からも随分遠かった。おまけに築四十年とかで古いしぼろいし汚いし、トイレは汲み取り式で、風呂もなくて銭湯通い!だがそんな事は言っていられない。即座に転がり込んだ。
 やっとあの母親から逃れられた!新しい環境に小躍りするほど喜んだ。
「亜紀ちゃん、有難う」
 心からお礼を言って、有り難く住まわせてもらった。浦和駅前にあるレストランとクラブで働き始める。
 だが、すぐうまくいかなくなった。亜紀ちゃんは彼氏と住みたくなったようで、彼氏まで引き入れて、三人の本当にみょうちきりんな共同生活が始まった。
「ここは私の家だから」
 って、そればっかり言って私を邪魔にする。彼氏も私を疎ましそうに見ている。その視線を見ていると、母親の男が私を見る目を思い出した。
 ああ居たたまれない。ここに青い鳥なんていない。

 

 そんな時、別の友達が蕨にアパートを借りた。一応風呂付きで、トイレは水洗だった。
「美知留、こっちに来な」
 なんて有り難いんだ、すぐ転がり込む。そして川口駅前のレストランとクラブで働き始める。
 …だが、それもすぐうまくいかなくなった。
 その友達は潔癖症で、私のやる事なす事気に入らないらしく
「汚い!」
 って、年中叫ぶの。ああここにも青い鳥なんていやしない!

 

 うまくしたもので、別の友達が宮原にアパートを借りた。
「美知留、おいで」
 救いの神に見えたよ。すぐ転がり込んだ。そこも風呂がなかったし、共同トイレだったけど、そんな事言っていられるか!
 上尾駅前のレストランとクラブで働く。何か、同じ事を何度も繰り返しているような気がした。そしてすぐうまくいかなくなった。そこも同じだった。
 その友達は何かにつけ私に支払いを要求した。家賃や水道光熱費、食費を折半というのはまだ分かったが、カーテンや鍋等の買い物も毎回私に半分出させる。そのうち迷惑料と称して毎月三万円の支払いを命じてきた。たまったもんじゃない。

 

 女友達と暮らすのは無理だと学習した。
 そんな時、初めての彼氏が出来た。五つ上で、建築会社で働いていた。親との仲も悪くないみたいだったが、私が住まいに困っていると言った所、
「一緒に住もうと思えば、どんな事をしたって」
 そう言ってくれた。現に貯金をはたいて南栗橋にアパートを借りてくれた。勿論風呂付きでトイレは水洗のアパート。
「美知留、俺と暮らそう」
 真っ直ぐな目で、笑顔で、そう言ってくれた彼。プロポーズされたように嬉しかった。ちょうど十七歳の誕生日がアパート契約の日で、これ以上嬉しいバースデープレゼントはなかったな。
 契約の後、ケーキ屋に連れて行ってくれて
「好きなケーキ選べよ」
 って、言ってくれた。私が遠慮して小さめのホールケーキを選んだら、お店の人に
「バースデープレートに、美知留って書いて下さい。ロウソクも下さい」
 って、頼んでくれた。あまりに幸せで、涙が出そうになったよ。親にさえ誕生日を祝ってもらえない人生だったからね。
 アパートに帰り、大きなロウソクを一本、小さいロウソクを七本立てて火を付け
「ハッピーバースデー、トゥーユー、ハッピーバースデー、ディア、ミチル、ハッピーバースデー、トゥーユー」
 と歌ってくれた。私がふっと息を吹きかけ、ロウソクを消すと同時に
「おめでとう。美知留、おめでとう」
 と笑顔爛漫で拍手してくれた。ああこれからずっとこの人と一緒にいられるんだ、と天にも昇る気持ちになれたな。
「私ね、親にも誕生日祝ってもらった事ないの」
 そう正直に言ったらびっくりされた。
「え!そんな親いるの?」
 だって。そうだよね、うちの親は信じられないような親だからね。
「美知留、この部屋と家財道具が誕生日プレゼントだよ。これからも毎年俺が美知留の誕生日を祝ってやるからな」
 そう力強く約束してくれた。新しい部屋と、新しい家具。新しい生活。ああこの人の為に一生懸命やっていこう。笑顔で頷いたあの日の私。
 それからも毎日が楽しくて笑ってばかりいた。やっと幸せになれたと思えたし、彼が青い鳥を持っていたと確信したしね。仕事は春日部駅近くのレストランに決めた。
 この頃、自分が銀座のクラブホステスになるって夢を忘れていたな。彼が幸せにしてくれるなら、銀座なんてどうでもいいやくらいに思っていたしね。朝から夕方まで一生懸命働き、帰ってからは彼の為に一生懸命家事をした。
 …だが、彼は貯金をはたいた事をずっと恩着せがましく言い続け、家事を全部私に押し付け、自分はいつ見ても休んでいた。私だって疲れているのに…。
 確かに彼は敷金礼金を全部払ってくれたし、家具や台所用品も買ってくれた。誕生日を祝ってくれたり、一緒に出掛けたり、良い思い出も作ってくれた。けれどそれを恩に着せて、私が家事に追われている姿を手伝いもせず、ただじれったそうに見ているなんて…。

 

 仕事と買い物を終え、くたくたになりながらアパートに帰り着いたら、彼が電話で友達と話している最中だった。私が帰った事に気づかない彼が大声でこう言っていた。
「美知留?出かけている。あいつ家事が下手でさ。見ていてイライラすんだよ。もっと要領よく、うまくやれってーの!ほんと一緒にいてむかつく女だよ。もう別れてえよ」
 …愕然とした。本当はそんなふうに思っていたなんて…。
 物音に気付き、振り返った彼が私を見て、しまった、と言う顔をしている。
 お互い何か言いようがない。ただ黙って立ち竦んでいた。一緒に暮らそうと言ってくれた時は、物凄く頼もしく見えた彼が小さく見える。こんなちっぽけな人に恋していたなんて…。
 それで目も覚めたし、恋も冷めた。もうここにも居られない。かといって貯金もないし、自分でアパートを借りる資金はゼロだ…。
 とりあえず少ない荷物を持ち、黙ってアパートを出る。
 彼は追いかけても来なかった。

 

 行く当てもなく、仕方なく坂戸に帰ったら、母親が私の顔を見てこう言った。
「あ、お帰り」
 …お帰りじゃないだろう!一年ぶりに帰って来た娘に言う言葉かよ!どこに行っていたのか?とか一言も聞こうとしない母親!相変わらずホステス稼業続けているらしいし。
 たったひとつ、引っ越さずにいてくれた事だけは親らしいと言えた。
 なるべく近所と関わらないように、友達に会わないように、気を付けながら川越駅前のレストランとクラブで働き始めた。夢を叶える為、昼も夜も懸命に働く。そう言えばこのアパートには風呂もあり、トイレは水洗で良かったなと、うっすら思いつつ。

 

 今度は自分でアパートを借りよう。それがいちばん良いんだ。いつも友達や彼氏に寄生していたけど、今度こそ自分の力で部屋を借りるんだ。それに坂戸よりは都会に思えたが、春日部やら上尾やら、埼玉県内をぐるぐる回っていたって都会に出たとは言えない。
 次こそ東京にアパートを見つけるんだ!それも都心に住むんだ!勿論風呂付きで、トイレは水洗で、駅から徒歩圏内で、新築で、ずっとここにいたいって思えるようなアパート!
 忘れちゃならない!私には、都会で暮らしながら、銀座の高級クラブの売れっ子ホステスになるって夢があるんだ!その夢を叶える為に、今こうして準備しているんだ!
 もらった給料はとにかく貯金。母親はまったく変わらない。濃い化粧を施し、髪を結って派手なスーツを纏い、夕方出かける。相変わらず家事はまったくしない、男は作る、おいしい御菓子はひとりで全部食べる、私の事は眼中にない、誰の目も気にしない、勿論私の目も気にしない、自分さえ良ければそれでいい、超自己中心的なクズ女!

 

 行ってりゃ高校三年生の秋。進学だ、就職だって騒いでいる同年代の人たちを横目に見ながら、やっと溜めた五十万円を手に東京都内の不動産屋をまわった。そして目黒にまあまあのアパートを見つけたよ。
 駅から徒歩十分。築も浅めだし、外観も可愛いし、五畳の洋室に小さいキッチン、備え付けのワンドア冷蔵庫、電気コンロ、クロゼット、ユニットバス。そして何より決め手になったのが、当時としては珍しいロフトが付いていた事。ここに寝れば下は広く使える!そう思った。その頃、玄関の脇に洗濯機を置くアパートが多かったけど、ベランダで洗濯出来るっていうのも気に入った。しかも二階の角部屋。家賃は六万五千円。なかなかの掘り出し物だったから即決した。
 どうせ母親は私がどこで何していたって無関心なんだろう。黙って坂戸を後にする。

 

 手続きを済ませ、鍵をもらい、部屋に入った瞬間、笑みがこぼれたよ。
 ああやっと自分だけの部屋を持てた。
 東京の、しかも目黒で暮らせるようになった、やっと東京に出るって夢を自分で叶えた。
 これからは誰にも邪険にも粗末にもされない。自分の力でやっていこう。そう漲っていた。

 

 翌朝目覚めた時、改めて本当に自分でアパートを借りたんだって充実感に満たされたよ。ああ良かった。なんて幸せなんだろう。ニコニコと起き上がる。
 さて、どうしよう。まずはお腹が空いたな。部屋には電話も家具も洗濯機も、本当に何もなかった。布団さえなくて、ロフトの床にそのまま寝ていたさ。
 アパートの周りに何があるか探検しよう。何か食べたいし。コンビニエンスストアを見つけ、入ろうとして、待てよ、スーパーの方が安いかも、と思い立ち、スーパーを探す。あったよ、あった。お茶とお弁当、夜の分としてパンも買っておこう。牛乳もいるよな。あれ、安いケーキがある。そういえば今日は私の十八歳の誕生日。誰も祝ってくれないけど、お祝いにこれ食べようっと。
 結局千円払い、店を出る。クラブの一時間分の時給だと思いながらアパートに戻りちびちび食べた。なるべく少ない量でお腹いっぱいにしなくてはいけないからね。これは幼い頃から身に付けている私の技って所かな。


 さあ、働こう。これから毎月六万五千円の家賃と生活費を自分で捻出するんだ。コンビニエンスストアに入り、求人誌を立ち読みする。歩いていける範囲にあるレストランの電話番号をその場で覚えてしまう。店の外にある公衆電話から電話を掛け、面接のアポイントを取り、そのまま面接に行った。目黒駅ビルの中にあるレストランのホール係りに決まり、ほっとする。
 翌日から早速出勤。懸命に働き始める。都会だからか、埼玉のレストランより給料も良かったが、それでもフルに働いても月給は十万円くらい。これでは何の楽しみも趣味も持てないし、欲しいものどころか必要なものも買えない。私ってどうしてこんなにお金ないの?ああお金が欲しい。
 ただまかないとして食事をさせてもらえるのは助かった。スーパーやコンビニのお弁当よりずっとおいしいし、無料だしね。レストランで働く事の利点のひとつにそれがあった。
 まかないを食べていると、小学校時代にお弁当を作ってくれた先生を思い出した。憐れむ目もね。お弁当を作ってくれたり家を片付けてくれたり気づかってくれた事は有り難かったけど、あの視線には傷ついたな。まあいいや、もう二度と会わないし、私はこれから夢を叶えて生きていくんだから。見ていろよ、必ず出世してやる!

 

 私は絶対に、銀座の高級クラブの超売れっ子ホステスになる!
 さあ準備期間は済んだ、これからが本番だ!
 若さと器量と度胸を武器に、銀座へアタックだ!

 

 新橋駅を降りて指定された所に立っていたら、黒服の男の人がやってきた。
「山路美知留さん?」
 と聞くので頷くと
「どうぞ」
 って、案内してくれた。
 わあ、銀座のクラブってこんな所なんだ。
 あれえ、高そうなソファ。水とかこぼさないようにしなきゃ。
 お、高そうな油絵。一千万円くらいするのかな。
 まあ、いかにも銀座で生きてきたって感じのママさん。着物をりゅうと着こなしちゃっているよ。「クラブ江里子」って書かれた名刺を出された。緊張してたまらない。
 ただ、ひと目で私を気に入ってくれた様子だ。
「こういうお仕事初めて?」
「いえ、埼玉のスナックで働いていました」
「そう、あなた可愛らしいからお客様にもてたでしょう」
 だって。何て答えればいいか分からなくて首を傾げちゃったよ。
「いつから働けますか?」
 びっくり。本当に雇ってもらえるの?
「今日からでも」
 少しでもお金が欲しい。だからすぐ働かせて欲しかった。
「分かった。では今日からね。源氏名どうする?」
 浦和や川口では小百合と名乗った。
「さゆりは?」
「さゆりっているのよ」
 上尾では麻美と名乗った。
「あさみは?」
「あさみもいる」
 考え込む。母親もしょっちゅう店を変わりながら、源氏名もコロコロ変えていた。
「アヤです」
 だの
「キミカです」
 だの
「メグミです」
 だの…。よく間違えないなって思いながら聞いていたもんだよ。だから母親と同じ職業は仕方ないにしても、同じ源氏名は嫌だった。
「マイちゃんは?舞うって書いて」
 ママが言う。母親が舞って名乗っているのは聞いた事がない。
 何か、この店で天使のように舞う自分を想像して嬉しくなった。
「舞で、お願いします」
 ママが笑ってくれた。
「決まりね。期待しているから頑張ってよ」
「はい」
 それから衣装室へ連れて行かれた。
「好きなの、選んで」 
 ニコニコ見ているママ。優しそうだな。こんな人が本当のお母さんだったらどんなに良かっただろう。もしかしてこの人が青い鳥を持っているのかも。
 たくさん並んだ衣装を見て、思わず笑みがこぼれる。この仕事の良い所は華やかな衣装を纏い、お姫様気分でいられる事。小学校の卒業式でさえ新しい洋服を買ってもらえず、普段着で出た事をうっすら思い出す。
 ピンク色のドレスと白いパンプスを借り、化粧をし、髪を結う。良かった。靴まで借りられるなら手ぶらで出勤出来る。
「入店して最初の一カ月はドレスも靴も貸してあげられるわ。二か月目以降は自分で用意してね」
 そう言われた。お気遣いを有難う!ママさん!
 支度を整え、いざ店へ。
「今日から働いてもらう舞ちゃん。みんなよろしくね」
 ママが言ってくれた。
「よろしくお願いします」
 お辞儀をしながら様子を見る。待機テーブルには五十人くらいのホステス。じろりと品定めするような視線にさらされた。私がいちばん若いだろう。若い人、年配の人、着物の人、ドレスの人、埼玉のスナックで働いていた頃を思い出す。
 ここは銀座だ。埼玉じゃないんだ。プライドを持って働こう。
 待機テーブルで聞くともなしに聞いていると、ホステス同士でくっちゃべっているのが嫌でも耳に入って来る。彼氏の話、借金の話、お客さんの悪口…。
 そのうちお客さんが次々に入って来た。わあ、この店、老舗でファンも多いんだ。
「舞ちゃん、ヘルプ入って」
 そう言われ、席に着く。わあ、銀座のお客さんって層が違う。お客さんも目が肥えているっていうか、一流って感じする!
 自慢話する人、謙虚な人、客にも色々な人がいた。神経を逆撫でしないよう、相槌をうち、聞かれた事を答える。
「いいなあ、若い子は」
 だって。そりゃあ先日十八歳になったばかりですから!
「こういう仕事初めて?」
 って、付くお客さん、付くお客さん、みんなに聞かれる。何となく
「はい」
 って、返事しちゃう。説教してくる人、お小遣い握らせてくれる人、色々だった。お小遣いは嬉しかった。貯金しようって思った。
「いいえ」
 って、答えたら
「前はどこでやっていたの?」
 と聞かれる。
「新宿」
 と何となく答えると
「歌舞伎町?」
 って、ハンコで押したみたいに聞いてくる。川口とか大宮って言いたくないんだよなー。
「家はどこ?」
 ともみんな聞く。
「目黒です」
 って、答えると
「へえ都会だねえ」
 だの
「良い所に住んでいるんだねえ」
 と言われる。そりゃあ坂戸よりはずっと都会ですよー!
「花で言えば、まだつぼみだな」
 だって。あはははは。つぼみですよー、つぼみ。もうすぐ咲きますよー。
 途中、お手洗いに行ったら、ちょうどママと会った。
「どう?うちの店、みんな良いお客さんばっかりでしょ?」
 って言われ、笑顔で頷く。本当にそうだと思ったからね。埼玉とは客層が全然違う!断然こっちの方が良い!
 あっという間に閉店時間
「舞ちゃん上がっていいよ」
 そうママに言われ、控え室へ。さっと髪をほどき、着替えをして帰る。
 深夜の新橋駅は朝のラッシュ並みの混雑だ。クラブ帰りのホステスや残業で遅くなった会社員、様々な人生を乗せて電車は走る。まっすぐ目黒へ。
 アパートへ帰り着き、初めてほっと息を付く。ああこれが毎日続くんだ。早く寝よう。さっと風呂へ入り、簡単に顔や髪の手入れをしてから寝る。


 翌朝、鳴り続ける目覚まし時計を止め、起き上がる。さあレストランへ出勤だ。みんなに私、銀座デビューしちゃったんですよ、なんて言えないから黙って働くけど、銀座のホステスってもうひとつの夢が叶ってウキウキしていた。

 

 段々分かって来たよ。クラブに来るお客さんって要するに癒しを求めているの。家庭や会社で味わえない癒しを!しかも銀座で酒を飲むってーのが、ステータスなんだろう。
 出しゃばり過ぎず、引き過ぎず、ちょうどいい匙加減を測りながら「恋人っぽい雰囲気」で接するようにした所、これが当たった。
 咲さんはいつ見ても指名客に囲まれ、華やいでいる。京子ちゃんも頑張っている。咲さんや京子ちゃんほどではないけど、私を指名してくれるお客さんも増えてきた。
「舞ちゃんを応援したいから」
 って、毎回指名をしてくれるお客さんが増えるごとに日当も上がった。最初は一万二千円だったけど、半年後には二万円になった。私も華やぎ始めたよ。


 その頃、派遣会社に登録し、銀座にある画廊で働くようになった。派遣の方が時給も良かったし、神様が銀座にこだわる私に微笑みかけてくれたような気がする。勿論目黒のレストランは辞めた。絵は詳しくないけど見ているのは好きだったし、覚える事も多かったけど頑張ったよ。絵を見ていると、何となく中学時代の美術の先生を思い出した。あの先生が今の私を見たらびっくりするだろう、もう憐れむような目なんてさせないぞ。
 そうそう、画廊に来るお客さんは「通」って感じの人が多くて勉強になったな。画家によって特徴って違うけど、それを熟知していて、私にも教えてくれたり、展示会の時に家族連れて来てくれたり、段々知識が増えるにつれ、会社の人の信用も得られるようになり、そこも嬉しかった。社長も社員のみんなも、私を程よく構い、程よくほっといてくれる。昔、友達やそのお母さんに変に干渉されて傷つけられた経験があるだけに、ほどほどの距離感は心地が良かった。
 そして給料日が月に二回あるのも有り難かった。月の半ばに画廊の給料日、月末はクラブの給料日。給料をもらうたびに新しい布団(いのいちばんに買った!)や洗濯機、掃除機等、ひとつずつ家具が増えていくのも嬉しかったし、電話も引いたし、しっかり貯金もしていた。私は私だけの力で生活しているんだ、自立しているんだ、もう誰にも馬鹿にされない。
 真面目に働いたのが評価され、一年後には画廊でも契約社員として派遣会社を通さずに直接雇用してもらえた。給料も日当一万円で契約してもらえるようになったし、貯金も二百万円を超えたし、どんどん追い風が吹いているのを感じていたよ。
 坂戸の田舎にいた女の子が目黒で暮らしながら銀座デビュー、なんて、シンデレラストーリー歩いているような気がして得意になる。
 昼も、夜も、銀座に居られる事に幸せを感じていたし、ホステスとしても欲が出てきていた。もっと稼ぎたい。もっと売れたい。もっとママに気に入られたい!ってね。あれれ、母親とおんなじか。まあいいや。
 ただ母親がこの仕事にはまった気持ちも分かる。ちやほやされ、世の中にこんな面白い仕事があるのかって本気で思うよ。私は天職を見つけたんだ!
 噂では京子ちゃんは日当三万八千円。咲さんは四万五千円。
 私も!若さでは負けない。まだ十九歳だ!

 

 ああみんな、今の私を見て!
 さあ見て!みんな見て!
 私はこんなに出世したんだよ!
 
 夢中で働くうちに二十歳の誕生日を迎えた。江里子組をあげてお祝いしてくれ、当日はたくさんのお客さんが私の為に来てくれ、バラの花束やネックレス、指輪(本物のダイヤがあしらわれていた!)、一万円札で作ったレイ(総額五十万円くらいかかっていた)をプレゼントしてくれた。
「舞ちゃん、みんな舞ちゃんのファンよ」
 と、江里子ママも言ってくれ、私も主役である幸せに酔いしれた。小さい頃から母親にさえ誕生日を祝ってもらえなかった。ほんの二年前も、誰にも祝ってもらえず、スーパーで買った安いケーキをひとりでちびちび食べた。今とエライ違い!
 ああこの店に縁があって本当に良かった。
 江里子ママにも会えたし、みんなにも会えた。
 坂戸を捨てて大正解だった!
 東京に来て、銀座で働くようになって本当に良かった。

 

 私はついに夢を叶え、青い鳥も見つけたんだ!
 この青い鳥を放すもんか!

 

 盛大な誕生日パーティーが済み、通常の毎日に戻った。ただ、毎日がパーティー気分ではあったけどね。で、その頃からお客さんに年を聞かれて二十歳と答えると、必ず相手は
「今年、成人式?」
 と聞いてくるようになり、それまで成人式なんて頭の片隅にもなかったけど、そういえば日本にはそういう儀式があったんだよな、と思うようになった。

 二年ぶりに坂戸に帰った。成人式の案内が来ているだろうから。友達に会うのは気が引けるし振袖は無理としても、スーツで参加すればいいし、式典自体は参加したかった。
 アパートに着くと、知らない男がいて私の顔を見てびっくりしている。こっちもびっくりした。
「あ、お帰り」
 と、その男の後ろから母親が顔を出して言った。あ、お帰り、じゃないだろう。二年ぶりに母親が娘にかける言葉ではない。
 母親は変わっていなかった。きつめの化粧をし、髪を結ってこれからクラブに出勤しようとしているのはひと目で分かる。相変わらず水商売で生計を立てている訳だ。
「娘」
 と、その男に事も無げに言う。
「娘?こんなデカい娘いたの?」
 と、戸惑っている男。今はこの男と付き合っているのだと嫌でも分かった。それこそ事も無げに頷き、久しぶりに帰って来た私がいるってーのに、出掛ける支度をやめない母親。成人した娘を持つにしては若々しい事は認めるが、相変わらず母親らしからぬ母親だ。
「あんまり、似ていないけど…。あなた、本当に、実の、子ども?」
 と、変な日本語で聞いてくるおたおたした彼氏さん。頷き、母親に聞いてみた。
「私の成人式の案内、来ている?」
「ああ、そう言えば来ていたけど、どうせ行かないんだろうと思って捨てた」
 と、また素っ気ない返事が返って来た。
 ガクッ!一気に落胆する。それでは会場がどこかも分からない。本当にこれでも親か?返す言葉が見つからない。
「行きたかったの?」
 と聞くので頷く。
「もういい」
 そう言うしかない。この頃、今ほどインターネットが発達していなくて、調べる方法がなかったし、しょうがないと即座に諦めた。相変わらず部屋は散らかっており、このままここにいたら、また咳が出そうな気がして早く外に出なくてはと焦った。
 靴を履き、玄関を出る。二年ぶりの帰還はそれで終わり。滞在時間は五分に満たなかったよ。
 唯一、引っ越しをしないでいてくれた事だけは親らしいと言えた。

 

 グサグサに傷ついた心を持て余しながらクラブへ出勤。その日は店もあまり忙しくなく、待機テーブルで咲さんと一緒になった。
 もしかして咲さんなら分かってくれるかも。思い切って咲さんに恥を打ち明けた。
 小さい頃から放置されて育った事、
 母親が水商売で周りからずっと軽蔑の眼差しで見られたりからかわれたりした事、
 しょっちゅう男を変えたり、派手な格好をしたり、入れ墨をしたり、恥ずかしかった事、
 学校行事にも一切来てくれなかった事、
 運動会では先生がお弁当を作ってくれ、それは有り難かったけど憐れむ目で見られて惨めだった事、
 いつも出来合いのお弁当や菓子パンが食卓にある家庭だった事、
 おいしい御菓子は半分こどころか自分がひとりで食べてしまう母親だった事、
 会話らしい会話がないまま育った事、
 高校でクラスの友達全員に水商売をしている事がばれてしまい、軽蔑の眼差しで見られ、男子生徒にお尻も軽いのかと聞かれ、耐えられず逃げた事、
 いじめを免れる為に退学せざるを得なかった事、
 母親がそれでも心配も何もしてくれなかった事、
 女友達のアパートを渡り歩き邪険にされた事、
 初恋の人と暮らし始めてやっと幸せになれたと思ったのに、彼が友達に私の悪口を言っているのを聞いてしまい、ましてやもう別れたがっていると知って、出て行かざるを得なかった事、
 行く当てがなくまた坂戸に帰った事、
 その後も母親がまったく変わらず、いい年をして男ばかり作っていた事、
 愛想が尽きまた家を出た事、
 目黒にアパートを借りて行方をくらましても、探してもくれなかった事、
 今日久しぶりに坂戸に帰ってみたのに成人式の案内さえ捨てられていた事、
 新しい男がいた事、
 滞在時間は五分に満たない程居たたまれなかった事、
 母親が優しい言葉ひとつかけてくれず、追いかけてもくれなかった事。
 涙を堪えて精一杯話した。 
 咲さんは頷きながら聞いてくれ、こう言ってくれた。
「舞ちゃん、よく話してくれたね。よく我慢してきたね、よく頑張ったね。つらかったね」
 この言葉を聞いて本当に泣きそうになったが、ぐっと堪える。私は誰かにそう言って欲しかったんだ。初めて自分の脆さに気付く。
 咲さんがぎゅっと肩を抱きしめてくれた。励まそうとしてくれている。私の心が壊れないように守ろうとしてくれている。有り難かった。ずっとこのまま咲さんに肩を抱いていて欲しかった。
 しばらくして咲さんがこう言った。
「私もそうよ。生まれた時からお父さんいないの。お母さんは小料理屋しながら男を次々に変える人で、恥ずかしかったわ」
 …びっくりした。咲さんもそうなんだ。だから十六歳から水商売やらざるを得なかったんだ。
 思案顔の咲さんが言った。
「舞ちゃん、今度の土曜日、うちに来ない?」
「良いの?」
 咲さんが優しく頷いてくれた。
「私の着物を着させてあげる。振袖ではないんだけど。それでうちの近くの神社に行こう。それが舞ちゃんの成人式って事で、どう?」
 ぱあっと顔が輝くのが自分でも分かる。もう何も喋れなかった。
 笑顔で頷く私に咲さんが聖母のような笑顔を見せてくれた。

 

 土曜日、教えられた原宿にある咲さんのマンションへ行く。チャイムを鳴らすと普段着で薄化粧した咲さんが笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい、待っていたよ」
 後ろに咲さんの旦那さんが立っている。
「よく来たね、さあ上がって」
 咲さんって結婚していたんだ。そう思いながら挨拶をする。
「今日はお世話になります」
 そして靴を脱ごうとして、ふと小学生の時に友達が靴を揃えていた事を思い出し、上がってからさっと靴を揃えた。
「ああ良い子だ、きちんと靴を揃えて」
 旦那さんが褒めてくれた。
「親が水商売の割にきちんとしているわね」
 という友達のお母さんの言葉を思い出しながら、リビングへ。
「わあ」
 色とりどりの華やかな着物と帯、小物がたくさん並べられてある。あらかじめ咲さんが用意してくれていた。嫌な思い出が一瞬で吹き飛ぶ。
 咲さんがにこやかに言う。
「好きなの、選んで。着付けも私がするから」
 心が弾む。嬉しくてたまらない。
 いちばん華やかな着物と帯を選び、咲さんに着付けてもらう。髪も結ってもらい、メイクまでしてもらった。
「お、似合うねえ。綺麗だよ」
 着付けの間、寝室で待っていてくれた旦那さんの健さんがリビングに来て言う。
「私も着替えるわ」
 そう言って咲さんがあっという間に髪と化粧を整え、着物を纏う。何か、日本舞踊でも踊っているような身のこなしに見とれた。健さんもスーツを着て三人で玄関を出た。
 連れだって歩いていると本物の家族のような気がしてくる。家族愛を知らない私に神様がこの夫婦を与えてくれたのかも。
 近くの神社へ。おまいりをして、何枚も写真を撮ってくれ
「焼き増しして舞ちゃんにあげるからね」
 と言ってくれた。ウキウキしながらマンションへ戻る。
 咲さんが手早く料理をしてくれた。テーブルの上に隙間なくご馳走が並んでいく。
「わあ、咲さん、料理うまいんだねえ」
 感心して心から言った。この日の為、私の為に、何日も前から準備してくれていたんだろう。
「舞ちゃんの成人式を祝って、乾杯」
 三人でシャンパンを飲む。店で飲むドンペリニョンより何倍もおいしく感じる。
「いただきます」
 咲さんは着付けも化粧もうまいけど、料理も本当にうまかった。どれもこれもおいしくて、こんなご馳走を食べたのは初めてだと感動してしまう。なんせ生まれた時から今に至るまで、出来合いのお弁当ばっかり食べてきたからね。味覚がおかしくなりそうだったよ。学校の給食と、働いたレストランのまかないだけはおいしかったけどさ。
 何より、二人が私なんかの為に、成人式をしてくれた事が、祝福してくれた事が、有り難くてたまらない。
「本当に有難う。式典に行くよりずっと幸せな成人式になったよ」
 心からお礼を言う。

 

 後片付けを済ませ、三人で音楽を聴きながら話した。
「舞ちゃんを見ていると、昔の自分を見ているような気持ちになるわ」
 咲さんが言う。
「私、自分のお母さんが本当に嫌いで、早く家を出たの。だけど食べていけなくてスナックで働きながら、友達の家を泊まり歩いたり、邪険にされたり、お金も取られたり、本当にぎりぎりの生活をせざるを得なくてね。つらかったわ」
 分かるよ、咲さん。私もそうだよ。何か、同じような環境に育ち、同じような経験をしてきた者同士が強く惹かれ合って、今こうしているような気がする。
「その頃、俺とも知り合ったんだ」
 健さんが言う。咲さんと同い年の健さんは赤坂でバーテンダーとして働いている。
「でね、十七歳の時、お店に来ていたお客さんと一緒に暮らすようになったんだけど、その人、私を裏切って別の人と結婚して子どもまで作って…。私、許せなくてその人を刺してしまったの」
 びっくりした。咲さんにそんな過去があったなんて。
「幸いその人、命に別状なかったんだけど、私は少年院に送られて、もっとつらい日々を送るようになったの」
 もっとびっくりする。
「未成年だった事もあって、一年で出所出来たんだけど、まともな働き口は見つけられなくて、また水商売を始めたの。だけど男性に騙されてばかりでつらくて、段々精神的におかしくなっていって、今度は精神病院に強制入院させられたの」
 咲さんの、普通の人が一生経験しないような事を経験してしまいましたって雰囲気はそこから来ているんだなと、妙に納得する。
「俺、その頃の事、忘れられないんだけどね。見舞いに行くと、薬でどんなにヘロヘロになっていても、俺の顔を見てにっこり笑うんだ。ああ絶対にこいつを守ってやりたいって思った」
 健さんが懐かしむ目で言う。
「それなのに私、入院中に担当してくれた医師と恋仲になってしまって、退院したら一緒になりたかったんだけど、その先生ったら退院が決まった途端、離れていったの。患者とそういう関係続けられないって言って。病院に隠れて、散々私と関係しておいて、退院が決まった途端にそんな事を言って逃げるなんて許せなくて、その先生の顔を包丁で切り付けた上、階段から突き落として両足に重い障害を負わせてしまったの。今度は刑務所に送られたわ」
 健さんが静かに頷く。
「何度も面会に行った。罪を償ったら今度こそ俺を選んでくれって言って、俺たち、獄中結婚したんだ」
 びっくりして言葉が出ない。
「舞ちゃん、私を軽蔑する?」
「しないよ、絶対しない!」
 こんな優しい人たち、誰が軽蔑するものか。

 私の成人式をやってくれた、たいせつな人たちを、私が守る。私が慈しむ。
 ああここにも青い鳥がいてくれた!
 
