小説「箱の中のリトルガールズ」

プロローグ

 

「あんたは小さいうちに、死んだものと思っているからね」

 女は冷たく言い放ち、幼女に背を向けた。

 幼女の眉が曇る。

 台所に立つ母親の後ろ姿を、ただ茫然と見ている。

 水の音だけが響いていた。

 

「早くご飯、食べなさいよ」

 目の前に食器を乱暴に置かれた幼女は、心の中でこう思った。

 死んだものと思っている自分に、何故ご飯を食べろと言うのだろう。

 母親の顔をちらちら窺い見ながら、何の味もしない食事をそれでも口に運ぶ。

 

「早くお風呂、入りなさいよ」

 幼女は衣服を脱ぎながら、また思った。

 死んだ自分に、何故風呂へ入れというのだろう。

 救いを求めて母親の顔を見たが、女は知らん顔だった。

 

「早く寝なさいよ」

 寝室に追いやられながら、幼女は母親の手を握って左右に振った。

 自分に関心を持って欲しい一心で、振り続けた。

「おかあさん。ねえ、おかあさん」

 震える声で母を呼ぶ。

 その手はすぐさま振り払われた。

「あんた悪い子だから、あたし相手にしない」

 顔色を見ようとした瞬間、冷たい背中を向けられる。

 

 パジャマ姿のまま追いかけてくる娘に、女はくるりと向き直った。

 そして娘の目線までかがみながら、念を押す。

「あんたは小さいうちに死んだものと思っているからね。病気かなんかで」

 

 その言葉は、幼女の潜在意識の奥へ、ゆっくりと沈み込んでいった。

 

 凍りつくような空気の中で、幼女はこう悟る。

 

 ああ

 わたし

 死ななきゃ

 いけないんだ

 

 

 

 

 

     ★

 

 

 

 

 その高校には三日しか登校せず、早々に退学届けを叩きつけてやった。アタシの人生にこんな学校、必要ないと思ったからね!

 …といえばもっともらしく聞こえるが、実際はイジメが始まりそうで、恐ろしくて耐えられなかったんだ。同じ一年生は勿論、上級生までアタシを凄い目で睨んでいる。

 そりゃそうだ。登校初日からバッチリ化粧をキメ、まっ茶髪に染めた髪に逆毛を立て、花まで飾り、制服をアタシ流にアレンジして行ったんだから。目立つに決まっているよ、んなもん。

 早速校長室に呼ばれて説教をくらった。

「君はこの学校で何を学びたいのかな?」

だと。あほか!気にいらなきゃ首切れよ、バーカ!

 二日目の朝は二年生の女に怒鳴られた。

「何でお前だけ違う靴履いてんだよ!何でだよ!!」

 いーじゃん、アタシの勝手じゃん。制服にヒール履いちまって、わりーかよ!

 三日目は三日目で、アタシの姿を見た途端に一年生の女どもが走って逃げやがった。

 三年生は聞こえよがしに言った。

「わあ、凄いのが来た」

 あーあー、居心地わりーよ!!ってか、居場所ねーよ!

 もう翌日からは行かなかった。学校なんて嫌いだ。昔から大嫌いだ。働きてーよ。働いて金貯めてこの家出てーよ、こんな家!

 で、喫茶店のウエイトレスに応募して、その日から雇ってもらった。嬉しかったね。立ち仕事は確かにきついけど、金の為だもん。そりゃー我慢しまっせ。学校よりずっといい。

 

 アタシは中学二年生の時から、地元じゃ有名な「サセコ」だった。人の目や、自分の将来なんてものはどうでも良かった。

 もっと自分をたいせつに?なあに、それ。アタシはこんな心も体も人生も、ちーっともたいせつでも何でもないよ!

 オヤジはアタシを見るたびに、苦虫をつぶしたような顔で頭をむしり、オフクロはただヒステリックにわめき散らしていた。アネキはアタシとまったく目を合わさず、そこいら中で自分に妹などいないと言い張っていた。

 電話も取り次いでもらえず、手紙も日記も盗み読みされる、暴力と放置に満ちた極端過ぎる毎日は地獄だったよ。

 学校にも家にも居場所はなく、行く当てもなければ理解者もいない、世界一孤独な状態がもう何年も続いていたさ。涙も枯れ果てていたし、奴らの前で泣くのは悔しく、意思表示をしない化石に変わる以外に何をすればいいのか分からなかったね。誰に何を言っても無駄だったし、その気力もなくなっていた。奪われちまったさ。…って、誰に奪われたんだろうねえ。

 特に中学時代なんて、何すりゃいいか分かんなくて、途方に暮れちまったよ。アルバイトさえできないしね。中学生を雇ってくれる所なんてありゃしないよ!

 勉強もできなかったし、体育もダメ。音楽や絵画にも興味ないし、仲間はいたけど、カレシはいるような、いないような、自分だけが宙にポンと浮いているような感じ。有り余るエネルギーをどう使っていいか分からず、近付く男は手当り次第に喰いまくってやった。

 男と抱き合っている、その瞬間は満たされた。もしかしてこの人ったら、アタシを愛してくれるかな、と期待した。しかし合わさっていた体が離れた途端に心も離れ、アタシはもっとさびしくなった。

 アタシはろくでもない男ばかりが自分に寄って来ることに辟易しながら、そいつらを突き放したり、傷つけられたり、そしてまた性懲りもなく新たなる男を見付けては、どうにかこの心の痛みを癒やそうとしたが、癒してくれる男なんてもんはいなかった。

 バイトも長続きせず、あちこちの喫茶店やらスナックやらで、ちょこまかバイトしては何かしら面白くない事があって辞める。で、またすぐ次のバイトなり男なりを探すって訳。これの繰り返し。

 将来どうすんの?なんて聞かないでよ。アタシには将来なんてありゃしないんだからさ。いつ死んでもいいんだから!

 

 アタシ、沖本マリ、十六才。

 キャンディーズピンクレディーも解散し、山口百恵が引退して間もない昭和五十年代、見えない明日にもがき苦しむ自殺志願生だった。

 

 それは嬉しくないサプライズだったぜ。真夜中、未成年の分際で大酔っ払いをかましながら、よろよろと家に帰ったアタシは、突然何者かの襲撃を受けたのだった。

 真っ暗な家の中に入った瞬間、確かに異様な雰囲気を感じ取った。

 誰かいる。そう思った次の瞬間、アタシは胸ぐらをつかまれ足をすくわれた。ひっくり返ってドアに頭を打ち付け、なおかつ腹を蹴りあげられる。

 何だ、こいつら。すぐさま応戦するものの、敵は図体のでかい男三人だった。闇の中、見知らぬ男どもを相手に大トラ状態のアタシは死闘を繰り広げる。だが相手は手加減をしない。アタシはたちまち引き倒され、めちゃくちゃに殴打され、あっと言う間に失神した。

 薄れゆく意識の中で、オフクロの声が聞こえた。

「ではお願いします」

 

 意識が戻ったのは車の中だった。

 ロープでぐるぐる巻きにされたアタシは後方座席の更に後ろ、荷物置き部分に転がされ、身動きできない状態だった。アタシャ、荷物じゃねーっつーの!!

「おう、こいつ起きたぞ」

 アタシの前に座っていた男が、前にいる二人に声をかける。

「何なんだ、てめぇらあっ」

 とりあえず叫んだ。無理もない。本当に何なんだろうと思ったのだから。次の言葉は出る間もなかった。アタシは顔面に受けたパンチによって、再び気絶しちまうのだった。

 

 ひどい悪臭の漂う、不気味極まる部屋に投げ込まれた。

 ガチャリ。ドアが無情に閉められる。

 真っ暗で何も見えない。ハンパじゃないアンモニアの臭いが鼻をつく。ようやくロープをほどかれたアタシは、半分気絶したまま汚い板の上をごろごろ転がる。何が何だかさっぱり理解できない。ここがどこで、今が何時で、あいつらが誰なのかも。

 たったひとつ分かるのは「自分がまだ生きている」って事だけだ。

 闇に目が慣れ、ぼんやりと見えてきた。

 そこは一面、素人が建てたと思われるプレハブの小屋だった。床も壁も天井も、すべて薄手の板で出来ている。しかしブチ壊せる程の薄さではない。

 壁一面に、何とも気味の悪い絵が描かれている。座禅を組む大仏の絵だ。部屋の隅に大きなアルミ缶が置かれてある。そこに大小便がされているらしく、ひどいアンモニア臭はそこから漂っていた。ああ、吐きそうだ。何でこんな目に遭うんだ。

 アタシは痛む全身をさすりつつ、朝まで固い板の上に転がったまま一睡もできなかった。

 

 ドアが開き、朝日が差し込んだ。二人の男のシルエットが浮かんでいる。闇に慣れたアタシの目にはイテーほど眩しいぜ。アタシは三角座りをしたまま、男どもをジロリと睨みあげる。

「どうだ、反省室で一晩過ごした気分は」

 このヒデー部屋、反省室ってーのか。アタシは黙っていた。一言も口を利きたくなかったぜ。

「来な」

 アタシは男どもに両側からしっかりとふんづかまえられ、その部屋を後にする。アンモニアの悪臭には、最後まで慣れる事はできなかった。

 

 その後、そいつらにメッタ打ちにされた可哀想なアタシは、腫れ上がった顔を押えつつ、またどこぞの部屋にブチ込まれていた。

 ガチャリ。また乱暴にドアが閉められる。

 

「大丈夫?」

 誰かの声がする。女の子の声だ。それだけは認識できたが、返事をする気力がない。

「新入園者?」

 別の声がそう言った。誰だろう。そして、シンニュウエンシャって何の事だろう。

 アタシはとりあえず声の主を確認すべく目を開け、自分の周囲を幾人もの少女がとり囲んで心配そうに見入っているのに驚いた。ざっと見て十五人は居る。

 だが全身痛んでたまらず、何か言う気力も体力も何もなくまた目を閉じる。ただ寝ているのがこんなに気持ちの良い事とは初めて知ったぜ。

 ああ何て事だ。さっぱり訳がわからん。昨日から殴られっぱなしだった。一体ぜんたいどういう事なんだ。しかし何となくではあるが、この少女たちだけは自分に危害を加えないだろうという不思議な安堵感があった。

 疲れ果てたアタシは静かに眠り落ちていった。

 

 随分よく眠ったような気がする。

 いつの間にか二段ベッドの下部分で眠っていたアタシは、ひとりの少女に起こされて目覚めた。彼女に続いて次から次へと少女たちが集まって来る。最初にアタシを起こした少女が明るく言った。

「うちチカコって言うん。行っとりゃ高二なんやけど中退しとうたい。名前何て言うと?」

 あまり答えたくはなかったが、無視する訳にもいかず短く答える。

「マリ、行ってりゃ高一だけど中退してる」

 少女たちが一斉に歓声をあげた。

「うわあ、良かった。喋るるやなか」

 …って事は、みんなアタシが喋れないって思ってた訳?

 別の少女が興味津々って顔で聞いてくる。

「どこから来たん?」

「千葉」

と答えると

「フサエは広島からじゃよ」

だって。自分を名前で呼ぶとは幼いねって思ったら、その子なんと十三歳だって、へー。

 チカコが言う。

「うちは長崎から来たと。みんな全国から来とうばい」

 もっとへー、だった。二十畳くらいの室内には所狭しと二段ベッドが並び、様々な年代の女たちがそこからも物珍しそうにアタシを見ている。何なの?その視線は。

 もう一度集まってきた少女たちを見る。彼女らは一様に髪を短く刈られ、ジャージの上下をまとっている。年頃の娘がまさか自分の意志でそんな格好をする筈がない。

 アタシは青ざめてきた。ようやく訳が分かってきたのだ。自分が更生施設に叩き込まれたらしいって事を。

「ここ、どこ?」

 アタシの質問に、チカコが答える。

光の園

 光の園…?ゾッとした。耳を疑うとはこの事だ。その名前をアタシは知っていたのだ。

 当時、世間を騒がせた事件のひとつに「戸沢学園事件」というのがあった。

 それは学園とは名ばかりで、実態は親に見放された不良どもがブチ込まれる更生施設の代表格であり、内部では度を越したスパルタ教育が連日行われ、死者を何人も出した事でマスコミが大騒ぎして有名になったのだ。

 校長こと戸沢明という男は逮捕されたものの、施設そのものは存続している。アタシら不良仲間の間でも、少年院より恐ろしい場所としてしばしば話題になる程だった。

 その戸沢学園に迫る勢いで収容者を増やしていたのが光の園だった。

 ただし光の園は、戸沢学園と大きく異なる点がある。

 戸沢が非行少年少女の更正を目的として造られたのに対し、光の園はもともと「精神病者の社会復帰」を目指して立ち上げられた施設だった。それがいつしか不良息子や不良娘に悩む親たちの駆け込み寺と化し、新聞や雑誌にも取り上げられるようになっていったのだ。第二の戸沢学園、という見出しの元にデカデカと載っていたその記事を、アタシも目にしたことがある。

 場所は静岡県。千葉の自宅から、随分と遠い所まで来ちまった。

 内容は寺。つまり宗教団体であり、監禁されている者(百人くらい)以外は僧侶だった。

 お上人(おしょうにん)さんと呼ばれる代表者が取り仕切っており、その妻(奥さんと呼ばれていた)が実質的なナンバーツー、ナンバースリーが本祥(ほんしょう)さんという四十歳くらいのおっさん、男性僧侶(坊さんと呼ばれていた)が二十人くらい。女性僧侶(尼さんと呼ばれていた)がだいたい十五人くらい。坊さん、尼さんの中でも「幹部」とか色々いるらしい。よく分かんねーよ。

 と言っても得度(光の園ではこのような言い方をした。このずっと後に、ある新興宗教団体が毒ガスを撒き散らすという大事件があり、出家という言葉が定着した)している者のほぼすべてが、最初はアタシと同じように、親なり亭主(これ悲惨だね!)なり親戚なりに無理矢理叩き込まれた「精神病者」あるいは「ワル」で、ここで生活していく内に病気が治ったり、自己の悪に目覚めたりして、坊さんや尼さんになったとの事だ。

 少女たちはよっぽど暇らしい。聞きもしないのに、ペラペラとよく喋ってくれた。こっちはただ聞くしかない。そして驚くしかない。

 みんな本当に全国津々浦々から集まって来ていた。ん?正確には集められていた。北は北海道、南は沖縄から、全国どこにでも光の園は「お迎え」に行くらしい。

 ただアタシの関心はそんな事より何より、いつになったら出られるのか?という一点に集中していた。しかしそれは

「当分は無理」

という一言で、素気無く振られる事となる。

 なんちゅうこった!親は遂にあたしを捨てた訳だ。ごみじゃあるまいし。うんざりしながら室内を見回す。…と、そこでアタシは実際に鳥肌を立てる事になった。

 壁と「会話」を交わし続けるばーさん。

 頭から毛布をかぶり、ただ一点を見つめ、時折独り言をつぶやく若いんだかなんだかよく分かんねー女(後から知った事だが、発狂してしまった人というのは、その時点で年令が止まってしまう為、いつまでも老けないという事だ。つまり年令不祥な顔立ちをした者が多い)。

 ベッドの上に腰掛け、おかしくもないのに大口を開け、声を出さずに笑い続ける女。その口からは絶え間なく涎が流れ続けている。

 その横には顔にまったく表情のない女が、ただ立ちすくんでいる。

 彼女らが「精神異常者」である事は、無知なアタシにさえ一目瞭然だった。震え上がったよ。アタシャそういった人を間近で見た事が一度もなかったのだから。本当に眩暈がする程に怖かった。少女らはともかく、この異常な女どもと同じ部屋でずっと過ごす事になるなんて、冗談じゃないよ、心底ぞっとするぜ。同室にいて、どう気をつけりゃいいのさ!

 彼女らに襲われぬよう(これも後から知った事だが、彼女らは基本的におとなしく、幻聴を聞いて誤解して暴れるとか、何か刺激をしない限り、勝手に襲い掛かってくる事はなかった)気を払いながら窓を見る。そこには青い鉄格子が何本もはめこまれている。鉄格子の隙間から見える部屋をさしてチカコに訪ねた。

「あの部屋は?」

 チカコは一旦そこに目をやってから答えた。

奥の院

「じゃあここは?」

奥の院の奥」

 つまり女子は女子で監禁されているが、まだマシなのは奥の院、どうしようもないのはその奥、という訳だ。何だ、そりゃ。

 まだ信じられず、悪夢を見ているような気分だった。自分がそんな所にブチ込まれちまったなんて、ああ何て事だ、どうすりゃいいのさ。

 ガチャリ。部屋の鍵を開ける音がする。

「おう」

と言う声と共に、三人の男が入って来た。アタシを家まで迎えに来て、散々殴ってくれた男が二人いる。ひとりはバリカンを手にしている。

 何だ、こいつら。アタシは身構えたが、男らはずんずん近付いて来る。

「あっ」とも何とも叫ぶ暇はなかった。

 …数分後、奴らによって長かった髪を、ほとんど坊主頭に近い状態に刈り込まれたアタシは、己の頭を何度も触りながら、ただただ泣き崩れていた。

「長い髪は悪霊に引っ張られて、発狂する可能性が高いので切らなくてはならない」

という、狂っているとしか思えない理由の元に。あーあ。

 

 食欲などまるでない。第一ここの食事は、臭くて臭くて食えたものではなかった。よく刑務所の食事を「臭いメシ」というが、ここのメシがまさにそれだった。どう離れてもクッセーの、クッセーの!人間の食うものとは思えねーよ!

 アタシは吐き気を堪えつつひと口だけ飲み込み、後は残した。アタシの残したものを、みんなが分けて食っている。嬉しそうに、こんなものよく食えるな。しかもアタシの食いかけだぜ。しかしみんな食う以外に楽しみはないらしく、よく食っていた。人の食べカスさえも

「頂戴、頂戴」

と叫んで、まあ喜んで食う事、食う事。ひと粒のご飯も残しやしない。

 アタシは自分にあてがわれた粗末なベッドに横たわり、ひたすら眠り続けた。眠っている間だけは何も考えなくて済んだからさ。

 だが目覚めるたびに、一瞬ここがどこか分からず、ああ夢でなく本当に監禁されているんだと思い知らされ、何ともやりきれないさびしい気持ちになったよ。

 朝なんて来なきゃいいんだ。また不愉快な一日のスタートだぜ。もう生きたかねーよ。監禁されるくらいならいっそ死んじまいたいよ。  

 まったく食わない、動かない。この部屋に鏡はないが、自分が日に日に痩せ落ちていくのが、手に取るように分かる。これじゃまるで寝たきり老人だよ!

「マリちゃん、寝てばーいるとほんまに病気になっちゃうよ」

 マユミもタカエも心配そうに言ってくれるが、どうしようもなかった。アタシは布団をかぶり、つらいやら、悔しいやら、さびしいやら、なんやらで泣いた。

 しかし泣いてばかりいるのはアタシだけではなかった。チカコ、タカエ、マユミ、アキコ、フサエ、ケイコ、ナオヨ、ミナコ、ノリコ、アサコ、ミカ、カズミ、クミコ、ミツエ、みんなよく泣いてた。

「シャバに出たい」

 そう、ここから外は娑婆(シャバ)だった。

「家に帰りたい」

 どうにも出来ない少女たちが、悔しさ余って地団駄を踏む。周囲は、慰める事も励ます事も出来ない。

「ここから出たい」

 それは全員の思いだったのだから。

 

 光の園では一日に七回、お経をあげる。

 朝五時に起床してまず一回、そして例の「臭い朝飯」を食ってからまた一回、「臭い昼飯」の前に一回、食い終わって後片付けをしてからまた一回、三時にまた一回、臭い(くどいようだが本当に臭いのだ)夕メシの前に一回、八時の消灯前、とどめを刺すかのようにもう一回(いっそとどめを刺してくれ)。

 そして毎週日曜日に、光の園に入っている者がひとり残らず「本道(ほんどう)」という場所に集まり、盛大に「お祭り」を行うのだった。お祭りったって、楽しいお祭りじゃないよ。みんなで延々お経をあげるだけだ。

 この時に入園者の家族が、遠路はるばるやって来て参加する事もあり、面会はこの時に限られている。入園して一ケ月間は面会が禁じられている。その面会時間も二十分と短く、たいていの者はただ泣くだけで終わっちまう。話にも何もなりゃしない。ただ会うだけだ。

 アタシのオヤジとオフクロは一向に現れる気配はなかった。アキコの親もマユミの親も頻繁に手紙をよこして来るが、アタシには葉書一枚来なかった。

 仲間のキミコの両親と、二人の弟が面会に来た時の事だ。キミコは普段すこぶる元気な娘で、みんながシャバ恋しさに泣いている時でも泣かなかった。自分はもう一度あんな家に戻るくらいなら、死んだ方がマシだと言い張り、母親の再婚相手を包丁で刺した事もあると勇ましく言っていた。心から憎悪し、憤慨した顔でそう断言していた。

 入園して二回目のお祭りの最中の事、全員がお経を唱えている中、アタシはキミコが声を殺して泣いているのを見た。悲しくて、悲しくて、堪えきれないといった様子で、何だろうと心配になる。

 そしてお祭りが終わった直後、キミコは家族に駆け寄り、しがみついて号泣していた。見ているアタシらは誰も何も言わなかった。責めもせず、なじりもせず、ただじっと見ていた。言葉などいらなかった。キミコの気持ちが分かるから、自分もきっとそうするだろうから。

 また別の時、病人さん(精神病者の事をこのように呼んだ)のひとりであるチヨミちゃんに、父親から箱詰のお菓子が届いた。

 チヨミちゃんはかなり重度の精神分裂病(当時はこのような言い方をした。今は統合失調症と病名が変更されている)であり、時々幻聴を聞いて暴れ出したりする為、みんなに敬遠されている。敬遠というより、アタシら不良少女は、その時点でまだ精神病者を特別視していたような気がする。何となく自分らとは別世界の人のような、そんな目で見ていた。

 尼さんのひとりから、その箱詰の菓子を受け取ったチヨミちゃんは、同室の人々全員に菓子を配って回った(この時チヨミちゃんが、アタシの目をきちんと見た上「マリちゃん」と、名前を呼んでくれた事が今も忘れられない)。自分のしもの始末すらできないチヨミちゃんに、そんな気配りが出来る事にも驚いたが、みんなに菓子を分けた後、床に座り込み(椅子などなかったからね)声を出さずに泣いている姿にはもっと驚いた。

「やだ、チヨミちゃんが泣いてるっ」

 ヤスエが声をあげた。

 みんなが、呆然とチヨミちゃんを見る。

 そして

 全員が

 同時に泣いた。

 

 俗に世間の人々は、一度発狂した者はもう決して正常には戻らないと思っている。勿論アタシもここに来るまではそう思っていた。しかしそれは間違いである事に、その時はっきり気付いた。

 精神病は治る。チヨミちゃんのその姿が証明していた。

 チヨミちゃん、頑張って。チヨミちゃん、どうか治って。

 アタシは祈るような気持ちで、受け取った菓子をたいせつに食べた。

 

 シャバでいつも、昼過ぎまで眠っていたアタシら不良少女にとって、朝の五時に起床というのはなかなか堪える。消灯は八時なのだから、消灯してからすぐに眠れば寝不足という事はあり得ないのだが、長年の不規則な生活に慣れきっている上、暗い中でべらべらと喋りまくっているアタシたちは、そうそう光の園の思惑通りにいきゃあしないよ。みんながみんな、ぱんぱんに腫れ上がった瞼でむっくりと起き上がる。

 ああまた朝が来やがった。不快極まりない一日のスタートだぜ。すぐに朝のお経。みんな寝癖のついた頭のまま(短髪なりに癖はついた)、経本を片手に部屋の中央にあるちゃぶ台に集まる。

 ガチャリ。尼さんのひとりが鍵を開けて(奥の院から、奥の院の奥に通じるドアには鍵が二つもかかっていた)入って来る。

「おはようございます」

 頭を下げ、読経が始まる。

 般若心経(はんにゃしんぎょう)。

 何を言っているのか、意味しているのか、さっぱり分からない。ただ、昔オフクロがよく唱えていたぜ。何も分かっていないままに、アタシも経を唱える。こんな事をして何になるのだろう。これで非行、あるいは病気が治るものなのか。

 読経が終わると、必ず尼さんの説教が始まる。病人さんにはあまり言わないが、アタシら非行グループにはかなり手厳しい。みんなここに来るまでにどんな事をして来たか、どれだけ人に迷惑をかけ、傷つけ、多くの人を悲しませたか、今反省すべきである。そうすればきっと救われる。少なくとも一年はここで修行しなければならない。仮に親が連れて帰ると言っても、立ち直るまではお上人さんが許可しない。みんなで一緒に頑張るんだ。

 同じ話を毎朝聞かされる。毎朝聞かされていい加減飽きそうなものの、アタシたちは聞くたびに泣いた。とめどなく泣きながら、それぞれの故郷を、家族を、ひたすら思った。

 アタシを含む非行少女たちは、それぞれ不幸な家庭に生まれ育っていた。

 親が離婚しただの、愛人を作っただの、食えないくらい貧乏だったの、うわっつらを撫でたような不幸(これだけでもじゅうぶん深刻だ)ではなかった。

 ただ話を聞くだけでは「ありきたりの不幸」だろうが、当のアタシらには真剣に取り組まなければ、あるいは逃避せざるを得ないほどの課題だった。そしてその課題から、多くの少女が逃げた。ひとりでしょうにはあまりにも重い荷物だった。支えてくれる人は誰もいなく、本来味方である筈の親には突き放され、若いながらも嫌という程の辛酸を舐めさせられていた。

 例えて言うなら…。

 そう、例えて言うならアタシは…。

 

        ★

 

「あんたは小さいうちに死んだものと思っているからねッ!」

 これはあたしが物心ついた時から頻繁に母さんに投げつけられた、言葉の暴力だ。

「マリッ!あんたは小さいうちに死んだものと思っているからねッ!」

 聞くたびに心が凍りついた。ああ、あたし生きていたら悪いんだ。小さなあたしは素直にそう思っちまった。

「あんたは小さいうちに死んだものと思っているからねッ!病気か何かで!」

 一日にニ度言う時は、この「病気かなんかで」がついた。ああ、あたし「病気かなんか」で死ななきゃいけないんだ。じゃあ病気にならなきゃ。聞こえない振りをしながらそう思った。うん、実際聞きたくなかったからね。

「あんたは小さいうちに死んだものと思っているからねッ」

 ああ、今日中に死ななきゃ。明日になったらまた同じ事を言われる。だから、今日中に何とかして死ななきゃ。急がなきゃ。急いで死ななきゃ。もはや他の事は考えられなかった。

「あんたは小さいうちに死んだものと思っているからねッ」

 ああ、また心が殺される。毎日、毎日、生き返っても、生き返っても、また殺されて、また殺されて、またまた殺される。

「お前にはもうサジ投げたよ」

 これは父さんの言葉だ。サジ投げたって何の事だろう。何だかよく分らないけれど、父さんがあたしにこの家にいて欲しくないんだという事だけはよく分った。

「お前は異常だ。お前は異常だ。お前は異常なんだっ!」

 父さんがあたしを指差しながら怒鳴りまくる。

「俺は普通の子どもが欲しかったんだ!お前のような異常な子どもは欲しくなかったんだ!お前が生まれてきたせいで、俺がどんなに迷惑しているか、お前ただの一度でも考えた事があるか!お前のせいで!お前のせいで!」

 頭をむしりながら、父さんがあたしを力いっぱい睨み、言い捨てる。ああ、あたしは父さんの意にそぐわない子どもなんだ。あまりに惨めで、いたたまれなくて、いつも消えちまいたかった。

「生まれてきちゃったものはしょうがないから、一応は育ててやる。お前はそれを有り難く思え、そして俺の言う事を全部聞く良い子でなければならないんだ!分かったかっ!」

 そんな事を言われて、誰が良い子になれるんだろう。この人おかしくないかなあ、不思議でたまらない。立ち上がった父さんが、あたしを指差しながら母さんに向かって怒鳴る。

「子どもはお姉ちゃんだけで良かったんだ!お前がどうしてももうひとり欲しいって言うから生ましてやったのに、何だよ、こんなん…、こんなん…」

 こんなんってあたしの事だよね?生まなきゃ良かったって事だよね?

「ここは俺の家だ!出て行け!」

 父さんが火を噴くように怒鳴る。どこにも行く所なんてないのに、一体どこへ行けばいいんだろう。火がついたように泣き叫ぶ、小さなあたし。かばってくれる人は誰もいなかった。

「死んでくれよ!そんな事するなら死んでくれよ!!」

 感情的になり過ぎ、わめく父さん。滅茶苦茶に殴られながら、ふとこんな考えが頭をよぎる。あたしまだ人間の形をしているかな?もしや壊れてバラバラになっていまいか?

「死んでよう!そんな事するなら死んでよう!」

 ヒステリックになり過ぎ、わめく母さん。滅茶苦茶にあたしを殴る母さんの向こうに見える、薄汚れた天井。あたしの心はまだ壊れていないか?もしや飛び散っていまいか?

 

 いちばん困ったのは「何故、今自分が怒られているのか」内容が分からなかった事だ。父さんは散々殴った後、まるで自分の暴力を正当化するように

「これに懲りてニ度とやるな!」

とよく言っていたけど、痛いばっかりで内容はまるで分からなかった。

 分かったのは、「死んでくれ」というのと、父さんと母さんが「キレている」という事だけで、自分が何をして怒られているのか、これから先どうすればよいのか、その肝心な所がさっぱり分らなかった。父さんも母さんもいつもいつも「気がつくとキレている」人だった。

 

 パンッ!夜の夜中、蚊でも叩くような音が聞こえる。

 パンッ!父さんと母さんの寝室から聞こえる。

 パンッ!パンッ!その音は止まらない。

 パンッ!パンッ!母さんの悲鳴。

 慌てて子ども部屋を飛び出す姉ちゃんとあたし。

 パンッ!パンッ!パンッ!その音は、決して止まらない。それは父さんが、母さんに馬乗りになり、殴っている音だった。

 あまりの光景に、ただ立ちすくみ、ただやめてほしくて、ただ泣き叫ぶ、無力な、小さなあたしたち。

 父さんはやめてくれない。そして母さんは下敷きにされながらも、何事か大声で怒鳴りまくっている。何を言っているかはまったく分からない。

 パンッ!パンッ!パンッ!黙らせようと殴り続ける父さん。決して黙らない母さん。気が狂いそうな姉ちゃんとあたし。

 やっと逃れた母さんが、子ども部屋に逃げ込む。凄まじい緊張と恐怖に、ガタガタ震えるあたしたち三人。部屋の前まで追いかけてきた父さんが母さんに叫ぶ。

「死んでしまえ!」

 さあ、眠れない夜の始まりだ。

 

 翌日、気が付くと今度はあたしにキレている父さん。

「口で言って分からないなら、体で分からせる!」

 原因は分からない。どうしても、どうしても、ああどうしても、分からない。それでも父さんの拳が唸る。

 一度、二度、三度、頭に、背中に、顔に、拳が振り下ろされる。

 四度、五度、六度、ああ、痛い。

 七度、八度、ああ、苦しい。

 九度、十度、ああ、やめてくれ。

 十一度、十二度、ああ、もう数えられない。

 

 そう、あたしは、修羅場の絶えない家庭に生まれ育ったんだ。家の中はまるでナチスドイツだったよ。ガス室だってこんなに苦しかねえだろ。ガス室なら死んで楽になれるんだし。肉体的にも精神的にも、酷い暴力を受け続けながら育つ羽目になっちまった。

 そうそう、あたしよりずっと賢かった三歳上の姉ちゃんは、これ以上言ったら殴られると思ったら悔しくても黙る性格だった。お陰であたし程殴られても怒鳴られてもいなかったよ。

 だが幸せな少女とは言いがたい。勉強だけはそれはそれは熱心にしていたけど、あたしは姉ちゃんが勉強する事で早く自立しようとしている事が、良い学校へ行く事でいつか必ず親を捨ててやろうと思っているのが、当時から何となく分かっていた。姉ちゃんも密かに親を憎んでいた。はっきりそういえない分、あたしを思いっきり軽蔑してみせた。

 あたしは父さんからも、母さんからも、姉ちゃんからも、来る日も来る日も力いっぱい憎まれ、蔑まれ、罵られ、殴打され、無視され、いじめられて育ったよ。つらくて、つらくて、ああつらくて、いつも死んでしまいたかった。

 実の親に異常呼ばわりされ、生まれてきた事を否定されるという「非日常的な事が日常的に起こる家庭」それがうちだった。常にビリリと緊張していなくてはならない、それが幼少期のあたしだった。

 

 もうひとつ、あたしは自分が殴られるのも怒鳴られるのも勿論嫌だったが、父さんと母さんの夫婦喧嘩を見るのも同じくらい嫌だった。それは目を覆いたくなる程の惨状を生んでいた。

 この人たち、何で結婚したのだろう?いつもそう疑問に思っていた。二人はお互いを憎み、忌み嫌い、いじめ抜き合っていた。

「やかましい!」

 父さんが容赦なく母さんを殴る。子ども心にも男の方が腕力あるってのは分かっていたから、母さんが殴られているのを見るのはつらかった。

「何よ、あんた口ばっかりじゃない!この口先男!!」

 母さんの口から、機関銃のような勢いで罵詈雑言が飛び出してくる。子ども心にも女の方が弁が立つってのは分かっていたから、父さんが言葉でやり込められているのを聞くのは悲しかった。

 弁の立たない父さんが、腕力のない母さんを「黙らせる為に」何度も殴る。

「ああ、また始まった」姉ちゃんとあたしは、ハラハラしながら見ているしかない。昼夜を問わず、悪夢のような光景が、幼いあたしたちの目前で繰り広げられる。母さんが父さんを、非力ながらも殴り返す。罵倒しながら殴り返す。

「口先男!くーちさーきおーとこ!」

 父さんがもっと怒って、母さんを殴る。

 ああ母さん、早く黙って。母さんが黙れば、父さんの暴力は終わる。幼児のあたしに分かる事が、大人の母さんには分からない。

 それは「恐ろしい社交ダンス」だった。父さんと母さんが向き合い、少しでも優位に立とうとピンと背筋を伸ばし、互いの顔を力いっぱい打ち合う。

 パンッ!パンッ!パンッ!母さんが髪に巻いていたホットカーラーが、ひとつずつバラバラと外れて床に散らばっていく。

 パンッ!パンッ!パンッ!カーラーを踏み、躓きながらも、父さんは母さんを、母さんは父さんを殴る事をやめない。やめてくれない。

 パンッ!パンッ!パンッ!無言で、お互いを睨みつけ合いながら、まだ社交ダンスは続く。

 パンッ!パンッ!パンッ!もう耐えられない。もう見ていられない。

「やめてよう!」

 あたしと姉ちゃんの泣き叫ぶ声は、二人の耳に届かない。二人とも、何も、何も、なあんにも、聞こえない。

 もう負けそうと思った母さんが台所へすっ飛んで行き、あたしたちの見ている前で包丁を振り回して手首を切った。そしてどうだと言わんばかりに血の垂れる腕を掲げて見せる。派手なパフォーマンスだ。父さんは大きなため息をついて外に出て行っちまう。姉ちゃんとあたしは、血だらけの母さんにタオルを持っていきながら、自分も気が狂いそうだった。

 我が家はそれが日常茶飯事だった。だが姉ちゃんもあたしも何度目にしたところで、どうしても二人の凄まじい夫婦喧嘩に慣れる事は出来なかった。泣いてやめてくれと頼む毎日だった。

 自分が殴られる以上に、自分が罵倒される以上につらい事、それは「親が喧嘩をしているのを見る事」だった。

 そうなんだよ。あたしはね、そういう家庭に育っちまったんだよ。事例ならいくらでもあるよ。誰も信じてくれないけどね。

 例えば、そう、例えばね。

 

 その日も父さんは、カッとなって母さんを拳で殴ったよ。原因は全然分からない。すかさず母さんがあたしの所へ飛んできて、同じように拳であたしを殴ったよ。

 父さんが

「何すんだ」

と怒鳴り、母さんを足で思い切り蹴ったら、母さんはまた同じようにあたしを足で思い切り蹴って、怒鳴ったよ。

「あんたがあたしを殴る度に、あたしはマリを殴るからね!こっちにはマリって人質がいるんだ!」

 父さんが呆然とする。直立不動ってやつ。殴られ、蹴られ、壁まで吹っ飛ばされたあたしは、痛みやらショックやらで目を回しながら畳の上に倒れたままだった。

 ヒトジチって何の事だろう?分からないけど、自分がとてつもなく悪い立場にいる事だけはよく分かった。

 もしかして、母さんってあたしを自分の持ち物って思っているのかな?誰もあたしを助け起こしてくれなかった。あたしはいつまでも畳の上にのびていた。

 そんなあたしに母さんの鋭い声が飛ぶ。

「いつまでそんな所に寝っ転がってんのよ!さっさと起きなさいよ!!」

 慌てて起き上がる惨めなあたし。ああ、殴られても蹴られても、床にのびていてはいけないんだ、そう思いながら。そして今度は、どうすれば良いか分からず突っ立っていた。

 そう、いつまでも、いつまでも、突っ立っていた。

 

 あたし、何で生まれてきたんだろう。何で生きているんだろう。死にたいな、死にたいな。

 小さな頃からそんな事ばかり考えていたよ。死ぬ事こそが、自分に課せられたノルマのような気がしてならなかった。死ねば逃れられる、死ねば楽になれるってーのも分かっていたしね。

 友達に

「死にたい」

と言ったらびっくりされて、こっちがびっくりした。え?この人は生きていて楽しいのかな?って。

 だって、一昨日も昨日も今朝も、母さんは怒鳴りまくったよ。

「あんたなんか出てけ!出てけ!出てけえええええ!!!」

 あたしが大事にしているヌイグルミを紙袋に押し込んで、それを突き付けながらね。

「これ持って、出てけえええええええええええええええええ!」

 どこ行けっていうの?ねえどこ行けっていうの?出て行っても行く所なんかないんだよ!

 半狂乱で泣きわめくあたしを、それでも容赦しない母さん。

「早く出てけええええええええええええええええええええええええええええ!!!」

 助けを求めて父さんの所に走って行った。

 父さんは、かばうどころかこう言ったよ。

「お前は自分がおかしいという事が分からないんだよ。教えてやるよ。お前は頭がおかしいんだよ!明日キチガイ病院に連れて行くからな!」

 姉ちゃんは幼稚園へ行っていていなかった。

 あたしをかばってくれる人は、家の中にひとりもいなかった。

 あたしを助けてくれる人は、世界中にたったのひとりもいなかった。

 キチガイ病院って何だろう。やっぱりあたし、この家から追い出されるのかな。慌てて積み木遊びを始めながら、このお城がうまく完成したら追い出されなくて済むのかな、なんて考えていた。あたしはほんの少しも楽しくない積み木で、いつまででも遊び続けたよ。

 

 うちの親は二人とも子どもが嫌いで苦手だったんだろうね。父さんはテレビが趣味みたいな人でさ、いっつもテレビ見てたよ。それも座椅子の形通りに座って。いっつもその恰好!

 母さん殴った後も、興奮したままテレビつけて、怒った顔のまま見ていたし。母さんと姉ちゃんが出かけて、自分があたしの面倒を見なきゃいけないって時も、おもちゃをたくさん持ってきて

「はい、これで遊びなさい」

と言って、自分は知らん顔で座椅子の形通りになってテレビを見ていた。テレビで軍歌が流れるたびに拳を振りながら一緒に歌っていたしね。

 あたしはたったひとり、おもちゃで遊びながら思ったよ。つまんないなってね。父さん一緒に遊ぼうなんて、言えない雰囲気はよく分かったしね。

 母さんは母さんで、「つまらなそうに」遊んでくれた。母さんがつまらない、早く解放されたいって思っているのはよく分かった。

 …あたしもつまらなかったよ。

 そして、さびしかったよ。

 

 あたしは確かに「変わった子ども」だった。誰からも愛されていないって事が分かっていたから、いつも親の関心を引こう、引こうとしていた。

「ねえ、手のひらにほくろが出来たよ。毎日だんだん増えていくよ」

だの

「目をつぶると文字が見えるよ」

と言った。あたしはただ単に、関心を持って欲しかった。愛して欲しかった。

「大丈夫だよ、マリ」

そう言って欲しかった。本当にそれだけだった。

 けれど父さんはこう吐き捨てた。

「それはキチガイの証拠だから、お前をキチガイ病院に連れていく」

 母さんは異物を見る目でこう言ったよ。

「この子はどっかおかしいんだわ…」

 …やはりそんな事では、親の同情も愛情も買えなかった。あたしは世界一ひとりぼっちだった。

 

 だが不幸の中に、ぽつんぽつんと幸せと感じる瞬間も、あるにはあった。

 

 母さんとスーパーへ買い物に行った。

 お菓子やら、おもちゃやら、魅力的なものがたくさんあり、夢中になって見とれていたら母さんとはぐれちまった。パニックになり泣きわめいていたら、親切な人が交番へ連れて行ってくれた。そこでもお巡りさんを手こずらせながらギャーギャー泣いていると、母さんが探しに来てくれた。ほっとして母さんにしがみつき、もっと泣く。本当に母さんなのか確かめる為にいったん泣くのをやめ、しげしげと母さんの顔を見て、間違いなく母さんだと分かったら、安心してまた泣く。それを何回も繰り返した。

 ようやく泣き止んだら、母さんが優しく言ってくれた。

「じゃあ帰ろう」

 嬉しくなって言ったよ。

「母さん、抱っこ!」

 母さんが困った顔で言う。

「重いよう」

 どうしても抱っこして欲しかった。

「抱っこ!抱っこ!抱っこして!」

 母さんのセーターをつかみ、小さな手で母さんに登る。本当は母さんが、あたしの脇の下に手を入れて抱え上げてくれたんだけど、あたしは自分で登ったつもりだった。

「重いぞ」

 母さんが笑いながら言う。

「重くない!」

そう言いながら、助かった安堵でいっぱいになる。

「ありがとうございました」

 母さんがお巡りさんに、丁寧にお礼を言う。歩き出した母さんにしがみついたまま、嬉しくて嬉しくて母さんの顔の前に自分のニコニコ顔を差し出したら、母さんもちょっとだけ笑ってくれたよ。

 ああ、良かった、母さん笑ってくれた。そう思ったら、遠ざかりつつあるお巡りさんと目が合う。何故か疲れ切った顔をして、ゼイゼイ肩で息をしながらあたしを見ている。面倒を見てくれたお兄さんだと、何となく分かった。

 急に楽しくてたまらなくなり、バイバイと大きく手を振る。するとお巡りさんが仕方なさそうに笑いながら、手を振り返してくれた。あれ?何であんな顔するんだろう。きょとんとする。

 母さんが迎えに来てくれた事がとにかく嬉しかった。

 …幸せだった。

 

 母さんと姉ちゃんと三人でスーパーへ買い物に行った。母さんが言う。

「マリ、あんたすぐに迷子になるから、あたしの前を歩きなさい」

 前を歩かされ、何回も振り返る羽目になった。だってどっちへ行けばいいか、分からないんだもん。あらぬ方向へ歩いていこうとすると、後ろから鋭い声がする。

「ほら、こっちよ」

 慌てて付いていく。その繰り返しでへとへとになる。

 ふっと気を抜いた瞬間、前を歩いていた知らない人につられ、うっかり上りのエスカレーターに乗っちまった。振り返ると、母さんと姉ちゃんが売り場の前に立ったまま、二人ともあたしを見てにやにや笑っている。慌てて降りようとしたが、どんどんエスカレーターは上って行ってしまう。どうしよう、どうしよう。いくらエスカレーターの階段を降りても降りても、下には着かない。ついに降りるのを諦め、遠ざかる母さんたちを見ながら半狂乱で泣き叫ぶ。

 近くにいたおばさんが、見るに見かねてあたしを抱き上げてくれた。

「お嬢ちゃん、大丈夫だよ。おばちゃんと一緒にいっぺん上まで行こう」

 おばさんはギャーギャー泣くあたしを抱っこして、いったんいちばん上まで行き、下りのエスカレーターに乗り、母さんと姉ちゃんの所まで連れてってくれた。

 母さんはさっきまでの、さも馬鹿にしたようなにやにや笑いを引っ込め、神妙な顔になりそのおばさんにそれはそれは丁寧にお礼を言う。

「まあ、すみません。娘がお世話をかけました」

「いいえ」

 おばさんはちょっと不審な顔を母さんへ向け、不憫そうにあたしをちらりと見ると行っちまった。

 母さんは、そのおばさんがいなくなった途端に言った。

「あんたって本当に馬鹿ね。上りのエスカレーターをいくら下ろうとしたって、そんなの無理に決まっているじゃない」

 不安で張り裂けんばかりだったあたしの気持ちなんてものは、母さんにはまるで通じなかった。

 …不幸だった。

 

 父さんが言う。

「迷子になった時にうちの住所を言えればいいんじゃないのか?」

 母さんが言う。

「どうやって?」

 父さんが高らかに言う。

「住所を歌にして歌えばいいんだよ」

 そして子ども番組でよく流れる歌の歌詞をうちの住所に替え歌して、姉ちゃんとあたしに歌わせた。父さんにしてはナイスなアイデアだった。姉ちゃんもあたしも楽しく歌い、その替え歌を覚え、子ども番組でその曲が流れるたびにうちの住所に歌詞を替えて歌った。

 …が、いざ迷子になるとあたしはパニックになり、見知らぬ大人を相手に歌を歌うどころではなく、父さんのアイデアは何の役にも立たなかった。

 父さんが不満満タンで言う。

「お前、何で歌わないんだよ」

 …そんな緊急事態に歌なんか歌う訳ねえだろ。

 

 母さんと手をつないで出かけた。歩きながら誰かれ構わず手を振ると、知らない人が微笑んで手を振り返してくれる。

 …世界中が自分に微笑みかけているような気がした。

 

 父さんとスーパーへ買い物に行った。

 レジで並んでいると、前の人の荷物をふと触ってみたくなった。すっと前へ出て、その人の荷物を指先でちょこんと触り、また父さんの隣に戻った。父さんも前の人もただ茫然としていた。

 父さんは家に帰ってから言ったよ。

「お前、何であんな事するんだよ」

 …答えようがなかった。本当にただ急に触ってみたくなっただけだから。

 母さんはまた言った。

「やっぱりこの子はどっかおかしいんだわ」

 父さんも母さんも姉ちゃんもあたしにそっぽを向いちまった。

 …世界中が自分にそっぽを向いているような気がした。

 

 母さんが朝食を作っていた。背伸びをしたら食卓の上に小皿が見えた。手を伸ばし小皿を傾けたら、中に入っていた生卵がつるりとテーブルの上にこぼれ出た。白身の真ん中に黄身がお月さんみたいにあるのが面白くて、指でつんつんとつついていたら母さんが

「もう何すんのよ!」

と怒り、布巾でさっと拭いてしまった。楽しかったのに…。

 大声で泣いたら、姉ちゃんがあたしの頭を撫でてくれた。

 …ちょっと幸せだった。

 

 母さんが自分の友達に葉書を書いていた。途中で電話が鳴り、母さんは行っちまった。

 …急にその葉書にいたずらしてみたくなった。余白に母さんがあたしを怒っている時の顔を描いたよ。電話を終えた母さんが戻ってきて、唖然としていた。

「あんた、何でこんな事するのよ!何でよ!」

 答えようがなく黙っちまう。本当にただ急に思いついただけだったから。

 しばらくわめいていた母さんは、諦めたようにこう言った。

「やっぱりこの子はどっかおかしいんだわ」

 …とっても不幸だった。

 

 家族四人で出かけた。

 よちよちと歩き、父さんと思って男の人の足に抱きつき、ニコニコと見上げたら知らないおじさんだった。びっくりして離れ、あらぬ方向へ行こうとしたら

「マリ!」

と父さんの声。

「駄目じゃないか、よその人に」

そう言いながらあたしを抱っこしてくれた。

 …そこはかとなく幸せだった。

 

 母さんがよその子を見ながら言う。

「あの子は良い子よねえ。あんな子が生まれていたらなあ…」

 …底知れず不幸だった。

 

 おもちゃで遊んでいるうちに眠ってしまった。父さんか母さんか分からないけど、抱っこして布団へ移してくれた。そのまま眠る。

 …安心だった。

 

 母さんがあたしの髪を切りながら言う。

「この子はつむじが二つあるから、言う事を聞かないんだわ」

 …なんのこっちゃい。

 

 その頃、世の中に男は父さんだけだと思っていた。だから言った。

「マリ、大きくなったら父さんと結婚する」

 父さんが嬉しそうに言う。

「父さんと結婚するの?」

 そうするしかないんだろうと思っていたから、うんと頷く。

「本当に父さんと結婚するの?」

 何回も聞くデレデレ父さん。何でそんなに喜ぶんだろうと不思議だった。

「マリ、俺と結婚するんだって」

 嬉し気に母さんに報告する、幸せそうな父さんだった。

「じゃああたしはどうなるの?」

 不機嫌全開の大人げないプリプリ母さんだった。

 

 姉ちゃんはあたしが遊んでいるおもちゃを、横からどんどん取り上げる。人形も、ぬいぐるみも、ブロックも、積み木も、ミニカーも、粘土も、何もかも。

 全部取られ茫然としていると、母さんが見かねたようにしゃもじを渡してくれた。しゃもじを裏返したり、おもて返したり、遊び始めたらそれさえ姉ちゃんに奪われた。

 仕方なくカーテンをゆらゆらさせて遊び始める。すると姉ちゃんがあたしを押しのけ、自分がカーテンをゆらゆらし始めた。

 …横取りするんじゃねえよ。

 

 食事の時、母さんは毎回言う。

「お茶碗を左手で持って食べなさい」

「その箸の持ち方はいけないよ」

「音を立てないで吸いなさい」

「野菜から食べなさい」

「犬食いしないの!」

 …うるさいなあ。ちっともおいしくない。

 

 出かける時、母さんは毎回言う。

「きちんと挨拶をしなさい」

「背筋を伸ばして歩きなさい」

「片足に重心を掛けずにぴしっと立ちなさい」

「姿勢よく座りなさい」

「美しく立ち振る舞いなさい」

「表情に気を付けなさい」

 …うるさいよ。ちっとも楽しくない。

 

 毎日何を着るかは母さんが決めていた。自分で決めたかったが、洋服も靴下も全部母さんが決めていた。

 あたしのお気に入りは背中にリボンのついたワンピースだった。母さんはリボンを結び終えると、必ず背中をポンと叩く。それを合図にそれまでじっとしていたあたしは動き出す。

 …幸せな合図だった。

 

 母さんは父さんに殴られた後、必ず大声で泣き、両手を広げて壁につかまりながら段々膝を折り崩れていく。すっかりしゃがみ込んだタイミングで、姉ちゃんとあたしは母さんを慰めなくてはならなかった。

 今日も母さんは父さんに殴られ、早く慰めろと言わんばかりに壁を前に崩れていく。

 ああ、母さんがすっかりしゃがみ込んだ。慰めなくては。

 …不幸な合図だった。

 

 母さんを殴った後、父さんは必ず喘息の発作を起こす。

 ゲホッゲホッゲホ!!!ゲーホー!ゲエエエエエホオオオオオオ!!!

 全身で咳をし、手足を引きつらせる父さん。

 知らん顔している腫れ上がった顔の母さん。

 部屋にこもり出て来ない姉ちゃん。

 あたしが面倒見るしかないんだろう。コップに汲んだ水を差しだし、ティッシュを差し出し、ごみ箱を差し出し、喉飴を差し出し、背中をさするあたし。 

 …あたし、この家の何なのかなあ。女中かなあ。

 喘息の発作も、じゅうぶん不幸な合図だった。

 

 朝、母さんが忙しそうにしていたので自分で箪笥を開き、自分で着る服を決め、自分で着替えた。

 着替えた姿で威張って台所へ行ったら母さんが言った。

「あら、あんた自分で着替えたの?」

 深く頷く。やれば出来るんだ。

 …物凄い達成感だった。

 

 信号を渡る時、母さんはいつも左右を何度も確かめてからあたしの手を引いて、急ぎ足で進んでいた。あたしは転びそうになりながら、必死に母さんに付いて信号を渡った。

「危ないからひとりで渡っちゃ駄目よ」

と、何度も言われていた。確かに車がどんどん通るので信号は恐かった。平気で渡る人を見ながら、この人たちは凄いなと思っていた。

 …ある時、この信号をひとりで渡って向こう側へ行ってみようと思い立った。だが、恐ろしくてなかなか渡れない。今度こそ、今度こそ、と何回も青を見送り、赤になる信号を見ていた。二十回を数えた所で、さあ今だと物凄い勇気を振り絞って足を踏み出す。

 天を歩いているような気がした。もう一歩、もう一歩、赤になると困るので、半分渡った所で走って向こう側へ行った。

 …やった!やった!渡れた!振り返ると、景色が違って見えた。

 わあ、あたし信号を渡れたんだ!今度は戻るぞ。さっきの半分の勇気で渡れる!

