詩「ベッドに眠る胎児」

 

 私があなたに宛てる最後のラブレターです。

 

 電車の中から、

 あなたの住むマンションが見えた。

 いつものように、ふたつの明かりが見えた。

 ただじっと見ている私。

 なすすべもなく、

 ただ黙って見ている孤独な私。

 

 私はもう二度と

 あの部屋に招かれる事はない。

 もう二度とあの窓の中に、あの明かりに、

 あなたと奥さんと、可愛い子どもたちの笑顔に包まれる事はない。

 こんなふうに、電車から明かりを見る事はあっても。

 

 山手線に乗り、

 反対方向へ向かう山手線を見る。

 思わずあなたの姿を探してしまう。

 携帯電話を手にした人がいる。

 新聞を読むサラリーマンがいる。

 疲れ果てて眠る人がいる。

 あなたがいない。

 やがて電車は

 それぞれ進むべき方向へと動き出した。

 本当はあなたが乗っていたかも知れない。

 私はこちら側に乗っていた。

 けれどふたつの電車は

 別の方向へと動き出して行った。

 

 とても楽しかったような気もする。

 たまらなくさびしかったような気もする。

 

 あなたと待ち合わせに使った喫茶店に入る。

 階段を、何故か急いで駆け上がる。

 そして私は見てしまった。

 あなたと私が向き合っていたテーブルには、

 見知らぬ誰かがいたのを。

 だから黙って店を出た。

 

 駅までの道を、

 なるべくゆっくりぶらぶら歩いた。

 涙がこぼれないよう、

 なるべくゆっくりぶらぶら歩いた。

 

 駅から歩いて10分。

 小さな坂を降りると、

 私のアパートが見える。

 初めて来た時、

 あなたはお菓子の家みたいだねと言った。

 そう、私のお気に入りの部屋、

 お菓子の家が見える。

 窓に明かりがともっていれば、

 嬉しくなって走って帰る。

 ついていなければ落胆して

 ついつい歩調がゆるむ。

 いつもこの繰り返し。

 

 もう二度とこの坂から

 明かりを見る事なんて、

 もう二度とないんだ。

 ああ、また歩調がゆるんでしまう。

 これからは

 明かりをつけたまま外出しようかな。

 

 どうしてあなたに恋したんだろう

 と言う気もする。

 どうしてもあなたでなければいけなかった

 という気もする。

 

 熱が出た。

 ひどい熱が出た。

 道理で食欲がないと思った。

 君の食が良い所が好きだよ。

 そんな言葉を思い出す。

 あの時は確か

 二人でピザを食べている時だった。

 だからピザを取る事にした。

 電話をかけようとして、また思い出す。

 君のきれいな言葉づかいがとても好きだよ。

 

 …電話を切った後、 

 私、ひとりで自己満足に浸ってしまう。

 ああ、私の言葉づかいって完璧。

 だけどピザ屋に向かってあんな丁寧な

 注文の仕方する人なんているのかな。

 

 ふらふらしながら病院へ行く。

 お医者さんは優しかった。

 適切な処置をし、適切な薬を出し、

 お大事にとまで言ってくれた。

 何も言わず、病院を後にする。

 

 そんなに優しくしないで。

 泣いちゃうかも知れないから。

 あなたに抱きついて、

 ついつい惚れちゃうかも知れないから。

 

 お粥を作って食べる。

 極端に食欲が衰えているのか、

 高熱のために加減をまちがえたのか、

 食べきれずにラップをかける。

 薬を飲み、汗だくになって眠る。

 あれはきっと二人分のお粥だったんだ。

 そう思いながら。

 

 喉が乾いて目を覚ます。

 冷蔵庫に冷やしてあった

 どくだみ茶を飲みながらふと思う。

 飲み始めた頃はよく吹き出物ができたなと。

 今はもう免疫ができたらしく、

 何もできない。

 残りのお粥を食べながら、

 思わずにっこりとする。

 このどくだみ茶を飲んで、

 鼻の頭に吹き出物をこしらえた

 誰かさんを思って。

 

 幸せだったような気もする。

 たまらなく不幸だった気もする。

 

 あまりによく眠ったため、

 今度は眠れなくなってしまった。

 だから窓に寄り添い、じっと空を見ていた。

 何もせず、ただじっと見ていた。

 

 明け方の空はたまらなく美しい。

 きっとどんな手腕をもちいたところで

 こんな色は出せまい。

 神々の、自然のなせるわざと言えよう。

 ただ残念な事にその美しさは長く続かない。

 時間と共に、

 薄い水色に変化していってしまう。

 その様子は

 人の気持ちの移り変わりに似ている。

 恋の始まりと終わりに、

 とてもよく似ている。

 

 再びベッドに入る。

 胎児のように身を縮めてみる。

 胎児も泣く事があるのだろうか。

 胎児もさびしいと思う事があるのだろうか。 

 

 声を出さずに泣いた。

 声を出さずに泣くだけ泣いた。

 明日からは、背筋を伸ばして歩こう。

 明日からは、生き生きと笑おう。

 だから今日だけは。

 今日だけは…。

 

 最初から、望みの薄い恋だったと思う。

 叶わぬ思いを抱いた

 つらい日々だったと思う。

 何て悲しい恋の終わりだろうと

 胸の隋まで痛くなる。

 

 私はあなたが好きでした。