 世界でいちばん幸せな成人式になった。

 

 咲さんは江里子組で押しも押されもせぬスターホステスになっていた。ママ以上の人気ぶりで、看板ホステスと言って良かった。水商売新聞にも掲載され、テレビの取材が入った時も、咲さんがナンバーワンとして画面いっぱいに映り、来るお客さん、来るお客さんに
「テレビに出ていたねえ。見たよ」
 と言われ、ご満悦だった。私も大好きな人がスポットライトを浴びていて、ご満悦だった。
 どこの店もそうだが、江里子組は咲派と京子派に分かれていて、私は当然恩義のある咲さんの傘下に入っていた。そうしていれば安心で安全だったから。咲さんもママも私を可愛がってくれ、本当にこの店に入って良かったと、今幸せの絶頂だと思っていたし、青い鳥を捕まえて有頂天になっていた。
 日当も三万円になり、昼間の画廊を辞めて江里子組一本で行こうかと考えるようになっていた。そうすれば店がはねた後、お客さんに付き合って飲みに行ったり、カラオケに行ったり出来るし、昼間もゆっくり過ごせるし、夜だけで月収六十万以上稼げるようになり、生活もだいぶん楽だったし貯金も八百万円を超えたし。
 ただ、昼間の仕事を手放すのはぎりぎり躊躇する面もあった。何となく、まともな部分を自分の生活の中に残しておいた方が良いような気がしていたからね。クラブ勤めを否定する気はないけど。
 週末は画廊の展示会で、デパートや美術館で仕事をする事もあったが、休みの事も多く、そういう時はだいたい咲さんたちと一緒に過ごしていた。三人で川の字になって寝たり、おしゃべりしたり、竹下通りを歩いたり、二人といるのはとにかく楽しかった。
「うちは三人家族だから」
 って、健さんも言ってくれたし。ずっとこんな日が続けばいいって思っていたし、私のアパートにも何回か二人で来てくれたし、ようやく楽しくてたまらない人生が手に入った、ってご機嫌な毎日だったな。
「舞ちゃん、うちのマンションのワンルームに住めばいいのに。そうすればもっと家族みたいに行き来出来る」
 って、咲さんに言われた。うん、是非ともそうしたいね。健さんはともかく、地理に弱い咲さんは、私のアパートの場所分からない、とか言っていた。あはははは。 そうそう、よく掛け持ちで働くと確実に体を壊すとか聞くけど、私は幸いそういうのはなかったよ。若いし、タフだし。
 ただ、木曜日の朝に疲れを感じたね。金曜日は今日乗り切れば明日は休みだ!って、気合で乗り切るけど。
 毎週木曜の朝にふっと疲労やら空しさを感じ、土日どっちか寝だめしたり、家事をしたり、咲さんたちと過ごしたり、夢が叶った訳だからこれで良いんだって自分に言い聞かせたり、そんな日々だったよ。

 

 確かに幼少期より、少女時代より、楽しい事は楽しかったし、お金も持っていた。
 だが、私の心の奥底に変な病気が燻っていた。

 

 クラブのお客さんはだいたい名刺をくれる。それはホステスにとって生命線だ。中には当時まだ珍しかった携帯電話を持つ人もいた。携帯を持つって事は、お金もあるって事だろう。そう踏んだ。
 夕方、私はその人の携帯に電話を掛ける。朝ではなく夕方。朝はまだその日の予定も立っていないし、夕方の方が都合良いのだ。
「逢いたいです。逢えますか?」
 電話の向こうで相手が慌てふためいているのが分かる。
「今、銀座の〇〇ビルの一階にある喫茶店に居ます。来てくれますか?」
 仕事もあるだろうに、やりくりつけて私の元へすっ飛んでくる男たち。
「店でゆっくり話そう」
 そう言って、そのまま同伴出勤してしまえばいい話だ。
 別の日、他のお客さんに電話する。
「逢いたいです。逢えますか?」
 その人も電話の向こうであたふたしている。
「今、新橋駅降りた所に居ます。来られますか?」
 そう、前もって約束せずとも同伴出勤が叶う。店も喜ぶ、ママも喜ぶ、私の株も日当も上がる。お客さんは貢献したって顔でいる(あちゃー、舞にしてやられたって顔をする人はひとりもいなかった)。恋人のような雰囲気で接客をする。相手はすっかり良い気分でいる。このお客さんの今月のお小遣いは幾らだろう?そう思いながら、なるべく安く済ませてあげる。次もまた来させる為だ。たまに来させて目一杯散財させるより、コンスタントに来店させる方が良い。私は長い目で見ていた。
 勿論手帳には、いつ誰に電話した、どこに呼び出した、同伴した、アフター(店がはねた後、食事やカラオケ等に行く事)した、どこの何という店へ行った、どんな会話した等、ぎっしり書き留めてあった。あまりに大勢を相手にするから混乱しないようにする為にね。

 

 新しい腕時計をしているお客さんにはこう言った。
「どうしたの?その腕時計、素敵!」
 相手は得意気に言う。
「係長に昇進したお祝いに買ったんだ。自分へのご褒美だよ」
 私はしばらく時計を見てからこう答える。
「そうして欲しいものを次から次へ買っていったらきりがないでしょう?これからは私がやりくりしてあげる」
 その場で給与と生活費に幾らかかるか聞き出し(みんな案外素直に答えてくれた)、電卓(ボーイ長に借りた。一回目は何?と言う顔をしていたが、二回目からはこれが舞の常とう手段だって顔していた)を叩いて、飲み代を確保。
「これからも毎月、私がちゃんとやりくりしてあげるね」
 そう、これで相手は普通のサラリーマンでありながら、銀座で酒を飲む事が出来る。

 

 会社経営している人には勿論そんな事はしない。そういう人にはわざと下の名前にさん付けで呼んだ。
「まさゆきさんって呼んでも良いですか?」
 相手は最初びっくりして、それから呆けた顔になって頷く。そう、いつも会社では苗字に役職(〇〇社長、〇〇会長等)で、家庭ではお父さん、と呼ばれている人にとって、それは新鮮な響きなのだ。
「舞といると、俺は肩書も何もない、ただの男に戻れるんだ」
 嬉しそうに、しみじみ言ってくれた。そして必ず私を指名してくれた。

 

 何か悩みを抱えている人は(言わなくても分かる)一緒にいて心が痛む。つらい思いを抱えながらも虚勢を張り、ぎりぎり踏ん張っているその人に、心から言った。
「○○さん、何かあったでしょう?分かるよ」   
 相手は意を突かれたような顔になり、そして何があったか(長年苦楽を共にした仕事仲間を左遷せざるを得ない状況になった、親が経営する病院が訴訟沙汰になり経営が立ち行かなくなった、まだ二十代の娘が癌になった等)話してくれる。頷きながらじっと聞き役に徹し、一通り話してくれてから精一杯共感し、心をなだめてやる。そうしているうちに私自身、涙が溢れる事もあった。お席でそのお客さんと一緒に泣く事も多々あった。
 自分につらい事があった時は、ただじっと我慢すればいい。けれど人が何かつらい事を抱えている時、それは自分では我慢のしようがない。だから接客に心を込めれば込める程、涙腺は緩む。
 男だから、社会的地位が高いから、家庭の長だから、その人の親御さんにとって非の打ちどころのない自慢の息子だから、だから泣けない人は多い。だったら代わりに私が泣く。心を込めて泣く。相手は、私なら自分のすべてを受け止めてくれると、自分と一緒に、または自分の代わりに泣いてくれると心を開いてくれ、色々な話もしてくれるし、指名もしてくれる。
「舞といると俺は気が休まるんだ。家よりも気が休まるし、心からほっとするんだ」
 涙が乾いた目で、そう言ってくれた。

 

 仕事でミスをして落ち込んでいる人にはこう言った。
「○○さん、私が三十歳になっても、四十歳になっても、一緒にいてくれる?」
 その人はこんな自分に、という顔をしながらこう答えた。
「こっちのセリフだよ。舞、ずっと一緒だ。ここに来れば必ず舞に会える。舞が癒してくれる。会社でどんなダメージを受けても、ここに来れば舞が俺の傷を受け止めてくれる」
 心を込めて頷き、こう言う。
「所で、どんなミスしちゃったの?」
 その人は気まずそうな顔で、仕事の失敗談(頼まれた事を忘れた、秘密と言われた事を公にしてしまった、担当者を間違えた、相手の役職を間違えた、日時や場所を間違えた、手順を間違えた等)を話してくれる。一通り聞いてから答える。
「私だったらどうするかなあ」
「どうする?」
「あ、こうしたらどうかな?」
 と言って、アイデア(言われたその場でメモを取り、三十分ごとにタイマーを鳴らし、鳴ったらそのメモを見る習慣を付ける、人間の記憶は案外キャパシティが狭いので、忘れないよう、忘れたら忘れたで何分後かにメモを見れば思い出すので。何かする前に確認作業を忘れない為、付箋紙に重要事項を書き留めて、尚且つその付箋紙が剥がれないようにセロハンテープで書類の上に張り付け、そのメモに書いてある事項をしないと次の作業が出来ないようにしておく、秘密事項は暗号で例えばHMT等書いておく、この案件の担当は誰とその都度明記する、相手の役職が変わったら名刺を書き変え、○○部長等暗唱しておく、日時や場所は、くどくて済みません、と言いながら、本当にくどい程確認する等)を、思いつく限り出す。
「あ、それ良いな」
 その人は心から感心したように頷く。
「舞、頭良いなあ」
「〇〇さんの方がずっと良いよ」
「俺の秘書やらない?」
「それ良いね。あははははは」
 明日からその人がまた頑張れるよう励ましてやる。

 

 本当の愛が分からないという人にはこう言った。
「実は私も分からないんですよ」
「舞も?」
 真剣に頷く。
「な、そうだろ、な、分からないよな」
「はい、本当に分かりません」
「愛って何だろうな?」
「本当に分かりませんね。形もないし匂いも味もないし」
「本当に愛ってなんなんだろうな」
「分かりませんねえ、謎ですねえ」
「ただな、俺ひとつだけ分かる事があるんだよ」
「何でしょう?」
「舞は俺の理想そのまま、寸分変わらぬ形で俺の前に現れたって事」
「あらまあ、嬉しい事言ってくれますねえ。もっと言って。なんちゃって」
「舞は俺の理想、舞は俺の理想、舞は俺の理想。これでいいか?お前は可愛いな」
「〇〇さんも理想のお客様ですよ」
「だろ?…ああ、愛ってなんだろなあ。俺の舞に対する思いかなあ」
「守ってあげる事でしょうか?」
「ん、俺が舞を守る、ああいいねえ。他になんかないかなあ。愛をばっちり表現出来るの」
「ほんと、ばっちり表現したいですねえ」
「本当の愛ってなんだろうなあ」
「なんでしょうねえ。ゆっくり考えていきましょう」
「そうだな」
「あははははははは」
 お互い笑い合う。笑ってごまかすのではなく、共感して楽しく笑う。これでいいのだ。

 

 妻とうまくいかないと悩んでいる人にはこう言った。
「奥さんの良い所、十個言ってみて下さい」
 その人は少し考えるような顔をして、料理がうまい、基本的には優しい、懸命に子育てをしてくれる、家事をきちんとやる、まめでよく気が付く、病気の時に献身的に看病してくれた、自分の親の面倒を嫌な顔ひとつせずに見てくれる等々、話してくれる。そして必ず言っているうちに神妙な顔になり
「そんなに悪い女房でもないって気がしてきた」
 と言う。
「良い奥さんですね、だから〇〇さんもこんなに素敵なんですね」
 と返すと
「素敵かどうかは」
 と言う。
「私は〇〇さんの良い所を二十個言えますよ!」
 と言って、優しい、ハンサム、スーツが似合う、センスが良くていつもネクタイの色と、ハンカチの色、靴下の色が合っている、仕事が出来る、出世が早い、上司や部下に信頼されている、人を傷つけない言葉を言える、私に会いに来てくれる、手が綺麗、指もしなやかで綺麗、育ちが良い証拠だ等々、指を折りながら延々とその人の良い所を話す。その人は必ずどんどん笑顔になる上
「俺もそんなに悪い亭主でも悪い奴でもないよなあ」
 と言って、みるみる元気を取り戻していく。
 お会計を済ませ、帰る頃には笑顔爛漫になり
「舞、また来るよ!有難うな!」
 と、溌剌とした足取りで駅へ向かう。きっとそのまま笑顔で家路につくのだろう。

 誠心誠意を込めて接客する事で、相手が活力を取り戻してくれるのを見るのは嬉しかった。それがこの仕事の醍醐味だった。

 

 ボーイ長が接客中の私に小声で囁く。
「舞さん、T銀行の頭取からのご紹介で、Y証券の社長がお見えです。常連の〇〇様の指名も入っていますが、どちらを優先しますか?」
「Y証券の社長を優先します」
 即答しながら時間配分を頭の中で素早く済ませる。ボーイ長が答える。
「では常連の〇〇様は、香織さんに接客してつないでもらいます」
「香織さんはあまり話上手ではないから、清美ちゃんにつないでもらって下さい」
「はい」
「この後、このお席は美香ちゃんに任せます」
「はい」
 ボーイ長が私の指示通りに動く。
 そう、私は指名客も、ヘルプのホステスも、選ぶ立場なのだ。
「〇〇さん、御馳走様でした。またお待ちしていますね」
 名残惜しそうな顔をする客を席に置いて、私は誇りを持って席を立つ。
 そう、私はこの店のスーパースターなのだ。

 

 水商売をする上で、自分に課している事が二つあった。
 ひとつはお客さんと同伴出勤やアフター以外で、店外で会わない。 
 もうひとつ、こっちの方が重要だったけど、絶対に枕営業をしない。
 やっている女の子もいたけど、その相手になったお客さんは必ず別の女の子を指名するようになるし、麻耶組や深雪組に行っちまう上、悪い噂も広がるし、かえってマイナスだった。

 

「やらせてやったのに!指名してくれないばかりか麻耶組に行くなんて」
 更衣室で、そう言って悔しがる奈々ちゃんという女の子に私は言った。
「上辺だけでやっているからだよ」
 本当にそうだ。頭を使わず、上辺だけで仕事しているから、まして枕営業なんて安易な方法で客を得ようとするから、だからそんな目に遭うのだ。
「私も舞ちゃんみたいにやろうかな」
 奈々ちゃんは懲りたように言う。
「舞ちゃん、お客さんの事、よく考えているもんね。私は全然考えていなかったな」
 私は心から言った。
「もう二度とやっちゃ駄目だよ」
 よく納得したように頷く奈々ちゃん。同じクラブで働く仲間だ。同じ間違いを繰り返さないで欲しいと、馬鹿な事をしないで欲しいと願わずにいられない。

 

 お客さんってみんな外で会いたがるし寝たがるけど、そんな事をしたらどうなるか、やらなくても分かる。
 それより一発で名前や経歴を覚える、前回どんな会話をしたか記憶しておく、そして次に来店した時に、その話から始める。
 何よりお席を盛り上げる、楽しい思いをさせる、話をとことん聞いてやる、共感してやる、自分だったらどうするか名案を出してやる、癒してやる、和ませてやる、恋人のように寄り添いながらも、ぎりぎりのラインは保つ。
 その人が連れてきたお客さんを立てる。勿論その人もバランス良く立てる。
 独学とはいえ英語も勉強しておき、外人のお客さんにも対応出来るようにしておく(お陰で外国人のお客さんが来た時、必ず私が担当させて貰え、みんなに尊敬の眼差しで見られた)。
 新聞を毎日隅から隅まで読み、どんなお席のどんな話題にも付いていけるように社会勉強もしておく。
 相手が咳をしたら喉飴を、涙を流せば清潔なハンカチを、くしゃみをしたらティッシュを、携帯電話が鳴ったらメモとペンを、間髪入れずに差し出す。相手がして欲しい事を、して欲しいタイミングでする。
 何より上辺だけでなく、通り一遍でなく、心を込めて接客する。
 勿論ここに来なければ会えない存在であり続ける。
 その方が長続きするし、信用もされるし、長く引っ張れる。
 それが私のステータスだった。
 そしてそれは正解だった。

 

 そうそう、ひとり暮らしをしていると、自然に時間管理や金銭管理が出来るようになる。家事も自分がやらなければ誰もやる人はいないから、段々出来るようになる。まったく家事をしない母親に育てられたから、最初は何をどうしていいか分からず立ち往生したけどね。失敗して覚えていったって感じかな。
 天気予報を見て、洗濯をする。ごみも仕分けして曜日ごとに捨てる。毎日掃除機をかける。ユニットバス、特にトイレをこまめに掃除し、換気を良くしてカビが生えないようにする。
 子どもの頃から汚い部屋で育ったせいか、喘息になり、止まらない咳に悩まされたものだけど、ひとりで暮らしながら掃除洗濯をこまめにするようになってから、だいぶん良くなり、咳もあまり出なくなった。やっぱり部屋が汚い事が原因だったんだって改めて思った。
 喘息は本当につらかったし、二度とならないよう常に掃除していた。やっぱり清潔にしている方が気分良かったしね。小学校の先生がうちを一日がかりで片づけてくれた事を思い出す。家事のやり方は、あの時あの先生に習ったって感じかな。
 掃除も洗濯も嫌いじゃなかったよ。整理整頓も雑誌を見て実践していた。すっきりしたし、とにかく喘息が怖かったからさ。料理だけはしなかったけど。
 備え付けのワンドア冷蔵庫にはヨーグルトや飲み物が入っていた。テーブルの上にはパンが。これは幼い頃から見慣れた景色って感じだったかな。
 電気コンロではあまり料理しようって気にもならず、お弁当で済ませていた。手作り料理食べた方が健康的だし、経済的にもいいんだろうけど、なんとなくやる気になれなかった。食器やフライパン等は勿論、冷蔵庫もワンドアではなく、冷凍庫付きのツードアが良いだろうけど、色々買い揃えるのは大変だしね。手料理は咲さんに食べさせて貰えばいいや、なんてね。
 お弁当屋やスーパーで買い物する時に、この人たちは時給いくらで働いているのかなって考える事があった。多分七百円とか、それくらいだろう。私はその二十倍以上もの時給を貰っている。これがいつまで続くのかな、いや、ずっと続いて欲しい。続かないと困る。果たして私はそんな時給でいつか働く日が来るのだろうか?
 稼ぎは良くとも、調子には乗っていなかった。なるべく無駄な出費は抑えていたよ。
 
 タクシー通勤なんてとんでもない(奈々ちゃんはタクシー通勤していた!)。電車で必ず行き帰りしていた。それも定期券使って!
 ホストクラブなんて、もっととんでもない(咲さんはホスト通いしていて、私にも行こうって誘ってきたけど断ったよ)。そんな事にせっかく稼いだお金を使うなんて勿体ない!
 男に貢ぐなんて、ますますとんでもない(清美ちゃんって子は、一緒に住んでいる役者志望の彼氏に生活費は勿論、オーディションを受けるお金やレッスン料まで出してあげていた。なんて勿体ない!)。
 良いマンションに引っ越すのも気が進まないな(香織ちゃんは日当が上がるごとに広いマンションに引っ越していた)。
 整形手術にお金を使うのもどうかと思うよ(美香ちゃんは、整形マニアであちこちいじっていて、顔がどんどん変わっていくの!最初、店に入って来た時はいかにも田舎の子って感じだったけど、素朴で可愛かった。今はマネキン人形みたいな顔になって怖いよ!)。
 京子ちゃんは独身で恋人もいないし実家暮らしって言っていたけど、親が二人とも働かない上にお兄さんと弟まで十年以上引きこもっているとかで、いくら働いても稼いでも自由になるお金なんて微々たるものだ、独身でひとり暮らししながら会社勤めしている人の方がまだお金持っている筈だって嘆いていた。そう言えばしょっちゅう同じ洋服着ているし。私より三つ年上だけど、二十六歳で一家の大黒柱なんてきついよね。これからどうなるんだろうってこっちが心配になるよ。
 江里子ママは、旦那さんの暴力が原因で離婚し、クラブ勤めをしながら懸命に育てたひとり娘が非行に走ってしまい、本当に大変だったらしい。その上、今から十年前、まだ中学二年生なのに家出をして以来、まったく消息不明で生きているのかさえ分からないんだって。それは旦那さんの暴力以上にしんどいよね。だからかねえ、非行に走った若者の支援活動をしたいような事を時々言っている。水商売らしからぬ発想だよね。娘さんへの贖罪なのかなあ。今も同じマンションに住み続けて、娘さんがいつ帰ってきても良いようにしているんだって。そこはちょっとうちの母親を彷彿させるわ。
 麻耶ママは、結婚、離婚を繰り返し、それぞれ父親の違う四人の子を育てているんだってさ。今年三十五歳だけど、麻耶組のボーイと同棲を始めたらしい。タフだねえ。また妊娠したら産むのかねえ。懲りないんだねえ。生活費は麻耶ママが出しているのかねえ。
 深雪ママは、恋人の借金の保証人になり、その人に逃げられ、自分で二千万円もの返済をしているらしいよ。恋人とはいえ、よく人の借金の保証人なんかになったねえ。私には考えられないよ!
 江里子組のボーイ長は、高校生の時にお父さんが事故死し、お父さんが経営していた会社をお父さんのお兄さんに乗っ取られたんだって。そのお兄さん、ボーイ長のお母さんまで奪って結婚し、ボーイ長と妹を家から追い出したらしいよ。そんなの人間のする事じゃないよね。伯父さんも酷いけど、お母さんも酷いよ。お母さん、伯父さんの言いなりになって、黙って結婚して、黙って会社で働いて、売り上げを黙って新社長の伯父さんに渡して、全然逆らおうとしないんだって。ボーイ長は、まだ中学生だった妹を守る為に高校を中退して夜の世界に入り、死に物狂いで働いて妹だけは高校に行かせたんだってよ。なのにその妹、お金にだらしなくて、高校を卒業後、就職もせずにフリーターしながら洋服やアクセサリー等、ローンを組んでまで買い漁り、ちっともボーイ長の思いに報おうとしないんだって。酷いよね。そのローンはボーイ長が払っているみたいだし。
 
 ああみんな、何でもないような顔をしてはいるけど、大変な人生。
 私も陰で何て言われているか分からないけど。
 
 私はお金の使い方にしても、生活の仕方にしても、色々な雑誌や新聞で得た知識をフル活用していたよ。生活費も予算を決め、一週間ごとに袋分けして、その範囲内で使っていた。袋分けを四週間でする人も多いけど、私は五週間で分けていた。四週だと月によって足りなくなるけど、五週なら必ず余りが出るからね。この余りを必ず貯金していた。
 急な出費に備えて予備金も用意していたけど、なるべく手を付けないように気を付けていたし、使わなかったら一円たりとも馬鹿にせず(一円を嗤う者は一円に泣くのだ)、貯金箱へ入れ、月末に口座へ入れる。これを繰り返していた。貯金は千五百万円を超えていた。

 口座のお金がどんどん増えていくのは楽しかったし心強かった。この貯金が何かの時に私を助けてくれるから大丈夫ってね。
 予定外収入があれば、尚の事貯金をした。稼いでいるんだから少しくらい使ってもいいやなんて思わない、稼いでいるんだから、尚の事、貯金!これに千円使うなら、他の事に使えるかな?等考える。衝動買いはしない。似たようなものは買わない。とにかく貯金。貯金がない為にアパートひとつ借りられなかった経験がここに活きている。
 ふっとさびしくなる事がしょっちゅうあったけれど、今はこのままいくしかないって思っていた。何かを変えるのは怖かった。このまま何も変わらず、年も取らず、クラブ江里子でずっと働いていられたらいいな。
 年を取るのは怖い。年を取るなんて考えられない。自分が三十歳になるとか、そんな事信じられない。年を取り、容姿が衰えたり、ホステスが出来なくなったりするのは考えられなかった。
 私はずっと若く綺麗でいよう。一流ホステスでいよう。銀座にいよう。スーパースターでいよう。舞台の中央でスポットを浴びていよう。
 その為にはどうすればいいんだろう? 
 ん、分からない。

 そうそう、先月江里子組に入って来た望ちゃんって女の子、十八歳だって。私より五歳も若いなんて、おお妬ましい事。だけど私も負けていない。
 今、鏡に映る二十三歳の私は我ながらつくづく美しい容姿に恵まれている。
 目鼻立ちは整っているし、肌のきめも細かい。しみひとつ、しわひとつ、毛穴ひとつない、絶世の美肌だ。
 自信に満ちた表情も良い。目力だって凄い。銀座の一流ホステス特有のオーラもある。
 首じわ?何それ、私の首には一本のしわもないわよ。
 髪も艶があり、白髪一本ないし、髪の毛があまりに多くて地肌が見えない程だ。一本一本にこしがありたっぷりとしている。
 スタイルだって抜群だ。華奢な割に胸は豊かだしウエストは完璧にくびれている。手足は細く、長く、引き締まっている上に均整も取れている。ヒップもキュートで上を向いている。典型的なモデル体型だし、美人顔だ。どのお客さんも夢中になる筈だ。
 望ちゃんなんかに負けるもんか。私は風邪を引いたってマスクなんてしない。せっかくの美貌を隠すなんて勿体ない!
 ああずっとこのままでいたい。絶対に年なんて取りたくない。
 神様、どうか私をこのままにしていて下さい。
 …私は十年後、二十年後、どうしているのかな…?
 
 二十五歳の時、画廊を辞めたよ。私も江里子組でナンバースリーと呼ばれるようになり、この道でやっていけるって自負があったし、掛け持ちはそろそろきつかったし、夜だけで月収百万円を超え、じゅうぶん稼いでいるし、貯金も三千万円を越えたし、時間も欲しいし、だから良いんだ、くらいに思ってね。
 また漠然とだけど、料理好きの咲さんが将来小料理屋でも開いてくれて、そこで働かせてもらえれば、なんて思っていたっていうのもあるけど。青い鳥は絶対に私から離れていかないだろうって自信もあった。
 時代は平成に移っていた。ちょうどバブル真っ盛りで、どこのお席でも札束が飛び交っていた。これがずっと続くとは思っていなかったけど、毎日毎日指名もチップもたくさん貰えて、お財布はいつもパンパンで、時々私って何でこんなにお金あるんだろう、こんなに稼いでいるんだから、このアパートは卒業しようかな、今の稼ぎなら、マンション買うくらい何でもないし、咲さんたちと同じマンションを買えば原宿に住めるし、箔が付くかも、なんて思ったよ。


 座った途端、ボーイに向かい
「おいっ、舞、呼べ、舞だ、舞!」
 と威丈高に言うお客さんもいたし(この人は後に江里子ママから出入り禁止を喰らった)
「舞、俺の女になればマンションくらいプレゼントしてやるよ」
 だの
「舞、舞、お前さえその気になればどんな贅沢もさせたる」
 だの、鼻息荒く言うお客さんもいっぱいいた。
 だけど誰かの愛人になってマンションを買ってもらったり、贅沢をさせてもらったりするのは嫌だった。あくまで自分だけの力で生活を維持するのが私のプライドであり、ステータスだったから。昔、女友達の家に居候して惨めな思いをした経験が、何が何でも自立する、という考え方にしてくれていた。
 もうひとつ、洋服やアクセサリー等欲しいものもいっぱいあったし(ボーイ長の妹じゃないけど)、美容院は毎日、エステもしょっちゅう行っていたけど、毎月最低でも六十万円貯金をしていた。もらったチップもないものとして貯金した。チップだけで四十七万円貯金できた月もあったし、いちばん奮っていた年は九百七十四万円貯金出来た。
 お金がない為にアパートひとつ借りられず、仕方なく坂戸に帰るとか、誰かの家に居候する肩身の狭い思いをしたお陰だ。あの経験に感謝しよう。
 私の年齢で三千万円以上貯金を持っている人は少ない筈。
 この貯金の額も、私のプライドだった。

 そうそう
「やっぱり銀座の女の子は違うね」
 だの
「君くらい美人でスタイル抜群ならモデルになれるよ」
 だの
「勿体ない、女優になればいいのに」
 って、言葉もよく聞いたよ。
 けれど私は芸能人なんてなる気はない。あくまで銀座の一流クラブの売れっ子ホステス、それが私の夢であり、自分の意思を貫くのが私だったからね。
 私はそういう言葉を聞くたびに、堂々とこう言い切った。
「私、クラブ江里子で働く為に生まれたんです」
 月により京子ちゃんや咲さんを抜いて、ナンバーワンになった事だって何度もあった。
「今月も舞ちゃんがうちの稼ぎ頭よ」
 というママの言葉を誇らしく聞いたものだ。少しくらい嫌な事があったって、店に出れば忘れられる。お客さんたちと会話しているうちに吹き飛ぶ。だから私は今日も店に出る。
 そう、クラブ江里子は、私の運命のクラブだった。

 

 ある週末、咲さんのマンションに泊まりに行った時の事。
 風呂から上がった咲さんに
「舞、今のうちにお風呂入っちゃってよ」
 と言われ、風呂場に向かった。脱衣所で服を脱いでいると、玄関のドアを開閉する音が聞こえ、
「ただいまー」
 って、健さんの声がする。ああ健さん帰ってきたんだ、と思っていたら、脱衣所のドアがぱっと開かれた。
「あっ」
 と、お互いびっくりする。手を洗おうとした健さんと、素っ裸の私。
「ごめん」
 そう言って慌てて閉める健さん。だが一瞬かすめるように、私の裸体に視線を走らせた。恥ずかしいやら、なんやら。でも健さんもわざと開けた訳じゃない。
 …風呂から上がり、咲さんに借りたパジャマを着てリビングへ行くと、普段着に着替えた健さんがぺこぺこ頭を下げながら笑っている。
「舞ちゃん、悪かった。知らなくて開けたんだ」
「いいよ、健さん
 笑って許した。咲さんが笑って言う。
「健ちゃん、若い子の裸、見たかったんでしょ」
 健さんがふざけて答える。
「うん、実は」
 三人で笑い転げる。おかしかったよ。
 …これが、三人で心から笑って過ごした最後のひと時だった。

 

 それ以来、健さんの私を見る目が変わった。ずっと妹を見るお兄ちゃんの眼差しだったのに「好きな女を見る目」に変わっちまった。そりゃ戸惑ったよ。私は健さんなんて全然好きじゃないからね。
 勿論咲さんがそれに気付かない筈がない。警戒したのか何か知らないけど、咲さんが私を変に避けたり、奴隷みたいに扱うようになったり、それも戸惑った。月によって私が咲さんを抜いてナンバーワンになるのも気に入らなかったようだ。応援するし可愛がってもやるが、私にはあくまで自分の下でいて欲しい、それが咲さんの考えだった。
 江里子ママは決してそんな扱いしなかった。江里子ママは、いかにも銀座で生きてきましたって感じもするし、トップに立っているだけに厳しい面(お行儀の悪すぎるお客さんを出入り禁止にするとか、やる気のないホステスやいい加減な仕事をするボーイを首にする)もあったけど、生活苦に喘ぐ若い女の子を雇い、アパートを借りてあげたり、面倒を見てあげたり、相談に乗ってあげたり、水商売の人と思えないほど優しく堅実な面もあった。いつまでもこの仕事ではなく、いずれ非行に走った若者の支援活動したいって考えも持っていたしね。
 けれど咲さんはいつまでもこの仕事を続けて、良い思いをし続けたいって言っていたし、自分が怒らせたお客さんのフォローを私にさせたり、自分が付けないとか、付きたくない嫌なお客さんの相手を私にさせたりした。それも平気で。
 マンションに遊びに行っても、私の接客についてしつこく説教してきたり、掃除させられたり、肩や足もみさせられたり、滅茶苦茶に散らかった台所の後片付けをさせられた事もあったし。ずっと我慢していたけど、不満は募っていった。
「私は時給二万円もらっているんだもん!」
 とか、平気で言うし。
 こん畜生!って、思ったよ。私は時給一万七千円なのに!
 しかもその後、咲さんがトイレに立った時に、健さんがこんな事を聞いてきたし。
「舞ちゃん、夕べ俺が眠っている時に、俺にキスしたんだって?克子が言っていたけど」
 克子というのは咲さんの本名だ。びっくりして言う。
「そんな事、していないよ」
 健さんが不思議そうに言う。
「へえ、克子が言っていたんだけどなあ」
 本当に不愉快だった。咲さん、いい加減にしてくれ!そうなってもいいのか?
 でね、よせばいいのに、こっちも咲さんをギャフン!と言わせてやろうって思っちゃったの。咲さんがいちばん傷つくのは、健さんを誘惑する事だって分かっていた。
 だからあえて言ってやった。
「もう帰るから、送って行ってよ」
「いいけど、克子の支度待たなきゃ」
「そうじゃなくて、健さんだけで送って行ってよ」
 健さんが不思議そうに私を見ている。…たっぷり間を取ってから囁いた。
「送り狼、してくれて、いいよ」
 健さんが慌てふためく。見ていて面白かった。
 咲さん、最初は好きだったけど、今はもう嫌いだよ!だから離れる前に健さんを弄んでやる!その後は京子派に入ればいい話だ。
 現に京子ちゃんも、私が咲さんにいじめられているのを知っていて
「舞ちゃん、私の派閥に入りな」
 って、言ってくれたし。私には他に当てがあるんだ!
「朝まで一緒に居ようよ」
 健さんが唖然としている。熱でもあるのか?って、顔に書いてある。本当に面白かった。
健さん、私を選びなよ」

 

 健さんは面白いくらいあっさり落ちた。咲さんに飽きていたのか、私の前で咲さんの悪口ばかり言うようになった。
「あいつ全然約束守らない」
 だの
「毎月二百万近く稼いでも、しょっちゅうホストクラブで遊んで大金使ってりゃ、しょうがねえだろ!」
 だの
「この前も、一緒に焼き肉食いに行った店で、店員がたれをこぼして自分の洋服を汚した時、気を付けてよ、あんたの給料じゃ払えないんだからねって大声で怒鳴るし、もう恥ずかしくて嫌だよ」
 だのと。
 おーおー、その調子でこっちに来なよ。咲さんごと、あんたも捨ててやるからさ。


 私は咲さんの留守を狙ってしょっちゅう原宿のマンションへ行った。行くたびに健さんは魂を抜かれたような顔で出迎える。何食わぬ顔でするりと玄関に入る私。澄ました顔で健さんの心にもするりと入る。
「俺、克子がいるのに…」
 そう言いながら、どんどん私に傾いてくる健さん
 躊躇しながらキスをし、躊躇しながら私の体を触る健さん。もっとおいで、もっとこっちにおいで。あなたなんか全然好きじゃないけど。
 行くたびに五万円ずつお小遣いもくれたし(それも貯金した)、高いブランデーや高級菓子をくれたり、新しい洋服やブランド物のバッグも買ってくれたし、自分が勤める赤坂のお店のお客さんを江里子組、それも私のお客さんとして紹介してくれたり、色々と便宜をはかってくれるようになり、しめしめって思っていたよ。
 咲さんがいない時間を狙って電話を掛ける。
「逢いたいです。逢えますか?」
 健さんが電話口で息を飲むのが分かる。
「逢いたいです。今から逢えますか?」
 健さんが受話器を持ったまま、時間のやりくりをどうつけようか考えているのが分かる。
「逢いたいです。逢えますか?」
 そう、これが私の常套句。疑似恋愛。

 

 しょっちゅう私に電話を掛けてくるようになった健さん
「俺だけど」
「なあに?」
「克子が今、風呂に入っているから」
「私の声、聞きたかったの?」
「そう」
 まあ中学生みたいな事するわね。
「舞」
「なあに?」
「俺も逢いたい」
「明日、咲さん日本舞踊の稽古で、一時には出かけるんでしょう?その頃行くよ」
「分かった。待っている」

 

 翌日、一時半に咲さんのマンションへ。玄関を入るなり待っていましたとばかりに私を抱きすくめる健さん。靴くらい脱がせろってーの。無我の境地って顔でキスをし、体を触る。最後の一線を越えたがっている。だがためらっている意気地のない健さん
「最近、克子いらいらしているだろう?」
「うん、分かるよ」
「今朝、言われたよ。健ちゃんが舞に恋しているからじゃないって。そんな事言うの、お初(はつ)!」
「そうだよって言ってやれば良かったじゃない」
「そんな事言ったらどうなると思っているんだよ。あいつ狂うよ」
「咲さんなら、もう狂っているでしょ」
 健さんは服の上から触る事しか出来ない。もしかして咲さんが急に帰ってくるかも知れない。ヒヤヒヤしながら、それでも私という獲物を放したがらない往生際の悪い健さん
 ほんと、中学生。私は心の中で二人を嘲笑う。咲さんは私の方で健さんなんか相手にしないって、たかをくくっていたんだろう。だから寝ている健さんに私がキスしたなんて嘘言って、健さんの反応を見て面白がっていたんだろう。まさか本当に健さんが私に恋するとか、私が健さんを誘惑するなんて思わなかったんだろう。
 咲さん、あなたの思う通りにしてあげるよ。はい、これでいいんでしょ。

 

 そして今日、健さんが遂にひとりで私のアパートに乗り込んできた。最後の一線を越えるつもりなんだろう。これまではぎりぎり堪えていたみたいだけど。
 ここは自分のマンションじゃない。私のアパートだ。咲さんが帰って来る心配もない。安心して思いきれる。そう思っているのはミエミエだ。予告もなしにいきなり来られても困るんだけど。そう思っていたらこう言う。
「逢いたいです。逢えますか?って、言ったじゃねえか」
 だから何?って思っていたら尚もこう食い下がる。
「お前、俺に逢いたいです。逢えますか?って言ったよな」
 鼻息荒い健さん。なんなのよ、アンタ。
 …そこでうちのドアチャイムがピンポンと鳴った。びっくりした顔で私を見る健さん。克子が俺の後を付けてきたのか?って顔。
 インターフォンを取ると勧誘の人だった。
「結構です」
 と言って切った。ほっとする顔の健さん。ああ白ける。
 …そこでうちの電話が鳴る。またびっくりした顔で私を見る健さん。克子が掛けてきたのか?って顔。気が小さいんだねえ。
 受話器を上げると間違い電話だった。ほっとする顔の健さん。ますます白けるよ。
 …健さんは急に怖くなったみたいでこんな事を言い出した。
「俺、克子と別れる気はないよ」
 誰がそんな事を言ったんだよ!こっちもあんたらを別れさせた挙句にケツまくる気だよ!
「あると思った?」
 だって。自惚れるな、アホ!
 どんどん白ける。だったら何しにここに来たんだろう。もう帰って欲しい。
 健さんは勝手に私の電話を使って咲さんにかけている。まずい事になる前に、あらかじめ言い訳を、そう思っているのは嫌でも分かる。
「舞ちゃんから電話が入ってね。泣きが入っていたんだよ。で、心配だったから来たの」
 勝手に来ておいて、勝手に人の電話使って、勝手に作り話して、全部人のせいにして、なんなのよ、この人。
「舞ちゃん?今代わるね」
 話をうまく合わせろ、という顔をしながら受話器を差し出す健さん。誰がそんな事、してやるかよ!知らん顔してやった。

 

 咲さんは今頃タクシーをつかまえ、私の所に来ようとしているだろう。
 地理に弱い咲さん。
 運転手に当たり散らし、あちこち迂回させ、無駄な時間とタクシー代を使って、神経を病んでいく咲さん。
 私をいっときは妹のように可愛がってくれた咲さん。
 段々いじめるようになった咲さん。
 健さんしかない咲さん。

 さあ咲さん、私と勝負しようよ。


 健さんが見ている前で一枚ずつ服を脱ぎ、全裸になってやった。
 健さんはただ口を開けて見ている。
 あなたがいつか、かすめるように盗み見たスタイル抜群の肢体が今目の前にあるよ。欲しいんでしょ。あげるわよ。減るものじゃなし。何より三十半ばの咲さんに慣れている健さんには、二十代の若い私の裸体は眩しすぎるだろう。
「おいでよ、シャワー浴びながら愛し合おう」
 そう言って裸のお尻を向けたままユニットバスへ向かう。シャワーを浴び始めると、全裸になった健さんが魂のまったく抜けた顔で入って来た。
 健さんが後ろから私を抱きすくめ、むさぼるように愛撫をする。
 ユニットバスを出て、バスタオルで体を拭く間もなく、床へ倒れ込む。煌々と電気が付いたままの室内。猛り狂った健さんの顔がおかしかった。笑う訳にいかなかったけどね。私の全身を味わい、呆けた顔の健さん
「舞、舞、俺の舞」
 勘違いしてんじゃねえよ。
「綺麗だ。舞、綺麗だ」
 私を褒めたたえる健さんが私の両足を思い切り広げる。はい、どうぞ。そこも減るものじゃなし、おあがんなさいよ。
「ここも、どこも、全部綺麗だ。舞は桜色をしている」
 飢えたように私を味わう健さん。よく愛無きセックスほど虚しいものはないって言うけど、ほんの少しも気持ち良くなかったし嬉しくもなかった。
 ただ、ひとりで酔いしれる健さんが私の中に入って来た時、勝ったと思った。
 これで咲さんに勝った。
 憎たらしい咲さんに遂に勝った!