 次の青で戻った。赤を待ち、次の青でまた向こう側へ。それを何度も繰り返した。もう振り絞らなくとも、勇気はあたしの中にあった。楽しくて、嬉しくて、跳ねるように信号を何往復もした。

 やった!本当にやれば出来るんだ!今度は大きな交差点の信号を渡ってみよう。きっと出来るから。

 更に大きな達成感と、成功体験を得た。

 

 会社へ向かう父さんの後をつけた。あたしはもう信号だって渡れるんだ。だからどこまでもついて行く気だった。角を曲がったら、父さんが振り返ってあたしを待っていた。

「なあに?父さんの後をつけているの?」

だって。なあんだ、父さん気が付いていたんだ。笑って頷く。

「車に気を付けて帰りな」

と言ってくれた。

 うん、父さんも車に気を付けて会社に行きなよ。

 威張って家に向かう。

 

 うちには大きなロバのぬいぐるみがあった。ロバ君と名前を付け、家にいる間はよく乗っていた。動かないロバ君が、このままあたしをどこかへ連れて行ってくれるような気がしていた。

 何か、何でもいいから、

 どこか、どこでもいいから、

 あたしを連れて行って欲しかった。

 

 大きくなったら何にでもなれると信じていた。どんなものにでもなれると、どんな事でも出来ると、頑なに信じていた。

 だから言った。

「マリ、大きくなったらウサギになる」

 母さんが言う。

「なれる訳ないじゃない」

 …否定された。それでも言う。

「マリ、大きくなったら外人になる」

 父さんが言う。

「なれる訳ないだろう」

 …また否定された。それでも負けずに言う。

「マリ、大きくなったらロバ君と結婚する」

 父さんと母さんが同時に言う。

「出来る訳ない」

 …何度否定されても、まだ言う。

「マリ、大きくなったらケーキになる」

 姉ちゃんが言う。

「食っちまうよ」

 …食われてたまるか。

 

 耳掻きしてもらうのが、好きだった。耳掻きを持ち、母さんの所へ行く。

「耳ここ、掻いて」

と母さんの膝にころりと頭を乗せる。掻いてくれた母さんが言う。

「はい、反対」

 反対の耳を向ける。掻いてくれた母さんが言う。

「はい、おしまい」

 いったん起き、綿棒を持って母さんに言う。

「鼻ここ、取って」

 母さんが綿棒であたしの鼻を掃除する。ツルリ、と大きな鼻ここが取れる瞬間が好きだった。

 …やっぱり幸せだった。

 

 父さんが昼寝をしていた。急にいたずらしてみたくなり、耳の中に涎を垂らした。飛び起きる父さん。瞬間的に頭に血がのぼったらしく、あたしをバシッと叩く。あれえ?そんなに腹が立つかねえ。じっと顔を見る。またバシッと叩く父さん。そして怒り足りないのか、あたしの首を両手でつかみ揺さぶる。

「俺を舐めるなああああああああああああ!!!」

 …やっぱり不幸だった。

 

 クリスマスの朝、枕元にプレゼントが置いてあった。嬉しくて、嬉しくて、母さんの所へ走って行った。

「マリのとこ、サンタさん来たよ!」

 大声で言う。母さんがにっこり笑ってくれた。

「良かったね」

 興奮冷めやらぬあたしはお隣のチャイムを鳴らした。ドアを開けてくれたお隣のおばさんに高らかに言う。

「マリのとこ、サンタさん来たんだよ!」

 おばさんもにっこり笑ってくれた。

「良かったね、何くれたの?」

「この、ご本」

とプレゼントを掲げて見せる。

「マリのとこ、サンタさん来たんだよ」

 何回も言う。そのたびにおばさんと母さんがニコニコする。

 本当に本当に、幸せだった。

 

 家族のクリスマス会、先にケーキを食べようとしたら母さんが言う。

「先に野菜を食べなさい」

 野菜なんておいしくない。おいしいのはケーキだ!ケーキを口に入れたら、母さんがまた激高する。

「あんた!ケーキは最後よ!」

 だったら最初からテーブルに並べなきゃいいのに…。

「もうサンタさんに来ないでって言うよ!」

 怒りのおさまらない母さんが、あたしの頭をパシッと叩く。痛くて悔しくて、大声で泣く。

「こんな事なら、サンタさんに来てもらわなければ良かった」

 怒り足りず、いつまでもガミガミ怒る母さん。

「もう来年からサンタさん断ろう」

 父さんも言う。

 姉ちゃんは知らん顔をしている。楽しい気分が台無しだ。

 本当に本当に、不幸だった。

 

 母さんが、あたしを寝かしつけようとして、トントンと背中を叩き続けていた。そのトントンというのがうっとうしくて寝られない。嫌で泣いているのに、母さんはもっとトントンする。もっと泣いたら、もっと強くトントンする。

 しまいに母さんはやけになり、ひっぱたく勢いでトントンというより、バシバシ叩き続けていた。

 …母さんは、小さい子どもに接してはならない人だった。

 

 あたしはいつも右側を向いて寝ていた。

 母さんが言う。

「左側を向いて寝なさい」

 何故そうしなきゃいけないんだ。右側を向くと力づくて左を向かされる。嫌なものは嫌だ。右を向くと物でふさぐ。左を向いてほしいなら、そっち側に好きなぬいぐるみを置くとか何とかしてくれればいいのに…。

 母さんは、工夫をしない人だった。

 

 家事やらなんやらで忙しく、キレそうな母さんが言う。

「もう寝なさい」

 あと一回だけ抱っこして欲しい。しがみつこうとするあたしを、敷いてある布団に向かって突き飛ばす母さん。ひっくり返り、それでも母さんにしがみつこうと、懸命に起き上がるあたしを遮るように、襖がぴしゃりと閉められる。

「母さん!」

 襖を叩き、大声で泣く。襖の向こうで母さんが、あたしが開けられないように力づくで閉め続けているのが分かる。

「かあさーん!」

 あと一回でいい。抱っこして欲しいだけだ。それなのに…。

「かあさああああああああん」

 あたしの叫びは、満たされない心は、届かない。

「かあさああああああああああああああああああん」

 …気が付くと眠っていた。

 母さんは子どもより自分を優先させる人だった。

 

 母さんが子ども服売り場で、姉ちゃんに買う洋服を選んでいる。

「少し大きめの買っておくわ。すぐ小さくなるから」

と、憎々し気に言いながら、少しどころか随分と大きいのを買っている。

 母さん、洋服が小さくなるんじゃないよ。姉ちゃんとあたしが大きくなっているんだよ。大きくなったら悪いのかよ。その洋服がぴったりになるのに何年かかるんだい。

 母さんは子どもの成長を喜ばない人だった。

 

 母さんが姉ちゃんの為に冬物のセーターを買ってきた。

「母さんは自分が欲しいものを我慢して、あんたに買ってあげたんだからね」

 恩着せがましく言っている。そのセーターは肌障りが悪い上にデザインも色も何もかも姉ちゃんの好みではないらしく、姉ちゃんはちっとも喜んでいなかった。

「何よ、あんた!あたしは自分が欲しいものを我慢して買ってやったのに!」

 また切れている母さん。不満そうに黙っている姉ちゃん。

「もっと喜びなさいよ!もっともっと嬉しがりなさいよう!」

 …母さんは相手の立場に立って考える事が出来ない人だった。

 

 出掛けて遅くなった帰り、母さんと姉ちゃんと三人で夜の道を歩いていた。

 暴走族が通りがてら、

「ねえちゃん!」

と、大声であたしたちに向かって言った。びっくりしたのか、母さんが胸を押さえながら

「きゃあああ!」

とわざとらしく叫んだ。

 …母さんは大人のぶりっ子だった。

 

 金魚鉢の金魚にふと意地悪してみたくなって、鉢の外側にごはん粒をくっつけた。金魚は鉢の外側という事が分からず、何度も口を開けてご飯粒を食べようとしていた。面白がってずっと見ていたら母さんに怒られた。

「あんた、何意地悪しているのよ!ちゃんと食べさせてあげなさいよ!」

 ああそうか、悪かったなと思い、今度はちゃんと金魚鉢の中へご飯粒を入れた。いくらでも食べるから、面白くてどんどんご飯粒を入れた。

 …度が過ぎたらしく、金魚は死んでしまった。

 母さんが怒鳴りまくる。

「あんたが悪いのよ!あんたが金魚を殺したのよ!金魚に謝りなさい!」

 金魚鉢の中で、おなかを上にして死んでいる金魚に泣きながら謝った。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 母さんはそれからもずっと言い続けた。

「金魚殺したくせに」

 …故意ではなく、過失だったのに、居たたまれなかった。

 

 母さんの財布から、五百円札がはみ出していた。すばやくつかみ、自分のポケットに入れた。入れてしまえば自分のものになると思った。

 …母さんが滅茶苦茶に怒る。

「泥棒!泥棒!あんたは泥棒の子だ!」

 …早くお金を貯めて、一刻も早くこの家を出たかった。子どもでありながら、家を出たがる気持ちなんて、誰にも分からないんだろう。

 母さんは、それからも

「またお金が無くなったら、真っ先にマリを疑えばいいわ」

だの

「家の中に泥棒がいるなんて、油断も隙もないんだから」

と言い続けた。

 …確かに故意だったが、家を出たいという理由があってこその事だった。それに未遂で終わったのに、いつまでも言い続けるなんて…。

 げんなりだった。

 

 たまには褒められたいなって思った。

 だから家の鍵を食卓の真ん中にあるミカンの籠の下に隠した。親が騒いだら、ここにあるよと出して、よく見つけてくれたねと褒められたかった。

 …外出寸前の父さんと母さんが、鍵がないないと大騒ぎし、あちこち探し回り、疲れ果てたタイミングで得意げに差し出したあたしを、褒めるどころかひっぱたいた。

「なんでこんな事するのよ!」

 ふっ飛ばされ、動揺しながらも必死に言い訳を考えた。

「鍵さんを、かくれんぼさせていたの」

 …やはりあたしは異常児扱いされるばかりで、決して愛されなかった。

 

 その翌日、父さんが自分のテニスラケットがなくなったと騒ぎ出し

「こんな事をするのはマリに違いない」

と決めつけられ、激しく責め立てられた。

 テニスラケットをどこに隠したか言え、さあ言え、と何度も殴られた。知らないと泣いて訴えるあたしを、父さんは何度も殴り、蹴り、首がガクガクになる程揺さぶり、母さんは痣になるほどきつくつねり上げ、何とか隠し場所を吐かせようとした。白状するまでご飯は食べさせないと、その日の昼食も夕食も食べさせてもらえなかった。本当に知らなかったので、白状のしようがなかった。

 二人が口々に言う。

「俺は知らないし、母さんも知らない。お姉ちゃんがそんな事する訳ない」

「そんな事するの、あんたしかいない」

「じゃあ誰が隠したんだ。言ってみろ!さあ言え!」

「泣き落そうったって、そうはいかないわよ!」

 …夜、寝る少し前になり、姉ちゃんが箪笥の後ろを見て言った。

「ラケット、そこに落ちているよ」

 父さんと母さんは急に笑い出した。

「なあんだ」

なんて言っている。散々いたぶったあたしに、ごめんの一言もない。

 母さんは開き直ってこう言った。

「あんたがラケットをかくれんぼさせたのかと思ったのよ」

 父さんは言った。

「お前は普段が普段だからな」

 やっと出された食事は何の味もせず、容疑が晴れても全然嬉しくなかった。   

 

 よく子どもは親を憎めない生き物と言うが、当時のあたしがまさにそうだった。

 どんなにいたぶられても、理不尽な扱いを受けても、やはり親が好きだった。

 この親があたしを愛してくれれば、と思っていた。

 そう、この親があたしを愛してくれれば。愛してさえくれれば…。

 いつもいつも念じるように、心の底からそう思っていた。

 

 そんなあたしを母さんはよく脅したよ。

「マリ、あたしの言う事を聞かないなら、あんたの耳をちぎり取って、あすこにいる野良猫にやってしまうよ。それでもいいの?あの猫、喜ぶよお」

 あたしは窓から見える野良猫を見ながら、そうかなあ?と思った。あの猫が、あたしの引きちぎられた耳なんかもらって喜ぶかなあ?

 あたしの頭の上には、大きな疑問符が乗っかっていた。

                                   

 母さんが絵本を読んでくれた。だが内容は、親の言う事を聞かない子どもがおばけにされ、おばけの国へ連れていかれる話だった。読み終え、母さんはじっとあたしを見据えて言った。

「あんた、おばけになって、おばけの国へ連れて行かれたいの?」

 …返事のしようがなかった。

「あんた、あたしの言う事聞かないと、おばけにされておばけの国行きだよ」

 …そうかなあ?あたしの頭の上は、また大きな疑問符が乗っかっていた。

 

「マリ、あんたみたいな子は施設に引き取ってもらうよ」

 母さんが電話の受話器を上げる。連れて行かれたのではたまらない。慌ててフックを押し、阻止しようとする小さなあたし。母さんがにやりとしながら言う。

「あたしの言う事、聞く?」

 仕方なく頷く。ご満悦って顔で受話器を置く母さん。

 母さん、その施設の電話番号知っているのかなあ?

 あたしの頭の上は、さらに大きな疑問符が乗っかっていた。

 

 夢中で好きなテレビ番組を見ている時に、遠くから何だか声がするけど気にならない。…ってか、聞こえちゃいなかった。

「マリッ!マリッ!」

 母さんのヒステリックにわめく声が遠くに聞こえる。

「聞こえないのっ?マリッ!マリッ!!」

 あたしの関心はテレビにしかない。

「マリッ!いつまであたしを無視すれば気が済むの?」

 ああ、この歌大好きだな、きれいなお姉さんの歌をうっとりと微笑みながら聞くあたし。

「マリッ!どこまであたしを馬鹿にするのっ」

 気がつくと、目の前に母さんが怒り心頭で立ちはだかっていた。

 はて?今初めて気がついたよ。本当に。

 凄まじい勢いで顔を何度もひっぱたかれる。

 痛い。どうして?訳が分からないまま母さんを見上げる。

 母さんが目を吊り上げたまま電話機へ突進し、受話器を上げる。

「マリ、あんたを施設に連れて行ってもらうよ」

 黙ってじっと見ていた。母さんはあたしを睨みつけたまま、受話器を耳に当てているだけで、決してダイヤルを回そうとしない。

 …やっぱり施設の番号なんか知らないんだ。

 殴られた頬だけがジンジン痛んでいた。

 

 好きなテレビを見ていたら、母さんが急にチャンネルを変えた。

 そんな、酷い。必死に抵抗したが、母さんは譲らない。

 あたしの顔を力づくで、畳にごしごしとなすりつける。痛い、やめてくれ。

「テレビは大人のものです!」

 いちばん子どもなのは母さんだった。

 

 姉ちゃんと喧嘩になった。

「あんた、バナナをつまみ食いしてたでしょ」

なんて、せせら笑うから。

 馬鹿にするな!あたしの方が小さいけど、悔しいからやり合う。髪をひっぱったり、叩いたり、きょうだい喧嘩は止まらない。

 そりゃあ子どものうちは、どこの家庭でもよくある話だ。ただムカついたのは、いつも父さんが姉ちゃんをかばう事。

「お前が悪い!お前が!」

 父さんに殴られた顔がヒリヒリする。何で姉ちゃんばっかりかばうんだよ!もっとムカついてムカついて、張り裂けそうだ。

「これに懲りてニ度と喧嘩するな!」

 姉ちゃんに言えよ、何であたしばっかり殴って怒鳴って、おかしいだろ!

 

 姉ちゃんがあたしのふくよかなほっぺたを、いつもしつこく触る。人差し指と中指でチョキチョキってする。嫌だと言っているのに、どうしてやめてくれないんだろう。

「お姉ちゃんがチョキチョキする」

 泣いて母さんに言っても知らん顔される。

 今日も姉ちゃんは、にやにやしながらあたしを追い回す。嫌なものは嫌だ。なんてしつこいんだ。

 

 ひとりでトイレに入るのは怖かった。だからドアを開けて用を足した。

 恥ずかしいから見ないでと言っているのに、姉ちゃんはわざと見る。

「見ないでよう」

 何回言ってもまだ見る。

「見ないでってば」

 まだ見ている。しまいにお尻のほっぺたもチョキチョキするのか?

 

「脱ぎ脱ぎポン!」

そう言いながら洋服を脱ぎ、高く放り投げる。

「可愛く言えばいいってもんじゃないよ」

 母さんが床に散らばる洋服を拾い集め、洗濯機に入れながら言う。

「脱ぎ脱ぎポン!」

 パンツを放り、いざ風呂場へ。母さんが仕方なさそうに笑う。

 ほんのりと、幸せだった。

 

「母さん、喉が乾いたからジュースを頂戴」

 姉ちゃんが言う。母さんが冷蔵庫からジュースを取り出し、コップに注いで姉ちゃんに渡す。

 あたしも真似して言う。

「母さん、喉が乾いたからジュースを頂戴」

 母さんが慌てたように言う。

「もうその一杯で終わりだから、二人で分け分けしなさい」

 …何でも可愛く言えばいいってもんじゃないよ。

 不幸も分け分けしてくれるのか?

 

 公園で姉ちゃんが得意の竹馬に乗り、高い位置からあたしを見降ろす、

「マリ、あんた出来ないから悔しいでしょ」

 憎まれ口も漏れなく付いてくる。 厭味ったらしい奴だ!だから言ってやった。

「パンツ丸見えだよ」

 そしたら怒って竹馬から降り、あたしの頭を固い竹馬で遠慮なく叩くんだよ。痛いよ、もう!

 走って家に帰り、泣きながら父さんに訴えた。

「お姉ちゃんが竹馬で叩いた」

 帰ってきた姉ちゃんを父さんが珍しく咎める。

「お前、竹馬で叩くなよ」

 へえ、竹馬みたいな固いもので叩いた場合は、あたしをかばってくれるんだ。

 

 姉ちゃんがスリッパを触ってから言った。

「あ、汚い。スリッパなんか触っちゃった」

 そしてその手をあたしの顔になすりつけるんだよ!きたねーだろ!

 頭に来てまた喧嘩が始まる。この前のお返しだ。フライパンで頭を思い切り叩いてやった。へへ!ざま見ろ!…と思ったら、父さんが飛んできてあたしを吹っ飛ばした。

「フライパンで叩くな!」

 あ、そうか。父さんは遅番でまだ家にいたんだった。そしてフライパンは固かった。

 

 今日は父さんが会社に行っていて家には居ない。ざまみろ、お前をかばってくれる奴はいないんだ!姉ちゃんと悪口の言い合い、取っ組み合いの大喧嘩、どんどんエスカレートしていく。

 そしたら母さんがやってきてぺたりと座り込み、芝居がかった口調でこう言った。

「たった二人のきょうだいじゃないですか、どうして仲良く出来ないんですか」

 そして泣き崩れる。自分だって年がら年中、たったひとりの夫と喧嘩しているくせに。

 …その日の夕飯の時に、あたしは父さんに言ってやったよ。

「母さん、今日泣いたんだよ」

 母さんはやおら怒りだした。

「何よ!親を馬鹿にして!」

 そのままベランダに蹴り出され、泣いてもわめいても入れてくれなかった。父さんも姉ちゃんも、知らん顔だった。

 泣き崩れた事も、ベランダに放り出した事も、親が子どもにする行為ではなかった。

 

 父さんが会社の飲み会でしたたかに飲み、酔っぱらって帰って来た。へべれけになり布団へ倒れ込んだ父さんを、母さんが洗面器を持って看病する。

「は、吐く」

と言って父さんは、その洗面器に吐く。

 …何故トイレで吐かないのか?何故酒に弱いのに飲むのか?不思議でたまらない。

 

 友達の家に遊びに行った。そしてびっくり!そこのお父さんもお母さんも、その友達にすごーくすごーく優しいの!

 家に帰ってから、父さんと母さんに興奮したまま言ったよ。

「エミちゃんのお父さんとお母さんはね、エミちゃんにすごーく優しいんだよ」

「だから?」

 母さんがそっけなく言う。

「だから、すごく優しいんだよ」

 父さんと母さんもあたしに優しくしてくれよ、って言いたかっただけだ。

「そんなにその家が良いなら、その家に行ってその家の子どもになればいいじゃない」

「そうだ、今すぐそうしろ、今すぐ出ていけ」

 …そんな事、出来る訳ないじゃん。

 

 母さんが自分の友達の家に遊びに行った。帰ってから興奮気味にこう言う。

「ミネコさんの旦那さんはミネコさんにすごく優しいのよ。子どもたちはすごく優秀で良い子たちなのよ」

 弁の立たない父さんとあたしは黙っていた。姉ちゃんは呆れ顔で知らん顔している。

「だから、ミネコさんの家族はすごく良い家族なのよ。旦那さんは家事を手伝うし、子どもたちは良い学校に行っているし」

 …そんなにその家が良いなら、その家に行き、その家の主婦になれば良いだろう。あたしは心の中で呟いた。父さんも、そう顔に書いてあった。姉ちゃんは、そっぽを向いたままだった。

 

 母さんとデパートへ行った。

 手を握ると喋る人形が売っていた。夢中で何回も手を握ると、おはようだの、ありがとうだのと喋る。魅力的だ。是非とも欲しい。

 母さんは言った。

「人形なら沢山持っているでしょう」

 どうしても、どうしても欲しい。しゃがみ込んで泣きわめいた。

「うるさいなあ、もう行くよ」

 母さんが冷たい背中を向けて行っちまう。泣きわめきながら追いかける。

 …あの人形が忘れられない。ぶーぶー文句を言いながら付いていく。母さんが呆れ顔で言った。

「そんなに欲しいの?」

 うんと頷く。

「買ったら母さんの言う事、ちゃんと聞く?」

 買ってもらえるなら、と頷いた。

「しょうがないわね」

 母さんはわざわざ人形の売り場まで戻り、その喋る人形を買ってくれた。

「はい、マリ」

と、渡される。その瞬間思ったよ。

「あれ?そんなに欲しくもなかったな」

 

 母さんと雑貨屋の前を通った。パンダの形をしたカバンが売っていた。急に欲しくなり、そこから動けなくなった。

「いいよ、カバンなんて」

 母さんは買ってくれそうにない。

 どうしても、どうしても欲しい。しゃがみ込んでギャーギャー泣きわめく。

「うるさいなあ、もう行くよ」

 母さんが、また冷たい背中を向けて行っちまう。ギャーギャーわめきながら追いかける。

 …あのカバンが忘れられない。ぶーぶー怒りながら付いていく。母さんが呆れ顔で言う。

「そんなに欲しいの?」

 うんと頷く。

「買ったら、お菓子の前にご飯、ちゃんと食べる?」

 また何かと引き換えかよ、と思ったが頷く。

「しょうがないわね」

 母さんはわざわざ雑貨屋まで戻り、そのパンダの形のカバンを買ってくれた。

「はい、マリ」

と、渡された瞬間、また思ったよ。

「あれ?そんなに欲しくもなかったな」

 

 母さんと駅へ続くショッピングセンターを通っていた。

 好きなキャラクターのシャツが売っていた。自分が着たらきっとかわいいと思った。

「いいよ、時間ないから行こう」

 どうしても、どうしても欲しい。またしゃがみ込み、あらん限りの声で泣きわめく。

 母さんが困った顔で言う。

「向こうでお行儀良くする?」

 よくそう交換条件ばかり出てくるな、と思ったが頷く。

「しょうがないわね」

 母さんが買ってくれた。

「はい、マリ」

と、渡された瞬間、またまた思った。

「あれ?そんなに欲しくもなかったな」

 

 そう、あたしはただ意地になっていただけだった。

 

 あたしは喋る人形も、パンダの形のカバンも、好きなキャラクターのシャツも、全然大事にしなかったよ。「そんなに欲しくなかった」からね。

 母さんが呆れて言う。

「あんた、我がままね。せっかく買ってやったのに、ちっとも大事にしやしない。すぐ放り出すんだから」

 

 食卓で家族が座る位置は決まっていた。あたしの右隣に父さん、その正面に母さん、あたしの正面に姉ちゃん。

 母さんは食事の後、デザートと称していつもお菓子を出してきた。四つ入りのおまんじゅうとか、四つ入りのシュークリームとかね。

 大抵、母さんがまずご飯を食べ終わり、最初にお菓子の袋を開けて自分がひとつ食べ、父さんに残り三つ入ったお菓子を、袋ごと父さんにハイと渡す。父さんが、いつもいつも「ふたつ」食っちまい、あたしにハイと渡す。

 …あたしは毎回困惑しながら、自分は食べずに姉ちゃんに渡した。母さんは気づかないのか、知らん顔で後片付けを始める。姉ちゃんは当然って顔で、最後のひとつを食べる。

 四人家族で四つだったら、普通ひとりひとつずつだろう。そんな簡単な事は、幼児のあたしにも分かったが、父さんには分からなかった。必ずふたつ食べ、あたしにひとつしか菓子の入っていない袋をハイと渡す。あたしが食ったら姉ちゃんの分がなくなる。あたしは食べずに黙って姉ちゃんに渡し続けた。

 あたしが家族に気を使っている事に、三人は気づかなかった。我がまま呼ばわり、おかしな子ども扱いされるばかりだった。

 

 デザートのブドウを手に取ったら母さんが言った。

「それ父さんのよ」

「なんだ」

と言って置いたら母さんがせせら笑いながら言う。

「嘘よ、あんた食べな」

 …もう食べる気しないよ。なんでそう意地悪かねえ。

 

 もうすぐあたしの誕生日だ。母さんが言ってくれた。

「マリ、何か欲しいものある?」

 確信に満ちて即答した、

「才能」

 母さんが、はっとした顔をする。そしてしばらくしてから、独り言のようにこう言った。

「この子は、怖いわ」

 何が怖いんだろう?たまらなく不思議だ。

 

 大人になったら本を書く人になりたいと思っていた。当時、本を書くのは本屋で働いている人だと思っていた。

「マリ、大きくなったら本屋で働く」

と言ったら母さんが言った。

「小さい夢ね」

 …否定されたと思った。

 

 父さんが勤める会社のパンフレットを見て

「マリ、大きくなったらスチュワーデスになる」

と言ったら、母さんが言った。

「頭悪いから駄目じゃない?」

 …また否定された。

 

 テレビのニュースを見ている時に

「マリ、大きくなったらアナウンサーになる」

と言ったら、母さんが言った。

「なまりがあるから駄目じゃない?」

 …またまた否定された。

 

 美容室の前を通った時に

「マリ、美容師になる」

と言ったら、母さんが言った。

「いちばん大変な仕事よ」

 …絶句した。

 

 交番の前を通った時に

「マリ、お巡りさんになる」

と言ったら、母さんが言った。

「いちばん大変な仕事よ」

 この世の中に「いちばん大変な仕事」がふたつあるのかと思った。

 

 幼稚園の前を通った時に

「マリ、幼稚園の先生になる」

と言ったら、母さんが言った。

「いちばん大変な仕事よ」

 世の中に「いちばん大変な仕事」はたくさんあるらしかった。

 

 母さんは、あたしの夢や可能性を、毎度毎度丹念に潰していく人だった。

 

 組み立て式のおもちゃを前に、どうすれば組み立てられるのか考えていた。母さんがあたしの手からそのおもちゃを力づくで取り上げ、さっと自分で組み立て、あたしによこす。

 …自分でやりたかったのに。泣いて抗議するあたしに母さんは言った。

「あたしがやった方が早い」

 母さんはあたしが「自分で考える力」も潰した。

 

 折り紙を前に、どうすればいいか、工夫しようとしていた。母さんが横から手を出し、あっという間に仕上げ、あたしによこした。

 …自分で工夫したかったのに。悔し泣きするあたしに母さんがまた言う。

「あたしがやった方が早い」

 母さんはあたしが「工夫する力」もあっさり潰した。

 

 シャツのボタンを自分で止めようと苦戦していた。上から止めて行こうとしたら、母さんが鋭い声で言う。

「下から順々止めていきなさい」

 いったん止めたボタンを外そうとしたが、なかなか外れない。母さんが家事を中断して、怒り顔のままツカツカとやって来る。そしてあたしの手を強引に振り払い、あっという間に外し、あっという間に下からどんどん止めていった。

 …自分でやり遂げたかったのに。俯くあたしに母さんがもっと鋭い声で言う。

「あたしがやった方が早い」

 母さんはあたしが「最後までやり遂げる力を持とうとする」のも見事に潰した。

 

 母さんが姉ちゃんとあたしに時計の読み方を教えてくれた。

 姉ちゃんは混乱してなかなか覚えられなかったが、あたしはすっと頭に入った。

「今、何時?」

と母さんが聞くたびに、姉ちゃんは困った顔で黙っていたが、あたしは毎回正確に答えられた。

「この子は覚えがいいわ」

と、珍しく満足そうな母さん。姉ちゃんには

「マリに分かるのに、何であんたには分からないのよ」

と不満げに言っている。

 母さんがひとつだけ潰さないものがあったのが、たまらなく新鮮だった。

                  

 父さんと母さんがまた喧嘩している。

「皿の一枚も割りたいよ」

と怒り口調の母さん

「そんな事して何になるんだよ」

 困り顔の父さん。

「家も買えないなんて」

 母さんが我がまま全開で言う。

「家なんてどうだっていいだろう。俺はこのまま社宅暮らしでいい」

 父さんが平気で言う。

「家が欲しい、家が欲しい。うちのお母さんも言ってた。借家人根性になるから、持ち家に住んだ方がいいって、そう言ってたもん」

 母さんが半泣きで言う。

「毎日毎日そればっかり。お前は家キチガイだ。こっちが頭おかしくなりそうだよ」

 父さんが呆れて言う。あたしは父さんが正しいと思った。

 

 父さんの妹一家が家を買った。お祝いに、四人でお土産を持って遊びに行った。

 いとこたちと庭で遊び、その家のリビングに戻ると、出された酒に酔った母さんが呂律の回らない口でこう言っていた。

「うちは、家も買えない」

 父さんが嫌そうにしていた。叔母さんが慰めていた。叔母さんの旦那さんは、どう接していいか分からないって顔をしていた。家なんか、どうだっていいのに…。

 よその家で出された「ただ酒」に酔い、父さんに甲斐性がないと、父さんの妹夫婦の前でさらけ出す母さんが、子どもながらに恥ずかしかった。

 …帰り道、不機嫌な父さんと、ようやく酔いがさめた母さんと、きまり悪そうな姉ちゃんと、駅の構内を歩いていた。

「母さん、恥ずかしかったよ」

 姉ちゃんがたまりかねたように言うと、母さんが振り返り、厚顔無恥って顔で言った。

「だって本当の事じゃない、何が悪いの?あたしは被害者よ」

 そしてまた冷たい背中を向けてさっさと行っちまう。父さんが姉ちゃんに声を荒げる。

「お前、余計な事、言うなよ」

って、言う相手が違うだろう。母さんに言えよ。あたしは姉ちゃんが正しいと思ったよ。

 行きかう人たちが、あたしたち親子に好奇の目を向ける。その視線に、なおさら苛立った父さんが言う。

「みんなの前で殴ってやろうか?」

 そんな事したら恥かくの自分だよ。警察呼ばれちゃうよ。

 父さんと母さんはどっちもどっち、最悪夫婦だった。

 

 父さんは同じタオルを何回も使う人だった。汚くて、あたしはそれが嫌だった。あたしが毎回新しいタオルを使うと、父さんはこう言った。

「お前、タオルを何枚も使うな。お前はタオルキチガイだ」

 タオルなんて洗濯すればいいだろう、と思った。

 

 湯上がりにフェイスタオルを二枚使った。髪用、体用だった。我が家にはバスタオルというものがなく、安物の(つまり薄っぺらい)フェイスタオルでは拭ききれなかったからだ。タオルを入れる棚の真ん中の段が空になったが、取るに足らない事だろうと気にしなかった。

 …あたしの次に風呂に入り、出てきた父さんが凄まじい勢いで怒鳴った。

「お前!タオルを十枚も二十枚も馬鹿のように使うな!真ん中の段、空っぽじゃないか!」

 …たったの二枚使っただけで、そんなに怒鳴られるなんて…。タオルなんてどうでもいいだろう。そんな些細な事で怒鳴りまくる父さんが、ちっぽけに思えてならなかった。

 タオルキチガイは、父さんだった。

 

 朝、枕もとで目覚まし時計が鳴っていた。あまりに熟睡していてなかなか気が付かなかったら、父さんが子ども部屋の襖を凄まじい勢いで開けて怒鳴った。

「やかましい!目覚ましを一時時間も二時間も鳴らすな!」

 慌てて止めたが、鳴っていたのは一分足らずだった。

 いちばんうるさいのは目覚ましではなく、父さんだった。

 

 うちは風呂の水を溜める時に、一定の量にたまったらピピピと音が鳴る装置を使っていた。ピピピと鳴ると、父さんはいつも転がる勢いで風呂場に突進してその装置を止めた。

 ある時、父さんがトイレに入っている最中にその装置が鳴った。

 ピピピピピ…。装置が鳴っている。

 父さんはウンチの最中だったのか、ドアを開き顔だけ出して(中で尻も出していたのだろうが)叫んだ。

「おーい!」

 母さんと姉ちゃんとあたしは知らん顔だった。父さんが叫び続けている。

「おーい!おーい!おーーーーーーーーい!」

 必死に叫んでも家族に知らん顔される。

 ピピピピピピピピピピピピピピピピ…。装置は鳴り続けている。

 いつまでたっても止まらない装置に焦り、いつまでたっても知らん顔している家族にじれ、急いでお尻を拭いて水を流し、慌てて手を洗い、窓を開け、それこそ転がるように風呂場へ走る哀れな父さん。

 装置もうるさかったが、父さんの諦めきれず緊迫したように叫び続ける「おーい」という声も本当にうるさかった。やっと装置を止めた父さんがひとりで怒り狂う。

「お前たち!どうして止めてくれないんだよ!」

 …父さんが止めるだろうから放っておいただけだ。

 

 テレビのコマーシャルで、暖房器具の宣伝をやっていた。映像の最後に「井上暖房」と、その会社の名前が大きく出ていた。

 その頃、我が家は社宅の二階部分で暮らしていたのだが、真下に住む一家が引っ越してしまい、空き家になった途端にうちはむやみに冷えるようになっていた。

「やっぱり下に人が住んでいるといないとでは違うね」

と、母さんが言う。

 …しばらくしてうちの真下に井上さんという一家が引っ越してきた。その途端、井上さんが付けているらしい暖房のお陰で我が家の床もまあまあ温かくなった。

「やっぱり下に人が住んでいると良いね。温かい空気って上にいくから、うちが温まる」

と、母さんがお得げに言う。

「井上暖房だ」

と、父さんが嬉し気に言う。

 …井上さん、有難うねえ。お陰で珍しく父さんと母さんの意見が合っているよ。

 

 家が揺れている。

地震地震!」

 父さんが騒ぐ。まだ家は揺れている。

地震地震地震!」

 父さんが叫び続ける。あんたが騒いだって地震がおさまる訳じゃないだろう。母さんと姉ちゃんとあたしは知らん顔だった。揺れがおさまったら、父さんも黙った。 

 …ああ、やっと静かになった。

 

 台風が来た。家の中から四人で、荒れ狂う外を「黙って」見ていた。

 …台風でも騒ぐかと思った。

 

 母さんが風邪を引いた。家事が出来ず寝ている母さんに父さんが言う。

「もう治ったろ?」

 早く起きて家事をしろと言わんばかりだった。

 …優しくない人だった。

 

 父さんが風邪を引いた。黙って寝ていればいいものを

「おーい、熱が下がらんよ」

と言う。母さんが風邪を引いた時は

「もう治ったろ?」

で済ますくせに。要するに甘えているんだろう。

「おーい、熱が下がらんよ」

 まだ言っている。こっちも言ってやろうか?

「もう治ったろ?」

って。

 

 水疱瘡になった。

 最初に、胸の真ん中にぽつりと赤い出来物が出来、それがだんだん全身に広がり、へべれけになって寝ているしかなくなった。母さんが看病してくれた。だんだんおさまり、最後に胸の真ん中の赤い出来物が治るとあたしは元気になった。

 …良かった。

 

 おたふく風邪になった。両方の頬が痛くてたまらず、笑う事さえ出来ない。それなのに、ぐったり寝ているあたしを、わざと笑わす意地悪姉ちゃん。何回も上から覗き込み、こう言う。

「アババのバー」

 …痛いっつってんだろ!

 

 麦茶に氷を入れて飲んだ。飲みきれず、洗面所に捨てたら排水溝に氷だけが残っちまった。そのうち溶けるだろうと放っておいたら父さんが言った。

「洗面所に石が詰まっているぞ」

 石じゃないよ、氷だよ。石ころは父さんだよ。

 

 父さんが会社に行く支度をし、時間が余ったらしくソファに座っていた。

「行ってらっしゃい」

と言うと

「まだ行かない」

という答えが返ってきた。

 …その五分後、父さんは出勤していった。

 普通に、うん行ってくる、と言えばいいものを、父さんはわざわざ言葉をこねくり回す人だった。

 

 父さんが飴を続けざまに食べていた。普通、飴は舐めるものだろう。だが父さんは口に入れてすぐにガリガリ噛んでしまう。そして次の飴を口に入れる。母さんが言った。

「太るよ」

 父さんが間髪入れずに言い返す。

「こんな小さな飴で太るもんか」

 …飴の体積だけ贅肉がつく訳じゃないだろう。

 

 食料品の買い物から帰って来た母さんが言った。

「マリ、しまうの手伝ってよ」

 アイスクリームを「冷凍庫」にしまおうとしたら、父さんが言った。

「お前、馬鹿じゃないのか?冷凍庫なんかに入れたら固まってしまうじゃないか」

 アイスクリームを「冷蔵庫」に入れたら溶けてしまう。幼児のあたしに分かる事が、父さんには分からないらしい。

 …馬鹿は父さんだった。

 

 食料品の買い物から帰って来た母さんが、目を輝かせて言った。

「誰かが買って、忘れていったアイスクリームが置いてあったのよ。あたし、もらって来ちゃったわ」

 …毒でも入ってるんじゃないの?あたしは決して食べなかった。母さんは嬉しそうに食べていた。父さんと姉ちゃんは、仕方なさそうに食べていた。

 貧乏って嫌だなと思った。

 

 我が家は風呂を沸かすのは一日おきと決まっていた。ガス代と水道代を節約する為だ。

 その残り湯も必ず洗濯に使うと決まっていた。勿体ないからだ。

 父さんが二日続けて風呂に入ると、母さんは凄まじい勢いで怒った。

「今日はそんなに汚れたの?今日はそんなに汚れたのっ?」

 …貧乏って本当に嫌だなと思った。

 

 父さんがテレビの真ん前に座椅子を置き、イヤホンをつなぎ、至近距離で黙って見ている。画面では、おっぱいを出した女の人がダンスをしていた。父さんの目が、嫌らしくにやけていた。口元も、だらしなくにやけていた。

 台所で母さんが笑いながら姉ちゃんとあたしに言う。

「父さん、あれで隠しているつもりなのよ」

 …変な夫婦だった。

 

 駅前の広場に女の子の銅像があった。父さんが傘の先端で銅像のお尻を指してこう言った。

「尻」

 物凄く、嫌らしい感じがした。

 

 父さんが風呂に入れてくれた。

 …が、あたしの体の洗い方がとてつもなく嫌らしく、子どもながらに淫靡なものを感じた。

 なんでそんなにねちっこく股ばかり洗うんだろう。しかもあかすりを使わず素手で洗うんだよ。わずかににやけているし…。

 …変な父親だった。

 

 父さんは朝、あたしたちを起こす時に必ずお尻に手を当て、ゆさゆさ揺すった。

 …何で必ずお尻を触るんだろう。

 本当に変で、迷惑な父親だった。

 

 父さんが、肩がこったと言ってあたしに揉ませる。黙って揉むと、すぐ居眠りしてポマードべたべたの頭が、前に、後ろに、横に、ガクッと倒れる。

 気持ち悪い。あたしの手にポマードが付いちゃうよ。

 本当に迷惑な父親だった。

 

 父さんが背中が凝ったと言って畳の上にうつ伏せになり、あたしに踏めと言う。言われるままに乗って踏むと

「おう、そこそこ」

だの

「おう、効く効く」

と喜んでいる。

 …何に効くんだろうねえ。

 

 父さんが姉ちゃんとあたしをプールに連れて行ってくれた。

 波のプール等で楽しく遊び、ご機嫌でいたら

「もう帰ろう」

と言われた。そんな、まだ遊んでいたいのに。

「帰らない」

と言ったら

「じゃあ勝手にしろ」

と置いて行かれた。

 …しばらくして戻って来る父さん。

「な、マリ、帰ろう」

と懇願するように言う。仕方なくプールから上がる。

 …ロッカーの前で、鍵がないと騒ぎだす父さん。最初は自分のポケットを探していたが、そのうち

「ここか?」

と言いながら姉ちゃんの水着のパンツの中に手を入れた。姉ちゃんは唖然としていた。続いて

「ここか?」

と言ってあたしの水着のパンツにも手を入れ、股間を触った。あたしも唖然とした。

 置いて行った事も、鍵がないと騒ぐ事も、娘のパンツに手を入れる事も、父親がする事ではなかった。

 …この人、嫌だ、とはっきり思った。

 

 夜、布団を敷いて寝ようとすると必ず母さんが言う。

「あまりものを置かず、道を開けておきなさい。逃げる時に邪魔になるから」

 …何から逃げるの?どこへ逃げるの?よく分からない。

 けれど母さんは毎回言う。

「物でふさぐのをやめなさい、逃げる時に通れないから」

 …空襲でもあるっていうの?焼夷弾でも降ってくるの?防空壕に入るの?

 戦争体験者ならではの価値観だった。

 

 四人で花見に行った。父さんが運転をして、母さんは弁当を持参していた。

 満開の桜を堪能していたが、いつの間にか父さんと母さんが喧嘩している。原因は分からない。

 あたしは慌てて父さんと母さんの手を取り、くっつけようとした。だが、同時に二人に振り払われ(そこだけは気が合うんだなと思った)よろけて転んだ。転んだあたしにまったく構わない父さんと母さん。姉ちゃんだけが、かろうじて助け起こしてくれた。

「俺は帰る」

 父さんがさっさと行っちまう。母さんは父さんの背中を唖然としたまま見ている。しばらく待ったが、父さんは戻ってこなかった。あたしたちを置いて、本当にひとりで帰っちまった訳だ。

 母さんは姉ちゃんとあたしを連れ、電車とバスを乗り継ぎ、家路に向かう。転んだ時に擦りむいた膝が、ズキズキと痛み続ける。

 …その道中、母さんが情けなさそうにこんな話をした。

 父さんと婚約したばかりの頃、結婚式場で担当者と打ち合わせをしている最中に、意見の違いから父さんと母さんが喧嘩になってしまった。

「俺は帰る」

そう言い残し、父さんは母さんを置いてぷいっと帰ってしまった。昔からそうだった訳だ。式場の人も呆れていたらしい。

 その二日後、母さんの家に父さんから電話がかかって来た。

「手紙を送ったが、封を切らずに返して欲しい」

 電話口で父さんはそう言った。

 母さんが家のポストを見ると、確かに父さんからの手紙が届いていた。きっと酷い事が書いてあったのだろう。母さんは迷ったが、父さんの言う通り封を切らず、次に会った時に父さんに返した。

 父さんは目を伏せながら黙って受け取り、母さんも釈然としない思いを抱えながらも「この人は一流企業の人だから、一流企業の人と結婚出来るチャンスはもうないかも知れない」と思って結婚したそうだ。

 その時に思い切って別れれば良かった。気に入らなければぷいっと帰る、怒りに任せて酷い手紙を書き、投函してから後悔して、封を切らずに返してくれと電話をかける、そんな変な人と結婚しなければ、父さんとさえ結婚しなければ…。

 母さんは疲れ切った顔でそう言った。うん、あたしもそう思うよ。

 …帰り着いた家では、知らん顔の父さんが座椅子の形通りになってテレビを見ていた。苦労して帰ったあたしたちに、ごめんの一言もない。

 あたしたちは家族であって、家族でなかった。

 

 四人で海に行った。父さんが運転をして、母さんは弁当を持参していた。

 車から降りた時、母さんが父さんに手を伸ばしこう言った。

「車の鍵、落とすといけないからあたしが鞄に入れて持ってるわ」

 父さんは何の疑いもない顔で、車の鍵を母さんに渡した。鍵を鞄に入れた母さんが、何故か勝ち誇った顔をして海へ向かって歩いて行く。

 海では貝を拾ったり、砂で山を作ったり、最初は楽しく過ごしていたが、はっと気が付くと父さんと母さんがまた喧嘩している。原因はまったく分からない。

「俺は帰る」

 父さんがさっさと行っちまう。母さんは父さんに背を向けたまま、何故かニヤリとした。母さんは運転が出来ないし、唯一運転できる父さんが車で帰っちまったら、あたしたちどうなるの?また電車とバスを乗り継いで帰るのかな。でもここは駅まで遠そうだし、どうするんだろう、と心配しながら、遠ざかる父さんを見ていた。母さんは平気で、まだ貝をほじくったりしている。

 …しばらくして父さんが戻ってきた。車の鍵を持っていたのは母さんだから、自分は車に乗りようがなかったのだ。

「じゃあみんなで帰ろう」

 母さんが言い、四人でぞろぞろ駐車場まで行き、まず姉ちゃんとあたしを後部座席に乗せ、自分が助手席に乗り、それからやっと父さんに車の鍵を渡した。父さんはエンジンをかけながら、ハーハーため息をつく。

 …ドジな父さんに、ずるい母さん。

 やっぱり変な夫婦だった。

 

 あたしは乗り物酔いが酷い子どもだった。車で出かけると必ず気持ち悪くなるから嫌だった。

「マリね、車、嫌いなの」

と言っても分かってくれない。

 父さんはそのたびに言う。

「そんなに酔うならお前をどこへも連れて行かない。この車は俺の遊び専用にする」

 その方がいい。そうして欲しい。家族で車に乗って出かけたって、酔うばかりで少しも楽しくない。

「お前、遊びに連れて行って欲しければ酔うな」

 …好きで酔っているんじゃない。怒られても酔いは止まらないし、追い詰められているようで尚更つらい。

 父さんは本当に大人げない人だった。

 

 母さんが買い物に行くのに、荷物が多いから車で行ってくれと父さんに頼み、二人で車に乗って出かけた。姉ちゃんとあたしはテレビを見ながら留守番していた。大荷物と共に帰って来たが、行った先で喧嘩したらしく、二人ともカンカンだった。

「俺の車だ。もうお前たちを乗せない。車は俺の遊び専用にする」

 父さんが高らかに宣言する。俺の家とか、俺の車とか、そんな事ばかり…。

 父さんには家族を養うとか、面倒を見るとか、そういう大黒柱という意識が欠落していた。

 

 母さんの鞄を持ち、母さんのスカーフを首に巻き、母さんのサングラスを頭に乗せ、ブカブカだけど母さんの靴を履く。そのままの格好で社宅の前に立つ。近所のおばさんたちが通るたび、声高らかにこう言った。

「わたくし、今度フランスへまいりますのよ。おほほほほほほ」

 おばさんたちはニコニコ笑いながら聞き流してくれた。

 …それを誰かから聞いた母さんが、顔を真っ赤にして怒る。

「あんた!変な事言わないでよ!おたく、フランスへ行くんですって?って聞かれちゃったじゃない!」

 …仲の良い家族を演じてみたかっただけだ。

 

 近所で赤ちゃんが生まれた。あっくんって男の子。毎日顔を見に行き

「あっくん、あっくん」

と可愛がった。あっくんのお母さんも歓迎してくれた。

 ある時、あっくんを布団に寝かせようとして、うっかりドスンとやってしまった。大声で泣くあっくん。あっくんのお母さんが泣き続けるあっくんを抱っこして、あたしに冷たい背中を向ける。

「ごめんね、おばさんごめんね」

 一生懸命謝ったが、おばさんは知らん顔だ。

「ごめんね。おばさん、ごめんね」

 何度謝ってもこっちを見てくれない。居たたまれなり、黙って帰る。あたしは二度とあっくんの家に行かなかった。

 社宅でひとつ、居場所を失った。

 

 近所の子どもで、いつもあたしをいじめるサトル君という男の子がいた。助けて欲しくて父さんに言ったら

「やっつけてやる」

と言いながら外に出ていき、ちょうど社宅の前にある公園で遊んでいサトル君を捕まえて大声で怒った。

「お前、うちのマリをいじめるな!」

 サトル君はびっくりして逃げようとしたが、父さんはサトル君の腕を掴んで離さない。

「マリちゃんをいじめるのは、僕だけじゃないもん!」

 サトル君が泣きながら言い訳する。

「お前もいじめるな!」

 父さんが怒鳴りつける。

「わああああああああああん」

 サトル君は恐怖のあまり、おしっこを漏らしながら泣き続ける。サトル君のお母さんが走って来て、自分の息子を懸命にかばう。

「子ども同士の事じゃないですか」

 父さんには通じない。

「お宅のサトル君が先にうちのマリをいじめたんですよ」

 父さんがサトル君のお母さんに言う。

「子どもの喧嘩に親が出てくるなんて」

 サトル君のお母さんの言い分は正しかった。そこに居た沢山のお母さんたちも、サトル君のお母さんと同意見という目で、疎ましそうに父さんを見ていた。

 …その日を境に、社宅の子どもたちは、誰もあたしと遊んでくれなくなった。聞こえよがしに

「マリちゃんと遊ばないの!」

というお母さんもいた。

 そういう助け方をして欲しかった訳じゃなかったんだけどなあ。望まない結果になり、父さんが恨めしかった。

 社宅でもうひとつ、大きな居場所を失った。

 

 あたしのせいで、社宅中で評判の悪くなっちまった父さんと母さんが、不機嫌丸出しで食事をしている。とばっちりを受け、近所の子どもたちに避けられるようになった姉ちゃんも、怒り顔のまま黙って食べている。

 責任を感じ、この気まずい空気を何とかしなくてはと思った。

「今日ね、魔法使いのおばあさんに会ったよ」

って言ったら、馬鹿じゃないって目で三人に見られた。

「本当だよ、金色のウサギを抱っこしてた」

 目を輝かせながら、どんどん話を進める。

「頭の上に丸いわっかを乗せたのって、神様でしょ?神様がマリに良い子だね、良い子だねって何回も言ってくれたよ。マリは神様に褒められたんだよ」

 三人は知らん顔をしている。

「だからマリ、神様にお願いしたの。時間を一週間前に戻して下さいって」

 父さんがサトル君を怒鳴る前に戻りたい、ただそれだけだった。

 …沈黙が流れる。母さんがようやく口を開いた。

「あんた、嘘つくと目がかたちんばになるよ」

 父さんも言った。

「お前は嘘つきだ」

 姉ちゃんが言う。

「シラーッ」

 気まずい空気は、いよいよ気まずくなった。

 

「子どもは風の子、外で遊びなさい」

 母さんが言う。近所の子たちは遊んでくれないし、家でぬいぐるみ遊びをしていたいのに…。

 仕方なくぬいぐるみを持ったまま外へ行く。サトル君がいない事を何度も確かめながら、近所をほっつき歩く。

 しばらくして帰ったら母さんが言った。

「誰と遊んできたの?」

「…誰とも遊んでいない」

「誰か誘えばいいじゃない」

「誰を?」

「だから、誰か友達。あーそーびーまーしょ!って言えばいいじゃない」

 そう言う事を言えないんだけどなあ。言う相手もいないし…。

 ただ俯く。

 

「子どもは風の子、外で遊びなさい」

 母さんがまた言う。あてはないが、ぬいぐるみを抱っこして外へ行く。サトル君や他の子がいない事を何度も確かめながら、また近所をほっつき歩く。帰ったらまた聞かれた。

「今日は誰と遊んだの?」

 また同じ事を言われたくない。だから言った。

「新しい友達が出来たよ。アイコちゃんって言うの」

「あら、アイコちゃんはどこに住んでいるの?」

「ずっと坂を上った所。家に大きな庭があって鶏もいるんだよ」

「へえ」

 母さんは完全に騙されている。

「アイコちゃんのお父さんは社長で、お母さんはケーキを焼くのがうまいんだよ」

「あら、どんなケーキ?」

「大きくて、うんとおいしいケーキ。マリ、たくさん食べちゃった」

「あらあ、良かったわね」

 母さんは満足そうだ。よしよし、これからもこの調子でいこう。

 

「今日もアイコちゃんと遊んだの?」

 母さんが聞く。

「そうだよ、マリはアイコちゃんの家に行ってきたんだよ」

 母さんが嬉しそうに言う。

「アイコちゃんと何して遊んだの?」

「お庭で遊んだの。鶏がコケコッコーって鳴いてたんだよ」

「あらあ」

 母さんの感心したような顔は変わらない。

「アイコちゃんの家には赤ちゃんがいてね、すごく可愛いんだよ」

「赤ちゃんがいるのね」

「うん!マリ、抱っこしたの」

「男の子?女の子?」

「双子の女の子だよ」

 よしよし、口が勝手に動くぞ。

 

「アイコちゃんのおうちはこの辺よねえ」

 坂を上りきった母さんが言う。

 まずい、アイコちゃんなんて、あたしの頭の中でこしらえた友達だ。

「大きな庭があって、鶏がいて」

 母さんは、ありもしないアイコちゃんの家を探している。

「マリがお世話になっていますって、会ったらお礼を言わなくっちゃ」

 お礼なんて、そんな事言わなくていい。冷汗がだらだら流れる。

「マリ、この辺でしょう?どこお?アイコちゃんの家」

 母さんが不思議さ満面で言う。

「ねえ、アイコちゃんの家は?」

 …答えられない。

「マリ、ねえアイコちゃんの家は?」

 母さんの顔が迫ってくる。

「ねえ、マリ」

 …だんだん表情が険しくなってくる。

「マリ、嘘だったの?」

 …答えられない。

「ねえマリ、母さんに嘘ついたの?」

 やっとひと声、絞り出した。

「…ごめんなさい」

 

 それから何日後だったか、鏡を見て自分の目が本当にかたちんばになっているのに気付いた。

 母さんに言うと

「あんたが悪いのよ。あんたが嘘つくから、だから目がかたちんばになったのよ」

と、咎めるつもり全開の口調で言われた。

 嘘をつくのには、それなりの理由がある。そして嘘ってーのは、ついたらついたで苦労もいっぱいある。母さんにはそれが分からなかった。

「もうあんたの言う事なんて、絶対信用しない!」

と、冷たい背中を向けるばかりだった。

 嘘をつかれると悲しいから本当の事を言ってね、とか、本当の事を言うと瞳のきれいな女の子になれるよ等、傷つかない言い方をすることも出来た筈だが、母さんは決してそういう「プラスの言い方」はしてくれなかった。いつもいつも「マイナスの言い方」ばかりして、あたしを責め立て、追いつめるばかりだった。  

 母さんの言う通り、目がかたちんばになったという事は、あたしはもしかして、すごく正直って事じゃないのかな?                                                                                                      

 

 お気に入りのうさぎのぬいぐるみを抱っこして出かけた。しっぽは取れちゃったが、いつも一緒のうさぎだった。公園にしばらく居た。相変わらず、あたしと遊んでくれる子は居なかった。

 さびしさを堪えながら帰ったら、母さんが言う。

「どこ行ってたの?」

 また怒られるのかと思いながら言い訳した。

「うさちゃんのしっぽ、買いに行ったの」

 母さんは仕方なさそうに笑いながら言う。

「あんた、可愛いねえ」

 父さんも笑って言ってくれた。

「お前、可愛いな」

 へえ、二人とも一応あたしの事を可愛いと思ってくれてるんだ、って意外だった。

 

「あんた、可愛いねえ」

「お前、可愛いな」

 父さんと母さんの言葉が忘れられなかった。是非ともまた可愛いと言われたい。

 洗面所で髪を整え、服を整えてから、台所にいる母さんに聞いた。

「マリ、可愛い?」

 母さんが言う。

「うん、可愛い」

 ソファにいる父さんにも聞いた。

「マリ、可愛い?」

 父さんも言ってくれた。

「うん、可愛い」

 満足だった。あたしは来る日も来る日も、同じ事を父さんと母さんに聞いた。可愛い、ただそう言って欲しいだけだった。

「あんたは小さいうちに死んだものと思っているからね」

と言われた直後でも、震える声で聞いた。

「マリ、可愛い?」

 冷たい背中の母さんには届かなかいらしく、返事はなかった。

 可愛い、たった一言でいい、そう言って欲しかった。

 

 何日目だったか、母さんに怒鳴られた。

「もううるさいよ!毎日毎日同じ事ばかり言わないでよ!」

 …ただ、愛情を確認する方法として、可愛いかどうか聞きたかっただけなんだけどな。さびしい、悲しい気持ちで口を閉じる。

 それに母さんだって、毎日同じ事、言うじゃん。

「あんたは小さいうちに死んだものと思っているからね」

って。あたしはもう決して

「マリ、可愛い?」

と聞かなくなった。口と一緒に心も閉じた。

 

 気が付くと、母さんがまた切れている。理由は分からない。ああ殴られる。そう思って、家の中で唯一鍵のかかる場所、トイレへ逃げ込んだ。母さんがドアをキチガイのように叩いている。

「マリ!開けなさい!マリ!マリ!マリイイイイイッ!」

 開けたら殴られる。だから開ける訳にいかなかった。

 しばらくして静かになったので、そっと開けてみたら、母さんがわざわざ椅子を持って来て、トイレの前に座り込んであたしを待ち構えている。まずい。慌てて閉める。

 しばらくしてからまた開けてみたら、じっと睨みながら腕組みしている。まだ駄目だ。また慌てて閉める。

 更にしばらくしてからまた開けてみたら、あたしを見てにっこり笑った。許すって事かな、と思って出てきた途端に、引っかかったなって顔をして、あたしをふんづかまえ、滅茶苦茶に殴った。

 …罠だった。

                

 その夜は寒かった。あかあかと燃えるストーブに新聞紙を入れたら、ボーボー燃えだした。どうして良いか分からず困っていると、母さんが吹っ飛んできて、あたしから燃える新聞紙を奪い取り、必死の形相でフーッフーッと吹いて何とか消し止めた。…そして滅茶苦茶にひっぱたかれる。

「家が火事になるでしょ!」

 痛くて嫌だったが、その時だけは「何故今自分が怒られているか」と「これからどうすればいいのか」がよく分かった。

 …その日、帰ってきた父さんに母さんがその事を話す。父さんが

「お前、ちゃんと見てなきゃ駄目じゃないか」

と言いだし、また二人が喧嘩になった。

「だってあたしは忙しいし、一日中じっとマリを見ている訳にいかないもん」

「火事になったらどうするんだよ、火は危ないって事をちゃんと教えろよ。教えないのが悪いんだろ」

「あたしが悪いっていうの?」

「だから俺は火事を起こすなって言っているんだよ」

 言い合いしているうちに、二人とも興奮して暴力沙汰になっていった。悲しかったが、その時も「何故二人が喧嘩しているのか」がよく分かった。

 その後、母さんが風呂に入っている間に、試すような気持で父さんに聞いてみた。

「マリが悪い子だから、父さんと母さんは喧嘩するの?」

 違うと言って欲しかった。それは関係ないと。そしてマリは決して悪い子ではないと言って欲しかった。だが父さんは即答した、

「そうだ、お前が悪い子だからだ。だからお前は親の言う事を何でも聞く良い子にならないといけないんだ。分かったな」

 …絶句した。

 父さんが風呂に入った時に、試しに母さんにも聞いてみた。

「マリが悪い子だから、父さんと母さんは喧嘩するの?」

 母さんも即答した。

「そうよ、あんたさえ生まれてこなければ、あたしたちは幸せだったのよ」

 …また絶句した。

 

 翌日、つまらなそうにあたしとおもちゃで遊んでいた母さんが、急に何か思いついたような嬉しげな顔で、こんな事をあたしに聞いてきた。

「ねえ、マリ。父さんと母さん、どっちが好き?」

 あたしはにこやかに即答した。

「父さん!」

 父さんと母さんに仲良くして欲しい、そう言いたかったのだが、あたしは馬鹿な子どもでうまくそう言えなかった。

 一瞬で母さんの顔から笑みが消える。

「え?」

「父さん!」

 もう一度元気に答えた。だから母さん、父さんと仲良くしてね。そういう思いを込めて言った。

 そんな筈がないと言いたげな母さんが、不思議さと不満さをあらわにしながら、まったく同じ事を聞く。

「父さんと母さん、どっちが好き?」

「父さん!」

 無邪気に答えるあたし。

「父さんと母さん、どっちが好き?」

 また聞く母さん。

「父さん!」

 元気に答えるあたし。

「父さんと母さん、どっちが好き?」

 母さんは、この子はこの質問の意味が分からないのか?という顔をしながら、それこそ三十回くらい聞き続けた。そのたびにあたしは

「父さん!」

と答え続けた。気持ちを分かって欲しかった。今日父さんが帰ってきたら、お帰りと笑顔で迎えて欲しかった。仕事で疲れた父さんをねぎらって欲しかった。大きな声で、笑顔爛漫で、元気よく言った。

「マリは父さんが好きだよ!」

 母さんが怒り満面で、すっくと立ち上がる。

「マリ、上着を着なさい。マフラーしなさい。手袋も」

 こんな時間からどこへ行くのだろう?不思議な気持ちのまま、母さんの言うままに防寒対策をし、社宅の一階に連れて来られた。

「そこに立っていなさい。もうすぐあんたの大好きな父さんが帰ってくるから」

そう言い残し、階段を上がって行く母さん。ガチャリ。家のドアが閉められ、鍵をかける音も聞こえた。

 真冬の寒空の下、あたしはなす術もなく、ただ呆然と立っていた。

 やがて夕闇の中、父さんらしき人が歩いてくるのが見えた。視力の悪い父さんが、あれはマリかな?というような不思議そうな顔で、身を乗り出すような感じであたしを見ながら歩いてくる。すぐ近くまで来て、やはりあたしだと分かった父さんは、ただびっくりしていた。

「どうしたの?」

 答えようがなかった。自分でもどうしてここに立たされているのか分らなかったから。

「母さんに出てろって言われたの?」

 黙って頷く。

「おいで」

 父さんが手を引いてくれた。家のドアを開けると、母さんが台所で夕飯の支度をしていた。母さんは、あたしを寒い目に遭わせておきながら、自分はずっとぬくまっていた訳だ。

 父さんが母さんに聞く。

「マリ、何か悪い事したの?」

 大人のくせに、母さんが拗ねたような顔をする。

 父さんがもう一度聞く。

「マリ、何したの?」

 母さんが開き直ったように答える。

「…だって、あたしよりあんたの方が好きだって言うから」

「は?何の事?」

「マリに、あんたとあたし、どっちが好き?って聞いたら、何回聞いても父さんって答えるの。だから出した」

「そんな理由で子どもを外に出すなよ」

「だって、あんたよりあたしの方がずっとマリの面倒見てるもん。それなのに」

「だったら父さんと母さん、どっちがマリの面倒見てる?って聞けばいいじゃないか」

「それじゃあ嫌だ。あたしが好きって言って欲しいんだもん」

 …あたしはよく分からなかった。父さんを好きだといけないのかな?母さんってあたしを自分の持ち物って思っているような気がする。母さんは子どもを生んだ子どもだった。

 その後、母さんがお風呂に入っている間に、父さんがあたしにそっと言った。

「今度母さんに、父さんと母さんどっちが好きか聞かれたら、母さんって答えなさい」

 滅多に見られない、父さんの優しい顔が嬉しかったよ。

「マリ、父さんが好き!」

 笑顔で答えたら困惑した顔になり、また言った。

「うん、そうだけどね。母さんに聞かれた時だけ、母さんが好きって言いなさい」

「どうして?」

「母さんがやきもち焼くから」

 …訳が分からなくてきょとんとしちまったよ。

 そう、あたしは物凄く頭の悪い子どもだったから。

 

 翌朝起きたら、もう父さんと母さんの喧嘩が始まっていた。

 原因は母さんが

「あたしは貧乏くじを引いた」

と、ため息まじりに言った事だったらしい。そんな事を言われたら、そりゃ誰だって怒る。何だか母さんって、自ら修羅場を起こしているような気がする。

「何が貧乏くじだ。ここは俺の家だ!出て行け!」

 母さんを拳できつく殴る父さん。痛そうに顔をゆがめながら、姉ちゃんとあたしをチラリと見る母さん。

 父さんは、興奮した顔のまま背広に着替えて会社へ行った。姉ちゃんは、うちの前までくる送迎バスに乗って幼稚園へ行った。家にはあたしと母さん二人きり。

 …すると母さんが、まるで何もなかったようにあたしと遊び始めたのだ。普段は自分の事や家事優先でほとんど遊んでくれないくせに。

 お昼は買ってきたサンドイッチだったし、おやつはプリンだった。その日はずっと気持ち悪いくらい優しかったよ。でもあたしは母さんが優しいのが、遊んでくれるのが、すごーく嬉しかった。いつもこうだといいな。今日の母さん、いいな。

 姉ちゃんが幼稚園から帰って来た。

 三人で夕飯を囲む。母さんは相変わらず優しい。姉ちゃんも不思議そうな顔で母さんを見ている。

 そして夕飯後、仕掛けられていた修羅場はスタートした。

「マリ、ここに来なさい」

 あたしはまた優しくしてくれるのかなと期待しながら、母さんの前に駆けていった。

「そこに座んなさい」

 ちょこんと座る。

「はい、どうぞ」

 キャンディーをくれた。

 お、今日は随分サービスがいいな。ニコニコとキャンディーを食べ始める。

「ねえマリ、父さんと母さんどっちが好き?」

 唐突に言われてドキリとした。

「マリ、答えなさい」

 母さんの顔からは笑顔が消え、じっとあたしを見据えている。

 

 楽しい気持ちは一瞬で吹き飛んだ。

 母さんは、自分を好きだと言わせる為に、今日一日遊んでくれたのだった。

 その為だけに、サービスしてくれたのだ。

 母さんはまたあたしに罠を仕掛けたのだ。

 

「今度母さんに、父さんと母さんどっちが好きと聞かれたら、母さんって答えなさい」

 父さんの言葉を思い出す。だが答えられない。

 

 母さんが諭すように言う。

「マリも見ていたよね?今朝、父さん、母さんを殴っていたよね?」

 仕方なく頷く。

「しょっちゅう殴っているよね?」

 それも仕方なく、というか、もうどっちでもいいという気持ちで頷く。

「父さんと母さん、どっちが好きか言いなさい。早く」

 頭がどんどん真っ白になっていく。

 ああ、どうしていいか分からない。

 

 あたしは立ち上がり逃げようとしたが、腕を痛い程つかまれ、強引に振り向かされる。

 ボトリ、床に落ちるキャンディー。

「父さんと母さんどっちが好き?」

 涙がこみ上げてくる。

「泣いたって駄目よっ!マリ!答えなさい!」

 爆発しそうな心臓がせり上がって来る。

「マリッ!父さんと母さん、どっちが好きっ?」

 母さんの口から、言葉の暴力がどんどん飛び出してくる。

「マリッ!父さんと母さん、どっちが好きか答えなさいっ!」

 つかまれた両腕は折れそうに痛い。

「言いなさいっ、マリ!!」

 強く揺さぶられ、首がガクガクする。

「マリ!答えなさいっ」

 答えられる筈がない。

「マリ!マリ!」

 揺さぶる事をやめない、やめてくれない母さん。

「マリッ!マリッ!マリッ!マリイイイイッ!」

 そんな母さんは好きじゃないよっ!