 

「俺、克子と別れて舞と暮らす」
 そう言って健さんが裸のまま陶酔している。さっき咲さんと別れる気はないといった舌の根はもう乾いたのだろう。
「俺、本当は舞に逢う為に、克子に逢ったのかも知れない。本当の相手は舞だ」
 まっすぐ私の目を見る健さん。昔一緒に暮らした彼と同じ眼差しだ。全然ときめかないけど。
 はて?私は何故好きでもない人と裸でこうしているのか?急に分からなくなる。
「今から帰って克子に別れ話してくる。その後ここに来る。お前と暮らす」
 そう言って服を着る健さん。馬鹿だねえ。極端だねえ。ってか、お前呼ばわりしないでくれる?誰もあんたと暮らす気はないよ。
 さて、どうなるんだろうねえ。
 健さんはアホ面のまま帰って行った。
 修羅場はすぐそこだった。

 

 咲さんは思った通り、タクシー運転手を翻弄しながらきりきり舞いしていた。どうしても辿り着けず、諦め、いったん自分のマンションへ帰った所で、アホ面亭主と鉢合わせし、大喧嘩になった。
「舞と何があったのよ!」
「だって、舞が誘ってきたから」
「寝たの?」
「だから、舞から誘ってきた」
「嘘!私を裏切ったの?」
「俺は悪くないよ。舞が悪いんだよ。気に入らねえなら別れたっていいぜ。俺が舞を選んでもいいなら。俺には他に当てがあるんだよ。俺を舞に取られたくなきゃ、俺をもっと大事にしろよ」
「私のせいなの?」
「お前が悪いんだよ。ホスト遊びなんかしているから。ホストに金、使っているから、だからお前が悪いんだよ。お前が」
「酷い!」
 咲さんは頭に血がのぼったまま、私に電話を掛けてきた。
「舞っ!舞っ!あんたよくも裏切ってくれたね。あんたなんて殺すよ!あんたなんて殺す!本当に殺す!未遂ではなく確実に殺すからね!あんたの顔を包丁で切り裂いてやるううううううううう!」
 あんまり凄まじい勢いだからびっくりしたよ。咲さん、本当に狂っちゃった。地獄の底から掛かって来た電話みたい。精神病院に強制入院させられる寸前もこんな感じだったのかな。
 急に開き直った健さんが、咲さんから受話器を奪う。
「ああ関口です」
 って、乱暴な口調。
「あんたのせいでこっちは大変な事になっているんですよ。もう二度と俺たちに近づかないで欲しいんですけど」
 だって。

 は?気分次第で言う事なす事コロコロ変わるねえ。
「俺はこれからもずっと克子とうまくやっていくつもりなんでね。あんた、俺らの人生に二度と関わらないで下さいよ、もう、お願いしますよう!」
 もっと、は?だった。咲さんの手前、咲さんに聞こえよがしに、自分さえ助かれば、自分さえ良ければいいんだろう。
「あんたの事はみんな馬鹿にして笑っているよ!」
 そう言って電話が叩き切られる。みんなって誰だよ、健さん、あんたこそ頭大丈夫?って、言いたかったけど、電話の向こうは凄まじい修羅場になっていた。
 咲さんは健さんの目の前でキッチンの包丁を振り回し自分の手首をバッサリ切った。人のせいにして、その場を取り繕う事ばかり考えていた健さんは、慌てて救急車を呼び病院へ連れて行く事になる。

 

「舞、酷い状況になっている」
 そう言って私に助けを求める健さん。あんたが撒いた種でしょう。あんたが刈り取りなさいよ。どうすれば良いか分からず、電話の向こうで延々と喚いている健さん
「克子が、包丁で手首切って、神経二本も切るし」
 だと。そんなに切るのが悪いんだろ!
「あの時、俺が怒鳴ったのはね、克子が健ちゃん怒鳴ってって言うから、だから、仕方なく怒鳴ったんだよ」
 だと。ああもう、言い訳がましいねえ、聞きたくないよ。
「俺、やっぱり克子を守っていきたい」
 だと。勝手にそうしてくれよ、いちいち自己陶酔しながら報告してくんじゃねえよ。鬱陶しい!
「舞を殺すって言っている。坂戸の実家も探すって。克子、本当にやる気だよ!」
 え?それだけは困る。あんな母親でも殺させる訳にはいかない。

 

 六年振りに坂戸に帰った。アパートはそのままだった。相変わらず引っ越しせずにいてくれた母親。
「ああ、お帰り」
 いつかとまったく同じ言葉だ。六年ぶりに帰って来てお帰り、じゃないだろう。簡単に事情を説明し、逃げるよう説得した。
「あら、私は平気よ」
 だって。
「舐めない方が良いよ。相手は精神病院に入院歴もあるし、犯罪やって少年院も刑務所も入った事あるし、早く逃げてよ」
 母親は平然としている。
「住所まで言っていないんでしょう。なら大丈夫よ。トシくんに守ってもらうもん」
 だって。傍らで新しい彼氏も頷いている。
 ああもう、心配するまでもないのかな?四十歳過ぎて、また新しい彼氏かい?
 諦めてアパートを出る。坂戸駅で咲さんが待ち伏せしていないか、乗換駅や電車内で急に現れるんじゃないか、ヒヤヒヤしながら電車で目黒へ。目黒駅でも道すがらでも、やたらきょろきょろして挙動不審者のままアパートへ。
 留守番電話のメッセージランプが点滅している。ボタンを押すと、健さんの悲鳴のような伝言が再生された。
「舞、今すぐ逃げてくれ。克子が包丁を持って舞の所へ行った。タクシーに乗って、もう行っちまった!一刻も早く逃げてくれ。克子を人殺しにしたくない!」
 どうして力づくでも止めてくれないんだよ!それに咲さんの心配ばっかり、私はどうでもいいんだろう。
 庇ってくれないなんて、やらせてやったのに!
 この時、江里子組で枕営業をして、そのお客さんが自分にそっぽを向き、麻耶組の女の子を指名するようになったと悔しがっていた奈々ちゃんという女の子の気持ちがよく分かった。
「もう二度とやっちゃ駄目だよ」
 あの時の自分自身の声が蘇る。同じクラブで働く仲間どころか、私自身の事だ。もう二度と馬鹿な事はしない、好きでもない人と変な関係にならないし、誘惑も挑発もしないと心に誓う。だが今、たった今、どうすればいいのだ?
 健さんは庇ってくれない。気分次第で言う事なす事コロコロ変わるし、言い訳したり、人のせいにしたり、自分さえ良ければいい人だ。殺されたり、顔に怪我をさせられたり、足に重い障害を負わされたり、包丁で切りつけられたりするのはまっぴらだ。狂った咲さんなら本当にやりかねない。ってか、本当にやる気なんだろう。ああどうしよう。本当に命を奪われる。ホステス生命どころか、人生を絶たれる。
 吹き込まれた時間から二十分ほど経過している。今にも咲さんが乗り込んで来そうな気がして焦った。
 何てこった!もう一刻の猶予もない。この部屋も住めない。引っ越そう。幸い貯金がある。こんな事に使いたくなかったけど。
 江里子組ももう行けない。京子派に入るどころじゃない。給料も取りに行けない。贔屓にしてくれたお客さんや、江里子ママと別れるのはつらかったけど、命には代えられない。とにかく逃げるんだ。逃げる以外にもうどうする事も出来ない。

 

 誰にも何も言わず、通帳と最低限の荷物を持って小田原へ逃げた。あえて埼玉と反対方向へ。鴨宮にアパートを借りて暮らし始める。
 さすがにここまで咲さんも健さんも追いかけて来ないだろう。小田原にもクラブはある。銀座で何年も通用したキャリアがある。そしてまだ二十代。容貌も健在だ。客を惹き付ける自信はあった。
 だが、やはり銀座と小田原では客層が違った。本当に「全然」違った。
 その上、ちょうどその頃バブル経済が崩壊し、不景気の波が押し寄せ、客足は遠のき、あちこちでクラブはどんどん潰れていた。何度も店を変わり、何とか生き残ろうとしたが、銀座のやり方がこっちでは通用しない。恋人のような雰囲気で接客しても、何故か乗ってこない。
「逢いたいです。逢えますか?」
 という手口も、生活費をやりくりする手口も、癒してやる手口も、何故か通らなかった。何回店を変わっても、結果は同じだった。
 あの頃は分からなかったが、私が水商売に向いているのではなく、江里子組がたまたま私に合っていたのだ。物凄く相性が良かった。
 ああ私はつくづく幸運だったし、恵まれていた。そして本当に銀座という場所が好きだった。銀座に、江里子組に戻りたい。辞めた事が悔やまれてならない。
 銀座では咲さんが幅を利かせているだろうし、どこかで鉢合わせしたら本当に刺されそうだ。
 咲さんは実際人を刺したり、階段から突き落としたり、足に傷害を負わせたりした人だから、本当にやるだろう。舐めてはいけない。包丁で私の顔を切り裂くとも言っていたし。あんな人と友達だったなんて。ああ恐ろしい。
 …だが、私も悪かったかなって思うようになった。咲さんも酷かったけど、私ももう少し何かやりようがあったかも。黙って離れて京子派に入るとか、独立して自分の派閥を作るとか。
 何も咲さんがいちばん傷つく事をしなくても良かったな。全然好きじゃない健さんなんて、誘惑しなければ良かった。何であんな馬鹿な事をしたんだろう。それも悔やまれてならない。
 ってか、私は何年も恋なんてしていない気がする。お客さんと疑似恋愛し過ぎたせいで、麻痺しちゃったのかな。ああ、私は今まで何をしてきたのかなあ。私って何の為に生まれたのかな。
「若気の至りの子なんでしょう」
 って、おじいちゃんとおばあちゃんに言われた言葉が蘇る。本当に私の人生って何なのかな。私は若気の至りで生まれただけの、何の取り得もない、本来生まれてきてはいけなかった人間だったのかなあ。銀座ではたまたま運が良くて、まぐれで売れたのかなあ。現にこっちでは全然売れないし、ママにも先輩にも友達にもお客さんにも恵まれないし、あんなに追い風吹いていたのに、向かい風になっちゃった…。
 
 あーあ、私の青い鳥はどこへ逃げちゃったのかなあ。
 真っ黒い鳥に変わっちゃったよ。

 

 その夜、不思議な夢を見た。
 私は暗いトンネルの中をずっと、仰向けに寝た姿勢のまま飛んでいた。ゴーっという騒音が耳元を過ぎる。何故か不快ではなかった。
 さっと意識がはっきりした。病院にいる。患者専用の憩いの場のようだ。
 そこで咲さんがパジャマ姿のまま他の入院患者と卓球をしている。リハビリを兼ねているのだろう。左手には痛々しく包帯が巻かれている。私のせいで神経を二本も切る大怪我をした咲さん。きっと心にも深い傷を負っている筈だ。悪かったな…。
 すっと近づいて行った。
「咲さん」
 そう呼びかけたら、私に気付いた咲さんが卓球の手を止める。
「咲さん、ごめんね」
 心から謝った。しばらく私を見ていた咲さんが、やがてにっこりと微笑み、一切を許すようにゆっくりと頷いてくれた。そしてそのまま妹を見るような優しい眼差しで私を見ている。
 ああ、いつか私の成人式をしようと提案してくれた時と同じ笑顔だ。
 その聖母のような笑顔に心を、心から救われる。
「咲さん、有難う」
 …あまりにリアルな夢で、目が覚めてからもしばらく動けなかった。
 ああ、咲さん、私を許してくれて有難う。どうか早く元気になってね。
 心からそう願い起き上がった。

 

 ついに来た。年を誤魔化してクラブ勤めする日が。若ぶっても本当に若い子にはかなわない。昔は年を上に誤魔化していたが、年下にさばを読むようになってしまった。
 見てきたアニメや、好きなアイドル等、色々突っ込んで聞かれると、必ず年はばれる。首じわって何だろうと思っていたけど、気が付いたら私の首にもくっきりとしわが付いている。目ざといお客さんが私の首を指してこう言う。
「この首じわ、何とかしろよ!」
 そう、三十歳を過ぎ、水商売は限界だった。この世界でいっときは売れたものの、年には勝てない。十代の子には確実に負ける。お客さんにもババア呼ばわりされるようになり、かつて自分が可哀想と思っていた年配ホステスの気持ちが分かるようになってきた。
 そのお客さんは、若いホステスには
「君は可愛くて綺麗で良いね。花で言えばまだつぼみだね」
 と優しく言い、私には
「お前はドライフラワーだ!早くいなくなれ!」
 と激しくいじめた。そういうお客さんは多かった。もう私の手の中に包んであげられる人は居なかった。昔はあんなに役職の高い人たちをこの手で包んであげられたのに。
 ホステスを枕芸者と間違えている人も多い。機転を効かして毎度かわしたが、どの人にもこの人にも見下されるのはやりきれなかった。
 若い子の憐れむ眼差しにも耐えられない。ママになりたいけど、経営のノウハウなんてよく分からないし、自分の店を出す程の度胸もない。昔は怖いものなしだったけど、今は失敗して貯金が無くなったり、借金を背負ったりするのが怖い。
 かといって、このまま雇われの身で三十五歳、四十歳になってもホステスを続けるなんて、そっちの方が怖いし、考えられない。
 月収も二十万前後で、これではやっていけない。貯金もどんどん減っていくし、将来を見込めない。大好きな仕事だったし、天職と思っていたが、もう限界だ。今こそホステスを辞めよう。
 酒でいかれた脳で必死に考える。私に何が出来るか?何とかして昼間の仕事に戻りたい。あの画廊を辞めなければ良かったのかも知れない。だが今更そんな事を言ってもしょうがない。大事なのはこれからだ。未来だ。さあ、山路美知留、どうする?

 

 どこかへ就職しよう。三十三歳、これがラストチャンスだ。学歴を高卒と誤魔化し、就職活動を始めた。だがうまくいかない。人は転職する時に、まったくの異業種より自分が経験ある仕事や、出来そうな仕事を選ぶものだ。だが何社受けても色よい返事は来なかった。昔はあんなに色よい話ばかり来ていたのに。ああもう自分で探すのは疲れた。
 そこで派遣会社に登録して働き始めた。派遣元の人が仕事を探してくれるのは有り難かった。それに派遣でも真面目にやれば社員としてスカウトして貰える。それを期待しての事だった。現に画廊では契約社員として直接雇用して貰えたし。
 派遣でなければ働けない企業に次々に行く。相性の良い企業を懸命に探す。
 どうか私を雇って。三十過ぎの私を、どうか雇って。そう願わずにいられない。
 この仕事嫌だけど、もしかしてもう後がないかも知れないという考えがしょっちゅう頭をよぎる。次はもっと酷い仕事かもしれないと思うとスパッと辞める勇気もない。だが嫌なものは嫌だ。辞めざるを得ない仕事ばかり来る。
 ああなんて事だ。仕事を選ぶ立場から、もらえる仕事にしがみつくようになってしまったなんて。大手を振って威張っていた私が、若い子に頭を下げるようになってしまったなんて。

 

 鏡を見る。すっかり自信を失った、卑屈な顔をした三十過ぎの女が映っている。
 あんなに若かったのに、あんなに輝いていたのに、あんなに綺麗だったのに、あんなに可愛がられたのに、みんなに愛されたのに、目力もオーラも何もない、おばさんになる寸前の自分がそこにいる。
 肌のきめは荒れ、しわもしみも毛穴も目立つし白髪もちらほら見える。お酒の飲み過ぎで下腹もお尻もたるんでいる。手のしわ、首のしわも目立つ。
 たったの十年で、人はこんなに変わるのか。
 自信のかけらもない、稼ぎは少ない、仕事は定まらない、楽しみもない、恋人もいない、友達もいない、夢もない、やりたい事もよく分からない、なんにも、なんにも、本当に、なあんにもない。
 自分が何の為に生きているのか、それすら分からない。若く綺麗なうちに何かで死ねば良かったのか?老いて醜くなってまで生きていたくない。もう死んでしまいたい。
 けれど死ぬ理由さえ、よく分からない。
 どうしてこうなったんだろう。
 それもこれもどれも何も分からなくなってしまった。

 

 ああどうか、誰も私を見ないで。
 こんなに落ちぶれた私を、誰も見ずに、目を背けて下さい。

 

 仕事は甘くない。人間関係で揉めたり、仕事自体が合わなかったり、何かしらで契約更新は出来ず、三ヶ月ごとに職場を変わる羽目になる。
 新しい所に行くたびに一から仕事を覚えるのはつらく、年下の上司や先輩に仕えるのもしんどかった。特に十歳も年下の子に教わったり、きつく当たられたりするのには、本当に耐えられなかった。一緒に働く若い子たちには、何このおばさんって目で見られてたまらない。おまけにみんな大卒。見下すような態度に毎日傷つく。
 何故こうなったのか、自分が若いうちに基盤を築いておかなかったのが悪いんだと、ひしひしと分かるが、それでも現状が悔しくてたまらない。
「派遣のくせに」
 何かにつけこう言われた。返事のしようがない。確かにそうだから。
「あなたは派遣だから」
 何度も言われた。返事が出来ない。悔しくてたまらない。派遣だって人間だ。派遣は初日の朝から何でも精通していて完璧に出来る訳ではない。
「派遣でしょ」
 はいはい、確かに派遣です。だから不満ひとつ言わずに働けってか?冗談じゃない。銀座の画廊も最初は派遣だったが、誰もそんな事を言わなかった。直接雇用契約を結んでくれたし、今考えれば物凄く恵まれていた。
 こんな所もう嫌だ、やっていられない。辞めてやるよ。ふざけんな!

 

 気持ちを切り替え、新しい派遣先に面接に行くたびにこう言われた。
「前の派遣先を何故辞めたのですか?何故更新しなかったのですか?」
 どうしてもそうせざるを得なかったからなのに…本当に困った。前の所も嫌だったけど、ここも嫌、そう言えばその前の所も嫌だった。
 ああひとところに落ち着きたい、そう思っていた頃、派遣先の上司にこんな事を言われてしまう。
「山路さん、うちの会社のみんなに、すっかり嫌われちゃったね」
 そんな事を言われても返事のしようがない。みんながあなたのこういう所が困るから直して欲しいと言っているよ、等言ってくれるならまだしも、それでは改めようも何もないし、ただ突き放されても否定されても困る。
 それに、この人たち私の事を嫌いなんだなっていうのは、接していれば何となく分かる。目つきや態度、言葉の端々にそれは表れるのだから。元々好かれているなんて思っていなかったのに、はっきりそう言われたのはつらかった。その人はとどめを刺すようにこう言った。
「みんな山路さんと仕事するのは嫌だって言っている。だから派遣契約、更新はないからそのつもりでいてね」
 黙って頷く。本当に居たたまれない。朝からそんな事を言われても、今日一日物凄く嫌な気持ちのまま働かなくてはいけない。夕方言われても嫌なものは嫌だが。ああもう一分もこんな所にいたくない。
 …と思っていたら、ちょうど会社に来ていた派遣元の担当者に、もっととどめをさすようにこんな事を言われた。
「山路さん聞いたよ、ここのみんなに嫌われているんだって?」
 …絶句する。
「はっきり言っとくけど、山路さんみたいな人を青い鳥症候群って言うんだよ」
 確かにその通りだと愕然とする。
「あそこに行けば青い鳥がいるだろう。こっちに行けば青い鳥を捕まえられるだろうって、三ヶ月ごとにあちこち訪ね歩いて…。契約更新した事なんて一度もないよね、あなた本当に、いい加減にしたら?」
 心底傷ついたが、その人たちの言う事は正しかった。本当にそうだ。私はいい年をして、あっちへ行き、こっちへ行き、青い鳥ばかり探して自分を顧みていなかったのだ。
 担当者は追い打ちをかけるようにこう言い放った。
「私が異動になって新しい担当者になったら、山路さんなんて、すぐにうちの派遣会社ごと首になるよ。まあその時は私が地方に逃がしてあげるよ」
 …全然嬉しくない。だったら尚の事、そうなる前に自分から派遣元ごと辞めたい。本当に返事のしようがない。
 だがその人の言う事は正しいと思えた。
 私は派遣元の事も、派遣先の事も、全然考えていなかった。昔は店やお客さんの事を常に考えて仕事をしていたのに。頭空っぽのまま働いていれば、そんな事を言われても仕方あるまい。
 それに自分では気が付かなかったが、何か変なプライドを振りかざしていたのかも知れない。思い当たる節があるとすれば、クラブホステスをしていると、どうしても浮世離れしてくる。私たちホステスは店の商品であり、大事な売り物だ。スタッフは丁重に扱ってくれるし多少のわがままも許してくれる。店はどこもかしこも綺麗で明るく華やかで非日常的空間だ。まして私のように何年も売れに売れた時代を経験してしまうと、周りも何も言わなくなる。そんな特別扱いに慣れた浮世離れぶりが目に付いて嫌われたのだろう。
 
 更に傷つく事は重なった。
 その月いっぱいで契約が切れるもうひとりの派遣の女の子はたいそう好かれており
「社員になれば良いのに」
 だの
「契約更新してあげるよ。あなたみたいな良い人材」
 などと言われ、みんなに引き留められていた。みんなその人の為にお金を出し合ってプレゼントを用意したり、寄せ書きをしたり、別れを惜しんでいる。私には何もしてくれないと言うのに。二人同時に辞める人がいて、片や特別扱い、片や何もしてもらえない、こんな惨めな話はない。
 勤務最終日、挨拶をするその彼女を囲んでみんなが大きな花束や寄せ書き、プレゼントを渡す中、私はあまりにも居たたまれず
「私、今日までです。お世話になりました」
 とだけ言い、逃げるように走り去った。そうするしかなかった。
「何、あれ」
「ああいう辞め方をする人なんじゃない?」
 という声を背中に聞いた。ってか、嫌でも聞こえた。振り向かずに会社を走り出る。
 ビルを出て心底ほっとする。もう二度とここに来なくていい。ああ良かった。

 

 深く傷ついた心のまま、次に派遣されたのは、小田原駅前にある画材を扱う会社だった。クラブ勤めをしていた頃に、その会社の前を何度も通っていたし、一階フロアに画廊と店舗があるにも関わらず、何故か私のレーダーに引っ掛からなかった場所だ。
 だが、派遣元の担当者(その人は、いい加減にしたら?と言った人とは別の人だった)と、その画廊前で待ち合わせをした時に、ふっと気持ちが和むような感覚を覚えた。ここなら直接雇用してもらえるかも知れない、そんな良い予感がした。
 そして、応対してくれた女性社長にも強く惹かれた。
「前の職場を何故辞めたのですか?」
 とは、一言も聞かず
「何故弊社を選んだのですか?そして弊社で何をしたいですか?」
 と、「これからの事」を聞いてくれたのだ。
「接客が好きで、絵が好きだから選びました。そして仕事を通してお客様の喜ぶ顔を見たいです。その為に働きます」
 と、間髪いれずに返答できた。
 そうだ、私は接客が好きなのだ。ケーキ店でも、レストランでも、画廊でも、クラブでも、私の接客でお客さんが喜んでくれる顔を見るのが好きだった。本当に大好きだった。
 社長が頷く。
「即決で採用します」
 そう言ってくれた。私もこういう人がトップならこの会社は大丈夫と確信を得る。
 何か、江里子ママに再び会えた様な気がした。
 そして自分が本来何をやりたいのかもようやく分かった。
 そう、それは接客なのだ。

 そして働き始めてから三カ月後には正社員(契約社員ではなく)として雇ってもらえた。画廊で得た知識が見事に活きた。新聞を毎日読む習慣は続いており、社会常識は一応整っていたし、外人のお客さんが多く、簡単な英会話が出来た事も強みになった。そして何より、浮世離れした所を封印しようと最大限の努力をした。
 心からほっとする。もう二度と新しい所に行くのはごめんだ。


 会社に保証人を立てる為、久し振りに坂戸へ帰った。
「私は就職するの。保証人になってくれる?」
 そう言って書類を差し出す。じっと見ている母親。
「ここに名前書けばいいの?」
 そう言いながらサインしてくれた。五十歳を過ぎ、雇われママをやっているらしい。
 何か、少しだけ、いたわる気持ちが生まれる。
「有難う」
 そう言って、アパートを出る。何も言わず黙って見送る母親。そこは変わっていなかった。

 

 懸命に働く。会社を思って、お客さんを思って。
 自分がかつて銀座のクラブで売れていた華やかな過去は捨てた。悪い噂を恐れ、過去を人に話す事はなかった。
 今を、未来を、たいせつに生きよう。変な言い方だが、過去は「ああ楽しかった、良い思い出だ」で済ませよう。高校時代に水商売と知った途端に、お尻も軽いのか?と、男子生徒に嫌らしい目で見られた心の傷がそうさせた。それに人生で一度も輝いた事がないよりずっといい。
 会社でみんなに毎日接していると、この人たち一応私を仕事仲間として認めてくれているんだなというのは何となく分かる。そこも嬉しかった。
 四十歳目前ともなると、色々な人に
「山路さん、どうして結婚しないの?」
 だの
「誰か紹介しようか?」
 等、言われるようになってしまった。心配してくれるのは有り難いが、結婚するより仕事をして、まずはきちんと生活の基盤を築きたかった。人によって、オールドミス等からかってくる事もあったが、ホステスをしていて付くお客さん、付くお客さんに、
「まだいたのか、ババア。お前なんて早くいなくなれ」
 と、いじめられるよりはましだった。ホステスだけは考えられなかった。
 年齢を重ねるにつれ、誰も結婚は?と聞いて来なくなり、言われるうちが花とはこの事だと実感する事になる。
 ある時、会社の若い女の子に
「山路さんって、趣味なんて、あるんですか?」
 と聞かれ、嫌な気持ちになった。私がかつて銀座の高級クラブでナンバースリーと言われ(月によってナンバーワンになれた)、飛ぶ鳥を落とす勢いで指名を受け、輝いた事を知らないこの子から見れば、私は何が楽しくて生きているのか分からないおばさんなのだろう。それに私には趣味らしい趣味がない。強いて言えば貯金か?そう答える訳にもいかず、苦笑いで済ませた。
 また新入社員の男の子に
「山路さん、クリスマスもひとりで過ごすんですって?」 
 と聞かれ、もっと嫌な気持ちになった。昔は毎年クラブで盛大にクリスマスパーティーが行なわれ、私目当てに大勢のお客さんが来てくれた。
「舞と過ごしたいから」
 そう言って、仕事を早めに切り上げ、プレゼントを手に駆けつけてくれた、多くのサンタさん(お客さん)と過ごした夢のようなクリスマス。それは何年も何年も続いた。
 今はアパートで、たったひとりぼっちで過ごす。ケーキだけは自分で買うが、サンタさんは来ない。そのケーキも、ひとりで過ごすとケーキ店の人に思われたくないが為に、わざわざ大きなホールケーキを「嬉しそうな顔」をして買う。それを何日もかけて食べ続ける。つまらない見栄だと分かっていても、そうせずにいられない。
 通販で買ったものをわざとクリスマスの朝に届くように指定したりする。それがクリスマスプレゼントだと自分に言い聞かせる。
 アパートの電話が鳴っても見栄を張って出ない。一度電話に出た時、
「山路さん、ひとりなの?イブなのに」
と、用事があって掛けてきた会社の上司に言われ、それ以来電話が鳴っても出なくなったのだ。
「山路さんって、クリスマスもひとりで過ごすんだよ。可哀想に」
と聞いた新入社員の男の子は、私を気の毒に思ってそう言ってくれたのかも知れないが、気の毒と思うなら尚の事、放っておいて欲しかった。
 倒れそうになるほどさびしいクリスマス。クリスマスだけでない。正月もバレンタインデーもホワイトデーもひとりぼっちだ。
 江里子組にいた頃は、何も怖いものはなかった。私からのチョコレート欲しさに、大勢のお客さんが詰め掛けてきたし、ホワイトデーだって、山のように高級スイーツや、ネックレスや、ハンドバッグをもらったものだ。そう、毎日がパーティだった。
 ああ腹立たしい。正月も、クリスマスも、バレンタインもホワイトデーも、そんなものなければいい。行事ごとなんて、大嫌いだ。
 私はどんどん年を取っていくが、会社には毎年若い子が新卒で入って来る。その子たちの若い肌や髪、引き締まったプロポーション、放つオーラには圧倒されるし、話す内容も付いていけないが、自分より二十歳も年下の子に嫉妬しても仕方ないし、向こうは私の事なんて何とも思っていないだろうから、嫉妬心さえ湧かなくなってしまった。
 昔、江里子組で望ちゃんという五歳年下の子に嫉妬心や対抗心をいだいた事を思い出す。嫉妬心さえ持てないのは本当のおばさんだと惨めになるが、嫉妬はなかなかエネルギーを使うので、嫉妬しなくていいのは体力も気力も使わなくて済むので案外楽だ。
 そう言えば咲さんが私に嫉妬し、激しく対抗してきたものだ。さぞかしエネルギーを使い、疲れていた事だろう。咲さん、お疲れ様でしたねえ。
 ああもう若い子なんて、どうでもいい。ただ毎日きちんと仕事をこなせて、毎月きちんと給料をもらえ、生活が出来れば、何でもいいやと開き直りの精神が生まれてきてしまう。
 私だって若い頃は、今のあんたらよりずっと綺麗でスタイル抜群で、稼ぎも良く、機転も効き、みんなに可愛がられ、えこひいきされ、誰より輝いていたんだ、とののしりたくなるが、ののしってもしょうがないので黙っている。
 本当にもう、若い子なんて大嫌いだ。

 

 誰も祝ってくれない四十三歳の誕生日に、久し振りに銀座に行ってみた。そういえば小さい頃からは勿論、東京に出てきて最初の誕生日も誰にも祝ってもらえない人生だった。共に暮らした彼が十七歳の誕生日を祝ってくれた甘い思い出が蘇る。幸せだった。だがその恋も長続きしなかった。彼が私を愛してくれたのは、ほんの数カ月だった。
 その後クラブ勤めをしてからは毎年多くのお客さんに盛大に祝ってもらえ、誕生日が楽しみになった。さびしい幼少期と少女期を過ごした私に神様がご褒美をくれたのだろう。私の宴はとっくに終わったのだ。もうご褒美をもらえる年でもない。
 新橋駅を降り、並木通りをゆっくり歩く。懐かしかった。私の青春と言っていい場所だから。二度とクラブ勤めは出来ないし、したいとも思わないが、若い頃にタイムスリップしたような不思議な感覚があった。
 クラブ江里子が入っていたビルの前で立ち止まり、しげしげと見上げる。看板はなくなっていた。知らない名前のクラブの看板があり、ああ、クラブ江里子はなくなったのか、移転したのか、どっちかな。移転ならまだいいな。閉店より、と思いをはせる。クラブ摩耶も、クラブ深雪もなくなっていた。
 江里子ママは今もこの銀座のどこかで働いているのかな。
 京子ちゃんや奈々ちゃん、そして咲さんはどうしているのかな。
 ボーイ長は元気かな。
 麻耶ママ、深雪ママ、馴染みのお客さん、私の為に飛んで来てくれた常連さんはどうしているのかな。
 誰か私を覚えていてくれる人はいるかな。
 黙って突然辞めたりして悪かったな。
 目黒のアパートも突然退去して、大家さんもさぞかし困っただろう。
 あれからあっという間に十七年も経っちゃった。
 昔は早く早くって思っていたけど、今はゆっくりゆっくりって思うようになったな。年を取るってこういう事なのかな。もうこれ以上年を取りたくないよ。時間さん、ゆっくり進んでおくれよ。
 勤めていた画廊もそのままだった。思い切ってドアを開けて入ってみる。知らない若い女の子が受付に居た。かつてそこは私の席だった。
「社長はいらっしゃいますか?」
 と、声をかけた所、誰だろうと言う顔をしながら奥へ行き
「社長、お客さんです」
 と、言っている。十八年分太って、頭も剥げ、随分なおじいさんになった社長がひょっこり顔を出す。
「以前お世話になった山路です」
 と挨拶をしたら
「あれえ、山路さん元気そうだねえ」
 と、喜んでくれた。
「今日、近くまで来たので寄ってしまいました」
 と言った所
「ああそういうの、本当に嬉しいよ。山路さん、今仕事は何しているの?」
 と聞いてくれた。私の現状を心配してくれているのだろう。
「小田原にある、画材を扱う会社で働いています」
「そうだったんだ。うちで得た知識が役に立ってくれているかな?」
「はい勿論。ここで働かせていただいたお陰で、今の会社に採用してもらえたようなものです」
「そうか、なら良かった。そういう良い話ならいくらでも聞きたいよ」
「お陰様です」
「山路さん結婚は?」
「いえ、まだ独身です」
「そうだったんだ。だけど山路さん幸せなんだね。こうして辞めた会社に来るって事は」
「そこもお陰様です」
 ここを変な辞め方しなくて良かった。江里子組はある日突然辞めてしまい、迷惑をかけ、もう二度と顔向け出来ないけれど、こうして辞めた所に来られるのはこっちも幸せだ。
「お仕事中に済みませんでした」
「いいんだよ。山路さん、元気でね」
「はい、社長もお元気で」
 画廊の社長と笑顔で分かれ、温かい気持ちのまま有楽町駅へ向かう。
 そして帰りの電車での事、反対側の電車内に母と男性の姿を見た。その男性とどこかへ行った帰りらしかった。還暦に近い割には綺麗だったし、新しい彼氏も悪い人ではなさそうだった。一メートルも離れていないのに、母は私に気付かず、彼氏と何か話している。やがて電車はそれぞれの方向へ走り出した。
 私は去っていく電車を黙って見送り、小田原へ向かった。
 ああ、今日は神様からふたつも誕生日プレゼントをもらえた。ひとつは画廊の社長に良くしてもらえた事、もうひとつは一瞬といえども、母に会えた事。ああ有り難い。大きな花束や総額五十万くらいかけて作ったレイよりずっと良い。モノではなく、チップ等のお金でもなく、人との接触に幸せを感じるようになれた。

 

 鴨宮のアパートに帰り、日常に戻る。地味な毎日だが、この年齢になるとやはり安定を求めてしまう。そうだ、ぎりぎりの所で華やかに生きているより、明日も明後日も来年も、地に足のついた暮らしをしている方が良い。ひとりぼっちでも。
 会社で若い子が
「この会社、地味だし、転職しようかな」
 と言うのを聞くと羨ましく思う。そうだね、あなたは若いから、どこでも雇ってもらえるだろうし、未来も希望もたくさんある。花で言えばつぼみなんだろうしね。何だって出来るし、なりたい自分になれるよ。私は年だからもうここに居るしかないけど…。自分を枯れた花、とまで思いたくないけどね。
 結婚ってしてみたかったな。会社で旦那さんの悪口を言う女性社員ってたくさんいるけど。子どもも生んでみたかったな。自分の子を馬鹿呼ばわりする人も多いけど。
 今からでも誰か私を妻に選んでくれるかな。子どもを生ませてくれるかな。そんな日が来るといいな。今ならぎりぎり間に合うかも…。
 会社の男性陣はもうみんな結婚しているし、仕事以外で誰かと知り合う事は少ないし、出会いがないんだよな。クラブでは毎日が出会いの連続だったし、みんなと恋愛しているような気がしていい気になっていたけど…。
 そう言えば、私は何年も舞、と呼ばれる事に慣れており、何かそれが自分の本当の名前のような気がしていた。江里子ママが付けてくれた名前でもあるし、クラブ江里子では天使のように舞う私でいられたし。
 小田原のクラブでも舞という源氏名にこだわった。だが水商売を辞め、本名で働くようになり、最初は山路さんと呼ばれる事に別の意味で不慣れだった。だが本名で働くようになってからの方が格段に運勢は良くなったような気がする。
 不思議だったが、水商売の月収二十万ではやっていけなかったが、会社勤めで得られる月収十八万ではどうにかやっていけた。年に二度、三十万円ほど貰えるボーナスは、ないものとして貯金した。毎年一万円ずつ昇給してもらえるのも心から有り難かった。私の金銭感覚がまともになったという事か?
 ケーキ店やレストラン、画廊で働いた感覚が戻って来た。

 

 会社の忘年会に出席した時の事。ビンゴの景品で、電子レンジを当ててしまった。
 何と、くじ運が良い事!
 社長は電子レンジでご飯が炊けるプラスチック容器を当てた。
「山路さん、これ良かったら貰ってくれる?私、炊飯器あるから要らないし」
 そう言われ、有り難く受け取った。それは二重構造になっており、といだお米と適量の水を入れれば、たった十二分でご飯が炊けるスグレモノだった。私は電子レンジや炊飯器どころか台所用品をほとんど持っておらず、こんな便利なものがあるなんてと驚いた。勿論二合炊きで、大量には炊けないが、それでもひとりならじゅうぶんだ。ちょうど市販の弁当に飽き、手料理を食べたいと思っていた所だったので、渡りに船だった。
「山路さん、どうせ料理なんてしないんでしょ。これで少しはしなよ」
 そう言って、社長は笑っていた。その通りだったので返す言葉がなかったけれど…。


 電子レンジがアパートに配達された日、いつも行く弁当屋ではなく、スーパーへ行った。お米を一キロと味噌、豆腐や魚、小松菜を買い、アパートへいそいそと帰る。
 米をとぎ、水を吸わせる為に時間を置く。その間に部屋を片付ける。何だかワクワクしてしまう。電子レンジに容器を入れ、タイマーを十二分に合わせる。その間に豆腐の味噌汁を作り、小松菜を茹で、魚を焼く。
 チン!さあご飯が炊きあがった。きちんと炊けているか、ドキドキしながらレンジから取り出し、蒸れるのを待つ…。
 …感動した!
 こんなにおいしいものを食べたのは久しぶりだと本気で感動した!
 ニコニコと後片付けをする。さあこれからは毎日自炊をしよう。こんなに楽しくておいしいなら。勿論体にも良いし、経済的だし。
 それからは料理が楽しみになった。料理は工作のようで楽しかった。今まで何故やらなかったのだろう。
 料理は私のたいせつな趣味になった。

 

 店舗に会社員風の三十歳前後の女性客が訪れた。画材を見ながらあれこれ悩んでいる。あまりにも長い時間そうしているので見かねて声を掛けた。
「良かったら相談に乗りましょうか?」
 彼女は困ったような、嬉しそうな顔でこう答えてくれた。
「今度、絵画教室へ通う事にしたんですよ。でもどれがいいかよく分からなくて…」
「まあ、そうだったんですか」
「水彩画の優しいタッチが好きで、水彩画コースを選ぶつもりなんですけど」
「お任せください」
 そう答え、初心者向きの絵の具や筆、スケッチブック等を何点か並べ
「お客様がお好みの物をお選び下さい」
 と言った所、目を輝かせてこれとこれ、と即座に選んでくれた。
 決断力はあるんだなと思っていると、私が話しやすかったのか、高校を卒業後、就職試験にことごとく落ち、仕方なくフリーターをしてきた。去年、二十九歳にして初めて正社員採用して貰え、続けられ、先日初めてのボーナスを貰えた。フリーターではボーナスもないので、本当にそのボーナスが嬉しく、何か為になる事に使いたいと思い、絵画教室へ通う事にした。ずっとお金がなく、趣味も持てず、親にも心配をかけたが、これからは地に足を付けて生きていける予感がする、この絵画教室をきっかけに新しい自分に出会えそうな気がすると、本当に嬉しそうに語ってくれた。
「本当にそうなると良いですね。応援しています」
 と言った所
「有難うございます」
 と、目を輝かせて即答してくれた。そのきらきらした眼差しを見て、ああ、この人は昔の私だ、と思った。会計を済ませ、商品を渡し
「有難うございました。またのご来店をお待ちしております」
 と心から言った所、彼女は笑顔爛漫で、何度も振り返りながら帰って行った。この人が幸せでありますようにと願わずにいられない。
 改めて、接客業は私の天職だと思った。
 そしてその時は気づかなかったが、様子を見てくれていた社長が、翌月の人事で私を売り場責任者に抜擢してくれた。

 

 会社に三ヶ月ほど前に入った社員で、常に人を馬鹿にしたような態度を取る藤沼さんという女の子がいた。みんなに辛辣な事を言い、お客さんにまで横柄な事を言い、周りが注意すればするほど反発し、一層拗ね、尚の事みんなをコケにした態度を取る。
 私も苦手だったが、ある時、見るに見かねる事があった。
「藤沼さん、電話。稲葉さんって人」
 それを聞いた藤沼さんの顔がわずかに強張る。仕方なさそうに受話器を取る藤沼さん。
「はい」
 相手が、何か言っているようだ。
「え、嫌だ。嫌だ」
 と答える藤沼さん。相手が尚も、何か言っているようだ。
「え、嫌だ、嫌だ」
 と拒み続ける藤沼さん。私も、二十人ほどいる他の社員も聞くともなしに聞いていたら、やけになったようにこう言った。
「愛しているよ、愛しているよ」
 …私もみんなも聞こえなかった振りをするしかない。
「え…、みんな、いるよ」
 と、嫌そうに言う藤沼さん。
「だって、言えって言うんだもん」
 藤沼さんが電話を切る。みんな、聞こえなかった振りをし続けるしかない。気まずそうな藤沼さんが給湯室へ行ってしまう。
「ああ私、喉乾いちゃった」
 と、独り言のように言って私も給湯室へ。
 俯いて洗い物をしている藤沼さんに声を掛けた。
「藤沼さん、どうしたの?」
「…」
 彼女は口ごもり、なかなか言わない。稲葉という男に何かされているのだというのは嫌でも分かる。助けたかった。
「良かったら話してくれる?」
 藤沼さんはしぶしぶという感じでようやく話してくれたのだが、彼氏に酷いモラハラをされて苦しんできた。別れたいが、別れたらその事態から逃げる事になるので、乗り越えようと思い必死で我慢している。何を言っても否定されたり無視されたり、反論すると暴力で返してくる。これまで何度転職しても職場まで来たり、電話番号を勝手に調べて掛けてきて愛していると強制的に言わされたり、振り回され、罵られ、もう限界だと思っている。さっきの事で、この会社も恥ずかしくて辞めるしかないと言う。
「藤沼さん、よく話してくれたね。よくひとりで頑張ったね。よく我慢したね。つらかったね」
 そう言って精一杯共感し、心をなだめた。
「藤沼さんは何も悪くないよ。向こうが悪いよ。だから辞める事ない」
 そう言った私に藤沼さんが心を許したのか、救いを求める目で言った。
「山路さんが私だったらどうする?」
「私だったらきっぱり別れる。そんな事をしたらどうなるか、彼も学習すべきだよ」
 即答した。藤沼さんが納得したように頷く。
「私、あんな男、別れたい、別れる」
「頑張って、応援しているから」
 藤沼さんが顔を上げて真っ直ぐな目で私を見る。そして力強く頷いてくれた。

 

 翌日、出勤した所、藤沼さんがにこにこしながら駆け寄ってきた。
「山路さん、私、彼と別れました」
「あらまあ、すばやい事」
「夕べうちに電話掛かって来て、またなんかごちゃごちゃ言うから、もう別れてってはっきり言ったの。言い訳するから、今まで言われた事やされた事で嫌だった事を全部ぶちまけてやった。昨日の事も。向こう、絶句してやんの。二度と付き合わない、付きまとわないって約束させました」
 そう言って、吹っ切れた清々しい表情で笑う藤沼さん。
「良かったね、また何かあったら相談して」
「はい、本当に有難うございました。心が折れそうだったけど、山路さんの存在が支えになっていました。電話の最中も、山路さんが応援してくれているって思って踏ん張れた」
 …藤沼さんはそれから人を馬鹿にした態度を取らなくなった。極端だなと思ったが、彼氏のモラハラがどれだけ嫌だったのかと、気の毒にもなった。勿論、藤沼さんの評判も良くなり、嫌う人もいなくなった。みんなが、愛していると無理矢理言わされたのを「聞こえなかった振りをし続ける」のが最大の優しさだった。
 クラブ時代にお客さんに共感したり、なだめたり、聞き役に徹したり、そういう経験をしていて良かった。それがここに活きた。
 藤沼さんはその後も、山路さん、山路さん、と何かと声を掛けてくれるようになり、私も可愛くてたまらない存在になった。
 改めて、良い会社と良い人間関係に恵まれたと思える出来事になった。

 

 山梨県甲府市に会社で取引きする画廊のひとつがあり、時々仕事で出向く事があった。
 ある時、駅で新幹線を待っていた時の事。別のホームに入って来た電車から、ひと組の家族連れが降り立ってきた。私にはああいう幸せはないんだよなと思いながら、何気なくその奥さんの顔を見て仰天した。
 何と、それは咲さんだったのだ。五十歳を過ぎており、年相応の風貌になっていたが、「旦那さんに守られている奥さん」という感じのする女性になっていた。
 旦那さんの顔を見たが、健さんではなかった。ごく普通の会社員という雰囲気の中年男性で、いかにも温厚そうな人だった。中学生くらいの坊や(旦那さんによく似ていた)と、小学校高学年くらいの女の子(咲さんそっくりだった!)も連れており、それぞれがお互いに馴染んでいるので、間違いなく咲さんの家族なのだろうと分かった。
 ああ良かったと、心から安堵する。咲さんはあの後、健さんと別れ、水商売も辞め、まともな男性と結婚して、まともな家庭を築いていたのだ。子どもも二人産み、おそらく専業主婦としてこの山梨県で静かに暮らしていたのだ。髪型も服装も化粧も地味で、昔ナンバーワンホステスとして銀座で女王様のように君臨していた人には決して見えなかった。だが確かに幸せそうではあった。平凡とはいえ…。
 ああ良かったね、咲さん。本当に良かったね、やっと幸せになれたんだね。
 って事は、健さんはどうしているのかな、とちらりと思ったが、健さんはどうでも良い気もした。そう、私にとって本当に大事な友達は、咲さんだったのだ。健さんではなく。
 私に気付かない咲さん一家が、お互いをいたわり合いながら階段を降りて行く。
 咲さん、あなたは私の青春の一頁だよ。あなたと過ごした時間は楽しかったよ。あの頃あなたが放っていた、普通の人が一生経験しない事を経験してしまった、というオーラは無くなっていたし、太っておばさんっぽくなっていたけど、大事なのはあなたが幸せになれた事なんだよ。
 良かったね、旦那さんが山梨の人なのかな?銀座を捨て、年収二千万を捨て、ホスト遊びもやめ、愛する人に付いてきたんだね。そして良い家庭を築いて一生懸命生きているんだね。
 本当に良かったね、心からおめでとう。今となっては奴隷のようにこき使われたり、殺されそうになったりした事より、笑いさざめいて竹下通りを歩いたり、料理をしてくれたり、成人式をやってくれたり、あなたとの楽しい思い出しか浮かばないよ。
 咲さん、生きていてくれて有難う。死ぬんじゃないかと思ったけど。手首は大丈夫?
 このままずっと幸せでいてね。名前も今は、旦那さんの苗字に、克子、と名乗っているんでしょうね。
 心から祝福します。おめでとう、なんとか克子さん。

 

 四十五歳の時、出会いがあった。店舗にお客さんとして出入りしていた男性で、会った瞬間インスピレーションのような特別な感覚を覚えた。
 もしかしてこの人が運命の人だったか?五歳年下で、カメラマンをしていた。収入は安定せず、大きな仕事が入った時は五十万円くらいぽんと稼いでくるが、仕事がない月もあった。海外や地方へ行く事も多く、友達のアパートに居候しているという。かつての私のように生活苦で肩身も狭いであろう事はすぐ分かったし、助けてあげたかった。
「一緒に暮らそう」
 そう言った。十六歳の時、五つ上の彼にそう言われ頼もしく思った事を思い出す。今は逆の立場だ。
「いいの?有難う」
 彼が嬉しそうに微笑んでくれた。
 鴨宮のアパートで一緒に暮らし始め、彼の写真に対する愛情を、一流の写真家になる夢を延々と聞いた。いくら話しても話し足りず、ずっとこの人といたい、この人の夢を応援してあげたいと思えた。
 久し振りの本気の恋にときめき、私も咲さんのように幸せになれるかも、と密かに期待していた。そう、彼こそ青い鳥を持っている人だ。

 

 そして迎えた初めてのクリスマスイブ。このたびの私には何も恐れるものはなかった。ご馳走を作り、大きなホールケーキを堂々と買った。
 アパートで二人だけのクリスマスパーティーを行なう。シャンパンを飲み、料理を食べる。楽しくて、楽しくて、笑ってばかりいる。彼も冗談を言って笑ってばかりいる。
 もうこれからは惨めなクリスマスを過ごさなくて済むんだ。ずっとこの人と一緒にいられるんだと歓喜する。何年もさびしいクリスマスを過ごしたからこそ感じる喜びだろう。
 その夜、枕元にプレゼントを置き、ひとつの布団で抱きしめ合い、愛し合い、とろけるような幸せ感に酔いながら眠り落ちた。
 …朝、起きてすぐに
「あ、サンタさん来てくれたよ」
 と、ギャルのようにはしゃいだ。
「あ、ほんとだ。サンタさん来た」
 と、彼も喜んでいる。これからも同じ時を過ごせますようにと願いを込めてペアウオッチをお互いに付ける。嬉しくて、嬉しくて、またお互いを抱きしめ合う。彼の笑顔が眩しくて、眩しくて、もうたまらない。
 お互い仕事へ行く。
「あれ?山路さん、腕時計、新しいね」
 目ざとい社長に言われた。
「あ、ほんとだ。彼氏からのクリスマスプレゼント?」
 と、他の同僚も言う。嬉しくてにやにやしてしまう。藤沼さんが
「山路さん、分かりやすい」
 だって、あはははは。とろけるように幸せだった。ご機嫌で仕事をこなす。

 

 アパートへ帰る。今日はクリスマス本番。料理を仕上げた所で彼が帰って来た。
「美知留、良いニュースがある」
 そう言って目を輝かせる彼。
「写真専門学校の同期が会社を興すんだ。俺にも手伝ってくれって言ってくれた。共同経営者としてやっていければ、定収入が得られるようになる」
 願ってもない話だ。というか、最高のクリスマスプレゼントだ。
「おめでとう」
 心から言った。
「有難う、美知留が応援してくれたからだよ。美知留が俺を支えてくれたからだよ」
 そう言って私を力強く抱きしめる彼。ちょっとお!身動きが出来ないよおお!
 本当に良かった。また追い風が吹き始めるかも知れない。ひとつずつ、望みが叶っていく良い予感がする。このまま彼が友達と共同経営者として仕事を始め、定収入を得られたら、結婚だって考えてくれるだろう。大きな夢を描く。

 

 彼は会社設立に向け、奔走し始めた。毎日朝から晩まで駆けずり回り、クタクタになって帰って来る。黙ってこの人を支えようと、私は家事をし、彼が家では休めるように精一杯気を使う。
 私には過去にクラブ経営をしたかったが、経営のノウハウが分からず諦めた経験がある。難しい事は分からない。だから余計な口出しや手出しはしない。出来るのは、彼を応援する事だけだ。

 

 生理が遅れている。もしかして…。
 妊娠なんて夢のまた夢だった。それが現実になるとは…。
 会社帰りに産婦人科へ行った所、二カ月に入った所だと言われる。

 ああ本当に望みがひとつずつ叶っていくんだ。天にも昇る気持ちになる。


 アパートへ帰って来た彼に笑顔で言った。
「良いニュースがあるよ。赤ちゃんを授かったよ」
 一瞬、彼の目に戸惑いの様子が見て取れ、不安になる。だが、次の瞬間
「おめでとう」
 と言ってくれた。ほっとする。年齢的にも最初で最後の妊娠になるだろう。
「産んでいいのね?」
 と聞くと、笑顔で頷いてくれた。何か作り笑顔のように見え、心から安堵は出来なかったが、そんな不安を払拭したくて彼を抱きしめた。彼がぎこちない手で私の背中を抱く。
 …それがその人の体温を感じた最後になってしまった。

 

 翌日、アパートへ帰ると彼の荷物が消えていた。愕然とする。
「済まない。本当に済まない」
 と、走り書きのメモがテーブルの上に置かれてある。
 ああ、逃げて行ったんだ。酷い、本当に酷い。おめでとうと言ってくれたくせに、自分の子を宿した私を置いて…。
 一瞬恨んだし、消失したが、愛してくれた時期もあったし、私に新しい命を授けてくれた、ある意味本当に運命の人と言えた。
 さて、現実を鑑みる。どうしよう…。ひとりで働きながら子どもを生み育てるのは並大抵の事ではない。私に出来るだろうか。母のように子どもを放置したくないし、虐待もしたくない。そうかと言って闇から闇へ葬り去るのはもっと嫌だった。
 この年齢にしてせっかく授かった命、何としても産みたかった。だがどうやって育てればいいか分からない。赤ちゃんポストへ入れたくもない。会社に何て説明すればいいのか?はて、どうするか。本当に困った。
 ああお揃いの腕時計なんて、もう見たくもない。捨ててしまおう。躊躇なくごみ箱へ投げ込んだその時、本当にその時…。
 電話が鳴ったのだ。「運命の電話」だった。
「山路美知留さんですか?こちらは坂戸のM病院です。お母さんが事故に遭い入院しています」
 驚いた。このタイミングで。何か、細い糸が結ばれていたのだろうか。この糸を手繰り寄せたらどうなるのか?

 

 病院のベッドで横たわる化粧気のない母。
「大丈夫?」
 普通に話しかけてみる。
「ああ、来てくれたんだ」
 母が私を見て頷いた。
「良いニュースと悪いニュースがあるよ」
 これが久し振りに会った親子の会話か、と思いながら言う。母が何?という顔をする。
「良いニュース、私は新しい命を授かったよ」
 母の目が大きく見開かれる。
「悪いニュース、この子の父親は逃げて行ったよ」
 母が平然と言った。
「どっちも良いニュースだよ。そんな男なら居ない方が良い」

 

 母は半月で退院した。後遺症もなく、つくづく強運な人だ。入院中に段差を平気でポンと飛び降りたりするので、こっちが焦ったが。
 古びた坂戸のアパートへ帰る。ああ懐かしい。築四十年以上するんだよねえ、このアパート。あちこち傷んだ部屋を見回しながら懐かしさに頬が緩む。
「三人で暮らそう。ここで」
 母が言う。
「良いの?」
 と聞いた。何か、初めて親らしい言葉を言ってくれたような気がする。
「うん。こっちも良いニュースがある」
 と、平然と言う母。
「なあに?」
「私はパートデビューする」
「そんな事、出来るの?」
「出来る」
 この人はいったいどういう人なんだろう。今更ながら思う。

 

 母は有言実行し、近所のスーパーマーケットでパートを始めてくれた。
 母にとって初めての水商売以外の仕事。立ち仕事で足が痛いだの腰が痛いだの言うが、一応続いているし、売れ残ったお総菜やパンをもらえるのも有り難いし、従業員価格で食材や日用品を色々と買ってきてくれるのも助かる。
 そしてこの頃から、母は酒をまったく飲まなくなったし、男も作らなくなった。酔った母を見るのは、彼氏を見るのと同じくらい嫌だったのでほっとしていた。仕事で飲み過ぎて嫌気が差していたのかも知れないが。
 そして元々煙草も吸わないし、ギャンブルも借金癖もない事に遅まきながら気づいた。勿論薬物にも手を出さないし、盗み等の犯罪もしない。
 放置しても、干渉や暴力はしないし、恩着せがましい事も、人の悪口や、嫌味、皮肉もまったく言わないし、自慢もしないし、何かあっても決して人のせいにしない。情緒も安定しており、気分次第で言う事やする事がコロコロ変わる訳でもない。つまり当てになる事はなる(健さんがコロコロ気の変わる人で当てにならず、本当に困った)。
 風俗店で働いた経験もない。何度も同棲や、結婚、離婚を繰り返した訳でもなく、私も苗字が山路のままで済んだ。
 そう、そんなに悪い母親でも、恥ずかしい母親でも、迷惑な母親でもなかった訳だ。
 六十歳を過ぎた母は、もう雇われて水商売をする事は出来ない。高校一年生にして私を宿し、相手の男には逃げられ、実の親にまで見放されて家を追い出され、学校を辞めてまで私を産み、本当に水商売しか知らない母にとって、夜の世界はある意味安らげる場だったのだろう。不安なあまり、次から次へと男性を替えざるを得なかったのも致し方なかったのかも知れないし、幼い私を見るたびに現実を突きつけられてつらかったのかも知れず、だからこそ見ないように放置したのかも知れない。
 会った事がないので分からないが、もしかして私は父親に似ているのかも知れず、だから尚の事、私の顔も面倒も見たくなかった、甘えられるのが嫌だったという気持ちも分からなくもない。そして奔放な生き方をしていた割に、性病にもかからず、私以降は妊娠もせず、大病もしていない。なかなか強運な人とも言える。
 考えようによっては、そんな母親を見て育ったからこそ、私はぎりぎりそうならなくて済んだようにも思う。妊娠した途端に相手に逃げられたという点では同じだが。
 私は決して男をとっかえひっかえした事も、男遊びをした事も、同時に複数と付き合った事もない。お尻は軽くない、むしろ重い。身持ちは堅いと言える。

 

 画材を扱う会社には、坂戸で母と暮らすので、と言って辞めた。命に関わる切羽詰った事情があったにせよ、クラブ江里子のように黙って逃げるのは嫌だったので、きちんと退職した。いつか近くまで来たので寄りました、と言って訪れる事も出来ると思うと嬉しかった。お世話になった会社に後足で砂をかけるような辞め方はするものではない。銀座の画廊で学んだ事だ。
 藤沼さんが物凄く別れを惜しんでくれた。
「お母さんにこっちに来てもらったらどうですか?そうすれば山路さんが会社を辞めなくて済むし」
 とも言ってくれた。社長もみんなも同感というように頷いてくれた。気持ちは嬉しいが、この腹が大きく膨れる前に会社を辞めたかったし、小田原から居なくなりたかったので退職の意志は引っ込めなかった。
 藤沼さんが幹事になり、送別会を盛大に開いてくれた。みんなでお金を出し合いプレゼントや寄せ書きも用意してくれ、勤務最終日には大きな花束と拍手で私を送ってくれ、何かあればまたおいで、みんな山路さんを待っているよとまで言ってもらえ、本当に有り難かった。以前派遣先で、同時に辞める人との待遇の差にいたたまれなかった経験があるからこそ感じられる幸せだった。
 勿論鴨宮のアパートの大家さんにも引っ越しますと挨拶した。目黒のアパートの大家さんは黙って雲隠れした私にさぞかし困っただろう。中途半端に置いて行った荷物の処分にも手間取っただろう。悪かった。
 妊娠した事は会社の誰にも言わなかったし、気付かれないよう振る舞った。カメラマンの彼と同棲している事を誰にも言っていなくて良かった。可哀想という目で見られるのはまっぴらだ。幸いまったくつわりがなく、胎児の時から親孝行な子だと思えた。
 私がこの会社に縁を持ったのは、人生を立て直してまともな生活をするというのも勿論あっただろうが、藤沼さんを彼氏のモラハラから救う事と、もうひとつ、山梨で咲さんの姿を目撃する為だったのだろう。
 そして登録した派遣会社にも感謝せずにいられない。この会社へ派遣してくれて有難う。ここでなければ社員として雇用してもらえなかっただろう。
 今となっては、あなたのような人を青い鳥症候群というのだと言った担当の人にさえ感謝している。お陰で今がある。本当に有難う。色々な細い縁がつながり、今に至っている。
 もしかして、私は物凄く運が良いのかも知れない。

 

 坂戸へ引っ越した日、ひらめくようにこう思った。
 そうだ、これからは私の人生は私が決めよう、どう生きるか私が選択しよう、そんな揺るぎない信念だ。
 どこで暮らす、誰と生きる、どんな仕事をする、子どもも産みたければ産む。誰が何と言おうと自分がしたいようにする。自分で一切を決め、自分の人生を取り仕切る。
 私の人生の最高責任者、代表取締役を私がやろう。
 だから悔やまない。
 
 小田原での水商売が合わず、銀座が恋しくてたまらなかった頃、馬鹿な事をしてしまった事が悔やまれてならなかった。だが、小田原で暮らしたお陰で画材の会社で働けたし、カメラマンの彼にも会えた。そして何より、新しい命と新しい人生に出会えた。
 だからやはり小田原へ行って良かったのだ。お陰で今がある。
 昔、有名なアイドルが妊娠した時に、お腹に幸せが詰まっている感じです、と言っていた事を思い出す。私もそうだ。ひとりであって、ひとりではない。この子がいてくれるのだから。その上精一杯、養ってくれる母もいる。経済的には貧しいが、精神的には満ち足りている。
 もう青い鳥の存在など、どうでも良くなっていた。

 

 坂戸市役所で母子手帳をもらった時、係員が
「おめでとうございます」
 と笑顔で言ってくれ、その通りだ、私はおめでたい状態なのだと思った。そうだ、彼も一度はおめでとうと言ってくれたのだし。
 日に日に大きくなるお腹を見て、もはや案ずるより産むがやすし、とそれこそ腹を決めた。
 よし産もう。安心して産もう。
 私は今いちばん良い状態なのだ。
 この家と環境、何より坂戸という田舎が嫌で、早く大人になりたい、働きたい、東京へ出たい、と願った頃より、学校を中退した頃より、若く美しかった頃より、むやみに銀座にこだわった頃より、クラブ江里子で売れて輝いていた頃より、画廊で直接雇用してもらえた頃より、慕った相手にいじめられ復讐しようとした頃より、小田原へ逃げた頃より、年齢を重ねて水商売は限界と悩んだ頃より、就職活動をして嘆いた頃より、派遣で生計を立て今度こそ自立をと誓った頃より、正社員として雇って貰えほっとした頃より、カメラマンの彼と出会い一緒に暮らすようになった頃より、逃げて行った彼を恨んだ頃より、今いちばん幸せなのだ。
 坂戸のアパートにいると、かつてのご近所さんや同級生に会う事もある。だがそれももういいと思った。本当にもういい。誰にどう思われても、幸せなのだからいいんだ。

 何か、私は銀座とか、一流クラブとか、画廊とか、人にどう思われるかに焦点を置き過ぎていたような気もする。坂戸が田舎とか、目黒は都会とか、原宿のマンションを買えば箔が付くとか、コンプレックスの裏返しだったのだろう。あまりに銀座や華やかな職業にこだわり過ぎ、一目置かれる事や、昔憐れむ目で見られた悔しさを晴らしたい、見返してやりたいという気持ちが強すぎた。未婚の母は格好が悪いとも思って会社の人たちに妊娠を気付かれないよう振る舞ったし。
 誰にどう思われるかなんて、そんな事どうだって良かったのだ。自分が自分をどう思うか、そこに焦点を当てれば良いのだ。現に私は今の自分を可哀想だなんてこれっぽっちも思わないし、むしろいい顔をしているように思える。
 もう青い鳥を追い求める事もしない。

 

 定期健診で産婦人科を訪れるたびに子どもの成長をエコーで見て安心を得た。最近は胎内の写真まで見られる。凄い技術の進歩だ。
「性別はどうします?」
 医師に聞かれた。この医師は、私が独身のまま子どもを産もうとしている事について一切とやかく言わない。それも時代の進み具合を感じる。
「教えてください」
「女の子ですね」
 元気に産まれてくれればどっちでも良いと思っていたが、またしても運命的なものを感じて顔がほころぶ。ああ女の子だ。女三人で暮らすんだ。
 そうだ、名前を考えなくては。この子にとって幸せになれる名前を。だが何故か思いつかない。そこで子どもというより、自分の気持ちを考えた時、湧き上がるようにひとつの決意が生まれた。
 そうだ、私はこの子の誕生を心から祝福しよう。きちんと子育てをして、毎年この子の誕生日を祝い、学校へ入学する時にもおめでとうと祝福し、何があってもなくてもいつでも祝福する母親になろう。絶対に放置も虐待もしない。そんな決意だった。

 

「お腹の子、女の子だったよ」
 母に告げた。
「良かったね。三人分、雛祭りだ」
 と、よく分からない事を言っている。
「名前はときこにする。祝う子って書いて」
「山路祝子ね、いいんじゃない?」
 やっと普通の会話が出来るようになった。あんなに望んだ普通の会話が。
 キラキラネームが主流の時代に○○子、と言う名前を付ける方が珍しいのだろうが、私は信念を持って祝子という名前を選んだ。きっとこれ以上の名前はないだろう。

 

 いよいよ臨月。
 いつ産まれてもおかしくない状態の大きなお腹をユサユサさせながら家事をする。
 胎動も凄い。ああ元気な子だ。安心する。
 産まれるまでに部屋を片付け、不要な物は処分して、必要な物を揃えよう。ベビー服やおむつ、哺乳瓶や離乳食の食器。予算が足りずに貯金を切り崩す事になるが、子どもの為なら少しも惜しくない。ベビーベッドを置くスペースはないから、古い布団を何度も干して、シーツ交換をし、除菌スプレーをかけ、部屋の床も壁も天井も電球も、窓ガラスも網戸もサッシもベランダも、丹念に掃除する。
 祝子、大丈夫だよ。私があなたを守り育てる。安心して産まれておいで。お腹に語り掛ける。

 

 予定日を幾日か過ぎたある明け方、痛みで目を醒ます。陣痛が始まっていると分かった。
 産院へ電話を掛けると入院の支度をして来てくれと言う。自分であらかじめ用意しておいた荷物を持ち(母はひとつとして何も用意してくれない人なので)、母に声を掛けた。
「多分今日産まれる。行ってくるね」
 母が布団の中から寝たまま手を振る。
 初産の娘を見送ろうとも付き添おうともしない母。

 

 初産の上、四十六歳という超高齢出産。
 母が私を産んだ年齢とちょうど三十年の差がある。
 だがそんな事はどうでもいい。
 陣痛に七転八倒しながら、分娩台の上で人は平等だと思った。
 そう、どんな経歴だろうが、学歴がどうだろうが、年が幾つだろうが、夫がいようが、独身だろうが、何度目の出産だろうが、職業が何だろうが、自立していようが、いい年をして親に扶養して貰っていようが、分娩台の上でそんな事は関係ないのだ。
 気の遠くなるような痛みが波のように行ったり来たりする。早く、何とかして早く、このお腹に入っている人ひとり、何でも良いから出してくれという心境になる。そしておぼろげに、母もこんなふうに激痛と闘いながら命がけで私を産んだ事に思いをはせる。
 そこは感謝しよう。その後放置し続けたのは有り難くないが。
 いずれにしてもこんなに痛いなんて、こんなに身動き取れないなんて、体がバラバラになりそうだ。いつまでこの逃れようのない痛みに付き合わされるのだ。早く、何とかしてくれ。
 初産だから時間がかかるのか、高齢だから産道がなかなか開かないのか。
「痛いです」
 と、どのスタッフに訴えても
「痛くないと産まれない」
 としか言われない。そこを何とかしてくれ。
「陣痛促進剤を使いましょう」
 と薬を飲まされる。だがまったく効かない。
「効きません」
 と訴えたら
「点滴に切り替えましょう」
 と言われた。その点滴の陣痛促進剤が効き過ぎ、もっと七転八倒する事になった。この分娩室に誰がいるのか、いないのか、もうそんな事にさえ気が回らない。
「あなたが産むのよ、あなたが」
 と、助産婦が厳しい声で言う。そんな事、分かっている。
 お母さん、あなたも誰も付き添ってくれない中、たったひとりでこうして産んだのね。さびしかった?それとも漲っていた?
「はい、いきんで」
 言われるままにいきむ。子どもは出て来ない。陣痛の波がやんだ。
「今、やんでいます」
 助産婦が頷く。…と思ったらまた波が来た。
「きました」
「はい、いきんで」
 それを何度も繰り返す。いい加減出て来てくれ。何か、終わらないような気がしてくる。我が子よ、いつになれば出て来てくれるのだ?お母さんを楽にさせておくれ。
「はい、もう頭、見えていますよ」
 いつの間にか現れていた男性医師が言う。助産婦が分娩台によじ登り、私のお腹を足に向けてぐいぐい押している。若い女性看護師が
「頑張って、頑張って」
 と励ましてくれている。この看護師もいつの間にか来ていたと、うっすらと思う。
 もう何でもいい、早く出してしまいたい。この痛みから解放されたい。滅茶苦茶にいきむ。顔が筋肉痛になりそうだ。この瞬間はどんな美人も、偏差値の高い人も、冷静な人も、若い人も、年取った人も、ぐちゃぐちゃだ。そこも平等だ。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
 力強い泣き声。ああやっと生まれた。ほっとする。痛みが嘘のように消えている。
「おめでとうございます。女の子ですよ」
 腕に抱かせてくれた我が子を見て、とにもかくにも産まれてくれた事に感動する。
 ああ私は子どもを産んだのだ。
 ひとりで産んだのだ。
 この人たちが手伝ってくれたにせよ、私は子どもを産んだのだ。
 もう何も怖いものはない気がした。
 子どもと一緒に、これからも何でも出来るという確信も生んだ。

 

 その夜、興奮して眠れなかった。
 やっと産めた安堵感と物凄い達成感、凄まじい幸福感に満たされていた。
 これからどうする?等の不安感は不思議となかった。
 大丈夫。必ず育てよう。仕事は何とかしよう。
 大丈夫。独身で子どもを産んだ私だ。これからどんな事でも出来る。

 

 翌日の夕方、やっと母が来た。
「おめでとう。初孫、初孫」
 と言いながら娘を抱っこしている。嬉しそうな顔をしているのを見て、こんなに喜んでいる顔を見るのは初めてかも知れないと思う。
「祝子ちゃんね、よろしくね」
 などと、案外まともな事も言っている。この人も普通のおばあちゃんかな。
「祝子ちゃん、祝子ちゃん」
 と言って、写真を撮ったり、頭を撫でたりしている。
「この年でこんな大きな幸せを経験出来るなんてねえ」
 とも言った。それは私も同じだよ、お母さん。 
 ただ、それ以外に見舞いに来る事はなかった。そこはいつもの母だった。

 

 退院の日、案の定、母は迎えにも来なかったが、幸せな気持ちに変わりはなかった。
 笑顔で娘を抱き、御礼を言って産院を出る。
 他の産婦は夫や家族が迎えに来ているが、私はひとりだ。昔、小田原のクラブで若い子と比べられ、いなくなれと言われひとりぼっちで傷ついた事をうっすら思い出す。
 だが今はいい。少しも惨めではない。むしろ誇らしい。
 笑顔で娘を抱き、御礼を言って産院を出る。

 

 アパートへ帰る。
「今日からここで暮らすんだよ」
 と娘に話しかける。娘の為に、懸命に家事をする。幸い母乳がよく出て助かる。母乳を飲ませている間、何も出来なくなるが仕方ない。

 

 母乳を飲ませている間、家事は一切出来なかったが、考え事をする時間はたっぷりとれた。母もこうして私に母乳を飲ませてくれていただろう。
 もうひとつ、おそらく母は、宿した私をおろせと周囲に迫られたのだろう。しかし周りが何と言おうが自分が産みたいから産んだのだ。親に家を追い出すぞと脅されても、彼氏(私の父親)に自分は責任を取れないと突っぱねられても、友達や学校の先生に産まない方が良いと言われても、産んでどうするのと詰問されても、それでも自分が産みたいからその意思を貫いたのだ。
 その「あまりの意思の強さ」のお陰で、私は闇から闇へ葬り去られる事なくこの世に誕生できた。そして私や周囲がどう思うかは関係なく、自分が恋愛したいから次々に男を作ったのだ。周囲に軽蔑の眼差しで見られたり、母のせいで友達に遊ばないと言われたり、深く傷ついた事もあったが、それでも母は自分が生きたいように生きた。
 改めて母を強い人だと思った。
 だがもしかして、自分と私を見捨てた彼氏に対する復讐の気持ちもあったのかも知れない。本当に好きだったのは私の父だっただろう。二人で私を育てながら生きていきたかっただろう。
 そう言えば母は、どの彼氏の事もあまり好きではない様子だった。それは何となく分かった。一度だけ結婚したが、その人の事でさえあまり好きではなかったのだろう。だから裏切れたのだろう。おそらく水商売をしながら私を育てるのがあまりにも大変で、それで自分と私を養ってくれるのなら、という気持ちで結婚したのではないかと推測する。
 好きでもない人と暮らしたり、付き合ったりする、そんなしんどい事はなかっただろう(私も健さんを相手にするのはしんどかった)。しかもどの人ともうまくいかず、長続きもしない。さびしかっただろう。
 母の孤独を感じる。
 そしておそらく年齢を重ねるごとにお客さんからババア呼ばわりされたり、若いホステスに憐れむ目を向けられたり、惨めな思いをした事だろう。
 悔しかっただろう。傷ついただろう。いたたまれない事も多々あっただろう。私は耐えられず辞めたが、母は耐えた。
 どんなにつらくても、どんなに悔しくても、どんなにいたたまれなくても、どんなにプライドが傷ついても、それでも母は決してホステスを辞めなかった。雇われとはいえ、ママにまでなった。愚痴ひとつ、泣き言ひとつ言わず、懸命に仕事を続ける。そこに、それこそプライドを懸けたのだろう。
 母の意地と精神力の強さを感じる。
 親らしい事をしてくれないと思っていたが、何年放置しても引越しせずに待っていてくれたし、帰るたびにお帰りと迎えてくれたし、私の妊娠を歓迎してくれ、文句ひとつ言わずに受け止めてくれた。本当に困窮していた私を救済してくれた。自分は親に救って貰えなかったにも関わらず、私の事は救ってくれた。もしかして、自分が親にして欲しかった事を今更ながら私にしてくれているのかも知れない。
 なかなか有り難い母親だ。
 散々嫌って、散々放って悪かった。

 

 赤ちゃんを抱っこして歩いていると知らない人によく話しかけられる事に気付く。
「何か月ですか?」
「可愛いですね」
「この赤ちゃんは、正統派の美人になりますね」
 等。子どもを産むと世界が広がるとはこの事だと嬉しく思う。近所や人を避けて生きてきた私が、祝子のお陰で新しい毎日を得た。
 何とか三人で支え合い、暮らしている。
 こんな幸せがあったのか。

 

 祝子の夜泣きが激しい。この小さな体からよくこんなパワーが出るものだと思う程に激しい泣き方をする。
 時間をかけておっぱいを飲ませるが、乳を離した途端にまた泣き喚く。足りないのか?ミルクを作って飲ませるが、いくら作って飲ませてもまだ飲む。なんて食欲旺盛なのだ。
 何度もおむつを替える。お腹が満たされないのか?それとも心が満たされないのか?散歩がしたいのか?
 ヨレヨレの格好のまま娘を抱っこしてアパートの周辺を歩く。やっと泣き止むが、家に入った途端にまた泣き喚く。
 ああ、外が良いのか?どうして欲しいのか?何故、君は泣き止まないのだ?ママを休ませておくれ。もうクタクタだよ。
 母乳を飲ませていると滅茶苦茶にお腹がすく。シャツを脱ぎ、上半身裸になり、あぐらをかいて両足で祝子を包むように座る。片手で祝子の頭を支えながらおっぱいを飲ませ、空いた手でパンをかじり、牛乳を飲む。我ながらなんて見苦しい恰好だろうと思う。
 皆さん、クラブ江里子の元スターホステス、舞は年を重ね、白髪の目立つ頭を振り乱し、夜の夜中に上半身裸で子どもに乳を含ませながら、片手でパンをかっ食らうようになってしまいました。こんな姿、どうか誰も見ないで下さいね。
 ああ他に何かないか?母がパート先で貰ってきたお惣菜を見つけて全部食べる。バナナをひと房全部食べる。タッパーに入っていたご飯を全部食べる。ヨーグルトをワンパック全部食べる。缶詰を開けて全部食べる。戸棚に入っていた甘納豆を一袋全部食べる。饅頭をあるだけ全部食べる。煎餅を食べようとして、もし欠片が祝子の目に入ったらいけないと思い直してやめる。
 ああ満腹感がない。食べているそばから母乳になり、祝子の口に吸い取られて無くなっていくような気がする。私の体はまるで工場だ。
 右乳から左乳に替える為に一度乳を離した途端にまた凄い勢いで泣く。はいはい、まだ足りないのね、分かったよ。クッキーを見つけてひと箱全部食べる。保存食の乾パンを全部食べる。まだ足りない。食欲旺盛なのは親子でお互い様だったか。ああもう食べる物がない。明日母がパートの後に買い物をしてくれれば助かる。
 歯を磨く為にいったんおんぶする。その途端、また大泣きする我が娘。
「待っていてね」
 そう言いながら、急いで歯磨きを済ませる。
 祝子を抱っこして布団の上に座り、またおっぱいを飲ませる。おっぱいで口を塞げばいいというものではないが、ようやく泣き止んでくれた。
 もう泣き止んでくれるなら何でも良いという心境になって来る。少しは寝かせてくれ。こういう心境が行き過ぎると虐待になるのか?疲れて、疲れて、倒れそうに眠い。ああもうこのまま横になってしまおう。


 …気付くと祝子も私も眠っていた。私はおっぱい丸出しのまま寝ていた。
 パートに出かける支度をしている母が言った。
「寝ながら添い乳すれば、自分もその間は眠れるよ」
 …何か、鶴のひと声のように聞こえた。そしてその日から母は食材を多めに買ってきてくれるようになり、私の気持ちに気付いたかのように片手でも食べられるパンや菓子もたくさん用意してくれるようになった。私も母に習い、毎晩添い乳をするようになった所、夜泣きに悩まされる事も少なくなった。
 育児の先輩さん、たまには良い事を言うね。

 

 赤ちゃんは新生児がいちばん可愛いと思っていたが、祝子の首が座り、縦抱き出来るようになったら、赤ちゃんは縦抱きしている状態がいちばん可愛いと思うようになった。
 ああ、我が子よ、首が座ってくれて有難う。

 

 娘がニコニコ笑うようになった。可愛らしさに拍車がかかる。
 私が家事に疲れ
「いやんなっちゃうわ」
 と言うと、けらけら笑う。あれ?面白いのかなと思い
「いやんなっちゃうわ」
 と、もう一度言うと、またけらけら笑う。何回言ってもけらけら笑う。
 ああ嬉しいねえ。自分の子が笑っているよ。こっちもいつの間にか笑っている。

 

 祝子が生後半年を過ぎた頃、戸惑った事がある。育児書にそろそろ離乳食をと書いてあるので実施しようとしたが、作り方が分からないのだ。本を見て勉強し、果物や温野菜をすりつぶしたり、お粥を食べさせたり、何とかしのいだ。
 そうしながら自分が幼い頃、何を食べていたかまったく覚えていない事を思った。母が料理をしない人だったので。唯一思い出せるのは、テーブルの上に幾つか並んだパンだ。
 その離乳食を食べさせている時、母乳の方がまだ楽だったと思った。なかなか食べなかったり、手づかみで食べ物を投げたり、ちっとも食べ進まない。トマトなど、嫌いなものはニコニコしながらポケットに入れる。
 おいおい。このまま洗濯したら衣類全体がトマト色になっちゃうよ。本人はいたってのんきでにこにこしている。壁や床は投げつけられたお粥や温野菜で汚れているし、祝子はちっとも食べ進まないし、もうどうすればいいんだ。
 ああもう早く食べ終わってくれよ、ママはする事が山のようにあるんだよ。

 

 祝子がハイハイするようになった。ますます目が離せない。
 つかまり立ちをするようになった。お、凄い、頑張れ。
 歩くようになった。おお、感動してしまう!
 這えば立て、立てば歩めの親心、とはこの事だと嬉しくなる。

 

 新聞を読もうとするが、祝子がキャッキャッと笑いながら両手でぐちゃぐちゃにするので読めない。仕方なく、床に広げて読もうとしたが、その上で頼みもしないタップダンスを踊り出し、ますます読めない。ああもう、新聞くらい読ませてくれよ。
 