 好きじゃないよう!

 嫌だよおおお!

 

 …気がつくと呼吸が出来なくなっていた。

 母さんが強引に、あたしの両手をお祈りするように組ませ、大きな声でお経を読んでいる。

 ってか「怒鳴って」いる。

 うるさくて、嫌で、顔を背けると、もっと顔を近づけ、がなり立てるような大声で、唾を飛ばしながらお経を怒鳴ってくる。

 目の焦点が合わなくなっているのが、自分でも分かる。

 やめて、そのお経を、手を組ますのも。何もしないで!

 

 パンッ!パンッ!凄まじい勢いで顔をひっぱたかれる。

 いつもの怒りに任せた暴力とは違う、正気に戻そうとする殴打だ。

 やめて、痛いよ、苦しいよ!叩かないで!何もしないで!

 

 蛍光灯の下に引きずっていかれ、更に懐中電灯で顔を照らされる。

 ああ、眩しいよ!消してよ!何もしないで!

 

 顔に水をぶっかけられる。もっと呼吸が止まる。

 ああ、母さん!あたし死んじゃうよ!何もしないで!

 

 だらだらと、おしっこが漏れていく。

 最初は股間が温かく、すぐ冷たく湿って不快になる。

 ああ、あたし、また怒られるのかな…?

 

 ギョロギョロと、さっき食べたものが不快な臭いと共に吐き出る。

 ああ、まだまだ出るよ。

 あたし、どうなっちゃうのかな・・・?

 

 吐くものがなくなると、今度はごぼごぼと泡が吹き出る。これ・・・何だろう・・・?

 

 …次の瞬間、ふっと楽になった。

 あれ?どうしたのかな?

 そこで恐ろしい光景を見た。

 ひっくり返って、水びたしのまま泡を吹いている自分を。

 

 母さんが「もうひとりのあたし」に向かってわめくお経が、遠くに聞こえる。

 姉ちゃんが心配そうに、白目をむいて痙攣している「もうひとりのあたし」を見ている。

 なす術もなく、ただ不思議そうに見ている。

 あたしは思ったよ。あたしはここにいるのに、なんでそこにもあたしがいるんだろう…?

 

 それが「幽体離脱」という現象だという事を、ずっと後になって知った。

 耐え難い苦痛にさらされ、体から心を解き放す事で、あたしは自分を守ったんだろう。

 

 しばらくして、正気を取り戻し、起き上がったあたしに母さんが言ってくれた。

「悪かったね、あんたのお父さんの悪口を言って」

 母さんは

「父さんのご先祖様の霊があんたに降りてきたのよ」

と、まことしやかに説明した。

 そして

「この子は霊感が強いんだわ」

と、霊媒師でも見るような目であたしを見ているし。

 

 …違うよ、母さん。勘違いしないでくれる?

 母さんがそうやってとことん追いつめるから、だからあたし、おかしくなったんだよ。

 だが、やはりうまく言葉に出来なかった。

 そう、あたしはまったく弁の立たない子どもだったから…。

 やっぱり母さんって、あたしを自分の所有物って思っている気がする。

 ただそれ以降、父さんと母さんどっちが好き?と聞かれなくなった事は嬉しかったけどさ。

 

     ★

 

 そういえば幼稚園に通うようになって、母さんから少しでも離れる時間が出来た事が、物凄く嬉しかった事をよく覚えている。

「おかあさーん」

と、泣いている友達を見て、何が悲しいんだろう?と不思議だった。

 だって、嬉しいじゃん。一日中怒鳴られてひっぱたかれるより、ずっといいよ。給食もおいしいし、先生は優しいし、近所の子だけでなく、新しい友達も出来たし。

 幼稚園の入園テストは簡単だったよ。知らないおばさんが、ビー玉やらおはじきやら積み木やら、色々なおもちゃが入っている箱を前にあたしにこう言った。

「この中から赤いおはじきをみっつお父さんに持って行って」

 言われるままに、赤いおはじきをみっつ父さんに持って行く。

 父さんが何故か焦ったような、ほっとしたような顔で受け取ってくれた。 

 おばさんの所へ戻ると今度はこう言われた。

「この中から四角い積み木をいつつお母さんに持って行って」

 また言われるままに四角い積み木をいつつ母さんへ持って行く。

 母さんも何故か慌てた顔で

「はい、ありがとう」

と言いながら受け取る。

 おばさんがまた言う。

「この中から黄色いビー玉をななつ持って行って、お父さんにふたつ、お母さんにいつつ渡して」

 またまた言われるままに黄色いビー玉をななつ選び出し、父さんにふたつ渡し、母さんにいつつ渡した。

 二人が同じ表情で同時に言う。

「はい、ありがとう」

 おばさんが言う。

「お父さんからビー玉をひとつ、お母さんから積み木をふたつもらってきて」

 また言われるままに父さんからビー玉をひとつ、母さんから積み木をふたつもらっておばさんに届ける。

 おばさんが満足そうに言う。

「うん」

 何だ、このおばさん。

 …後で知った事だが、何も知らずに行き、いきなり入園テストと言われた父さんと母さんはえらく焦ったそうだ。

「お前、教えたか?」 

「教えていない。どうしよう、マリ出来るかしら」

 そんな会話が交わされていたらしい。

 あははははは。心配御無用!

 あたしはあっさり受かり、晴れてその公立幼稚園に通うようになった訳だ。

 

 母さんはね、料理が極端に下手で、家で食べる食事をおいしいと思った事は一度もなかったよ。

 あたしにとって、初めて食べる「まともな食事」が幼稚園の給食だった。だから帰る時間が嫌だったさ。またあの家に戻るなんて、またまずい夕飯食べるなんて、ってね。       

 あたしは小さい頃、家で自分が何を食べていたか、覚えていないんだよ。

 普通、覚えているよね。けどあたしの場合、ほとんど記憶がないの。

 唯一覚えているのが、厚切りのハムに厚切りのパイナップルを乗せて焼いたおかず。甘くておかずにならなくて嫌いだった。

「おいしくない」

と言うと、母さんは間髪いれずにこう言ったよ。

「じゃあ自分でやればいいじゃない!」

 出来る訳ないじゃん、って思っていた。

 父さんもよく文句を言っていたよ。

「高野豆腐くらいまともに作れないのか」

とかね。

「まともな高野豆腐ってどんなの?」

って母さんが聞くと、説明する事が苦手な父さんは

「だから、世の中の高野豆腐だよ」

と、よく分からない答えを言っていた。世の中の高野豆腐って、どんなんだろうねえ。

 幼稚園の給食は色とりどりで、味付けもバランスもちょうど良かった。あたし、毎回おかわりしちゃったよ。おいしくておいしくて。

 先生も怒る事はなく、何かあっても「やった事を注意する」って感じで、お前は駄目な子だとか、まして死んだものと思っているなんて否定するような事は一度も言われなかった。

 だからあたし全然傷ついたりしなかったよ。次からはこういう事をしなければいいんだなとか、こうすればいいんだなって理解できたしね。

 友達も

「マリちゃん、遊ぼ」

って言ってくれて嬉しかった。

 あたしが初めて出会った「楽しい時間」が幼稚園で過ごすひとときだったよ。家族で出かけたって、車に酔うか、喧嘩を見るかでちっとも楽しくなかったしね。

 あたしは幼稚園が大好きだった。

 そうそう、プロポーズしてくれた男の子もいたよ。トモくんって子。

「ボク、大きくなったらマリちゃんと結婚する!」

と、みんなの前で恥ずかしげもなく宣言してくれた。

 ノリくんが言う。

「お前、マリちゃんより背が小さいじゃないか!」

 トモくんが自信満々で答えてくれた。

「大人になったら男の方が大きくなるんだ」

 嬉しかったよ。

 ああトモくん、早く大人になってあたしを迎えに来て。

 

 幼稚園が休みの前の日、必ず上履きを持ち帰る。他の子はみんな、上履きをお母さんに洗ってもらっている様子だったが、うちは必ず自分で洗う決まりだった。

 汚れた上履きをバケツに入れ、洗剤を振りかけてたわしでこする。汚れがどんどん浮き出てくる。それをきれいになるまで洗い、すすぎ、ベランダに干す。

 ただ素手で洗うので毎回手が乾燥して嫌だった。あたしは幼稚園児ながら手が荒れていた。

 母さんが言う。

「あんた、子どものくせに手が荒れているわね。きっと苦労する人生ね」

 …苦労する人生なら生きたくないよ。

 

 うちは家の中では冬でも裸足で過ごすのが決まりだった。

「その方が足が丈夫になるから」

というのが母さんの言い分だった。

 だがあたしは何となく、靴下が早く傷むからなるべく履かせたくないと思っているのが分かっていた。その靴下も、穴があいたら自分で縫う決まりだった。

 春や夏になると、幼稚園でもあたしは裸足に上履きを履いて過ごした。他の子はみんな夏でも靴下を履かせてもらっているというのに…。

「マリちゃんってどうしていつも裸足なの?」

と友達に聞かれ、返事のしようがなくて困っていた。

 男の子にも

「やーい、裸足だ、貧乏だ」

とからかわれるし。

 迎えに来た母さんに思い切って言ったよ。

「母さん、みんな夏でも靴下履いているよ」

 あたしもそうしたい、という思いを込めて言ったのだが、母さんは高らかに即答する。

「よそはよそ。うちはそういう方針なのよ」

 どんな方針だい?靴下方針かい?

 困り果て、黙るあたし。

 満足そうな母さん。

 本当は靴下を節約したいだけじゃないの?娘の足より、靴下が傷むのが嫌かねえ。

 それでいてあたしがほんの少しでもみんなと違う事をするとこう言った。

「あんた、何でみんなと同じようにしないの?」

 …それは違った育ち方をしているからだよ。ところで、よそはよそ、じゃないのかい?

 七夕の短冊にこんなお願い事を書いた。

「くつしたがほしい」

 …夢がないねえ。

 

 もうすぐクリスマス。

「今年はサンタさんに何をお願いするの?」

 母さんの問いに即答した。

「靴下をたくさん下さいって言う」

 …叶うといいねえ。ところで、もうサンタさんは断るんじゃなかったのかい?

 

 その頃、姉ちゃんが歯の矯正と目の矯正をするようになったよ。姉ちゃんがニッと笑うたびに、ずらっと壮観なまでに矯正された歯が登場し、不気味だったさ。子どものくせに牛乳瓶の底みたいな分厚い眼鏡かけちゃってるし。それぞれの矯正に金がかかり、我が家はますます逼迫していった。

 …あたしも幼稚園の視力検査や歯の検査で、目と歯の矯正が必要という結果は出ていた。

 その頃あたしは「下の歯が前で上の歯が後ろ」になっていたんだ。友達にからかわれて初めて上の歯が前ってーのが正しいんだって事に気づき、そこだけは無理矢理自分で直したよ。けど歯並びがガチャガチャなのは、どうしようもなかったし、右目はよく見えるけど塞いで左目だけで見ようとすると、あんまり見えないって事にも気づいたさ。

 幼稚園の担任の先生が

「マリちゃんも矯正した方が良いですよ」

と母さんに話しているのを聞いたけど、父さんも母さんも姉ちゃんは大事だけど、あたしはどうでもいいらしく、決してあたしの目も歯も矯正しようとしなかったよ。

「いいよ、マリは」

って一言で済まされちゃったしね。

 …まあね、あたしは「死んだもの」なんだから、矯正なんかしたってしょうがないんだろうしね。

 

 母さんは父さんが大嫌いだったから、父さん似のあたしが嫌だったんだろうな。

「マリ、あんたは小さいうちに死んだものと思っているからね」

というのは、ほぼ毎日言われていたけど、もうひとつよく言われたのが

「あたしの人生の最大の失敗は、父さんと結婚した事と、父さんそっくりのあんたを生んだ事よ」

という暴言だった。母さんは暴言とさえ思っていないみたいだったけど。

 どっちも返事のしようがなかったよ。聞こえないふりをして黙っていると、母さんも言った気がしなかったんだろうね。おんなじ事、何回も何回も言われたよ。

 あーあー、はいはい。生まれてきちゃって悪かったですね。すいませんね!なるべく早く死にますからもう言わないでよ!あたしは心の中でいつも叫んでいた。

 そして母さんは自分にそっくりで、尚且つ取り入るのがうまい姉ちゃんを、あたしの前でこれ見よがしに可愛がり、こう言った。

「悔しかったらあんたもいい子になりなさい。そうすれば可愛がってあげるから」

 あたしはただ黙って見ていたよ。張り裂けそうな心を持てあましながらね。

 こっちは

「悔しかったら良い母親になりな。そうすれば懐いてあげるから」

なんて言わないのにさ。

 それでいて機嫌良い時には、こんな事を言ってた。

「あんたがあたしのお腹にいる時に、夢を見たのよ。神様が出てきて、その子は男の子だって言ったの。立派な大人になるって言われたのよ。だからあたし、あんたは男の子だとばっかり思っていたんだけどさ」

 …すいませんねえ。女の子で、しかも立派じゃなくて。

 

 父さんはね、日本人なら誰でも知っている大手の航空会社に勤めていた。JELだか何か知らないけど、名前さえ言えば、みんながみんな、「へえ」と感心するような大企業だった。 

 父さんの父さん、つまりあたしからするとじいちゃんが勤めていて、父さんの11人もいるきょうだい(昔は生めよ、増やせよで、どこも大家族が当たり前だったのさ)のほぼ全員がJEL社員だった(結婚した伯母さんたちは専業主婦になっていたが)。

 伯父さんは初代のパイロット、伯母さんは初代のスチュワーデス、別の叔母さんは日本初のタイピスト、もうひとりの叔母さんも重役秘書、叔父さんも機長。みんなコネ入社。そして航空会社一家って訳。ぱっと見は、華麗なる一族ってーの?

 そして母さんは自宅で造花教室を開いていた。姉ちゃんとあたしを産んでから、多忙の合間を縫うように勉強を始め、学び続け、資格を取り、師範にまでなった。何のコネもツテもなく、ただ努力するだけで頂点へ登りつめていった母さんには、壮絶なサクセスストーリーと、努力すれば必ず夢は叶う、という自信やら自負やらがなみなみと溢れていた。

 はいはい、立派だね。その前にあたしを殴ったり、否定したり、罵詈雑言浴びせるのをやめてくれないかね。我が家は綺麗なお花も溢れていたけど、汚い暴力も所狭しと溢れていたよ。

 ただね、大企業ったって薄給じゃしょうがないんだよ。母さんはいつもお金がない、お金がないって怒っていたよ。

 だったら姉ちゃんやあたしに習い事させなきゃいいのにさ。バレエだ、ピアノだ、オルガンだ、水泳だ、そろばんだって習い事ばかり。しかも全部母さんの意思で決められて、あたしの意思なんてひとつも通らなかったよ。どれもこれもやりたかねーよ。

「高い月謝払ってやっているのに、あんたはちっとも上達しないし一生懸命やろうともしない。勿体ないったらありゃしない!」

って怒られるばかりで、なんにも面白くなかったよ。

 姉ちゃんはバレエやピアノの発表会に出て活躍して、みんなに褒められてご満悦状態だったけど、あたしはまるきり上達しないから、発表会も何も出た事なんて1回もなかったさ。怒られる回数が増えるばかりで全然楽しくなかった。

 しかもその授業料がかさむとか言って、別の所にしわよせ来るし。

 

 あたしは小さい頃、身に着けるものは全部姉ちゃんのお下がりばかりだった。いつなんどきも、あたしは姉ちゃんの小さい頃に着ていたものを着せられていた。

 靴下だけは、姉ちゃんもボロボロになるまで履きつぶしていたから買ってくれたけど(すげー嬉しかったよ)、それ以外は全部お下がりだった。

 そこまではどこの家庭でも当たり前だが、母さんは家に来客があるたびに

「これ、上の子のお下がりなの。お下がりなの」

と、まるで言い訳するかのように連発していた。

 あまりに繰り返して言うのにたまりかね、反論ほど不得意な事のないあたしが思い切って言った事がある。

「ねえ、お下がり、お下がりって言うのをやめて」

 母さんは平気で言った。

「だってお下がりだもん。本当の事言って何が悪いの?」

「でも嫌だ。お下がり、お下がりって言われるの、嫌だ」

 母さんに気持ちを分かって欲しかった。お下がりを着せられるのが嫌なのではなく、そう言われるとあたし自身を「ついで、おまけ」と言われているようで嫌なのだという事を。

 母さんはそれからも得意気に、お下がりと言い続けた。お下がりは洋服や靴だけではなかった。

 

 あたしが小学校に上がる時の事だ。

 姉ちゃんは、もうランドセルを使わなくなっていた。学校で手提げ袋が流行っていて、それに教科書を入れて通学していたのだ。

 母さんは姉ちゃんのランドセルを手に取り

「まだきれいだもの。勿体ないわよねえ」

と、それこそ言い訳するように連発し、あたしにしょわせた。

 古いランドセルをしょわされたあたしは、学校で来る日も来る日もいじめられ、泣きながら家に帰る、惨めな小学校生活をスタートさせる事になる。

「どうしてランドセル古いの?どうして古いの?」

と、友達みんなに聞かれ、返事のしようがなかったのだ。それもみんながみんな、掻き分けるようにして聞いてくるんだよ。

「どうして古いの?どうして?どうして?」

って。

 あまりにいじめが激しく、担任の先生にまで

「新しいランドセルを買ってあげたらどうですか」

と言われた母さんが、しぶしぶ新しいものを買ったのは、あたしがニ年生になる時だった。

 ちょうどその頃、父さんの転勤に伴い、あたしたちは福岡から大阪へ移り住む事になっていた。母さんとしては心機一転、学校も新しくなるし、ちょうどいいと思ったのだろう。  

 …だが新しい学校でも、あたしはスタートからみんなにいじめられる事になる。だってみんなが程々に使い込んだ中に、ひとりだけ新品のランドセルをしょっているんだもん。

「どうしてランドセル新しいの?どうして新しいの?」

と、クラス中の子に聞かれる羽目になっちまった。その時もみんながみんな、掻き分けるようにしてあたしに詰め寄って来たよ。

 まったく違う学校で、まったく違う友達なのに、まったく同じ光景を見る羽目になっちまった。

「どうして新しいの?どうして?どうして????」

って。それも返事のしようがなく、新しい学校でもいじめられ、あたしはいつも鼻を垂らして泣いていた。

 もういじめられたくない一心で、新しいランドセルを何とか古くしようと、叩いたり蹴ったりして傷を付けた。

「やめなさい!勿体ない!」

 母さんはわめいたけど、このランドセルがあたしを不幸にしていると思うとやめられなかった。

 他の子と少しでも違っていると浮いてしまう、いじめられてしまう、母さんはそれが分からなかった。自分だけが正しいと主張を譲らなかった。

 あたしは新しいランドセルを1ヶ月も使わなかった。もういじめられるのも、からかわれるのもたくさんだったからね。

 母さんがさんざん

「勿体ない!せっかく買ってやったのに!」

と言ったが、手提げ袋に教科書を入れて登校した。

 母さんは、適切なタイミングで適切な事をしてくれない人だった。

 また、あたしは自分では分からなかったが「福岡訛り」があり、人と会話している時に話が通じない事が多々あった。 

 友達にも

「あんた、ナニジン?」

ってよく言われたよ。

 それもいじめに拍車をかけ、道を歩いていて

「やーい、ガイジーン!」

と男の子に囃し立てられたりもした。

 言われても困ったさ。訛ってるってー認識ねーっつーの!!

 

 更にその学校で、悲惨な思い出がある。授業中に失禁しちゃった事。しかも「でっかい」方。

 なんで漏らしちゃったのか、なんて分からない。聞かれたって答えられない。ただどうしても我慢出来なくて、先生に手を上げてトイレ行っても良いですか?って言えなくて、漏らしちゃったんだ。

 ニオイで、みんなすぐ気付いたよ。犯人があたしって事にもね。臭い、臭いって騒ぐみんな。どうしようもないあたし。

 やっと来た休み時間。トイレに駆け込み、漏らしたものを懸命に処理しようとするがしきれない。どうしよう、どうしよう、先生に言おうか、でも先生だって困るだろう。ああ、言えない。

 給食の時間、周りの子はみんなあたしを、これ以上避けられないってくらい避けながら食べている。あたしも、自分は臭いから悪いなって思いながら避けて食べる。

 消えちまいたいくらい居たたまれない1日が終わり、やっと下校時間。気持ち悪さを堪えながら家に帰った。

 風呂場で汚した下着やズボンを洗いながら、ようやくほっとする。ああ、明日は臭い臭いと言われなくて済む。

 そこへ母さんがやってきた。

「あんた、何してんの?」

 しぶしぶ訳を話したよ。

 そうしたら

「あんたには呆れるわ、小学生にもなっておかしいよ!」

と、また罵倒された。

 誰よりそう思っているのはあたしなのに、尚更惨めになった。

 そしてさも汚なそうに、風呂場の床に洗剤をバンバン撒き散らし、タワシでガリガリ擦る。

「ここにウンチがいっぱい付いているに違いない!」

とか言いながら。途中で嫌になったらしく、タワシを放り出して言う。

「あんたがやりなさいよ!自分の撒いた種、自分で刈り取りなさい!」

 仕方なく自分で風呂の床を掃除し始めたらこう言う。

「あんた、パンツ脱いでごらん」

 あたしだってもう大きいのに、そんな事したくないよ。困り果て、首を横に振る。

「いいから脱ぎなさい!お尻見せてごらん!!」

 どうしても、どうしても嫌で、首を横に振り続ける。ケツ見てどうすんだよ。

「あんた、どっかおかしいんじゃないの?」

 そのセリフなら、ウンチを漏らす前から何回も聞いてるよ。

 そして風呂掃除をし続けるあたしに向かって、ひとさし指を立てた手を突きつける。

「あんた、これ何本?」

 何でそんな事するんだろう。

「これは?」

 今度は4本立ててみせる。

「じゃあこれは?」

 次は2本だ。ピースサインかよ。

「これは?」

 お次は5本だ。平手で殴られるのかと思った。

「これは?」

 次はグーだ。拳で殴られるのかいな?

「じゃあこれは?」

 3本指が立っている。茫然とするしかない。

「なに、あんた、数も分からないの?」

 母さんが、気が狂いそうに苛立っているのが分かる。

「あんた、おしまいよ、おしまい!おしまい!おしまい!」

 その夜、帰ってきた父さんに母さんが、あたしが学校でウンチを漏らした事を言った。

 父さんがあたしをちらりと見て、大きな大きなため息をつく。酷い口臭がした。

「こいつはキチガイ病院行きだな」

 ああ、授業中にウンチを漏らしたらキチガイなんだ。

 

 翌日から、学校であたしのあだ名は「ウンチ」になった。男子も女子もみんなあたしを避け

「臭いからあっち行け」

「ウンチが通るよ!」

と来る日も来る日も罵倒された。

 ランドセルや訛りが原因のいじめの時とは違う、みんながみんな異物を見る目に耐えられなかった。

 当時、時々姉ちゃんが休み時間になると、あたしの教室に来てくれたよ。休み時間は苦痛だったからね。助かった、そう思いながら嬉しそうに廊下に出たもんさ。

 廊下で姉ちゃんとあたしは、ただ黙ってにこにこしていた。何も話さなくても、あたしが姉ちゃんを待っていた事は分かったんだろう。姉ちゃん来てくれないかなと思っていたよ、と顔に書いてあったんだろう。そう、その頃までは姉ちゃんも時々はあたしに優しかったよ。

 時々、はね。

 だがその後、姉ちゃんは勉強もできず、学校ではいじめられ、家でも親に怒られてばかりいるあたしを見下すようになる。賢い姉ちゃんはあたしをかばうより、母さん側について弱いあたしをいじめる方が楽になっちまった訳だ。

 それはそれは恐ろしかったよ。姉ちゃんにまでぐいっと踏み付けられ、あたしはいよいよひとりぼっちになっちまったんだから。

 

 台所にいる母さんに姉ちゃんが言う。

「母さんマリなんてね。今日教室行ったら、先生の話を手提げに顎乗せて聞いてるんだよ」

だの

「母さんマリなんてね。今日体操服忘れて、洋服で体育の時間やっていたんだよ」

だの、しょっちゅうチクッてやがった。

 そのたびに母さんがあたしの所に来て言うんだよ。

「マリ、あんた先生の話を手提げに顎乗せて聞いていたんだって?」

「マリ、あんたまた忘れ物したんだって?」

 それを聞いた父さんが言った。

「そこまで忘れ物するなんて、こいつどっかおかしいんだよ。ナントカ言う病気だよ。医者に診せろよ」

 母さんがその言葉を真に受け、あたしをあちこちの医者やら宗教団体のオエライさんの所に連れていく事になる。

 

 母さんが言う。

「マリ、今日もあんたを病院に連れて行くからね」

 黙って付いていくしかない、小学校2年生のあたし。

 忙しくて持ち物チェックする時間は惜しくても、医者や宗教団体に行く時間は惜しまない、おかしな母さん。

 

 順番が来て、医者の前に母さんとあたしが座る。

「どうしました?」

 医者がにこやかに尋ねる。

 母さんが、まずは普通の大きさの声でこう言う。

「この子は忘れ物をするんです」

 次にあたしをチラ見して、気遣っているような素振りをしながら身を乗り出し「囁いて」みせる。

「どっかおかしいんじゃないんでしょうか?」

 どの医者も看護婦も宗教のオエライさんも、びっくりして母さんとあたしの顔を交互に見ていたよ。今の言葉、絶対にこの子に聞こえただろう。そう顔に書いてあった。

 そして医者や宗教のオエライ先生は、必ずあたしに憐れむような眼を向けた。囁いたってあたしは隣にいるんだもん。そりゃ聞こえるよ。丸聞こえだよ。あたしに聞かせたくないなら、紙に書いて渡すとかすりゃいいのに。

 その後、医者や宗教の先生が何事かを話し始める。内容はさっぱり分からない。 

 時々「ああ、可哀想に」という目でちらちらとあたしを見る。あたしにはその視線にも耐えられなかった。

「どっかおかしいんじゃないんでしょうか?」

 その言葉だけが頭にこびり付いていた。

 待合室でお会計の順番待っている時、看護婦に

「お母さん好き?」

って聞かれた事もあるし。答えられずに黙っちまったよ。そんな意地の悪い事聞かないでくれよ、意地悪で聞いてるんじゃないんだろうけど。何でそんな事聞くかなあ。真意分かんねー。

 

 それは1回や2回じゃなかったよ。

 ある時、どこの医者だったか忘れちまったが、いつものように相談に行った時の事だ。

 順番が来る。診察室に入る。椅子に座る。もう慣れっこだ。

 ただひとつ違ったのは、その時にあたしが持っていた手提げを母さんに

「そっちに置きなさいよ」

と言われ、椅子の脇に置いた事だった。

「どうしましたか?」

 何も知らない医者がにこやかに言う。

 母さんが

「この子は忘れ物をするんです」

と、普通の大きさの声で言う。

 次にあたしをチラ見してから身を乗り出し

「どっかおかしいんじゃないんでしょうか?」

と、小声で囁く。

 それを聞き、いつものように相手のびっくり仰天した顔を見て、母さんって同じ事を何回繰り返せば気が済むんだろうと頭の中でぼんやりと考えていた。

 どの医者も、機械を使うとかしてあたしの頭の中を見ようともしないし、宗教のおエライさんも念を送るとかしないじゃん。無駄な事するなよ。

 その医者も、憐れむような眼差しをちらちらとあたしに向けながら、何事か話している。内容はあたしにはまったく分からない。大人同士の難しい話だ…。

 あたしは窓の外に目を向け、そこから見える木の本数なんぞ数えていたよ。する事なかったからね。学校でウンチ漏らした事も相談するのかな、と漠然と思っていた。

 ・・・はっとすると、母さんが立ち上がりあたしに

「ほら、行くよ」

と、めんどくさそうに言っている。

 ああ、儀式はやっと終わったのか。ふらふらっと立ち上がったら、母さんが慌てて言った。

「あっ、荷物」

 ああ、そうか。椅子へ戻り、手提げを持って向き直ったら、母さんがそれこそ「ほら見ろ、こいつまた忘れ物したじゃないか、あなたの目の前で」というオーラをバンバン出しながら医者の顔を凝視していた。仁王立ちで、目を真ん丸くして、さも仰天したような顔で。

 看護婦さんが、見るに見かねたように言ってくれた。

「お母さんが急かすから、つい忘れちゃったんだよね」

 それは救いにも、何にもならなかった。母さんはまるで、超常現象が目の前で起こったかのような、証拠を突きつけるような顔をして叫んだ。

「でも先生っ。JELって会社知っていますよねえっ?主人はJELなんですうっ」

 医者と看護婦さんの顔が、呆れたように、仕方なさそうに曇る。

「私の父は弁護士ですうっ!父方の祖父は銀行の頭取やっていたような人なんですうっ!母方の祖父は医者ですうっ!主人の家系も代々立派ですうっ!この子の上に娘がいますが長女もまともですうっ!あたしは造花教室やってますうっ!経営者ですうっ!うちでおかしいのこの子だけなんですうっ!」

 母さんがあたしを指差しながら叫ぶ。

「こんなおかしい子、生まれる筈ないじゃないですかっ!」

 指をさされたあたしは、ベンゴシとか、イシャとか、ギンコーのトードリとかケイエイシャってそんなに立派で偉いのかなあ?と静かに考えていた。

「それにこの子、霊感が強くて、この子に主人のご先祖様の霊が降りてきた事もありますうっ!あたし、この目で見ましたあっ」

 母さんが自分の目を指差して言う。医者と看護婦は、痛ましい目で母さんとあたしを見ている。

 それさえ、あんたに原因があるんじゃないの?このお母さんそういう考え方しか出来ないんだな、本当に病んでいて、本当に治療を受けるべき患者はこのお母さんだって思っているのは、小学校低学年のあたしにさえ分かった。分からないのは母さんだけだった。

 更に叫ぶ母さん。

「この子が確かにおかしいって事を、もうひとつ証明してみせます!」

 母さんはあたしの顔の前に、2本指を立てた手を突きつける。

「マリ、これ何本?」

 答えたくない。んなもん、2本に決まってる。

「マリ、これは?」

 今度は指を4本立ててやがる。分かったよ、わーかったよ、4本だろーが。だが答えたかねーよ。

「マリ、これは?」

 今度は1本だ。もううんざりだよ。

 医者と看護婦は、目の前で繰り広げられる「変な劇場」に辟易している。母さんは苛立ちながら、まだ指を立て、2とか3とか、やっている。

「マリ、あんた小学校2年生にもなって数も分からないのっ?」

 分かってっけど、答えたくねーの!早く終わってくれよ、その「指攻撃」。

 …診察室を出て、支払いの順番を待っている間、母さんはあたしをじっと見下ろしながら独り言のようにつぶやいたよ。

「やっぱりこの子はどっかおかしいんだわ・・・。この子もうおしまいだわ」

 ああ、あたしおしまいなんだ。じゃあ勉強なんかしたってしょうがないんだろう。友達と仲良くしても、夢を持っても、何かを努力しても、生きててもしょうがないんだろう。あたしはまったく価値のない、しょうがない存在なんだろう。

 小学生の子どもにだって、少しはプライドがある。あまりにも情けなくて、惨めで、張り裂けそうだった。

 それでも、もしかして受け入れてくれるかも知れないと、僅かな望みを抱きながら言った。

「母さん、ねえ母さん」

 歩み寄ろうとしたあたしの存在を、伸ばした手を、母さんは汚いもののようにパンッとはたく。

「あたしもう嫌なのお!あんた見るのもう嫌なのお!!」

そう言いながらとめどなく後ずさりする、切れ切れ母さん。

 母さん、そっちは壁だよ。そっちに道なんてないよ。

 ああ何て切ないんだろう。母さんはもうあたしを見たくもないんだ。触れられるのも嫌なんだ。近寄ってはいけないんだ。だったらあたし、いったいどうすればいいんだろう。本当にどうすればいいのか分からないよ。良い子になれったって、どういうのが良い子なのか、それさえ分からないよ。茫然とするあたし。

 後ろから、看護婦の深いため息が聞こえる。 

 

 医者や宗教団体を訪れた日は、家に帰ると決まって父さんが母さんに聞く。

「医者は何て言っていた?」

とか

「宗教のお偉いさんは何て言っていた?」

とかね。

「それが…」

 母さんが何事か答える。あたしにはそれも、何だかさっぱり分からない。

 父さんがあたしを、まるで汚い昆虫でも見るような目で見ながら言う。

「お前がおかしいという事がはっきり証明されたんだよ。それも医者にさえ分からない異常さという事がな」

 母さんはこう言った。

「まあ、あんたは死んだものと思っているから」

 だったら最初から、医者にも宗教団体にも連れて行くなよ。

 

 母さんは聞かされる相手がどんな気持ちになるかなんて、考えた事さえないんだろうな。

 父さんの前でもよく言っていた。

「もっといい人と結婚すれば良かった。あたしは結婚に失敗したわ」

 そんな事を言われたら、父さんだって怒るに決まっている。

「あんたなんかと結婚しなきゃ良かった」

 平気で言う母さんに、父さんは怒り心頭で鉄拳を振り下ろした。

「じゃあ結婚しなきゃ良かったじゃないか!」

 母さん憤然と反論する。

「だってそうしたら、子どもたちだって生まれてこなかったじゃない!」

「じゃあいいじゃないか!」

 その意見は父さんが正しい。いいぞ!父さん!少なくともそこは間違っていないぞ!

「あんたが悪いのよ!あたしとあんたは合わないのよ!」

「じゃあ出ていけ!ここは俺の家だ!今すぐ出ていけ!」

 ああ、母さん、どうか父さんを怒らせないで。

 そして父さん、どうか母さんを殴らないで。

 あたしは喧嘩を止めるのに忙しくて、まったく何も手につかなかったし、まったく何も考えられなかった。

 

 父さんと母さんは、こんなにお互いを嫌い合っているのに、何で結婚なんかしたのかな?おおいに疑問だった。

 父さんがいない時、恐る恐る母さんに聞いてみたよ。

「何で父さんと結婚したの?」                        

「だって、ある程度の年になってひとりでいると、どうして結婚しないの?って周りに聞かれるから。会社とかで、社会的信用が得られないのよ、ずっと独身だと」

「…そうじゃなくて、どうして父さんと結婚したの?」

「JELだから。父さんはJELだから」

 そんな理由で父さんと結婚したのか、と落胆した。

「じゃあどうしてお姉ちゃんを生んだの?」

 子どもが好きだったから、とか何とか答えて欲しかった。しかしその思いは、次の瞬間もろく打ち砕かれる。

「だって、結婚して子どもいないと、どうして子ども生まないの?って周りに聞かれるから」

「じゃあ、どうしてマリを生んだの?」

「だって二人目は?ひとりっ子は可哀想よって周りに言われるから。そういうのも社会的信用に関わるのよ」

 そんな理由であたしたちを生んだのか、もっと傷ついた。

「母さん、子ども、好き?」

 無い勇気を振り絞って聞いてみたら、こんな答えが返って来た。

「だって、みんなが言うんだもん。自分の子なら可愛いよって」

 答えになっていないよ。みんながそう言うから可愛いのかなと思って生んだら、ちっとも可愛くなかったって事じゃん。

 母さんは周りに言われるから結婚をし(それも父さんというより、父さんの職業と)、周りの言うままに子どもを生んだのだった。

 大事なのは「社会的信用」であり、「自分が周りにどう見られるか」だった。             

「あんたも大人になれば分かるよ。いちばん大事なのは何なのか」

とも言われた。

 本当にそうなのは、母さんの「しょうがないじゃない」と言わんばかりの顔を見てよく分かった。

 

 その頃から、父さんがお酒を飲んで帰ってくるようになった。

「ただいま」

 細い声で、青い顔で、居心地悪そうに、家に入ってくる父さんが情けなく悲しかった。

 母さんは遠慮なくわめき散らす。

「飲む余裕がどこにあるのよ!そんなお金どこにあるのよ!」

 父さんも、飲まずにいられなかったんだろう。家で晩酌ではなく、外で飲んで嫌な現実を少しでも忘れたかったんだろう。少しでも遅く家に帰りたかったんだろう。

 母さんは壁のカレンダーにマジックで大きく書いた。

「父さん飲んだ日」

 嫌味ったらしいね、これみよがしにさ。あたしは父さんが可哀想だった。

 カレンダーは「父さん飲んだ日」という文字でいっぱいになっていった。

 

 小学校3年生になる時、また父さんの転勤で東京へ引っ越す事になったよ。

 あたしは転校出来るのが、嬉しくてたまんなかったよ。もう、ウンチだの、クセーだの、いじめられなくて済むしね。新しい学校では絶対にウンチも何も漏らすまいと力んでいた。

 だけどね、あたしがそう力めば力むほど、事態は何だか変な方向へ行っちまった。

 あたしは毎朝必ず家でウンチを済ませたし、あまり水分を取らないように気を付けていたし、学校に行ってすぐにトイレへ行き、休み時間のたびにトイレへ通い、常に膀胱を空っぽにするようにしていた。けど、どういう訳か、授業中に必ずスゲー尿意に襲われるんだよ。しかも毎回毎回。

 同じ間違いをしたくなかった。また漏らして新しい学校でもいじめられるのはまっぴらだった。だから焦って先生の所へ行き、小声でトイレ行って良いですか?って聞き、トイレへ駆け込んだよ。

 だけどさ、それが毎日、毎授業続いてごらんよ。先生も呆れるし、みんなも変に思うしさ。 

 ある時、ついに先生は言ったよ。

「沖本さん、ちょっと我慢してごらん」

 冗談じゃない。漏らしたらどうなるか、どんなあだ名をつけられるか、どんなに避けられるか、どんなにいじめられるか、あたしゃ前の学校で経験済みだよ。教室を飛び出し、トイレへ駆け込む惨めなあたし。

 クラスのみんなは、あたしのつらい気持ちをよそに平気でこう言った。

「仮病じゃない?」

 どんな仮病だよ、そんな仮病あんのかよ!

 …あたしは新しい学校でも心機一転どころか、やはり浮いた存在だった。理解してくれる人なんてひとりもいなかったしね。

 もうひとつ、大阪訛りがあるらしくて、それも友達にからかわれる原因になっていた。

「あんたナニジン?」

って。まったく違う学校で、まったく違う友達なのに、まったく同じ事言われる羽目になっちまった。ほんとに訛ってるってー認識ねーっつーの!

 そしてトイレの件で、学校から連絡を受けた母さんはあたしにこう言った。

「やっぱりあんたはどっかおかしいんだわ。あんたおしまいよ」

 そしてこうも言った。

「ほら、パンツ脱いでお尻見せなさい」

 医者でも看護婦でもないあんたに、ケツ見せてどうなるっていうんだよ。

「今度授業中にトイレ行ったら、おむつさせるからね」

って脅すし。おむつさせられるなんて、まっぴらだよ。冗談じゃない。そんな事言われたこっちがどんなに傷つくか考えもしないんだろう。また授業中トイレに行きたくなったら…考えるだけで気が狂いそうだ。

 おむつさせられる、おむつにおしっこしなきゃいけない、濡れて気持ち悪いそのおむつを次の休み時間まで我慢して、自分でトイレで替えるのか?どこに捨てるんだ?おむつ…おむつ…おむつ…。

 ああいっそ学校なんて行きたくない。登校拒否しようか、でもそんな勇気ない。

 父さんは父さんでこう言った。

「お前はトイレキチガイだ」

 …タオルキチガイとか、家キチガイとか、トイレキチガイとか、色々なキチガイがあるんだねえ。

 

 日曜日は家にいられて、トイレの心配をしなくて済む。ああ家も悪くないな、なんて思っていたら部屋に父さんが入ってきた。

「お前、父さんと母さんが離婚したらどうする?」

 あたしは黙っていた。そんな返事のしようのない事を聞かないでよ。

「俺が出て行ったら、お前がひとりでいじめられるんだろうなあ」

 父さんは考え込み、困り果てていた。苛立ちを堪えるかのように、自分の足をこつんこつんと叩いている。

 あたしも考え込み、困り果てた。自分の足をこつんこつんと叩く気にはならなかったけど。

 考えきれないよ。どうしていいか、わからないよ。ただ、今目の前にある問題、父さんと母さんの毎日繰り返される喧嘩を止める以外、何をすればいいかまったく分からないよ。

 きっと父さんは、自分は母さんにもう耐えられないし、姉ちゃんはまだ何とか母さんとやっていけるだろうけど、あたしだけは可哀想だと思っていてくれたんだろう。少なくともその瞬間はね。

 あたしは全然親思いの子どもでも何でもなかったが、家が気になり、学校が終わるといつも飛んで帰っていた。

 父さんからは母さんを、母さんからは父さんを守りたかった。

 父さんの会社はシフト勤務体制で、出勤時間がまちまちだった。夜勤の日は、日中喧嘩しているのが分っていたから、一刻も早く帰ってニ人の喧嘩を止めなくてはと、使命感に似た思いを抱いていた。

 だが帰ってみて、やっぱり二人が喧嘩している姿を見るのは悲しかった。家にいるのはつらくて嫌だったし、喧嘩を止めるのは骨の折れる作業だった。

 

 父さんは頭に血が昇ると、周囲が見えなくなるタイプだった。小さなあたしたちが見ていようが何だろうが、一切構わず馬乗りになって母さんを殴った。

「口で言って分からないなら体で分からせる!」

 おなじみのセリフだった。

 それでいて人前ではおとなしかったよ。父さんを知る人はみんなこう言った。

「あんた、あのお父さんに殴られた事があるの?」

 あるよ、あるよ、何千回もね。

 

 そして母さんは、これ見よがしな性格だった。父さんに殴られている自分を「どうだ」とばかりに姉ちゃんとあたしに見せ付けた。

 ああ、マリたちが見ている。この悲惨な姿を見せれば同情して自分の言う事を聞くだろう、そんな感じだった。

 そして殴られた後に必ず

「お姉ちゃん、マリ、ここに来なさい」

と言って、自分の両側に姉ちゃんとあたしを座らせ、両手であたしたちを囲むように抱き寄せ、何事かじっと考えているような顔をしていた。本当は何も考えていないくせに、何も分かっていないくせに、ポーズだけそうしていた。

 姉ちゃんもあたしも迷惑だったよ。早く母さんから離れたかったさ。殴られて可哀想なんて、全然思わなかったしね。父さんを罵らなければ良いのにと思う事は多々あったけど。

 そしていつもあれが気に入らない、これが気に入らないと文句を言って泣いてばかりいた。

 

 そう、母さんはあたしたちの前で泣き過ぎていた。滅多に泣かない人が泣いていれば、そりゃ誰だって心配する。けれど、いっつも泣いている人がまた泣いていたって、誰も何とも思わないよ。ああ、また泣いている。よく泣くね。泣くのが好きなのかな、とさえ思ったさ。

 しかも、母さんは泣きながら怒る人だった。

「あたしは泣いている時は慰めて欲しいのっ!」

って、母さんの場合、順番が逆だろう。慰めて欲しいから、同情してほしいから、わざわざ泣いて見せているんだろう。

 それでいて外面は良かったよ。相手によって態度を変えていたけど。あと、場所が変わるたびにすっと馴染んでた。カメレオンかいな。

 自分に利益をもたらしてくれる人には、素晴らしい挨拶をして周囲をお見事に圧倒してた。 

 家に来客があると、まずは玄関で立派な挨拶をし、招き入れたリビングで、夏は冷たいお茶が、冬は暖かいお茶が、お客さんが座るのとほぼ同時に、さっと出されていた。温かい微笑を浮かべながら相手の話を熱心に聞き、上手に褒め、良い気持ちにさせてあげるのが、それはそれはうまかった。

 そして自分の造花教室の生徒さんをたいせつにし、よく褒め、教え方もうまかった。

 お花のセンスも抜群によく、色彩感覚はもはや天才的で、家の中を常にきれいなお花で飾り立て、自分の人生も飾り立てていた。

 そして独学で英語の勉強を続け、英検の2級まで取得し、外国人の生徒さんに英語で造花を教えるまでになっていた。

 母さんを知る人はみんなこう言ったよ。

「物凄く良いお母さんね」

 違うよ、違うよ。職業と挨拶とお茶出しと建前が立派で上手なだけだよ。努力家なだけだよ。内情はぐちゃぐちゃだよ、うちは修羅場だよ。

「ではまた。ごきげんよう

と上品にドアを閉め足音が遠ざかった途端に、仮面ライダーよろしくがらりと変身するよ。

「あの人はいかにも商売人って感じの人ね」

だの

「あの人は虎の威をかっているわ」

だのと、さっきまで仲良くしていた人の悪口を得意気に言うよ。自分は洞察力があるだろうと言わんばかりにね。

 その後は決まって父さんの悪口だよ。自分は夫選びに失敗しただの、一流企業に勤めているんだからもっと良い暮らしが出来ると思ったのに生活費が足りない、社宅暮らしで持ち家も買えない、ハプニングに対応出来ないだのと散々言ってから

「あんたは父さんそっくり!」

と憎々しげに言うよ。その姿を見て欲しいもんだよ。             

 小さい頃、暴力を振るう父さんが悪いのかと思っていた。でも段々そうじゃない事が、嫌でも分かってきた。母さんが父さんの言う事なす事否定し、好きなものを遠ざけ、嫌いなものを押し付け、激高するまで神経を逆撫でするのが悪いんだって事が。

 当時、DVなんて言葉さえなかった。夫が妻や子どもに暴力を振るうなんていうのは、テレビドラマの中だけの話だった。そしてそのテレビドラマでさえ、毎日それを受けている人の苦しみをきちんと描けていなかった。

 それと一緒で、当時は虐待という言葉もなかった。まま母ならともかく、実の親が子どもにそんな仕打ちをする訳がないと、誰もが思っていた。

 あたしは自分が否定されるのも、暴力も、暴言も、嫌味を言われるのも、追い出されるのも、勿論つらかったが、それ以上に誰も助けてくれる人がいない、何を言っても誰も信じてくれないというのが本当に悔しかった。誰かに助けて欲しくてたまらなかった。

 学校で仲良くなった佐藤さんという女の子に「実は」という感じで相談した事がある。佐藤さんは「半信半疑」という顔で聞いてくれたが、翌日学校に行くと別の子が三人も並んでやってきて真顔でこう言った。

「沖本さんって、毎日親に殴られているんだって?」

 …え?あたしは佐藤さんを信頼して、佐藤さんだけにというつもりで「恥と苦しみ」を打ち明けたのに、別の子たちに言いふらしていたなんて、と落胆した。

「え?何の事?あたし知らないよ」

 すっとぼけて逃げるしかなかった。

 また、この人ならと信頼した先生に相談した事もある。その先生も信じてくれなかった。

「沖本さん、同情買おうとしているの?私はあなたのお父さんとお母さんに会った事あるけど、あのご両親がそんな事をするとは思えないわ。あなた嘘言っているわ。テレビの見過ぎじゃない?」

 ああ、あたしを助けてくれる人なんていないんだ。それ以上の言葉を飲み込んで、つらすぎる現実と、誰にも守ってもらえない孤独を背負ったよ。この先生にしても

「殴られているんだって?」

と言いに来た高橋さんって友達にしても、きっとそういう目に遭わないんだろうなあ、だから未来永劫分からないんだろう。

 高橋さんは、別の時にこんな事を言った。

「まともな人って、自分が間違っていて、みんなが正しいって思うんだって。でね、キチガイの人って、自分が正しくてみんながおかしいって思うんだって」

 それってあたしに対する嫌味かい?あたしがキチガイって言いたいのかい?父さんと母さんが正しくて、あたしがおかしいの?そうなの?

 …だがもしかしてみんなの言う通り、本当はあたしがおかしいのかな?って気もした。だけど現にあたしゃ毎日殴られて、嫌味を言われているんだよ。こいつぁどう説明してくれるんだよ!

「夢でも見たんじゃない?」

だと。夢でも何でもないよ!現実だよ!この痣を見てくれよ!

 

 それでいてスッゲー不可解だったのが、父さんと母さんが決して仲が悪い訳ではない事だった。

 毎年家族で海外旅行にも行ったしね。学校でも海外旅行なんて行った子なんて全然いなくて、外国に行った経験のある子なんて、あたしくらいだった。今と違って、海外旅行なんて信じられないって時代だったし、1ドル360円くらいだったし。

 アメリカのディズニーランド(外人の白雪姫に会ったさ)だ、ハワイだ、ヨーロッパも一周したし、韓国だ、中国だって本当に世界中を飛び回ったよ。

 特にイギリスやフランスの街並みが美しく、空も日本とは明らかに違っているのが印象的だった。歩いている人の放っているオーラも違ったね。

 本物のベルサイユ宮殿も行ったし、美術館もいっぱい行ったよ。あたしの愛読書は漫画の「ベルサイユのばら」でさ。初恋の人はオスカル様だもん。そりゃ嬉しいさ。

 欧米ではアイスクリームの大きさが日本とは桁違いで、どうしても食べきれず姉ちゃんもあたしも残して捨てざるを得ない量だった。本当にバケツみたいなデカいアイスクリームで、こっちの人はこれを食べきれるのかって驚いたよ。

 トイレの鍵の閉め方が分からず鍵を開けたまま(ドアは閉めてたよ)用を足していたら、女の人がドアを開け、あたしの姿を見て

「ソーリー」

と言った。こっちも

「ソーリー」

と思わず言っちまったさ。あはははははは。

 カナダやトロントノルウェーシンガポール、旅行は本当によく連れて行ってくれた。ナイアガラの滝の内側を船で通ったしね。ずぶ濡れになったけど、迫力あったし良かったよ。オーロラも見たさ。不思議でたまんなかったさ。

 コペンハーゲンでは道端にヘアヌードの女の人の写真が貼ってあってびっくりしたもんだよ。当時日本ではヘア解禁されていなかったから、珍しくてさ。姉ちゃんと

コペンハーゲンのちんげ」

とか言って大笑いしたもんさ。あれえ、放送禁止用語だねえ。あははははははは。

 南米では、あたしたちがいたホテルの部屋に外人の(そりゃ外人なのは当たり前だけど)女の人がやって来て、忘れ物があるから部屋に入れろという意味の事を言ってきた。怖かったよ。

 父さんが必死に抵抗して入れなかったけど。

「あれきっと強盗だよ。部屋に入れた途端にズドンと撃たれたよ」

と言っていた。あれえ、外国ってのは恐いんだねえって思った。

 それ以来、観光の為に部屋を出る時も、外出先からホテルに帰って来た時も、廊下等あたりを見回して

「それっ」

という父さんの掛け声と共に、部屋を出たり入ったりしたもんさ。あはははははははは。一応家族を守ってくれたよ。

 でね、旅行中に父さんが何度も黒人の事を

「くろんぼ」

というのが気になったよ。差別用語じゃん。言わなきゃいいのに。

 スイスで一度、

「ジャップ!」

という声と共に石が飛んで来た事があった。誰にも当たらなかったけど、やっぱり傷ついたよ。向こうの人から見たら日本人は見下すべき存在なのかってね。

 オーストラリアで入ったレストランでは、ウエイターが現地の客とあたしたち日本人とで明からに接客態度が違ったし。  

 …父さんがくろんぼ、くろんぼ、と言わなければそういう目に遭わないのかなって気もしたけど。つまり「言った言葉が巡り巡って自分たちに返ってきてる」って事。

 あと、時差ってのにも驚いた。ここはこんなに明るいのに日本は今夜中の3時、とかね。どういうこっちゃい。

 本当に旅行はよく行ったよ。当時はJELも羽振りが良く、社員も家族も飛行機はタダで乗れた。ただしいつも羽根の上の座席で、飛行機内から外を見ても景色はあまり楽しめなかったけどね。

 旅行以外でも、しょっちゅうあたしたちを連れてスケートやら花火やら海やら遊園地やら、あちこちに遊びに行ってたし、喜劇王と呼ばれたチャップリンの映画観に行った時なんて、楽しくて面白くて、来ているお客さんの中でいちばん大きな声で笑ったさ。

 宝塚や有名な劇団のミュージカルの舞台や歌舞伎も、何回も連れて行ってくれたし、上野動物園にパンダも見に行ったし、イルカショーやら、潮干狩りやら、イチゴ狩りやらで、本当に忙しかったよ。

 母さんは手先が器用で、造花もうまかったけど、洋裁の達人でもあった。自分や姉ちゃんやあたしの洋服は勿論、よそ行きのドレスまで仕上げてくれた。

 とてもじゃないが、素人が作ったと思えない出来栄えの洋服やドレスは、みんなに羨ましがられたもんだよ。そのドレスを着て、親戚の結婚式に出席して、列席者から可愛いお嬢さんたちね、とか褒められて父さんも母さんもご満悦だったし。

 ある結婚式で、父さんと母さんの結婚式で仲人やってくれた人ってーのに会った事もあったよ。父さんと母さんがその人の所に姉ちゃんとあたしの手を引っ張って駆け寄り、挨拶してた。

「結婚式で仲人をしていただいた沖本です。その節はお世話になりました。生まれた子どもたちです」

と言いながら姉ちゃんとあたしを紹介してた。訳が分からないながらにお辞儀をする姉ちゃんとあたし。そのおじさんは覚えていないらしく、困ったような顔で笑っていたけど。

 家でテレビの歌番組なんぞ見ながら、一緒に声高らかに歌っていた事もあったしね。そんな時、父さんと母さんは心から楽しげで、さっきの殴り合いはなんだったのかな、あたしの記憶違いだったのかなとさえ思った。ホント不思議でたまんなかったね、ありゃ。

 ただね、あたしとしては、みんなが羨むほどの旅行やドレスより、喧嘩や暴力をやめてほしかったんだよ。

 つまりうちは、「天国と地獄を同時に味あわされる家庭」だったんだ。天国も要らないから、地獄も勘弁して欲しいよ。

 でね、姉ちゃんって自分から勉強する子なんだよ。珍しいと思うよ。そういう子の方が少ないし。姉ちゃんを見ていて、それが普通だって父さんも母さんも思ったみたい。だから全然やらないし、出来ないあたしが信じられないような事よく言われた。

「何であんたは勉強しないの?お姉ちゃん見習ったら?」

ってしょっちゅう怒られたけど、死んだものなら勉強なんかしたってしょうがない訳だし、しないなりに理由あるよ。

 物心ついた時から死んだと思っていると言われ続けて、どうして勉強勉強って言うのかそっちの方が分からないよ。それに誰かを見習えって言われる程悔しい事ないしね。

 あたしは母さんに他のお母さんを見習えって言った事ないのにさ。

「あんたどうするつもり?」

って聞かれても困るよ。どうすりゃいいか分からないから。だって死んでるんでしょ?あたしはユウレイなんでしょ?じゃあどうするもこうするもないじゃん。おしまいだ、おしまいだって決めつけて、だったらいいよ、おしまいで。死んだものと思ってるとか、死んでくれとか、そんな事ばっかり言って、言いたい放題、暴力も振るいたい放題、さぞかし気持ちいいだろうね。こっちは地獄だけど。

「どうして欲しい?」

とか

「どうしたい?」

とか

「これとこれ、どっちがいい?この中からどれがいい?」

と言ってくれた事いっぺんもないし、いつも一択でこれしかないからこれにしろって押し付けられてきたしね。

 あたしは希望を聞いて欲しかったし選ばせて欲しかったんだよなあ。

 

 母さんが言う。

「物心付かないくらい小さい頃から海外旅行なんて連れて行ってもよく覚えていないから、勿体なかったねえ」

 だったら大きくなってから連れて行くのは「勿体ある」のかよ。否定ばっかりするねえ。

 

 母さんがまた言う。

「あんた、部屋ちゃんと片付けなさいよ!うるっさいお姑さんの所に行く事になるよ!」

 部屋を片付ければ静かなお姑さんの所へ行けるのかい?また決めつけて!うるっさい母親だねえ。

 

 母さんがまたまた言う。

「あんた、身だしなみ整えなさいよ!嫁に行き遅れるよ!」

 苦手な反論をする。

「結婚なんかしない」

 母さんが不思議満面で言う。

「どうして?」

「してもしょうがないから」

 母さんが切り返してくる。

「でも、この前あんたの事占ってもらったら結婚するって言ってたよ!」

「しない。したくない」

「オールドミスになってもいいの?」

 大きく頷く。

「どうして?」

 どうしても納得できないって顔の母さん。

「だって、その占い、当たるよ!」

 母さん、馬鹿だねえ。どうせ向こうの口車に乗ったんでしょう。おたくはああでしょう、こうでしょう、とその占い師がちょっと言っただけで、そうなんですよ、うちはああなんです、こうなんですって母さんがベラベラ喋って、それで当たってるって勘違いしてんでしょう。

 あたしは結婚なんかしないよ!結婚に夢を描くって事がどうしても出来ないからね!