 祝子が言葉を喋るようになった。ただ、意味不明で、内容はさっぱり分からない。本人はニコニコしながら得意満面で何か言い続けている。
「うん、うん、そうなんだ、ああそうなんだ」
 と、分からないなりに相槌を打ち、娘の話に耳を傾ける。
 この子は私と「会話がしたい」のだろうから。

 

 祝子が初めて
「ママ」
 と言ってくれた。驚く、雷に打たれたように驚く。ああ、意味のある事を言ってくれた。

 

 ご機嫌な祝子がひとりで踊りまわっている。
「ウッテンマンマンケンランシンロン!」
 なんだよ、その、ウッテンマンマンケンランシンロンってーのは。もっと意味のある言葉をふたつみっつ続けて言ってくれよ。

 

「こちょこちょ、こちょこちょ」
 と言いながら、祝子をくすぐる。キャッキャッと笑う祝子。
「こちょこちょしないで」
 だって。ああまた意味のある言葉を言ってくれた。

 

 家の電話が鳴る。祝子が受話器を取った。
「もしもし、もしもし、もしもし」
 と、楽し気に言っている。
「ママに代わってね」
 と言って受話器を取る。…ああ良かった。勧誘の電話だった。
 そして良かった。意味のある行動をしてくれた。

 

 祝子が二歳になったのを機に、家の近くにあるファミリーレストランの厨房で働き始めた。なるべく近くで働いて通勤時間を節約したい。かつて表舞台で華やかな仕事をしてちやほやされた私だが、これからは裏作業で地味に働く。容貌が衰えたのだから仕方ない。
 パートとは言え、仕事は仕事だ。叱られる事も多々あり、決して甘くない。だがもう転職は嫌だった。意地でも続けると決め、フルで働き、月に十六万くらい得られるようになり、ほっとする。四十八歳にして親に養ってもらっているのは嫌だった。そう、やはり私は自立していたいのだ。それが私のプライドでありステータスなのだから。
 真面目に働いたおかげか、一年後に契約社員として雇って貰えた。五十歳を前にして、それは奇跡だろう。給料も十八万円に上がった。その十八万円を高給と思えるようになったのも奇跡だ。毎年五千円ずつ昇給して貰えるのも、年に二度、二十五万円程のボーナスを貰えるのも奇跡の中の奇跡だった。
 私の作った料理やデザートをお客さんがおいしそうに食べている姿を見るのは嬉しかった。また、高校や大学に通うアルバイトの子が、私の作ったまかないを喜んで食べている姿も微笑ましかった。もしかしてこの子は何でもないように見えて、出来合いのお弁当で育ったのかも知れない。普段は満足に食べられない家庭環境なのかも知れない。満腹した事が少ないのかも知れない。そう思うと、まかないといえども手抜きなど出来なかった。
 自分がした事で誰かが喜んでくれる。それ以上の幸せがあろうか。

 

 母子家庭は保育園も優先的に入れる。祝子を保育園に預け、朝から夕方まで懸命に働く。頼めば母もお迎えだけは行ってくれる。預けに行くのは私の仕事だが。
「ママ、行かないで、行っちゃ嫌だ!」
 そう言って、私の足にしがみつく祝子。意味のある言葉をふたつみっつ続けて言ってくれるようになったのは嬉しいが、毎朝それなので困った。泣き叫ぶ小さな我が子を置いて行くのは本当に忍びない。そう言えば私も幼い頃、仕事に行く母を追いかけた。母が無情に玄関を出て行く姿が思い出される。あの時は本当につらかった。母に一度振り返り、私を抱きしめてから仕事に行って欲しかった。
 だから私はいったんしゃがみ込み、祝子を抱きしめて
「お仕事終わったらすぐに迎えに来るからね」
 と話しかけた。保育士がにこやかに
「ときこちゃんのお母さん優しい」
 と言ってくれた。それは違う。自分がして欲しかった事を娘にしているだけだ。
「ママ、行かないで!」
 祝子は泣き止まない。仕事に遅刻すると困るとちらりと苛立つが、それでも無情に背を向ける事だけはしなかった。

 

 公園デビューした時にも戸惑った。そう、私は子どもとどう遊んでいいか分からないのだ。母が幼い私と遊ばない人だったので。
 そこで周りを見て上手に自分の子と遊んでいるお母さんの真似をした。砂場でお城を作り、プリンの空き容器で小さな山をたくさん作り、足で踏む子どもたちに
「壊すのが楽しいんだよね」
 と話しかける。大きな山を作り、トンネルを作ってその端と端からお互いに手を入れて中で手を取り合い
「つながったね」
 と笑い合う。ブランコに乗せて背中を押してやる。滑り台に乗せ、滑り台の真ん中に腕を入れて
「カンカンカンカン」
 と言う。腕を上げ
「踏切上がりました!」
 と言う。いずれも笑顔で触れ合う。疲れていて睡魔がしょっちゅう襲ってきたが、他の子どもがブランコをこいでいる真後ろにトコトコ歩いて行ったりするので、危なくて目を離せなかった。
 夕刻、家事が気になる。
「そろそろ帰ろうか。洗濯物を取り込まなきゃ」
 と言うが
「もっと遊びたい」
 と可愛い声で言う。
「じゃあもう少し遊ぼうか」
 そう言うと嬉しそうにする娘。洗濯物も、部屋の掃除も、風呂掃除も、夕飯の支度も気になるが、この笑顔には代えられない。
 今、私の目の前にいる、天使のように可愛らしい祝子には代えられない。

 

 娘が友達を叩いたり、付き飛ばしたり、お店で勝手に商品を持って来たり、
「買って、買って」
 と大声でわめいたりする。この時も困った。そう、私は叱り方が分からないのだ。母が私を叱らず放置したので。
 だがそれも周りを見て上手に子どもを諭している親の真似をした。大事なのはその行為を叱り、絶対に否定しない事だ。何故人を叩いてはいけないか、何故お店から物を持って来てはいけないか、何故今日は買わないのか、一生懸命説明をする。

 

 祝子が何を言っても嫌だとわめく。寝ぐずりも起きぐずりも凄い。足を踏み鳴らしてわめき散らし、何を言ってもあらん限り否定する。
 天使の一歳、悪魔の二歳と言うのがこれだと実感する。
「どうして欲しいの?」
 と聞くが、訳の分からない言葉をわめくばかりだ。ああもう、勘弁してよ。

 

 娘が何度やめなさいと言っても聞かない時、やはり苛立った。だが、声を荒げずにいられた。母が声を荒げない人だったので。

 …そこは良かった。
 また、あるママ友達の
「子どもからの誘いはなるべく断らない方が良いよ」
 という言葉が胸に残った。そうだ、誘うという事は、親を信頼してくれているという事だ。
 保育園の先生にはこう言われた。
「忙しいのは子どもには関係ないですよ。今の祝子ちゃんには今しか会えないし、大事にするといいですよ。あと何かあった時、教えてくれて有難うって言うともっといいですよ」

 

 仕事と家事であまりにも忙しく、する事が山のようにあり、次々に散らかしていく娘に苛立ち、つい泣いてしまった時の事。
「ママどうしたの?どうして泣いているの?」
 と、娘が駆け寄ってきてくれた。
ティッシュティッシュ
 と言うので、ティッシュを取って渡した所、私の涙を拭いてくれた。
 ああ落ち着かなくては。この忙しさは祝子には関係ない。娘に涙を拭いてもらい、今度は愛おしさがこみ上げる。

 

 冬の夜、娘と風呂に入っている時、急に冷水を背中からかけられ、思わず悲鳴を上げた。
「冷たい!」
 祝子が耳をふさいで顔を背ける。その姿を見てはっとする。
 ああわざとやった訳ではない。落ち着こう。こんな仕草をさせてはいけない。
「ママ、大きな声出してごめんね」
 そう言って娘を抱きしめる。やっとほっとした顔をする祝子。教えてくれて有難う。

 

 トイレトレーニングがなかなかうまくいかない。しょっちゅう失禁する娘。怒る事ではない。
「教えてくれて有難う」
 そう言って何度でも床を拭く私。叱らないのか?という顔で私を見ている祝子。叱らないよ。いずれトイレで出来るようになってね。ああそうだ。毎回私の膀胱がいっぱいになるタイミングで祝子をトイレに誘えばいいのだ。まず祝子をトイレに座らせ
「はい、しー。はい、しー」
 と言う。…辛抱強く繰り返しているうちに出来るようになった。
 ああ良かった。祝子よ、教えてくれて本当に有難う。

 

 祝子が気まずそうな顔で私を見ている。はて?なんじゃらほい。
 自らパンツを脱ぎ、洗濯かごに入れる。見ればウンチが付いている。
「教えてくれて有難う」
 そう言うが、まだ決まり悪そうな顔をしている。
「祝子、お尻、洗おう」
 そう言って、風呂場で小さな可愛いお尻を洗う。汚れたパンツも洗い、洗剤と共にバケツに漬け込む。着替えた頃には笑顔に戻り、きゃっきゃっと笑いながら狭い室内を走り回っている切り替えの早い我が子。
 ああへとへとだけど、こういう何でもない日常が、後から考えていちばん幸せなひと時なのかも知れないね。

 

 家事をしている私をトントンと叩く祝子。いったん手を止め、しゃがみ込む。
「あのね」
 と、嬉しそうに言う娘。何か秘密の告白でもしてくれるのか?
「うん」
 と答えると
「あのね」
 とまた言う。
「うん」
 どんな良い話なんだろう。
「あのね」
「うん」
「あのね」
「うん」
 …これを十回くらい繰り返した。忙しくても否定しないと心に決め、娘の告白を待つ。
「あのね」
「うん」
「あのね、ときこ、ママ、だあいすき」
 そう言ってくれた。
「有難う、ママも祝子が大好きだよ」
 と答えると、心から嬉しそうにしてくれた。
 ママ大好きと言いたかったんだね。本当に良い話だった!
 有難う、有難う、ぎゅうっと抱きしめチューチューする。

 

 気が付いたら祝子があまりイヤイヤを言わなくなった。ああイヤイヤ期が過ぎたんだなとほっとする。
「祝子、おやつ何が良い?」
「ホットケーキ食べたい」
 と、意味のある言葉を可愛い声で、しかも落ち着いて返してくるようになった。
 ああ良かった。三歳になってくれて有難う。
 ホットケーキを焼きながら、心から安堵する。

 

 言う事を聞かない娘を叩く訳にいかず、くすぐり続ける。
「こちょ、こちょ、こちょ、こちょ」
 キャーキャー笑い転げる我が娘。
「ママの事も、こちょこちょするよ!」
 ああまた意味のある事をふたつみっつ続けて言ってくれた。有難う。

 

 二十分くらいかけて洗濯物をたたみ、いざしまおうとした途端に祝子が蹴って滅茶苦茶にしてしまった。思わず怒ってしまう。
「何するのよ、せっかくたたんだのに」
「わああああああん」
 大泣きする娘。小さい子のやった事とはいえ、腹が立つ。忙しいのに、貴重な二十分を返してくれと言いたい。もう一度たたむ気力が出ずに、ヨタヨタと椅子に座り込む。
「ママ、ママ、ママ」
 祝子が泣きながら私の膝によじ登ってきた。急に気の毒になる。
「もう怒っていないよ」
 そう言って抱きしめる。やっと泣き止むが、私にしがみついて離れない。
「ママが怒ったから不安になっちゃったんだね」
 そう言うと、私の目を見上げたまま、ウンと頷く。
「もう、お洗濯物、蹴らないでね」
 娘がまたウンと頷いた。
 ああ、こうして静かに言えばいいんだ。またこの子に教わった。
 やれやれ、もう一度洗濯物をたたむとしよう。
 
 祝子と公園へ行った帰り道、はぐれてしまった。慌てて探し回るがいない。生きた心地がしない。自転車に乗ったお巡りさんがいたので
「三歳の娘とはぐれました」
 と言うと
「探しましょう」
 と言ってくれた。
 …その直後、角から走り込んできた不安げな顔の祝子と出くわした。相手を探してお互い走り回っていた訳だ。
「ああ祝子、祝子」
「ああママ、ママ」
 と、同時に言う。
「ママが悪かった、ママが悪かった」
 そう言うと
「ときこが悪かった、ときこが悪かった」
 とまったく同じ口調で言う。
 お巡りさんが安心した顔で見ている。
「見つかって良かったですね」
「はい、有難うございました」
 そう言って、ほっとして娘を抱っこして家路へ向かう。本当に良かった。子どもが迷子になるというのは、必ず親に原因がある。変な人に連れて行かれなくて本当に良かった。
 神様、この子をこの腕に返してくれて有難うございました。

 

 娘の誕生日、毎年ケーキを買ってきて年の数だけロウソクを立てて祝った。母は私の誕生日を祝わない人だったが、だからこそ私は祝子の誕生日を祝う。
「ハッピーバースデー、トゥーユー、ハッピーバースデー、ディア、トキコ
 と歌い、祝子が火を吹き消す瞬間、何とも言えない程幸せそうな顔をするのを見た。
 昔、一緒に暮らした彼が私の誕生日を祝ってくれたものだ。あの時は本当に嬉しかった。あの時も私はきっと何とも言えない程幸せな顔をしていた事だろう。
「おめでとう、プレゼントだよ」
 と、事前にリサーチしておいた祝子の希望の品を渡す時、恥ずかしかったのか、祝子はにこにこしながらテーブルの下に潜り込んだ。あまりに可愛くて、微笑ましくて、抱きしめたくなる。ああこの子は、私の代わりに祝福されているんだ。
 テーブルの下から恥ずかし気な顔を覗かせ、嬉しそうにプレゼントを受け取る娘。
「開けてごらん」
 興奮気味にビリビリと包装紙を遠慮なく破り、中から出てきた人形を抱きしめる祝子。いつまでも飽きずに遊んでいる。
 ああこの人形を買って良かった。この人形を買ったお陰で私の物は何も買えないが、それでもいい。こんなに喜んでくれるならば。
 青い鳥はいつの間にか目の前に現れてくれていた。おかしな心の病気もいつの間にか治っていた。擬似恋愛など考えたくもない。何故昔はあんな事をしたのだろう。
 後日気付いたが、祝子はビリビリの包装紙とリボンをたいせつに保管していた。なんて良い子に育ってくれたんだろう。

 

 クリスマス、我が家にもサンタさんは来てくれた。
 イブの夜、寝入った祝子の枕元にプレゼントを置く。
 翌朝、わざと寝たふりをしていると先に目を醒ました祝子が
「サンタさん…」
 と呟きながらプレゼントを見入っている。そろそろと手を伸ばし手に取るのを寝たふりをしながら見ている。また興奮して包装紙をビリビリ破くのかと思っていたが、そっと剥がして中を取り出す。現れたふかふかのセーターを着て私を起こす祝子。
「ママ、サンタさん来たよ」
「あれえ、良いセーターくれたねえ。良かったねえ」
 そう言うと添えてあったカードを見て
「お手紙入っている」
 と不思議そうに言う。
「ときこちゃん、めりーくりすます。さんたより、だって」
 と読み上げ
「なんでサンタさん、ときこの名前、知っているんだろう」
 と本当に不思議そうに言う。
「ママがね、サンタさんに電話で言っておいたんだよ」
 と答えると
「へえ…」
 と言っていつまでも不思議そうにしている。
 その冬の間、祝子はいつ見てもそのセーターを着ていた。
「これ、サンタさんにもらったんだよ」
 と、保育園の友達にも見せびらかしていた。
 包装紙とリボンはやはりたいせつに取ってあった。

 

 一DKの我がアパート、和室に布団を二組敷き、そこで祝子を真ん中にして母と私が両側に寝る。寝相の悪い祝子があっちへ転がってもこっちへ転がっても布団からはみ出ないで済むのは、母と私が柵のような役目をしているからだ。
 ある明け方、寝ながら半回転した祝子が不意に目を醒まし、誰も居ないような錯覚をしたのか、あらぬ方向へ向かい大声で言った。
「ねえ、ねえ!」
 私は言った。
「どうしたの?」
 祝子はくるりと振り返り、私を見て安心したように笑った。
「ときこ、どこか知らない所に行っちゃったかと思った」
 寝ぼけながら私は答える。
「こんな可愛い子、どこへもやらないよ」
 祝子が嬉しそうに私にしがみつく。
 ああ幸せだ。この子を生んで本当に良かった。貧しくても何でも幸せだ。
 気づいたらカメラマンの彼の事さえ忘れていた。

 

 湯上り、裸の私のお尻を、祝子がとんとんと叩いている。
「ママのお尻、ぷよぷよしている」
 と余計な一言も付いてくる。昔はスタイル抜群と言われ、モデルになれるとまで褒められたが、今はあちこちたるんで見る影もない。
 鏡に映る五十歳の私は白髪も多く、髪も痩せて頭皮が目立つ。体も顔もすっかりたるんでいいおばさんだ。
 だがいい。スタイルが良く孤独より、スタイルは崩れても家族がいる方が。稼ぎが良くて心の病気を患っているより、稼ぎはたいした事なくても満ち足りて心身ともに健康な方が。
 勿論あの頃はあの頃で楽しかったが、あのまま五十歳にならなくて、今の人生になって、本当に良かった。お尻のたるんだ、ファミレスの厨房おばちゃんでも…。

 

 保育園で習った踊りを娘が踊っている。
「ママ見て、ずっと見ていて」
 そう言う。家事や明日の仕事の準備が気になるが、今のこの子には今しか会えないと、娘の踊りに付き合う。うまいのか何なのかよく分からないが、拍手をして褒めた。
 この褒め方も、最初分からず戸惑った。母が私を褒めない人だったので。だが周囲を見て子どもを上手に誉めるお母さんの真似をした。
「うまい、うまい」
 娘は嬉しそうに歌を歌い始める。
「ママ聞いていて、ずっと聞いていて」
 延々と歌う娘の歌を聴き続ける。忙しいのに、と苛立つが、この子の今の歌は今しか聞けない。

「ママ、折り紙教えてあげる」
 娘が折り紙を延々と折る。
「上手だねえ」
 褒めると嬉しそうに微笑み、山のように折ってくれる。
「これ取っておこう」
 と言うと、にこにこする。
 狭い我が家、置き場所に事欠くが、天井から吊り下げればいいかとも思う。狭いからこそ、貧しいからこそ、色々な工夫が生まれる。

 

 アパートの前でボール遊びをする。投げたり蹴ったり走り回ったり、体力を使い、高齢の私にはきつくへとへとになる。
「ママ、本当はめんどくさいとか思っている?」
 そう聞かれ、どきりとした。ああこの子は私の胸の内を見透かしているのか?
「そんな事ないよ」
 そう慌てて答え、上辺だけでなく、遊ぶ時も本気で遊ぼうと決めた。そう、今のこの子とは今しか遊べないのだ。
 娘は本当に色々な事を教えてくれる教授さんだ。

 

 家事をしながらテレビを見ていたら、家庭の主婦が
「ママもたまには息抜きしてきます」
 というメモと千円札一枚を置いて遊びに行く場面があった。
 私だって毎日本当に忙しく、自分の時間など一分もなく、息抜きなどした事もない。妬ましいやら悔しいやら。私だってクタクタだ!もういっそテーブルの上にパンを置いてしまいたい。出来合いの弁当で済ませたい!
 だがそこでぐっと堪える。ああいけない。私はそうされてつらかったんだ。
 気持ちを切り替えてフレンチトーストを作り、冷蔵庫へ入れる。
 テーブルの上にはパンの代わりに
「れいぞうこに、おやつがあるよ」
 とメモを残す。これでいい。これでいいんだ。絶対に手抜きをしない。するもんか。私は一生懸命な良いお母さんなんだ!
 だから神様、十分だけ昼寝させてください。布団にフラフラと倒れ込みながら、自我自賛する。昔は容姿を自我自賛していたが、今は行動を自我自賛するようになれた事を喜びながら、一瞬で眠り落ちる。

 

 うちのカーテンやカーテンレールがボロボロになっている。祝子がターザンごっこをしているからだ。
「あーあーあー!」
 そう叫んで楽しそうな我が娘。…まあいいや。怪我さえしなければ。

 

 祝子が猿のようにウキーウキーと言って、ドアノブにつかまっている。
「ときこ、ウキちゃんだよ」
 そう言って嬉しそうなサル娘。…いいよ、いいよ、可愛いから。

 

 祝子が嬉しそうに言う。
「ママ、ペコちゃんがお風呂に入っている時にポコちゃんが覗いたんだって。その時にペコちゃんが何て言ったと思う?」
「ん?何て言ったの?」
「ミルキー」
 …一拍置いてから大笑いする。
 見る気?とミルキーをかけている訳だ。ああ面白いねえ。駄洒落娘よ。
 
 野菜を食べたがらない祝子に言った。
「祝子、レタスをスライスチーズでくるんで食べると、チョコレートの味がするよ」
 祝子がほんと?という顔をしながら試している。
「あ、ほんとだ。チョコの味がチョコッとする!」
 …騙されてくれて有難う。相変わらず駄洒落娘よ!

 

 家事を終え、やっと椅子に座ってテレビを付けたら、祝子が私の膝によじ登って来た。
 そのまましがみつき、嬉しそうににこにこしている。
 …まあいいか、これが団欒になるなら。

 

 保育園へ急ぐ朝、支度の遅い祝子につい苛立ち
「早くしてよ」
 と言った所、急に自分のシャツをまくり、ニコニコしながら丸いお腹を見せた。
 何故そんな事をするのか?ぽかんといていると
「ママ、ときこがどうしてこんな事をするか、分かる?」
 と聞く。
「ん、どうしてかな?」
 と聞いた所、こんな答えが返ってきた。
「ママに笑って欲しいから」
 それを聞いてはっとする。
 そうだ、この子の望みは支度を早くする事ではなく、私に笑顔でいて貰う事だ。
 またこの子に教わった。やっぱりこの子は私の先生だ。

 

 祝子が三輪車で転んで手と足に怪我をした。慌てて祝子を抱え、病院へ走る。
「ママ、三輪車、三輪車」
 と叫んでいるが、三輪車などどうでもいい。
「取られちゃうよう!」
 とまだわめいている。
 …幸い手も足も骨折はしておらず、擦り傷で済んだ。ほっとする。
「ママ、三輪車」
 尚も言う娘。公園へ行くと、誰かが隅に立てかけておいてくれていた。
「あった、良かった」
 嬉しそうに駆け寄る祝子。
「祝子、三輪車の心配をしていたの?ママは祝子の方が心配で、大事だよ」
 そう言ったらこんな答えが返って来た。
「また買うのは大変でしょ」
 お、子ども心にもうちが経済的に大変という事を分かっているのか?

 

 子どもに怪我や火傷はつきものだ。なるべくそうならないように細心の注意を払うが、それでも子どもは怪我や火傷をする。私は祝子に何かあれば即座に手当てをし、病院へ連れて行き治療を受けた。
 そうしながら、幼い私が怪我や火傷をしても赤チンを塗って放置した母を思い出す。つらかった。病院へ連れて行って欲しかった。
 絶対に放置するもんか。こんな可愛いたいせつな子を。
 
 プラスチックのミニカーで祝子が遊んでいる。
「ブーブー」
 私は家事をしながら見ていたら、急に落としてばらばらにしてしまった。
「あ、ママ、壊れちゃったあ」
 と、祝子が言う。私は慌てて駆け寄り
「怪我しなかった?」
 と聞き、祝子の手足を見る。怪我はしていないようだ。ならばいいと散らばったミニカーを片付けようとした所、急におへそを押さえてこう言った。
「あ、入っちゃった、入っちゃった」
 プラスチックの破片がへそに入ったと言う我が子。慌てて綿棒でへそをほじったが破片は出てこない。もしや奥に入ってしまったのか?青ざめる。
「本当に入っちゃったの?」
 と聞くと
「うん」
 と、助けて欲しそうに頷く。これは困った!慌てて小児科に電話で予約を入れ、時間が来るまでに精一杯の事をしようと綿棒を手にへそと闘う。へそが開きそうな気がして
「祝子、フーってやってごらん」
 と言った所、普段私の言う事など聞かないくせに、素直にフーっと息を吹く。
「もういっぺん、フーっ」
 と言うと、また素直にフーっと息を吹く祝子。助けて欲しい時は素直なんだな、笑う訳に行かず、真剣にへそをほじくり続ける。神妙な面持ちで見ている娘。
「取れないから、お医者さんに取ってもらおう」
 そう言った所で、祝子の足元に破片が落ちている事に気付く。
「あれ?これじゃないの?」
 と聞いた私に、祝子が急にけろりとした顔になり、うんと頷いた。
「入っちゃったって言わなかった?」
「ん、なんか、入っちゃったような気がしたの」
「何だよ、びっくりするじゃないかよ」
 そう言って抱きしめる。ニコニコする祝子。私にかまって欲しかったのか?
 なんて可愛い子なんだろう。本当にこの子を産んで良かった。神様が産ませてくれた。
 ああ神様、祝子のへそにプラスチックの破片など入れないでいてくれて、本当に有難うございました。小児科にキャンセルの電話を入れながら、微笑ましくてたまらなくなる。

 

 うちの近くの公園でイベントが行われる。ポニー(仔馬)に無料で乗れるという。
 早速申し込み、当日はカメラを持って張り切って祝子と参加する。だが、張り切っていたのは私だけで、祝子は最初から浮かない顔をしていた。
 係員のお姉さん二人が祝子に馬の刺繍が入ったベストを着せ、ヘルメットをかぶせようとした所、大泣きを始めたのだ。
「嫌だ!嫌だ!」
 …係員のお姉さんたちも困っている。
「嫌だ!嫌だ!」
 わめき続ける祝子。他の子はみんな普通に着せてもらい、ポニーに乗せてもらい、楽しそうに写真におさまっているというのに…。
「わあああああああん」
 …結局ポニーには乗れずじまいで帰る事になる。他の家族は楽し気にしているのに。
 甘やかしたのか?ポニーに乗った君の雄姿を私は写真に撮りたかったんだよ。せっかく来たのに、本当にもう。ちっとも微笑ましくないし楽しくなかったよ。思わず言ってしまった。
「せっかくポニーに乗れたのに、良い思い出作りしたかったのに」
 するとこんな答えが返って来た。
「ときこ、お馬さんなんか乗りたくないもん」
 ああ、そうだったんだ。それはママが悪かった。君の意志をきちんと確認してから申し込めば良かったんだね。何も知らずにいきなりお馬さんに乗れと言われて嫌だったんだね。
 また君に教わったよ。教えてくれて有難う。
 今日は無駄足ではなく、そういう学びを得た一日に変わったよ。

 

 うちの近くの公民館でイベントが行われる。児童劇団の子たちが上映するミュージカルを無償で見られるという。早速申し込みたいのをぐっと堪え、祝子に聞いた。
「ミュージカル、観に行く?」
「ミュージカルってなあに?」
「舞台の上で役者さんたちが歌ったり踊ったりするの。楽しいよ」
「見たくない」
「分かった」
 ああ、申し込まなくて良かった。前回、学習した事が活きた。同じ間違いをしなくて本当に良かった。

 

 うちの近くの会場で、祝子がいつも見ている子ども番組の収録が行われる事になった。子どもは無償で、大人はひとり千円で入場できる。
「祝子、この番組を生で見られるよ。行く?」
「行く!」
 と、目を輝かせて即答する祝子。早速申し込み、当日二人でウキウキと出掛けた。
 舞台にはテレビでいつも見ている歌のお兄さん、お姉さん、体操のお兄さんがいる。児童劇団員らしい子どもたちも歌ったり、踊ったり、会場は大盛り上がりだ。
「ひろみちお兄さーん」
 と、大はしゃぎの祝子。ああ、君の意志を確認して、尊重して、本当に良かったよ。
 歌も、振り付けも、毎日テレビで見て覚えているらしく、一緒に踊って歌って、心から楽しそうな娘を見て嬉しくなる。
 ああ君を放置するまいと思うがあまり、ポニーだのミュージカルだの、余計な事をしたママが悪かった。これからもこうしていいか、ああしていいか、君に確認してからにするよ。教えてくれて本当に有難う。

 

 パート先でなめこと煮魚を貰った。保育園に祝子を迎えに行き、家に帰る。
「さあ食べよう」
 と、食卓に温め直した煮魚と昨日炊いた炊き込みご飯、なめこで作った味噌汁を並べた所、祝子が眉を曇らせる。
「ときこの嫌いなものばっかり」
「ああそうか。煮魚も、なめこの味噌汁も好きじゃなかったのね」
 祝子は箸を取ろうとしない。
「じゃあほうれん草入れた卵焼き作ってあげようか?お味噌汁の代わりにコーンスープ」
 祝子が嬉しそうに頷く。
「ときこの気持ち、分かってくれて有難う」
「どういたしまして。嫌いなものを無理に食べても栄養にならないからいいよ」
 用意した卵焼きをニコニコ食べる祝子。これは甘やかしになるのか?我がままになるのでは?という考えが頭をよぎるが、子どもの気持ちを尊重するという意志を貫く。

 

 風邪を引いてしまった。仕事を休み、家でひたすら眠る。母も疲れているらしく隣りで眠っている。ふと目を醒ますと、私の枕元で祝子が膝を抱えて座っていた。
「何時頃起きる?」
 と遠慮がちに聞いてくる。それを聞いた母が珍しく祝子を咎める。
「祝子、ママは体調が悪いんだよ。寝かせてあげな。そんな、早く起きて、なんて」
 そう言われた祝子がつらそうに俯く。
「何時頃起きる?って、聞いただけだよねえ」
 と言った所、ウンと頷く。
「早く起きてなんて一言も言っていないよね」
 と言うと、またウンと頷く。
「何時頃起きるか聞いて、その間どう過ごすか考えようって思ったんでしょう?」
 また頷く祝子。
「つまんなかったんでしょう?さびしかったんでしょう?ママもおばあちゃんも寝てばっかりいるし」
 頷く祝子。母に言った。
「偉いじゃない、こんな小さい子がたったひとりで」
 そう言って起き上がる。
「ママ、もう腰が痛くて寝ていられないから起きるわ。テレビでも見ようか」
 若い頃と違い、長時間寝ていると腰が痛くなるのでそうそう寝てもいられない。
 祝子を膝に乗せ、テレビを付け、子ども番組にチャンネルを合わせる。
「祝子は自分の気持ちをきちんと言えるから偉いね。ママ、祝子のそういう所好きだよ」
 嬉しそうな娘が言ってくれた。
「ときこ、ママ大好き。ときこもママのそういう所好きだよ」
 この子に風邪をうつすまい、それだけを考え、愛しい娘の頭を撫でる。
  
 食事中、祝子が茶碗を落として割った。怒られると思ったのか
「ごめんなさい」
 と俯いて済まなそうに言う娘。
「怪我しなかった?」
 と、私は祝子の手足を見て一切叱らなかった。祝子は私を見てこう言った。
「ママ、怒らないの?」
「お茶碗なんてどうだっていいよ。祝子が怪我しなければ。今度から気をつけてね」
 そう言った私に祝子がぱあっと顔を輝かせてくれた。
「ときこ、ママ大好き」
「ママも祝子が大好きだよ」
「ギュウってして」
 小さな娘をギュッと抱きしめながら、ある事を思い出していた。

 

 カメラマンの彼と同棲していた頃、食事中に彼が誤って茶碗を落として割ってしまった事がある。私は取るに足らない事と思い
「怪我しなかった?」
 と尋ねた所、彼が急に涙をぼろぼろこぼして泣き出したのだ。
「ごめんね、ごめんね」
 そう言い続け、泣き崩れる彼。びっくりして
「お茶碗なんてどうだっていいよ、あなたが怪我しなければ。今度から気をつけてくれれば本当に良いんだよ」
 と言ったが、彼はなかなか泣き止まなかった。
 …しばらくして話してくれたのだが、彼が幼い頃、食事中に誤って茶碗を落として割った事が何度かあったそうだ。その都度、彼のお母さんが取り付くしまもないほど怒り、彼を家から追い出してしばらく入れてくれなかったり、激しい体罰をしたり、罵詈雑言を浴びせたりした上、三回目からは許してくれず、使い捨ての紙コップや紙皿、割り箸を使わされるようになったと、本当に怖くてつらい惨めな経験をしたと、涙ながらに話してくれた。彼のお父さんも庇ってくれず、
「お前が悪い。お前が悪い」
 と言い続け、お兄さんやお姉さんにも知らん顔をされた。家族みんなが陶器のお皿で食事をする中、彼だけは中学生になっても高校生になっても使い捨ての皿や割り箸を使わされ続けた。彼は写真の専門学校を卒業してからひとり暮らしを始めたが、それからでさえどうしても陶器の皿を使う気になれず、台所用品は一切買わず、出来合いの弁当を食べ続け、使い捨てで済む生活をし続けた。
 そう言えば一緒に食事をする時、テーブルに並んだ料理を見て、彼が嬉しそうに目を見張ったのを覚えている。私に何かしてもらえるのが嬉しいのかと思っていたが、きっと手料理以上に、陶器の食器が嬉しかったのだろう。
 私はかつて咲さんが、過去を打ち明けた時に共感してくれた事を思い出しながら
「よく話してくれたね。よく我慢したね、つらかったね」
 と共感し、茶碗を割るなど何でもない事だと一生懸命話し落ち着かせたが、それ以来彼はふっと空虚な眼差しをするようになった。私に脆い部分があるように、彼にも脆い部分があって当然だ。きっと彼のお母さんは神経質な人で、その時だけでなく、色々な場面で彼を叱責したのだろう。私との食事中に茶碗を割った事で、お母さんから味合わされた様々なつらい出来事が蘇り、たまらなくなったのだろう。
 会社設立の為に多忙になり、いったんそんな事は忘れた様子だったが、私の妊娠が分かり、彼は自分が親になり、されて嫌だった事を子どもにするのが恐ろしく、仕方なく逃げて行ったのではないかと推測する。
 逃げられるより、逃げて行く方がつらいだろう。彼が今どこでどうしているか知らないが、どこかで元気ならば良い。カメラマンとして働いていられれば尚良い。
 祝子という世界一可愛い子を授けてくれ、感謝するばかりだ。恨む気持ちなど一切ない。

 

 気持ちを切り替え、現実に邁進した。
 懸命に働き、祝子と遊び、家事をする。
 カメラマンの彼の事を考えそうになったら思考をストップする。
 それでいいと自分に言い聞かせる。

 

 夢中で過ごすうちに、保育園の卒園式を迎えた。ママ友達は自分の子に何を着せるかで盛り上がっている。そうだ。写真も撮るし、可愛らしい格好をさせてやりたい。何年も自分の洋服など買っていないが、娘の為に新しい洋服を買おう。
 そういえばクラブで働いている頃は、洋服やアクセサリーが欲しくて仕方なかったし、化粧品も山のように持っていた。毎日美容院へ通い、しょっちゅうエステに通い、常に万全の自分でいるのが誇らしかった。
 今は制服があるし、洋服など欲しいとも思わない。髪は帽子に全部押し込むから、髪型など気にならず、滅多に美容院も行かない。スキンケアは安物のオールインワンジェルひとつで済ませる。エステなど考えられない。仕事中はマスクをするので化粧もしない。口紅さえ塗らない。昔は風邪を引いてもマスクなどしなかったが、今やマスクは顔を隠すための必須アイテムになってしまったし、帽子は髪を隠すアイテムになってしまった(髪から老けていくのはたまらない)。
 こうして加速するようにおばさんになっていくと思うと切なくもあるが、あの頃より今の方が格段に幸せだからいい。人が本当に幸せを感じるのは、たいせつな人の喜ぶ顔を見た時だ。そしてお金はなければないで平気だ。自分の物を何も欲しがらなければいい。今は今の収入の範囲内で生活する事を考えればいい。どうしても足りなければ貯金を切り崩せばいい。
 さあ、喜んで娘の為に新しい洋服を買おう。

 

 その卒園式での事。
 子どもがひとりずつ、親に感謝の気持ちを述べた後、将来の夢を発表する場面があった。
「僕は大きくなったら、学校の先生になります」
「私は大きくなったら、お医者さんになります」
「僕は大きくなったら、お寿司屋さんになります」
 それぞれ可愛らしい夢を語る子どもたち。さて、私の娘は何を発表するのか?
 いよいよ祝子の番だ。新しい洋服をまとった娘が、一緒に手をつないで花道を通った後、しゃがんで目線を合わせた私に小声でこう言ってくれた。
「ママ、いつもおいしいご飯を作ってくれて有難う」
 そしてみんなの方を向いて大きな声で言ってくれた。
「私は大きくなったら、お母さんを助ける人になります」
 …思わず涙が出た。私が仕事と家事でこてんぱんに疲れている事を分かっていて、〇〇になる、と職業を言うのではなく、私を助ける人になるなんて…。あまりにも有り難くてたまらない。ああこんなに良い子に育ってくれた。こんなに大きな幸せをもたらしてくれた。
 嬉し泣きしながら娘を抱きしめる。

 

 小学校の入学式。私の母校に通う娘。なんと、私に六年間お弁当を作ったり、家を汗だくになって片付けてくれたりした先生が教頭先生に出世していた。
「山路美知留です。覚えていますか?」
 と声を掛けた所
「ああ、山路さん」
 と向こうもびっくりしていた。
「あの頃、お弁当を作っていただいたり、うちの片づけをしていただいたり、本当にお世話になりました」
 と言った所
「ああよく覚えていてくれたねえ」
 と懐かしがってくれた。
「娘の祝子です。よろしくお願いします」
「山路さん良い大人になったんだね。良かったよ。この仕事していると、親子二代で受け持つ事があって、本当に嬉しいよ」
 そう言ってくれた。
 私はこの先生に会う為に坂戸で育ったのかも知れない。そして卒業式で言えなかったお礼の言葉を大人になった今、改めて言う為に祝子はこの小学校に入学してくれたのだろう。

 

 式の後、校門の前で記念写真を撮る。他の子どもはみんな両親と写真を撮るのに、娘には私しかいない。つい不憫になる。この子にはきょうだいどころか、いとこも、はとこもいない。
「どうして、ときこにはパパがいないの?」
「ママはね、マリア様みたいに、ひとりでときこを生んだのよ」
 笑顔で答える。娘には自分が捨てられたなどと思って欲しくない。

 

 塾に通わせる余裕はない。だから私が懸命に勉強を教える。私とて高学歴でも賢明でもないが、それでも必死に教える。小学生といえどもなかなか難しく、投げたくなる事もある。ファミレスではしょっちゅう新メニューが登場する為、調理工程を覚えなくてはならない。勿論家事もある。
 それでも優先順位は祝子だと腹を決めて勉強を教える。どうしても分からない時は答えと解説を見てしまう。そして何とか教える。寝不足になるが、仕方ない。
 夢中で教えている最中に、ふと後ろを見ると、いつの間にか帰って来ていた母が家事をしてくれていた。びっくりする。この人でも家事をする事があるのか、と。後で聞いた所、パート先で料理の盛り付けや調理、掃除をするようになり、お陰で出来るようになったとの事。ああ、パートに出てくれて本当に良かった。
 時々、祝子のランドセルまで磨いてくれるようになった。

 

 台所に汚れた皿が山積みになっていたり、洗濯物が溜まっていたり、部屋が汚れていたりすると、それがストレスになる。そしてそれを片付けるとストレスがすっと消える。家事はなかなかのストレス解消になると気付いた。
  また、子どもと遊んでいると童心に返れる。最近の子どものおもちゃは頭を使って遊ぶものも多く、なかなかよく出来ていると感心する。家事も育児も夢中になっていると案外楽しくてストレスも消える。
 昔、画材の会社にいた時に
「山路さんって趣味なんて、あるんですか?」
 と若い子に聞かれて嫌な思いをした事があるが、今なら堂々とこう言うだろう。
「私の趣味とストレス解消は家事全般と子育てです」

 

 娘の友達が遊びに来た時、笑顔で
「いらっしゃい」
 と、声を掛け、おやつを出した。私もそうして欲しかったから。勿論娘の友達に、親の職業を聞く事など一切しなかった。
 
 学校から息せき切るように帰って来た娘が聞いてきた。
「どうして、祝子って名前にしたの?」
 私は自信をもって即答した。
「これから一生、この子の存在を祝福するって、ママの決意の表れだよ」
 娘が嬉しそうに笑ってくれた。好きな童話の登場人物の名前を適当に付けるのではなく、きちんと考えて付けたのだ。よく名前は親が子どもに贈る最初にして、最高のプレゼントという。曲がりなりにも私は真剣に娘と向き合ってきた。もうひとつ、名前がその子どもに与える影響は全体の一パーセントだそうだ。
 一パーセントもあるなら、是非とも良い名前を付けたいというのが親心だ。

 

 確かに育児は逃げ場もないし、思うようにならず苛立つ事も多く、家事もあるし仕事もあって忙しい。忙しい時に横から何かごちゃごちゃ言われると苛立つし、放置したい瞬間がなくはなかったが、それでも私は今のこの子には今しか会えないという思いで踏ん張った。
 小学校の授業参観や面談には必ず行った。娘が恥をかかないよう、薄化粧を施し、地味な格好をして参加した。
「あれ、うちのお母さんだよ」
 と、友達に教える我が子。はしゃぐ娘を見て、うちの子がいちばん可愛いと確信した。
 また、どんなに忙しくても食事は必ず手作りにして、一緒に食卓を囲んだ。
「何が食べたい?」
 と聞き(祝子はたいていオムライス、と答えた)、なるべくリクエストに応えた。私はいつも出来合いの弁当やパンをひとりで食べる子ども時代を過ごしたから。祝子にそんな思いなどさせたくない。
「これ、おいしい」
 と、祝子に言われるのがいちばん嬉しかった。
「お腹いっぱいになった?」
 と食後に必ず聞いた。私は幼少期の頃は勿論、ひとり暮らしを始めた時も、少ない量でお腹いっぱいにする為にちびちび食べるのが習慣だった。娘にそんな思いをさせるものか。
 さあ祝子、毎回満腹しておくれ。

 

 家の電話が鳴る。
「山路です」
 と出ると子どもの声で
「山路さんのお宅ですか、祝子ちゃんいますか?」
 と言う。
「お名前教えてください」
 と言うと
「松江です」
 と可愛い声で答える。
「待っていてくださいね」
 と答え、受話器を置き
「祝子、お友達から電話だよ」
 と声を掛けたが、本人は布団の上で爆睡している。
「祝子、松江さんから電話掛かっているよ」
 ともう一度声を掛けたら、寝たまま
「はあい」
 と言う。…だが起きない。
「祝子、お友達、電話で待っているよ」
 と言った所、何と寝たまま
「もしもし、もしもし」
 と言う可愛い我が子。駄目だ、こりゃ。
「待たせてごめんなさい。祝子、眠っていて起きないからまた後で良いかな?」
 と言うと
「分かりました」
 と電話は切れた。
 寝たまま、もしもしと言うとは、何と可愛い我が子よ。
 たいせつな思い出のひとつになった。

 

 母が着なくなったセーターを着て洗濯物をたたんでいた。祝子がちょこんと横に座り、私の腕に自分の顔をこすりつけてくる。何度もそうするので、まだまだ子どもだなと微笑ましく思っていたらこう言った。
「このセーター気持ち良い」
 …何だよ、甘えているのかと思っていたら、セーターが気持ち良くて顔をこすりつけていたのか。まったくもう。
 またひとつ、可愛い思い出が出来たけど。

 

 冬の朝、窓を開けた祝子が嬉しそうに言った。
「ママ、雪が咲いているよ」
 子どもの感性というのは凄いなと思うが、違うものは違うと教えなくてはいけない。
「雪は降っているとか、積もっているって言うんだよ」
 またひとつ、微笑ましい思い出が出来た。

 

 祝子はトイレに行く際に
「シコリンしてくる」
 だの
「ウンリンしてくる」
 と言う。まったく、可愛く言えばいいってもんじゃないよ。可愛い思い出になるけれど。

 

 学校から帰って来た祝子が目を輝かせて言う。
「ママ、すっごい綺麗な街があるんだよ。明日、連れて行ってあげるね」
「へえ、どこにあるの?」
「学校の近く」
 …翌日、学校から帰って来た祝子がまた言う。
「おやつ食べたら行こう、綺麗な街、見せてあげる」
 ドキドキしながら二人でおやつを食べ、支度をして出かけた。
「ほら、ここだよ」
 祝子が連れて行ってくれたのは、新築の家が並んだ一画だった。
「ねえ、綺麗な街でしょう?」
 感心して頷く。
「本当だね、綺麗な街だね。こんな所あったんだねえ」
 確かに綺麗な街だった。見渡す限り、綺麗な家が並んでいる。
 ああ、この子の美的センスは的確だ。ますます親ばかになってしまう。

 

 祝子は一昨年の事を「きょきょねん」、一昨々年の事を「きょきょきょねん」と言う。
「おととし、さきおととしって言うんだよ」
 と教えると、ニコニコ頷く。分かってくれたのかなと思うと、今度は再来年を「ららいねん」その次の年を「らららいねん」と言う。
「さらいねん、とか、三年後、とか言うと良いよ」
 と教えると、もっとニコニコ頷く。
 ああなんて可愛い子を産んだのだろう。ますます目尻が下がってしまう。

 

 祝子は嬉しい事があると両手を同じ方向へ振りながらこう歌う。
「わーい、わーい、ワイパー」
 車のワイパーのように手を振る我が子。
 小学二年生というのはまだまだ子どもだ。

 

 妙に祝子の羽振りが良い。チョコレートやマシュマロをテレビ台の後ろに置き、本人はうまく隠したという顔をして、ちょこちょこと食べているようだ。
 そして私の財布から小銭がちょいちょいと消える。もしや…。
「祝子、このお菓子どうしたの?」
 答えられない祝子。
「怒らないから言ってごらん」
「…ママのお財布からお金がコロコロと出てきて、ときこのポケットにコロコロと入った」
 …怒らないと言った以上、怒る訳にいかない。いけない事はいけないと教えなかった私も悪いのだろう。
「やっぱりそういう事をされるとママは悲しいから、もうしないでね」
 と、静かに諭した。
「うん」
 済まなそうな顔で頷く娘を抱きしめる。万引きよりずっと良い。これから二人で世の中にお金がどう回っているのかを勉強しよう。今回、この子に勉強するチャンスをもらったのだ。やっぱりこの子は私の先生だ。

 

 娘と母の勤めるスーパーへ行く。
 母は裏方で働いている為、姿は見えない。
「ここでお買い物してお金を払うと、このスーパーの人たちのお給料になるんだよ。うちのおばあちゃんとかね。おばあちゃんや、ここの人たちがそのお給料を使って、例えばお洋服を買ったり、旅行へ行ったりすると、そこのお洋服屋さんや旅行会社の人たちのお給料になるんだよ。その人たちが、もらったお給料を使ってママが働いているレストランでご飯を食べてお金を払ってくれると、それがママたちのお給料になるんだよ。お金はそうやって世の中の色々な所を回っているんだよ」
 と、真剣に説明する。
「へえ」
 そう言って娘が目を丸くしている。
「例えば、この人参を買うと、このスーパーだけでなく、人参を作っている農家の人たちのお給料にもなるの。このお菓子を買うと、このスーパーとお菓子工場の人たちのお給料にもなる。袋や箱を作っている人たちのお給料にもなる。そう考えていくと、お金も、世の中も全部つながっていて回っているって事が分かるでしょう?世の中って凄いでしょう?」
「凄いねえ、じゃあこのバナナは?」
「このバナナを買うと、このスーパーは勿論、果樹園の人たちのお給料にもなるの。たったひとつのバナナ、お菓子、野菜、お肉やお魚、その品物の向こうには色々な人がいるんだよ。たくさんの人が手をかけて、バナナなり、野菜なりを作ってママたちの食卓を彩ってくれているんだよ。だから食事の前には必ずその人たちに向かって手を合わせていただきます、食べ終わったらその人たちを思ってご馳走様でしたって言うんだよ」
 お店の人が私たち親子を見ながら微笑んで通り過ぎる。
「もうひとつ大事なのが、お金は必ず働いて得るものなんだよ」
 ここから先は祝子の耳元で囁いた。
「だから、絶対に人のお財布から勝手に持っていってはいけないの。例えコロコロと出てきて、祝子のポケットにコロコロと入っても、それでもいけない。そういう時は返すんだよ」
 祝子がよく納得した眼差しでウンと頷いてくれた。

 良かった。この子はまだ盗癖など付いていない。大丈夫だと確信を得、娘の頭を優しく撫でる。

 

 家事を終え、やっと椅子に座ってテレビを付けたら、祝子が私の膝に乗ってきた。
 そのまま前を向き、黙ったままテレビを見ている。
 …だいぶん重くなったねえ、だいぶん大きいもんねえ。

 

 三年生になった娘が言った。
「ディズニーランドに行きたい」
 そう言えば、娘と公園で遊ぶ事はあっても、遊園地へ連れて行った事はなかった。時間がない事と、生活費がぎりぎりだったので。
 だが娘の願いを叶えてやりたい。
「分かった、行こう」
「いつ?」
「来月の祝子の誕生日に行こう」
「やったー!」
 大喜びする娘。チケット代の心配が頭をよぎるが、がっかりさせたくない。

 

 翌日、ファミレスの仕事の休憩時に同僚にその話をした所、こう言われた。
「私、ディズニーランドのペアチケット持っているよ。あげようか?」
 びっくりした。こんな事ってあるのか?
「いいの?」
「勿論いいよ。私も人から貰ったんだけど、先週、彼氏と別れちゃって、ひとりで行く訳にいかないからどうしようかと思っていた所なの」
「…」
「待っていて」
 そう言って、ロッカーからペアチケットを本当に持って来てくれた。
「いくらか払おうか?」
「いいよ、祝子ちゃんの為に」
 神様がこの同僚をつかわしてくれたのかとさえ思った。

 

 当日、娘を連れて初めて行ったディズニーランド。エントランスを潜り抜け、ここは夢の世界だと思った。子どもも大人も夢中になるのが分かる。
「ディズニーランドだああああ」
 と、叫びながら走って行く娘。おいおい、ママを置いて行くなよ。
 人が多い。はぐれないようにしなくては。どのアトラクションも長蛇の列だ。
「どれがいい?」
 そう娘に聞き、なるべくリクエスト通りに並ぶ。娘のはしゃぐ顔が眩しい。夢中で写真を撮る。
「ママ、お腹が空いたよ」
 そう言われ、レストランへ。何でも言う事を聞いていたら我がままになるのではないかとちらりと思うが、せっかくの夢の国、何でも叶えてやりたくなる。
 その日は暗くなるまで遊んだ。滅多に来ないのだから、時間いっぱいに遊ばせてやりたい。帰る前にお土産を選ぶ。このチケットをくれた同僚にも買わなくては。
「おばあちゃんにこれ、友達にこれ」
 そう言って、次々にかごへ入れる娘。おいおい、会計の心配もしてくれよ。
「ママ、有難う。友達に自慢できる」
 そう言われ、物凄く報われた。ああ祝子よ、ずっと友達に自慢されて嫌だったんだね。だから自分もディズニーランドを体験したかったんだね。気持ちは分かるよ。だからこう言った。
「これからは毎年来よう!」
 その言葉に笑顔爛漫で頷く娘。
 さあ約束を守らなくては。今日から貯金の他に、ディズニーランド積み立てをするぞ。

 

 翌日、お土産を持ってファミレスへ。みんなに配り、チケットをくれた同僚にもマグカップを渡した。
「本当に有難う。楽しかったし、娘も喜んでくれた。お陰様よ」
 そうお礼を言うと
「良かったね、そう言って貰えると私も嬉しいわ」
 と笑顔で答えてくれた。ああこんな親切な人を振るなんて、この人の元彼氏はどうかしている。心底そう思った。だがお陰で私と祝子はディズニーランドを堪能出来た。食事代とお土産代だけで楽しめて本当に助かった。
 十歳下で、二度の離婚歴があり、しょっちゅう彼氏を変えるその同僚とは、それを機に本当に仲良くなれた。その彼女は、ほんの少し、母に似ていた。

 

 四年生になったある日、娘が言った。
「自分の部屋が欲しい」
 一DKの我がアパートに、そんな余裕はない。
「うん、うちは狭いからね。ただ、狭いからこそ物を増やさないとか、置き場所の工夫もするし、三人が寄り添って生きられるんだよ」
 と答える。娘がふくれながら言う。
「友達はみんな自分の部屋を持っているよ。寝る時はベッドだし」
「ベッドで寝たら祝子は落ちて怪我するかも知れないよ。つまり今の状態がいちばん良いんだよ」
「みんなはクロゼットも箪笥も持っているよ」
 祝子が羨ましそうに言う。
「うちは押し入れの上の段に突っ張り棒をしてクロゼット代わりにしているでしょう。襖を開ければ上はクロゼット、下は布団をしまうスペースと、プラスチックケースの箪笥が現れるんだから良いんだよ」
「友達はみんな勉強机も買ってもらっているよ」
「うちは食卓が勉強机なんだよ。部屋が狭くならないから良いでしょう」
「自分だけの空間が欲しい」
「おばあちゃんとママが仕事に行っている間は、ここ全体が祝子ひとりの空間だから良いんだよ」
 祝子がふくれながら言った。
「ときこは、大きい家を建てる」
「あ、それ良いね。是非そうしよう」

 

 五年生になったある日、祝子が事故に遭った。青信号を自転車で渡っていて、右折してきたタクシーにぶつけられたのだ。
 幸いタクシーもスピードは出ておらず、祝子も軽症で、後遺症もなく、本当に運が良かった。事故に遭い、軽症で済むというのは、母も同じだ。良い所を似てくれたものだ。
 そしてその時の祝子の言葉に驚いた。
「あの人、大丈夫かなあ、お給料減らされたりしないかなあ」
 祝子は自分の事より、加害者の心配をしていたのだ。
 私は謝罪に来たその運転手と上司にこう言った。
「娘は大丈夫です。これは気を付けなさいと言う神様からの警告です。この警告を無視しなければ、これ以上大きな警告は絶対に与えられません。何かあれば私が病院へ連れて行きます。だからどうかこの人がこれからも気持ち良く働けるよう、色々やってあげて下さい」
 神がかりな事を言う母親だと思われたかも知れない。恐縮するその運転手と上司に私はこう言った。
「娘はこう申しておりました。あの人大丈夫かなあ、お給料減らされたりしないかなあ。原文通りです。私に似ず、優しくて思いやりの深い子に育ってくれました。早くブレーキを踏んでくれて有難うございました」
 そう、それが私の本心だ。すぐブレーキを踏んでくれて有難う。娘を軽症で済ませてくれて有難う。ひとり娘を生かしてくれて、心から有難う。

 

 六年生になったある日、祝子が好きなアーチストのコンサートに行きたいと言い出した。いつもそのアーチストをテレビで熱心に見ており、行きたい気持ちは分かる。だがチケットが七千円もするという。二人分で一万四千円だ。私の何時間分の労働の対価だろう。まさか同僚もそのチケットは持っていまい。
「行きたいよう。ママ連れて行ってよう」
 そうせがむ祝子。いつもぎりぎりの生活をしているのを分かっており、そんなにわがままは言わない方だろう。だが一万四千円は三人で一週間分の食費に匹敵する。悩んでいるとこう言った。
「会場が小田原なの。遠いし、ひとりで行けないよう」
 それを聞いた瞬間、私の中で何かが動いた。そうだ、忘れていた。私はかつて小田原で二十年も暮らしたのだ。久しぶりに行ってみたい、そう思った。
「分かった、行こう」
 そう答える。大喜びする娘。早速チケットを手配する。一万四千円と往復の交通費、この出費は痛いけれど、子どもからの誘いはなるべく断らない方が良いという信念を貫く。この子は私を信頼して誘ってくれているんだ。


 当日、早起きして小田原へ向かう。車窓から見える景色に心を奪われる。ああこの看板覚えている。ああこの駅、覚えている。
 コンサート会場は若い子ばかりで私の年代はいなかった。始まる前から熱気が凄く、私は熱くてたまらない。
 いよいよオープニング。イントロと共に総立ちする観客たち。娘もはしゃいでぴょんぴょん跳ねながら歌い踊っている。
 よく疲れないな。私は座ったままずっと観ていた。とてもじゃないが私は立っていられない。こういう時に、ひしひしと年齢を感じる。周りは若い子ばかりで引け目を感じる。なあに?このおばさんって思われているんじゃないか。
 さっきから何となく誰かの視線を感じるけど、気のせいかな。若い子におばさんが混ざっているから珍しくて見ているのかも。あははは。おばさんが観に来ていて悪かったね。ほっといてよ、ふんっ。
 二時間のステージが終わる。満足そうな顔で帰り始める観客たち。祝子も嬉しそうにしている。
「ママ、今日は有難う」
 そう言ってくれた。どういたしまして。今日があなたの素敵な思い出になるなら良いよ。
「ママ、何か食べたいよ」
 これ以上お金を使わせる気か?と思ったが、坂戸まで我慢させるのは気の毒な気もした。そこで近くのレストランに入る。好きなものを選ぶ祝子。勤め先で好きなものを嬉しそうに選ぶお客さんを思い出す。
「おいしい?」
 と聞いたら、
「うん!」
 と即答する。
「ママの料理とどっちがおいしい?」
 と聞くと
「ママの料理」
 と、それも即答してくれた。お世辞か?今日、はるばる小田原まで来た御礼か?どっちでもいいや。
「実はママ、昔この辺に住んでいたの」
「え?そうなの?」
「うん、勤めていた会社が近くにあるんだけど、寄ってみてもいい?」
「いいよ。わあ、ママが働いていた会社ってどんな所だろう」
 と、はしゃぐ娘。
 ちらりと鴨宮のアパートにも行ってみたい気もしたが、それより会社へ行きたかった。

 

 十三年振りに画材の会社へ行ってみた。ウキウキと付いて来る娘。
 会社は変わらずそこにあった。嬉しかった。江里子組の看板がなかったのを見た時はさびしかったから。
「あれ、山路さんじゃない?」
 と、声がする。見ると社長が立っている。どこかへ行った帰りらしい。
「社長、お久しぶりです」
 と挨拶すると
「ああやっぱり山路さん、まあ元気そうで良かった。あれ?こちらのお嬢さんは?」
「娘です」
 祝子がぺこりと挨拶する。
「こんにちは」
 社長がびっくりしている。
「えっ?山路さん結婚したの?」
「いえ、独身です」
「そうなの?あれ、いつの間に」
「実は辞める頃、この子を宿していました」
「そうだったの?まあびっくり。言ってくれれば良かったのに。もっといたわったのに」
 そう聞いて意外な気がする。私は憐れまれるのが嫌で、妊娠した事を言わなかったのだ。
「おいでよ、山路さんの顔を見たらみんな喜ぶから」
 社長が扉を押す。
「みんな、山路さんよ」
 その声に社員のみんなが集まって来てくれた。
「山路さん、山路さん」
 藤沼さんが真っ先に駆け寄ってくれた。左胸には売り場責任者という名札が光っている。
「まあ山路さん、懐かしい」
 昔、私に山路さんって趣味なんてあるんですか?と聞いた若かった子が、すっかりいいお母さんになっている。
「娘さん、山路さんにそっくりですね」
 あの頃、この会社地味だから転職しようかなと言っていた女の子が、主任という名札をつけて微笑んでいる。
「山路さん、あの頃はお世話になりました」
 山路さんってクリスマスもひとりで過ごすんですか?と聞いてきた、新入社員だった男性が係長という名札と、結婚指輪をしている。 
「山路さん、辞める頃この娘さん宿していたんだって、全然気が付かなかったよね?」
 と社長が言う。
「え?そうだったんですか?言ってくれれば良かったのに」
「そうですよ、言ってくれれば良かったのに、みんなでお祝いしたのに」
「そうですよ、私たちもっといたわって大事にしましたよ。そういう良い話ならいくらでも聞きたいですよ」
 口々に言うみんな。嘘やお世辞で言っている感じではない。
「もう山路さん、どうしてそんな素敵な話をしてくれなかったんですか?」
 と、藤沼さんが言う。
 ああそうだったの?こっちがびっくりだよ。軽蔑されるかと、気の毒がられるかと思っていたけど、それは大きな間違いだったんだ。
「いずれにしても良かった。山路さん無事に出産出来た上、娘さんをちゃんと育てられたんだから」
 安心したように頷くみんなの笑顔が本当に嬉しかった。
「名前、何ていうの?」
 昔、クリスマスの夜に仕事の用で家に電話をかけてきて、山路さんイブなのにひとりなの?と言った元上司が、娘にたずねる。
「山路祝子です」
 娘が答える。
「ときこちゃんね、お母さんにそっくり」
「本当だね、山路さんにそっくり」
「山路さん、結婚したの?」
「いいえ、独身です」
「そうだったんだ。それでも山路さんが幸せなら良いよ、ねえみんな?」
 みんなが笑顔で何度も頷く。有り難くてたまらない。
 そうだ、私はこの会社に救われたんだ。この会社のお陰で人生を立て直せたのだ。
「今日、近くに来たので寄ってしまいました」
 そう言うと、みんなが異口同音に
「そういうの、本当に嬉しいよ」
 と言ってくれた。
「山路さん、こうして辞めた会社に来るって事は幸せって事なんですね」
 とも言ってくれた。画廊の社長にもまったく同じ事を言われた。
「お陰様で今いちばん幸せです」
 そう即答出来た。それが私の本心だ。この会社で働けて良かったし、辞めて良かったし、今の人生で本当に良かった。
「山路さん、今仕事は何しているの?」
「ファミレスの厨房で働いています」
「あ、そうなんだ」
 まったく別の道を歩いている。それでもあなたが幸せなら良い、そう言いたげなみんなの顔が仏様のように見える。
「お仕事中に済みませんでした。皆さん、どうぞお元気で」
 心を込めて挨拶をする。みんなが名残惜しげに頷く。
「山路さんも元気で」
「祝子ちゃん、またね」
「祝子ちゃん、大人になったらうちの会社で働けば良いよ」
「コネ入社だね」
「山路さんの娘さんなら勿論採用だよ」
 みんなが笑顔で見送ってくれる。会社を出て駅へ向かう。何度振り返っても、みんなまだ会社の中へ入ろうとせずに私たちを見送ってくれている。
「ママ、まだ手を振っているよ」
 祝子が言う。角を曲がる前にもう一度振り返って手を振る。みんなが笑顔で手を振り続けてくれている。藤沼さんがひときわ大きく手を振ってくれた。
 ああこんな幸せがあったのか。
「ママ、みんなに好かれているんだね」
 嬉しそうに言う祝子。
 ふと昔、派遣先の上司に
「山路さん、うちの会社のみんなに、すっかり嫌われちゃったね」
 と言われた苦い思い出がよぎる。あの経験があるからこそ感じられる幸せだ。
「ママもみんなの事、好きでしょ?」
「勿論大好きだよ」
 そう即答出来る事を有難く思う。あなたが好きなアーチストのコンサートに行きたいと言ってくれたお陰で、昔のみんなに会えたよ。あなたのお陰で大きな幸せを実感出来たよ。今日使ったお金はその幸せ料として喜んで払うよ。
 今日は、私こそ有難う。

 

 そう言えば、私が小田原へ逃げた理由のひとつに、埼玉と反対方向へ行った方が良いと思ったというのがある。万一、健さんや咲さんが私を追いかけてきた時、母に危害が及ばないよう、無意識のうちに庇おうとしていたのだ。私を放置した母を…。
 後は、神奈川県という、都会ではないが、田舎過ぎない場所を望んだ事もある。坂戸という田舎が嫌で都心へ出てきたのに、また田舎へ行くのは嫌だった。
 だが咲さんは山梨に居たのだ。小田原のずっと先の山梨に。
 お互い都心の住まいや、銀座の高級クラブ、高い年収を捨て、地方に行く事で新しい人生を始め、幸せになれたのだから良かったが、お互いを敵対視しながら、同じ選択をするというのは、やはり友達としてぎりぎり気が合っていたのかという気もする。
 小田原という場所は、またしても私に大きな幸せをもたらしてくれ、第二の故郷になってくれた。

 

 家事を終え、椅子に座ってテレビを付ける。祝子が黙って私の膝に乗ってそのままテレビを見ている。
  …私より大きいもんねえ。とっても重いよ。だけど親の膝に乗るなんて、子どものうちしか出来ない事だもんね。良いよ、そのまま乗っかっていなさいな。

 

 私は祝子の前で母を
「おばあちゃん」
 と呼んでいた。どこの家庭でもいちばん小さい子に合わせて人を呼ぶが、そう言えば昔から
「お母さん」
 と呼んだ事がなかった気がする。
 三人で夕飯を食べている時に祝子の小学校の卒業式の話になり、思わず
「お母さんも卒業式、出る?」
 と聞いた所、母がしばらく茫然として、それから嬉しそうに
「行く」
 と答えた。
 そのやり取りを聞いていた娘も、何となく嬉しそうにしていた。
 そしてその日から私をママ、ではなく
「お母さん」
 と呼ぶようになった。本当に、子どもは親の真似をする。

 

 無意識だったが、私は歯磨きをする時に空いている手を壁につける癖があった。そう言えば、母が同じように歯磨きする際にいつも空いた手を壁につけていた。ふと気が付くと、祝子も歯磨きをする時に必ず空いた手を壁につけている。
 本当に、子どもは親の真似をする。三代続いて今日も壁に手をついて歯磨きだ。
 
 卒業式の為、祝子に新しい洋服を買う。私は自分の小学校の卒業式に普段着で出たものだ。娘にそんな惨めな思いをさせるものか。アイドルグループの女の子のような洋服を選ぶ祝子。
「これがいい」
「分かった」
 そう言って会計を済ませる。本当はもっと清楚な格好をして欲しいが、娘の選択を否定しない。丸ごと受け入れる。

 

 卒業式当日、母はごく普通のスーツで出席してくれた。私の小学校の入学式では、露出の多い派手な格好で出席して恥ずかしかった事を思い出す。卒業式には来てくれなかった。中学校の入学式にも、卒業式にも、高校の入学式にも。
 授与式が始まる。名前をひとりひとり呼ばれる卒業生たち。キラキラネームがやはり多い。中村プリンスだの、橋本ミラクルだの、小川アダムだの、木村キャンディだの…。
「山路祝子さん」
「はい」
 新しい洋服を纏った祝子が返事をして台に上がる階段の途中でこちらを向く。母と私は夢中になって写真を撮る。
 卒業証書を受け取った娘がにこやかに階段を降りている。
 ああこの子を産んで良かった、何度目かの確信を得る。
 誇らしげな娘が胸を張って歩いている。
 祝子が、そして自分の人生が、たまらなく愛おしくなる。

 

 そして中学校へ入学。かつて私が通った中学に通う娘。制服はお洒落に変わっていたが、校舎はそのままで懐かしかった。
 ここでも驚く事があった。昔私を気遣ってくれていた美術の先生が、校長先生に出世していたのだ。
「山路美知留です。覚えていますか?」
 と、声を掛けた。
「ああ山路さん、元気そうだね」
 と、覚えていてくれた。
「娘の祝子です。よろしくお願いします」
「ああ不思議な縁だね。この仕事していると親子二代受け持つ事もあって本当に嬉しいよ」
 と、笑顔で言ってくれた。小学校の先生にもまったく同じ事を言われたものだ。
 ああ坂戸で良かった。改めてそう思う。かつて坂戸を捨てて、銀座デビューしたと、出世したのだと思いあがっていたシンデレラストーリーは捨てた。
 私は坂戸に縁を持てて本当に良かった。

 

 …と、喜んでいたのもつかの間、中学生になって間もない祝子にこんな事を聞かれた。
「私は捨てられた子なの?」
 何て事を言うんだ。びっくりする。
「違うよ、お母さんはマリア様みたいにひとりで祝子を授かって、喜んで産んだんだよ」
「そんな訳ないじゃん。ひとりで妊娠する訳ないじゃん」
 …いじめに遭っているのか?嫌な予感がする。
 さびしい、悲しい目をしている我が娘。どうしたんだろう…。

 

 夏だというのに祝子が長袖を手放さない。紫外線を防ぐ為か?最初そう思っていたが、着替える姿を偶然見てしまい、驚愕する。両腕に無数のリストカットした跡が生々しくある。傷の位置から察するに、自分でやったのだろう。誰かにやられたのではなく…。
「どうしたの?その傷」
 そう聞いたが娘は答えない。黙って長袖を着て隠してしまった。唖然とする。あんなに無邪気で甘えん坊で可愛らしかった子が、そんな事をするなんて…。
 物凄く嫌な予感がする。

 

 娘がしょっちゅう無断外泊をするようになった。何か事故にでも遭ったのではないのかと心配でたまらず、自転車で近所を探し回る。祝子は見つからず、へとへとになってアパートに戻る。母は平気で寝ている。孫が心配ではないのかと、腹が立つ。
 明け方や朝になり、ひょろりと帰って来る娘。
「どこに行っていたの?」
 と聞くが答えない。何度も何度も無断外泊を平気でする娘。
 母は母で
「ああお帰り」
 と平気で言っている。私の時と同じだ。中学生の娘に言う言葉ではない。
 ああ、誰か親身になって相談に乗ってくれ…。

 

 祝子の担任の先生から電話が来た。祝子が授業中に平気で教室を出て行ったり、教科書を全部学校に置いて行ったり、屋上で仲間とたむろしていたりする。家庭できちんとしつけてくれとの事。それが出来ないからこうなっているというのに…。
「本人がいちばんつらいと思いますので、支えてやって下さい」
 と言ったら
「重いです」
 と即答された。ああ、担任が重いと突っぱねるなんて…。誰か相談に乗ってくれ…。

 

 ママ友達に相談してみた。しかし彼女はこう言った。
「どうにもしてあげられないけど」
 …絶句する。

 

 別のママ友達に相談してみた。だが彼女はこう言った。
「子どもの非行は必ず親に原因があるよ」
 …また絶句する。

 

 別のママ友達に相談してみた。彼女はこう言った。
「知らないよう、自分で何とかしてよう」
 …またまた絶句する。

 

 娘の通う中学のスクールカウンセラーに相談してみた。プロの意見を聞けば何とかなるのでは?淡い期待を捨てられなかった。だがそのカウンセラーは、私の話を聞き
「はい、はい、なるほど」
 としか言わない。何か答えを求めて待っていると、向こうも延々と黙っている。
「あなたはカウンセラーになって何年ですか?」
 と聞くと
「何故そんな事を聞くんですか?」
 と、のたまう。
「電話で黙っちゃうから」
 と言えば
「お母さんが喋るのを待っていました」
 と、私のせいだと言わんばかりだ。また何か言えば
「はい、はい、なるほど」
 と言う。そしてまた延々と黙る。腹が立ち
「黙っている人と電話していてもしょうがないので切ります」
 と切った。カウンセラーも、担任の先生も、ママ友達も、母も、誰もまともに相談に乗ってくれない。ディズニーランドのペアチケットをくれた同僚は独身だし、相談しづらい。
 ああなんて、ひとりぼっちなんだろう。

 

 娘が補導された。びっくりする。何をしたと聞けば、化粧品を万引きしたという。慌てて大宮のデパートへ駆けつける。
 ふてくされた娘。
「どうしてこんな事したの?」
「うるせーよ、ババア。母親づらしてんじゃねえよ」
「祝子、前に話したから分かってくれていたと思っていたけど、化粧品を買うと、そこの化粧品会社の人たちやこのお店の人たちのお給料になるの。万引きしたら、お店の人も化粧品会社の人もお給料が入らなくなるからみんなが迷惑するの。だから絶対に勝手に持って来てはいけないんだよ」
「知るか、ババア、理屈っぽいんだよ」
 絶句する。いつからこんな言葉を使うようになったのか?
 この時、レジ係りをしている初老の女性と目が合い、どこかで見た顔だと思った。
 手続きに手間取り、終わったのは夜中だった。タクシーで坂戸へ帰る。

 母は平気で
「ああお帰り」
 としか言わない。自分の孫が万引きしたというのに。

 

 娘が二度目の補導をされた。熊谷のショッピングモールで洋服を万引きしたのだ。友達は逃げたが祝子は捕まった。その友達の名前を言おうとしない祝子。
 庇っているのか?脅されているのか?またしても慌てて駆け付ける。
 店の人に謝り、品物を返し、許しを乞う。そんな私の姿を軽蔑の眼差しで見る娘。
 帰りはまた夜中になり、タクシーを使う事になった。
「テメエ、どうせ相手の男に捨てられたんだろうが。テメエに魅力がねえのがわりーんだ」
 と、ねちねち言う娘。返事のしようがなく黙ってしまう。
 女性運転手の視線が突き刺さる。どこかで見た眼差しだと思うが思い出せない。
 母はまたしても
「ああお帰り」
 としか言わない。私が思春期の時と同じだ。

 

 娘が三度目の補導をされた。久喜のゲームセンターで機材を破損し、お金を盗んだという。何故こんな事ばかりするのか?この子はさびしいのか?何が不満なのか?私か?母か?被害にあった店と警察に、娘の代わりに頭を下げまくる。
 ゲームセンターを出る際に警備員の男性とすれ違う。相手がわずかに反応した。
 終電をまた逃し、タクシーで坂戸へ帰る。
「自分の子を妊娠した女を捨てて逃げて行くなんて、よっぽどだよ」
 どうしてこんな事ばかり言うのか?
「誰でも務まるファミレスの厨房おばちゃんしか出来ねえしな」
 …返事が出来ない。その通りだから…。
 
 回数を踏むにつれ、私も慣れてきた。こんな事に慣れたくはないが。
「祝子、お願いだから坂戸で捕まって。タクシー代が大変」
 そんな冗談ともつかない言葉が出てくるようになった。
 祝子が鼻で笑う。
 何か、悪魔のように見える。
 この子の小さくて可愛いお尻を洗った日が幻のように思える。
「テメエ子ども産めば、その男が自分と結婚してくれるとでも思ったのか?」
 …答えたくない。私は授かったあなたを「産みたいから産んだ」。ただそれだけだ。彼が戻ってくるなんて露ほども思っていなかった。そこは母と同じだ。自分がそうしたいからそうした。あなたを産みたい、心からそう思った。そして産んで良かったと、今この瞬間も思っている。
 画材の会社は辞めた上、鴨宮のアパートも引き払っており、彼は私の所に「戻りようがない」状態だった。私も彼の「済まない、本当に済まない」という書き置きを見て即座に別れを決断し、彼の会社へ訪ねていく事すらしなかったし、お揃いの腕時計もその場で捨てた。我ながら潔かったと思う。
 そしてその途端に「運命の電話」が鳴り、母の入院していた病院へ行く事になった。良いタイミングで事故に遭ってくれたものだ。
 必要な縁がつながり、無くてもいい縁がなくなり、今に至っている。考えようによっては、あなたのお陰で坂戸に戻って母と暮らせるようになったとも言える。小学校で六年間私を担任してくれた先生にも、中学校で気遣ってくれた先生にも再会できた。
 今以上の人生は考えられない。

 

 もしかして色々な選択肢があったのかもしれない。
 
 江里子ママのように銀座一のママとして華やかな世界に身を置き続ける。誠心誠意持って接客する事でお客さんに喜んでもらう。働くホステスやボーイたちの成長を喜び、店を切り盛りする。麻耶組や深雪組を押さえ、毎月売り上げトップを誇る。
 または咲さんのように誰かと結婚し、専業主婦としてどこかで静かに暮らす。毎月旦那さんに生活費を貰い、自分は働かなくても家事と育児さえすれば生活が成り立つ。旦那さんが買ってくれた大きな一軒家で当たり前のように暮らし、ママ友達とランチを楽しんだりフラダンスを習ったり、毎年家族旅行を楽しんだり、お金の心配をしなくていい生活。
 あるいは画材の会社で取締役を目指して仕事を頑張る。たくさんの部下を束ね尊敬されながら、今日はどこの現場に行く、この店の仕入れはどうする、この画家の絵はどこの画廊に飾る、この新人の育成を誰に任せる等、常に仕事の事を考えて生きる。自分の収入で欲しいものを好きなだけ買い、自分の力だけでマンションを買ったり車を買ったり、結婚するにしても、相手に専業主夫になってもらう。自分の生活も人生も好きなように構築する、本当に自立した人生。
 もしくは鴨宮のアパートで、カメラマンの彼と同棲を続ける。結婚や出産等、一切考える事なく、ただ彼の夢を応援して楽しく暮らす。彼が賞を取ったり、良い作品を世に送り出したり、活躍する姿を喜び、自分の夢を彼に託して生きる。そう、もしあなたを宿さなかったらどうなっていたか?考えなかった訳ではない。あのまま大好きな人と暮らし続ける、そんな毎日も楽しかっただろう。
 また、もっとさかのぼって、高校生の時に「ホステス高校生」と黒板に書かれた似顔絵を黙って消し、唖然とするクラスメイトを尻目に平然と高校生活を続け、卒業後に普通に就職してその会社の独身寮で暮らす。結婚はせずにずっと働き、自分の事だけを考える人生。そんな人生もあっただろう。あの時、ホステス高校生と書かれた事は物凄く嫌だったし、男子生徒にお尻も軽いのかと聞かれた事も耐えられなかったが、そこで逃げずに闘っていたら、その後の人生はまるで違ったものだったかも知れない。

 

 だが、私は神様にどんな選択肢を提示されても、今の人生を選ぶよ。
 
 祝子、あなたがどんなにぐれようが、非行を重ねようが、私に罵詈雑言を浴びせようが、それでも私にとってあなた以上の子どもはいない。そして母以上の母親もいない。
 こんなに有り難い、尊い人生、他の何にも代えられないの。それに気付かせてくれたのは、他ならぬ祝子、あなたなんだよ。あなたは私が産みたいから産んだ、かけがえのないたいせつな存在なの。それだけは分かってほしい。
 確かに私は若いうちに基盤を築かなかった。だから三十歳を過ぎて物凄く苦労したし、今になりファミレスの厨房で働くしかない。
 だがやはり、ホステスという仕事は若いうちしか出来なかった。ましてクラブ江里子だからこそ私は売れに売れたのだろう。そこでクラブデビューして本当に良かった。何年も売れ、高い年収やチップを得たお陰で若くして三千万円もの貯金も出来た。今はだいぶん減ってしまったが、クラブホステスでなければその金額を貯める事は出来なかっただろうし、十代で女友達のアパートを渡り歩き邪見にされたり、同棲した彼が私の悪口を言っているのを聞いたり、居たたまれない経験をしたお陰で貯金のたいせつさを骨身に応えるように学べた。
 そして何年も疎遠だったからこそ、今、母と暮らせる日々を尊く思える。
 
 今以上の人生は、考えられない。
 
 いずれにしても、今あなたが非行に走る事で救済のサインを出しているなら、私は何を置いてもあなたに応えるよ。今こそあなたを助けなくては。私はもう六十歳。じゅうぶん生きたから、今すぐ死んでも良い。だけどあなたはまだ若いし、これからいかようにも人生を立て直せる。私は三十歳を過ぎてから人生を立て直したよ。だから大丈夫だよ。
 
 娘よ、どうかもう、リストカットをしないで。
 無断外泊をしないで。
 万引きをしないで。
 悪い友達と付き合わないで。
 授業中に外に出ないで。
 物を壊してお金を取らないで。
 そして何より、自分を粗末にしないで…。
 原因は何だったのか?
 もしかして、私もあなたを放置したのか?そう言えば忙しくて苛立ち、生返事をして済ませた事もあった。悪かった。それがいけなかったのか?
 生まれた時から父親がいないのが不満なのか?
 貧しくゆとりがなく、旅行に連れて行った事もなく、ディズニーランドも年に一度しか連れて行けない。それが嫌だったのか?
 私は確かに理屈っぽい。それが鬱陶しいのか?
 そして何より「これから」どうすればいいのか?