 

 母さんがまたまたまた言う。

「あんた、好き嫌いしないで何でも食べなさい!好き嫌いの多い子が生まれるよ!」

 また苦手な反論をする。

「子どもなんか生まない」

 母さんが切り返す。

「でも占いの人があんたは子ども生むって言ってたよ!」

 また占いかいな。

「とにかく生まない」

「でも、愛し合っていたらそういう事になるの!」

「なんで?」

「とにかく、愛し合っていたらそう言う事になるのよ!」

 顔を赤らめながら言うおかしな母さん。汚れなき子どものあたしの頭の上にまた大きな疑問符が浮かぶ。

 どうしてあたしの人生を決めつけるんだろう。そういうのって本人が決める事じゃん?

 ところで、父さんと母さんは「愛し合って」姉ちゃんとあたしを生んだのかい?

 

 人はどうして結婚したり、子どもを生んだりするんだろう?どうしても分からない。

 何の為に結婚して子どもを生むのかなあ。本当に分からない。

 母さんは、周りがそうしろって言うからそうしたって言うけど…。

 あ、もしかして生んだ子に面倒見てもらう為なのかな?きっとそうだね!

 

 母さんはあたしのやる事なす事、気に入らないらしくて口を出す。ああしなさい、こうしなさい。1から10まで。

 もううるさいよ!黙っててくれよ!自分で決めさせてくれよ!老後の面倒みてやらないよ!

 

 母さん手製のワンピースを着て学校へ行った。

 みんなが集まって来て

「可愛いね」

と褒めてくれた。嬉しかったよ。

 高橋さんだけは

「服、可愛いね」

と「服」を強調して言った。

 厭味ったらしいねえ。ぐっと堪える。

 

 母さんが朝、あたしの髪を編み込みにしてくれた。

 みんなが集まって来て

「似合う」

と褒めてくれ、ニコニコしちまった。

 高橋さんだけは

「髪型、いいね」

と、「髪型」を強調して言った。

 また嫌味かいな。ぐぐっと堪える。

 

「沖本さんのお母さんって器用だね」

 先生も、みんなも言う。

 確かに、器用は器用だ。急に人格を切り替えるし。

 宿題の刺繍を提出した時に、高橋さんがしたり顔でこう言った。

「お母さんにやってもらったんだ」

 違うよ。自分でやったんだよ。たまらなく不愉快だった。

 

 うちの電話が鳴った。出ると明らかに高橋さんの声で

山口百恵ですけど」

とのたまう。なんてアホなんだろうと呆れる。

「沖本マリさんですよねえ?山口百恵です」

 電話の向こうでクスクス笑っている数人の声が聞こえてくる。大スターの百恵ちゃんがあたしなんかに電話してくる訳がない。何でこんないたずらするかねえ。

 翌日学校で高橋さんに言った。

「変ないたずら電話やめてよ」

 高橋さんは開き直って言った。

「電話代、払っているのはこっちなんだから文句ないでしょ」

 …そういう問題じゃないよ。そんなにあたしをいじめたいかねえ。

 

 授業で新聞紙を使うので、うちにあった英字新聞を持って行った。深い理由なんてない。ただ家にあったからだ。

 みんなは日本語の新聞なのに、あたしだけ英字だったので、珍しがって友達が集まって来た。

 高橋さんがにやにやしながら言った。

「沖本さん、本当に外国に行った事あるって証拠見せようとして」

 英字新聞は日本でも取れるんだよ。妬ましいのか何だか知らないけど、うるさいねえ。

 

 その日の放課後、高橋さんが言った。

「日曜日、うちで遊ばない?誰もいないし」

 どういう風の吹きまわしかなと思ったが、

「いいよ」

と答えた。

 …日曜日、高橋さんの家に行ってチャイムを鳴らしたが返答がない。1時間くらい待ったが、誰も帰って来なかった。嫌な気持ちで家に帰る。

 翌日、学校で高橋さんに聞いてみた。

「昨日どうしたの?家に行ったけどいなかったじゃん」

 高橋さんは意地の悪い目つきで言った。

「だから言ったでしょ、誰もいないって」

 ぞっとした。言っても無駄だと思い、黙って離れた。もう関わりたくないし。

 …その話を聞いたらしい加藤さんが、にやにやしながら言った。

「ねえ、沖本さん。今日の夕方、教室で遊ばない?誰もいないし」

 どうせ罠なんだろう。黙って首を横に振り離れた。どいつもこいつも、意地が悪いねえ。あんたらはこういう目に遭わないんだろうねえ。

 

 …面白くない気分で廊下を歩いていた。友達がみんな、あたしを見てクフフ、とか笑ってやがる。何だかみんなであたしをからかっていじめようとしているように思えてくる。

 もう嫌だ、こんな学校来たくない。

 

 高橋さんにされた事と、加藤さんに言われた事を先生に話した。先生は素っ気なかった。

「そんなん知りませーん」

だと!ああそうですか!

 

 学校の帰り道、あたしの前を並んで歩いている友達が4人。みんなわざとゆっくり歩き、しかも道を塞ぐように広がって、しかもそれぞれ間をあけないよう荷物をお互いの中間に持って、行く手をカンペキ塞いでやがる。

 …あたしに何か恨みでもあるのかねえ。

 

 家に帰り、友達にされた事を父さんに話してみた。父さんはテレビから目を離す事なくこう言った。

「お前も同じ事やり返せばいいだろう」

 ぜんっぜん共感してくれないんだねえ。

 

 今度は母さんに話してみた。そしたら急に泣き出す母さん。それも例によって最初に泣き顔を作り、大声で泣き声を上げ、後から無理矢理涙を出す嘘泣き。

「あんたって可哀想ねえ、本当に可哀想な子ねえ。何でこんなに可哀想な子なんだろう」

 可哀想がればいいってもんじゃないよ。解決策を求めているのに、全然嬉しくない!

 

 次の日の学校の帰り、歩いていたら急に男の子たちに突き飛ばされ転んだ。笑いながら走り去っていく男の子たち。擦りむいた膝が傷むぜ。

 家に帰って、母さんに言った。

「男子たちに急に突き飛ばされて転んだ。見て、痛いよ」

 母さんがベランダのアロエをむしり、差し出しながら言う。

「その子たちは何でそんな事したの?あんたが何かしたからじゃないの?」

「何もしていないよう!」

「何もしていないのにそんな事する訳ないよ。何かあるよ。あんたが悪いんじゃない?」

 絶句した。何であたしが悪いんだよ!

 

 母さんがまた父さんと喧嘩して殴られ、あたしの部屋に来た。

「父さんに殴られた。見て、痛いわ」

 ムカついたあたしは母さんの真似をしてベランダのアロエをむしり、差し出しながら言ってやった。

「父さんは何でそんな事したの?母さんが何かしたからじゃないの?」

「あたしは何も悪くない!」

「何も悪くないのにそんな事する訳ないよ。何かあるよ。母さんが悪いんじゃないの?」

「あたしが悪いって言うの?!」

 母さんがキーっとヒステリーを起こし、つかみかかって来た。滅茶苦茶に殴り、蹴り、髪を引っ張り、怒鳴りまくり、好き放題暴れる母さん。

「あたしを可哀想って思いなさいよ!!」

 あたしはただ母さんの真似をしただけだ!おかしいのはあんただ!

 

 リビングでテレビを見ていたら、外出先から帰って来た母さんがまた怒った。

「勉強しなさいようッ!」

 そしてあたしの腕を掴み、部屋に押し込み、机の前に無理やり座らせた上に教科書とノートを自ら開き、強引に鉛筆を握らせる。その上あたしの頭をピシャッとひっぱたいた。

「あんたが今に壁にぶち当たるのよっ!」

 頭上から、おなじみのセリフも降って来る。

 …よく怒るねえ。

 

 雨が降っていた。外出先から帰って来た母さんがまた怒る。

「洗濯物取り込んでよう!」

 凄い勢いで洗濯物を入れ、またあたしの頭をバシッと殴る。 

 …よく叩くねえ。

 

 雑誌に「写真だけの結婚式」というのが載っていた。

「これいいなあ」

と言ったら母さんがまた大げさに泣き出した。

「あんたって本当に可哀想な子ねえ。結婚式さえ挙げられない人生なんて」

 …よく泣くねえ。

 

 母さんとマドレーヌって洋菓子を作った。まあまあおいしかった。

 …今日は怒らないんだねえ。

 

 あたしの誕生日祝いに母さんがローラースケートを買ってくれた。

「五千円もしたのよ」

 恩着せがましく何回も言う。はいはい、分かったよ。

 夢中になって毎日遊ぶ。

 …ある時、遊んでいる最中に友達に会い、ローラースケートをうっかりその場において公園に行っちまった。

 置いたままのローラースケートを発見した母さんが、帰って来たあたしを怒鳴る。

「あんた、五千円をどぶに捨てるの?!」

 はて?何の事か分からない。

「あんた、五千円をどぶに捨てるの?!」

 何回も言う。

「あんた、ローラースケートを置いてどっか行ったんでしょう!あたしが拾って持って帰らなかったら誰かに盗られたじゃない!」

 ようやく母さんが怒っている訳が分かった。だけどどぶに捨てた訳じゃない。

「ごめん」

と何回も謝ったが、母さんの怒りは止まらない。

「もう何も買ってやらないよ!あんたなんかに買ってやらなきゃ良かった!もう二度と何も買ってやらないからね!」

 …よく脅すねえ。

 

 牛乳を飲もうとコップになみなみと注いだが飲みきれなかった。

「これ捨てるね」

と悪気なく流しに捨てたら、また母さんが怒った。

「何すんのよ!勿体ない!」

 いつまでもいつまでも怒る母さん。

「もうあんたなんかに二度と牛乳飲ませない!二度と飲まないでよ!」

 …娘より牛乳が大事かねえ。

 

 母さんが浴衣を着せてくれた。だが思うようにいかずイライラし始めた。

「ああもうイライラする!くねくねしないでちゃんと立っていてよ!」

そう言いながらあたしを突き飛ばす。突き飛ばしたら余計ちゃんと立っていられないよ。

 …狂暴だねえ。

 

 母さんはリンゴ等の果物を剥く時に必ず皮を少し残す。

「ここに皮が残っているよ」

と言っても

「このくらい残っていてもいいの」

と取り合ってくれない。

「何の為に皮剥くの?」

と聞くと

「農薬付いているから」

と答える。

「残った皮に農薬付いているんじゃないの?」

と聞くと

「だからこれくらいいいの!」

と「キレる寸前」って顔して言い切る。

 …中途半端な事するねえ。

 

 母さんがまた泣いている。原因は何だか分からない。分からないから慰めようもないし、励ましようもない。が、原因は何かと聞く気もしないので、父さんも姉ちゃんもあたしも知らん顔していた。

 これ見よがしに泣き、しばらく待っても誰も慰めないと分かると怒り出すおかしな母さん。

「あたしは泣いている時は慰めて欲しいのっ!」

 …我がままだねえ。

 

 アイスティーを作って飲んでいた。

 耐熱のカップに紅茶のティーパックを入れ、沸かしたお湯を注ぎ、じっくり蒸らして濃い目に紅茶を出し、砂糖を入れて溶かす。氷をたくさん入れたグラスの中にそれを注ぎ、更にレモンを絞り入れる。

 あたしのやり方をじっと見ていた母さんが、したり顔で言う。

「アイスティーの作り方知らないの?砂糖はいちばん上に乗せるのよ」

 冷やした紅茶のいちばん上に乗せても、砂糖は溶けないから、酸っぱくておいしくないじゃねえか。

 …アホだねえ。

 

 母さんは食事のたびに

「早く食べなさいようっ」

と怒る。それでいて

「よく噛んで食べなさい」

とも言う。よく噛んだら時間がかかる。早く食べるには、どこかの鳥か、爬虫類のように丸飲みし、胃に噛ませるしかない。

 …どっちがいいんだろうねえ。

 

 母さんが誰かと電話で話している。

 学校から帰って来たあたしの顔を見るなり、これ聞こえよがしに言った。

「あたし、上はともかく、下は生み外したわ」

 上って姉ちゃんの事だよね?下ってあたしの事だよね?生み外したって、変な子を生んだって事だよね?グリコのおまけのハズレってか、あたしはグリコのおまけ以下って事だよね?生んだはいいけど、ハズレだったって事だよね?自分が生んだ事と育て方は間違っていないけど、勝手に変な子に育ったって事だよね?

 …そうだよねえ?ねーっ!!

 

 家族で山登りに行った。

 …が、あたしが首の後ろを蜂に刺されちまうハプニングに見舞われた。

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!痛い!痛い!痛いいいいいいっ!!」

 半狂乱で転げまわるあたし。

 すかさず大声でケラケラ笑い出した母さん。

「泣きっ面に蜂ってこの事ね」

 母さんは何度も何度もそう言って、本当におかしそうに笑い続けた。痛がっているあたしを病院に連れて行く訳でもなく、励ましたり患部を冷やしたりする事もなくただ大声で笑っている。父さんも姉ちゃんもただびっくりして見ているだけで、何もしようとしない。

 苦しんでいるあたしに、誰も何もしてくれなかった。あたしは水筒に入っていた麦茶でハンカチを濡らし、自分の首に当てた。酷く熱を持ち、真っ赤に腫れ、あっという間にハンカチは熱くなった。

 母さんはまだゲラゲラ笑っている。

 …母さんは家に帰ってからベランダにあったアロエの葉をむしり、

「これ塗っとけば大丈夫よ」

と言っただけで、それ以上何もしてくれなかった。

 そしてその後も、来客のたびにあたしの前で平気で笑いながら言った。

「この子、この前、蜂に刺されたのよ。泣きっ面に蜂ってね、クックックッ」

 お客さんはびっくりした顔で、誰も笑ってなんかいなかった。

 あたしはただ悲しくて黙っていた。

 

 それでいて、その少し後に自分が子宮筋腫ってーのになった時(痛み等の自覚症状がない上に、命にも関わらない病気だと近所のおばさんに聞いた!)前代未聞の事態だ、とか言って、食卓に家族全員を集め、これ見よがしに泣きながら

「あたし、あんたたちの為に病気と闘うからね」

と感動して欲しそうに言っていた。

 父さんは、ただ目を伏せて黙っていた(父さんは突発的な出来事に対応する能力ってーのに欠けていた。蜂に刺された娘を前に何もしないくらいだから!)。

 姉ちゃんは本当か嘘泣きか知らないけど、涙目で母さんを見つめながら頷いていたよ。

 あたしが痛くて泣いている時に笑っていたくせに、とあたしが知らん顔していたら

「マリは平気そうねえ」

と不満げに言う。

「マリは母さんが病気になっても平気?」

と聞くのでウンっと頷いてやったよ。

「どうして?」

と、さも不思議そうに聞く母さん。

 あたしが自分の目の前で、蜂に刺されて痛くてつらくて泣いている時に、あんたは平気で笑っていただろ、そのくらい分かれ!と思いながら黙っていたよ。

 何度も何度も

「どうして?」

と聞く母さん。黙っている父さんと姉ちゃん。

 突然怒り出す自己チュー母さん。

「どうせあんたはあたしが病気になったって、死んだって、平気なんでしょうよ!」

 大声でがなりたてる。

恐ろしい子だねえっ!病気の母さんに!母さんは病気なのに!」

 死なないだろ、その病気じゃ。それにそんなに元気に怒鳴っていられるんなら大丈夫だよ。じゅうぶん元気だよ。病気を克服しちゃっているよ。

 だいたい人が苦しんでいる時に笑うのは良くて、自分が命に関わらない病気になったのを心配してもらえないのは許せないなんておかしいじゃん!こっちはそれこそ許せないよ!反論の苦手なあたしは、心の中で叫んだ。

 それに母さんよく言ってるよね?

「病気や事故に遭ってスッと死ぬならまだしも、重い障害を負ったりしたら大変よ」

って事は、何かあった時には「治す努力、生きる努力」をするのではなく「スッと死ぬ努力」をすべきって事でしょう?違うの?母さん。

 じゃあ病気になった今、母さんは「スッと死ぬ努力」をすべきなんじゃないの?何で怒るの?言う事、なす事、めちゃくちゃじゃん。

「そんな事するなら死んでよう!いっぺん死んで完璧な状態で生まれ直してきてよう!」

とも、しょっちゅう言っていたしね。

 父さんと同じで弁の立たないあたしは、心の叫びを日記に書いたよ。             

「母さん、ベランダのアロエをむしり取って、子宮にこれ塗っとけば大丈夫よって言ってやろうか?どんな気持ちになるか?言ってやろうか?母さんこそ死んでよ、そんな事言うなら死んでよ、そんな事するなら、死んでよ。いっぺん死んで、完璧な母親に生まれ直してきなよ。母さんっ!自殺しろよ!」

 そしてその日記を、母さんは勝手に盗む読みして、勝手に荒れ狂ったよ。

 

 学校から帰って

「ただいま」

というあたしに、母さんが何の前置きも、脈絡もなく、怒鳴りつける。

「あんた!あたしが自殺すればいいと思っているんでしょう!」

 ただいま、に対する答えじゃないだろう、と思いながら

「何でそんな事言うの?」

と聞いたら、また同じ事を言われたよ。

「あんたはあたしが自殺すればいいと、そう思っているんでしょう!」

 不思議に思いながら

「何でそんな事言うの?」

と何回も聞いたけど、そのたびに

「でもそうなんでしょう!」

って、怒りながら泣いてやんの。

 何なんだろ?不思議気分いっぱいのまま自分の部屋に入ったら、あたしの机の引き出しが開けっ放しで、しかも日記が開いてあった。

 あ、日記を勝手に読みやがった。猛烈に腹が立ってリビングに行ったよ。

「マリの日記、勝手に見たの?」

って聞いたら、代休で家にいた父さんがこう言ったよ。

「見られて困る事を書くな」

 屁理屈もいい所だろう、こんな時ばっかり夫婦で結託すんのかよ。自分の日記に何て書こうが、そんなんあたしの自由だろ。人の日記を勝手に見るのは悪くなくて、思ったままを書くあたしが悪いなんて、見られて困る事を書くななんて、誰が考えたっておかしいよ。もう、日記さえ書けねーよ。汚らわしい!こんな日記、もういらねえよ!

 ごみ箱に捨てながら、また悔し涙がこぼれる。

 

 自分で本を作った。

 不幸な女の子が、努力して幸せになるストーリーだ。心を込めて挿絵も書いた。表紙も作り、完成した作品にしばし見とれる。うん、なかなかの出来栄えだ。あたしの宝物にしよう。

 そっと引き出しにしまおうとしたら、急に母さんが入って来た。

「あんた、風呂掃除まだじゃない」

と、不満満面で言う。

「なに?これ」

と強引にあたしの作品を取り上げ、乱暴にパラパラめくる。何するんだ、あたしの大事な本を。

 慌てて取り返そうと、思わず母さんを突き飛ばしちまった。母さんはひっくり返り、尻餅をついて怒鳴る。

「何すんのよ!親に乱暴する気?」

 年がら年中、娘に乱暴しておきながら、言えたセリフかよ!

 本は破れ、悲惨な姿になっている。ああ、もうこの本も汚らわしい存在になった。ごみ箱行きだ。

 

 母さんのジコチュー伝説はまだあるよ、あるよ、いくらでもあるよ。

 

 家庭科の授業で割烹着を作る事になった。

 先生から縦横何センチの布を持ってくるように言われ、母さんにそのまま伝えた所、押入れから古布を引っ張り出して

「これ持っていきなさい」

と言われた。その布は何かに使った余りで、大きさも合っていなければ、切り取った跡があり、みっともなかった。

「ちゃんとしたのを用意して」

と何度も頼んだが

「いいよ、これで。これでいいよ」

と取り合ってくれなかった。

 仕方なくその布をもって学校に行ったが、いざ家庭科の授業の際に先生に

「あら、あなた切れた跡があるじゃない。これ何に使ったの?」

と聞かれちまった。返事のしようがなく黙り込んでしまう。

 先生にもみんなにも変な目で見られ、恥ずかしくて居たたまれず、早く授業が終わって欲しかった。

 家に帰ってから母さんに言ったがやはり取り合ってもくれず、あたしの気持ちを理解してもくれず

「え?そうお?んー?」

と、のんきな答えしか返ってこなかった。

 

 学校で山登りに行った。

 みんなで長い道を歩き、へとへとになった頃に、休憩になった。ジュースが配られる。

 ああ、喉がカラカラだよ。飲もうとしたら、先生が口に手をメガホンのように当ててこう言った。

「配ったジュースは今飲まなくてもいいです」

 じゃあ何の為に今配ったんだよ。あたしゃ喉が乾いているんだから、と飲もうとしたら友達が言う。

「今飲んだら、後でみんなが飲んでいる時に、沖本さんだけ飲めないんだよ」

 いいじゃん、あたしの勝手じゃん、と思いながら飲んだ。

 …勿論、頂上でみんなが飲んでいる時にあたしだけ飲めなかったが、別に気にしなかった。 

 その話を先生から聞いた母さんが言った。

「あんた、何でみんなと同じようにしないの?」

 …みんなが飲むから自分も飲むっておかしいだろう。喉が乾いているか、いないか、だろう。自分が悪いとも変わっているとも思えなかった。

 母さんは独り言のように

「この子は協調性がないんだわ」

と言いながら、異常児を見る目をしていた。

 

 授業で「畑を写生する」ってのがあった。

 畑で描いてもいいし、教室から見える畑を写生しても、どっちでも良いと先生は言った。

 天気も良いし畑で描こう、とぞろぞろ外に行っちまうみんな。

 あたしは教室から描きたかったから、ひとりでそうした。その時も、自分が悪いとも変わっているとも思わなかった。

 その話を先生から聞いた母さんが、また言った。

「あんた、何でみんなと同じようにしないの?」

 みんなが外に行くから、自分も外に行くってのはおかしいだろう。どちらから描きたいかだろう。それを選ぶのは、あたしの自由の筈だ。

 母さんは相変わらず、異常児を見る目で言った。

「やっぱりこの子はどっかおかしいんだわ」

 

 学校でスポーツバックを用意するように言われた。

 母さんに言ったら、押し入れから使い古しのバスケットを引っ張り出してきて

「これ持って行きなさい」

と言う。

「スポーツバックを用意してよ」

と何度も言ったが、取り合ってくれなかった。 

 仕方なくそのバスケットを持ち、学校へ行く。校庭にみんなで並んでいる時に見たが、やはりバスケットなんぞ持っているのはあたしだけだった。クラスの男子がじろじろ見て

「おもしれえ」

とか言うし。女子は

「沖本さんって変わっているね」

と言うし。

 いちばん協調性ないのも、変わっているのも、おかしいのも、異常なのも、母さんじゃないのかなあ。

 

 学校で給食当番の人はその週末に使った白衣を持ち帰り、洗濯してから月曜日に持参する。

 ある月曜日の昼前、給食の準備をしている時に、その週の当番の男の子が白帽をかぶろうとして

「わあ!パンツ!!」

と言って白いパンツを放り投げた。見ると本当に白いパンツが床に落ちている。先生も笑っている。

「先週の給食当番だあれ?」

 高橋さんが言う。

 …言えないよ、あたしだなんて。母さんが間違えたなんて、言えないよ。とぼけ通した。

 その日、帰ってから母さんに言ったけど

「え?そうお?んんんん???」

だって、しっかりしてくれよ!協調性ない上にドジな母さん!

 

 お小遣いで鉛筆のキャップを買った。大事にしていたら、母さんがまた怒った。

「こんなんだって50円くらいするでしょう」

 あたしは50円も自由に使えない身分だった。

 

 母さんが古くなったストーブを捨てようとしていた。

「売ればいいじゃん」

って言ったら、また怒った。

「こんなん売ったって50円くらいにしかならないのよ」

 苦手な反論をした。

「売ればいいじゃん。で、その50円を、このキャップのお金に充てればいいじゃん」

「バカバカしい!たかが50円で!」

 母さんは冷たい背中を向けて行っちまう。

 その50円にこだわったのは誰なんだよ。こっちが怒りたかった。

 

 父さんの給料は少ししか上がらないが、物価はどんどん上がる。

 家計簿をつけながら母さんがため息をつく。

「あんたたち、節約してね。節約。もうおかずなんかもあんまり良いの出来ないからね」

そんな事を言われたら、そりゃ心配になる。

「母さん、うち大丈夫?うち大丈夫?」

 何度も聞くが、全然取り合ってくれない。心配で、心配で、張り裂けそうだ。母さんが言う。

「マリ、そう思うなら勉強しなさい、勉強」

 勉強したって金は入ってこないだろう。勉強するくらいなら働いた方がずっといい筈だ。

「マリ、中学出たら働くね」

 それでうちが助かるなら、親が喜ぶならそうしようと本気で思った。

 だが母さんが慌てたように言う。

「高校は行きなさい。それくらいのお金はあるから」

 たった今、おかずを買う金さえないと言ったじゃないか。だったら高校行く金などどうやって捻出するんだ。出来る筈がない。小学生のあたしにもそれくらい分かる。

 母さんが言い訳をし続ける。

「マリ、あたしそう言う事を言いたかったんじゃないのよ。だから…だから…勉強してよ」

 答えになってない。中学を出たら働く、その意志だけが固まっていった。

 

 うちの近くのデパートで、素人が出られる歌のお祭りが開催される事になった。出場者はノートがもらえる。ノート一冊でも、ただでもらえるならこんな良い事はない。家計の足しになる筈。

 友達と出場を決めた。歌う曲も、何を着るかも決めた。

 家で友達と練習していたら、母さんが真っ向から反対する。

「恥ずかしいからやめてよ」

 何が恥ずかしいものか。

「ノートがもらえるんだよ」

と言ったが

「ノートくらい買ってあげるよ」

とのたまう。あたしの頭の上にまた疑問符が並ぶ。

「おかずを買うお金もないんだよね?だったらノート代を節約する事で…」

 母さんがあたしの言葉を遮って言う。

「とにかく出ないで。恥ずかしいものは恥ずかしいから」

 訳が分からない。家計に協力しようという小学生がここにいるんだ!

 …結局、あたしは友達と歌のお祭りに出た。ノートをもらい、家計を助けた誇らしい気持ちで家に帰ったら、母さんが冷たい背中を向けながら言った。

「ああ恥ずかしい。そんなお祭りに出て、音痴な歌を披露しちゃって、ノートなんかの為に。ああ恥ずかしい」

 あたしはどうしても、こうしても、恥ずかしい娘らしかった。

 

 友達の家に遊びに行ったら、そこのお母さんが

「食べきれないから」

と言って、あたしに野菜をたくさんくれた。お礼を言い、重いのに頑張って家に持ち帰る。

 父さんも母さんも喜んでくれたよ。二人の笑顔を見て嬉しくなったさ。

「これで食費が助かるね」

と悪気なく言ったら、父さんが急に怒り出した。

「何だ、お前、俺は金に困ってなどいない!ふざけるな!」

 殴られ、座っていた椅子から落ちた。

「俺は乞食じゃないぞ!」

 倒れているのに、なおかつ蹴られる。

「乞食じゃない!乞食じゃない!乞食じゃない!」

 さも悔しそうに顔をしわくちゃにして蹴ってくる、切れ切れ父さん。

 乞食なんて、そんな事ひとことも言っていないし思ってもいない。冗談じゃないよ。

「今度の旅行もお前が行くなら俺は行かない!お前が行かないって言うなら俺は行く」

と関係ない話まで持ち出してくるし。何で関係ない夏休みの家族旅行の話に飛ぶんだよ!

「あたしは行くよ」

と答えたら

「じゃあ俺は行かない!お前が行かないって言うなら俺は行ってやる」

だと!なんちゅう大人げなさ!もう言い合いしている場合じゃない。慌てて自分の部屋に逃げ込む。

「父さんに何言ったのおー?」

 母さんが大声で、父さんに聞こえよがしに言いながら、あたしの部屋に入って来た。

 そして襖をぴしゃりと閉めてから、あたしに顔を近づけ小声で囁いた。

「どうしたの?何があったの?」

 それでうまく世渡りしているつもりかよ。

 この人っておかしいと、はっきり思った。

 

 姉ちゃんの誕生日に、お小遣いでハンカチをプレゼントした。

 母さんが珍しく

「あんた優しいねえ」

って言ってくれた。

 姉ちゃんも嬉しそうだった。

 

 あたしの誕生日が近いから、姉ちゃんに言った。

「本が欲しいな」

 その途端に母さんが激高する。

「あんた、自分からものをねだるなんて、最低だよ!あんたは最低の子だよ!」

 ねだったつもりはなかったんだけどな。ましてや「行為」を咎めるならまだしも、あたし自身を最低の子だ、と「人格否定」するなんてさ、もう何も言えないよ。

 

 友達の家に遊びに行くと言ったら、母さんがにやにやしながら言った。

「また野菜もらって来てよ」

 あんただってねだってんじゃねえか。また修羅場を望むのか?

 

 担任の先生が結婚する事になった。

 父兄でお祝いをしようと言う事になり、プリントが配られた。お祝いのお金を集めるのでいくら寄付するか丸で囲んで下さいと書いてある。200円、300円、400円、と3通り。

 お世話になっている先生だし、一生一度の結婚祝いだし、好きな先生だから少しは奮発して欲しかったが、母さんは躊躇なく200円の所に丸を付け、100円玉をふたつ袋に入れる。母さんは少しでも節約する人だった。

 それでいて自分の仕事に使う布や染料は、いつも最高級のを躊躇なく買っていた。

「あたしは第一線で活躍する身だから」

とか言って。自分には奮発、人にはケチ、勿論家族にもケチ、おかずもケチ、ご飯のお代わりも駄目、…なんなんだろうねえ。

 

 母さんの友達がうちに来た。今も独身のその人が言う。

「あなたが羨ましいわ。結婚して、子どもをニ人も生んで」

 母さんが間髪入れずに言う。

「いない子に泣かされる事ないよ」

「…泣かされているの?」

「上はともかく、下はどうしようもないからね」

 …その人が絶句しながらあたしの顔を見る。あたしも絶句する。あたしはどうしようもない、いない方が良い存在という事か?

 その人はあたしを憐れむ目で見た後、いたたまれないように、そそくさと帰って行った。

 そしてニ度と来なかった。

 

 母さんの別の友達がうちに来た。

「この化粧水がとってもいいのよ」

そう言いながらポンプ式の化粧水をコットンに取り、自分の肌になじませてみせる。大人になると、こういうものを使うようになるんだと思いながら見ていた。

 母さんが言う。

「手に取った方が節約になるんじゃない?」

 母さんの友達が言う。

「栄養分を手に取られるからコットン使った方がいいわよ」

 母さんがすかさず言い返す。

「コットンに取られるじゃない」

 母さんの友達が困った顔になる。せっかくいいものを勧めてくれているのに、あたしはその人が心配になる。

 母さんが更に憎々し気に言う。

「ポンプ式って早くなくなるのよね。いくらでも汲み上げるから。新しいのを早く買わせようって化粧品会社の魂胆ね」

 母さんの友達が、更に困った顔になる。

「今の化粧水が肌に合わないって言うから持ってきたんだけど…」

 母さんの友達は、明らかに気分を害している。

「そんなん、特別良いと思わないけどねえ」

 母さんが平気で混ぜ返す。友達が黙って目を伏せる。

 ああ母さん、そんな事言わないで、友達怒っちゃうよ。教えてくれて有難う。使うかどうかは考えておくね、とか何とか言えばいいのに。子どものあたしに分かる事が、大人の母さんには分からない。

 …結局、その化粧水を持って母さんの友達は黙って帰って行った。母さんが言う。

「あー、良かった。無駄なお金使わなくて済んだわ!」

 母さんは友達の好意も無にする人だった。

 勿論その人もニ度と来なかった。

 

 母さんの別の友達がうちに来た。

「うちの夫の再就職がやっと決まったのよ」

 ほっとした顔で言っている。

 母さんが不満げな顔で言う。

「ふうん、その会社、社員は何人いるの?」

 その友達が嬉しそうに言う。

「三百人よ」

 母さんがさも馬鹿にしたように言う。

「ふうん、小さい会社ね」

 友達がびっくりして、もう一度確認するように言う。

「三百人よ」

 母さんが居丈高に切り返す。

「だって、うちの主人の会社なんて何万人よ!」

 その人が絶句する。せっかく良い気持ちでいたのに、馬鹿にされてどんな気分だろう。

 あたしはその人が心配になる。再就職おめでとう、とか、良かったね、とか言えばいいのに、子どものあたしに分かる事が、大人の母さんには全然分かっていない。

 母さんは、得意満面な顔を友達に向け続けている。

 その人は「言っても無駄だ」という顔になり、黙って帰って行った。

 母さんが言う。

「あー、良かった。父さんがJELで!」

 母さんは友達の事も馬鹿にする人だった。

 勿論その人も、ニ度と来なかった。

 

 社宅で隣の奥さんが来た。

「やっと一軒家を買ったのよ」

 嬉しそうに言っている。

 妬まし気な母さんが言う。

「そう、場所どこ?」

 その人が笑顔で答える。

「橋の向こう。子どもたちも転校しなくて済むし、中古だけど良かったわ」

 母さんが不満げに聞く。

「中古?」

 その人は笑顔を崩す事なく言う。

「中古よ。新築はとても手が届かないわ」

 謙遜しているのは小学生のあたしにも分かる。

 母さんがすかさず混ぜ返す。

「あなたも可哀想ね。そんな中古物件つかまされて喜んでいるなんて」

 その人が絶句する。やっとマイホームを買ったというのに、どんな気持ちだろう。おめでとう、とか良かったね、とか言えばいいものを、中古とか馬鹿にして、可哀想がるなんて。子どものあたしに分かる事が、大人の母さんにはまったく分からない。

 その人は怒った顔のまま黙って帰って行った。

 母さんが言う。

「あー、あたしは新築の家が欲しい!」

 勿論その人も、引っ越しするまで知らん顔していた。

 

 母さんの別の友達が来た。結婚して10年になる旦那さんの事を話している。

「優しくて穏やかな人で、感謝しているわ」

 いいねえ。母さんも父さんの事をそんな風に人前で褒めてみたらどうだい?

 人の不幸が大好きな母さんが言う。

「あなたの旦那さんって確か高卒だったわよねえ。年収いくら?」

 何て事を聞くんだ。あたしはまた母さんが人を傷つける所を見たくなかった。

「高卒だけど…。頭のいい人よ。年収は知らないわ」

 母さんが急に身を乗り出すようにして、その人に迫る。

「自分の旦那の年収知らないってどういう事よ」

 その人はびっくりして、椅子の背もたれに倒れんばかりにのけぞっている。

「うちの主人は大学院を出ているの!大学、イン!乗れるレールがあなたたちとは違うの!」

 居丈高にまくしたてる母さん。絶句しているその人。

「あたしは主人の会社の人の年収を知っているわよ!誰の給料が幾らで、誰のボーナスが幾らか、全部知っているわよ!」

 指折り数えて見せながら、言い放つ母さん。

「本当よ。誰の給料がいくらで、誰のボーナスがいくらか、全部知っているわ!誰がどこの大学を出ているか、その大学の偏差値がいくつか、そこまであたしは知っているわ!うちはそれでうまくいっているわよ!」

 ほんまかいな。仮に本当に知っているとして、相手にそう言えるの?言えないでしょ。母さん、そんな事言わないで。その人、嫌な気持ちになっちゃうよ。それにうちはうまくいってねーだろ!

「年収知らないなら、旦那さんが他に家庭をもうひとつ持っても分からないじゃないっ」

 母さんの勢いは止まらない。

「浮気するような人じゃないわよ…」

 その人が細い声で言う。

「あなた、旦那さんに年収ひとつ聞けないのは、自分に自信がないからじゃないかしら」

 母さんはもう他の事は何も見えないかのように、その人に迫る。その人はただびっくりしている。

「じゃあ何かで生活費が足りない時はどうするの?」

 その人はあまりにびっくりし過ぎて返事が出来ないでいる。

「どうするのっ?」

 その人は答えない。ってか、答えられない。

「どうするのっ???」

 母さんが椅子から腰を浮かしてまで詰問している。母さん、その浮いた尻を椅子に落ち着けなよ、それで気持ちも落ち着けなよ。

「あたしはね!大学院を卒業している人と結婚する為に自分も大学に行ったの。自分を同じレベルにする為にね!あなたもあたしみたいな考え方持っていれば大学院か、低くても大卒の人と結婚出来たんじゃないのかしら?」

 その人が細い声でやっと反論する。

「私は彼の人柄が好きで結婚したから…」

 母さんがまた切り返す。

「あなた!あたしと重視する所が違う!」

 その人の開いた口がふさがらない。

「うちの主人が入社した時に主人の上司だった人たちは、今や主人の部下なのよ、部下!二流大卒だからね!」

 帰りたそうな顔をするその人と、帰すまいと喋り続ける母さん。

「うちの主人はね、人員整理する側なの!する側!!前にも人を何人か切らなきゃいけないけど、この人は子どもが障害児で、この人は要介護状態の親がいるからって8人くらいの身上書を見ながらウンウン悩んでいる時に、あたしがこの人とこの人は残して後はクビ!って言って決めてやったの!あたしが!主人はその通りにしたわ!あたしが主人の部下を切ってやったわ!あたしは人の人生を左右出来る立場なの!!」

 顎を天に向けて言い切る母さん。

「あたしたちはクビを切る側!あなたたちは切られる側!あたしたちが上!あなたたちは下!決定的な違いね!」

 その人は悪魔を見るような目で見ている。

「あたしは子どもたちの学校へ行くとね、綺麗なお母さんって囁かれるのよ」

 自慢気な母さん。

「本当よ、行くたびに綺麗なお母さんって囁かれるの!」

 断言する母さん。

 その人が仕方なさそうに言う。

「はい、そうね」

 早く話を終わらせて帰りたがっているのが分かる。…と、そこでその人の手提げから難しそうな本がバサッと落ちた。

 母さんがすかさず言う。

「あら、まあ!あなた中卒なのに本読むの?」

 その人のふさがらない口がもっと大きくなる。よせばいいのに、そんな優しそうな奥さんを傷つけなければいいのに。

「あたしは自分に自信あるわよ。大学出ているし、元銀行員だし、今は経営者だし」

 得意満面な顔を向け続ける母さん。そこまで自慢したり、学歴や職業や権力にしがみつくって事は、それこそ自分に自信がないって事じゃないのかい?

 その人は黙って立ち、本を拾い、静かにうちから出て行った。

 母さんが言う。

「あら、あたし何か変な事言ったかしら?分かってないみたいだから、懇切丁寧に教えてあげたんだけど」

 分かってないのは母さんだよ。あの人もきっともうニ度と来ないんだろうなあ。

 母さんは友達を次々に失う人だった。

 

 その夜、母さんが父さんに言うのが聞こえた。

「親が絶対って思わせるのよ。親が絶対って」

 …「絶対に」間違っていると思うけどねえ。

 

        ★

 

 母さんがハサミで布を切り、正確に花びらの形にしていく。測らずとも正確に染料を水に溶かし、その花びらを生きた花のように染めていく。正確にこてを当て、糊を塗り、完璧な花に仕上げていく。

 まるで魔法のように美しい造花が、あたしの目の前で生まれる。 

 この人は本当に、華道家として一流だ、と思わずにいられない。

 

 母さんがミシンの前にいる。誰にも習っていないのに、正確に切り、ファスナーを付け、ただの布を魔法のように可愛らしいワンピースに仕上げていく。素人と思えない仕上がりの新しい洋服が、あたしの目の前で生まれる。

 この人の器用さと色彩感覚は抜群だ、と思わずにいられない。

 

 母さんが台所で父さんの弁当を作っている。彩りも悪く、バランスもひどい、見るからにまずそうな弁当だ。

 色彩感覚良い筈なのに、何故こんなにもみすぼらしい弁当しか作れないのか?不思議でたまらない。父さんが蓋で隠しながら食べたくなる気持ちがよく分かる。

 野菜の切り方、調理法、洗い物の仕方、洗濯物の干し方、畳み方、しまい方、掃除の仕方、ごみの出し方、どれもこれも酷い。

 この人は、主婦としては最悪だ、と思わずにいられない。

 

 母さんが急にあたしの部屋に入って来た。

 あたしはそれまで読んでいた漫画の上にさっと教科書を広げ読んでいる振りをする。棚の上に飾ってある自分の造花を見ている母さん。

「えーっと」

と、わざとらしく言っている。勉強しているかどうか監視しているんだろう。

 この人は、母親としても最悪だと思わずにいられない。

 

 靴が窮屈になって来た。母さんの顔色を見ながら頼む。

「靴と上履き、新しいの欲しいんだけど」

 母さんがすかさず言う。

「お姉ちゃんの履いて」

 またお古かよ。不満満タンでいたらこう言われた。

「あんた、早く働くようになって、好きな物を好きなだけ買いなさい」

 早く働いて良いんだね?

 

 夕飯時、母さんは「毎日」こう言う。

「何か変わった事ない?」

 んーな、毎日ある訳ねーだろ!どうせ毎日同じ事聞いてるって認識ないんだろうし。

 

 クラスにナツミちゃんという女の子がいた。色が白くて可愛い顔立ちの子だ。

 ナツミちゃんは何故か一切口をきかない子だった。病気や障害があって「喋れない」のではなく、とにかく一言も「喋らない」のだ。

 何回か一緒に遊んだよ。あたしが冗談言ったり、何かおかしい事すると、楽しそうにニコニコ微笑む。だが決して喋らない。

「あ、って言ってみて」

とか言ったけど、にこやかに黙ったままだ。そして嫌な事をされるとキッと睨む。つまり何も感じていない訳じゃないのだ。

 先生も毎朝、出席を取る時に名前を呼び、黙っているナツミちゃんに

「ナツミちゃんいる?」

と顔を確認している。返事をしないナツミちゃんを決して咎めない。

 ナツミちゃんはどうして何も言わないのかなあ。

 …夕飯時にまた母さんが言う。

「何か変わった事ない?」

 だからナツミちゃんの事を話した。

「そういう子を、寡黙児って言うのよ」

だって。カモクジかあ、んん、よく分からない。

「どう接したらいいと思う?」

と聞いたら

「さあ、どうしたらいいかねえ。あたしはそういう経験ないからねえ、分からないねえ」

だって。

 …こっちもどうしたらいいか分かんねーよ。分かんねーから聞いてんだよ!

 

 一日の授業の終わりに先生は必ず宿題を出す。黒板に算数の計算式を書き、みんなはそれを自分のノートに書き写して、家でやって来るのだ。

 だが、次の日登校すると、何故か黒板の数字が書き変えられている。2が8になっていたり、4が9になっていたりする。勿論答え合わせもおかしくなる。はて?みんなで不思議がる。

 高橋さんがあたしに言った。

「沖本さん、8って数字ここに書いてみて」

 言われるままに黒板にチョークで8と書いたら憎々し気にこう言われた。

「この字、似てる!」

 あたしが書き変えた犯人だって言うの?冗談じゃない!

「あたしじゃないよ!」

と言ったら

「じゃあ誰?」

と凄い目で睨みながら切り返してくる。

「知らないよ!でもあたしじゃないから!」

と言った。

 何であたしって決めつけんだよ!

 先生も不思議がっていた。

「誰が何の為にそんな事するのかしら」

 前の席にいる高橋さんが、後ろの席にいるあたしを振り返って睨んでいる。つられてみんなもあたしを見る。

 悔しかったね。あたしじゃないのに!高橋さんってどうしていつもあたしを攻撃するんだろう。それもみんなの前で。前にも家に来いと言っておきながらいなくて待ちぼうけ食わせた事あるし、酷いよ。

 夕飯時、また母さんが言う。

「何か変わった事ない?」

 だからあたしその事を母さんに話したよ。

 そしたらまた

「さあ、どうしたらいいかねえ、あたしにはそういう経験ないから分からないねえ」

だって。だったら最初から変わった事ないか聞くなってーの!

 母さんも酷いけど、高橋さんも酷い、許せない!だからあたし、犯人を見つけてやるって決めた。

 翌日の放課後、みんなが帰る。あたしも帰ったとみせかけ、密かに教室に戻って掃除用具入れの中に隠れた。隙間から黒板が見える。よし、誰がやっているのか見つけてやるわい!

 …辛抱強く待っていたら、カララと教室の扉が開き、高橋さんが入って来た。あれ?何で高橋さんが?…と思っていたら、辺りを見回し誰もいない事を確かめている。

 何するんだろうと見ていたら、何と!高橋さんが数字を書き変えている!どびっくり!あれだけ言うんだもん、まさか高橋さんが犯人だなんて思わないよ!あたしはあまりにびっくりして動けなかった。本当は飛び出して犯人を捕まえるつもりだったけど…。

 夕飯時、母さんが言う。

「何か変わった事ない?」

 だから犯人が高橋さんだった事を話した。

 そしたら

「あんたがやったって思われるよ」

だって。相変わらず役に立たないババアだねえ。黙るしかない。

 翌朝、また数字が書き変えられている事で教室は大騒ぎになっている。

 高橋さんも「正義の味方!」って顔して、一緒に騒いでいる。

 休み時間、トイレに行こうとする高橋さんを追った。

「高橋さん、あたし昨日見たよ」

と言って、高橋さんをじっと見る。

「何を?何を見たの?」

 高橋さんがむきになって言ってくる。

「なあに?沖本さん、何見たって言うの?言ってよ」

 あたしは「もうやめな」という気持ちを込めて、黙ってじいっと見ていた。高橋さんはみんなの前であたしを犯人扱いしたけど、あたしはみんなの前でなく、高橋さんだけに言う事で、高橋さんのプライドをぎりぎり守ってやった。

 高橋さんが、まずい、というような引きつった顔で逃げて行く。

 高橋さんはニ度とあたしに意地悪して来なくなった。そして黒板の数字も書き変えられなくなった。

 高橋さんってどうしてそんな事したのかなあ?んん、分からない。

 

     ★

 

 今日は学校の授業参観。あたしは母さんが来ている事に舞い上がっちまっていた。

 先生が言う。

「この問題、分かる人」

 みんなは親に良い所を見せようと、張り切って手をあげる。だが、緊張しすぎているあたしの手はあがらない。

 何回も先生は言う。

「この問題、分かる人」

 みんな、いっせいに手をあげる。手があがらないのは、相変わらずあたしだけだ。

 先生が見かねて言ってくれた。

「沖本さん、どう?」

 カチンコチンだよ、分かるかってーの。首をかしげる

 先生は言ったよ。

「お母さんが見ているから、緊張しちゃったかな」

 みんなが笑う。

 あたしも照れくさいやら何やらで、笑いながら振り返ると、母さんも苦笑していた。

 

 家に帰るなり、母さんが凄い剣幕で怒鳴った。

「何よ、あんた、いつも授業中あんななの?」

 答えられない。そうと言えば、そうだから。

「今日あたし、あんたのせいで恥かいたわ」

 ああそうか、あたしは母さんに恥をかかせたんだ。黙ってうつむく。

「あんた、今日の夕飯抜きよ、あたしに恥かかせた罰だからね」

 当然なんだろうと、深く頷いた。

 

 だからね、それからしばらくして、また授業参観が実施される事になった時、あたしは悩んじゃったよ。また母さんに恥をかかす事になるんだろうし、また怒られるんだろうって。

 悩んだ挙句、その授業参観のお知らせの手紙を母さんに見せずに捨てたよ。あたしとしては、気を使ったつもりだった。

 当日、母さんがいない授業参観は気が楽だったよ。

 …だが、家に帰るなり母さんに怒鳴られた。

「あんた、今日は授業参観だったんだって?」

 あれ?誰に聞いたんだろう。

「何で言わないのよ!あたし何も知らなくて恥かいたじゃない!」

 やはりあたしは母さんに恥をかかせ、怒られる羽目になった。勿論その日の夕飯は抜きだった。

 母さんが声高らかに言う。

「当然よ!あんたみんたいな悪い子は!自分の撒いた種、自分で刈り取りなさいよ!」

 本当にそうなんだろう。あたしは悪い子どもだから、価値のない子どもだから、こんな仕打ちを受けて当然なんだろう。

 よく納得して、空腹に耐えた。

 

 先生が連絡ノートにあたしの素行を心配してメッセージを書いた。

「沖本さんは忘れ物も多く、学校から配られたお手紙をおうちの人に見せない事も多く、授業中も上の空でいる事が多いです。ご家庭でもしっかり指導していただけるようお願いします」

 先生は念を押した。

「沖本さん、ちゃんとお母さんに読んでもらってサインもしてもらってね」

 そんなメッセージを母さんが読んだら、また怒られる。どうしても見せられなかった。

 翌日、先生は言ったよ。

「あら?ねえ沖本さん、お母さんのサインがないんだけど」

 先生にまで怒られたくない。必死に言い訳を考え、やっと一言絞り出した。

「お母さんが、サインしてくれない」

 その日、家のドアを開けた途端に、母さんが玄関まで飛んで来たよ。

「あんた!先生から電話があったわよ!あたしがサインしてくれないって言ったんだって?この嘘つき!嘘つき!嘘つき!」

 靴を脱ぐ間もなく、力づくでリビングまで引きずって行かれる。ああ、靴を脱がないとまた怒られる。そればかり気になった。

「あんた!またあたしに恥かかせて!」

 滅茶苦茶に殴られ、蹴られる。

「嘘つき!泥棒と一緒だよ!嘘は泥棒の始まりって諺があるんだからね!この泥棒!泥棒!泥棒!泥棒!あたしに恥かかせて!あんたなんか死ねばいい!死ねばいい!!」

 泣いて謝る。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 気が付くと土下座の姿勢のまま眠っていた。靴は履いたままだった。

 起き上がったあたしに母さんが言う。

「この家にあんたの居場所はないよ。勿論夕飯も食べさせない」

 

 部屋でじっと空腹をこらえていると、母さんが入ってきた。あたしの顔をただじっと見ている。何見てるんだろう、何なんだろうと黙っていると、あたしの顔を叩く。

 パンッ、パンッ、パンッ。頭、顔、肩、腕、足、仕方なさそうな、情けなさそうな面持ちで叩く母さん。

 …どうすりゃいいんだろう。こっちも情けない気持ちでいたら、こう言った。

「あんた、何であたしに謝って、ご飯食べさせてって言わないの?そうすれば食べさせてあげるのに」

 は?なんだ、そりゃ。さっき謝ったじゃん。

「おなかすいたんでしょう?ご飯食べたいんでしょう?」

 腹は減っているけど、食欲なんかねーよ、って思っていたら、手を引っ張られてリビングに連れて行かれる。

「ほら、食べなさい」

 あたしの席にまずそうな食事が並んでいる。

 仕方なく食べ始めると、正面に座ってあたしが食べる様子をじっと見ている。

「あんたってどうしてそんななの?」と言わんばかりの顔。

 …何で見ているんだろう。そんなにイライラするなら見てなきゃいいじゃん。黙ってまずくつらい食事を続ける。

 飯抜きでたったひとつ良い事があるとすれば、料理をしなくていい事かな。ただ、後片付けはさせられるんだけどね。

 

 今日は母さんの機嫌が素晴らしく良い。展示会で、母さんの作品がいちばん評判良く、完売したらしい。

「マリ、こっちへおいで」

 笑顔爛漫で手招きしてくれる。

 嬉しくて、無我夢中で、母さんに力いっぱい抱きつく。

「マリ、マリ」

 頭を撫でてくれる。抱きしめてくれる。話も聞いてくれる。膝の上に乗せてくれる。お菓子もくれる。

 ああ、天国だ。ああ、これが本来の母さんだ。昨日のあの言葉は幻だったんだ。この家にあたしの居場所はないなんて、あたしの聞き間違いだったんだ。

 ずっとずっと、母さんにしがみついて離れない。ずっとずっと、こうしていたい。あたしも愛されていると思いたい。

「母さん、マリの事、好き?」

「大好きだよ、マリは母さんの宝だよ」

 ああ、夢のようだ。

 ああ、なんて幸せなんだろう。

 

 今日は母さんの機嫌がすこぶる悪い。理由は分からない。昨日の天国はどこへ行ったのかなあ、じっと顔色を見ずにいられない。

 あたしがいるのに、まるでいないかのように振る舞っている。知らん顔して横を通るし。無視しないでくれよ。話しかけようか、黙っていようか、どうせ無視されるのか、どうしようか、悩む。

 …やっぱり母さんはそっぽを向いている。やっぱりこの家にあたしの居場所はないんだ。

 ああ、悪夢のようだ。

 ああ、なんて不幸なんだろう。

 

 昼寝をしたら夜に眠れなくなった。

 夜中、母さんがトイレに行く音が聞こえた。走って行き、涙ながらに訴える。

「眠れない」

 母さんが自分の布団に入れてくれた。温かい。すすり泣くあたしの頭を撫で

「新しい筆箱、買ってあげるからね」

と言ってくれた。

 筆箱なんかどうでもいい。ただ安心して、母さんにしがみついて眠った。

 幸せだった。

 

 翌日、押し入れの中で昼寝をしていたら、母さんが勢いよくがらっと開けた。そして遠慮なくあたしの両耳をつかみ、力づくで引きずり出す。

 たった今まで眠っていたのに、びっくりして悲鳴をあげる。

「あんた!昼間寝るから夜寝られなくなるのよ!」

 滅茶苦茶に引きずり回され、蹴られ、殴られる。

 ああ、もうショックで眠れない。

 そう、きっと夜になっても。

 この人は、人間として、最悪だ。

 

 うちの近くにある文房具屋では、100円買い物するごとに、カードに1回スタンプとして、ハンコを押してもらえた。20スタンプたまるとキーホルダーをもらえる仕組みだ。全部ためる為には2000円も使わなくてはいけない。んん、何とか早く貯める方法はないかな?

 ある時、お店の人が見ていない隙に、あたしはそのハンコを盗んできた。ドキドキしながら家に帰り、朱肉を持って来てカードにハンコを押す。

 …あれ?インクの色が全然違うから、バレバレだ。これではキーホルダーをもらえるどころか、あたしがこのハンコを盗んだ犯人だと、証明しているようなものだ。んん、どうしよう。困った。

 …悩んだ挙句、姉ちゃんに相談した。賢い姉ちゃんは言ったよ。

「正直に言って戻しても、ニ度とその店で買い物出来なくなるし、学校に言いつけられるかも知れない。だからこのハンコをお店にそっと戻そう」

 二人で文房具店に行き、床に転がしておいた。どうかお店の人が早く見つけてくれますように。そしてあたしの犯行だとバレませんように。そればかり祈っていた。申し訳なさすぎるから、色鉛筆を買った(勿論ちゃんとお会計した)。店を出て、二人で公園へ。ブランコに乗りながら姉ちゃんが言う。

「マリ、やっぱり悪い事は出来ないんだよ」

 心から納得し、うんうんと頷きながら姉ちゃんに頼む。

「父さんと母さんに言わないで」

「言えないよ、バーカ」

 何となく、愛情のこもったバーカ、だなと嬉しくなる。

 ああ、良い姉ちゃんだなって初めて思った。

 

 食器棚の中に食べかけのお菓子があった。つまみ食いをして、ふと振り返ると、姉ちゃんが軽蔑の眼差しで睨んでいた。

 …ああ、嫌な姉ちゃんだなって、改めて思った。

 

 そろそろ冬服を出そうと思ったら、押し入れの前に姉ちゃんの洋服が散乱していて押し入れの襖を開けるに開けられない。

「片付けてよ」

と言ったら姉ちゃんが意地の悪い目で言う。

「あんた、あたしがいなかったらどうする?」

「自分でやる」

「じゃあいないと思って自分でやりな!」

「現にいるじゃん!」

「だからいないと思ってやんな!」

 何て屁理屈女だ!殴ってやりたい!

 

 あたしが読みかけの漫画を、姉ちゃんが勝手に持って行き読んでいる。栞もどこかへ行ったらしく、どこまで読んだか分からなくなっている。

「返してよ」

 漫画に伸ばしたあたしの手を、鉛筆でぶさっと刺す姉ちゃん。

 何て事するんだ!びっくりして悲鳴を上げる。

 姉ちゃんが平気で言う。

「あんたが悪いんじゃん」

 漫画どころではない。

 慌てて母さんの所へ行き訴えた。

「お姉ちゃんが鉛筆で刺した」

 仕事中の母さんが、さもめんどくさそうに言う。

「それはあんたが何かしたからでしょう」

「いいから手当してよ!」

「ベランダにアロエあるから塗っときなさいよ」

 娘の手より、造花が大事なのかよ!アロエをむしりながら心が煮えくり返る。

 あたしは母さんが父さんに殴られている時に、いつも一生懸命止めてるって言うのに!

 あたしは良くしてやっているのに、悪くするなんて!何て母親だ!何て姉だ!

 もう嫌だ。本当に嫌だ!嫌だ!

 嫌だああああああああああ!!!

 

 絵を描くのが好きな姉ちゃんが言う。

「マリ、裸になってそこに立って」

 出来るか!んな事!いつ父さんが来るか分からないっつーのに!

 

 姉ちゃんが熱を出し寝ている。

「体温計持って来て」

と言うので持って行ってやった。

 自分の熱を測り、水銀の位置が読めない事に苛立ち、体温計を金属の固いごみ箱にバンバンぶつける短気な姉ちゃん。

 体温計は壊れ、中の水銀が散らばった。

「知らないっ!」

って、ふて寝してやがる。

 母さんが言う。

「あんた、水銀片付けてよ。素手で触っちゃ駄目よ」

 姉ちゃんがヒステリー起こして割った体温計の水銀を、どうしてあたしが片付けなきゃいけないんだ。しかも素手で触れない水銀を!

 手袋をして体温計の破片と水銀を拾い集めながら、また心が煮えくり返る。

 

 姉ちゃんの友達がうちに遊びに来た。

「こんにちは」

と挨拶した途端、姉ちゃんがあたしを指差してこうのたまった。

「こいつ、食い意地張ってんだよ!」

 びっくりした。その友達も返事のしようがなく絶句している。

 姉ちゃんは平気であたしに恥をかかせた。どうしてそう傷つけて来るのか?

 

 姉ちゃんが夏休みの自由研究の課題に「人の脈拍を測る」というテーマを選んだ。

 あたしを相手に「正常時」「起きたばかり」「食前」「食後」「走った後」「ストレッチをした後」等々色々やらせ、脈拍を測る。

 レポートをまとめ、学校に提出し、ほっとした顔をしている姉ちゃん。

 あたしも夏休みの自由研究の課題を決めなくてはいけない。だが、考えるのがめんどくさかった。

 そこで姉ちゃんの研究テーマをそのままパクリ、学校に提出した。姉ちゃんが激高する。

「真似するなんて、許せない!」

 母さんも、高橋さんよろしく自分は正義の味方!って顔して言う。

「あんた、絶対先生に呼ばれて怒られるよ!絶対に!」

 怒ってばかり、よく似た親子だねえ。

 母さんが毎日けたたましく言う。

「あんた、ろくな大人にならないよっ!人の課題を盗むなんて」

 そうかなあ?あたしの頭の上にまた疑問符が浮かぶ。

 …この件で、あたしは決して先生に呼ばれる事も咎められる事もなかった。大勢の生徒を相手にしている先生は、まして担任が違うのだから、きょうだいで同じ課題とか、いっさい気が付かないものなんだとタカをくくった。

 試しに翌年から三年続けて夏休みの自由研究として同じ課題を提出してみたが、誰も何も言わなかった。

 あたしが大人を舐めた瞬間だった。

 

 出かけようとしたら雨が降っている。自分の傘を探したが、何故か無い。

 仕方なく姉ちゃんの傘を無断で借りて外出する。強風で傘は折れ、滅茶苦茶に壊れてしまった。姉ちゃんに傘を見せて謝ったが、取り付くしまもない怒り方をする。

「気に入っていたのに!ましてや無断で使うなんて!」

 確かにそうだが、まったく悪気はなかったし、わざと壊した訳ではないのにそこまで言うなんて。

「弁償しなよ!弁償!!」

 ヒステリックにわめく姉ちゃん。

 小学生のあたしに弁償なんて、出来る訳ないじゃん。稼ぎもないのに、本当に嫌な人だ。

 父さんと母さんもまったくあたしをかばってくれなかった。

「お姉ちゃんが許してくれるまで謝り続けなさい」

だの

「自分の撒いた種、自分で刈り取りなさい」

というばかりだった。

 姉ちゃんはそれからもあたしの顔見るたびに

「傘、壊したくせに」

とか

「勉強出来ないくせに」

とか

「課題、真似したくせに」

だのと嫌味ばっかり言うし。

 もううんざりだ。こんな姉ちゃんいらないよ。

 

 母さんは父さんに殴られるたびに、姉ちゃんとあたしに八つ当たりする。

 姉ちゃんも父さんや母さんに怒られるたびに、あたしに八つ当たりする。

 家の中でいちばん小さくて弱い存在であるあたしは、やられるばかりだ。

 もう嫌だ。こんな父さんも母さんも姉ちゃんもいらないよ。本当にいらないよ!いらない!いらない!いらないいいいいいっ!!!

 

 この人は、父親として最低だ。

 この人は、母親として最悪だ。

 この人は、姉として駄目だ。

 嫌だああああああああああああああああああああああああああ!!!

 

       ★

 

 うちの社宅の近くに小学校が新しく建設される事になった。何もなかった広場に、どんどん完成に近づいていく学校を見ているのは楽しかった。

 母さんが言う。

「あんた、4年生からはこの学校に通うのよ」

 もうすぐ4年生。新築の学校に通うのは楽しみだった。

 

 そして待ちに待った春、新しい学校に通い始める。

 知っている子も少しはいたが、全然知らない子の方が多かった。子どもなりに緊張していたけど、新しい環境はやはり嬉しかった。

 良かった。あたしが授業中散々トイレに通った事を知らない子がたくさんいる。膀胱も落ち着いているし、新しい環境でやり直そう。

 小さな胸に決意がみなぎっていた。

 

 その春、姉ちゃんが中学生になった。セーラー服を着た姉ちゃんも緊張していたように見えた。

 母さんが誇らしげに言う。

「制服着ると、一層立派に見えるね」

 あたしが中学生になる時も同じ事を言ってくれるのかな?

 

 その頃、学校では男子と女子の違いを学ぶようになった。女子だけ集められスライドを見せられたりした。クラスでは生理の始まっている子も何人かいた。

 教室に戻ると男子に

「女子だけ何のスライド見てたんだよ!」

とからかわれた。

 山城さんって女の子は

「何でもない」

と目を伏せて答えていた。納得しない男子たちはしつこく聞いてきた。

 着替える時、男子が教室の外に出され、女子は堂々と脱がず、もぞもぞと着替えた。カーテンの向こう側で着替える女子もいた。

 その子は言ったよ。

「畑のおじさんが見る」

 …お年頃だねえ。

 

 前の学校で一緒だった友達と遊んだ。

 その子は得意気な顔でこう言った。

「うちの親が、マリちゃんの通っている学校ってうちの学校の分校だって言っていた」

 何が言いたいのか分からない。

「だから?」

と聞いたら得意気な、自慢気な顔で、もう一度まったく同じ事を言う。

「だから、うちの親がマリちゃんの通っている学校はうちの学校の分校だって言っていた」

 絶句する。だから何なの?そっちの学校が偉くて、こっちの学校がレベル低いって言いたいの?この人、母さんみたい。

 

 家の電話が鳴る。最初に母さんが出て、姉ちゃんに代わった。

 姉ちゃんは最初楽し気に受話器を取ったが、急に表情が硬くなり

「はい、はい、はい」

しか言わない。電話を切ってからもむやみに深刻な顔をしている。…何だろう?

 その電話は頻繁にかかって来た。そのたびに姉ちゃんは

「はい、はい、はい」

しか言わず、切ってからも暗い顔でいる。時々

「すみませんでした」

と謝っている事もあった。…はて?なんじゃらほい?

 ほどなく学校の上級生に脅されているという事が分かった。原因は、端的に言うと「やきもちを焼かれた」と言う事らしい。

 油絵が好きな姉ちゃんは、部活に美術部を選んだ。最初は楽しく活動していたが、その部に素敵な三年生がいて、

「明夫先輩、明夫先輩」

と懐いていた。

 ついこの前まで小学生だった姉ちゃんから見れば、中学三年生ってーのは物凄く大人に見えた。明夫先輩も可愛がってくれたらしい。

 その明夫先輩っつーのはえらくモテるタイプで、他にもファンがいっぱいいた。そのファンの子たちが、自分らより年下の姉ちゃんに嫉妬して、わざわざ電話をかけてきてまで

「明夫に近づくな」

と脅していたのだ。

 へえ。中学校ってーのは恐ろしい場所だねえ。脅迫があるとは。

 姉ちゃんはしばらく悩んでいたらしいけど、当の明夫先輩がみんなに

「あの子はまだ子どもだから、僕はあんな子を相手にしないよ」

と言ったとかで、ファンの子たちは安心したのか、誰も姉ちゃんに電話してこなくなった。

 それを誰かから聞いた姉ちゃんは、自分は相手にされないのか、と傷ついたようだが、それより何より上級生の脅迫電話ほど怖いものはなかったらしく、電話が来なくなった事にほっとしていたよ。もしかして明夫先輩は姉ちゃんを守ろうとしたのかも知れないけど。

 おー、おっかねー!あたしはまだまだ小学生でいたい!

 

 新しい学校で、初の野外学習。バス遠足のお知らせが来た。

 持ってくるものを書いた用紙を母さんに見せ、用意をしてくれと頼んだ中に、子ども用の酔い止めの薬と嘔吐の為の袋をニ枚、必ず「紙の袋の中にビニール袋を二重にセットするように」とあった。

 母さんは面倒臭そうに薬箱の中を漁り、古い大人用の酔い止めと、父さんが会社から持ってきた嘔吐用の袋をくれた。

 父さんの会社の袋は、紙の袋の内側がビニール加工されているものだった為、それでいいと思ったらしい。

 あたしは母さんに言った。

「紙の袋とビニール袋を二重にセットしてと書いてあるよ、そうして」

 母さんはもっと面倒くさそうに言った。

「だってこれ、中がビニール加工してあるもん、だから大丈夫よ」

「もし破れたら困るからちゃんとしてよ、ちゃんと用意して」

「いいよ、これで。これでいいよ、うるさいなあ」

 

 当日、大人用の酔い止めをどうしても飲めなかったあたしは案の定バスに酔い、その袋に吐く事になった。

 母さんから渡されたその袋は、内側がビニール加工されてあったとはいえ、あたしの嘔吐物の温度に耐え切れず(そりゃそうだ。たった今まであたしの胃の中に入っていたんだから、温かいに決まっている!)破れて中のゲロが飛び散り、みんなに本当に迷惑をかけ、大ひんしゅくをかった。

 帰ってから母さんにそれを伝え、みんなに悪かったし、恥ずかしかったと訴えたが、やはり他人事という感じで

「そうお?んー?」

と首をかしげ、とぼけるばかりでゴメンの一言もなかった。

 その遠足でもうひとつ、つらい思い出がある。

 最初あたしはバス遠足に行きたくなかった。しょっちゅう顔やら体に痣を作っていたり、家族の事を話したがらず、つまりみんなと違うあたしはクラスで浮いた存在で、一緒にお弁当を食べる友達がいなかったからだ。

「あんた、バス遠足に行きたくないって言ったんだって?どうして?」

 母さんにしつこく聞かれ、しぶしぶ理由を話した。

「そう、なら先生に言ってあげる」

 母さんはそう言うと、すっくと立ち上がって電話機に向かった。あたしはまさかそんな答えが返ってくるとは思っていなかったし、慌てふためいた。

「やめて、そんなの恥ずかしいからやめて!やめてよう!!」

 母さんはその場で学校に電話をかけ、必死に阻止しようとするあたしを肘で押しやったり足で蹴ったりしながら担任の先生に伝えた。

 そして電話機を下ろしながら勝ち誇ったように言う。

「だって本当の事じゃない、何が悪いの?自分の撒いた種、自分で刈り取りなさいよ」

 呆然とする。

 …翌日、先生がクラスのみんなの前で

「沖本さんが一緒にお弁当を食べる人がいないので、遠足に行きたくないと言っているそうです。誰か沖本さんとお弁当を食べてあげて下さい」

と言いやがった。

 みんなが、馬鹿じゃない?という目であたしを見る。元々いたたまれなかったけど、更にいたたまれず、消えてなくなりたかった。

 ああ、なめくじみたいに溶けちまいたい。誰か塩でも振ってくれよ。母さんもひどいけど、先生も先生だよ。

 そして遠足の当日、

「あ、沖本さんとお弁当食べてあげなくちゃ」

と、聞こえよがしに言われた。

 仲間に入れてもらっても、ちっとも嬉しくなかった。その弁当も、彩りが悪い上に極端に小さく、

「本当にそれで満腹するの?」

だの

「ねえねえ、沖本さんのお弁当あんなに小さいよ!」

と、みんなが次々に見に来るような、惨めな弁当だった。

 みんなが色とりどりの、大きくてきれいなお弁当を楽しそうに広げている中、あたしは蓋で隠しながら必死に食べた。早く空っぽにしたかった。早く弁当の時間が終わって欲しかった。

 帰宅してから

「もっと大きくてきれいなお弁当作って、今日、恥ずかしかった」

と訴えたあたしに母さんは言ったよ。

「え?だって、あんたお弁当小さくていいって言ったじゃない」

「え?あたしそんなこと言ってないよ。お姉ちゃんじゃないの?」

と言ったら

「え?んん」

と、混乱しながらすっとぼけてやがる。

「とにかくもっと大きくてきれいなの作ってよう!」

と言ったら逆切れして

「じゃあ自分でやればいいじゃないっ」

と怒鳴り、本当に作ってくれなくなった。

 それからあたしは小学生にして、いつも自分で弁当を作る羽目になった。

 新設校ゆえ給食の設備がまだ整っておらず、毎日いちばん苦痛な時間は弁当の時間だった。

 ある時自分で作った弁当は、手提げの中で傾いて片側により、開けたら半分しか入っていない状態だった。みんなにどっと囃したてられ、その後もずっと悪口を言われ続けた。

「沖本さんの弁当っていつもいつも、すっごいみすぼらしいんだよ。この前なんて、半分しか入ってなかったんだよ」

 同じ班の女の子は、あたしに聞こえよがしにそう言っていた。

 3か月くらいして、ようやく給食がスタートした時、ああこれでもう弁当作らなくて済む、って誰より嬉しかったよ。

 

 その頃、あたしはよく貧血を起こし、朝礼や授業中に倒れる子どもだった。

 そのたびに保健室に運びこまれ、母さんが迎えに来るまでへなへなになりながら寝ていた。

「かわいそう、真っ青」

という保健室の先生の声を遠くに聞きながら。

 母さんはいつも

「まあ、申し訳ありません」

なんて言いながら保健室に入って来る。

 そしてさも心配そうに

「あんた、大丈夫?」

とか言いながら、あたしを連れて帰る。

 そして家に入った途端に

「あんた、寝てなさい。あたしは忙しいから」

と冷たい背中を向けられた。

 実は心配なんてしていないのがよく分かった。放置されたあたしは自分で布団を敷き、ひたすら寝た。

 また別の時、迎えに来てくれたのはいいが、家に入った途端にまだクラクラするあたしを

「倒れる前にしゃがみなさいよ」

と肘で小突いた。押されたあたしは気を失い、そのまま倒れたよ。

 母さんったら、自分の目の前であたしが白目をむいて倒れたもんだからびっくりして、ちょうど遅番でまだ家にいた父さんを呼んできて、二人がかりであたしをリビングまで運び、ユサユサ揺すって目を覚まさせたよ。

 はて?自分の身に何が起きているのかよく分からず、ふらふらと起き上ったあたしを見て、母さんはわざとらしく壁に向かって座り、ハーハー言いながら自分の胸を押さえていたよ。

 ったく、急に良い母親ぶるなよ、もううんざりだよ!原因はオマエだろ!

 

 翌日、学校に行ったらみんなが集まってきて心配そうにこう言ってくれたよ。

 「沖本さん、大丈夫?」

 嬉しかったね。親は迷惑がるけど、友達は心配してくれる。

「大丈夫だよ」

と答えると、片岡さんって子が不思議そうにこう言った。

「沖本さんて、どうしてしょっちゅう倒れるの?」

「貧血なの」

「貧血ってなあに?」

 んん、何て説明すればいいんだろう。迷ってからこう答えた。

「血が足りない病気」

「血が足りないの?」

「そう」

 これでみんな納得してくれるかと思ったが、別の意味で納得したらしい。

 その日からあたしのあだ名は「吸血鬼ドラキュラ」になった。

 …勿論、嫌だった。

 

 その何日後だったか忘れちまったが、また朝礼で貧血になった。

 目の前がすっと暗くなる。頭の奥がしびれるような感覚。倒れてはいかん、としゃがみこむ。

「またあ?」

 高橋さんの声がする。しょうがないじゃん、て思った。

 先生が両側からあたしを支えて、保健室に連れて行ってくれる。

 ああ、助けてくれる。有り難いけど母さんには連絡しないでくれ。あたしの頭の中は、それでいっぱいだった。母さんに連絡しないで、どうか連絡しないで。

「先生、あたし大丈夫ですから、家には連絡しないでください」

 必死に頼み込む。

「沖本さん、どうして?お母さん心配するでしょう」

「いいえ、心配なんかしませんから。本当に大丈夫ですから、ひとりで帰れます」

 自分でも授業を受けられる状態ではないのは分かった。

 ヨタヨタしながら家に帰る。途中、林の中からカンガルーが出てくる幻覚まで見たよ。

 ああ、頑張れあたし、これは幻だよって自分に言い聞かせながら、ようやく家にたどり着く。母さんはいなかった。心底ほっとする。自分で布団を敷き、崩れ落ちる。その後の記憶なんてない。一瞬で眠り落ちた。

 …夕方になりやっと目を覚ます。ふらふらと部屋を出ると母さんが言った、

「何よ、あんた。学校から電話がかかってきて、あたしわざわざ迎えに行ってやったのに。行かなきゃ良かったわ。あんた、さっさと帰っちゃうんだもん」

 ああ、行き違いになったのか。先生はやはり母さんに電話をかけたんだ。あんなに電話しないでくれと頼んだのに。

 母さんは、自分に迷惑をかけまいと無理をして自力で帰ったあたしに、いたわりの一言もなかった。あたしはまだフラフラだったのにさ。

 毎日レバーばっかり食べさせられるし、もうレバーなんか飽きたよ!見るのも嫌だ!

 

 母さんはあたしがやってくれという事はしてくれず、やめてくれと言う事は強行し、自分に気を使ったり、自分を懸命にかばうあたしに「当たり前」という態度をとり続けた。

 そして傷つくあたしを嘲り笑い、更に針のむしろに座らせた。

「だって本当の事じゃない。何が悪いの?」

だの

「あたしはひとつも間違った事を言っていないし、してないわ。あたしに何のミスがあるの?」

だの

「自分の撒いた種は自分で刈り取りなさいよ」

だのと平気で言っていた。

 それが母さんの言い分だった。本当の事を言えばいいってもんじゃないし、じゅうぶん間違っているよ。

「あんたがあたしの思うような良い子になりさえすれば、可愛がってあげる」

ともしょっちゅう言っていた。

 こっちは

「母さんがあたしの思うような良い母親になりさえすれば、尊敬してあげる」

なんて言わないのに。

 こっちは「無条件」なのに「条件付きの愛情」しかもらえないなんてさ。

 そして

「あんたは幼稚園くらいで死んだものと思っているからね」

と言うようになっていた。

「小さいうち」が「幼稚園」になっていた。

 

 あたしは言われるたびに思ったよ。あたし、そんなに悪い子なのかな?疑問で疑問でたまらない。

 母さんの気に入るタイミングで気に入る事が出来ない事が、学校の成績が悪い事が、忘れ物が多い事が、母さんの言う「良い友達」と仲良く出来ない事が、そんなに悪い事なのかな?

 そんな凄い勢いで怒鳴られたり、ひっぱたかれたりするほどの事をしているのかな?死んでくれと言われるほどの酷い事をしているのかな?

「あんた、あたしへの嫌がらせでやっているとしか思えない」

とかね。

 あたしは母さんの意にそぐわない子どもであり、生きていてはいけない子どもだった。

 

 そして常に「生きていてはいけない子」と自覚しているあたしにもうひとつ、災難が降りかかった。

 父さんと母さんは、毛深い人だった。腕も足もフサフサと毛が生えている。母さんは気にして、腕や足や脇をしょっちゅう剃っていた。

 が、良い事もあった。二人とも睫毛が長い事。あたしと姉ちゃんも親に似て、毛深いけど睫毛も長かった。

 小さい頃から知らない人にもよく言われたよ。

「お嬢ちゃん、睫毛長いね」

って。あまりによく言われるので「睫毛長いって何の事だろう」くらいに思っていた。

 だが長い睫毛を気に入らない人たちがいた。学校の友達が何人も束になってきて、あたしに言う。

「睫毛切れ!」

 何でそんな事言うんだろう。

「別にいいじゃん」

 苦手な反論をする。

 みんなはむきになって言う。

「目障りだから!」

「関係ないじゃん」

「とにかく切れ!」

 みんな、あたしの顔を見るたびに言う。

「近くに来なきゃいいじゃん」

 そのうちクラス中の子が、つられたように言うようになった。

「目障りだから睫毛切れ!」

 女の子たちは聞こえよがしに悪口を言い、男の子たちはあたしに足払いをかけ、転ぶと笑った。

「お前、毛深いな。毛だくらもうじゃ!」

という声も飛んでくる。

 我慢しているのに、いじめは止まらない。

 

 学校に行くといじめられる。勉強も出来ないし、友達も少ないし、つまらなかった。

 毎日トイレ掃除を押し付けられる。当番制の筈なのに。

「あんたなんかトイレ掃除がお似合いよ!」

 罵詈雑言も漏れなく付いてくる。水かけられるし、もう嫌だ。

 家でも学校でも掃除ばかり、いじめられるばかり、本当にもう生きてるのがつらいよ。

 

 下校時間、ひとりで帰ろうとすると後ろから10人くらいで追いかけてくる。

「よーわむーしさーん!」

 高橋さんが笑いながら叫んでいる。走って逃げたが校庭内で追いつかれた。

「沖本、来いよ。可愛がってやっからよ!」

 男子が拳を振り回しながら言う。みんなの前であっという間に引き倒され、滅茶苦茶に蹴られた。下級生たちがびっくりした目で見ている。悔し泣きするあたしを尻目にみんな笑いながら行っちまった。

 教室の窓から先生が見ている。目が合うと、さっと背を向けて奥に消えちまった。そしてそのまま校庭に来てくれる訳でもなく放置された。

 あたしは下級生の前で恥をかかされた上に、先生にも見殺しにされた。この人たちはこういう目に遭わないんだろう。悔し涙にかきくれる。

 

 今日は母さんの機嫌がまあまあだ。

 もしかして助けてくれるかもしれないと思いながら、友達にいじめられるから、学校に行きたくないと相談してみた。

 母さんは即答した。

「あんたが悪いんじゃないの?」

 …話にならなかった。今から原因を言おうとしていたのに。以前、男子に突き飛ばされ怪我した時と同じだ。

 

 学校で受けているいじめについて、父さんに話した。

 いつかサトル君を怒鳴ったように、また学校に乗り込んでいじめっ子を怒鳴りつけたりするのは困るが、もしかしたらちゃんと対応してくれるかも知れないと、わずかな希望を抱きながら。

 父さんはあたしの方を見ようともせず、平気で言った。

「やり返せばいいだろう」

 そんな事したら、どんな事で返されるか分からないよ。

「水をかけられる」

「かけ返せばいいだろう。水なんて、蛇口をひねればいくらでも出てくるだろう」

 …そういう問題じゃないよ。大勢対あたしひとりでかなう訳ないじゃん。せめて共感してくれよ。

 

 テレビのニュースで、小学生がいじめを苦に自殺したと報じていた。あたしは命を絶った子の気持ちが分かったよ。あたしだって死にてーよ。

 だが父さんと母さんは平気で言う。

「馬鹿ね、その子。そういうの死に損っていうのよ」

「そうだ、やり返せばいいんだ」

 …さびしい気持ちになる。

 

 事故のニュースが流れていた。

「怖いね」

って母さんに言ったら

「あたしは事故なんて少しも怖くない。あたしは人がいちばん怖いわ」

という答えが返ってきた。

 …意味が分からない。

 

 災害のニュースが流れていた。

「逃げようがないから怖いね」

と母さんに言うと

「あたしは災害なんて何ともない。いちばん怖いのは人よ」

とまた言った。

 …また意味が分からない。

 

 テレビドラマで女の人が恋人にお金を渡しているシーンがあった。母さんが言う。

「馬鹿ね、この人。お金なんか貢いで。利用されているだけなのに」

 そしてあたしの方を見て言う。

「あんた、今のままじゃ、あの女の人みたいになるわよ」

 うるさかった。

 

 テレビドラマで、男の人が恋人にソフトクリームを買ってもらっているシーンがあった。

 母さんがまた言う。

「こうやって最初は安いものからねだるのよ」

 本当にうるさかった。

 

 テレビドラマで小学生の女の子が親を相手に、キーキーわめいているシーンがあった。

 母さんがまたまた言う。

「この子は親に反抗しているのね。あんたみたい」

 テレビくらい、黙って見られないのかよ。

 

 転校した友達に手紙を書いていたら母さんがまたまた言う。

「あんた、いつまでその友達に手紙書く気?」

 父さんも言う。

「そうだ、切手代の無駄だ」

 そして二人で仲良くせせら笑う。

「この調子で捨てられた男にも手紙を書き続けるのかねえ」

 そうなって欲しいのか?不幸になって欲しいのか?

 もう黙っていてくれ。

 

 20歳の息子が親をバットで殴り殺す事件があった。

 母さんがまたまたまた言う。

「子どもが親を殺すと罪が重いのよ。育ててもらったんだから」

 じゃあ他人を殺す分には罪が軽いのかよ。

 いい加減にしてくれ。

 

 テレビで歌手が「心が寒い」と、歌っていた。

 母さんが言う。

「あたしも心が寒いわ。あんたのせいで」

 どうか、その口を閉じてくれ。

 

「結婚するなら関白タイプの人が良い」

と言った。勿論、駄目なあたしをぐいぐい引っ張ってくれそうだから、という意味だ。

「毎日殴られているのがいいの?」

と、言う母さん。

    それはあんただろ。父さんは関白タイプでも何でもないし、その暴力も母さんが誘発しているし…。

 もう何も言えない!うんざりだ!

 

 夫が妻を日常的に殴り続け、ついに殺してしまったというニュースが流れていた。関白タイプだったのか、ただの暴力亭主だったのか、そこは知らないが。

 …母さんが言う。

「かわいそうに、この奥さん。毎日殴られていたなんて」

 あたしは言った。

「警察に言えば良かったのに」

 母さんが憤然と反論してくる。

「警察は実際に殺されるまで何もしないのよ。どんな暴力受けていても、ただの夫婦喧嘩とみなされて何もしてくれないのよ」

「そうかなあ?どこかにその奥さんを助けて、かくまってくれる所あるんじゃないの?」

というと、居丈高に責めて来る。そう、いつか旦那さんの年収を知らない奥さんに詰め寄った時のように。

「そんなものある訳ないじゃない。だったらその奥さん、死ぬまで殴られている訳ないじゃない。あんた、何も分かっていないのよ!」

 そうかなあ?本当に何も分かっていないのは母さんじゃないのかなあ?

 

 週刊誌の見出しで、「高校生が集団リンチで死亡」と出ていた。感想の言いようがなく黙っていたら、母さんがまた言う。

「あんた、そういう時はさっさと逃げなさい。負けるが勝ちっていうのよ」

と言った。

 負けるが勝ちって、なんかおかしくないかなあ?負けは負けだろうって、不思議で不思議で、相変わらずあたしの頭の上には疑問符がいっぱいに並んでいた。

 

 テレビで女子刑務所の特集をやっていた。

 母さんが言う。

「悪い事したらこの人たちみたいに牢屋に入れられるのよ」

 だから何だよと思っていたら更に言う。

「こういう所に入ったらね、お尻の穴まで見せるのよ」

 それがあたしとどういう関係があるんだよ、と思っていたらもっと言う。

「あんた、こういう目に遭いたいの?」

 そんな訳ないじゃん。ただ黙っていた。

「あんた、赤の他人にお尻の穴まで見せるようになりたいの?刑務所に入りたいの?」

 悪い事をするとこういう目に遭うからしないでくれ、と言いたいならそう言えば良いのに。それか、良い事をすれば表彰されるよ、とか。

 得意気にあたしを見下ろし続ける母さん。その口にガムテープでも貼ってやろうか。どうしてそう人の神経を逆撫でするんだい?

 こんな母親いらない。

 

 母さんの顔なんか見たくない。いつもいつもあたしを駄目な子どもだと負の言葉を注ぎ込んで来て、一切自信持つな、自分を低く見ろとか言って、劣等感を持つように持つように洗脳して、もう嫌だ。

 目が合わないよう家の中で帽子を目深に被って過ごしていたら、母さんがまた言う。

「何?あんた、人に顔を見せられないくらい悪い事してるの?」

 違うよ、母さん。見せられないんじゃなくて、あんたの顔を見たくないんだよ。

「あんた、やましい事あるなら死ねば?そうよ、死んだらいい。死になさいよ、ほらほら」

 母さん、あんたこそ死んでよ。そんなにイライラさせるなら、いっそ死んでくれよ。ほらほら。

 

 うちの風呂が壊れ、銭湯に行った。

 体を洗っていたら、赤ちゃんを抱っこした女の人が、湯船につかろうとしているのが見えた。

 湯船のお湯は赤ちゃんには熱過ぎ、嫌がって凄い声で泣いている。そしたらそのお母さん、水道の蛇口をひねり、出てきた冷たい水を赤ちゃんにかけている。冷水をかけられ、もっと泣く赤ちゃん。今度はそのお母さん、温めようとしたのか、熱過ぎるお湯に赤ちゃんをジャブッとつける。熱くて死にそうな声で泣く赤ちゃん。今度は冷やそうとして、冷水をかけるお母さん。赤ちゃんは熱いお湯と冷水を交互にかけられ地獄だろう。可哀想に、このお母さん、気が利かなくて、うちの母さんみたい。

 …と思っていたら、知らないおばさんが見るに見かねて

「洗面器にちょうどいい温度のお湯を汲んで、そこに赤ちゃんつけてあげたらどうですか?」

と言った。

 そのお母さんは仕方なさそうに笑い、その通りにしたらやっと赤ちゃんは泣き止んだ。うん、おばさんが正しい!ただ、人の言う事を素直に聞くだけそのお母さんもまあまあだ。

 うちの母さんもちょうど良くしてくれないかなあ。だったら生きていてもいいんだけど。

 

 姉ちゃんが苦労して、オムライスを作った。

 4人でそれを食べる。まずくはないが、おいしくもない。可もなく不可もないって感じ。

 父さんがあたしに言う。

「お姉ちゃんが作ったから、後片付けはお前がしなさい」

 黙って皿を洗い、生ごみを片付ける。

 姉ちゃんは、ご苦労さんと言われ、当然って顔をしてる。

 こき使われるシンデレラと、えこひいきされる姉みたいと思った。

 

 あたしが苦労して、カレーライスを作った。

 4人でそれを食べる。まずかった。

 父さんが言う。

「お前が作ったんだから、お前が後片付けもしなさい」

 黙って皿を洗い、生ごみも片付ける。

「ああ、まずかった」

 姉ちゃんが聞こえよがしに言う。

 同じきょうだいでありながら、こんなに扱いが違うとは、なんて理不尽なんだ。

 

 母さんが苦労して、魚の煮つけを作った。

 4人でそれを食べる。激しくまずかった。

 父さんがあたしに言う。

「後片付けはお前の仕事だ」

 黙って皿を洗い、生ごみを片付ける。

 母さんが言う。

「風呂掃除とトイレ掃除も」

 黙って風呂とトイレを掃除する。

 本当に理不尽だ。腹が立って、腹が立って、悔しくて、悔しくて、地団太を踏みたい。

 

 食後に母さんは毎回言う。

「マリ、お茶淹れて」

そう言えば、自動的にお茶が出てくる。さぞかし便利だろうなあって思いながら、人数分のお茶を淹れる。

 父さんが言う。

「何で淹れる時に急須を少し持ち上げるの?」

 無意識にそうしただけだ。そんな事、どうだっていいだろうと取り合わなかった。洗った皿を拭いていたらまた言う。

「何で拭く時に布巾をパンって広げるの?」

 それも無意識だ。どうだっていいだろう。何でそんな細かい事をいちいち指摘するんだろう。気にしなきゃいいのに、もしくは見てなきゃいいのに。

 もう、嫌で嫌でたまらない。黙っていて欲しくてたまらない。

 

「お前は言葉がやくざだねえ」

 父さんが言う。

「女の子らしくきれいに喋れよ」

 誰がてめえの前できれいに喋るかよ。

 母さんが横からひょいと顔を出して言う。

「うちは堅気なんだからね」

 要するに、二人ともあたしのやる事なす事、気に入らないんだろう。

 

 帰宅した父さんが言う。

「腹減った」

 母さんは仕事でいないし、姉ちゃんは知らん顔しているし、あたしが面倒見るしかないんだろう。もたもたと食事の支度を始めたら、怒って言う。

「もういい!ご飯に卵ぶっかけて食べる!」

 ほんの少しも待てないのか、何て短気な人だろうと思ったらまた言う。

「仕事で疲れてお腹空かせた俺に、早く食べさせてやろうって思わないのかねえ」

 父さんや、ただ単に、卵かけご飯が食べたかっただけじゃないのかい?1分や2分で飯が出来るかよ。

 

 帰宅した父さんが言う。

「腹減った」

 母さんは仕事でいないし、姉ちゃんは相変わらず知らん顔だ。残り物でいいのかな。それとも卵かけご飯かいな。

「ご飯あっためる?」

と聞いたら

「当たり前だ」

と即答された。

「お前と一緒にするな」

 続けて

「冷や飯食わす気か」

とも。

 …父さんはひとつ言うとみっつ返してくる人だった。

 

 友達と電話で話していたら、父さんが急に来てフックを押し、強引に切りやがった。

「明日、学校で話せばいいだろう」

と、怒鳴りつける。

 電話代が気になるだけだろう。何てケチな人だ。

 

 友達から電話がかかって来た。しばらく話してから切り、別の友達にこっちから掛けた。

 いくら喋っていても、父さんは何も言わない。最初に向こうから掛かって来たから、電話代を払うのは向こうだと思っている様子だ。その後こっちから掛け直したことに気付かないアホな父さん。

 やっぱりただのケチだ!

 

 父さんが会社の人と電話で話している。こっちも勝手にフックを押して切ったろか!

「明日、会社で話せば良いだろう!」

と、怒鳴りつけてやろうか。

 電話代が気になりまっせ!

 

 ニュースを見ている父さんに何気なく聞いた。

「日本の警察って優秀なの?」

 父さんが即答する。

「そうだ、だからお前が悪い事したらすぐ捕まる」

 悪い事をしないでくれと言いたいならそう言えば良いのに、夫婦でマイナスの言い方ばかりするんだねえ。ってか、そこだけは価値観が合っているんだねえ。

 

 父さんはあたしのやる事なす事気に入らず、いつもいつも怒ってる。

 相変わらず「自分が今何故怒られているのか分からない」まま、怒鳴られるあたし。

「お前は絶対に不幸になる!親不幸だからだ!断言する!!」

 不幸になって欲しいのかねえ。

 

 学校のクラスで席の近い河野さんという女の子が、あたしに言った。

「ねえ、これやっといてくれない?」

 先生に頼まれた学級新聞を作る作業だ。黙って手伝ってあげたら、目をギラギラさせる。

「こいつ、嫌って言えない性格なんだ」って言わんばかり。

 その日から河野さんは、しょっちゅうしょっちゅうあたしに何かを押し付けてくるようになった。掃除当番やら、机と椅子の片付けやら、石鹸水の補充やら、黒板消し作業やら、図書室から借りた本を返しておいてくれだの、なんやらかんやら。

 毎回こう言う。

「ねえ、これやっといてくれない?」

 黙って手伝うたびに目をギラつかせる。「こいつ、嫌って言えない性格なんだ」と、はっきり顔に書いてある。

「終わったよ」

と言うとニヤリとしてこう言う。

「あんがと、じゃ次、これやっといてくれない?」

 河野さんは次々に用事を押し付け、あたしの時間をどんどん奪う。

 給食を配る時だって、河野さんはあたしがおかずを取ろうと手を伸ばした瞬間に、さっと引っ込めて取れないようにするし、何て意地悪だ!

「こいつ、いじめてもいいんだ」って顔して見てる。あたしは何も頼まないし、気持ちよくやってあげるのをいい事に。

 調子に乗った河野さんがこう言いやがった。

「昨日片岡さんにジュース代100円借りたの。沖本さんのお金で返しといてくれない?」

 冗談じゃない。その質問には答えずこう言った。

「あたしも今度、河野さんになんか頼もうっと」

 河野さんの顔色がさっと変わる。「生意気な!」と言わんばかりだった。

 その日の給食の時間、河野さんはシチューをこぼして洋服を汚していた。

「あ」

と言ってあたしの顔を見ている。自分でやったんだろ!と知らん顔してやった。

 コノヤローって顔で河野さんがあたしを睨んでる。あたしがティッシュでもさっと差し出すとでも思ったのかね!誰がそんな事してやるかよ!調子こいて散々あたしを使い走りにしやがって!今までずっと我慢して来たなら、これからも我慢しろってか?冗談じゃない!

 更に放課後、河野さんは廊下で滑ってみっともなく転んだ。あたしはまた知らん顔で脇を通って帰った。

 翌日、河野さんは手の平にキャラメルを乗せ、黙ってあたしに差し出してきた。いかにも済まなそうな顔をしている。「悪かった。でもあたしに用事を頼んで来ないで」って言わんばかり。

 あたしはそのキャラメルをつまみ、そのままごみ箱に捨ててやった。河野さんがドキリとした顔をする。

 すかさず言ってやった。

「ねえ、これやっといてくれない?」

 先生に頼まれた、みんなが書いた図画の絵の整理だ。河野さんはあたしの顔色をチラチラ見ながら手伝ってくれた。

「終わったよ」

そう言った河野さんにあたしは言ってやった。

「あんがと、じゃ次、これやっといてくれない?」

 河野さんが唖然とする。

 あたしは次から次へと河野さんに用事を言いつけ、その日丸1日どんどん時間を奪い、散々振り回してやった。

 河野さんがぐっと堪えているのが分かる。あたしもあんたにはずっと我慢していたよ!もう二度と我慢しないけどね!あははははは。

 河野さんは二度とあたしに用事を押し付けて来なくなった。

「耐えているといじめは続くが、反撃すればいじめられなくなる」と学んだ瞬間だった。

 

 喘息の治療の為に専門医へ行く。

 ニ時間近く待たされ、もしかして順番に入っていないのかも知れないと思い

「沖本ですけど、後どのくらい待ちますか?」

と受付の女の人に聞いた。

 その人は何故かどもりながら

「せ、先生に、な、何か、お、お考えが、あ、あるのかと」

と言う。それでは答えになっていない。

「もうニ時間近く待っているんです。いつになりますか?」

と言ったが

「で、ですから、せ、先生に、な、何か、お、お、お考えがあるのかと」

とまた言う。

「順番に入っていますか?抜けていませんか?」

 イライラしながら聞いたら、またどもりながら言う。

「し、ししょ、少々、お、お待ち、く、く、ください」

「少々どころか、物凄く待っているんですけど」

「で、で、です、ですから、しょしょ、少々、お、お、お待ち、くだ、くだ、くだ、さい」

と、吃音みたいになっている。

 …そしたらすぐ呼ばれた。

 なあんだ、もっと早く言えば良かった。河野さんと同じで、我慢しているとそれでいいんだって思われるんだな、そう思いながら治療を受け、さっさと帰ったよ。

 父さんと母さんにも得意満面で話したさ。

 

 父さんが自分の喘息の治療の為に、同じ専門医に行った。ニ時間半くらい待たされ、ようやく治療してもらえたらしい。

 帰ってから凄い勢いであたしをなじる父さん。

「お前がこの前文句なんか言うから、だから俺は今日凄い待たされた。お前が余計な事言うからだ。お前のせいで、俺は意地悪されているんだよ。お前のせいで意地悪されてる」

 …呆れて言葉を失う。

 父さんが何度も言う。

「お前のせいで俺は意地悪されている。お前のせいで俺は意地悪されてる。お前のせいで」

 この人、年はいくつなのかなあ。こういう考え方しか出来ないのかなあ。どもらないだけいいのかなあ。

 

 友達と遊ぶのにうちのカメラを持ち出し、どこかに置き忘れ失くしちまった。

 一生懸命探したが、ついに見つからなかった。勿論わざとじゃない。

 謝っているのに、父さんがテレビを見ながら滅茶苦茶に怒る。

「お前は何でも失くす!」

 苦手な反論をする。

「何でもって事はないでしょう」

 父さんがテレビから目を離す事無く言う。

「何でも!」

 どんな時もテレビから目を離さないんだねえ。

「他に何を失くした?」

と聞いたら

「何でも!」

と不満で不満で張り裂けそうな顔で言う。

 カメラが勿体ないだけだろう。

「例えば?」

「カメラ!」

「他には?」

「何でも!」

「例えば?」

「カメラ!」

「他には?」

「何でも!」

「例えば?」

「カメラ!」

「カメラ以外に何失くしたか言ってみて」

「何でも!」

「カメラだけじゃん」

「何でも!」

 …これでよくJELに勤められるなあ。別の意味で感心する。

 

 春先は花粉の影響でくしゃみと鼻水が止まらず、ティッシュを何枚も使わざるを得ない。

 父さんがまた言う。

「お前、何でそんなに鼻かむんだよ」

 何でって、鼻水を垂らしている訳にいかねーだろ。

「お前、ちょっと我慢してみろ。治るから」

 治らねーから、鼻かんでんだろ!ただティッシュが勿体ないから使わせたくないだけだろ!オイルショックを引きずってんのか何だか知らないけど。あたしはティッシュさえ使わせてもらえない身分なのかい?花粉アレルギーだっちゅーに。娘よりティッシュが大事なのかい?

「お前はティッシュキチガイだ」

 あーあー、色々なキチガイがあるねえ。

 

 姉ちゃんが痔になって、尻が痛いと言っている。  

 父さんが言った。

「お前、そこにうつ伏せになれ。俺がさすってやるから」

 お前がさすって痔が治るかよ。ただ尻が触りてーだけだろう。痴漢かよ。

 

 父さんのスケベ伝説はまだあるよ。あるよ。いくらでもあるよ。

 

 姉ちゃんが昼寝をしている。

 ズボン姿で寝ればいいものを、スカート姿で寝ている。スカートはまくりあがり、掛布団をかけていない姉ちゃんのパンツは丸見えで、しかもパンツまでずれていて、陰部が見え、陰毛も見えた。顔だけは気持ち良さげに寝ているみっともない姉ちゃん。

 その姿を父さんが呆けた顔でじっと見ている。本当に呆けた顔で、いつまでもいつまでも立ちすくんで見ている。

 あたしは黙って姉ちゃんの部屋の襖を閉めた。父さんはさぞかし残念だろうが、姉ちゃんを守りたかった。

 …姉ちゃんが起きてからその事を言ったら、滅茶苦茶に怒った。

「何でそんな事言うのよ!」

 スカートで寝るのをやめなよって言いたかったのに。あたしは見たくない姉ちゃんの陰毛も見たし、父さんの変態顔も見る羽目になったし、注意喚起した姉ちゃんからも怒鳴られて散々だった。

 

 ソファに座っていると、隣に父さんが来てテレビを付けた。何で隣にわざわざ座るんだろう、いつものようにテレビの前の座椅子にその形通りに座ればいいものを、と思っていたら、あたしの太ももを嫌らしい手付きで何度も何度も撫でる。

 漠然とだけど、キャバレー通いするスケベオヤジのようだと思った。気持ち悪くて、吐き気がしそうで、自分の部屋に行く。

 

 後年、ホステスのアルバイトを経験したが、その時に隣に座った中年の客があたしの足を、太ももを、何度も何度も撫でるのが嫌だった。

 そう、それは幼い頃に父さんがあたしの太ももを撫でるのと、寸分変わらない触り方だったからだ。 

 あまりに嫌で鳥肌が立った。

 

 11歳のあたしは言った。

「母さん、父さんがあたしの足を触るんだよ。すごく嫌らしい触り方なんだよ」

 母さんはあたしの気持ちをまったく考えず、平気で言う。

「大きくなったなあと思って触っているのよ」

「違うよ、そんな触り方じゃないよ。まっぴらごめんだよ」

 苦手な反論をしているのに、母さんは知らん顔だ。

「とにかくもう嫌なんだよ。やめさせてよ」

 母さんは知らん顔で仕事を始める。どうにもしてくれないのは、自分には関係ないと言わんばかりの冷たい背中で分かった。

 本当に身の毛がよだつ。嫌で嫌でたまらない。

 

 体育の時間に履くブルマーは、あたしの体の一部だった。体育でなくても、普段からあたしはブルマーを履いていた。取るに足らない事の筈だったが、父さんはそれが気に入らなかった。

「お前、何でいつもいつもブルマー履いているんだよ」

そう憎々しげに言った。

 いいじゃん、と思っていたら

「力づくで脱がしてやろうか?」

と真顔で言う。

 本当にやりかねない様子だった。

 

 父さんはあたしの長風呂が気に食わなかった。風呂から上がり、脱衣所でもたもた体や髪を拭いていると、ドアの前で大声を張り上げる。

「マリ!早く出ろ!」

 ボディローションを塗りながら答える。

「ちょっと待ってよ、開けないで」

 10秒もたっていないのに、父さんが怒鳴る。

「マリ!早くしろ!」

 何か別の事をやっていればいいものを、何でそんなにせかすんだろうと思っていたら、また怒鳴り声がする。

「もう我慢ならん!」

 ドアが盛大に開かれる。

 しかも、父さんの目線はあたしの股間にあてられていた。まして、凝視している。

 きっかり3秒間、父さんは唖然とするあたしの股間を凝視し、そして胸元へさっと視線を移す。胸も制限時間いっぱいと言わんばかりに凝視している。

「冗談じゃないよ!」

 慌てて閉めたが、裸を、しかも股間と胸を見られた恥ずかしさと悔しさに張り裂けそうだった。

 11歳のあたしの体は勿論「変化」していた。膨らむものは膨らみ、生えるものだって生えていた。それを父親に見られたくなかった。どうしても、どうしても、見られたくなかった。そんな恥ずかしい話はなかった。なのに父さんは強引に見た。股間を、胸を、見た。こんなチャンスは滅多にないとばかりに凝視しやがった。

 何て嫌らしい父親だろう。テレビで裸の女の人のダンスをにやにやしながら見たり、太ももを嫌らしい手付きで触ったかと思えば、今度は娘の裸を見たがるとは。

「お前が遅いのが悪い」

って平気で言ってるし。それでいて「マリの裸を見た見た、シメシメ」って興奮気味な顔もしてた。

 変質者かよ。そんな事したら娘にどんなに嫌われるか、考えもしないんだろう。今この瞬間良ければ後はどうでもいいんだろう。

 母さんに言ってもろくに聞いてくれないし。もう嫌だ、本当に本当にもう嫌だ。こんな父親、本当にいらない。

 誰かまともな父親と替えてくれ!

 

 父さんが家にいないとほっとする。とにかく触られないように、裸を見られないように、いると気が張って、苛立って、たまらない。

 母さんは平気で言っている。

「在職中に死んでくれれば1億円になるんだけどねえ」

 生命保険の事を言っているらしかった。なんちゅう女房だろうと、言葉も出なかった。

 

 夕飯に焼き肉を食べた。

 母さんが3分に1回の割合で、父さんに言う。

「タレを付け過ぎないで。体に悪いよ」

 母さん、父さんを憎んでいるなら早死にしたって構わないんじゃないのかい?1億円、欲しいんでしょ!

 父さんは肉を毎回タレにじゃぶじゃぶ付ける。

「ほら、付け過ぎ」

 母さんがまた言う。

「ほら、干渉し過ぎ」

って、母さんには言ってやりたかった。

 そして父さんには

「ほら、早死に」

って言ってやりたい。

 

 夕飯にすき焼きを食べた。父さんが肉を取ろうとするたびに

「その肉まだ焼けていない」

と、母さんが止める。色盲の父さんには、焼けた肉と生肉の区別がつかないからだ。

「これ、焼けてる」

と、母さんが差した肉を父さんが黙って食べる。

「お姉ちゃんかマリ、どっちか男の子生んだら、その子は色盲かも知れないよ」

と、余計な一言も付いてくる。

 …なんのこっちゃ。そんな先の事考えられないし、隔世遺伝なんて言葉も知らない子どもに言ってもしょうがない言葉だった。

 

 夕飯に寿司を食べた。父さんが寿司を醤油につける時に控えていた。

 そして笑いながら母さんに、こう言う。

「ちょっとしか付けていないよ」

 へえ、父さんって一応母さんの事を好きなんだって意外だった。

 

 日曜の朝、ゆっくり寝ていたら母さんがパジャマ姿のままあたしの部屋の襖を凄い勢いで開けた。

「父さんが眩暈するって言ってる!お医者さん呼んで来てよう!」

 寝ぼけて頭が働かず、よろよろ起き上がったらまた言う。

「早くお医者さん呼んで来てよう!」

「救急車呼んだ方が早いんじゃない?」

と言ったら

「いいからお医者さん呼んで来てよう!」

そればかり言う。

 母さんって一応父さんを好きなの?それこそ意外だ。それとも夫思いの妻を演じているのかな?これはパフォーマンスかい?

 …その後父さんは普通に起き上がり、ご飯を食べたりテレビを見たりしていた。さっきのは何だったのか?家族の愛情を確かめたかったのか?それこそパフォーマンスだったか?

 パフォーマンス夫婦だった。

 

 母さんが玄関で、新聞の勧誘に来た男の人と格闘している。

「奥さん、うちの新聞を取って下さい」

「いいえ、もう決まっていますから」

 父さんがステテコ姿のまま玄関 に突進する。

「いらんっ!いらんっ!帰れ!!!」

 勧誘の人はすごすごと帰って行った。

 母さんが言う。

「あんた、向こうも仕事だから」

 父さんが得意気に言う。

「俺が言えばすぐ退散したろ」

 それで家族を守っているつもりかよ。

 ますますパフォーマンス夫婦だった。

 

 父さんはテレビで軍歌が流れるたびに腕を振りながら一緒に歌う。昔からだけど。

 さすが戦争世代だねえ。団塊の世代か?それもパフォーマンスかいな?

 

 夕飯時、父さんが珍しく

「会社で褒められた」

と嬉し気に言う。

 オマエを褒めてくれる上司がいるのかよ、と思っていたらこう言った。

「これで」

と原稿用紙を出してくる。大人でも作文書くことあんのかよ、しかも会社で。

 そこには「異常な体験」というタイトルで作文が書かれていた。

「私の人生に、異常な事は何も起こらなかった。ひとつとして異常な体験はなかった」という短い作文で、これのどこをその上司は褒めたんだろうと不思議だった。

 父さんは

「俺は読み返してみて涙が出た」

と言う。

 父さんは戦争体験者だし、尋常じゃない経験をした筈だ。それを忘れたのか?ましてあたしの事を散々異常な子どもと言ったのは誰だ。

 あんたの異常な体験は、「戦争を経験した事」と「次女が生まれた事」だろうが!

 

 学校の授業で得意なものなんてなかったが、いちばん苦手だったのが読書感想文だった。本を読むのは好きだったが、感想文はちょっと…。

 母さんは

「思った事をそのまま書けばいいのよ」

と言うが、それが出来れば苦労しねえっつーの。

 原稿用紙を前に、ウンウン頭を悩ませているあたしに父さんがにこやかに言う。

「マリ、父さんは作文が得意だぞ。だからお前も」

 おいおい。会社でたったの一度褒められただけで、調子に乗るんじゃねえよ。

 

 学校で毎日行われる色々な授業が不思議に思える。

 何で国語や美術や体育や算数、社会や理科、家庭科もあるんだろう?

 何で絵を描いたり、読書感想文も書かなきゃいけないんだろう?

 平均台や鉄棒、マット運動も何の意味があるんだろう?

 どうしてひとりずつ歌ったりしなきゃいけないんだろう?

 何で笛なんか吹かなきゃいけないんだろう?

 何の為にマラソンなんかするんだろう?

 水泳して何になるんだろう?   

 どうして色々覚えなきゃいけないんだろう?

 本当にさっぱり分からない。

 

 母さんが得意気に言う。

「昔話でパンドラの箱を開けちゃったってのがあるのよ。その箱にひとつだけ残っていたものって何だか分かる?」

 分からず首を傾げたら、胸を張りこう言った。

「人の心を見抜く事、なのよ。だから人は、他人の心を見抜くことだけは出来ないのよ」

 そうなのかあ、とやっぱり不思議で不思議で、あたしの頭の上は相変わらず疑問符が所狭しと並んでいた。

 

 母さんがまた得意気に言う。

「年上女房ってのは亭主を大切にするのよ」

「何で?」

と聞いたら、もっと得意気に言う。

「逃げられたら困るから」

 そうかなあ?その奥さんが元々優しい性格とか、その旦那さんが大事にする甲斐のある人だからとか、ほかに理由があるんじゃないのかなあ?

 母さんは父さんより年下だから、父さんを粗末にするのかなあ?だけど、仮に母さんが父さんより年上でも、粗末にするような気がする。実の娘も粗末にするくらいだし。

 母さんは相手が誰でも粗末にするんじゃなのかなあ。役に立たないと思った友達も、見下して粗末にしていたし。

 

 母さんが更に得意気に言う。

「結婚式場で働く人って儲かってたまらないわね。結婚する人はいなくならないし、人間そういう時にはお金におしめ付けないし」

 …それを言うなら「お金に糸目付けない」だろうが!「糸目」と「惜しまない」が混ざったんだろうが、それに気づかないアホ面母さん!

 おしめとは何だ!おしめとは!