 

「このままでは高校へ進学できません」
 三者面談の席で、祝子の担任の先生が言う。
 校長先生が、祝子を憐れむ目で見ている。やめて、その眼は。祝子が傷つくから。
 祝子は無言のまま空虚な目をしている。カメラマンの彼を思い出す眼差しだった。

 

 埼玉県内でも偏差値の低い県立高校を受験する。かつての私と同じだ。私が中退した高校だけは避けてくれ。心の中でそう叫ぶ。
 祝子が選んだのは、あまり評判の良くない高校だった。そこなら通用すると思ったのか?
 届いた合格通知書。ほっとする。
「おめでとう」
 そう言ったが、返事はなかった。めでたくもないのか?

 

 いかにも素行の悪そうな少年少女たちの中に祝子がいる。
 ああ、悪い影響を受けなければいいが…。
 心配は尽きない。

 

 電話が鳴る。
 また祝子が何かしたのか?
 
 …今度はただでは済まなかった。

 

 娘は振り込め詐欺の受け子をやって捕まった。
 もう謝罪だけでは済まない。
 高校は退学処分になってしまった。
 親子三代で高校を中退。何て事だ。それだけは繰り返して欲しくなかった。

 

 少年院へ送られていく我が子。
 助けたいが、もはや手も足も出せない私。
 母は一切何も言わなかった。何とも思っていないのか?

 

 私の育て方がいけなかったのか?
 甘やかしたのか?
 家庭環境が悪かったのか?
 自責の念にかられる。

 

 娘が収容されている少年院へ行く。
 バス便で、駅からもかなり遠い。地図を見ながらとぼとぼと歩く。
 どうせ何しに来た等、罵倒されるのだろう。私に魅力がないから父親に逃げられた、とか、何も能がない、とか、私のせいでこうなった、とか、罵詈雑言浴びせられるのだろう。
 ああ行きたくない。

 

 途中でコンビニに寄り、プリンを買う。
 応対してくれた女性店員が、私の顔を凝視している。
 何だろうと思いながら、店を後にする。

 …あれ?ここは本当に少年院か?住所は合っているが…。
 〇〇学園、と校舎にあり、どこかの小綺麗な女子校のように思える。
 鉄条網もないし、従来の少年院のイメージではない。
 不思議な気持ちで吸い寄せられるように入ると、よく手入れされた庭や花壇が目に付く。収容者が育てた花なのか? 
 受付で思わずこう聞いてしまった。
「ここ、本当に少年院ですか?」
 そう言われ慣れているのか、出迎えてくれた女性が笑いながら頷く。
「そうです。山路祝子さんの面会ですね。こちらへどうぞ」
 何となく、誰かに似た面立ちの人だと思った。
 彼女に連れられ、奥へ進む。
 収容者の食事を乗せたカートを押す、配膳係りの女性とすれ違い、一瞬目が合った。
 …あれ…?

 

 通された部屋で待っている。
 面会とはガラス越しかと思っていたのでそれも意外だった。
 なかなか現れない娘。会いたくない等ごねているのか?
 しばらくしてドアが開き、入って来る祝子。
「いらっしゃい」
 唐突に言われる。
 少年院で、いらっしゃいもないだろうと思っていたら、私の正面にドスンと座り、何やらテキストを色々と広げ始める。まったく悪びれていない娘。唖然とする。
 半袖を着た腕に、リストカットの跡が生々しく残っている。それもこれも何も、一切気にしていない様子の娘が得意げに言う。
「見て、見て。これが高卒認定試験のテキストで、こっちが漢字検定。これが英語検定、こっちが数学のテキスト。この前、調理師の国家資格取ったし、次は何の資格取ろうかなって考えているんだ」
 言葉を失う。
「私、ここに来て良かったよ。こんな私でも出来る事があるんだって分かったんだもん。色々と資格も取得出来るし、ここに居る間にたくさん勉強して、出所してから役に立てるよう用意しておく。今は準備期間だ」
 目を見張る。この子は少年院に入った事を少しもマイナスに捉えていない。むしろプラスにしている。不意に咲さんを思い出す。ああ、咲さんもそうすれば良かったのに。
「祝子、プリン食べて。甘いの好きでしょ?」
 そう言ってコンビニで買ったプリンを出すとようやく黙って食べ始めた。
 あっという間に面会時間が過ぎる。
「またね。次も良い報告、出来るようにしておくよ。お父さんにもよろしくね」
 バイバイと手を振り、ドアの向こうに消える娘。

 

 …え?…。お父さんって…。
 もしかして私の知らない所で父親に会っていたのか?
 ああ、だから捨てられたとか、そんな事ばかり言っていたのか。
 無断外泊は、父親の所に行っていたのか。ああ謎が解けた。そういう事だったのか。
 カメラマンの彼が、どこかで私のその後を知り、自分の子に会いたいと思ってくれたのだろう。祝子に近づき、父親と明かして聞かれるままに色々話してしまったのだろう。言って欲しくない事もあったが、まあ仕方なかったのだろう。

 

 ああ、祝子の気持ちも分からなくもない。
 普通の幸せな家庭に生まれたかっただろうに、私のせいで私生児にならざるを得ず、家は貧しくぎりぎりの生活を続け、仕事と家事で多忙を極め、自分に勉強を教えながら居眠りしてしまう母親と、自分に無関心な祖母、たまに会いに来る父親。父親から聞きたくない話を聞かされ、怒りの矛先をどこに向けていいか分からず、持て余し、自傷行為する事で、悪さをする事で、荒れる心を何とかおさめようと小さな胸を痛めていたのだろう。
 申し訳なかった。だが明るい展望が見えたような気もする。
 まして少年院に居る間を準備期間と捉え、自分にも出来る事があったと気付きを得た上、勉強する時間をたっぷり取れるから良かったなんて、頼もしいではないか。
 ああ祝子は大丈夫だ。元々人に気を使う優しい思いやりの深い子だ。事故に遭った時に加害者を心配していたくらいだし。
 だから大丈夫。必ず良い大人になれる。幸せに生きられる。
 大丈夫!
 大丈夫!
 大丈夫!

 

 学園を出て、美しい夕日に包まれた。さっきまでと景色が違って見える。

 ああ、娘はここに来て良かったと言ってくれた。
 私の子育ては間違っていなかったんだ。確かに人に迷惑をかけたし、賠償金の支払いもあるけれど。
 それでも大きな幸せを感じる。

 

 幸せな気持ちのまま家に帰る。母が言った。
「ああお帰り」
 お帰りじゃないだろう。孫の様子を聞こうともせず、どういう神経なのだろう。
「祝子に面会して来たよ」
「ああ祝子、元気だった?」
 と、平気で言う。唖然としているとこう言ってけらけら笑った。
「いいよ、いいよ、何度出戻っても、ちゃんと迎えてやろう」
 そう言えば、私に対してもそうしてくれたね。
 問題は全然解決していないが、何か、解決したような気楽さに見舞われる。
 
 確かに問題は解決していなかった。
 もうひとつ、大きな問題があった。
 
 携帯電話が鳴る。
 勤め先のファミレスの番号が表示されている。
 ああ解雇通知だ、仕方ない。重い気持ちで出る。
「山路です。このたびはご迷惑をお掛けしました」
 開口いちばんそう言った。
「ああ山路さん、明日八時から五時までシフト入っているから来てね」
 と店長が事もなげに言う。
「あのう、行っても良いんですか?」
 不思議な気持ちで聞くと
「当たり前だ、忙しいんだから。待ってるよ」
 と言われた。
 呆然とする。
 
 翌日、重い足でファミレスに出勤する。
 みんなが白い目で見るのではないか、店長はああ言ってくれたけど、他のみんなは迷惑だから辞めて欲しいと言うのではないか、恐る恐る厨房に入って行く。
「ああ山路さん、おはよう」
 笑顔のみんなが一斉に言ってくれた。
「おはようございます…」
 と小さな声でやっと言う。
「皆さん、このたびは大変なご迷惑をおかけして…」
 と言いかけたが、
「山路さん、早く手、洗って」
「そうだよ、手が足りないんだ」
「山路さん、早く仕込み始めて」
「今日からイタリアンフェア始まるし、てれっとしている時間ないよ」
「よし、始めるぞ」
「もう始めてんだよ」
「誰だよ、レタス、出しっぱにしてんのは」
「あ、私でーす」
「樋口さんかよ」
「そこ、火、強すぎ。焦げるよ」
「あ、ごめん」
「中井さんかよ」
「オーブンこっち使うよ」
「島津さん、先にこっち焼いて、それは後でいいんだよ」
「山路さん、お皿並べて」
「お湯、沸かせってーの」
「大内さんってば、その前に皮むきだろーが」
「お、わりー、わりー」
「誰だよ、ピューラーこんなとこに置いてんのは」 
「あ、ごめん」
「酒井さんかよ」
「だーれ?私の足、踏んでいるの」
「あ、ごめん。斎藤さんの足だったの。タワシか何かかと思った」
「私の足はタワシかよ」
「それにしては硬ぇなって思った」
「私の足だっつーの、痛えっつーの」
「だからごめんってば」
「もう、森川さんは」
「あっ、どんケツしないでよ」
「あ、ごめん」
「榎本さんのオケツかよ。柔けえケツだね」
「私のケツはたるんでっからね」
「引き締めなよ、少しは」
「もうトシだからね、緩む一方だよ。風に乗ってふーわりふわりといきそうだよ」
「スゲー、風にたなびくオケツ」
「あははははは。平本さん面白過ぎ!ケツを風にたなびかせてどうすんだよ」
「ん、見たくない」
羽生結弦君とか、若くて引き締まったオケツなら見ても良いかも」
「変態かよ」
「誰かのスマホ鳴ってるよ」
「あ、私の」
「野口さんかよ。更衣室に置いとけってーの」
「置いてくるからその間に山路さん、生クリーム泡立てて」
「野口さん、スマホ触ったらもう一回手を洗いなよ。スマホはナントカより汚いって言うから」
「ほーい」
「何だよ、そのほーいってのは」
「いや、和むかと思って」
「もうじゅうぶん和んでっからいいんだよ。和み系の山路さん、来てくれたし」
「そう、山路さん、和み系。みんなのオアシス」
「山路さん、手際良いんだし、山路さんがいないとみんな困るんだよ」
「そう、この何日か、本当に大変だった」
「山路さんみたいに、ちゃんと段取り考えてやる人ばっかじゃないからさ」
「悪かったですねー」
「もう、横山さんは」
「みんな山路さん、待っていたんだよ。ほんと」
「山路さん、これもお願い」
「山路さん、味見して」
「山路さん、これどう?」
「みんな、口はいいから、手を動かせってーの」
 …みんなに矢継ぎ早に言われ、言葉が続かなくなった。ってか、謝罪の言葉など不要のようだし。
 ほっとして思わず笑顔になる。
 みんなも笑顔爛漫で頷いている。
 ああ、ここにまだ私の居場所はあったんだ。
 心を、心から救われながら、仕事を始める。
 
 …問題は、解決していた。
 六十歳過ぎての転職はさぞかし大変だろうと思っていたが、その必要はなかったようだ。
 
 イタリアンフェアは大盛況だった。慌ただしい一日が過ぎ、五時過ぎに帰ろうとした所、店長が来てシフト表を渡された。
「山路さん、悪いけどイタリアンフェア終わるまで休みないから、よろしくね」
「はい…」
 有難くシフト表を受け取る。
 みんなの心遣いが、収入が途絶えずに済む事が、居場所がある事が、心から嬉しかった。


 幸せな気持ちのままアパートへ帰る。
「あ、お帰り」
 母が言う。
 仕事場の人間関係が上手くいっているのも勿論有難い事だが、家で自分を待っていてくれる家族がいる事もやはり有難い事だ。ひとりで暮らした期間が長かっただけに、邪険にされた経験があるだけに、尚更そう思える。
 もうひとつ、少年院にいると言えども帰りを待てる家族がいる事も、やはり有難い。
 やっぱり幸せだ。
 家族がいて、働く場所があって、笑顔で接してくれる仲間がいる。
 ああ、恵まれている。
 仕事場で嬉しい事があったというのが分かるのだろうか。
 母も笑顔で頷いている。
 
 ひとつ、母とカメラマンの彼には共通点があった。それは
「〇〇って言ったじゃない」
 と言わない事だ。
 健さん
「逢いたいです。逢えますか?って言ったじゃないか」
 と、ねちねち私を責める人で、その上何でも人のせいにしたり、言い訳したり、本当に鬱陶しかったので、カメラマンの彼と母のそういう所は心地が良かった。
 私は無意識に、母と似ている人を選んだのかも知れない。

 

 …その母の言動がおかしい。かつて酒を飲みすぎ、今頃脳がいかれたのか?
 パートも辞めた。正確に言うと辞めてくれと店側から言われたらしい。
 祝子が少年院に入った事を分かっているはずなのに、祝子の分まで食事をテーブルの上に用意したり、ランドセルを磨いたりしている。
「祝子は居ないでしょう。三月出所予定だよ」
 と言うと
「あ、そうか」
 と我に返ったような顔になるし
「祝子はもう十六歳だから、ランドセルも必要ないでしょう」
 と言うと
「あ、そうか」
 と手を止める。
 …もしや、嫌な予感がする。

 

認知症ですね」
 MRIの画像を見ながら医者が言う。があんとする。母も黙り込む。
「どうすればいいですか?」
 そう聞いた。医者が何事か答えるが、まったく頭に入って来ない。
 本当に、何をどうすればいいのか…?

 

 母が日常的な事が出来なくなった。
 食事が出来ない、排泄が出来ない、着替えも出来ない、フラフラと夜中に徘徊する。毎回追いかけていくのもしんどい。仕事中に凄まじい睡魔に襲われる。もはや体が持たない。私の方が倒れそうだ。
「老人ホームに入れたら?」
 以前、ディズニーランドのペアチケットをくれた同僚が言う。
「費用が心配よ」
 そう答えると
「山路さんが介護離職する方が困る」
 と言ってくれた。私も定年まであと何年もないが、パートで残っていいと店長に言ってもらえた。パートの時給は千円だ。昔は水商売が時給千円だった事を思い出す。時代は進んだ。
特別養護老人ホームに申し込めば?費用も安いよ」
 と、彼女が教えてくれた。この人は本当に私の為に色々と提案してくれる有り難い友達だ。
  
 早速あちこちの特養から資料を取り寄せ、見学を始めた。
 老人ホームと言っても、色々だ。結婚式場のような所もあれば、リゾートホテルのような所もある。そうかと思えば刑務所のような所も、病院のような所もあった。良質で費用の安い施設を懸命に探す。私を放置した母ではあるが、それでも私は母を放置しない。

 

 勿論娘も放置しない。疲れていても何でも、週に一度は面会に行く。行くたびに資格試験に受かった等、楽しげに話す娘。
 普通の、まともな会話が出来るようになったのが何より嬉しい。時々、少年院ということを忘れる程だ。以前は私の事を「てめえ」と言っていたが、最近は「あなた」に変わった。近い将来、また「お母さん」と呼んでくれるのか?
 もうひとつ、以前はさびしい悲しい脆さを感じさせる目をしていたが、今は目標を持った力強い眼差しになった。目はこれほどまでに、ものを言うのか?

 

 春、祝子が出所した。久し振りの電車に酔い、ひと駅ごとに降りて吐き散らかし、ベンチにぐったり座り込み、何本も電車を見送り、なかなかスムーズにいかない。
 やっと坂戸駅に到着した時はフラフラだった。
「大丈夫?」
 と背中をさする私の手を邪見に払う。
「やめろ、余計気持ち悪くなる」
 と、相変わらず口も悪い。やっと歩き、ようやくアパートに辿り着いた時はもう何も出来ず、敷きっぱなしの布団に着替えもせずに倒れ込んだ。
「ああお帰り」
 と、母が平気で言う。お帰りじゃないだろう!どこから帰って来たと思っているんだ!と言いたいのをぐっと堪える。


 私は家事をこなし、娘の好きなオムライスを作った。 
 少年院では酷い食事だっただろう。せめて食事くらい手作りでおいしいものを食べさせたい。母はまったく料理をしない人で、私は出来合いの弁当やパンで育った。その為、私はまともな味覚が育たず、小学校の給食を初めて食べた時に、世の中にこんなにおいしいものがあるのかとびっくりしたものだ。私にとって学校は、まともな食事をさせて貰える唯一の場所だった。
 レストランでアルバイトをした時も、まかないが嬉しかった。こんな気持ち、誰にも分からないだろう。親に毎日手料理を食べさせて貰っている友達が羨ましく、妬ましかった。
 ひとり暮らしを始めてからも、アパートでは出来合いのお弁当を食べ続けた。クラブ時代にお客さんとの同伴出勤やアフターで、豪華なレストランに連れて行って貰えた事は何度もあったが、自分のアパートに帰ればまたまずく、貧しい弁当を食べざるを得なかった。
 私が料理をするようになったのは、画材の会社で電子レンジを貰った事がきっかけだった。初めて作った手料理は本当においしく、感動した。料理の楽しさに目覚め、それからは簡単ではあるものの、毎日料理をするようになった。
 昔、誕生日を祝ってくれた彼と暮らした時も頑張ったが、決して上手に出来たとは言えず、その人が不満だったのも、友達に私の悪口を言いたくなったのも分かる。別れたいと言ったのも、勢い余って口走ったのだろうし、追いかけてくれなかったのは、正直ほっとしたからなのだろう。
 だがたった十七歳の私に、仕事と家事をうまく両立しろと完璧を求めた彼も決して良いとはいえなかった。あのまま一緒にいても幸せとは言い難い生活が続いただろうし、あの恋はやはり早めに終わらせて良かったのだ。意味があったとすれば、家事の基本を学べた事だったろう。その後ひとり暮らしをするようになってから、掃除や洗濯、片付けの要領が良くなったし。
 私が思うに、料理に勝る健康管理法はない気がする。手料理を食べるようになって、格段に健康状態も精神状態も良くなった。風邪も引きにくくなったし、イライラしなくなったし、体力も付いたし、喘息も完治した。
 カメラマンの彼と同棲を始めてから、食器や台所用品を買い揃え、料理の本を見て研究し、彼に豪華ではないものの、愛情のこもった手料理を毎日振る舞った。お互い出来合いのまずい弁当を食べ続けた身、手料理に勝るものはなかった。そこで手料理を学んでおいて良かった。私が彼と出会った意味のひとつに、それがあったのだろう。
 坂戸へ帰ってからも毎日料理をした。母は黙って食べる人で、あまり張り合いはなかったが、祝子においしいものを作ってやりたい、うちのご飯はおいしいと思って欲しい、その一念で料理をし続けた。忙しくても普段の食事も弁当も手作りにこだわった。何が何でも祝子の味覚をまともなものに育てたかった。それがファミリーレストランの厨房で働く事につながった気もする。祝子にファミレスの厨房おばちゃんしか出来ないと馬鹿にされたが、私はやりがいのある仕事だと思っている。
 お客さんや共に働く従業員が私の作った料理やデザートを喜んで食べてくれる姿を見るのはこの上なく嬉しい。いつか自分の店を出したいという思いが頭をもたげる。…これは叶いそうにない夢だが(三十代前半で、何も夢がないと嘆かわしい日々を送った事を思えば、叶いそうになくても夢を持てた事自体は嬉しい)。
 もうひとつ、咲さんが料理の上手な人だったので、料理のうまい人は素敵だなと思った事もある。私が咲さんに出会った意味のひとつにそれがあったのだろう。そして咲さんは、小料理屋を営むお母さんに似て、料理上手になったのだろうし、そこは良かったと言えよう。
 やっと起き上がった娘がオムライスを少しずつ胃に入れている。胃が小さくなっているらしく、少ししか食べられない我が娘。
「急に、こんなに、食えるか」
 と、悪態も漏れなく付いてくる。そんな事はいい。聞き流す。とにかくこうして無事にこの家に戻ってくれた事が何より嬉しい。
 咲さんは少年院を出てもお母さんにさえ受け入れてもらえず、行き場のない不安に押し潰されそうだったろう。だからこそむやみに健さん固執したのかも知れない。
 ただ、優しそうな旦那さんには受け入れてもらえている様子だったし、子どもたちは無条件に咲さんを愛してくれるだろうし、今は私のように幸せなのだろう。
 幸せの形は人それぞれだ。

 

 母が布団で静かに寝息を立てている。眠ってくれている方が楽だ。
 赤ちゃんのように、自分の事が自分で出来なくなりつつある母。
 サポートしてやろう、という気持ちが生まれる。
 私が赤ん坊の頃、一応は色々とサポートしてくれたのだろうから。
 お陰で私は生きているのだし、大人になれたのだから。
 母に対し、憐憫という感情が生まれる。
 
 祝子が食卓で静かにテキストを広げている。邪魔しないよう静かに家事をする。
 やがて今日の分が終わったらしく、テキストを閉じてじっとしている。
 ああ、私はこういう静かな生活をしたかったのだ。
 勿論、祝子もこういう静かな生活をしたかったのだろう。

 

 家事を終え、椅子に座ってテレビを付ける。
 祝子が黙って私の膝に乗ってきた。
 そのまま二人でテレビを見る。
 細身で小柄な女の子とはいえ、四十五キロくらいはあるだろう。
 なかなか重く、足が痛い。
 だが否定するまいと黙っている。
 そのうちすっと立ち上がって別の事を始めた。
 赤ちゃん返り、という言葉を思う。

 

「お話しよう」
 と、静かに祝子が言う。
「何のお話しようか」
 と、笑顔で、静かに答える。
「資格試験の話」
 と、嬉しそうに何の資格は取りやすいとか、仕事に有利等の話を延々始める。
 相槌を打ちながら聞いている私。
 こんな幸せがあったのか。
 これが本来の祝子だと嬉しくなる。

 

 母が失禁した床を掃除する。
 幼かった祝子が漏らした床を拭くのは嫌ではなかったが、大人の母の排泄物を処理するのは気分が悪い。
「おしっこやうんちはここでしてね」
 そう言って母をトイレに座らせる。母の衰えた手足に鮮やかな入れ墨が不釣合いに目立つ。 
 母は太ももの両側や首の後ろ、肩に入れ墨をしている。若い頃は張り切ってミニスカートを履いたり、肩の開いた洋服を着たりして見せびらかしていたが、段々そういう服装はしなくなり、というか、出来なくなり、今に至っている。
 パートで働いていた時は、夏でも常に長袖やハイネックを着て隠していた。この入れ墨のせいで友達にいじめられたつらい過去がよぎる。勿論母にそんな事は言わないが。
 母が戸惑っている着替えを手伝う。
「ここに腕を通すんだよ」
 そう言って着替えをさせる。幼い祝子の着替えは可愛くて楽しかったが、母の着替えは時間もかかるし、楽しくない。
「お財布がない」
 と言う母に
「ここにあるよ」
 と言い聞かせる。これで十五回目くらいだ。
「お腹空いた」
 と言う母。五分前に食事を終えた事をもう忘れているのか?あなたの胃はどうなっているのだ?
 仕事の帰りにフラフラと徘徊している母を見つけ、家に連れて帰る。
「事故に遭うと危ないから家から出ないでね」
 と、何度言っても出て行ってしまう。いっそ本当に事故に遭ってしまえば楽になる、という考えが頭をよぎる。ああいけない。そんな事を考えては…。
 だがもう、疲れて、疲れて、限界だ…。

 

 だが考えようによっては恵まれていると言えるだろう。
 世の中には小さな子の育児と、年老いた親の介護の両方を自宅で行う人も多い。
 私の場合、まだ良い方だ。娘はもう手がかからないし、母は三か月くらい待機した後(物凄く長い三カ月だったが)、特別養護老人ホームへ入れた。優先順位が高い上、私がもう面倒を見られない状況というのが大きくものを言った。私が決して高給取りでない事も考慮され、費用も毎月九万円という格安さだ。保証金も要らず、毎月九万円で面倒を見て貰えるなら、こんな有り難い話はない。

 

 老人ホーム巡りをしている時に、びっくりする事があった。
 あの健さんが、深谷の老人ホームでヘルパーとして働いていたのだ。まっ白髪のくたびれたおじいさんになっていて、一瞬誰だか分からなかった。人のせいにばかりして、綺麗事ばかり言って、自分というものをまったく持たないで生きてきた人の成れの果て、という感じがした。
 咲さんと別れてからずっとひとりだったのか、誰と付き合ってもうまくいかなかったのか、なんとなく独りで生きている人、という感じがした。バーテンダーとしてはもうどこも雇ってくれず、ヘルパーとして再出発したのだろう。関わり合いたくないので、即座に顔を隠して退散した。健さんは私に気付かなかったようでほっとした。
 また、電車の中からホームの売店で働く奈々ちゃんを見かけた事もある。年相応になっていたが、何となく主婦のパートという感じがしたので、家庭を持って幸せになれたんだろうと安心した。
 ホームを歩く、かつてのお客さんを見た事もある。俯き、着古したスーツを着て、あまり颯爽としていなかったので、今は銀座で遊んでいないのかという気がした。
 二十歳前後の息子とおぼしき青年と歩く望ちゃんを見かけた事もある。すっかりいいお母ちゃんになっていて、嫉妬して対抗心を燃やすまでもなかったと思った。
 また、祝子が万引きをした大宮のショッピングモールでレジ係りをしていた初老の女性は、麻耶組を仕切っていた麻耶ママだった。
 熊谷から帰るタクシーの女性運転手は、深雪組を率いていた深雪ママだった。
 久喜のゲームセンターで警備員をしていた男性は、江里子組のボーイ長だった。
 コンビニでプリンを買った時に私の顔を凝視していた女性店員は、江里子組でナンバーツーと呼ばれた京子ちゃんだった。
 そして祝子が収容された少年院で配膳係りをしていた女性は、あの江里子ママだった。
 もうひとつ、受付で
「そうです、山路祝子さんの面会ですね。こちらへどうぞ」
 と笑顔で言ってくれたのは、十年以上行方不明だった江里子ママの娘さんだった。

 

 本当に、いつどこで誰に出くわすか分からない。何となく、私は自分だけが落ちぶれたように思っていたが、あの頃銀座で輝いていた人たちも、銀座を離れざるを得ない人生を送っていたのだ。精一杯しがみつこうとしただろうが、それでも、どうしても、離れざるを得なかったのだろう。
 バブル経済の崩壊は、私や江里子ママや、多くの人の人生を変えた。
 だがもしかして「みんなのその後」を知らしめる為に、祝子はわざわざ非行を「してくれた」上に、あえて少年院へ「入ってくれた」のかも知れない。

 

 かつて自分が
「逢いたいです、逢えますか?」
 と、多くの男性を誘い出した事を思い出す。あの頃私は本当に病気だったのだろう。そして私の愛を求めて飛んできた男性たちも愛情に飢えた病人だったのだろう。彼らも今は私のように「治って」いるだろうか?
 私は誠心誠意を持って接客に取り組む一面もあったが、
「逢いたいです、逢えますか?」
 と半ば騙すような形で男性を呼び出す病的というか、不誠実な面もあった。どちらも間違いなく私がやった事だが、申し訳ない事をしたという思いは拭えない。

 

 昔、本当の愛が分からないと言っていた人がいた。私も正直な所、分からなかった。今もばっちりと表現は出来ない。だが曖昧な表現で良ければこう言える。
 私の愛は、信じる事。何があっても信じ続け、味方でいる事だ。
 そしておそらく、母の愛は何年会えない相手でもきちんと迎える事なのだろう。もしかして、父の事も迎えてあげようと、待っていたのかも知れない。たくさん男性は変えたが、決して同棲はしないでいてくれた。そして男性が帰った後、必ず物憂げな顔をしていた。
 父を思っていたのだろうか。
 母の純潔さを感じる。

 

 母と縁があったのは、住み慣れた坂戸の老人ホームだった。何か、坂戸に深い縁を感じる。坂戸を忌み嫌い、銀座にこだわった自分を今更ながら恥じる。
「お母さん、良かったね。ここなら私も面会に来やすいよ」
 そう声を掛けた。
 ただ八十歳を前にして、まだ女を捨てていないのには閉口する。ヘルパーの男性に車椅子からベッドに移す際に抱えられた事を
「ハグされた」
 などと言う。幾つだと罵りたい心境に駆られるが、ぐっと堪える。七十九歳で、おむつで、車椅子で、バアサンいい加減にしてくれと言いたい。
 ただ考えようによってはそれさえ幸せなのかも知れない。本人が楽しいのならば。

 

 自宅に帰り、家事を終え、椅子に座ってテレビを付ける。
 祝子が黙って私の膝に乗って来た。
 そのまま前を向いてテレビを見ている。
 傍から見たら異様な光景かも知れないが、私は黙ってそのままにしている。
 娘よ、あなたは小さい頃にじゅうぶん甘えられなかったのかも知れないね。
 だから今、その分を取り戻そうとしているのだろう。
 良いよ、そうしてくれて有難う。
 そのうちすっと立ちあがり、別の事を始めた。
 今日の分はこれで良いのかな?

 

「お話しよう」
 と、祝子が静かに言う。
「うん、お話しよう」
 二人で好きなタレントや、映画やドラマ等、とりとめのない話をする。私は母と会話らしい会話がないまま育った経緯がある。だからこそ、たくさんの人と会話が出来るクラブホステスという仕事が好きだった。
 娘と会話をしよう。
 たいせつな娘とたくさん会話しよう。
 神様、このかけがえのないひととときを、かけがえのない人生を、本当に有難う。

 

 娘は十七歳の誕生日を彼氏さんと迎えた。
 そして彼氏さんの紹介で、行田のイタリアンレストランでアルバイトを始めた。
 少年院で資格を取る事の醍醐味を味わったのが快かったらしく、帰って来ると何かしらのテキストを必ず広げる。少年院あがりとはいえ、偉い子だ。
 最近では
「今日は福光(ふくみつ)くんの所に泊まる」
 と、きちんと言ってから外泊してくれるようになった。本当に良かった。無断外泊ほど心配な事はなかったのだから。

 

 そして初めての給料日、自分の店のケーキを三つ、買って来てくれた。
「食べよう」
 そう言われ、嬉しくて顔がほころんでしまう。
「有難う」
 ひとくち、ひとくち、それこそちびちび食べる。少ない量でお腹いっぱいにしたいからではなく、あまりに有り難くて、勿体無くて、どんどん食べられないのだ。
「残りのひとつはおばあちゃんに持って行ってよ」
 そう言ってくれた。
「有難う。おばあちゃんも喜ぶよ」
 いつの間に、こんな家族孝行な子になっていてくれたんだろう。

 

 翌日、母の面会に祝子が買ってくれたケーキを持参する。 
「これは祝子が初給料で買ってくれたケーキだよ」
 そう言うと、母もニコニコしながら食べている。
 そう言えば、昔ケーキ屋でアルバイトしていた頃、同世代の男の子が母親の誕生日ケーキを嬉しそうに買って行くという微笑ましい出来事があったものだ。あの親子もきっと本当に幸せな時間を過ごしただろう。ケーキを買うというのは幸せという事だ。そして買って貰えるというのも幸せを実感できる出来事だ。
 こんな幸せもあったのか。
 
 私があまりに喜んだせいか、祝子は給料日のたびにケーキを買って来るようになった。
「祝子、嬉しいけど毎月買わなくていいよ。お金使いなさんな。その分つもり貯金しな」
 と言ったが、
「毎月ケーキ買えるって事は、毎月ちゃんと給料貰えているって事だよ。従業員価格で買えるし」
 と返してきた。本当にそうだ。祝子ほど真摯に働く若い子がどこにいるんだ?
「私は自分が作った料理を、お客さんが喜んで食べているのを見るのが好きなんだよ。好きな事を仕事にして、その上給料まで貰っているんだから、こんな良い話どこにある。それにいつか自分の店を出すって夢があるんだ」
 とも言った。自分の店を出すなんて、親子で同じ夢を持つのか。


 誠実に働いたのが評価され、一年後に正社員契約をしてもらえた。
「私は就職するの。保証人になってよ」
 そう言って書類を差し出す娘。
「ここに名前を書けばいいの?」
 以前、母と同じ会話を交わした事を思い出す。またしても逆の立場だ。世代がひとつ降りてきたような嬉しさ、そして大きな幸せと安心を祝子から貰った。
 娘は調理師の資格を活かし、生き生きと働いている。気力、体力は使うらしく、ぐったりしている時もあるが、新作だ、試作だと言って、家の台所で色々な料理を作ってくれる事も多い。本人は練習のつもりだろうが、私は助かるし嬉しい。勿論作ってくれる料理はおいしい。まともな味覚が育っている証拠か?
 仕事をしながら高卒認定試験を受け、見事に合格。ああ私もそうすれば良かった。私の代わりにこの子は高卒認定試験を受けてくれたのだろう。
 今の私に何が出来るだろう?
 懸命に働く祝子を精一杯支え、母の介護をし、自分も働き続ける。
 それくらいか?他に何か出来る事は?

 

 家事を終え、椅子に座ってテレビを付ける。
 祝子が黙って膝に乗って来た。
 そのまま二人でテレビを見る。
「この政治家、タコに似ている」
「ほんと、タコチューってあだ名付けよう」
「あはははは。このオヤジ、見るからに女たらしそう」
「ほんと、スケベザウルスってあだ名にしてやろう」
「このコメンテーター、朝もワイドショーに出ていた」
「よく稼ぐねえ。家でも建てるのかな」
「あ、この料理法覚えておこう」
「いいね、祝子の仕事に役立つね」
「また後でお話しよう」
「是非そうしよう」

 

 仕事から帰ってきた私に祝子が静かに言う。
「今日、何時から、お話、出来る?」
 頭の中で素早く時間配分をする。
「八時から出来る」
「なら八時からお話しよう」
 すっと別の事を始める祝子。
 手早く用事を済ませて祝子とのお話タイムを確保しよう。クラブ時代に時間配分する習慣を付けておいて本当に良かった。それが今に活きている。
 神様、本当に有難う。

 

 …八時になった。
「祝子、お茶が入ったよ。お話しよう」
「私が試作したシュークリームが冷蔵庫にある」
 と言って、冷蔵庫からシュークリームをふたつ取り出す祝子。
「祝子、これ、おいしいねえ」
「でしょう」
「きっと人気商品になるよ」
「チーフも褒めてくれた」
「良かったねえ。祝子がチーフになれるよ」
「十五年、早いって」
「おいしいけど、寝る前に食べると太るから、それだけが心配だねえ」
「だったら寝なきゃいいんだよ」
「あははははは。そうだねえ。祝子、発想が凄いねえ」
「今日、仕事中にじゃがいも落っことしちゃったんだ。ポテット」
「あははははは。じゃがいもをポテット落としたんだあ」
「うん、おかしかったよ。帰りにお菓子、買ったよ」
「あはははは。お菓子買って、おかしかったねえ」
「ほんと」
 駄洒落娘、再び。
 誰かと会話がしたいと思って育った私にとって、娘との会話はこの上なく「嬉しい話」だ。そう、クラブ時代に多くの人と会話した時以上に「有難い話」であり「幸せな話」だ。
 神様、こんなに穏やかな時間を有難う、有難う、心から有難う。

 

 家事を済ませ椅子に座ってテレビを付ける。
 祝子が黙って膝に乗ってきた。
 そのままテレビを見続けている。
 重い、足が痛い、だが拒否したくない。だからそのままにしている。
 今日はなかなか立たない。三十分くらいそのままでいる。
 重い、足が痛い。トイレにも行きたい。それでも拒否しない。
 そのうちすっと立って別の事を始めた。
 拒否だけはするまい。それは祝子が私だけに見せる素顔だから。

 

 ひとつ、祝子には意外な趣味があった。
 それは写真だ。最初は携帯電話のカメラで近所の猫や景色を写していたのだが、光の取り込み方等がうまいなと感心して見ていた。母や私を写してくれた事もあるが、物凄く上手に撮れていた。父親の血を感じる。
 程なく新しくはないが、一眼レフカメラを持つようになった。
「そのカメラ、高そうだけどどうしたの?」
 と聞いた所
「お父さんのお古。…貰った」
 と目を伏せながら答える。ならばいいと思っていると、こう言った。
「私がお父さんに会っているの、嫌?」
「全然嫌じゃないよ」
「なら良かった」
「祝子、プロのカメラマンになりたいとか思う?」
「それは思わない。だってそれだけじゃ食っていけないじゃん。写真は楽しいけど趣味に留める」
「なら良かった」
「お父さんが今どこに住んでいるとか、仕事どうしているとか、全然聞かないんだね」
「うん、聞かない」
「どうして聞かないの?」
「祝子を授けてくれて、感謝しているから」
 二人で同時に頷き、二人で同時に黙った。
 決して気まずい沈黙ではなく、むしろ一切を納得出来ている、心地良い、幸せな沈黙だ。
 人生のピントが少しずつ合ってきた。

 

 母の面会に行く。部屋に入ると母がきょとんとした顔で言った。
「新しい看護婦さんですか?」
 …絶句する。遂に私の事も分からなくなったのか?
「美知留です。あなたの娘」
 と答えたが
「え?」
 と言ったきりポカンとしている。
 その直後に入って来た若いヘルパーの男性を見て急にニコニコする母。
「奥野木さん、今日は何のお話、してくれるの?」
 と言う。実の娘を忘れて、ヘルパーの男性の名前はしっかり覚えているとは…。
「昨日、何の話、しましたっけ」
 奥野木と呼ばれたヘルパーが、笑顔で言う。
「奥野木さんがハワイに旅行した時の話でしょ」
「そうです」
 それは覚えているのか…。

 

 翌週、面会に行った時の事。
 母は急に受話器を上げるような仕草をし
「アヤです。今日〇〇商事の井川さんと同伴します」
 と、滑らかに言った。ドキリとする。母の心はまだ売れっ子ホステスのままなのか?

 

 更に翌週、部屋に入ろうとドアの前に立つと、母の声が聞こえる。
「キミカです。今〇〇銀行の綾瀬さんと下のレストランにいます。綾瀬さんのお客さんを待っているので、お店に入るまでもう少し時間がかかります」
 堂々としたホステスぶりだった。

 

 次に面会に行くと、私の顔を見た途端に笑顔爛漫でこう言った。
「ここのママをやっています、メグミと申します。今日はよくいらっしゃいました」
 骨の髄までホステスなのか?

 

 気が進まないものの、母の面会に行く。部屋に入ると母は眠っていた。何となくほっとする。今日はアヤだ、キミカだ、メグミだと、言わないで欲しい。
 静かに冬物の洋服と夏物の洋服を入れ替えたり、洗面台を磨いたりしているうちに目を醒まし、私の顔をじっと不思議そうに見ている。
「葉っぱさん?」
 と聞くので反射的に頷いた。
「そうです。虫さん、こんにちは」
「ああ、私は虫だったんだ」
 葉っぱでも虫でもいい、安全ならばいい。これからは葉っぱさんと虫さんでいこう。もう私の名前さえ忘れているのだろう。

 

 母の車椅子を押して散歩に出る。畑や田んぼの中をゆっくり歩く。やはり車輪が土に埋まってしまう為、車椅子を押しにくい。苦労してアスファルトの道に出る。押しやすいのでほっとした途端、すぐ脇をバイクが通って行った。もう少しでぶつかる所だった。
「ああびっくりしましたねえ、虫さん」
 と言ったら
「葉っぱさんだから、よけられる」
 と返してきた。駄洒落なのか、なんなのか?よく分からず苦笑する。
 だが素人の上に非力の私が路上で母の車椅子を押すのは危険かも知れない。この母がいつまで生きるか分からないが、それでも痛い目に遭わせてあと何年か生きるよりも、体だけは健康なまま安全にいた方が勿論良い。

 

 母の入浴を担当している女性介護士が言った。
「お母さんは入れ墨があるんですねえ。若い頃の名残りかな?」
 母は入れ墨をする際、こんな日が来るとは思っていなかっただろう。しわしわの手足や首の後ろに刻まれた、生涯消えぬ彫り物。要介護状態になり、最初は私に見られ、施設に入ってからは介護職員に見られるようになった。今頃そんな恥をかくとは思っていなかっただろう。
 だがもしかして、弱い自分を奮い立たせようと決意して入れ墨をしたのかも知れない。
 母の脆さを感じる。

 

 祝子の着替える姿を偶然見た。かつて生々しく残っていたリストカットの跡は、だいぶん色が薄くなり、ほとんど目立たなくなっていた。良かった。あともう何年ですっかり分からなくなるだろう。若いから肌の代謝も良いし、まだじゅうぶん治る。ほっとする。
 そして「リストカットで良かった」と思えた。そう、母のように入れ墨をしてしまったら、一生跡が残るのだから。
 祝子、リストカットで済ませてくれて有難う。
 それでサインを出してくれて、気付かせてくれて、教えてくれて有難う。
 やっぱりあなたは私の先生だよ。

 

 祝子が初めてのボーナスをもらった。
「これはないものとして貯金する」
 と言って、一円たりとも手を付けず、そっくり預金口座に入れている。
 若いのに偉いなと思っているとこう言った。
「お母さんもそうしているもんね」
 本当に、子どもは親の背を見て育つ。
 そして久しぶりに「お母さん」と呼んでくれて有難う。

 

 今日、久し振りにじっくりと鏡を見て、年相応になってしまった事をつくづく残念に思う。昔はあんなに綺麗だったのに…みんなに綺麗、綺麗、と絶賛されたのに…。
 六十五歳の私は確実に若さを失い、疲れが滲み出て、肌も髪も衰え、おばあさんになる寸前だ。
 そう言えば母も綺麗な人だった。私の容姿も衰えたが、母はもっと衰えた。母も綺麗とみんなに言われ、もてはやされただろう。
 だが娘が美しくなるのは嬉しい。祝子は親の欲目を差し引いてもなかなかの美少女だ。若い頃の自分を見ているような気がする。やはり娘を産んでおいて良かった。自分の容貌は衰えても、娘が引き継いでくれるのだから。
 もしかして、母も私に対してほんの少しはそう思ってくれているのだろうか…?

 

 ファミレスの休憩時間に、店長と話す機会があった。
「山路さん、一時期大変そうだったけど、最近はどう?」
 と聞いてくれた。
「お陰様で、何とかなっています」
 そう答える。十九歳にもなった子が、私の膝に乗るようになったとはさすがに言えない。
「なら良かった。祝子ちゃんが事件を起こした時、山路さんを辞めさせないでくれって樋口さんが必死になって言ってくれたんだよ」
 そう言われ、びっくりする。樋口さんというのはディズニーランドのチケットをくれた同僚だ。
「勿論僕も、そんな事で山路さんを辞めさせる気はなかったけど、樋口さんが本当に親身になっていたよ。山路さん何も言わないけど苦しんでいる筈だからって」
「そうだったんですか…」
「山路さん、良い友達持ったね」
「はい、本当にそう思います」
「樋口さん以外のみんなも同じ事を言っていたよ。森川さんも、野口さんも、大内さんも、横山さんも。山路さん良い仕事仲間持ったね」
 そう言われ、心から有り難く頷く。
「うちの店、定年が七十五歳に延長になったんだ。良かったらそれまで働いてくれる?勿論パートではなく、このまま契約社員として」
「良いんですか?」
 店長が笑顔で頷いてくれた。
 …有り難くてたまらない。
 何も知らなかったけど、樋口さんやみんながそんな事を店長に頼んで、陰で私を支えてくれていたなんて…。私はここでみんなにそんなに好かれていたなんて…。
 派遣時代、みんなに嫌われ、契約更新さえして貰えず、逃げるように辞めた苦い思い出がよぎる。あの経験があればこそ、祝子が事件を起こしたからこそ、こんな幸せを感じられるのだろう。

 

 その樋口さんが三度目の結婚をする。五十五歳にして、それは快挙と言っていいだろう。三度目の正直で、今度こそ幸せに添い遂げて欲しい。
「おめでとう。幸せになって」
 そう言って、お祝い金を渡し、夫婦茶碗と夫婦箸をプレゼントする。
 店長も喜んで、店を一日だけ午前休みにして、結婚パーティーを行なう。
 店の入り口にはこんな紙が貼られた。
「スタッフのひとりが結婚するので、誠に勝手ながら本日は午前中を休みとさせていただき、ウエディングパーティーを行ないます。お客様にはご迷惑をおかけしますが、午後から通常通り営業させていただきますので、何卒ご理解の程、お願い申し上げます」
 その紙を読んだ通行人たちが微笑ましい顔で通り過ぎていく。

 

 さあ、パーティーの始まりだ。
 店のスタッフが全員正装して参加する。
 新郎新婦の家族や友達も来た。
 私も祝子と参加する。

 

 テーブル席を配置し、スペースを作りそこをバージンロードに見立てる。
 ドアから入った二人を拍手で迎え、参列してくれたみんなに二人の愛を誓う「人前結婚式」を決行する。
「有難う、こんな事をしてもらえるなんて」
 そう言って、五十五歳の花嫁は感激している。相手は十五歳も年下のクリーニング店に勤務する男性だ。クリーニング品を持っていくうちに親しくなったらしい。
「こんな私、よく選んでくれたわ」
 そういう彼女に彼は言った。
「こんな私なんて言っちゃ駄目だよ。僕はあなたが良いんだから」
 …のろけか?こっちまでニヤニヤしてしまう。
「僕、この人といると幸せなんですよ。全然気を使わないし」
 とも言った。
 ああ良かった。大事な友達が幸せになってくれた。勿論私も幸せだ。
 パーティーの途中、挨拶に来てくれた新郎に私は心からこう言った。
「樋口さんは本当に思いやりの深い素敵な女性です。私は樋口さんのお陰で今もここで働いていられるんですよ」
 新郎が笑顔で頷いてくれた。
「山路さんですよね?あなたの事は彼女からよく聞いています。こちらは祝子ちゃんですね。今日は親子で来てくれて有難うございます。必ず彼女を幸せにします。約束します」
 そう言ってくれた。
 新しい清楚なワンピースをまとい、お洒落をした祝子がにこやかに言う。
「ご結婚おめでとうございます」
「有難う。祝子ちゃん、お母さんを大事にしてね」
「はい、この母は何があっても私を支えてくれた、奇跡の母親です」
 そう答える祝子。びっくりして顔を見る。祝子が笑顔で言ってくれた。
「私もお母さんを支えるからね」
 あまりに有り難くて返事が出来ない。返事のしようがないのではなく。
 とてつもなくつらい時を経験したからこそ感じられる幸福感だ。最初から祝子が普通に育っていたら、それが当たり前と思っていただろう。こんな幸せは得られなかっただろう。
 それに自分の子だ。重くても何でも支える。こっちは親なんだから、支えてなんぼだ。
 
 新郎新婦を囲み、みんなで朗らかに笑い合う。 
 心から笑い合う。
 樋口さんも、旦那さんも、スタッフも、誰も彼も、みんなが微笑んでいる。

 

 その日の午後、通常通りに店を開け、営業を始める。普段の制服に着替えて働くスタッフの誰もが笑顔爛漫で、いつも以上に良い仕事をしている気がする。嬉しい事があった時、人はこんなに輝くのだ。
 食事をしに来るお客さんがみんな愛おしい存在に思えてくる。ひとりひとり、たいせつにもてなす。
 ああこの店で働けて良かった。
 クラブ江里子以上の、画材の会社以上の職場に出会えた。
 樋口さんにも店長にもみんなにも会えたし、まだまだ働いて良いと言って貰えたし、有り難くてたまらない。

 人生のピントがどんどん合っていく。

 

 微笑ましい気持ちのまま帰宅する。
 先に帰っていた祝子がテキストを広げていた。
 家事を終え、椅子に座ってテレビを付ける。
 祝子が黙って私の膝に乗ってきた。
 そのまま二人でテレビを見る。
 これでいい。
 これでいい。
 本当に、これでいい。
 
 間もなく祝子が成人式を迎える。振袖を買ってやりたいが、うちは狭くて着物を置く場所がないのでレンタルを申し込む。
 昔は羽振りが良く、三千万円以上の貯金があったが、小田原で暮らし始めてから、鴨宮のアパートを借りる資金や、稼ぎが少なくなったが為に、毎月の生活費が足りずに少しずつ切り崩し、まして祝子を宿してからしばらく働けず、足りない生活費を貯金で補い、その上、祝子の学費やら賠償金やら母の入院費やら施設費用やら、なんやらで段々なくなり、今は一千万円ほどに減っている。
 祝子に何かあった時の為に使いたいので、これ以上は切り崩したくない。一千万円あるだけでも良い方だろう。
 レンタルとはいえ、費用は高額だ。黙ってお金を払うのも愛情のうちだと思い、支払いを済ませる。最近着物のレンタルで当日借りられないという大きな事件があった。そんな事にならぬよう、事前に着物を受け取り、ヘアメイクや着付けも近所の美容院へ頼む。色々と手配をしながら、祝子の為に出来る事がまだある事を嬉しく思う。

 

 そして成人式当日、華やかな振袖をまとった祝子がまばゆいばかりに輝いている。
 娘盛りだ。かつて非行に走った子とは思えないほど清楚で、美しく、艶やかで、本当に見事な晴れ姿だ。
 憂いや脆さのかけらもない、堂々たる新成人がここにいる。
 ああ、私の代わりにこの子は振袖を着て式典に参加してくれているのだ。

 

 咲さん、昔あなたが私の成人式をやってくれた事を思い出すよ。あの時は本当に有難う。その後、恩を仇で返してしまい、ごめんなさい。
 あなたは今も、山梨で家族と幸せに暮らしていますか?
 坊やとお嬢ちゃんの成人式には、袴や振袖を着せてあげられましたか?
 ならば良いです、私も娘に振袖を着せる事が出来ました。お互い安心ですね。

 

 放置されて育った私が娘を放置せずにいられるのは、小学校で六年間担任を務めてくれた先生や、中学で出会った美術の先生、咲さんや江里子ママ、そして誠心誠意込めて接客した江里子組の常連さんたちが私に愛情を注いでくれたお陰かも知れませんね。皆さんに愛情をもらえたお陰で、たいせつな人に愛情を注げるようになりました。あの店で働いて本当に良かったです。

 

 写真館で記念撮影をしながら、頬が緩む。
 カメラマンを務めてくれたのは、実の父親だ。
 彼とは一年前から友達付き合いしている。祝子が仲を取り持ってくれた。彼は小田原のコンサート会場でカメラマンを務めた際に私たち親子を見かけていたそうだ。やはりあの時、コンサートへ行って良かったのだ。
「逃げて済まなかった、父親になる自信がなかった」
 と詫びてくれた。そして、
「よくひとりで産んでくれた、よく育ててくれた。大変だったろう。しかもこんな良い子によく育ててくれた。有難う。有難う」
 と感謝もしてくれた。感謝されたくて産んだ訳ではないが、そう言われて嬉しかった。
 そして祝子の父親として出来る事をしたいと申し出てくれ、カメラマンとしてプロの腕を精一杯ふるってくれた。
 彼は、二十年前のクリスマスプレゼントとしてペアで買った腕時計を今も付けてくれている。私は彼を思い出すようなものは取っておくまいと決意してすぐに捨てたが、彼はたいせつに取っておいてくれていたのだ。
「この腕時計は、あなたとの恋の、唯一の形見だから」
 そう言ってくれた。過去はどうでもいい。今幸せなのだから。
 友達と共同経営の会社も続いているという。本当に良かった。
 その上、私が退去した鴨宮のアパートを借り、今もひとりで暮らしているそうだ。
 いつか私が懐かしく思い、訪ねて来るかも知れないと一縷の望みを抱き、私がいつ来ても良いように表札に自分の名をフルネームで出し、待っていたそうだ。そんな、万にひとつもないような可能性に賭けなくてもいいのに。
 私は小田原に行った際に、懐かしくて会社には行ったが、アパートには行かなかった。ちらりと行ってみたい気もしたが…。
 あの時、もしアパートを訪ねていたらどうなっていたのか?それ以降、彼と二人で祝子を育てていたらどうなっていたのか?もしかして、祝子は非行に走らなかったかも知れない。補導歴も付かず、少年院に入る事もなく、普通の少女時代を送れたかも知れない。
 だが神様は、私を鴨宮には行かせなかった。そうしてくれて良かった。
 お陰で「物凄く鍛えられた」のだから。
 それこそ「普通の人が一生経験しないような事を経験出来た」のだから。
 それを「親子で乗り越えた」のだから。

 

 追い求めずとも、私は気づいたら幸せになれていた。
 青い鳥はいつの間にか私の人生に現れていてくれた。
 他人軸ではなく、自分軸で生きられるようになっていた。

 

 今日は天気も良いし、屋上なら安全だろう。母の車椅子を押して施設の屋上へ上り、大量の洗濯物がはためく中を散歩する。
 母は奥野木さんからおやつにもらったというお饅頭を手に持ったままだ。
「これが祝子の晴れ姿だよ」
 そう言って、成人式の写真を母に見せる。母が黙って見ている。孫という事が分からないのか?まあいい。写真をしまい、屋上をぐるぐるとまわる。風が心地良い。
「お母さん、公民館が見えるねえ」
 …母は黙っている。別の方角へ車椅子で移動し
「お母さん、新しい公園が出来たね」
 …やはり母は黙っている。聞いていないのか?どうでも良いのか?何の話題なら乗って来るのか?
 ふと思いついて聞いてみた。
「お母さん、お母さんのいちばん大事なものって、なあに?」
「…」
 母が何か声を発した。よく聞こえず前に回り込んでしゃがみ、目線を合わせた。
「え?なあに?」
 すると母が、しっかりと私と目を合わせてこう言った。
「みちる」
 びっくりした。私の名前さえ忘れているのかと思っていたので。
「本当?」
 と聞き返すと、真顔で何度も頷く。ヘルパーの奥野木さんとか何とか言うのかと思った。
「みちる、いちばん、だいじ」
 信じられなかった。八十二歳にして、突然正気に戻った母。
 急にお饅頭の包み紙を剥き、半分に割って大きい方を私にくれた。不意に私が幼い頃、おいしい御菓子を母がひとりで全部食べてしまい、せめて半分こだろうと不満だった事を思い出す。
「わたし、みちる、ひどい、そだてかた、した」
 半分のお饅頭を持ったまま、滂沱と涙を流す母。
 いいよ、お母さん、そんな事。私を産んでくれて、一応育ててくれたし、何年家を空けても引っ越しせずに待っていてくれたし、何度出戻っても受け入れてお帰りと言ってくれたし、誰の悪口も一言も言わなかったし、祝子の父親は誰かと一度も聞かないでいてくれたし、プライドを捨ててスーパーで働いてくれたし、文句ひとつ言わずに身重の私を養ってくれた。
「みちる、だいじ、みちる、いちばん、だいじ」
 懸命に言い続ける母。これだけは伝えなくてはとばかりに、しっかりと私を見て、それもたいせつな人を心から慈しむ眼差しで。
「みちる、うまれてくれて、ありがとう。ときこ、うんでくれて、もっと、ありがとう」
 それが最期の言葉になった。
 スッと息を引き取る母。
 人間死ぬ時は、本当に息を引き取るのだと実感した。
 ぼたりと落ちる半分のお饅頭が地面に転がる。

 

 温かな春の空の下、母が私の目の前で人生の幕を下ろした。
 その言葉を言う為に、退行しても、認知症を患っても、死なずに私を待っていてくれた。
 
 親に愛されずに育ったが為に、無条件に自分を愛してくれる子どもが欲しいと決意し、たった十六歳で私を産んだ。
 だがやはり愛し方が分からず、どう接して良いか分からず、放置してしまった。ただ、自分がされて嫌だった虐待はしないでいられた。
 根底では私に対し、申し訳ないと思いつつ、誰か自分を愛してくれと、泣き叫ぶような気持ちで男性を求め続けた。
 
 貫きたかった初恋を貫けず、無念な結果に打ちのめされた母。
 もしかして赤ん坊だった私を抱いて父に会いに行き、突っぱねられたのか?
 どんなに惨めだったか?
 どんなに心細かったか?
 どんなにさびしかったか?
 どんなに不安だったか?
 
 今更ながら、母が気の毒でたまらなくなる。

 父はその後どうしていたのか?
 母以外の誰かと結婚して家庭を持ったのか?
 子どもを持ったのか?
 時々は母と私を思い出してくれていたのか?
 
 母は奇跡のような人だった。
 自分を見捨てた父は勿論、助けてくれなかった自分の親の事さえ、一度も悪く言わなかった。
 母は祖父母をどう見送ったのだろう。
 介護したのか?分からない。何も言わない人だから。
 
 誰にどんな仕打ちをされても黙って耐える。
 母ほど心の広い、愛情に満ちた人がいるのか?
 
 晩年、かつての自分と同じ立場になった私を救う事で、人生をやり直そうと決断してくれた。
 それは、私をひとりで産もうと決めた時以上に大変な決意だった筈だ。
 還暦を過ぎ、体力も気力も振り絞った事だろう。
 入れ墨を隠してスーパーで働き、薄給ながらも精一杯守ってくれた。
 
 母にとって私こそが青い鳥だったのだろう。
 私に奇跡を見ていたのだろう。
 私も母に奇跡を見た。
 
 お互いに、お互いこそが、無条件に愛せる相手であり、奇跡の人だった。

 

 そして、私の前で更なる奇跡が起こった。
 母の死に顔がみるみるうちに若返っていったのだ。
 確か還暦の頃、こんな顔だった。
 五十代はこんな顔をしていた。
 四十代はこんな顔だった。
 三十代はこうだった。
 私が小学生の頃、つまり二十代はこういう顔だった。
 そして、まるで十代の少女のような顔になった所で止まった。
 私は職員を呼ぶ事もなく、ただ母を見ていた。

 山路栄子(やまじえいこ)、享年八十二歳。
 少女のように頬をバラ色に染め、車椅子でただ眠っているような面持ちの母。
 
 ああお母さん、やっと本物の親子になれたね。
 嬉しいよ、本当に嬉しいよ。
 これからお茶を飲みながらトランプでもしようか?
 それともシュークリーム食べながら恋バナしようか?
 
 お母さん、お母さん、私のお母さん、
 お母さん、お母さん、美知留のお母さん、
 
 今からでも甘えていい?
 今からでも美知留の頭を撫でてくれる?
 今からでも美知留を抱っこしてくれる?
 今からでも美知留を膝に乗せてくれる?

 

 私もいずれそっちにいくから、そうしたらずっと一緒に居よう。
 向こうにも温泉とか遊園地あるかな?
 観光旅行とか出来るかな?
 こっちであまり一緒に過ごせなかった分も、ずっとずっと一緒に居よう。
 こっちで出来なかった事を、向こうでたくさんしよう。
 こっちで出来なかったお話を、たくさんしよう。
 お母さん、たくさんお話しよう。

 

 もっとずっと先の話、祝子も来たら三人で過ごせるね。
 母と娘の両方から支えて貰っている自分を想像して頬が緩む。

 ああ神様、この母のもとに生まれさせてくれて本当に有難うございました。
 こんなに感動する瞬間の為、今この時の為に、これまでがあったのですね。
 今、人生のピントが、ドンピシャリと合いました。
 今、愛されていると、しっかり実感しています。

 

 青い鳥は、坂戸にいたんですね。
 随分と、あちこち探したんですけど。
 本物の青い鳥は、この母だったんですね。

 お母さん、もっと生きていて欲しかった。
 お母さん、もっと会話がしたかった。
 もっとお母さんの話を聴きたかった。
 もっと美知留の話を聴いて欲しかった。
 お母さん、まだ逝かないで欲しかった。

 

 ああママ、逝かないで。

 

 けれど、いちばん大事な言葉を言ってくれたからこそ逝ったんだね。
 
 お母さん、どうしたい?
 美知留と何したい?
 ミュージカル、観に行く?
 陶芸やる?
 テニスする?
 一緒にやろう。
 一緒に色々な事しよう。

 お母さん、今からでもそうしよう。
 ね、お母さん。

 ねえ?
 お母さん。

 

 

      ★

 

 

     エピローグ

 

 ああ天国って案外こういう場所だったのかも知れない。
 もっとお花畑のような所かと思っていたけど。
 様々な国籍の人が自由に穏やかに好きなように過ごしている。
 みんな若くて、みんな仲が良くて、穏やかで、争いなんてみじんもない。
 大きな崖の中央に巨大なスクリーンがはめ込まれていて、映画が上映されている。
 本当にここは天国なのか?
 新参者の私は勝手がよく分からないでいる。

 

 あ、あれは私のお母さん。
 お母さんが普通の化粧をして、普通の格好をして、真面目に働いている。
 あれは天国から現世に降りて行く滑り台のようなものでしょうか。
 生まれ変わる予定の人が、談笑しながらたくさん並んでいますね。
 ここでじゅうぶん休んで、新たな使命を果たす為に現世に生まれ変わるのでしょうね。
 お母さんが真剣な顔で、あなたはこの滑り台、あなたはこっち、と案内しています。
 ああ、お母さん、ホステスより、そういう仕事の方がずっと合っていますよ。
 まあ、お母さんったら、こっちに来てからずっとそういう仕事していたんですね。
 やりがいもありそうだし、良かったですねえ。

 

 …あれ?向こうから歩いてくる男の人、初めて会うのに、顔が私に似ている人ですね。
 私の前で立ち止まってニコニコしている。
 …ん?もしかしてあなたは私のお父さんですか?
 あ、本当にお父さん?
 まあ、初めまして。山路美知留と言います。本当に初めまして、ですね。
 わざわざ会いに来てくれたんですか?有難うございます。
 現世ではともかく、こちらでは親子三人で過ごせるんですね。
 嬉しいです。本当に。
 お父さんって呼んでも良いですか?
 どうぞ私の事は、美知留って呼んで下さいな。
 いえいえ、ちゃん付けなんてしなくていいですよ。
 
 そう言えばお父さん、お母さんと別れた後、どうしていたんですか?
 あ、結婚はせずに独身を貫いたんですか。
 まあ、誰かと結婚して家庭を持ったのかと思っていました。
 あら、だったら母に逢いに来てくれれば良かったのに。
 え、逢わす顔がなかった?
 まあ気持ちは分からなくもないけど、母はきっとお父さんを待っていたんですよ。
 私もお父さんに逢いたかったし。
 私は二人に育てられたかったんですよ。
 
 所で、お父さん仕事は何をしていたんですか?
 あ、高校を卒業後、色々な職業を転々としていたんですね。
 ああだから収入面で自信がなくて、母を迎えに来られなかったっていうのもあるんですね。まあ、それはそれで大変でしたねえ。
 晩年は?
 へえ、スーパー勤務でしたか?
 あれ、母も晩年はスーパーで働いていましたよ。
 あらあ、同じ選択をするとは、ぎりぎり気が合っていますね。
 
 住まいはどこだったんですか?
 へえ鶴ケ島にいたんですか。
 あら、坂戸と凄く近いじゃないですか。
 あ、だから母は坂戸にアパートを借りたんですね。
 謎が解けたような気持ちです。
 やっぱり母は、お父さんがずっと好きで、お父さんの近くに居たくて、お父さんに迎えに来て欲しかったんですよ。
 
 そうそう、私の娘の父親も、妊娠した私を置いて逃げてしまいました。
 お父さん、あなたと一緒ですね。あはははは。いえ、良いんですよ。
 母に私の命を授けてくれたのですから。あなたのお陰で私は生まれたのですから。
 私は決して若気の至りの子ではなく、きちんと使命があって生まれました。
 その彼にしても、私に最高の娘を授けてくれた訳ですから良かったんですよ。
 私と娘のその後を心配してくれて会いに来てくれたし。
 親子二代で同じ経験した訳ですね。
 いえ、お父さんが私と母に会いに来なかった事をどうこう言うつもりはありませんよ。
 仕方なかったのだから。
 
 ただ、私は母のように娘を育てないで済んだのですから、幸運でした。
 母も協力してくれましたし、思いがけないくらい良い子に育ってくれました。
 名前?祝う子って書いて、ときこと言います。祝子も今はお母さんです。
 坂戸に大きな家を建てて、家族で仲良く暮らしていますよ。
 成人式も、結婚式も、坂戸で行ないました。
 カメラマンは実の父親である彼が務めてくれたんですよ。良いお式になりました。
 旦那さんも優しくて穏やかでしっかりしていて、安心して祝子を任せられる人なんです。
 祝子の青い鳥も坂戸にいたみたいで、本当に良かったです。
 仕事?はい、旦那さんと一緒にイタリアンレストランを経営しています。
 自分の店を持つって夢を叶えたんですよ。凄いでしょう?
 一階部分が店舗で、二階と三階が住居になっています。旦那さん本人と、親御さんが七百万円ずつ出してくれて、祝子自身も三百万円くらい貯めていたし、私にも一千万円の貯金があったので、開業資金に使ってもらいました。まだ祝子の為に出来る事があって良かったです。
 坂戸が好きなんでしょうね。祖母の代から暮らしているし、愛着もあるんでしょう。
 
 そうそう、この家に関して凄いサプライズがあったんですよ。
 完成した時に、祝子と旦那さんが見に来てくれって誘ってくれて、ウキウキと行ったんです。
 駅から近いし、陽当たりは良いし、立地も良いし、店も明るくて綺麗だし、二階にあるリビングも広いし、水回りも清潔だし、収納も豊富だし、広い庭まであるし、動線もよく考えて設計してあるし、三階にある部屋数も多いし、なかなか好物件だと感心していたら、三階の東南角部屋の可愛らしい洋室に来た時に、旦那さんがこう言ったんです。
「この部屋、誰の部屋だと思います?」
「さあ、孫たちの誰かの部屋でしょう?」
 って答えた所、
「ここは、お義母さんの部屋です。ここで僕たちと暮らして下さい」
 って言ってくれたんです。
「本当に良いの?」
 って聞いたら
「勿論」
 って、笑顔爛漫で頷いてくれて、あんまり幸せで涙ぐみましたよ。
 後で祝子に聞いたら
「設計の段階でお義母さんの部屋も作ろう。一千万円も出してくれたんだから、勿論同居して貰うんだよって、パパが自分から言ってくれた」
 って、祝子も涙ぐみながら話してくれたんです。
 長年暮らしたアパートが、もう築年数いき過ぎてボロボロで、とても住めない状態で困っていた所だったので、本当に助かりました。
 今どき同居してくれるなんて、こんな有難いお婿さん、滅多にいませんよ。
 誰も嫌な顔ひとつせずに私と仲良く暮らしてくれました。
 みんなが私を大事にしてくれました。
 だから私も、家事や育児や店の手伝いを精一杯したんです。
 あの大きな家で暮らせた日々は、私の人生でいちばん幸せな、最高の時間になりました。
 
 孫?三つ子の女の子です。可愛い子たちですよ。今年二十四歳です。
 孫たちの成人式の時も彼がカメラマンを務めてくれました。彼にも感謝するばかりです。
 色々な人のお陰で、本当に良い子たちに育ちました。
 名前?はい、それが凄いんですよ。
 長女が美砂栄(みさえ)、砂の数ほどの美しさと幸運を持ち、栄える人生って、願いがこもっています。
 次女が知寿栄(ちずえ)、知識と寿、つまり幸福に満たされながら栄える人生って、願いがこめられています。
 三女が留里栄(るりえ)、里、つまり家族に恵まれ、その幸せを留めながら栄える人生って、願いがあります。
 お父さんお気づきでしょうか?私の美知留って名前を一文字ずつ孫の名前に付けてくれたんです。そして母の名前である栄子の栄でおさめることによって、家族全員の愛情を限りなく注ぐって決意を表しているんです。
 母も私に美知留って付ける時に、孫の事まで考えなかったでしょうけど。
 ただもしかして、青い鳥を見つけて幸せになって欲しいって願いがこもっていたのかも知れないし、名前がその子の人生に与える影響は全体の一パーセントと言いますから、一パーセントもあるなら良い名前を付けたいと思ってくれたのかも知れませね。美知留って名前は、母から私への最高のプレゼントでした。
 
 そうそう、祝子は旦那さんの福光(ふくみつ)姓を名乗っています。夫婦別姓にこだわる人もいるけれど、祝子は自分も子どもたちも福光を名乗る事で、家族がひとつになる事を願ったんです。良い子でしょう?
 あなたの孫は、初恋を貫いたんですよ。健気でしょう?
 母が貫けなかったお父さんへの初恋を、孫である祝子が代わりに貫いたんです。
 
 もうひとつ、お店の名前がブルーバードって言います。店先に青い鳥のオブジェが飾ってありますし、店内の壁紙にも、テーブルクロスにも、食器にも青い鳥があしらわれているし、常連さんも多いし、結婚パーティーで使われる事もあるし、雑誌に載った事もあるし、なかなか繁盛しています。夫婦で本当に頑張っているんですよ。凄いでしょう?立派でしょう?
 お店に何回か、私が昔とてもお世話になった江里子ママという人が、お客さんとして娘さんと一緒に来てくれました。江里子ママは、バブル経済の崩壊で自分の店が閉店になった後、第二の人生として、少年院で配膳の仕事をしながら、非行に走った若者の立ち直りを支援する活動をしていたんです。祝子が私の娘と知って、目をかけてよく面倒を見てくれました。出所後も何かと気を配って、応援してくれました。祝子も江里子ママに懐いて、第二のお母さんって呼んでいたんですよ。勿論、第一の母は私ですけどね。江里子ママの娘さんは、江里子ママと一緒に少年院で働きながら、会えなかった十年以上の時間を埋めるように親子で寄り添って生きていました。まるで私と栄子お母さんのように。
 ブルーバードには、私と祝子の恩師である小学校の教頭先生も、中学校の校長先生もよく家族連れで来てくれました。私も祝子も、色々な人のお陰で本当に良い人生を送れたんです。
 
 美砂栄は中学校の先生になりました。何と美術担当で、しかも私と祝子の母校で働いています。本人も絵が好きで、コンクールで入賞した事もあるんですよ。凄いでしょう?
 知寿栄は小学校の先生です。知寿栄も私と祝子の母校で働いていて、家庭に問題がある児童の面倒をよく見ています。運動会のたびにお弁当を作ってあげて、他の子に苛められたりしないよう、教室で一緒に「笑顔で」食べているんですよ。優しいでしょう?
 留里栄は市役所勤務です。婚姻届けや出生届を受け付ける係員をしていて、届けに来てくれた人に、おめでとうございますって言うのが楽しみだそうです。素敵でしょう?
 本当に良い子たちでしょう?三人とも大学を卒業して、堅実な道を選んでくれて、感謝しています。
 祝子が忙しいながらも一生懸命育ててくれて、母と私が二代続けてしまった水商売の連鎖を断ち切ってくれたんです。三人同時に愛情を注ぎ、三人同時に勉強を教え、店もあるし、家事もあるし、なかなか大変そうでしたけど、本当に頑張ってくれました。こんな良い娘が他にいますか?

 

 祝子は小さい頃に甘え足りなかったのか、十九歳まで私の膝に乗るような子でしたが、成人式を迎えてからはそういう事はしなくなって、色々な事をしっかりとこなしていくようになってくれました。
 結婚を決めてからも、旦那さんは勿論、あちらのご両親も大事にして、こんな良いお嫁さんはいないって可愛がってもらっていましたよ。

 誰ひとりとして、祝子が昔、事件を起こした事をとやかく言う人はいませんでした。周りのみんなが祝子を支援し、応援し、擁護してくれたんです。祝子も奇跡のような人生でした。

 

 毎年私の誕生日には、旦那さんと一緒に大きなホールケーキを手作りしてくれて、「たいせつなお母さん」ってチョコレートプレートに書いてくれたり、私が老衰して動けなくなり、老人ホームに入ってからもよく面会に来てくれて、
「何度生まれ変わっても必ずお母さんを母親に選ぶ」
 と言ってくれた事もありました。
 本当に心が温かくなる、幸せな思い出をたくさん作ってくれたんです。誕生日だけでなく、クリスマスも雛祭りもバレンタインも、必ず手作りのケーキを作ってくれました。私、行事ごとが昔は嫌いでしたが、祝子のお陰で大好きになれました。
 祝子がまだ私のお腹にいた頃、女の子という事が分かった際に母が
「良かったね、三人分、雛祭りだ」
 と言っていたのですが、三人どころか、五人分も雛祭りになりました。
 
 祝子は保育園の卒園式で
「私は大きくなったら、お母さんを助ける人になります」
 と宣言してくれたのですが、それを実行してくれたんです。
 また、私の友達の結婚式で
「私もお母さんを支えるからね」 
 と言ってくれた事もありました。
 晩年、家事や育児、店の手伝いを出来なくなった私を、それでも
「親なんだから、重くても何でも支える。支えてなんぼだ」
 と言ってくれた事もありました。
 宣言通り何度も支えてくれ、たくさんの気付きを与えてくれ、先生のように学ばせてくれ、溢れるほどの幸せをもたらしてくれました。
「お話しよう」
 そう言って、何度も私と会話をしてくれました。私は母とはあまり会話がなく育ったのですが、娘とは本当にたくさん会話が出来ました。
 人と会話がしたいという幼い頃からの願いを、誰よりも祝子が叶えてくれたんです。
「私、お母さんに育てられて良かった」
 とも、私がこちらに来る寸前に
「ママ、逝かないで」
 とも、言ってくれました。
 そうそう、私の最期の言葉は
「ときこ、うまれてくれて、ありがとう。みさえ、ちずえ、るりえ、うんでくれて、もっと、ありがとう」
 になりました。息が苦しくてやっと言いました。
 それで息を引き取ってこちらに来ましたよ。
 
 私は高校は中退したし、馬鹿な事もしましたが、それでも本当に学びの多い、かけがえのない、有り難くて尊い九十三年の人生を送れました。しわくちゃのお婆さんになっても、それでも晩年の方が幸せでした。若さや美しさを失えば失うほど、老いれば老いるほど幸せだと実感していました。
 
 生まれ変わっても、また自分になりたいです。
 生まれ変わっても、また母と祝子と家族になりたいです。
 その時はお父さんも是非一緒に、家族になりましょう。

 

 …現世でどんな事があったか、もっとお話ししましょうか?
 そうですね、時間はたくさんありそうですし…。

 

 お父さん、
 あのね…。