 

 母さんくらい堂々と言いきっちまえば、間違った事でも正義になるのかなあ。

 あたしは大人になってから知ったんだけど、「負けるが勝ち」って、それを言うなら「逃げるが勝ち」であり、パンドラの箱にひとつだけ残ったのは「希望」だった。

 また、災害や事故は避けられないけど、人は別の意味で避けられないし、容赦なく傷つけてくる場合もあるから怖いんだ、という事も知った。

 そして当時から夫婦間の暴力に警察は対応してくれたし、夫の暴力に苦しむ女性を保護する施設も、数は少ないものの一応あった。

 母さんが何故、そんなものは絶対にないと言い切ったのか、よく分からない。何も分かっていないのは母さんだった。

 だが、もしそれを知っていても、母さんはなんやかやと理由をつけて拒否したような気もする。

 母さんにとって日常を変えようと闘うよりも、安全な所へ逃げるよりも、姉ちゃんとあたしの前で殴られて、可哀想と思え!とアピールしている方が良かったのかも知れない。悲劇のヒロインになりきれるからね。

 まったくもう、母さんの思い込みのおかげであたしゃ色々な所で随分恥をかいたし、負けて悔しかったし、自分を駄目な奴だと思い込んで、一切の自信も自己肯定感も持てずに生きる事になっちまったよ。

 歩くときは真下を向き、つまり自分の靴を見ながら歩くような子どもになっちまったさ。

 よく友達に

「沖本さんって下向いて歩くんだよね」

って言われた。

 しょうがないじゃん。ユウレイなんだからさ。

 

 学校から帰ったあたしに、父さんが開口いちばんのたまう。

「お前、俺の小遣い取ったろう」

「知らないよ」

「じゃあ誰がやった」

「だから知らないよう」

「俺は知らん、お姉ちゃんがそんな事する訳ない。絶対にお前だ、断言する!」

 よく断言するねえ、と思っていたら、母さんがひょいと顔を出して言った。

「あ、この前集金が来て、ちょうどお金足りなくて、あたしがあんたの財布から払ったの」

 …絶句する父さん。不満げに見ていてもエヘヘと笑ってごまかすばかりで謝りもしない。いつかテニスラケットが無くなった、お前がやったんだろうと言った時と一緒で。

「マリに謝ってよ」

と言ったが、ヘラヘラしながらテレビの前に座り、いつも通り座椅子の形通りになって知らん顔で見てる。

 こっちが絶句したい。

 

 勉強しようとしないあたしに焦れた母さんがわめく。

「あんた、勉強しなさいよう!あんたが壁にぶち当たるのよう!!」

 父さんも言う。

「な、お前、親の言う事に万にひとつも間違いはない。だから俺らの言う事聞け」

 苦手な反論をする。

「だってこの前、俺の小遣い取ったって間違えたし、母さんだってしょっちゅうなんかしら間違えるじゃん」

 母さんが間髪入れずに言う。

「親だって完璧じゃない。親だって間違う事ある」

 じゃあ子どもはもっと完璧じゃないし間違うよ。それに死んだ身なら勉強したってしょうがないじゃん。

 うちの親は相反する事ばっかり言うねえ。もう疲れるよ。

 

 きっと、諦めてしまえば良かったんだろうね。サイレントベビーみたいにさ。

 ただそうするのは、あまりにも不便で物理的に困った。頼んだ事はちゃんとやってほしかったし、親同士は仲良くしてほしかったし、あたしにも優しくしてほしかった。

 どうすれば親は変わってくれるのかなと考え、一心に家事を手伝ったり、肩を叩いたりサービスに努めた。

 が、駄目だった。親は変わらなかった。

 間もなく母さんはあたしに、休む間もなく家事をさせるようになる。

 部屋にいると母さんがノックもせずガラリと襖を開け、仏頂面をしてあたしを睨みながら一枚の紙を放り、すぐ閉める。拾い上げたその紙には「トーフの味噌汁、たまご焼き、ほうれん草のおひたし」と書いてある。

 あたしは台所に立ちながら思った。母さんってさぞかし便利だろうな。だって紙に書いて無言で放り込めば、自動的にそれができあがっているんだもん。お茶淹れて、と言えばお茶飲めるしさ。

 それは来る日も来る日も続いた。

 朝起きると、ダイニングテーブルのあたしの席にやっぱり紙が置かれてある。「洗濯、風呂ソージ」あたしは洗濯機を回し、風呂掃除をしながらまた思った。母さんって何の為にあたしを生んだのかな。家事をさせる為なのかな。

 学校に行く前に家事をするのは、あたしの日課だったし義務だった。食事の支度から後片付けからごみ捨て掃除から洗濯から買い物から、何から何まで。

 特に冬なんて、洗濯物を干す時に手がかじかんでつらかった。大量の洗濯物をやっと干し終え、いざ登校しようとすると玄関にゴミ袋が置かれている。「捨ててから行け」という事だ。

 あたしは黙ってゴミ袋を持ち、ドアを開けた。ダストボックスにゴミを押し込んでいる所を、クラスの男の子に見られて囃し立てられた。

「やーい、ゴミ漁り、ゴミ漁り」

 恥ずかしくて、ゴミ捨ては苦痛だった。ここまでさせられている子はいなかった。

 帰宅後、ダイニングテーブルのあたしの席に、メモと1000円札が置いてある。「もやし、鮭、キャベツ、ミソ」そのメモと1000円札を握り締め、とぼとぼとスーパーへ向かった。

 帰ってからこれを調理させられるんだろうな、と思いつつ。             

 

 一度だけ母さんに文句を言った。

「なんでマリばっかり」

 母さんは憤然と言ったよ。

「女の子だから。当然でしょ」

 苦手な反論をする。

「お姉ちゃんだって女の子じゃん」

 間髪入れず、得意な反論をする母さん。

「だってお姉ちゃんは勉強してるから。あんた、勉強しないじゃない」

 姉ちゃんが勉強してるのは、早く自立して、早くこの家を捨てようと思っているからだよ。それに勉強している間は、出ていけとも家事を手伝えとも言われないからだよ。

 …って言ってやりたかった。言えなかったけど。

 小学生のあたしに分かっている事が、母さんにはまったく理解できていなかったからね。

 

 母さんは来る日も来る日も言う。

「お手伝いして」

 さあ、苦痛な時間のスタートだ。

「料理して」

「後片付けして」

「全部の部屋、掃除して」

「玄関掃除して」

「車の掃除して」

「洗面所掃除して」

「窓ガラスと網戸の掃除して」

「買い物して」

「靴磨きして」

「ごみ捨てして」

「風呂掃除して」

「トイレ掃除して」

「洗濯して」

「干して」

「取り込んで畳んでしまって」

 1分たりとも休む事なく、労働させられる。

 なになにして、と言われるのは、もううんざりだ。

 へとへとになって、やっと座ろうとすると次の命令が来る。

「肩揉みして」

 もう嫌だ。家事なんて、手伝いなんて、大嫌いだ。女中じゃねーよ、ふざけんな。

「暇ならやってくれたっていいじゃない。どうせ勉強しないんだし」

だの

「こんなうまい話ないわ。家の中に家政婦がいるなんて」

だの

「言われてからやるのが嫌なら、言われる前にやれば?そろそろ言われるってタイミング分かるでしょ?自分からどんどんやんなさいよ」

だの、本当に人間扱いされてねーよ。何が家政婦だよ。無休で無給で、駄洒落じゃねえよ。

 そう思いながら、あたしは母さんの言うままに家事をこなし続けた。

 母さんは、有難うの一言もない。

「あんたのワイシャツの洗い方が悪いから、父さん会社で恥かいたってよ。ちゃんと洗いなさいよ、袖口の汚れ、人に見られて恥ずかしかったって言ってたよ」

だの

「あんた、子どものくせに手が荒れているわね。きっと苦労する人生ね。可哀想に」

だの。実の娘に言う言葉かよ。ってか、それ前にも言ってたよ。どうせ前に言った事も忘れているんだろうけど。

 だったらゴム手袋をさせるとか、ハンドクリームを塗るとか、何とかしてくれよ。してやってるのに文句ばっかり、もうへとへとだよ。

 親の顔色を見ながら家事をし続けるあたしは、まるで芸をすれば餌をもらえると思って空腹を堪えながら芸をし続ける「かわいそうな象」だ。母さんはやり方が気に入らないと文句ばかり言い、餌をくれるどころか、鞭をくれるばかりだった。

 

 確かにあたしは元々勉強なんて出来なかったが、家事で多忙を極め、成績は更に悪化の一路をたどっていた。

 そんなあたしの成績表をパタリと閉じて母さんは言った。

「マリ、勉強しなさい、勉強!あんたが今に壁にぶち当たるのよ!」

 そして泣き崩れた。

「マリ!あんたそんなに母さんを苦しめたいの?そんなに苦しめたいの?」

 唐突過ぎて、何の事だかよく分からず慌てるあたしに、母さんは髪をかきむしりながら続ける。

「あんたが宿題をしないと、成績が悪いと、あたしは苦しいの!死んじゃうの!あたしを殺す気なの?!ねえっ!ねえっ!!」

 どう接すればいいか分からなかった。どう慰めればいいのかも。

「マリが勉強しないなら、あたし死ぬ。本当に死ぬ。今すぐ死ぬ」

 死んでみろよ、ほら死ねよ。そうすりゃ、「なになにして」と言われなくても、夫婦喧嘩見なくても済むから。

 …ああ、また始まった。母さんがこれ見よがしに両手を広げ、壁につかまりながら段々崩れていく。これ聞こえよがしに大声で泣きながら、段々膝を折りしゃがんでいく。さあ慰めろと言わんばかりに。

 それもう見飽きたよ。何回やりゃあ気が済むんだよ。

 家事で体が疲れ、母さんの狂言とわざとらしいパフォーマンスで、精神が疲れ果てていた。

 

 おかしいだろう、こんな毎日。

 普通の子どもが良かった、とか言っているけど、普通の親じゃないじゃん。

 うちは普通の家庭じゃないじゃん。

 子どもは姉ちゃんだけで良かったんだろう。あたしは死んだものと思っているんだろう。生み外したんだろう。ここにいるあたしはユウレイなんだろう。なら勉強なんてしたってしょうがないじゃん。努力なんてしたってしょうがないじゃん。だって死んでいるんでしょ?大体どうして死んだあたしに家事をさせんだよ。何回あたしを殺すんだよ。何回も生き返らせて、また殺すのかよ!

「あたしは教えているつもりだけどねえ」

とか平気で言っているし。紙に書いて放り込むとか、そんなん人にものを頼む態度じゃないよ。こんなん教えてるって言えないよ。

 おかしいだろう、おかしいだろう、ものすごくおかしいだろうが!

 そしてその日の夕飯時、母さんは目から鱗が落ちたような大声を出した。

「そうよ!お姉ちゃん、マリに勉強教えてやってよ!」

 姉ちゃんは迷惑満面って顔をしてた。

「お姉ちゃんがマリの家庭教師になればいいのよ!」

 母さんは世紀の大発見のように意気揚々としちゃってる。

 そしてその日から、姉ちゃんがあたしに勉強を教えるようになった。

 ただね、優しく教えてくれるんならともかく、ずっと罵倒し続けるもんだから、あたしはいよいよ勉強なんか嫌いになっちまったよ。

 だって

「マリ、あんたこんなのも分かんないの?」

だの

「バッカじゃない?あんた何年生?」

だの

「敬語使えよ、バーカ」

だの、

「何?あんたこんな漢字も読めないの?頭も目ん玉もおかしいんじゃない?」

だの、そんな事ばっかり言うんだもん。

 尚更苦痛な時間が増えて、勉強見てくれて有り難いなんて、これっぽちも思えなかったよ。

 母さんは

「こんなうまい話ないわ。マリ、今日からお姉ちゃんを先生って呼びなさい」

なんて、きょうだいの中で上下関係まで作るし。いいねえ、うまい話が家の中にいくつも転がってて。

 それでいて造花教室の生徒さんの前では、誇らしげにこう言っていたよ。

「私は自分の子どもたちに、勉強しなさいなんて、ただの一度も言った事はありません」

 生徒さんたちの尊敬の眼差しに囲まれながら、母さんは美しく華やいでいた。

 その足元で踏みつけにされているあたしの悲鳴に気付いてくれる人は、ひとりもいなかった。

 そう、世界中に、ただのひとりも。

 

 みんながあたしに言う。

「沖本さんのお母さんって綺麗ね」

「お母さん、美人だね」

 だがあたしは、母さんが美人かどうかなんて、そんなのどうでも良かった。そりゃ汚いより綺麗な方が良いけど、それよりあたしに優しいか優しくないか、そっちの方が大事なんだよ。

「美人のお母さん持って、マリちゃんっていいね」

「あんな綺麗なお母さんいないよ」

 周りはみんな言う。

「マリちゃんって、お母さんそっくり」

という人もいた。似たかねえよ!あんなオニババに!

 うちの電話に出れば

「レイコさん?」

って掛けてきた相手が、あたしと母さんを毎回間違えるし、

「お待ちください」

と言って母さんに代わると

「お嬢さんと声がそっくりですねえ」

という声が離れていても聞こえた。

 顔も声も似たかねえよ!こんな意地悪ババアに!

 

 母さんって、きっと面倒くさがりやだったんだろうな。仕事と顔の手入れだけは一生懸命やっていたが、それ以外の何かをするのは面倒で面倒でたまらなかったんだろう。

 大変なのに、忙しいのに、疲れているのに、色々してやっている、それなのに文句を言うなんてとんでもない。よくそう言っていた。

 だったらいっそ、子どもなんて生まなきゃ良かったじゃん。姉ちゃんもあたしもう生まれてきちゃったよ。今更ひっこめらんないじゃん。勝手に生んでおいて

「生んでやった、育ててやった、大変だった」

と、毎日毎日恩着せがましく連発し、

「親孝行したい時に親はなし、って言うよ」

と言って、じいっとあたしの顔を見ていた。さあ親孝行せよ、と言わんばかりだった。

 親孝行って何だろう?黙って殴られる事なのかな?暴言に耐える事なのかな?なになにして、と休む間もなく家事を手伝わされる事なのかな?姉ちゃんを家庭教師にされ、家の中でいちばん低い身分になる事なのかな?

 あたしには、どうしても、どうしても、ああどうしても分からなかった。   

 

 学校の帰りに別のクラスの男の子たちが大声でくっちゃべってるのが聞こえた。

「親孝行しようと思ったら自殺するしかねえよ!」

だって。

 ん、そうかもな。うちの親は死ね死ねって言うし、死ねば金かからないし、だからいちばんの親孝行は死ぬ事なんだろうなあ。

 ああ楽に死ねる方法ないかなあ。

 

 あたしは1カ月も姉ちゃんの家庭教師に耐えられなかった。分からない問題を前に、あたしの頭や顔を臭い足で蹴り続ける姉ちゃんに、

「もう嫌だ。勉強見てくれなくていい。見てくれない方がいい」

と、死ぬほど苦手な反論と抵抗をし、投げ出した。

 姉ちゃんは怒って

「じゃあもう見てやらない!ひとりでせいぜい頑張りな!」

と部屋に行っちまった。

 母さんがわめき散らす。

「あんた、どうするのよ!お姉ちゃんに謝って教えてもらいなさい!先生に謝りなさい!」

 どうしても嫌だった。

「あんた、落ちこぼれよ!おしまいよ!本当におしまいよ!」

 怒鳴りまくる母さんに言ったよ。

「じゃあ落ちこぼれでいい。おしまいでいい!勉強出来ないままでいい!」

 それがあたしの精一杯の叫びだった。あたしにもプライドがあるという事を、母さんも姉ちゃんも、どうしてもこうしても何しても分からなかった。

 母さんがまた切れている。

「あんたはもう死んだものと思っているからね!」

 もうそれ何千回も聞いたよ。まだ言い足りないのかよ。苦手な反論をする。精一杯、精一杯、反論する。

「じゃあ勉強しなくていいじゃん」

 そしたら母さん、あたしを指さしながらこう言ったよ。

「そうはいかないよ。あんた、現に生きているじゃない」

 生きててわりーかよ。

「あたしはあんたを認めない。うちの娘として認めない。沖本家の一員として認めない。絶対に」

と、自信満々で言いきった。じゃあ何しててもいいんでしょ、勉強しなくてもいいんでしょって思った。

「あんたが落ちこぼれなら、うちの敷居をまたがせない」

 敷居なんて、どこにあんだよ、そんなもん。うちは社宅だろ!社宅で敷居なんて聞いた事ねーよ!

 その日の締めくくりの言葉はこれだった。

「あたし、落ちこぼれの娘なんて要らない!あんたなんか要らない!」

 こっちだって要らねえよ!

 

 

 姉ちゃんの家庭教師を「蹴った」あたしは家の中でますます孤立していった。家事をやる以外、家にいられる理由はなかった。

 だからあたしはずっと家事をやっていた。ってか、やらざるを得なかった。

 ただね、母さんは来る日も来る日も何かしら嫌味を言ったよ。仕事で忙しい自分に代わって家事をやってくれて有難う、なんてただのいっぺんも言ってくれた事なかった。

 だからあたし、専業主婦の人が不満に思う気持ちが小学生にして分かった。

「あんたなんて家事をやって当然よ!役立たず!」

って毎日言うし。しかもせせら笑いながらね。

 役に立ってるじゃねえか、家事をしてるんだから!             

 

 散らかったリビングを片付けていた。

 その時、ブラウン管に映しだされていたのは、外国のサーカス小屋のような場所だった。舞台の上で直立不動の男の人たちが、団長のような人に次々にビンタされていく。それを見て観客が笑っている。まったく無抵抗の人たちを、その団長は容赦なく殴っている。それを見て観客は更に笑い転げる。

 …人が殴られているのを見て、どうして笑うんだろう、何がおかしいんだろう。

 不思議に思っていたら、母さんが言った。

「マリ、この人たち、どうしてこんな仕事しなきゃいけなくなったか分かる?」

 そんなもん、分かる訳ない。首をかしげる

 母さんが勝ち誇ったように言う。

「この人たちはね、勉強をしなかったの。だからこういう仕事をせざるを得ないの」

 そうかなあ?ほかに理由があるんじゃないのかなあ?

「マリ、あんた、こういう仕事したいの?」

 したい訳ないじゃん。

「マリ、あんた、こういう仕事したいの?人に殴られて、笑われる仕事、したいの?」

 返事なんてするまでもないだろう。

 画面では、舞台裏で殴られた人たちが、涙と鼻血を拭いている様子が映っている。

「マリ、あんた今のままじゃこういう仕事をしなきゃいけなくなるよ。いいの?」

 母さんがしつこく聞き続ける。うるさくて、鬱陶しくて、もうリビングにいられない。片付けを中途半端でやめ、自分の部屋に逃げ込むあたしの背中に、母さんが大声で叫ぶ。

「マリ、勉強しなさい!勉強!!じゃなきゃあんな仕事するようになるよ!!」             

 あたしにそういう殴られる仕事して欲しいのかよ。イライラさせんじゃねーよ!

 その日の夕方、つけっ放しのラジオから、人を殺して逃げていた犯人が5年ぶりに捕まった、というニュースが流れてきた。

 夕飯を作りながら聞き流していたあたしに、母さんが言った。

「犯罪なんてやって逃げていても、ろくな仕事に就けないのよね。男はヒモ、女はホステスくらいしかないのよね」

 そうかなあ?捕まった人って、たいていどこかの建築会社とか介護職でおとなしく働いている場合が多いじゃん。現に今捕まった人だってそうじゃん。それにヒモって貢いでくれる女の人がいなきゃ成り立たないし、ホステスは雇ってくれる店がなきゃ出来ないし、おかしいじゃんって思っていると更に得意げにこう言いやがった。

「マリ、あんたヒモなんて持ちたいの?犯罪者と一緒になりたいの?」

 そんな訳ないじゃん。そう思いながら黙っているとこう言ったよ。

「マリ、ちゃんと勉強しなさい。勉強を!!でないとヒモ持つようになるよ!」

 関係ないと思うけどねえ。

 

 自分の部屋で雑誌を読んでいた。その雑誌はマンガの部分と参考書の頁が交互に載っているものだった。

 ノックもせずにいきなり入ってきた母さんが見咎め、怒鳴る。

「マリッ、またあんたマンガなんか読んでっ」

 次の瞬間、さっと参考書の頁を開いて読んでいるふりをした。単純な母さんは、自分が見間違えたと思ったらしい。

「あ、参考書読んでいるの?やっぱりあたしの子」

とぬかしやがった。

 何だよ、マンガ読んでたら他人の子で、参考書読んでりゃあ自分の子かよ。誰が勉強なんかするかよ。誰がてめえの喜ぶ事するかよ!             

 

 学校から帰ると、母さんが食卓を指さしてこう言った。

「マリ、ケーキがあるよ」

 喜んで食べようとしたあたしの右手を、力づくで押さえ込む母さん。

「マリ、このケーキ食べたかったら、母さんの言う事を聞きなさい」

 目の前に食べたいケーキがあるのに、何なんだよ!振りほどこうとするあたしの手に、更にしがみつく母さん。

「マリ!マリ!このケーキ食べさしてあげるから、だから母さんの言う事、聞いて!」

 もう食いたかねーよ!ふざけんな!変な交換条件しやがって!

 空いた左手で思い切りケーキを皿ごと投げてやった。壁と床にべちゃりと崩れるケーキ。皿が割れなかった事を幸いに思え!

「何すんのよ!勿体ない!いくらしたと思っているのよ!」

 そのケーキが何万もしたのかよ!バーカ!お前がわりーんだろが!

 自分の部屋に入ろうとするあたしに、母さんが叫ぶ。

「マリ!宿題と勉強しなさい!じゃなきゃ夕飯食べさせない!」

 また交換条件かよ!そんな事言われて誰がやるかよ!!じゃあめしなんかいらねーよ!めし抜きなんて今に始まったこっちゃないしね!

 夕飯時、部屋にこもり空腹と悔しさをまぎらわせながらビスケットなんぞかじっていたら、姉ちゃんがいきなり襖を開けて入って来て、箪笥の中を勝手にかき回す。

「あたしの下着、ないと思ったらここにあるじゃん」

「姉ちゃんの下着なんか着ないよ。気持ち悪い」

って言ったら

「ここにあるって事は着るって事じゃん」

と言いながら、つかみ取った自分の下着を持って出ていく。

 …姉ちゃんが母さんに言いつけている声が聞こえる。

「母さん、マリなんてね、部屋でビスケットなんか食べているんだよ」

 母さんが遠慮会釈なく襖を開けて入って来る。

「あんた、何ビスケットなんか食べてんのよ!食事抜いた意味ないじゃない!」

と、箱ごとビスケットを取り上げ、食べかけのさえ手から奪い、それを自分の口に入れ、あたしを睨みながらボリボリ食う卑しい母さんが、冷たい背中を向けて出て行く。

 …何だよ、めし食わしてもらえねーならビスケット食うしかねーじゃん。

 悔し涙がまたボタボタ落ちる。

 

「マリ、あんたあたしの言う事、全然聞かないから今日もご飯抜きよ!水を飲みなさい」

 母さんが言う。

 仕方なくコップに水を汲み、喉なんかちっとも乾いていないけど、それでも飲む。

「もっと飲みなさい」

 何杯も何杯も水を飲み続ける、惨めなあたし。

 食卓では姉ちゃんが、知らん顔をしてご飯を食べている。あんた、いいねえって思った。

 仁王立ちの母さんが言い放つ。

「はい、あと一杯」

 …これが今日の夕飯か。

 

「食べるの遅いねえっ」

 母さんが苛立ち、声を荒げる。

 だって、量が多すぎるんだもん。こんなに食えるかよ。

「さっさと食べなさいようっ!」 

 母さんの金切り声が響き渡る。だったらもっと少なくしてくれよ。食べ盛りだからとか言って、でかい丼にてんこ盛りにするか、めし抜きか、どっちかなんて、極端だよ。

 父さんが置時計をあたしの前にドンと置く。

「みんなより5分遅れるごとに一発ずつ殴るかなっ!」

 そしてじっとあたしの食べる様子を見ている。

 そんなにイライラするなら見てなきゃいいじゃん。なおさら焦って食えねーよ。どうすりゃいいんだよ。5分ごとに本当に拳で殴るし、余計食欲落ちるよ。自分は何しても許される、自分の子ならどんな仕打ちをしても良い、とでも思ってんのかね。

「早く食べ終えてみんなでテレビを一緒に見よう」

とか何とか、プラスの言い方は決してしてくれない人たちだった。いつもいつもマイナスの言い方をし、罰則を設け、脅すばかりだった。

 家族で囲む食卓はほんの少しもおいしくも、楽しくも、幸せでもなかった。

 

 好きな漫画をたいせつに並べていたら、急に部屋に入って来た母さんが、瞬間激怒症よろしく滅茶苦茶に投げ始めた。

「こんなものがあるから、あんた勉強しないのよ!」

 ヒステリックにわめき散らす。

「捨てなさいようっ!」

と漫画につかみかかる。

 またキチガイ沙汰だ!捨てないでくれ!捨てないでくれ!

「勉強するから!勉強するから!」

 必死に叫びながら漫画をかばう。

 母さんがあたしを睨み続けている。

 漫画をまずは引き出しにしまい、それからやる気もないけど教科書を広げる。

 仁王立ちのままあたしを監視し続ける、醜い母さん。

 教科書のどのページを見たって、何にも頭に入ってこないよ。

 母さんはその日から、毎日言い続けた。

「あんた、勉強するって言ったじゃない!」

 

 友達と交換日記を始めた。

 日記をたいせつにしていたら、また母さんが切れた。

「そんな事している暇ないじゃないっ!」

と、日記につかみかかる。

 またキチガイ沙汰だ。

「交換日記、やめるからあ!」

 必死に日記をかばいながら、教科書を広げる。

 仁王立ちのまま、あたしを監視し続ける鬼母さん。睨まれたあたしは、やはり教科書のどのページも頭に入ってこない。

 …交換日記は密かに続けていた。

 母さんが毎日言い続ける。

「あんた、交換日記やめるって言ったじゃない」

 

 おやつを食べていたら母さんがまた言う。

「おやつなんか食べるからご飯が入らなくなるのよ。おやつ食べるならご飯食べなさいよ」

 ご飯とおやつは違うだろう。

「ちゃんとご飯食べるから」

と答えた。

 …食事の時間、嫌味かってくらい大量のご飯をデカい丼に盛った母さんが言う。

「ほら!全部食べなさい!あんた、ちゃんとご飯食べるって言ったじゃない」

 

 話の流れで友達の悪口になった。

「加藤さんって意地悪なんだよ。もう付き合わない」

 母さんが、ふうんと頷く。

 …翌日、学校の帰りに加藤さんと会い、しばらく立ち話になった。

 家の窓からそれを見ていた母さんが、帰って来たあたしに言う。

「あんた、加藤さんとは付き合わないって言ったじゃない」

 

 もう何も言えないよ。

 母さんはあたしが何か言うと、いちいちそれを覚えていて

「あんた、なになにって言ったじゃない」

と蒸し返してくるから。

 本当にもう何も言えないよ!ひたすら母さんが鬱陶しくて、鬱陶しくて、たまらないよ!

 

 気が付くと、父さんが切れている。

 原因は分からない。本当に、本当に、分からない。

 父さんの手がスローモーションのように近づいてくる。凄まじい痛みと共にふっ飛ばされるあたし。自分の鼻血の飛沫が、写真のように見えた。壁に叩きつけられ、一瞬で景色が変わる。畳が上で、天井が下に見える。

 父さんがわめいているのが遠くに聞こえる。何を言っているのか分からない。どうしても分からない。

 最後の一言だけようやく聞き取れた。

「お前さえいなければ」

 

 気が付くと、母さんが切れている。

 原因は分からない。本当に、本当に、分からない。

 母さんが滅茶苦茶にわめきながら、あたしを壁まで追い詰め、頭をがんがん砂壁に打ち付ける。胸ぐらをつかみ、畳に引き倒され、蹴って蹴って蹴りまくる母さん。頭が、顔が、腕が、足が、尻が、背中が、腹が、痛い、痛い、本当に痛い。

 母さんがわめいているのが遠くに聞こえる。何を言っているのか分からない。どうしても、どうしても、ああどうしても分からない。

 …暴れ疲れ、やり過ぎたと思った母さんが、戸棚からチョコレートを取り出し、倒れているあたしの前に、まるで餌のように置き、こう言った。

「愛の鞭だから」

 これのどこが愛の鞭なんだろう?この凄まじい暴力の代価が、ここにある一枚のチョコレートなのか?チョコレートなどいらないから、暴力をやめてくれ。

 

 気が付くと、姉ちゃんが切れている。

 理由は分からない。本当に、本当に、分からない。

 鉛筆の尖った方をあたしに向け、威嚇している。

 ああ、刺される…。恐ろしくて、恐ろしくて、息が止まる。体のすべての動きも止まる。感覚も止まる。永遠に、何もかもが、止まったように感じる。

 …この後どうなったのか、何故か覚えていない。どうしても、どうしても、ああどうしても思い出す事が出来ない。

 …すっと、意識が戻って来た。

 あたしは部屋で、ただひとりで座っていた。右手首の内側がひたすら痛く、折れた鉛筆の芯が食い込んでいた。

 …すっと、鼓動が戻って来た。

 左手で、懸命に芯を取り去る。だらだらと、手首から血が流れる。だらだらと、心から血が流れる。どうせ母さんは手当てをしてくれないんだろう。震える左手でベランダのアロエをむしりながら、落ちた記憶を拾い集めようとする。

 多分、きっと、姉ちゃんにやられたんだろう…。

 

 おもちゃのブロックで小さな家を作った。透明の窓を取り付け、そこから中が見えるようにした。

 外で蟻を捕まえてきて、その中に閉じ込める。蟻は出口を探して必死に動き回っていたが、だんだん元気がなくなり、しまいに死んでしまった。何回も蟻を捕まえて同じ事をした。

 学校の帰りに蟻の集団を見つけると、必ず足で踏みつぶした。蟻が死んでいくのを黙って見ていた。

 自分の心がすさんでいくのを感じながら。

 

 あたしは

 自分より

 弱い蟻をいじめた。

 

     ★

 

 うちの社宅に若夫婦が引っ越してきた。脇田さんって新婚夫婦。

 菓子折り持って挨拶に来てくれたよ。奥さんはまだ大学生?ってくらい若くて可愛いの。

「マリちゃん、私まだ子どもいないし、仕事も辞めたし、暇だからいつでも遊びに来てね」

って言ってくれたよ。あたしに優しくしてくれる大人がいたって嬉しかった。

 でね、脇田さん夫婦が帰って、すぐに母さんがこう言ったんだよ。

「マリ!あんたの人見知りと社交性のなさを直す絶好のチャンスが来たわよ!」

 そして翌日から、みかんやら、バームクーヘンやらを持たされて、脇田さんの家のチャイムを押す羽目になっちまった。脇田さんの奥さんはね、そりゃ最初は優しくて、アポなしのあたしをちゃんと迎え入れてくれたよ。家に入れてもらい、何を話すでもなく、どうすりゃいいんだろうとあたしは黙っていた。

 きっと奥さんは、あたしが母さんに無理やり行かされてるってーのが分かったんだろうね。いつも憐れむような眼をしていた。

 ただね、それがあんまりたび重なるとさすがに嫌になったんだろう。ある時、迷惑そうな顔をされちまってね。

 だから母さんに言ったんだよ。

「もう脇田さんの所へ行きたくない。毎日毎日もう嫌だ!」

「どうしてよ!」

 母さんにはいくら子どものいない専業主婦といえども決して暇ではない、毎日近所の子どもに来られたら迷惑だという事が分からなかった。

「昨日迷惑そうな顔をされた。だから行きたくない!」

「だっていつでも遊びに来てって言ってくれたじゃない!」

 母さんには、社交辞令ってーのが分からなかった。

「とにかくもう嫌だ!行きたくない!嫌だ!嫌だ!」

 母さんは、必死に抵抗するあたしに無理やりモナカの詰め合わせなんぞを持たせ、力づくで家を連れだした。そして強引に脇田さんの家のドアの前に立たせる。悲しくて、嫌で、振り返って母さんの顔を見る。母さんが階段の下から「心を鬼にして」キッと睨みつけ、首を横に振る。さあ行け、という指令が下された訳だ。仕方なくチャイムを鳴らす。

 …家に入れてくれても全然嬉しくなかった。こんなんで人見知りや社交性のなさが直るなんて思えなかった。脇田さんも困ったような、気まずそうな顔をしていたよ。

 2人でテーブルを挟んで、ただ黙ってうつむいていたよ。モナカなんて食いたかねーよ。脇田さんの顔にはそう書いてあった。

 あたしと脇田さんは一言も話さず、じっとモナカを見ていた。

 

 姉ちゃんが誕生日プレゼントとして、好きな歌手のレコードを母さんに買ってもらった。毎日毎日飽きもせずそれを聞いている。母さんもご機嫌で、歌いながら踊ったりしている。

 ふと思った。こいつらを、ぎゃふんと言わしてやりたい。姉ちゃんばかり優遇されて許せない。母さんの楽しみも奪ってやりたい。

 だからそのレコードを隠してやった。姉ちゃんはないないと騒ぎ、当然のようにあたしを疑った。父さんと母さんもあたしを疑った。あたしはとぼけ続けた。母さんは半狂乱であたしを揺さぶりながら、レコードを返せと言い続ける。

「あんた、神様に誓って自分じゃないって言いきれる?」

だと。知るか。神様がいるなら、なんであたしはこんなに毎日いじめられるんだよ!

 そしてしまいにゃ、あたしが学校で使う笛を隠しやがった。返してほしければ、レコードを返せとまた交換条件を掲げてくる。根負けしてレコードを差し出したら、笛も返してくれたけど、あっという間に元に戻った。

 母さんはご機嫌で歌いながら踊っている。いいオバサンが、バッカじゃない?心から軽蔑した。

 姉ちゃんは

「またマリに隠されないようにしなきゃ」

と言って自分でどこかへ隠していた。

 父さんは言った。

「また何か無くなったらマリを疑えばいい」

 母さんがにやにやしながら、あたしを指さして言う。

「この家に、泥棒が、ひとーり」

 あたしは家の中で、いよいよ孤立していった。

 

 父さんの弟一家が横浜からうちに遊びに来た。

 従姉妹のなっちゃんとよしこちゃんは、玄関できちんと挨拶をし、リビングでもお行儀が良い。外面の良い姉ちゃんも負けずにきちんと挨拶をし、父さんは叔父さんとその奥さんとお酒を飲んで機嫌が良い。母さんは出前の寿司を振る舞い、果物を振る舞い、なかなか忙しい。

 例によってきちんと皮を剥かない母さん。

 よしこちゃんが言う。

「おばさん、ここに皮が残っているよ」

 母さんが言う。

「これくらい残っていてもいいの」

 よしこちゃんが言う。

「じゃあ何の為に皮剥くの?」

「農薬が付いているからよ」

「じゃあこの残った皮に農薬付いているんじゃないの?」

「だからこのくらいいいのよ」

 母さんが涼しい顔で言う。あれえ、いつかあたしとまったく同じ会話したよねえ。外部の人の前ではキレないんだねえ。家族の前ではすぐにキレるくせに。

 …と思ったら、よしこちゃんは自ら残った皮をきれいに剥いてそれから食べた。ああそうすればいいんだねえ。よしこちゃんは賢いねえ。

 みんなが帰った後、後片付けをあたしにさせながら、母さんが何回も言う。

なっちゃんとよしこちゃんは、ちゃんと挨拶出来るけどねえ」

 あたしにもきちんと挨拶しろと言わんばかりだった。皮の事は何も言わない、自分は悪くないと信じきる母さん。

 いいねえ、ストレスたまらないだろうねえ。

 

 横浜にある叔父さん一家の家に遊びに行った。

 玄関で父さんと母さんと姉ちゃんが挨拶している間、あたしは照れくさくて黙っていた。通されたリビングでもそわそわしていた。出された料理を食べようとしてこぼして洋服汚すし、飲み物飲もうとして倒してテーブル滅茶苦茶にするし、散々だった。

 叔母さんは、果物の皮をきちんと剥く人だった。この人は中途半端な事をしない賢い主婦だ。さすが!だからなっちゃんとよしこちゃんもきちんとした賢い子に育つんだねえ。うちとエライ違い。

 食後、なっちゃんとよしこちゃんがトランプしようと言ってくれ、姉ちゃんは愛想良く応じていたが、あたしは何だか気が乗らず、その辺にあった雑誌を読んで過ごした。

 …家に帰ってから母さんが半狂乱でわめく。

「あんた、ちゃんとしなさいよう!」

 またキチガイ沙汰だ。もううんざり。

「挨拶しないし、料理は食いっこぼすし、飲み物は倒すし、なっちゃんやよしこちゃんがせっかく誘ってくれたのにひとりで雑誌見てるし、汚れた洋服で電車に乗る羽目になるし、あたし今日またあんたのせいで恥かいたわ!もう嫌!本当にあんたって恥ずかしい!!大嫌い!!」

 母さん、あんただって恥ずかしい母親だよ。今日はいつかみたいに出された酒に酔って醜態さらさなかっただけいいんだろうけどさ。

「うちでおかしいの、あんただけよ!何で出来ないのよ!挨拶くらい!行儀くらい!トランプくらい!何で出来ないのよ!何でよ!ああ恥ずかしい!!」

 …そりゃ、すいませんでしたねえ。

 

 学校の友達がうちに何人か遊びに来た。みんなお菓子を持ち寄ってくれた。遊んでから、帰っていくみんな。その後ろ姿を見ながら母さんが言う。

「あんた、今日来た子たちはみんな悪い子だから付き合うのはやめなさい」

 何でだよ。みんなあたしの大事な友達だよ、しかも数少ない、って思ったら勝ち誇ったようにこう言った。

「何故かって言うとね、話す内容をあたしは聞いていたけど、みんな勉強も出来なそうだしテレビや男の子の話ばかりだし」

 …いちばん腹の立つ言い草だった。

 

 友達がうちに何人か遊びに来た。

 が、母さんが友達の前であたしを怒る。

「あんた、今先生から電話あったよ。休みの間の宿題まだ提出していないんだって?出していないのあんただけだって?」

 …何も友達の前で言う事はないだろう。友達も気まずそうにしている。

「分かったから、あっち行っててよ」

と言うが、まだ引き下がらない。

「早くやりなさいよ。遊んでいる場合じゃないでしょ」

 友達に「もう帰ってくれ」と言わんばかりだ。

 …友達は気を使って帰って行った。

 満足そうな顔の母さん。

 母さんは友達の前であたしに恥をかかせた。

 

 別の友達が何人かうちに遊びに来た。

 が、また母さんが友達の前であたしを怒る。

「あんた、今先生から電話があったよ。掃除さぼって友達と遊んでいたんだって?何でそんな事するのよ!」

と、声を荒げる。今言わなくてもいいのに…。

「分かったから、向こう行っててよう」

 友達の前でかっこうが付かない。

「今から学校に行って先生に謝って来なさいよう!」

 母さんがキレている。

「自分の撒いた種、自分で刈り取りなさい!」

 友達が見ている前で、あたしの腕を掴んで玄関へ引きずって行き、両手で押しやり、抵抗するあたしを足で何度も蹴ってまで外に出そうとする。

 …友達はそそくさと退散して行った。母さんはまたしても、友達の前であたしに大恥をかかせた。明日学校へ行ったらきっと変な目で見られるのだろう。悪い噂も立てられるのだろう。

 家も居たたまれないけど、学校も居たたまれない。

 

 友達のうちへ遊びに行く事になった。お菓子を買わなくてはいけないのでお金を頂戴と言った所、母さんが大げさに驚いて言った。

「あんた、この前もお小遣い渡したじゃない。どうしたの?」

「あんなのとっくに使っちゃったよ。友達とアイスクリーム食べたから」

「あんたが奢ったの?」

「だって、いつも奢ってくれる人だから」

「ほら!」

 何がほら!だよと思っていたら鬼の首を取ったように鼻息荒く言う。

「あんた!たかられているのよ!」

「そんな人たちじゃないよ!友達だよ!」

「あんたは馬鹿だから分からないのよ。あんたの友達はみんな、あんたの財布を狙っているのよ!」

「そんな人たちじゃないよ!いつも奢ってもらって悪いから、奢ったんだよう!」

「あたしには分かる!あんたは完全にだまされているのよ!」

 泣いて違うと訴えるあたしの話を、母さんはどうしても聞いてくれなかった。

「泣き落とそうったってそうはいかないわよ!」

だと。自分だって年がら年中、人を泣き落そうとするくせに!

「あんたも今回よく分かったろ?自分が騙されているって」

って何回も言うし。

 …結局この日、お金をもらえなかったあたしは手ぶらで友達の家に行った。みんながスナック菓子をひとつずつ持ち寄る中、ひとりだけ手ぶらで惨めだった。出されたお菓子にどうしても手を出す気にならなかった。

 笑いさざめくみんなの中、ほんの少しも楽しくない時間を過ごした。

 

 友達の誕生日会に招待された。クラスでも人気のある子なので、呼ばれるのは光栄な事だった。

 プレゼントを買わなくてはいけないのでお金を頂戴と言ったら、母さんが言った。

「100円のノート一冊でいいじゃない」

「それじゃあ格好がつかないよ。みんなもっといいの持ってくるし」

と言ったら、父さんも不満そうに言う。

「鉛筆1ダースでいいじゃないか」

「もっとかっこ悪いよ」

 父さんが言う。

「出血大サービスだな。その友達はお前に何してくれるんだよ」

 母さんが言う。

「あんた、男に貢がされるようになるよ」

 2人でせせら笑ってやがる。何でそう悪く悪く考えるかねえ。ってか、珍しく夫婦で意見が合っているけど。

 

 誕生日会の当日、どうしてもお金をもらえなかったあたしは、下手なりに自分でマドレーヌをたくさん焼き、アルミホイルでひとつずつくるみ、家にあったリボンを付けてプレゼントにした。もうひとつ、母さんが

「失敗作」

と言って放り出した母さん自作の造花のイヤリングを拾い、小さな紙袋に入れてそれもプレゼントにした。

 みんなが可愛いハンカチや、小ぶりのぬいぐるみを持参する中、お金のかかっていないプレゼント、ましてや「失敗作」で恥ずかしかった。

 俯いて、渡した。

 

 母さんが家計簿を前に「唸って」いる。

 また心配になり、つい声をかける。

「母さん、うち大丈夫?」

 大丈夫と言って欲しかったが、こんな答えが返って来た。

「あんた、これ覚えておきなさい。お給料ってのは我慢料よ。毎日どのくらい我慢したか、会社はそれを見て給料を我慢料として払うのよ。向こうはなるべく払いたくないと思っているんだからね」

 答えになっていない。我慢ばかりしていたら病気になっちまう。それに我慢ばかりして働いても楽しくないだろう。今もつらいが、大人になって働くようになってもつらいのか?

 つらいばかりの人生ならもう嫌だよ。楽しい人生なら生きるけど、大人になってもつらいばかりなら、もう今死んじまいたいよ。我慢料なんて、冗談じゃない。

 それに父さんも母さんも変な所すごく我慢強いけど、すべき我慢していない気がする。遠慮なく当たり散らして、家族を不幸にしているよ。

 何が我慢料だよ、あたしに我慢料払ってくれよ!

 

 母さんがまた言っている。

「あたしは夫選びに失敗したわ」

 それって父さんの事も否定しているし、姉ちゃんやあたしが生まれた事も否定しているよ。

 母さんって何で父さんと結婚したんだっけ?

 JELだからだよね?

 自分の言葉と選択に責任持とうよ。

 

 夕飯の支度をしようとして、うっかり油をこぼしてしまった。拭いても拭いてもまだ床がギトギトしている。

 忙しい母さんに代わって家事をしているというのに

「自分の撒いた種は自分で刈り取りなさい」

だってさ。いいねえ、その考え方。母さんもそうしなよ。自分の撒いた種、自分で刈り取りなよ。恩着せがましく

「あたしはあんたたちの為に、気の合わない夫とやっているのよ」

とか言っていないでさ。

 ねえ、母さん!自分の撒いた種、自分で刈り取りなよ!

 

 生理が始まった。最初何だか分からず、あれえまたウンチ漏らしたかいな?って思った。

 母さんに言ったらめんどくさそうに生理用品をどっちゃり用意して

「使い終わったナプキンはこの汚物入れに捨ててよ」

とトイレ内の箱を指さしながら言った。

 …つい忘れて、トイレからナプキンを持ったまま出てしまい、洗面所にあるごみ箱に捨てちまった所、母さんが激高した。

「ここに捨てないでよ!臭いから!臭い嗅いでみなさいよ!」

と捨てたナプキンを、あたしの顔に強引に押し当てた。自分のとはいえ、汚れたナプキンを顔に押し当てるなんて、人間扱いしてくれていない。汚くて、嫌で、顔を背けているのに、あたしの髪を掴んでまで顔にナプキンを当て、しつこく臭いを嗅がせ続ける母さん。気持ち悪くて涙が出る。吐きそうだ。

 この人は、本当に人として最低だ。

 

 夕飯時、母さんは毎日こう言う。

「今日、給食、何だった?」

 仕方なく、給食のメニューを答える。会話はすぐ止まっちまう。

 すると今度はこう言う。

「何か変わった事ない?」

 んーな、毎日毎日ある訳ねーだろ。首を横に振る。

「今日、学校どうだった?」

 そんな漠然とした言い方をされても困る。

「別に」

としか言いようがなかった。

 何か会話しながらワイワイ楽しく食べたいのは分かるが、毎日同じ事を聞かれて辟易する。どうせ毎日同じ事を聞いているって認識ないんだろうし。

 それに母さんは例え「こういう事があった」と相談したって、涙の出る嘘泣きするか

「さあ、どうしたらいいかねえ?あたしにはそういう経験ないから分からないねえ」

と言うかどっちかだし。だから言ってもしょうがないんだよ。最初から口出しするなよ。

 …ある日もうたまりかね、給食の献立表の紙を母さんの席に置いた。

 その日は

「今日、給食何だった?」

とは聞かれず、ほっとした。

 ああ、黙っていてくれ。そう思いながら、まずい食事を腹に詰め込んだ。

 

「今日、給食何だった?」

と言えなくなった母さんと2人で、黙って食事をしていたらこう言われた。

「食事はお喋りしながら楽しくするものよ」

だったらてめえが何か言えよ、と思っていたら更に言う。

「何か喋りなさいよ」

 今日の給食は何だったか、と聞かれるよりはましだった。仕方なく話題を探し

「朝、友達におはようって言ったけど無視された」

と言ったら

「それはあんたがその子に何かしたからでしょう」

という答えが返ってきた。今から、あたし何かしちゃったかなあ、と言おうとしていたのに何も言えないよ、と黙ったらまた言われた。

「何よ、黙っちゃって。何か言いなさいよ」

 だから別の話題を無理に探す。

「調理実習があったんだけど、みんなバラバラだった」

「それはあんたが協調性ないからでしょう。あんたがみんなをまとめたらいいじゃない」

 何を言っても否定されるのか、また黙った。

「何よ、何か喋りなさいよ」

 母さんがまた切り口上で言う。また仕方なく別の話題を無理に探す。

「この前キヌコちゃんから聞いたんだけど、キヌコちゃんの親って子どもが困っている時だけ助けてやるって考え方なんだって。マリ、尊敬したわ」

 母さんが黙り込む。何だろうと思っていたら、急に大口を開けて泣き顔を作り、両手を顔に当てる。

 ああ、まただ。母さんの最初に泣き顔を作ってから無理やり涙を出す、涙の出る嘘泣きが始まった。大声で泣き続ける。

「あはーーーーーん、あはーーーーーーーーーん」

 小さい子どもみたいな泣き方。今に始まった事じゃない。あたしは黙って食事を続けた。母さんはまだ涙の出る嘘泣きを続けている。

「あはーーーーーーん、あああああああああああああん」

 いつまで続けるんだろう、この人。親のくせに、まず自分が子どもになってこっちに甘えてくる。どっちが親だか分かりゃしない。またどうせ修羅場を起こしたいんだろう。いつも修羅場を望み、実際修羅場になるとエキサイトするんだから、もう分かっているよ!どうにも接しようがないし、黙って食事を続ける。

 昼寝をしていた父さんが、母さんの泣き声に起きたらしく、襖を開けてやって来た。寝ぼけ眼の父さんが、母さんに言う。

「どうしたの?」

 母さんが幼稚園児のように、しゃくり上げながら言う。

「マリが、マリが、あたしの全存在を否定した」

「マリが?」

 父さんが不思議そうに言う。

「そんなつもりで言ってないよ」

と、苦手な反論をしたけど

「でもそうなんでしょう」

と言う。

「だから何か喋れっていうから、話題を探してキヌコちゃんの話をしただけじゃん」

と言ったが

「でもそうなんでしょう」

と何回も何回も言う。

「じゃあ、あたしの今までの人生は何だったの?何だったのおおおおお?」

って、絶叫してやんの。

「死んだ方がましよ!」

とも吠えていた。おーおー死ねよ、静かになって嬉しいよ!呆れて黙るしかなかった。母さんは、あたしが誰かの悪口を言えば、自分が褒められたような顔をし、あたしが少しでも誰かを褒めれば、自分がけなされたように騒ぎ立てる人だった。全然そんなつもりなかったのに、もう何も言えないよ。そしてその日から、

「まあ、あんたはどこかに尊敬している人がいるんだろうけど」

だの

「あんたはあたしの全存在を否定しているようだけど」

だの

「あたしはあの時のあんたの言葉を一生忘れない」

と言うようになった。

「マリ、あんたはもう小さいうちに死んだものと思っているからね」

と言い続け、あたしの全存在を否定したのは誰だよ。

「あんたがあたしの理想とする良い子にならなきゃ、絶対うちの子として認めない!」

とか。

 言うのは良くて、言われるのは我慢ならないなんて、おかしいよ。相変わらずあたしの頭の上には、疑問符ともうひとつ、怒りのマグマが乗っていた。

 

 自分の部屋にいると、またリビングで父さんと母さんの喧嘩している声が聞こえてきた。慌てて飛び出し、2人どっちかの拳が、流れ弾みたいに飛んでくるかも知れないと思いながらも止める。

「やめてよ!」

 あたしの声は、叫びは、切ない心は、2人に届かない。2人は喧嘩をやめない、やめてくれないと分かっていながらも叫ぶ。

「やめてよう!」

 父さんが母さんを、リビングの隅まで追い詰め、壁を殴る。…正確には母さんを殴ろうとして、母さんに避けられ、壁を殴る羽目になっていた。何回もそれが繰り返される。

「もうやめてよう!」

 ああ、母さんに当たるんじゃないか。ひやひやしながら何とかやめさせようと、父さんの右腕にしがみつく。母さんが言う。

「だって本当の事じゃない、何が悪いの?」

 喧嘩の原因は分からない。何が本当で、何が嘘か、まったく分からない。ただひとつだけ分かるのは、この喧嘩を止めなくてはいけない、という事だけだ。

「あたしは何も間違った事を言っていないし、していないわよ」

 お願い、母さん、黙って。あたしの腕を振り払った父さんが、またひとつ壁を殴る。

 ああ母さん、この一発は避けられたけど、次の一発は避けきれないかも知れないよ。

 だから

 どうか

 黙って。

 

 学校から帰ると、また父さんと母さんが喧嘩している。リビングの入り口で、じっと見ていた。

 …ようやく言い争いが終わる。今日は暴力沙汰にならなかった。ほっとして、やっと荷物を肩から降ろす。母さんが言った。

「何、あんた。帰っていたの?」

 帰っていたら、悪いかよ。

 

 部屋にいると、パンッ!と蚊でも叩くような音が聞こえた。直後にまた、パンッ!と聞こえる。続いて母さんの悲鳴。

 ああ、蚊ではなく母さんを殴っているんだ、と慌ててリビングへ行く。父さんが母さんに馬乗りになって殴っている。恐ろしい光景だと思いながら、父さんの右手にしがみつく。

「父さん、やめてよ。やめてよお!」

 振りほどかれ、また母さんが殴られる。

 パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!母さん、ここまで激高させる前に、黙れば良かったのに。原因は分からないけど、そう思わずにいられなかった。

 

 朝起きると、また父さんと母さんが喧嘩している。朝ごはん、と言える空気ではない。ってか、食欲などない。壁を背に2人が罵り合う声をじっと聞いていた。

 …ようやく喧嘩が終わる。母さんが台所へ歩いてきて、やっとあたしの存在に気付いた。

「何、あんたそこで何しているの?」

「…気になるから…」

 そうとしか言えなかった。母さんが満足そうな顔をする。この子はあたしをかばわずにいられないんだわ、と言わんばかりだった。

 

「かわいそうな象」の話が嫌いだ。自分のようで、嫌だ。

 そう、あたしはあたしが嫌い。誰に嫌われてもつらいが、自分に嫌われるほどつらい事はない。

 本当に、あたしはあたしが嫌い。自分の人生も嫌い。こんな人生いらない、あたしなんて死んでしまえばいい。本当にあたしなんか死ねばいい。

 家にいると、父さんと母さんの喧嘩、ってか、戦争に巻き込まれて、めげてめげて毎回死にたくなる。いつ空襲があるか、焼夷弾が降って来るか分からず、常にビリビリと緊張している。あたしもその物語に出てくる飼育員のように、空に向かって叫びたい。

「戦争をやめてくれ、戦争をどうかやめてくれえええええええええええええ!!」

 

 学校の帰り、車道をちょこちょこ走っている子猫を見つけた。今にも車に轢かれそうだ。道路に飛び出して子猫を助ける。あたしが車に轢かれなかったのは奇跡だ。そのまま家に連れて帰る。すごく可愛い。ぜひとも助けてあげたい。

 母さんに必死に頼む。

「この子猫ちゃん、飼ってもいいでしょう?可哀想だよ、飼ってあげよう」

「えー?猫お?」

 母さんは、さもめんどくさそうにしている。ミルクを飲ませた途端、猫は下痢便を撒き散らした。

「嫌だ!そこにもここにもウンチがついている!あんた拭いてよ!」

 母さんが金切り声を上げる。猫だって、知らぬ家に急に連れて来られて緊張しているんだろう。下痢くらい、仕方ない。空き箱にハンカチを引き、猫を入れた。

「ここが君の家だよ」

 そっと撫でてあげる。猫がおびえた眼差しであたしを見上げる。

 

 翌日、学校から帰ると猫がげっそりしている。ミルクを飲ませようとしたら母さんに止められた。

「下痢しているのにミルクなんか飲ませてもしょうがないじゃない」

 そんな、猫が空腹なのは一目瞭然だ。ミルクを飲ませた途端にまた下痢便をした。

「ほらっ!だから言ったじゃない!」

 母さんがまたキレている。猫が救いを求める目であたしを見上げる。

 

 さらに翌日、猫が心配だが学校へ行く。授業中も猫が気になってたまらない。授業が終わり、すぐに走って家に帰る。猫がもっと痩せている。このままでは死んでしまう。ミルクを飲ませようとしたら、母さんに後ろからひっぱたかれた。

「勿体ない!下痢してるのにミルクなんか飲ませてもしょうがないでしょ!」

「死んじゃうよう!」

 必死に猫を守ろうとした。猫は少し飲んで、すぐ吐いた。胃が受け付けなかったらしい。そして下痢もした。

「ほらあ!もう、捨ててきてよう!」

 母さんがいよいよキレている。

 

 また次の日、いてもたってもいられないが学校へ行く。

「行ってきます」

と言うあたしを、母さんが冷ややかな目で見る。とてつもなく嫌な予感がする。

 …急いで帰ってきたら猫がいない。

「猫は?」

 母さんは黙っている。

「猫はどうしたの?」

 母さんを揺さぶって聞く。母さんがあたしをうるさそうに振り払う。

「捨てて来たよ。しょうがないじゃない」

「どこに?どこに捨てたの?」

「公園」

 慌てて家を飛び出す。

 公園のどこを探しても猫はいない。自分でどこかへ行ったのか?それとも親切な人に拾われ、今度こそ温かく栄養のある食事を食べさせてもらっているのか?張り裂けそうだった。

 猫はどんなに探してもいなかった。暗くなるまで探したが、どうしても見つからなかった。へとへとになり家に帰ったあたしに、姉ちゃんが言った。

「マリ、あの猫ね。父さんが可哀想に思って母さんが捨てに行った後、公園に行って拾って、そのまま駅前まで行ったんだって」

 いつも意地悪ばかり言う姉ちゃんが、珍しく真摯な口調で言う。

「それでね、なるべく優しそうな人を探して、この猫をもらってくれませんかって聞いてもらってもらったんだって。会社員風の女の人だったってよ」

 良かった。猫は助かったんだ。あの父さんがよく猫を拾いに行ったな。ましてよく知らない人にもらって下さいと頼んでくれたなと感心した。

 父さんにしては快挙だよ。初めて父さんを良い父親だと思ったさ。これに関しては、姉ちゃんも母さんを責めた。

「母さん、ひどいよ。マリが学校に行っている間に、勝手に捨てるなんて」

 たまにはあたしの味方をしてくれるのか、姉ちゃんいいとこあるじゃん。母さんは開き直って言ったよ。

「何よ、あんたたち。あたしひとりを悪者にして。あたしに何のミスがあるのよ。あたしは何も間違った事をしていないし言っていないわ」

 じゅうぶん間違っているだろう。母さん、あんたこそ公園に捨ててやりたいよ。

 

 猫を失ったさびしさに耐えられない夜、窓を開けたらお琴の音色が聞こえてきた。どこから聞こえるんだろう。素敵な音色だなって思った。

 何と同じ社宅の人が、自宅でお琴教室を開いていたのだった。是非とも習いたい。ピアノやバレエやオルガンや水泳、母さんに決められた習い事はどれも続かなかった。あんな素敵な音色を自分で奏でられたら、どんなに良いだろう。

 それはあたしが初めて「自分から始めたいと思った習い事」だった。お金もかかるだろうし、母さんは何て言うか心配だったけど、思い切って言ってみた。

「母さん、あたしお琴を習いたい」

「お琴?」

 じっと顔色を見る。母さんはしばらく考えてから言った。

「ちゃんと練習する?」

 頷く。

「ちゃんと勉強する?」

 また交換条件かよ、と思ったがこの際仕方ない、と頷く。

「じゃあいいよ」

 ぱあっと嬉しくなって笑う。母さん、いいとこあるじゃん。

 

 お琴は楽しかったよ。好きで始めた事だもん。先生も優しかったしね。あたしは生まれて初めて「自分の意志で何かを始めた充足感」に満たされていた。

 勿論、発表会にも出たよ。着物を着て(母さんが着せてくれた)緊張しながら弾いたもんさ。バレエやピアノでは一度も発表会なんて出なかったけど、お琴は何回も出た。お客さんから拍手喝采を浴びてさ、あたしの大事な思い出だよ。

 ただね、母さんは来る日も来る日も言ったよ。

「マリ、練習しなさい、練習!あと勉強もね」

 もううるさいっつーの!そしてテレビでお琴の演奏が映っていると、必ずテレビを指さしてこう言ったよ。

「マリ、ほら、お琴」

 分かっているよ、もう言わないでくれよ。それは毎日続いた。

「マリ、ほら、お琴」

 必ずテレビを指さして言う。もううんざりだ。いい加減にしてくれ。思い切って言った。

「ねえ、テレビを指さして、マリ、ほら、お琴って言うの、やめてよ」

「だってあんた、習っているじゃない」

 あたしはテレビやら何やらでお花を見たって

「母さん、ほら、お花」

なんて言わないのに。

 母さんはそれからも、毎日テレビを指さして言い続けたよ。

「マリ、ほら、お琴」

 

 話しかけようと、母さんの方を向いて言った。

「今日ね…」

 次の瞬間、母さんが蚊でも追い払うように手を振りながら声を荒げる。

「ああっ!興味ないっ!」

 …黙るしかない。

 

 ひどく疲れた。ひとりで黙って過ごしていたい。機嫌良さげな母さんが、勝手にあたしの部屋に入って来て言う。

「今日、学校どうだった?」

 今は黙っていたいんだ。話しかけて来ないでくれという思いを込めて首を横に振る。

「何よ、あんた。あたしは忙しいのに娘を気にかけてやっている、健気な母親なのよ」

 したり顔で言う母さん。何が健気だよ、今は黙っていたいんだ。どうか分かってくれ。

「何よ!人の好意を無にして!何か喋りなさいってば」

 ああしつこい。何て鬱陶しい人だ。どうか、黙っていてくれ。どうか、こっちにも黙って過ごさせてくれ。

「ほら!ほら!笑いなさいよ!」

 あたしを無理やりくすぐる母さん。ああ、やめてくれ。あなたを骨折させてしまいそうだ。 

 神様、どうか理性を保たせてください。

 

 母さんは、一事が万事、それだった。徹底的に人の神経を逆撫でし、来る日も来る日も情けなくて惨めな思いをさせた。

 ああっ悔しい!あたしは常にそう思いながら、ぐっと堪えていた。そんなあたしに母さんは嗤いながら言った。

「あたしの人生の最大の失敗は、父さんと結婚した事と、父さんそっくりのあんたを生んだ事よ」

 

 母さんは完全にあたしを自分の「所有物」と思っている。あたしゃ物じゃねーよ。ましてやあんたの持ち物じゃねーよ!人格を持ったひとりの人間だと思っていたら、こんな扱いしねーだろー!汚れたナプキンを強引に顔に押し当てたり、猫捨てたり、気分次第でコロコロ変わるし。

「最大の失敗」の父さんは父さんで、毎日キレて暴力ばっかり振るうし。2人ともよくそんなに怒るネタがあるなって思ったよ。

「ここは俺の家だ!出てけ!」

「口で言って分からないなら体で分からせる!」

そればっかり。それでいてしばらくして落ち着くと

「マリ、さっきは殴って悪かったな」

とか言って謝ってくるし。だったら最初から怒るなよ、怒鳴るなよ、殴るなよってーの。猫の件で、ああ良い父さんだなって思ったのもつかの間、豹変するなよ、もーおーお。

「腫れていないか、どうだ、傷を見せてみろ、見せてみろ」

 見せたらこの痣が治るのかよ、腫れが引くのかよ。と思いながら黙っていると

「ほら、見せてみろ、見せてみろ」

と、しつこく言うんだよ。どういう思考回路になっているのか知らないけど。

「何だよ、お前、俺が見せてみろって言っているのに!」

って、またキレてまた殴るし。

 この前なんて、あたしが自分の事を「マリが」と言っただけで

「あたしって言え!」

って殴られた。

「痛い!マリ何も悪くない!」

って言ったら

「言う事を聞け!」

とまた殴られた。正しいと思わないから言う事を聞かないんだよ。もう嫌だよ。それに父さんの言う事聞いていたら父さんみたいになっちまうんだろ!それも嫌だ!

 ましてそのテレビで教育評論家の人が

「子どもは褒めた方向へ伸びます」

と言うのを聞いて

「褒めたらそれでいいって思うじゃないか」

って、テレビに向かってツッコミを入れているし。

「あたしもそう思うよ」

と言ったら、あたしの顔を見て

「お前のどこを褒めろって言うんだよ。親に口答えする、勉強できない、言葉遣い悪い、誰が褒めるか、褒めたら自信持つだろ、自信持ったら努力しないだろ」

だってさ。

「お前、誰のお陰で学校行ってる?誰のお陰で何不自由ない生活出来る?」

とも言っていた。学校行けて有り難いなんて思った事ねーよ!義務教育だし公立だし!それに不自由だよ!すげー不自由!

 食事の時は、毎度毎度自分の分をテレビの前のちゃぶ台へ運んで、テレビを見ながらひとりで食っているし。

「こっちへ来るな」

だって。誰もあんたの近くになんぞ行きたかないよ。加齢臭ひどいし。テレビが恋人かよ、テレビが家族かよ、テレビと結婚すれば良かったんだよ。テレビに映ったディスコに釘付けになって

「ディスコ行こうか?」

とか姉ちゃんに言っているし。姉ちゃんが黙っていたら

「ディスコ行こうか?行ってみようか?」

だって。自分が行ってみたいだけだろ!

 母さんがまた烈火のごとく怒り狂う。

「中学生の娘にディスコ行こうかなんて馬鹿じゃないの?」

 うん、あたしもそう思うよ。

 そうかと思えば麻雀の本を買ってきて、また母さんに怒られてるし。

「ただ本買っただけだもん」

だって。ええおっさんが「だもん」とか言って言い訳するなよ、どあほ。

「本買うって事はやろうとしてるって事じゃない」

 母さんは追及の手を緩めないし。年がら年中喧嘩ばかり。何であんたら結婚したんだい?もういい加減にしようよ!

 

 もう嫌だよ、こんな家。

 もう嫌だよ、こんな親。

 もう嫌だよ、こんな人生。

 過干渉も、過支配も、過剰反応も、所有物扱いも、交換条件も、脅しも止まらない。

 ああもう嫌だ。

 もう限界だああああああああああ!!!!!

                            

 その頃、母さんは夕飯時によくこう言ってた。

「父さんと母さんは、性格の不一致で別れる事にしたからね」

 あたしは黙って頷く。姉ちゃんも黙っていた。そうしてくれて良かった。心からほっとする。もうこれで喧嘩を見なくて済む。生活がどうなる、なんてのは、もうどうでも良かった。

 母さんは「何よ、もっと動揺するとか泣いて止めるとかしなさいよ」と言いたげな顔をしていた。誰が止めるかよ、お前らの離婚を。

 そして翌日、また夕飯時に言った。

「あたしはあんたたちの為に、離婚を思いとどまったからね」

 何だよ、別れりゃいいじゃん。黙ってまずい夕飯を口に運んでいると、また不満満タンって顔をしていた。「何よ、もっと喜びなさいよ」と言わんばかり。誰が喜ぶかよ、お前らの復縁を。

 それは一回や二回じゃなかった。離婚する、と聞くたびに少し嬉しく、思い留まる、と聞くたびに物凄く残念だった。

 家族で囲む食卓は、苦痛で、居たたまれず、たまらなく不幸な時間だった。

 そして相変わらずこう言った。

「あんた、やるって言ったじゃない」

こっちは

「母さん、離婚するって言ったじゃない」

なんて言わないのにさ。

 

 姉ちゃんは受験勉強とか言って、食べっぱなしで自分の皿ひとつ下げずに、部屋に引っ込んじまった。ちょっとでも音を立てると

「うるさい」

って言うし。この前なんて、歯磨きするシャカシャカ言う音に反応して

「うるさい」

と言いやがったよ。受験生がそんなに偉いのかよ。

 ダイニングテーブルにも台所にも、汚れた食器や鍋が山積みだ。取り込んだままの洗濯物が、山のようにソファに積んである。風呂掃除も部屋の掃除もまだだ。

 あたしがやるしかないんだろう、と立ち上がったら母さんが言った。

「あたしは父さんが大嫌いだけど、あんたたちの為に離婚せずに我慢しているんだからね」

 さあ感謝しろってか?我慢しているのはこっちだよ。

「ねえ、聞いてる?あたしはあんたたちの為に我慢してるって言っているのよ!」

 母さんがあたしを揺さぶる。皿を洗う手が止まっちまう。うぜー母親だ!

「この家はね、あたしの我慢の上に成り立っているのよ、本当よ!あたしはこんな地獄のような結婚生活を、あんたたちの為に我慢してやってる、凄く可哀想な、良い母親なのよ」

 何言ってるんだよ、ムカついて、ムカついて、思い切って言ってやったよ。

「じゃあ最初から結婚しなきゃ良かったじゃん」

「でもそうしたらあんたたちだって生まれてこなかったじゃない」

「じゃあいいじゃん」

 これは父さんと同意見だ。父さん、珍しく意見が合ったねえ。

「でも、現にあたしは我慢ばかりしてるのよ!大変なのよ!」

「だからそういう事言うなら、最初から結婚しなきゃ良かったんだよ。そうすればもっと良い家にあたしも生まれたかも知れないじゃん」

「もっとひどかったかも知れない」

「もっとましだっかも知れない」

「もっとひどかったかも知れない」

 母さんは何回もそう言った。うちよりもっとひどい家ってどんなかねえ。想像もつかないよ!

 

 厄介な事にね、うちは傍目には立派に見えたらしいんだよ。みんながみんな、親の職業を聞いただけで

「じゃあ、あなたの家はお金持ちなのね」

だの

「立派な家なんだろうね」          

と、のたまった。

「お父さん、パイロット?」

と聞く人も多かった。パイロットじゃないよ、事務職だよと答えるとそれでも、へえ、と感心した顔は変わらなかったよ。

「お父さん、偉いんだ」

とかね。いやいや、職業と人間性は別物だよ。それに一流企業に勤めていたって薄給じゃしょうがないよ。家計は火の車だよ。

 父親は一流企業に勤めているのに、母親はお花の先生で、綺麗で礼儀正しいのに、どうしてあなたはそんななの?みんながみんな、疑問に思ったようだ。

 あたしはそれこそ疑問だった。どうして実情を分かってくれないの?あたしのこの姿は、助けを求めている姿なんだよ!父親は強引にあたしの裸を見るし、母親は強引に汚れたナプキンを顔に押し当てるし!毎日何かしらで引っぱたかれて悔し涙を拭うあたしは、昔見たサーカス小屋で団長に殴られて涙と鼻血を一緒に拭いている人たちのようだった。

 ああ神様、どうしてこんなつらい人生をあたしに与えたんですか?みんなは楽しそうにしているのに、あたしばっかり毎日体罰や罵詈雑言や追い出しでもう嫌です。つらいだけならもう死にたいです。殺してください。

 そうすれば楽になれる…んでしょう?

 

 そして気が狂いそうな毎日の中で、精神のバランスを取る為にあたしはひとつの方法を編み出しちまった。それは学校で、自分より弱そうな子を上手に見つけて、いじめる事だった。

 蟻ではなく、友達をターゲットにした。いじめに関してはずっと被害者だったあたしが、加害者に転じた瞬間だった。

 

 加山さんは手の甲にいぼのある女の子だった。本人もそれを気にしていて隠そう、隠そうとしていたよ。あたしはそこを見逃さなかった。あたしは加山さんをいじめたよ。いぼ、いぼって言ってね。すっとしたよ。

 金井さんはぼんやりした女の子だった。当時としては珍しいひとりっ子でね。おっとりしていたよ。あたしは金井さんをいじめたよ。服装や髪形に、なんやかんやといちゃもんをつけてね。楽しかったよ。

 小山さんは独り言を言う癖のある女の子だった。あたしは小山さんをいじめたよ。ひとりで喋ってんじゃねえよ!ってね。気持ち良かったよ。

 木本くんは母子家庭だった。両親が離婚して、お母さんは懸命に働きながら木本くんと妹さんを育てていた。あたしは木本くんをいじめたよ。汚い母親!だの、あんたの妹あんたそっくりでちっとも可愛くない!とか言ってね。胸のつかえがおりた気がしたよ。

 里中さんは体臭の強い女の子だった。みんな遠慮して言わなかったが、あたしはずけずけと言った。

「くっせーんだよ!あっち行けよ!シッシッ!!」

 心の檻から出たような気がした。

 

金井さんと加山さんと小山さんと木本くんと里中さんは、不思議だったと思う。何も悪い事をしていないのに、何であたしなんかにいじめられなきゃいけないんだろうってね。

 みんな最初「何かの間違い?」って顔をしていた。だけどいじめが度重なると、その顔は一変した。「またかよ」という顔になり段々「もうやめてくれよ」という顔になった。

「沖本さん、そのいじめ、その意地悪やめてくれ」と色々なサインを、友達はあたしに送ってきた。悲しそうな顔をしてみせるとか、すっと避けたりとか、ほかの友達を通して「いい加減にしてくれ」とメッセージを送ってきたりね。

 けど、あたしはいじめをやめなかった。

 

 父さんに滅茶苦茶に殴られた翌日、学校で誰かにいちゃもんをつけて滅茶苦茶に殴ったよ。

 父さんは必ずこう言った。

「お前が悪いんだ!お前が!」

 

 母さんに罵詈雑言を浴びせられた翌日、学校で誰かにいちゃもんをつけて滅茶苦茶に罵詈雑言浴びせたよ。

 母さんは必ずこう言った。

「あんたが悪いのよ!あんたが!」

 

 だからあたしも友達を殴ったりののしった後、必ずこう言った、

「あんたが悪いんだよ!あんたが!」

 そして冷たい背中を向けて立ち去りながら、心の中でこう叫んだよ。

「いいね、あんたたちは、親に愛されているんでしょ!」

 

 よく加害者はどこかで被害者だったりする、というが、当時のあたしがまさにそれだった。あたしの心はどんどん荒れすさんでいったよ。

 そしてね、あたしはね、今も覚えているよ。ってか、忘れられないよ。自分がいじめた子たちの、あたしを恨む目を…。

 

 その頃、来る日も来る日もあたしは家族にいじめられた。我ながらよく耐えられるなって思いながら。

 そしてその頃、来る日も来る日もあたしは友達をいじめたよ。よく我慢してくれるなって思いながら。

 

 あたしは中学生になっていた。

 

 母さんはあたしには決して

「制服着ると立派に見えるね」

とは言ってくれなかった。

「もしあんたが不良になったら、あんたを殺してあたしも死ぬからね」

とは言ったけど。

「煙草やシンナー吸う子は凄いアホな顔になる。だからすぐ分かる!」

とも言っていた。

 そういう事をしないでくれと言いたいならストレートにそう言えばいい。もしくは良い事をしよう、とか。何故ここまで神経を逆撫でするのか分からないよ。アホ面してるのは母さんだよ。

 …ってか、なんか予感があったのかねえ。

 あたしがグレそうって…。

 

     ★

 

 あたしはね、じいちゃんって知らないんだよ。あたしが生まれるずっと前に戦争で死んじゃっているらしくてね。まあ、その時代にそれは珍しくも何ともなかった。

 父さん方のばあちゃんは、さすが11人も子どもを産んだだけあって、いかにも頼もしげな感じ。年を取っていよいよ動けなくなったら、父さんのいちばん下の妹(あたしからすると叔母さん)の家で暮らしていた。

 でね、叔母さんの旦那さんの稼ぎだけで3人の子どもと叔母さんと、ばあちゃんまで養うのは大変だし、叔母さんがばあちゃんの介護をしてるってーのもあって、父さんを含む男兄弟5人が少しずつ金を出し合う事になったんだよ。叔母さんだけに大変な事を押しつけて申し訳ないって気持ちもあったんだろう。

 それがまた父さんと母さんの喧嘩の種になっちまってさ。母さんは凄い勢いでまくし立てたよ。

「男だけでなく、女のきょうだいも協力すればひとりずつの負担は少なくなる筈じゃない。どうして男ばかりに押し付けるのよ」

 父さんはテレビから目を離す事無く言った。

「女は稼ぎがないだろう」

「うちはどうなるのよ」

 …結局、男兄弟だけでお金を出し合う事に話がまとまり、父さんが母さんに渡すわずかな生活費はいよいよ少なくなった。

 母さんは自分の稼ぎはたいした事ないし、染料やら刷毛やら布といった材料費はかかるし、化粧品やらスーツを買うのに忙しく、生活費を捻出するほどの力はなかった。だからだろうねえ。

「節約!節約!!」

と一日中言うようになったよ。

「もうおかずなんかも、あんまり良いの出来ないからね」

というのも毎日言っていたしね(元からそんないいもん食わしてくれてねーだろ!)。

 ああ、うちは貧乏なんだ、ものすごく貧乏なんだ、とつらかった。母さんは、あたしが歯を磨いていればすかさず洗面所に来て、歯磨きクリームをどのくらい使ったか毎回チェックしやがった。

「1ミリでいいのよ!1ミリで!」

 もともと少なかったお小遣いも更に減らされたよ。

「文句があるなら父さんに言えばいいわ」

だって。

 ああ、あたし中学を出たら働こう。そうすれば少しは家計の足しになるもんね。

 夕飯時に、父さんがご飯をおかわりしようとすると、母さんはこう言った。

「駄目よ、あんたのせいでうちは逼迫してるんだから!」               

「だっておなかすいて我慢できないもん」

 父さんは強引におかわりして食べ続けた。母さんは不満そうな顔をやめない。

 ああ母さん、一日中働いて疲れて空腹な父さんを、せめて気持ちよくお腹いっぱい食べさせてあげて。あたしは心の中でつぶやいた。

 …勿論あたしは、どんなに足りなくても、おかわりなんて出来なかったよ。中学を出たら絶対に働く。揺るぎない決意にみなぎっていた。

 

 母さん方のばあちゃんは、おとなしくて優しい人だったよ。あのばあちゃんから、何であんな猛々しい母さんが生まれたのか、よくわかんねーよ。

 父さんと母さんの生まれ故郷である、九州の福岡でひとり暮らしをしていたんだけどね。すげー広い家だったってのは覚えている。でっかい庭に池があり、鯉が泳いでいたのも。母さんが子どもの頃、家にお手伝いさんが何人もいたんだって。漫画みてえ。

「おばあちゃま、長生きして下さい」

って何回も言わされたし、手紙にも書かされたさ。当時は「ナガイキ」って何だろうなって思っていたけどね。

 でね、母さんが父さんと結婚する時の「条件」てのが、「ばあちゃんと同居する事」だったらしい。結局かなわなかったけどね。

 ただ、一度だけ母さんが言っていたのを聞いたけど、ばあちゃんの妹(母さんからすると叔母さん)が、ばあちゃんを相当いじめたらしい。姉にやられるならまだしも、妹にいじめられてじっと耐え忍んでいるなんて、と歯がゆかったんだと。

 母さんはその頃の事を話すと、つらかった記憶が蘇るらしくて、あたしにすがりついて号泣するんだよ。あーもー大迷惑!誰も話してくれなんて言っていないのに、勝手に話して、勝手に興奮して、勝手にしがみついて、いつまでも泣いてくるんだから。あたしゃ小さな相談員かよ!

 おーおーまた泣くかよ。まだまだ泣くのかよ。もういい加減にしてくれよ。そんなに悔しかったならそれをばねにすりゃいいだろーが!叔母さんも、そこまでやるって事は誰かにいじめられてたんじゃないの?

 きっと母さんはそこで「人をいじめたり罵詈雑言を浴びせる事」を学習しちまったんだろうな。

 姉ちゃんもあたしも、小さい頃からばあちゃんの家に何回も遊びに行ったり、ばあちゃんがうちに泊まりに来たりしていた。ただ父さんと折り合いが悪くてね。居心地は悪かったと思うよ。

 だってさ、ばあちゃんが湯上がりに冷蔵庫のビール飲むと、父さんがわざわざばあちゃんの所へ行き、こう言うんだよ。

「俺のビール飲みました?」

 そんな事を言われたら、そりゃばあちゃんだってビールも何も飲むのを遠慮するようになるよ。父さん、ケチすぎるよ。まあね、父さんはケチっていうか、大人げないっていうか、あたしにもよく言っていたよ。

「マリ、俺のまんじゅう食べた?」

 食ったさ、食ったさ。さも残念そうに立ち去る大人げない父さん。ばあちゃんの立場で考えてくれよ。いいじゃん、ビールくらい。親に言われるのと、娘の亭主に言われるのとじゃ、違うだろーが。父さん、そんな事言わないでくれよ。ばあちゃんが可哀想だよ。

 見るに見かねて、母さんにお金を頂戴と頼んだ事があるよ。

「どうして?」

と聞くから

「おばあちゃんにビール買ってあげるの」

と言ったら、その時だけはすげー褒めてくれたよ。

「マリ、あんた優しいねえ」

だってさ。普段からもうちょっと褒めてくれよ。

 あたしは受け取ったお金ですぐビールを買いに行ったよ。「おばあちゃんのビール」と紙に書き、くるっとそのビールに巻いて輪ゴムで止めて冷蔵庫で冷やしたさ。ばあちゃんの喜ぶ顔を見たくてね。あたしの数少ない楽しい思い出のひとつだよ。

 ただ、煙草を吸う人だったんだけどね。あたし臭いから煙草って嫌いでさ。ばあちゃんが吐く煙を手で扇いで「プーッ」って自分の息で煙を飛ばしたさ。吸いたくなかったからね。ばあちゃんは悲しそうにしてたよ。

 でね、次からは家の中でなく、公園で吸っていた。あたしに気を使っていたんだろうねえ。あはははは。悪かったさ。

 一度ばあちゃんと母さん、姉ちゃんとあたしで美術館に行った時の事、歩くのが遅いばあちゃんに焦れて

「おばあちゃん歩くの遅い」

と言っちまったんだよ。そしたら母さんが、また凄まじい勢いで怒ったさ。

「おばあちゃまは年を取っているんだから歩くの遅いなんて当たり前じゃない。あんたはなんて酷い子なの!最低だね!あんたは最低のカスだよ!人間じゃないよ!人間以下!」

 …その発言だけを怒ってくれるならまだしも、最低とかカスとか、人間以下とか、否定しないでくれよ。少しも楽しくなかったさ。ばあちゃんもつらそうにしてた。これが教育なのかねえって思った。

 食事中にばあちゃんの前を横切ったら横切ったで、また母さんが激高する。

「あんた!目上の人の前を横切るなんて、何て礼儀知らずなの!ごみ以下だよ!」

 そりゃあ横切ったのは悪かったけど、その行為を怒るならいいけど、ごみ以下なんて。つらくて嫌で聞こえなかった振りをしようとしたら、あたしの両耳を引きちぎらんばかりに掴んで耳元でがなり立てた。

「親の話、聞きなさいよ!」

 ああ鼓膜が破れる!そんな事するからますます聞かなくなるんだよ。言う事聞かないからこうするんだとか言うんだろうけどさ。これも教育なのかねえ。ばあちゃんも聞いてられないって顔してた。

 ばあちゃんはだいたい1泊か、長くて2泊しかしなかったよ。そりゃ居たたまれないわな。娘は孫にがなり立てるわ、父さんは自分を疎むわ。ばあちゃんが福岡へ帰る時、母さんは必ず空港まで見送りに行っていたよ。

 …ある時、家に帰るなり、すごい勢いで怒鳴ったよ。

「おばあちゃま、分かれ際に泣いてたわよ!」

「…だから?」

「だから泣いていたのよ!」

「だから何なの?」

「だから帰る時に泣いていたって言っているじゃない」

 泣いていたら何なのさ? さあ、ばあちゃんを可哀想と思え、もっといたわれ、同居しろってか?

 その前に、同居しているオマエの亭主と娘を、もうちょっといたわれよ。

 

 でね、そのばあちゃんが倒れたって知らせが入ってさ。きょうだいのいない母さんが看病に行く事になったんだ。嬉しかったね。ヤッター!ってなもんよ。誰がさびしがるかよ。てめーのような鬼母の不在を!ばあちゃんの具合がどうとか、そんなのはどうでも良かった。あたしはひたすら母さんが家を空けてくれるのが嬉しかったよ。

 病人の看病ってーのはなかなか大変らしいね。母さんは毎日電話をかけてきて、これ聞こえよがしにすすり泣いて、大変だ、大変だと愚痴を言い続けた。

「今日は何を食べたの?」

というのも毎日言っていた。もうウルセーよ。毎日同じ事聞くんじゃねーよ。買ってきた弁当やパンの方がまだうまいよ。テメーの下手過ぎる料理よりずっといい。

 あたしはカップ麺を食ってうまいと思った事は何回もあるけど、母さんの料理を食っておいしいと思った事は一度もねーよ。…って言ってやりたかったさ。言えなかったけどね。

 

 母さんのいない家は静かで居心地が良かった。母さんさえいなければ、夫婦喧嘩は成り立たないからね。

 父さんは会社帰りに弁当とパンを買って来る。それを夕飯と翌日の朝食にした。全然不便も不自由も不満も感じなかったよ。むしろこれがずっと続くと良いなとさえ思ってた。

 父さんはあたしに食事の支度を押しつけなかった。料理から解放されたあたしは嬉しくてたまらなかったよ。ごみ捨てと掃除と洗濯さえやればいいし。

 ああ快適だな、母さんなんてもう帰って来なければいいな。あたしは生まれて初めて自由を味わったよ。解放感と幸福感に満ち溢れちゃって幸せだったぜ。二度とあんなカカア帰ってくるなよ!って毎日念じていたわさ

 自由を満喫し過ぎて、友達と学校ずる休みしたしね。あはははははは。…あっさりバレて、父さんに学校から電話が来たさ。父さんがそれを電話で母さんに言うし。言わなきゃいいのに。

 そしたら母さんから父さん宛てになげーなげー(本当に読むのが嫌になるほど長かった)手紙が来たんだよ。父さんが

「お前、これ読めよ。母さんが心配してるぞ」

と無理やり押し付けて来た手紙には、ばあちゃんの看病がいかに大変か、くどくどと並べてあり、最後に家をよろしく、特にマリには愛情を注いでやってくれ、学校をずる休みするなんて不良の始まりだ、と書いてあったよ。わざとらしく字がにじんでいた。泣きながら書きましたっていわんばかり。

 まったくわざとらしいね。いつもいつも芝居がかってるんだから。誰もその手にゃ乗らないよって。そんな手紙ざっと「斜めに読んで」すぐごみ箱に捨ててやったよ。それに愛情を注ぐってーのは、何も干渉する事じゃないしね!

 父さんは、ごみ箱に捨ててある手紙を見て、またハーハーため息ついていたよ。

「お前、誰のお陰で学校行ってる?誰のお陰で生活してる?」

 他に言う事ないのかね!鬱陶しくて、わざとらしい夫婦!いい勝負だよ。

 学校の先生は先生で、

「沖本さんが無断欠席なんてしたのは、お母さんが家に居なくてさびしかったからなんでしょう?」

って何回も何回も言って、しかも勝手に納得しちゃっているし。

 ちっがーーーーーうよ!ぜんっぜん、ちっがーーーーーうよ!むしろ嬉しいんだよ!あのババアは干渉し過ぎだから居なくなって幸せだから無断欠席したんだよーーーー!!!って、誰も分かってくれなかった。

 あたしは「母親が不在でさびしい子」って一言で片づけられちまった。んん、無念だぜ。

 

 日曜日、父さんと姉ちゃんと近くのスーパーに買い物に行く。弁当やらパンやらトイレットペーパーを買い、帰ったら社宅の前に民生委員のおばさんがいた。3人で会釈すると馴れ馴れしく話しかけてきた。

「あらあ、親子でお買い物?いいわねえ」

 父さんが適当にやり過ごしてうちに入ろうとすると、しつこく言ってくる。

「あれ?お母さんは?」

 姉ちゃんが答える。

「おばあちゃんの看病に行っています」

 おばさんの目がきらりと光る。

「どこへ?」

 姉ちゃんが言う。

「福岡です」

 おばさんの目がもっと光る。

「あらあ、しばらく帰って来ないの?」

 姉ちゃんが頷く。

「そう、沖本さんち、お金持ちだから」

 おばさんが高らかに笑う。何でそんな事言うんだろう。福岡へばあちゃんの看病に行ったのと、どうつながって金持ちとか、そんな事言うんだろう。関係ないじゃん。それにうちは金持ちじゃないし。

 おばさんは軽やかな足取りで立ち去った。

 …何か違和感が残る。

 

 翌日、事件は起きた。学校から帰り、うちの鍵を「開けよう」として何故か「閉めて」しまった。

 …あれ?…って事はずっと「鍵は開いていた」って事…?恐る恐るドアを開ける。もしかして泥棒がいるのか?いるなら逃げてくれ。そう思いながらでっかい声で何回も言う。

「ただいまー!ただいまー!ただいまー!」

 頼むから逃げてくれ、あたしひとりでどうにも出来ない。そろそろとうちの中に入る。

 もし泥棒が入って来るとしたらベランダに通じる窓だ。そう思いながら、さっとカーテンを開ける。

 …があああああああああああああああああああああああああああん!

 割れたガラス窓、飛び散っているガラスの破片、鍵の開いた窓。心臓が口から飛び出そうになった。

 もしかしてまだうちの中に犯人が隠れているかもと思うと、恐ろしくて生きた心地がしなかった。慌てて外に出ると、ちょうど姉ちゃんが帰って来た所だった。

「ねえ、泥棒が入ったよ」

 泣きそうになりながら言う。

「えっ」

 姉ちゃんがうちの中へ入って行く。

「ほんとだ、怖い」

と言いながら出てきた。

 2人で隣の人に助けを求める。隣りの奥さんは慌てながらも、うちの状況を確認した上で警察を呼び、父さんの会社にも電話をしてくれた。

 警察の人が4人来た。うちの中の押し入れを全部開けて、中に犯人がいないか確かめている。

 婦警さんがあたしに事情を聞く。学校から帰って、うちの鍵を開けようとして閉めてしまった事、朝学校へ行く時には確かに閉めた事を一生懸命話す。

 …父さんが会社を早退して帰って来た。警察の人と父さんが話している。家族3人の指紋を取られ、何かの書類に父さんがサインしたり、うちの中を指紋採取したり、何だかむやみに忙しい。

 その後、父さんがお隣の奥さんにお礼を言い、ガラスの業者に電話をして割れた窓を直しに来てもらったり、ガラスの破片を掃除したり、する事は多く、目まぐるしく時間は過ぎ、気がついたら夜の8時になっていた。食欲などまるでないが、3人で弁当を食べる。

 不幸中の幸いで、現金も通帳も印鑑も無事だった。母さんが「万一に備え」押し入れの天袋の襖の内側に、大事なものをポーチに入れ、張り付けて隠しておいてくれたお陰だった。母さん、たまには機転がきくじゃん!泥棒もまさかそんな所に現金やら通帳があるとは思わなかったんだろう。何も取らずに(取れずに)玄関から逃げて行ったらしい。

 だが「泥棒が入った」事自体はショックだぜ。3人で一言も話さず黙って弁当をつつく。

 

 更に翌日、朝の8時にうちのチャイムが鳴った。代休を取って家にいた父さんが玄関を開けると、一昨日も会った民生委員のおばさんが立っていた。おばさんが凄い勢いでまくしたてる。

「おたく、泥棒が入ったんですって?」

 父さんが不審そうに聞く。

「どうして知っているんですか?」

 おばさんが口から唾を飛ばしながら言う。

「この町の事なら何でも知っていますよ。で、被害状況は?」

 父さんは勿論、学校を休んでいた姉ちゃんとあたしの頭の上に疑問符が浮かぶ。

「どうしてそんな事聞くんですか?」

 父さんの問いにおばさんが言う。

「あたし、心配してるんです!あたし、力になりたいんです!」

 …全然そんな風に見えないよ。父さんが言う。

「あなた、家内が福岡へ行っていて、うちが留守って誰かに言いましたか?」

 おばさんが大げさに言う。

「いいえー」

 威張っているみたいだ。父さんが聞く。

「あなた、一昨日うちが金持ちとか大声で言っていたけど、営業所とかに帰ってそれを誰かに言いました?」

 おばさんがもっと威張って言う。

「いいえー。守秘義務がありますから」

 全然守秘義務守っているように見えないよ!もっと不信感が湧く。

「どうして今日ここに来たんですか?」

 父さんが聞く。

「だからおたくが大変な事になっているって聞いたから、とるものもとりあえず駆け付けたんです!」

 おばさんが鼻息荒く言う。父さんも姉ちゃんもあたしも呆然とする。

「で、被害状況は?」

 おばさんがまた言う。

「どうしてそんな事聞くんですか?」

 父さんが聞く。

「だからあたし心配してるんですっ、あたし力になりたいんですっ」

 だからそんな風に全然見えないってば!

「で、被害状況は?」

 おばさんの鼻息がもっと荒くなる。

「どうしてあなたにそんな事言わなきゃいけないんですか?」

 父さんが不信感満々で聞く。

「だからあたし、心配してるんですっ!力になりたいんですっ!あたし、沖本さんの味方なんですっ。で、被害状況は?」

 父さんの頭の上の疑問符がいよいよ大きくなる。

「悪いけど、帰ってください。あなたに話す事は何もありません」

 強引にドアを閉める。おばさんが靴を挟んで邪魔しなくて良かった。

 3人で腑に落ちないまま、よく回らない頭で懸命に考える。一昨日、あのおばさんが来て母さんが留守という情報を聞き出した。その時点で、自宅で造花教室をしている母さんがいなければ、うちは日中誰もいなくなる事が丸分かりになった。昨日、泥棒が入った。今日あのおばさんが血相を変えてうちに来て、被害状況を聞き出そうとしてる…。

 …バラバラのパズルが一致しちまった。うちでいちばん頭の良い姉ちゃんが言う。

「あのおばさんがやったんじゃない?」

 あたしも頷く。

「きっとそうだよ」

 姉ちゃんが更に言う。

「うちが留守って聞きだしたのは、あのおばさんだもん。実行犯は他にいるかも知れないけど、やれって指示したのは、本当の黒幕はあのおばさんだよ」

 父さんがやっと腑に落ちたような顔で頷く。

「そうかも知れないな」

 誰より頭脳明晰な姉ちゃんが、理路整然と言う。

「だっておかしいじゃん!あのおばさんが来た途端に泥棒入ったんだよ!うちは金持ちとか言っていたし。狙われたんだよ」

 父さんが言う。

「証拠がないじゃないか」

 姉ちゃんが食い下がる。

「うちにお金とかなくて、何も取るものがなかった。その実行犯の話と被害者であるあたしたちの話が一致するかどうか聞こうとしたんだよ。だからあんなにしつこく被害状況は?って聞いたんだよ。実行犯とあのおばさん、ぐるなんだよ。で、あのおばさんが紹介料をもらってるんだよ。今回、何ももらえなかったから確かめようとしてるんだよ!」

 そう考えれば色々と一致する。

 さすが姉ちゃん!頭よし子!

「父さん、警察に言ってよ」

 父さんが困った顔になる。

「何て…言えばいいのか…分からないよ」

 確かに父さんが言っても要を得ないだろう。

「もういい、あたしが言う」

 姉ちゃんは勇んで警察に電話をかけ、事情を説明する。大人の父さんより、高校1年生の姉ちゃんの方がこう言う事にかけてうわてだ。

 だが警察の担当の人は一応話を聞いてくれたが、やはり証拠がないのでそれだけで捕まえる訳にはいかないようだった。腹の虫のおさまらない姉ちゃんは、お隣さんに相談した。お隣の奥さんは姉ちゃんの言い分をきちんと聞いてくれ、こう言った。

「実はさっき、あの民生委員のおばさんがうちに来て、この何日か気が付いた事ないか?って聞いてきたの」

って事は、あたしたちのうちに来た後、お隣のチャイムも鳴らしていたのか。

「沖本さんの家に泥棒が入った日、多分マリちゃんの声だと思うけど、ただいまー、ただいまーって声が何回か聞こえたっていうのは話したけど」

 奥さんが言う。刑事でもあるまいし、あのおばさんは聞き込みをしていたのだ。守秘義務を全然守っていないじゃん!

 お隣の奥さんは、その場で区役所に電話をかけて相談してくれた。区役所の人はこう言ってくれたそうだ。

「あり得ない話ではないですね。この近辺異常に空き巣被害が多いんですよ」

 もしかして、全部そのおばさんの手引きで行われているんじゃないのか?そんな気さえしてくる。民生委員という立場を利用し、あちこちで情報を集め、泥棒に入らせているとしたらとんでもない!

 お隣の奥さんは頑張ってくれた。

「少なくとも担当は替わってください。その人には辞めていただきたいんです」

 怒っていても、お上品な人は違うなあ。母さんとエライ差!妙に感心したさ。

 

 その日の夕方、性懲りもなくというか、民生委員のおばさんがまたうちにやって来た。

 玄関先で泣きそうな顔で言う。

「あたしの軽率な言動の為に本当にご迷惑をおかけしました。あたし、もともと声が大きんです。沖本さんの家がお金持ちって言うのを誰か悪い人が聞いていたのかも知れません。あたしのせいで大変な被害に遭わせてしまってすみませんでした」

 言い訳がましい!さすがに、「で、被害状況は?」とは聞かないけど。おばさんが大声でべらべら言う。

「以前、おたくの奥さんがこの辺をうろついている男を相手に怒鳴りつけたらしいんです」

 そんな話、聞いた事ねえよ!まるでその男が犯人だと言わんばかりだ。父さんと姉ちゃんとあたしの顔には「あんたが犯人でしょ」と書いてあるらしい。

 おばさんは散々言い訳しまくった後、居たたまれないように帰って行った。お隣の奥さんが「こいつだ」という顔をして、自分の家の窓から見ている。

 おばさんが立ち去ってから、今度はお隣の奥さんが来た。おーおー、一昨日、昨日、今日と千客万来だね。奥さんが言う。

「また来たんですね?」

 父さんが頷く。

「おかしいですよ、確かにおかしいです!やっぱりあの人が犯人じゃないんですか?」

 父さんがウンウンと頷く。何か言えってんだ!奥さんが言う。

「すぐに担当替わってもらいましょう。ここにももう来ないで下さいって言った方がいいですよ。あたしが言ってあげましょうか?」

 父さんがうちの電話を指さしながら言う。

「お願いします」

 その奥さんの素早い事。次の瞬間、靴を脱いで上がり込み、その場で役所に電話をかけてくれた。番号を暗記しているってーのが凄いね。担当の人に、またおばさんが来た事、言い訳がましかった事を告げ、二度と来ないようにしてくれと頼んでくれた。

 奥さんは受話器を置くと、勝ち誇ったように言う。

「困った時はお互い様ですよ。ではまた」

 そして靴を履いている。姉ちゃんが

「これを召し上がってください。色々お世話になった御礼です」

と言いながら、お菓子を渡す。あ!それはうちでいちばん良いお菓子!と思ったが仕方ない。 

 奥さんは

「あらいいのよ」

と言いつつも、結局受け取ってくれた。奥さんは帰って行く。

 これで一件落着…するといいなあ。確かにその民生委員のおばさんは二度と来なくなった。うちはまた母さん不在の日常に戻ったよ。福岡の母さんから電話がかかって来て、泥棒が入ったと父さんが告げた途端に

「お金は?通帳は?印鑑は?」

とわめく声が、離れていても聞こえた。

 ああ家族に怪我がなかったか、そっちは心配じゃないんだねえ。

 

 …話を戻そう。母さんの懸命なる看病も虚しく、ばあちゃんはどんどん衰弱していった。そしていよいよ余命宣告ってーのをされちまい、父さんと姉ちゃんと三人で福岡へ行ったんだよ。

 病院に行き、もはや動けず、よく喋れもしなくなったばあちゃんを前にした時、何でか自分でもよくわかんねーけど涙がボロボロ出てきちまってさ。体のどこが痙攣しても分かるように裸(胸と股間はタオルで隠してあったが)にされているし。母さんはあたしが悲しんでいると勘違いして、満足満面になった。

 なんやらウワウワ言ってるばあちゃん。母さんが通訳する。

「あんたたち、親の言う事をよく聞いて、たくさん勉強しなさいって言っているのよ」

 死にそうな時にそんな事を言うかねえ?本当は今まで有難う、とか、元気でね、とか何とか言っているんじゃないの?

 母さんは、自分にだけは分かる、とばかりに「変な通訳」を続けていた。

「マリ、忘れ物をせず、もっと勉強しなさいって、おばあちゃまは言っているわよ」

 ホントかねえ?信じらんねーよ。現にばあちゃんの口の動きや長さと合ってねーよ。

 父さんは父さんで、ばーちゃんの裸でさえ嫌らしい舐めまわすような目で見ているし。ああ、ドスケベだねえ。例え婆さんでも、女なら、裸なら、反応するんだねえ。

 福岡には3泊したよ。JEL系列のホテルに母さん以外の3人で泊まり、朝も昼も夜もパンばかり食べていた。父さんは有休を取り、姉ちゃんとあたしも学校を休んでいた。

 でね、父さんが、そんなに長く会社を休めないとか言い出し、4日目に東京に帰る事になったんだよ。その時に、父さんが

「空振りだった、空振りだった」

と、何回も母さんの前で言うんだよ。

「何が空振りよ」

 母さんはカンカンになって怒った。

「あたしの大事なお母さんなのよ!死ねば良いって言うの?」

 父さんと母さんはどっちもどっち、言っても良い事と悪い事の区別がつかない似た者夫婦だったよ。

 ばあちゃんが亡くなったのはその5日後だった。その前日に電話をかけてきて

「逝きそう…」

と呟いていた母さん。返事のしようがなくて黙っちまった。

 父さんと姉ちゃんとあたしは再び飛行機に乗り、福岡へ飛んだ。父さんが

「タイミングが悪い、仕事に差し支える」

と何回も言うから、また喧嘩になるんじゃないかと心配でたまらなかったが、実際福岡へ着いたら、母さんは葬儀屋の人との打ち合わせやら、会葬者さんへの対応やら、なんやらでバタバタ忙しく、喧嘩をする暇もなかった。別の意味でほっとしたよ。

 通夜も告別式も終え、ばあちゃんの家に戻った時は感傷的な気分になったね。もうばあちゃんはこの家のどこにもいない、世界中のどこを探してもいない。ああ、ばあちゃんは死んだんだって、その時に初めて実感した。

 ばあちゃんがいなくなった家はただっぴろく、仏壇にばあちゃんの遺影やら果物やらなんやらが飾られ、ばあちゃんの友達の多さを物語っていたよ。

 母さんは泣き続けながら遺影を撫でている。

「お母さん、お母さん、どうしてあたしを置いて逝っちゃったの?」

って何回も何回も言うんだよ。ほんと、何回言えば気が済むの?って言いたくなるくらい。だから

「さあ、ひとりずつお焼香しましょう」

と言った時は、やれやれ、やっと終わったかって、ほっとしたさ。で、母さん、姉ちゃん、あたし、と順々にお焼香したよ。母さんはずっと鼻をズーズー言わせながら

「おばあちゃま、この子たちを見守って下さい」

なんて白々しく言ってるしね。

 あれ、父さんはどこかな?と思ったら、庭の池の鯉なんぞ見ている。母さんが苛立った口調で言ったよ。

「あんた、お焼香してよ」

 次に振り返ったら、何と!

 父さんは、喪服のスーツの上は着てたけど、ズボンを脱いで、つまり下はパンツ姿で立っていた。母さんが烈火のごとく怒る。

「あんた、何よ、その格好!ちゃんとズボン履いてよ!」

「嫌だ、ズボンがしわになる」

 それを聞いて、父さんて大人になりきれていない人だと思った。母さんも大人になりきれてないけど。ズボンがしわになるからパンツ姿になっているんじゃなくて、要はお焼香したくないんだろう。

「ちゃんと履いてよ!あたしのお母さんに失礼よ!」

 この時ばかりは、母さんが正しいと思ったね。母さんの凄まじい勢いに押され、父さんはしぶしぶズボンを履き、しぶしぶ焼香した。ばあちゃんの冥福なんぞ祈っていない事は、その後ろ姿でよく分かった。

 情けない父さんに、ヒステリックな母さん。ばあちゃんもさぞかし不安だろう。死にきれないだろうよ。

 でね、その時にもうひとつハプニングがあったんだ。母さんのスカートに、ろうそくの火が燃え移っちゃった事。姉ちゃんがびっくりして

「母さん、火が付いている!スカート燃えてる!」

と言った。母さんが慌てて自分でもみ消し、びっくりしたまま父さんに言ったよ。

「あんた、何で助けてくれないの?」

「熱くて消せるか」

「あんた、あたしが火だるまになっていても助けないの?」

「知るか」

 その会話聞いていて、結婚なんてしてもしょうがないって思ったよ。まったく愛情のない夫婦ってのはこういうもんだって、毎日見せつけられてるんだから。

 

 東京に帰り、元の生活に戻るかな、と思ったけど…戻れなかったよ。

 母さんがさ、もううるさいのなんのって。毎日毎日、朝も夜もギャーギャー泣くんだよ。

「お母さんっ、ああ、お母さんっ、どうして逝っちゃったの?」

って、何時間でも言い続けるし。その根気を別の事に使ってくれよ。誰も慰めたりしないよ。そっと陰で泣いているならまだしも、うるさくてこっちも気が狂いそうだった。

 わざわざあたしや姉ちゃんの部屋に、ばあちゃんのアルバムを何冊も何冊も持って来て、めくりながら泣いてやんの。

「あたしの悲しみは、20年後30年後のあんたたちの悲しみよ」

って何回も何回も言うし。もーおーおー、うるせーよ。ひとりで泣いてくれよ。知らん顔してると滅茶苦茶に怒るし。

「何よ!あんたたち!あたしは泣いている時は慰めて欲しいのっ!」

って啖呵まで切るし。なんて我ままなオバサンだろうねえ。そんなに元気に怒鳴っているなら大丈夫だよ、じゅうぶん立ち直っているよ。

 しかも、部屋にいられずリビングに行こうと襖をぴしゃりと閉めるとピタッと泣きやむんだよ。で、襖を開けるとまたヒーヒー泣きだすの。つまり、人がいない、聞いていないと思ったら泣かず、家族の誰かがいる、聞いている、という時しか泣かないんだよ。面白いから何回も試してやったさ。本当に開けると泣く、閉めるとピタッと止まるの。おーおー、いい大人が嘘泣きかよ。バッカじゃん!いつもいつも修羅場を望んで、本当にアタマ悪過ぎだろ!!

 父さんは父さんで、母さんが自分を相手にギャーギャー言い始めると黙って俯いて何分でもじっとしているし。父さんは徹底して「ハプニングに対応できない」人だった。何かあると、暴力で無理矢理ねじ伏せるか、その嵐が過ぎるのをじっと待って、終わったと思ったらテレビの前に座って「ああやっと解放された」って顔しながらテレビ見てるか、どっちかで、父さんが何かに対応してるの見た事なかった。これでよくJELで働けるなあと、何度目の感心をせざるを得なかったよ。

 

 そしてもうひとつ、バトルが繰り広げられる事になった。相手はばあちゃんの妹だった

「叔母さんがおばあちゃまの財産をよこせと言っている、あたしは闘うわ」

 母さんは弁護士だ、何だと連絡を取り始め、

「強く出れば良いわ。強く出れば。そうすれば叔母さんはひるむ筈」

とか言って、本当に強く出てた。母さん、ただでさえ強く出てばかりなんだからさ、たまには優しくいきなよ。

 結局、裁判の判決は、ばあちゃんの妹がばあちゃんの家を相続し、母さんは家財道具を相続する事、と出た。裁判費用がどうなったのか、よく分かんねーよ。すげー金かかったらしいけど。

 でね、ばあちゃんの家をもらえなかったのがよっぽど悔しかったんだろうねえ。母さんはばあちゃんの妹とそれっきり断絶しちまった。もともと仲良くなかったらしいからいいんだろうけど。

 ただね、母さんはばあちゃんの家からもらえるものは何もかもうちに送っていたよ。着物や家財道具や食器はまだしも、下着まで自分が履いちゃっていた。気持ち悪くないのかね。

 母さんは何でもかんでも「徹底的にモトを取る」人だった。亭主も、産んだ娘もモトを取るのかね。庭の池の鯉だけは要らなかったらしく、送って来なかったけど。

 父さんは毎日母さんが炊くお線香の匂いが臭い、臭い、と文句ばっかり言うし。

「ああ、臭い、へどが出そうだ」

だって。出してみろよ、へどとやらを。

「仏壇なんてただの木の箱だよ。神様なんていないよ」

とも言っていた。

 母さんが父さんに悪態をつく。

「あんた、あたしが八面六臂の大活躍している時に何もしてくれなかったね」

 八面六臂とか、大活躍とか、自分でいうこっちゃねーだろ。これじゃあ殴られるのもしょうがないわな。

 ああ、もう限界だよ。2人とも、どっか行ってくれよ。

 

 …ああ、またリビングで父さんと母さんが喧嘩している。原因は分からない。暴力も始まったようだ。母さんの悲鳴。もううんざりだ。どうせ母さんが修羅場を仕掛けたんだろうが。いつもいつも修羅場を望み、家族全員がガーっと自分の感情出してくるとエキサイトするんだよねえ。実際修羅場になると被害者づらして悲劇のヒロイン気取るし。

 知らん顔して、自分の部屋で漫画を読み続ける。誰が止めるかよ、お前らの喧嘩を。止めたって、どうせやめてくれないんだし。

 …ああ、やっと終わったようだ。母さんが腫れ上がった顔のまま、あたしの部屋に来て言う。

「あんた、何で止めてくれないの?」

「…どうせ無駄だから」

「あんた、気になるって前に言っていたじゃない」

「…もう気にしない」

「何でよ、あたしが殴られててもいいの?」

「…原因作っているの母さんだから」

「どうしてよ、どうしてよ、どうしてよ」

 母さんは自分に原因があるとも、非があるとも、全然思えない様子だった。もうばかばかしくて、それ以上言う気になれなかった。 

 …そう、本当にばかばかしくなった。こんな親、かばうことない。現にあたしが止めなくても、喧嘩終わったじゃん。もう喧嘩なんて二度と止めない。勝手に殴り合ってりゃいいじゃん。あたしゃもう知らないよ。止めない方が楽だしね。

 あたしは母さんに冷たい背中を向けて、漫画を読み続けた。母さんだって、あたしに何度も何度も冷たい背中を向けたしね。母さんはしばらく突っ立っていたが、あたしがいつまでたっても知らん顔しているから、あきらめたように立ち去ったさ。

 …ほっとした。

 

     ★

 

 中学は勉強も難しくなるし、部活もあるし、やはり小学校とは違った。まあ、勉強は元々好きじゃなかったけどね。ただ小学校と違って「格付け」みたいなものがあってさ。そりゃあ出来る人は気持ちいいだろうよ。けど出来ない奴にとっちゃあいたたまれないよ。

 部活は演劇部を選んだよ。運動はとことん苦手だったし、演劇部なら楽かなと思ったからさ。芝居なんざ全然やる気ないから、役なんてもらえなかったけど。あたしは部活でも決して活躍できなかった。

 ただ、数学だけは好きだったよ。その時にちょこっと思ったのが、姉ちゃんの家庭教師も悪くはなかったのかなって事。ほかの教科はまだしも、数学だけはいつもまあまあの成績をおさめていられた。ドンピシャリ!と合う瞬間がたまらなく好きだったさ。数学担当の先生も、可愛がってくれたしね。他の教科は、まあ何とか付いていけてるって感じ。

 母さんは

「数学はもういいから他の教科を勉強しなさい。得意なものは苦手なものを克服してからやればいいのよ」

って言っていたけど、苦手なものって楽しくないからやりたくないんだよね。好きなものならやっていて楽しいからいくらでもやるけど。

 あたしはその頃、漠然とだけど「好きな教科を究めれば、後の教科は何とか付いていくものじゃないのかな」って思っていた。母さんには通じなかったけどね。

 

「ノックもせずにいきなりあたしの部屋の襖、開けるのやめてよ」

そう言ったあたしに母さんが言う。

「じゃあこれ付けて」

 何のおまけか知らないけど、襖に掛かるよう紐の付いた札を出してくる。表に「勉強中」と書いてあり、裏に押し花がされてある。勉強なんてしねーからさ。いつも押し花の方を向けていたら、また母さんがいちゃもん付けて来る。

「あんた、気を付けて見てるけど、勉強中にならないじゃない」

 …する訳ねーじゃん。どうせ死ぬんだから。どうせあたしゃ生きた死体なんだから。勉強して欲しいなら、死んだものと思ってるからねって言うのやめればー?

 

 通っていた中学は、家から歩いて10分程度だった。別に苦になる距離じゃなかったけど、ある朝登校しようとしたあたしに父さんがこう言った。

「お前、学校行くなら送っていこうか?」           

 何とまあ、珍しい事。たまにはその親切に乗ってやらあ。父さんの運転で学校の前まで送ってもらい、じゃーねー、と言って降りた。振り返らず学校前の坂を駆け上がる。後ろで急ブレーキとドスン!という音が聞こえたが、まさかうちの車じゃないだろうと気にせず教室に入った。

 後から登校してきた男子が、目を真ん丸くしてあたしに言ったよ。

「お前の親父さんの車、事故に遭っていたよ」

「え?」

 何の事か分からない。

「だからお前が降りた後にすぐ別の車と衝突していたよ」

 そうだったの?急ブレーキとドスン!という鈍い音を思い出す。分かったような、分からないような、フワフワした気持ちのまま過ごす。

 

 家に帰ると、父さんが首にムチ打ちのギブスを巻き、右腕にも右足にも包帯を巻いた姿でいた。入院していないって事は軽傷で済んだって事かな、と思いながら

「父さん、大丈夫?」

と声をかける。そして返ってきた言葉に驚愕した。

「お前を送って行ったりしなければ良かった。そうすればこんな事にならなかった」

 絶句したよ。親なら他に言う事あるんじゃないの?

「事故に遭ったのが、お前が降りた後で良かった」

とか、何とか。不満満面で立ちすくんでいると、父さんも不満満タンって顔で言う。

「本当の事じゃないか。お前のせいで、俺は酷い目に遭っている。お前のせいでな!」

 父さんはどこまでいっても子どもだった。48歳の子どもだった。母さんは母さんで、ぶつけられた車の修理代の心配ばかりしていて、父さんの怪我の心配は一切していなかった。43歳の子どもだった。

 この亭主あって、この女房あり、だった。

 

 でね、その直後にもうひとつ事件が起こった。住んでいた社宅のベランダに置いていた粗大ごみを、いい加減捨ててくれとお隣さんから苦情が来たのだ(苦情が来た事自体は事件ではなかった)。地震や火事等の非常事態にお互い避難が出来なくなるから、というお隣さんの言い分は正しかった。

 だが父さんは怪我が治りきっておらず力仕事が出来ない。勿論、母さんも姉ちゃんもあたしにも無理。で、便利屋に頼もうという事になった。費用は掛かるがお隣さんに迷惑をかけるし、非常事態がいつ起きるか分からない。

 父さんが電話帳を見て便利屋を探し、電話をかける。電話に出た便利屋が、父さんから名前、住所、電話番号等、ひと通り聞きだした後こう言ったそうだ。

「もうキャンセル出来ませんし、キャンセルしてもお金だけはもらいます」

 そんなのおかしいだろう。その時点で電話なんか切っちまえばいいものを、浅はかな父さんはこう思ったそうだ。どっちにしてもお金を取られるなら頼んだ方がいいだろう。もう名前も住所も知られてしまったし、何かされたら困る。そして父さんはその便利屋に粗大ごみの撤去を依頼しちまった。

 翌日、男の人が2人来てものの3分くらいで粗大ごみを片付けて行った。玄関で父さんがお金を払っている。2万3000円。…随分、高いな。 

 便利屋が

「領収書です」

と言いながら父さんに紙を渡した。父さんはちらっとしか見ず、受け取った。2人の便利屋は帰って行く。父さんが紙を食卓の上に置き、財布をしまっている。

 何気なくその領収書を見てあれっと思う。そこには作業時間が「2時間」となっている上に領収書の金額の所に「×印」がしてある。…普通2万3000円、と書いてある筈。おかしいだろう、と思っていたら、電話が鳴る。父さんが出たらその便利屋からだった。

「うちの若いのがちゃんと仕事しましたか?」

そう聞かれたらしい。父さんが答える。

「はい」

 電話は切れた。

 …また何か、違和感が残る。

 

 その3日後、一枚の払込票がうちに郵送されてきた。その便利屋からだった。払込票には「2万3000円」の数字が並んでいる。あれ?この前その場で現金で払ったじゃん。

 母さんが騒ぐ。

「詐欺よ、詐欺!詐欺に引っかかったわ!!」

 父さんが混乱している。

「俺、払ったかどうか分からなくなった」

 でもあたしは父さんがお金を払ったのを確かに見ている。

「父さんは間違いなくお金を払ったよ」

 一生懸命言うが、父さんは首をかしげるばかりだ。母さんが勢いづいて言う。

「警察に言おう!闘うのよ!!」

 父さんが困り果てた顔で言う。

「そんな事したらやくざが出てきて何されるか分からない。もう1回払おう」

「冗談じゃないわよ!何で詐欺に、お金どんどん払わなきゃいけないのよ!」

「うちの会社で、やくざと喧嘩して顔を切られたのが2人いるんだよ。やくざは怖いよ」

「そんなの関係ないでしょ!」

「その2人、今も顔に傷残ってる。治ってない。やくざは怖いよ、払おうよ」

「嫌よ!払わない!」

 

 闘う姿勢満々の母さんが、区でやっている無料の弁護士相談に申し込んだ。家族4人でぞろぞろ行く。父さんは杖を突きながら歩く。

 母さんが弁護士相手に一生懸命説明する。便利屋に雑用を頼んだ事、電話で名前や住所、電話番号を言った後でもうキャンセル出来ないし、してもお金だけはもらうと言われた事、ものの3分くらいで作業を済ませておいて作業時間2時間と記入してある上に、確かにお金を払ったのに領収書の金額の所に×印がしてある事、払込票の支払い期限が一週間後である事。

 まるで造花教室で生徒さん相手に講義を行なっている時のように、凛としている母さんは正しかった。老いた男の弁護士は眼鏡をズリ上げながら、はあはあと相槌を打ちつつ聞いている。

 横から父さんが口を挟む。

「うちの会社でやくざと喧嘩して、顔を切られたのが2人いるんですよ」

 母さんが言う。

「あんた、関係ない話をしないで」

 父さんが混ぜ返す。

「だって同じやくざじゃないか」

「この便利屋は悪徳業者であって、やくざではないでしょう」

「やくざだよ、同じやくざだよ」

「違う、払う事ない!」

「嫌だよう。怖いよう。じゃあお前、俺が殺されてもいいんだな!」

「殺しはしないでしょ」

「やくざは殺すよう。誰が俺を守ってくれるんだよう。どう守ってくれるんだよう。警官がずっとうちの前に立っている訳にいかんだろう。俺、会社行く時とかに突然切り付けられたらどうするんだよう。本当に殺されるよう」

「大丈夫よ」

「どうして断言できるの?どうして?どうして?俺、脅されてるんだよう!」

「脅されてる訳じゃないでしょう」

「脅されてるよう!殺されるよう!怖いよう!」

 老弁護士の前で、見苦しい夫婦喧嘩が繰り広げられる。どうやらこの爺さんは役に立たなそうだ、というのはあたしにも分かった。爺さんが言う。

「すぐ隣が警察です。被害届け出したらどうですか?」

「そうします!」

 母さんが間髪入れずに答え、見るともう立っていた。このジジイは使えないと思ったんだろう。

 母さんがその足で警察に向かう。何をも顧みずに真っすぐに突き進むその姿は、まるでジャンヌダルクのようだった。父さんと姉ちゃんとあたしは、母さんの勇ましい背中を見ながらぞろぞろ付いて行った。

 警察でも母さんは雄弁だった。若い婦警さんがメモを取りながら対応してくれる。この人は使える人なのか、どうなのか、と思っているとこう言われちまった。

「すぐ隣で弁護士相談やっています。行ってみたらどうですか?」

 …こいつも使えない奴だ。母さんが怒りを堪えながら言う。

「今、行ってきました。そこで警察に届けろって言われたんですけど…」

 てめえら!たらいまわしにする気か!と言いたげだった。婦警さんは一応受理してくれた。

 が、あまり役に立たなそうな気もした。

 

 家に帰ってから、母さんが凄い勢いで父さんをなじる。

「あんたが悪いのよ!あんたが!そんな便利屋なんかに頼むから」

「だって俺は怪我していて力仕事なんか出来ないから、しょうがないじゃないか」

「キャンセル出来ないし、してもお金だけはもらうって言われた時点で電話切れば良かったのよ!」

「今更そんな事言ってもしょうがないじゃないか。俺はとにかくやくざが怖いんだよう」

 居丈高な母さんに情けない父さん。姉ちゃんもあたしも聞きたくなかった。

「俺、やっぱり払う。その払込票返してくれよう」

「嫌!お金がもったいないから!」

「怖いよう。仕返しが怖いよう。俺は脅されてるんだよう」

「だから脅されてる訳じゃないでしょうが、もうしつこいねえ」

「脅されてるよう。怖いんだよう。払おうよう。殺されるよう」

「駄目ったら駄目!払ったらもっともっと、ってお金を要求されるよ!全財産むしり取られるよ!借金してまでお金払わされるよ!だったら今闘うのよ!」

「これ以上要求されたらそれは断る。だから今回だけ払おう。仕返しが怖いんだよう」

「それを断るならこれも断るべきよ!今闘うのよ!勝つのよ!!」

「怖いよう、怖いよう」

「じゃああんた、払ったらおさまると思うの?」

「うん!おさまると思う!」

「おさまる訳ないでしょ」

「おさまるよう!お前、俺が殺されてから涙流したって遅いんだぞ」

「あら、あたし涙なんて流さないわ」

 薄情かつ強気な母さんは払込用紙をどこかにしまい、決して父さんに返さなかった。支払い期限までの一週間、怖い怖いと吠え続ける弱々しい父さんと、消費者センター等、あちこちに電話をかけて相談しまくる母さんに辟易した。

 その消費者センターの相談員の人だけは、きちんと対応してくれたよ。どうすればいいか、理路整然と教えてくれたし。便利屋に何度も電話して、今後は沖本家に直接電話せず、自分を窓口にするように言ってくれた。それで父さんの恐怖はかなり軽減されたようだった。

 だが、父さんの自筆で「自分は二度目の支払いには応じません」と書いて書留で送るよう指示された時は抵抗した。

「そんなツケツケ書いたら俺、刺されるよう」

だって。ツケツケ書けよ。刺されろよ。そう言わんばかりに母さんは強引に書かせ、コピーを取り、原紙を郵便局から簡易書留で便利屋に送った。

 事故で右腕と右足を負傷している父さんは、気弱に吠えるばかりで暴力さえ振るえない。ああ、事故も悪くないな、なんて思ったさ。

 でね、スゲー矛盾してると思ったんだけど、うちは玄関の鍵を掛けないんだよ。出掛ける時は一応掛けるけど、誰か家に居る時は開けっ放しなの!普通に考えると危ないよね。ましてや泥棒に入られた事があるってーのに。

「玄関の鍵くらい閉めた方がいいんじゃない?」

って言っても

「だって、お前たちが出入りする度に開け閉めするの面倒だし」

だって。父さんが何より恐れているやくざが入ってきたらどうするんだろうねえ、相変わらずよくものを考えないんだねえ。怖がるばっかりで危機管理出来ないんだよねえ。

 あたしが鍵を掛けて家にいると、学校から帰って来た姉ちゃんが

「鍵なんか掛けんなよ!」

ってののしるし。何で鍵掛けて怒られなきゃいけないんだよ。

 学校から帰って来たあたしが、今日は鍵かかってるのか?と思いつつドアノブひねると開いている時も多かったけど、かかっている事もあった。で、鞄から鍵をもぞもぞ取り出すと、中からアホ面した母さんが、誰か確かめもせずに親切ぶって開けて来るし、鍵を取り出す手間が無駄になるからほっといてくれりゃあいいのに!それに、もしそれがあたしじゃなくてやくざだったらどうすんだよ!やくざ相手にドア開けんのかよ!もう!3人とも!やってる事おかしいだろ!

 

 そして支払い期限当日、父さんの興奮と恐怖は最高潮に達していた。

「お前、頼むから払込用紙くれ。今日払わないと俺、本当に殺されるよ!」

 甲高い声でキャンキャン吠える。弱い犬ほどよく吠えるってこの事だね。母さんが無言で首を横に振り続ける。ああそうだよね、父さんが在職中に死んだら1億円入るんだもんね。そりゃあ願ってもない事だよね。棚からぼた餅ってこの事だ。

 父さんが1オクターブ声を張り上げて言う。

「顔切られたらどうするの?」

 母さんが平然と言う。

「形成外科に行って縫ってもらおう」

 父さんが2オクターブ声を上げて言う。

「お腹刺されたらどうするの?」

 母さんがもっと平然と言う。

「誰かが救急車を呼んでくれる」

 父さんが3オクターブ高い声で言う。

「殺されたらどうするの?」

 母さんが身じろぎもせずに言う。

「犯人捕まるでしょ」

「だって、逃げちゃったらどうするの?俺、俺、俺、死に損じゃん」

 オレオレって、どもるなよ。

「俺は酷い目に遭っている」

とか

「やくざへの対応で頭がいっぱい」

とか

「マリのせいで事故に遭って、怪我して力仕事出来ないからこんな事になった。マリのせいだ。マリのせい!本当にそうじゃないか。どうしてくれるんだよ!」

とか、もう聞きたくないよ。そんなに酷い目に遭ってねえだろ!人のせいにしてばっかり!そんなに言うなら、いっそもっと酷い目に遭えよ!死ねよ!前に、日本の警察は優秀だから悪い事したらすぐ捕まるとか言っていたくせにさ。だったら例え殺されても犯人はすぐ捕まるだろうが!安心して殺されろよ!

 そして夜は更け行く。12時を過ぎる頃、俺の命は終わった、とばかりに父さんは布団の上に崩れ落ちた。

「俺は殺される」

そう言って気絶するように寝ちまった。おーおー、殺されろよ、確実にその心臓止めろよ、静かになるからよ。1億円入るし。ウハウハだよ!

 だからさ、翌朝父さんが起き上がった時に思わず言いそうになったよ。

「あれ、生きてんじゃん」

って。

 真っ青な顔で食事もせずテレビを見続ける父さん。ああ、食欲はなくてもテレビだけは見るんだねえ。

 でね、しばらくしてから知った事なんだけど、父さんはジャンヌダルクのごとく闘う母さんと、あたしたちの為に色々教えてくれた親切な相談員の人を裏切り、自ら便利屋に電話をかけて自分の会社に払込用紙を送ってもらい、それで二度目の支払いをしたそうだ。

「仕返しが怖い」

 それが父さんの言い分だった。

「俺もケンメイに生きている」

とも言っていた。懸命と賢明、どっちのケンメイだろうねえ。あはははははは。それで母さんは滅茶苦茶に怒ったが、父さんは譲らなかった。母さんも譲らない人だったけど。

「高い授業料だったわねえ。高いわねえ、高いわねえ」

って何回も言っていた。もううるさいよ、しつこいよ。そう言えば払った2万3000円が少しずつ戻って来る訳でもないんだし、言えば言う程悔しくなるなら言わなきゃいいのに。

 父さんは前に、あたしが友達にいじめられた時に

「お前も同じ事やり返せばいいだろう」

って平気で言っていた。同じ事を言ってやりたかった。

「やり返せばいいだろう」

って。どうして言いなりになるんだろう。

「俺の目の前で会社の奴がやくざに顔を切られた。目の前だった、目の前だった」

とかそんな事ばかり言って怖がるばっかりで、馬鹿丸出しだよ。要は甘えてるんだろうけど。自分の娘がいじめられているのに助けてくれず、あんなに偉そうに言っていたくせに、ふざけんなバーカ!

 その便利屋が3度目の請求をしてこなかったのは、消費者センターの人のおかげだったんだろうな。そいつらは、こっちが2度目の支払いをするのがどんなに嫌だったか、父さんがどんなに怖がっていたか、悩んだか、母さんがどんなに悔しかったか、うちがどんなに迷惑したか、分からないんだろうなあ。考えもしないんだろうなあ。その人たちはこういう目に遭わないんだろうなあ。

 13歳にして、詐欺に遭っちまったよ。うちは、ようやく少し静かになったさ。静かなのは短期間だったけどね。

 次の事件まで間もなかった。

 

 中学生になって初めての夏休みの事だった。姉ちゃんの帰宅時間が急に遅くなっていた。しかも「浮かれて」いた。意地の悪いこの人でもウキウキする事があるんだ、なんだろなって感じ。

 ほどなく男がいるという事が、ご近所さんの目撃情報で判明した。ただ、相手が問題だった。何と、通っている学校の先生。独身ではあったけど40歳くらいの人だった。

 父さんと母さんは大騒ぎしたよ。

「とんでもない!とんでもない!!」

 キンキン声でわめく母さん。

「結婚出来ないような体になるぞ!断言する!!」

とハイテンションな断言父さん。

 結婚できない体ってどんなんだろうねえ。帰ってきた姉ちゃんを2人でふんづかまえて、延々と問いただしたり、説教をこいていた。

「友達に泣かれちゃってさあ。だから帰るに帰れなくて遅くなったんだよ」

 下手な嘘をこく姉ちゃん。

「じゃあその友達の名前言ってみてよ」

 強引な母さん。無理やり言わされる気の毒な姉ちゃん。本当にそうなのか、わざわざ電話して確認するイヤラシイ母さん。色々な人を巻き込み、迷惑をかけ、姉ちゃんはますますその先生にのめりこんでいったよ。

 

「先生の話を聞いているだけだ」

 嫌そうに言う姉ちゃん。

「嘘、絶対に嘘」

 嫌らしいものを見る目で言う母さん。

「大人の男の人の考え方とかを聞きたかった」

 踏ん張る姉ちゃん。

「じゃあ父さんの話を聞けばいいじゃない」

 こんな時ばかり、父さんを立てるずるい母さん。そりゃ姉ちゃんだって、こんな大人げなく女々しい父さんの話なんか聞きたかないよねー。リビングで延々続く押し問答が、嫌でも聞こえる。

「とにかくもう野沢先生には会わないで」

 頑張る母さん。

「分かったよ」

 返事だけして部屋に退散する姉ちゃん。

 あたしにはこんな家と親に耐えられず、「外の人」に救いを求める姉ちゃんの気持ちが分かったよ。

 

「マリ、野沢先生に会う?」

 いつもあたしをいじめてばかりの姉ちゃんが、珍しく優しく囁いてきた。姉ちゃんの好きな人ってどんな人だろう。興味が沸き、姉ちゃんにくっついて喫茶店でその人に会った。

「妹です」

 姉ちゃんが紹介してくれた。この人かって、にやりとしながら会釈だけした。

「野沢先生」

 嬉しそうに言う姉ちゃん。あ、姉ちゃんって、こんな顔するんだって思った。

 野沢先生は、普通のおじさんだったよ。

「こんにちは。よろしくね」

って笑顔で挨拶してくれた。

 何だか緊張して、注文したコーラが喉を通らない。このコーラの代金は300円。ポケットの上から財布を握り締める。何を話したかなんて全然覚えていない。

 ただ、姉ちゃんやるじゃん。大人の男を相手にするなんてって思ったよ。

 帰る時、先生が伝票を持ち支払いをしてくれた。お、さすが大人の男。二人分600円の飲み物代を、いとも簡単に奢ってくれちゃったよ。

「ごちそうさまでした」

それだけ言って先に帰った。何となく2人だけにしてあげたかったからね。

 振り返ると2人が仲良く本屋に入っていくのが見えた。好きな本でも一緒に選ぶのかなって思った。

 

 家に帰ったら、父さんと母さんが姉ちゃんの部屋を「がさ入れ」していた。まったくもう、2人とも。親といえども娘のプライバシーを侵害していいって事はないだろう。

「何か手掛かりがあるに違いない」

とか言いながら、引き出しの中のメモやらノートやら、中身まで見てやんの。見苦しいねえ、やめたら?って思っていたら

「あったわ、あった!有力な証拠よ!」                                           

とか言いながら、興奮した顔で姉ちゃんの日記を見ていた。…あたしも見せられたよ。

「先生の車で海へ行った。こんな事が学校にばれたら俺は懲戒解雇、お前は無期停学かな、と言われた」

「先生とキスをした。キスってこんなんだって思った」

「家も学校ももううんざり。何もかも投げ出したい。こんな人生まっぴら」

「早く死にたい。先生、私を殺してください」

「私は人と違うのだろうか。目に見えないカタワ者なのだろうか」

等、書いてあった。父さんと母さんは、驚愕した顔を見合わせ、更に読み進めていたよ。

 人の日記を勝手に読んで、人の心を勝手に覗き込むなんて、最低じゃん。前にあたしの日記も勝手に読んで、書いてある内容についてとやかく言っていたけど。いい加減にしなよって思っていたら、当の姉ちゃんが帰ってきた。

 母さんが自分は何も間違っていない、という空気をバンバン出しながら姉ちゃんに詰め寄る。

「あんた!これ、どういう事?!」

 姉ちゃんは、日記を盗み読みされた恥ずかしさやら怒りやら悔しさやらで、ゆでだこよりも赤くなった。

「酷い!」

 一言だけ言って、外に飛び出して行った。

 あたしは姉ちゃんが正しいと思った。

 

 夜の9時。まだ姉ちゃんは帰って来ない。

 父さんと母さんがブチ切れている。             

 やっと電話が鳴る。飛びつく母さん。

「あんた、今どこ?!」

 姉ちゃんからかかってきたらしい。

「何、あんた、鍵まで持っているの?」

 どうやら姉ちゃんは、先生のアパートにいるらしい。

「野沢先生に代わりなさい!」

 母さんが憤然と怒鳴る。姉ちゃんは、先生はここにいないと言ったようだった。父さんが母さんから受話器をひったくる。

「警察に言うぞ!警察に!未成年者誘拐罪で逮捕だ!マスコミにも取り上げてもらう!」

 興奮している割にそんな冷静な言葉が、まあよく出てくる事。

「今すぐ帰ってこい!でないと本当に警察に通報する!」

 

 帰ってきた姉ちゃんを、父さんが遠慮会釈なく殴る。

「お前!野沢とはどういう関係だ!」

 殴られながら姉ちゃんが言い訳する。

「何でもない」

「男と女だろう!」

 何とまあ、いやったらしい言い方をするんだろうねえ。あたしは見ていられなかったよ。

 母さんが、これ見よがしに父さんを止める。

「あなた、やめて、やめて」

 いつも誰より暴力振るって暴言吐くくせに、こんな時ばかり良い母親ぶってんじゃねえよ!って思っていたら電話が鳴る。飛びつく姉ちゃん。

「もしもし」

 電話の相手は野沢先生だったようだ。

「先生?先生、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい、先生」

 泣きながら謝っている哀れな姉ちゃん。親に初恋をブチ壊されるなんて、どんな気持ちだろう。受話器をひったくる父さん。

「おい、貴様!うちの娘に何をしたんだよ!言えよ!」

 先生はきっと何でもないと言って、姉ちゃんをかばおうとしていたんだろう。父さんには通じない。

「うちの娘もいずれは嫁にやるんでね。そんな時に40オトコと付き合いがあったなんて知れたらまずいんですよ、分かりますか?あんた」

 失礼を極める父さん。

 痛くて泣いている姉ちゃん。

 ヒロインになってエキサイトしている母さん。

 どうしようもないあたし。

 変な、あたしたち一家に侮辱され、ひたすら耐える野沢先生。

「とにかくもう二度とうちの娘に近づかないでくれよ!」

 電話を叩き切り、姉ちゃんをもう一発殴る。

「お前!二度と野沢に近づくな!」

 

 初めての恋を親に踏みにじられた姉ちゃんは、さびしい悲しい眼差しの少女になった。満たされない心を埋めようと、勉強ばかりしていた。だが成績が上がれば上がるほど、空虚な顔つきになっていったよ。学年トップだって。すげー。

 父さんと母さんは満足そうだった。             

「あんた、二度と馬鹿な事しないでよ」

だの

「お前、野沢と会っていないだろうな」

と、しつこく聞いてはいたけど。そんな蒸し返すような事を言うなってーの。

 あたしにまで

「お姉ちゃんが誰と会ってるとか、教えてね」

とか猫撫で声出して、味方につけてスパイにしようとするし。別の高校の教壇に立つようになった野沢先生と姉ちゃんが会っていないのは、姉ちゃんを見れば分かった。

 あたしは遠い目をした無口な姉ちゃんが可哀想だったよ。うちはしばらく、野沢菜さえ食卓に乗らなかったさ。

 

 それからしばらくして、あたしの友達が3人うちに遊びに来た時の事。ちょうどあたし以外の家族が居なかった事もあり

「沖本さんの家を探検しよう」

という事になり、家のあちこちを3人は見て回った。そして姉ちゃんの机の引き出しを開けた時、ガラス箱の中に短い髪の毛がひとたば入っているのを見つけた。

「やだ、お姉さん髪の毛なんか取ってある」

「ほんと、やーねー」

「変な趣味」

 友達は気持ち悪そうに言ったが、あたしはそれが野沢先生の髪だと分かったので、何も言わずに引き出しを閉めた。侮辱して欲しくなかった。

 姉ちゃんにとって、それはたいせつな人の忘れ形見だった。

 

     ★

 

 中学2年生に進級したある日、学校の男の子たちのあたしを見る目が、急に変った事に気づいた。「へえ」っていうような眼差し。何だかよく分からない。が、軽蔑の眼差しでないのは分かった。よく目は口ほどにものを言う、と言うが、教室にいても廊下を歩いていても、男子はみんながみんな、あたしを「へえ」という目で見ていた。

 程なく理由が分かった。年頃で暇で(ついでに馬鹿な)男の子たちは、身体測定の全校の女子の結果を比較し、校内でいちばんスタイルが良いのがあたしだと判明した、という事だった。

 それこそ「へえ」だった。初めて何かで「いちばんになれた」のだから。そりゃ、悪い気はしないよ。

「沖本って均整取れているよな」

「全校女子でいちばんだもんな」

「スタイルも良いけど顔も綺麗だよ」

「そうだ、そうだ、沖本は美形だよ」

「声も綺麗だよ」

等々、褒め言葉も尽きなかった。

 それまで家でもどこでも、ダメ出しばかりされ続けたあたしが初めて「むやみに褒められた瞬間」だった。変に自信を持っちまったよ。あははははははは。

 彼らの期待に応えなくては、と思った訳ではなかったが、その頃あたしはお洒落に夢中だった。まあ年頃だったしね。制服をちょいとアレンジしてウエストを細く見せるように縫いつけたり、薄くファンデーションを塗って登校した。男の子たちはますます「へえ」という顔をした。そして彼らはどんどんあたしに近づいてきたよ。

「俺と付き合ってくれ」

とか言いながら。同時に何人も何人も来るから、あたしはすっかりのぼせあがっちゃったよ。

 その頃には、あたしはもう「結婚出来ないような体」ってどんなか分かっちまっていた。

                            

 その日、あたしは学校をサボり、自分に言い寄って来る男の子の中で「いちばんレベルが高い」と判断した(どういう基準だ!)男の子と「ある約束」をして彼の部屋へ行った。そして「痛い体験」を済ませ(本当にわめき散らすほど痛かった)、家に帰ってきた。

 学校を無断欠席した事は、あっさりばれていた。しかし「もうひとつの事態」も極めてあっさりばれていた。母さんは、しくしくと泣きながら言ったよ。

「あんた、今日学校さぼって男の子の家に行っていたんだって?」

 それがどーした!

「あんた、その男の子とセックスしたんだって?」

 母さんは「セックス」に重きを置いて言った。へ?何でばれたんだろう。あいつ、そんな事言ったのかな?あたしは処女をゴミ箱に投げ捨て、脱皮したような、おめでたいような、フワフワした気持ちだった。悪かったなんて、これっぽっちも思っちゃいなかったよ。

 母さんはいつまでも「見ろ、この悲しんでいる姿を」と言わんばかりに泣いていた。

「あんた、もう結婚できないからね。もうおしまいだからね」

とも言っていた。

 そしてその日からこう言うようになった。

「あんた、まさかと思うけど妊娠しているんじゃないでしょうね!」

 暴言に新しいメニューが加わった訳だ。

 

 母さんが来る日も来る日もあたしの腹部を睨みつけてる。超能力者かいな。仮に妊娠していたとして、あんたが睨んだら宿っている赤ん坊がいなくなるんかいな。

 あたしは母さんなんか、完璧に馬鹿にしていたよ。睨めばいいってもんじゃないよ!何も分かっていないくせに、バカババア!

 

 父さんは家族とはいえ、一応異性のあたしに

「男遊びしてくれるなよ」

とは言いにくかったんだろうね。気味の悪い生き物を見るような目であたしを見ていたよ。早く消えてくれってばかりの目でね。あたしゃ畳の隙間から這い出てきた新種の昆虫じゃないんだよ。

 あたしは父さんも完璧に馬鹿にしていたよ。ハプニングに対応できず、ハーハーため息ばっかりついて!バカ中年!

 

 姉ちゃんは

「化粧すると肌が荒れるよ」

と言った。心配すんな!あたしゃどうせユウレイだ。肌なんか荒れねえよ!あはははははは。あんたこそ、夜中まで勉強してると肌に悪いよ!

 あたしは姉ちゃんも完璧に馬鹿にしていたよ。勉強する以外に、自己主張も出来なければ、逃げ道も作れないんだからね!バカ高校生!

                                                        

 もともと家の中で孤立していたあたしが、更に孤立しちまった。もはや、家族であって、家族ではなくなっていた。あたしひとりと、あとの3人、になっていた。

 

 母さんは来る日も来る日も言った。

「今日も学校に呼び出された」

「あたしが先生に怒られた」

「顔から火が出そうだった」

「あたしは何も悪くないのに、どうしてこんな目に遭うのよ」

「あたしは被害者よ。あたしこそ被害者。あんたが加害者」

 そしてこうも言った。

「あんたは小学生くらいで死んだものと思っているからね!」

 今度は死んだタイミングが「幼稚園」が「小学生」になった。何回殺すんだろうねえ。

 

 学校から帰って来たあたしの顔を見るなり父さんが言う。

「今日、無言電話あったぞ」

 だから何だい?悪い事は何でもあたしのせいなんだね!出掛ける時は

「二度と帰って来るな」

って毎回言うし。

 

 学校から帰ったあたしの顔を見るなり母さんが言う。

「あんた、何でここに帰って来るの?」

 じゃあどこに帰りゃいいんだよ!出掛ける時は

「あんたなんて死ねばいい、居なくなればいい!」

って毎回言うし。ったく、よく似た夫婦だねえ。

 

 当時、あたしはよく手鏡を持ち歩き、しょっちゅう見ていた。中学生がそんな事をしているのだから、周囲には奇異に映ったらしい。だが、あたしは何も自分の顔が大好きで、頻繁に見とれていた訳では断じてなかった。

 あたしはね、その頃、ずっと自分が透明な存在に思えてしょうがなかったんだよ。だって小さい頃から、死んだものと思っていると、ほぼ毎日言われていたのだから。

 鏡を見て、後ろの景色の中に自分が確かに映っているのを見て、ああ、あたし透明じゃない。写真を見て、確かにあたし写っている、ああ透明じゃない。そう安堵した。そして何か派手な事をやらかしてみんながあたしに注目すると、ああ、あたし透明じゃないんだって嬉しくてしょうがなかった。

 そういう確認の仕方をするしかなかった。きちんと成長しきれなかったあたしは、年齢よりずっと子どもだった。幼稚な子どもが、ひたすら自分を守っているのだと分かってくれる人はいなかった。

 周りのみんなはさも不思議そうにあたしに聞いたよ。

「沖本さんってどうしてそんな風にするの?」

って。

「鏡ばっかり見て」

とかね。分からなかったんだろうね。どうしても、どうしても、分からなかったんだろうね。派手な格好をし、化粧をして学校へ行き、素行の悪すぎるあたしを、誰も理解なんて出来なかったんだろう。

 聞かれるたびに黙っちまったよ。答えたって、何を言ったって、どうせ誰も信じてくれないし。前に信頼する先生や友達に相談したけど、まともに聞いてくれなかった上にひどい事を言われて傷つけられたしね。テレビの見過ぎだ、とか。

 もしかしてこの子の言う事が本当の事かも知れないと思ってくれた人なんて、ひとりもいなかった。みんながみんな、あたしがおかしいと言い切って、みんながみんな、あたしを嘘つき呼ばわりした。本当の事を言うたびに嘘つき呼ばわりされるこのじれったさ、分かんないんだろうねえ。あんたらはこういう目に遭わないんだろうねえ。

 みんなは「どうしても腑に落ちない」って顔をして聞いてきたよ。

「沖本さんってどうしてそういう風にするの?」

 あたしはひたすらその質問には黙った。

「ねえ、どうして?どうしてそういう風にするの?」

 黙って耐えた。そう、言ってもしょうがなかった。

 そして、あたし自身は腑に落ちていた。

 

 窒息しそうな日々は続いていた。本当に窒息しそうだった。いつになりゃ、楽に呼吸できる日が来るんだろうと思っていた。

 好きな数学さえ勉強しなくなっていった。ドンピシャリと合う瞬間なんて、もうどうでもよかった。数学につられるように、ほかの教科の成績も、どんどん下がっていった。

 友達がタバコを勧めてきた。素直に吸ってみる。ゲホゲホにむせ、大人っちゅうのは何でこんなものを好きこのんで吸うんだろう、どっかおかしいんじゃないの?と本気で思った。が、すぐ立派なニコチン中毒になった。そして吸わない友達にタバコを「勧める側」にまわった。

 酒やシンナーにも手を出した。脳がしびれる感覚に酔った。嫌な事を瞬時に忘れられた。

 化粧品や派手な洋服を次々に万引きし、こんなんで捕まる人なんて馬鹿じゃないの?と仲間とせせら笑った。

 そう、仲間が出来たんだ。みんな何かしら、どうしようもない不満を持った子たちだった。初めて本当の友達が出来たような気がしたさ。欲しかった仲間に囲まれ、群がってくる男に囲まれ、つらい現実を忘れた。

 化粧映えする自分に酔いしれ、スーツが似合う事にうっとりした。足の痛みに耐え、万引きしたハイヒールで颯爽と歩いた。ふくらはぎがキュッと上がるのがたまらなかった。道行く人がみんなあたしを振り返り、味わった事のない高揚感に胸が躍る。

 知らない人が通りすがりに

「お姉さん、綺麗だね」

と囁く。自分が絶対に中学生に見えない事が誇らしく、鼻高々で闊歩した。

 男は次々寄って来る。本当に次から次へと。あたしってこんなにもてたの?ってくらい。実際はもてていたのではなく、ただ欲望を満たしてくれるから寄って来ていただけなんだけどね。ただ、男の子たちは誰もあたしを罵倒しなかったよ。それはそれはよく褒めてくれた。美形とか、スタイル良いとか、声が綺麗とか。

 つまり罵倒ばかりする家族より、あたしの体を触りに来る男の子たちの方がまだマシな存在だったんだよ。

 理解できない同級生たちは、あたしを「OL中学生」と呼び、羨望と軽蔑の混じった目で見た。

 

 あたしは

 周囲が驚く勢いで

 あっという間に堕ちた。

 

 堕ちていくのは楽しかったよ。みんな慌てふためいて何とかしようとするけど、どうしようもなくて手をこまねいてやがる。先生も親も、アタフタしてやんの。

 特に親!ハハッ!おかしいったらありゃしない!!ほんの少し前まで、あたしがこの状況を何とかしようとあがいていた。それが逆転しちまった。

 あたしは勝ったんだ!この姿は勝利のポーズだよ!

 そう!あたしのほうが強くなったんだ!ようやく毎日が楽しくなった。ずっと不愉快な人生だったけど。

 そう、天まで届くような楽しい毎日と、楽に呼吸出来る日々がやっと手に入ったんだ!

 

 母さんは当初、さあ!ここぞ母親の出番よ!とばかりに張り切ってあたしを説得した。

「何か吐き出したい事があるんじゃないの?」

だと!あたしがいちばん吐き出して、捨ててやりたいのはあんただよ!

 

「学校で何かあったの?」

だと!学校じゃねえよ!家だよ、家!あたしの抱える最大の問題点、癌は家なんだよ!!それもあんたたち、親!今すぐ手術して取り除きてえ癌はオマエラ親なんだよ!!

 

「友達と何かあった?」

だと!友達じゃねえよ!お前ら親だよ!自分に原因は一切ないと思ってやがるんだから始末わりーよ!痛くもねえ腹探られて迷惑だよ!

 

「おばあちゃまが悲しむわよ」

だと!もうばあちゃんは死んでっからね、悲しまないよ!!いつまで引きずるんだい?

 

「あんたはお手軽な女だから男が寄って来るのよ!尻が軽いから!」

だと!あたしゃどうせ命さえ軽いんだろ!あんたの言う事、ひとつも当てはまんねーよ!

 

「あんたのひいお爺さんは、銀行の頭取をしていたような人なのよ」

だと!それがあたしとどういう関係があんだよ!行為を咎めるならまだしも、あんたの場合、プライドの掲げ方が違うんだよ!そこでそんなプライド振りかざすなよ。

 それにあんたにプライドがあるように、あたしにもプライドってあんだよ!小さい頃からあたしのプライドを散々傷つけておいて、何がひいお爺さんだよ!ひいお婆さんは何をしていた人なんだ!揃いも揃って、ひいひい言わしたろか!

 

 煙草をブカブカ吸うあたしに母さんが言う。

「あんた、煙草は百害あって一利なしよ!」

 体罰だって百害あって一利なしだよ!

「あんた、おばあちゃまが煙草吸っていた時に、フーッて吹きながら手で扇いでいたじゃない」

「だから?」                 

「だからそうしていたじゃない」

「だから何?」

「だからそうしていたじゃないって言っているじゃない」

「だから?その先言ってみて」

「だから…だから…煙草嫌いだったじゃない」

「今は好きだから吸っているんじゃん」

 …整然と反論したあたしに絶句し、口をパクパクさせる母さん。急に開き直ってこう言った。

「1本もらう!」

 そして勝手に1本取り出し、ライターで煙草を炙りながら火を付ける。ボーボー燃えてあぶねーだろ!ったくもー!違うよ。煙草ってのは口に銜えてライターの火を先端にあてがい、吸いながら火を付けるんだよ。相変わらずアホだねえ。

「今日から毎日1本ずつもらうから!」

だと!それで禁煙するとでも思ってんのか!ってか、親が子どもに取る態度じゃないんだよね。まず自分が子どもになって甘えて来るその態度。もう嫌だよ、クサレババア!!!

 

 学校から帰ってきたあたしに母さんがまた詰め寄る。

「ねえあんた、何でこの家に帰って来るの?」

 黙れドアホババア!お前こそどっか行け!

 

 出かけようとするあたしの格好を見て、母さんがまたわめく。

「どうしてそんなに胸を強調するの?!」

 胸元にブローチ1個付けただけでそんなに言うかよ。どこまで人の神経逆撫でするんだよ、このババア。もう黙れよ!死ねよ!!

「もう二度とこの家に帰って来ないでよ!」

って、捨て台詞もいらねえよ。

 

 風呂上がりにドライヤー使って髪を乾かしていたらこう言った。

「中学生がドライヤー使うなんて考えられませんって美容院の人が言っていたわよ」

 バーカ、それはホットカーラーだろ!テメエ、英検2級取っておきながらドライヤーとホットカーラーの区別もつかねーか!ドアホ!頭直せ、このぼんくらババア!ドライヤーなんて小学生だって使うんだよ!髪が濡れたままだと風邪引くだろ!

 

 飲み残しのジュースを流しに捨てたらこう言った。

「あんた、酒なんか飲んで」

 酒じゃねえよ、ジュースだよ!匂い嗅いでみろよ!バーカ!蓄膿症かよ!

 

 好きな煙草の銘柄は「ジョーカー」だった。チョコレートっぽい味がして、細くて長くて、あたしに似合ってるって思ったよ。母さんが言う。

「あんた、洋煙(ようもく)なんか飲んで」

 ヨウモクって、ふっるい言い方するねー!!飲んで、とか。煙草は飲むんじゃなくて吸うんだよ!あーあーウケるぜ!ババア!!ヨウモクを飲むねー!!和モクならいいのかい?あはははははははははははは!!!ヨウモク!ヨウモク!

 

「美容院行くからお金頂戴」

と言ったら

「パーマは駄目よ」

と即答する母さん。誰がパーマかけるって言ったんだよ、ドアホ。

「どうするの?」

って聞いてくれるならまだしも。何でそう人の神経逆撫でし続けるかねえ。

 

「水飲む」

と言ったら

「ビールなんて駄目よ」

と言う母さん。誰がビール飲みたいって言ったんだよ!聞き違いもたいがいにしろよ!耳掃除しろよ!耳垢ババア!

 

「生理用品買ってくるからお金頂戴」

と言ったら

「あんた生理来たの?」

とのたまう母さん。頷くと

「あー!良かった!!」

と大声で言う。要するに妊娠していなくて良かったって言いてーんだろう。どこまで人の神経逆撫ですれば気が済むかねえ。もういい加減にしてくれ。

 

 元々干渉し過ぎの母さんが、輪をかけて干渉するようになった。朝も

「話があるの」

と言って、あたしを早めに起こして説教しやがったし(眠くて聞いちゃいねえよ!)、夜も寝ているあたしの布団へもぐりこんできて、延々と説教をこいたし(うるさくて寝らんねえよ!)、そりゃあ頑張ったよ。

「マリは元々気が弱いし、強く言えばすぐひるむわ」

 父さんにそう言っているのが聞こえたしね。

「裁判の時だってそうだった。強く出ればいいわ。強く出れば」

とかね。

 母さん、甘いよ!あたしゃ叔母さんと違って、ばあちゃんの財産目当てにグレてるんじゃないんだよ!あはははははは。それに母さんは裁判に負けたじゃん!

 自分の意に反し、まったくひるまずワルサをやめようともしないあたしにじれ、今度は泣き落としにかかった。

「マリは元々情に弱いし、泣けば同情して言う事を聞く筈。今までもそうだったもん」

と姉ちゃんに言うのも聞こえた。だが、これ見よがしに床で泣きくずれている自分を、平気でまたいで遊びに行っちまうあたしに驚愕した。

 母さんの説教も、嘘泣きも、まったく効かなかった。あたしは全然心なんて痛まなかったよ。あたしの心からの訴えに、本当の涙に、まったく応えてくれなかった母さんだからね!

 何を思ったか

「父さんの会社に行って、父さんが働く姿を見せればいいんじゃないのかしら。そうすれば父さんを尊敬するようになるんじゃないのかしら」

とかほざくし。バーカ!そういう問題じゃねんだよ!頭使え!頭!!脳みそはどこだ!

「どうして普通に出来ないのよ。みんな普通にしてるじゃない」

だと!それはうちが普通じゃないからだよ!普通の親じゃないからだよ!

 所で、あたしが不良になったらあたしを殺して自分も死ぬんじゃなかったのかい?早く殺せよ!出来ねーくせに!!

 

 そしてハプニング対応出来ない父さんは、呪文のようにこう言った。

「男の子は勉強の出来る女の子が好きなんだよ」

 あほ抜かせ!あたしが生まれて自分がどんなに迷惑してるか考えろと言ったのは誰だ!だったら勉強なんてしたってしょうがねーだろ!生きているだけで迷惑で邪魔なんだろ!断言するんだろ!だったら迷惑ついでにもっとぐれてやらあ!

「誰のお陰で学校行ってる?誰のお陰で生活してる?」

ってまだ言うかよ!貧乏サラリーマン!公立でっせ!義務教育でっせ!

 

 そしてその頃から父さんと母さんが、ぴたっと喧嘩をしなくなったんだよ。あんなに毎日大喧嘩していたのに、不思議でたまんなかったよ、どういう訳だい?遅く帰ったり、無断外泊をしたり、男の子と遊んだり、段々やらかす内容が派手になればなる程、二人は団結していった。

 おーおー、そうやってあたしの事を二人で仲良く相談していてくれよ。喧嘩していられるよりずっといいよ。ずーっとね!!

 

 あたしは大人になってから知ったが、父さんが毎晩寝る時に母さんをねちねちいじめていたらしい。

「お前が悪い、お前が。子どもたちを焚き付けるから。お前が全部悪い」

 眠りつくまで父さんはそう言っていたそうだ。母さんはそれが嫌で、何とかしようと焦っていたらしい。決して二人は仲良くなった訳ではなかった。

 

 14歳のあたしは体だけデカくて、心は幼稚なまんまだった。母さんは焦り狂いながら怒鳴り続けた。

「あんたは死んだものと思っているからね!」

 じゃあ、何していてもいいんでしょ?何していても!何していてもね!

 

「そんな事するなら死んでよう!お願いだからもう死んでよう!ほらあ!死んでったらあ」

 お前こそ死ねよ。ババア。もうじゅうぶん生きただろ!

 

「最悪よ!あんたもうおしまいよ!今度こそ本当におしまいよ!」

 何回あたしを殺せば気が済むのかい?それにおしまいって普通1回でしょ?あんたの「おしまい」はエンドレスじゃん !

 

 所有物じゃねえよ、あたしゃあんたの所有物じゃねえんだよ!所有物が自分の意志を持って何かするのが許せず我慢もならないなんて、おかしいんだよ。支配の下でしか何も出来ないのかい?んーなん、おかしーだろ!過支配、過干渉、過剰反応、猿芝居、交換条件、価値観の強要、もううんざりだよ!

 家が居心地良きゃ居るけど、居心地悪いから居たがらないんだよ!無条件に何かしてくれた事なんていっぺんもねえじゃねえか!いつもいつも何かしら交換条件振りかざして、思い通りにならなきゃヒステリックにわめいて、被害者づらして、脅して、罰則掲げて、否定ばっかりして、自制心壊れてんの、お前らだろ!どっかおかしいのもお前らだろ!おかしーだろ!おかしーだろ!!!

 何故そうしなくてはいけないのか、またはどうしてそうして欲しいのか、説明してくれた事なんて1回もねーじゃん!

「どうして?」

と聞いても

「どうしても」

としか答えてくれないし

「なんで?」

って理由聞いているのに

「なんでも」

って答えにならない答え返してくるばっかりだし。理由もなく従わされるこっちがどんなに嫌な思いしているか考えてくれよ。世間体ばっかり気にして、肝心のあたしの気持ちなんて考えた事もないんだろうが!どんなに傷つけても自分の所有物だからいいんだ!くらいに思ってんだろうし!散々傷つけられて、ズタズタになったあたしを、周囲は支えるどころか、あたしが悪いって言い続けてもっと傷つけるし、親は親で漬物石みたいにずっしり乗っかって、身動き取れないようにした上に

「言う事を聞けー」

とわめくわ、暴力振るうわ。それのどこが躾なんだよ!

 父さんは相変わらず

「口で言って分からないなら、体で分からせる!」

って暴力を正当化しているし、勝手に決めておいて

「約束だろう」

とか言っていた事もあったし。終わりのない我慢なんて出来ねーよ!今まで我慢したならこれからも一生我慢しろってか?ふざけんな、ばーか!どっちが加害者だよ!何で分からないんだよ!低能!!

「黙れ!黙れ!お前、誰のお陰で学校行ってる?誰のお陰で暮らしてる?」

ってもう聞き飽きたよ!黙れってこっちのセリフだよ!

 

 正月に、親戚の所に行くからお前も来いっつーから支度してやったっつーのに、あたしの格好を見た途端に

「何なの、その格好は!いかにもツッパリじゃない!!」

とぼざくし。わりーかよ!化粧きめて、タイトスカートきめて、金色のサンダルきめて、わりーかよ!

「だって本当の事じゃん、何が悪いんだよ」

って言ってやったさ!母さんだって何回もあたしにそう言ったじゃん。そしたら

「本当の事言えばいいってもんじゃないよ!」

とわめくし。その言葉、そっくりお返しするよ。あたしがやめてくれと言う事を強行してから、決まってそう言ってたじゃん。結局あたしを置いて、3人で親せき廻りするんなら最初から支度させんなよ。バーカ!

「あんたなんか恥ずかしくて連れていけない!」

って、捨て台詞も余計だよ。                                                 

 

 そうそう、同じクラスの大村マチコとは特に仲良くなったよ。マチコもあたしと同じで、親の暴力に苦しんでいた。

「お前なんか大村家の犠牲になって当たり前だ!」

と言われ続けて育ったそうだ。

「お前、病気するなよ。金がかかるから」

だの

「事故で死んでね。お金になるから」

とか。酷いよねー。実の親が言う事かね!ってか、人が人に言う言葉じゃないよね!

 マチコのお母さんはよくこんな事も言っていたそうだ。

「あんたを宿したって分かった時、毎日首まで冷たい水に浸かっていたのよ、産まれないようにね」

 びっくりし過ぎて絶句するマチコに、お母さんは更にこう付け加えた。

「なのに産まれちゃった」

 産まれちゃって悪かったね!マチコはずっとそう思っていたそうだ。お母さんはマチコが小さい頃、崖から突き落としたり、車の通りの多い所にドスンと突き出したり、散々死ぬように死ぬように仕向けたそうだ。

「なのに生きちゃってる」

 生きちゃって悪かったね!マチコは悔しくてたまらなかったそうだ。

 あたしとマチコは、心から分かり合えたよ。学校の帰り、一緒に道草食った後、地獄みたいな家に帰る際に、必ず笑顔で頷きあったしね。

「お互い頑張ろう」

「お互い生き抜こう」

って無言の合図だった。

 マチコはあたしの悩みを初めて本当に理解し、心から信じてくれた友達だった。嘘つき呼ばわりなんて1回もされなかったよ。あんたってどうしてそうなの?って聞かれた事もいっぺんもなかったしね。ああ、この世の中にあたしの話を信じてくれる人がいたんだ、って本当に嬉しかった。

 学校に行けば、明日も明後日もマチコに会える。マチコと話が出来る。お互いどんどんグレながらも、お互いが心のオアシスみたいな存在だったさ。あたしが初めて持った親友がマチコだった。マチコもきっとそうだったろうな。

 

 家に帰ってきたら、父さんと母さんがあたしの部屋を「がさ入れ」している真っ最中だった。まったく姉ちゃんの部屋をがさ入れしたかと思えば、今度はあたしの部屋かよ。

「勝手に部屋を荒らすんじゃねえよ!」

って怒鳴ってやったさ。二人が同時に振り向いて、口々に怒鳴り返してきやがった。

「お前、見られて困る物を持っているなよ」

「あんた、これ何よ!何でこんなにいっぱいあんのよ!」

 万引きしたスーツや化粧品の事を言っているのだった。

「友達にもらった」

 平気で嘘を言った。一切心は痛まなかった。

「嘘!どこかから盗んできたんでしょう!」

 だったら何だっつーの!母さんが手に余る洋服や化粧品を、次々に紙袋に詰めている。

「どうする気?」

「捨てるわよ!こんなもの!汚らわしい!」

 母さんが紙袋ごとリビングに行っちまう。本当に捨てるのかね?って思った。

「お前さえ生まれてこなければ、俺たちは幸せだったんだ!」

 父さんが怒鳴り、リビングに行っちまう。そうかねえ?あたしが生まれる前はあんたたち、幸せだったの?ったくよ、着る服がなくなっちまったから、また万引きしなきゃいけねーじゃん。あほ!

 

 母さんがあたしの部屋に、青ざめた顔で来た。

「父さんが、あんたにこれ渡せって」

 手には3万円が握られている。

「こづかいが少ないから万引きなんかするんだろうって」

 ラッキー!てなもんよ。悪い事(一応悪い事って認識はあった)した上に、3万ももらえるなんて。遠慮なく受け取ったよ。

 母さんは「どう接していいか分からない」って顔のまま、茫然と立っている。ぴしゃり!襖を閉めてやったさ。あんただって何回もあたしを閉めだしただろ!

 

 母さんがあたしの部屋に「入り浸って」いる。うぜーよ。早くリビング行ってくれよ。ここはあたしの部屋だろーが。部屋の押し入れの中に、父さんの着替えやら何やらが入っているにしても。何か言いたそうな、何て言えば分かるだろうかってそのツラ、やめてくれよ。いつまでそこにいるんだよ。

 …って思っているとやっと口を開いた。

「どうすればやめる?」

「は?」

 主語も述語も、何もねーから分かんねーよ。

「だから、どうすればやめる?そういうの」

 また言う。

「そういうのってどういうの?」

と聞き返したら、また不機嫌満々で言うんだよ。

「だから、そういうの」

 主語を言え!主語を!!

「そういうのをどうすればやめるの?」

 主語がねーんだよ!万引きか、化粧か、男漁りか、夜遊びか、主語を言えっつーの!金を渡せばやめるとか何とか言わせてーのかよ!逆交換条件だろ!あほ!

 …黙っちまう母さん。あーあー、うぜー、早くあっちへ行けええええ。…と思っていたら、今度は別の角度から来やがった。

「大村マチコさんと付き合うの、やめて」

「は?何で?」

「なんでも」

 答えになってねーだろーが。

「どうして?」

「どうしても」

 また始まったよ!「どうしても攻撃」と「なんでも攻撃」。

「大村マチコさんと付き合うと、あんたがおかしくなるから。だから」

「マチコはあたしの大事な友達だよ」

 母さんは断固として譲れないって感じで言う。

「とにかく、大村さんと付き合わないで。電話ももう取り次がないから」

 そして部屋を出て行った。勝手な事言うなよバーカ。用がありゃ電話くらいくんだろ。

 

 だが母さんは、マチコからの電話を本当に取り次いでくれなくなった。マチコだけじゃない。あたし宛ての電話は一切取り次いでくれなくなった。

「いませんよっ」

と受話器を叩きつけるように切る母さん。

「約束でしょ?」

だって、そんな約束してねーよ。勝手に決めておいて何が約束だよ!あたしの友達はみんなこう言ったよ。

「マリに用事があって電話しても取り次いでもらえないんだよね」

「マリのお母さん怖いからさ」

「この前マリとただ話したくて電話したら、マリのお母さんに、御用件は?って聞かれちゃって、別にってつい言ったら、じゃあ居ませんって切られたわ。じゃあ居ませんって…」

って、散々言われたよ。

 こっちも母さん宛の電話を切ったろか!

 

 リビングでだらだらとテレビを見ていたら、母さんが見るに見かねてという感じで言った。

「あんた、もうすぐ受験って認識あんの?」

 ねーよ、ねーよ、それがどうした。

「マリ、あんた、高校へ行かないんだったら、そのテレビを見なさい」

 んな事言われて、誰がテレビ消して受験勉強するかよ。知らん顔して見続けてやった。

 しばらくして母さんは言った。

「そう、あんたは高校へ行かないのね」

 おーおー、そうだよ。なんせユウレイだからね!

 

 母さんがケーキを3個買ってきた。これ見よがしに父さんと姉ちゃんと仲良く食べてやがる。

「あんたにはないよ。あんた、あたしの言う事聞かないから」

だと。ハハハハハ!ケーキくらいでひがむかよ!ガキじゃねえんだ!

 

 母さんがあたしの髪飾りと好きなアイドルの切り抜きを勝手に捨てた。

「あんた、あたしの言う事聞かないから、あたしもあんたの言う事聞かない。あんたの好きなものひとつずつ取り上げていく。しまいに何もないようにする」

だと。

「それが嫌ならあたしの言う事聞きなさい」

 誰がてめえの言う事聞くかよ。バーーーカ!こっちもてめえの仕事の道具を捨てたろか。

 

 母さんがまたわめく。

「こんな恥かかされる毎日もううんざりよ!死んだほうがましよ!!」

 だから言ってやった。

じゃあ死ねよ

 母さんが、まさかこんな答えが返って来るとは思わなかった、という顔をする。

「あんた、あたしが死んだらどうするの?」

 間髪入れずに言い返す。

「喜ぶ!」

 口をパカッとあけたまま、絶句してやんの。面白いから何度も言ってやったさ!

「喜ぶ!喜ぶ!喜ぶ!喜ぶ!!!」

「それ本心?」

「もちろーん!」

「じゃあ死ぬ!あたし本当に死ぬ!」

「おう、死ねよ!未遂ではなく確実に死ねよ!」

 高らかに笑うあたし。涙の出る嘘泣きで頬を濡らしてみせる、わざとらしいアホ面母さん。勝った!勝った!あたしの勝ちいいいいい!!!

 …夕方、電気も点けずにソファに座っている母さん。右手にカミソリ、左手首に切った跡。わずかに血が出ている。さあ見ろ、自殺未遂したんだ、と言わんばかり。

 知らん顔でカップ麺を作り、部屋で食う。食い終わってカップを捨てに来たら、まだ同じ格好でいる。じっと動かない母さん。わざとらしいんだよ!自殺未遂なんて初めてじゃねえだろ!本当に死ぬ気があればもっと深く切れよ!まして、人前でやるなよ!

 父さんが帰って来て

「どうしたの?」

と聞いている。

「マリが、マリが…。あたし被害者よ」

と母さんが答える。おーおー、珍しく慰め合っちゃって!バカ夫婦め!

 

 夜、ベランダに出た。ふと振り返ると、父さんが中から突っ立ったままあたしを見ていた。「お前なんか居なくなればいい。こいつが入って来なければいい」って目をしてる。そのまま、すっと窓に近づき、鍵をかけた。しかもカーテンまでさっと閉めやがる。

 アダルトチルドレンめ!てめえの考えている事なんかミエミエだ!そんな事であたしを閉め出せるとでも思ってんのか!

 硝子戸を力いっぱい叩く。

 ガンガンガンガン!割る勢い叩く。

 ガンガンガンガン!慌てて窓を開ける、低レベル父さん。窓ガラスが割れるのが困るだけだろ!

「気がつかなかった」

なんて言い訳するな!目があっただろ!目が!!てめえ相変わらずハプニング対応出来ないアホ中年だな!よくそれで仕事出来るな!誰かに手伝ってもらってんだろ!!

 

 部屋でブカブカたばこを吸ってから寝た。会社から帰ってきて、着替えをしにあたしの部屋に入って来た父さんが、

「わ!モウモウじゃないか!」

と言って窓をどんどん開ける。

「肺癌になってしまう」

とか、ひとりで喋っているし。おーおー肺がんになれよ、それで死ねよ、うるせーよ!

 

「お前、そこ座れ」

 父さんが言う。忠犬ハチ公じゃねえよ、と思いながらも座る。

「お前、どういうつもりだ」

 どうもこうもねえだろ!と思ったら、母さんが口を開く。

「あんたのせいであたしたちが、どんなに肩身の狭い思いをしてると思ってんの?」

「お前、どうするつもりだ」

「あたしが近所の人に何て言われているか、どんなに耐えているか分かる?」

「お前、これからどうするつもりか言ってみろ」

「お姉ちゃんだって大学受験なのに」

「早く言え」

「あんただって受験あるじゃない」

「質問に答えろ」

 …矢継ぎ早に、しかも二人で交互に言うなってーの。混乱するだろ!ただでさえ頭わりーのによ!

「俺の質問に答えろ」

「あたしが何回学校に呼び出されたと思ってるの?」

 お子ちゃまだねえ、二人とも。あたしゃ呆れて黙ってたよ。

「お前、今からでも勉強すれば、バラ色の人生が開けるかも知れない」

 バカジジイ、オマエの口から「バラ色の人生」なんて言葉が出てくるなんて、ちゃんちゃらおかしいぜ!

「バラ色の人生ってどんなの?」

って聞いてやったさ。

「バラ色の人生ってのは、良い学校を出て、良い会社に就職して、良い男と結婚して子どもを持つ事だ」

 父さんが自信満々で答え、母さんも横でウンウンと頷いている。そこだけは一致しているんだねえ。

「あんたらは、バラ色の人生?」

って聞いたら

「灰色だ。お前のせいだ」

だってさ。

「じゃあ学校出ても、会社に就職しても、結婚しても、子ども持ってもしょうがないって事じゃん」

「だからお前のせいだ」

「そうよ、あんたのせいよ。どうしてくれるのよ。こっちは被害者よ。」

 どうもこうもねえだろ。あんたら、あたしをどういう育て方したんだよ。父さんと母さんは、まだ睨みつけている。

 本当の加害者は、あんたらじゃないのかい?そして今日は自殺未遂しないのかい?

 

「あんた、そこ座んなさい」

 母さんが言う。父さんと夫婦茶碗よろしく、ソファに並んで座っている。

「あんた、おかしいのよ」

「そうだ、お前がおかしい。断言する!」

「あんた、病気よ」

「そうだ、頭がおかしいんだ。断言する!」

「あんた、病院へ連れて行ってあげる」

「そうだ、キチガイ病院に入院だ!断言する!」

 また矢継ぎ早に、交互に言っている。ただ昨日と違って、今日は父さんと母さんの言う事が合っている。お、さすが長年連れ添っている夫婦だねえ。いや別に、感心している訳じゃないよ。あははははは。二人はまだ被害者づらして、あたしを睨んでいる。姉ちゃんが台所で麦茶に氷を入れながら、背中で聞いている。

 もしかして、この家でいちばんまともなのは、あたしじゃないのかな。

 

 母さんがまたあたしの部屋に入り浸っている。何だよ、もーおーお。早くリビング行けよ。って思っていたらこう言った。

「あんた、今までどんな悪い事したか言ってみなさい」

「何で?」

「いいから言ってみなさい」

 あたしは勘違いしちまったよ。母さんがあたしに「歩み寄ろう」としているのかと。だから話したよ。万引きの事、男の子の事、化粧や髪形、おしゃれの事、友達をいじめた事。

 話が終わったら、母さんはさも気に入らなそうにウンウンと頷いてから、こう言い捨てた。

「あんたは死んだものと思っているから」

 そしてさっさと出ていく。…なんだよ、死んだものと思っていると言う為に、わざわざ言わせたのかよ。どういう思考回路になってるんだい?はー。こっちがため息つきたいよ。

 母さんて何の為にあたしを生んだのかなあ。死んだものと思っている、と言う為に生んだのかなあ。相も変わらず、あたしの頭の上は疑問符しか並んでいなかった。

 

 母さんがまたあたしの部屋に入り浸っている。死んだものと思ってんなら、どうして色々ごちゃごちゃ言ってくるんだろう、と思っているとこうほざいた。

「今日、遠藤君のお母さんに会った。うちの子は純朴な子でしたって言っていた」

「だから?」

「だから遠藤君は純朴な子だったって」

「だから何?」

「だから純朴だったって言ってるじゃない」

 それがどうした、その先言えよ、バーカ。純朴だったのに、あたしの影響で不純な不良息子になったって言―てーのかよ。ふざけんな、純朴と言えばあたしだって純朴な子だったよ。てめーの影響で捻じ曲がったんだろーが!まだ被害者づらすんのかよ。加害者のくせしてよ!  

 テレビドラマの金八先生に影響されて

「こんな先生がいてくれたらねえ」

とか言ってるし、だからどうした!15歳の母になっていないだけ良いと思え!

 

 化粧を済ませ、学校へ行こうとしたら母さんがつかみかかって来た。

「あんた!また化粧して!!!」

「うるせー!」

 蹴り飛ばしたが、しがみついてくる。

「その化粧顔で歩かれると近所であたしの評判が悪くなる!」

「知るか!」

 振りほどいたらスカートを掴んで離さない。幼稚園の子がお母さんのスカート掴んで駄々こねてるんじゃないだから!

「離せ!」

「嫌!あたしの評判が、あたしの評判が」

「てめえの評判なんかどうでもいいんだ」

「良くない!あたしの築き上げた華道家としてキャリアが」

「関係ねえ!」

 どうにも離さない母さん。どんどんしわになる破けそうなスカート。イライラするぜ!

 そこへ代休で家にいた父さんが突進して来てあたしを部屋に蹴り込んだ。腕力に訴えるしかない父さん。それだけはかなわず負けるあたし。悔しくて悔しくて張り裂けそうになる。

 ちょうどそこにあったテニスラケットで父さんを力いっぱい殴った。反撃してくると思わなかったのか、びっくりしている父さん。遠慮会釈なく殴ったった!このテニスラケットは、いつか箪笥の後ろに落ちていて、無くなった、お前が隠したんだろうと責め立てられたラケットだ。こんな時に凶器になるとは!

 まだ悔しい!有り余る怒りを抑えきれず、力いっぱい壁を蹴り続ける。ドスン!ドスン!ドスン!壁も襖も何度でも蹴ったる!!!

「やめろ!俺の家だ!俺の家だ!壊すな!壊すな!壊すなあああああああああ!」

 焦り、半狂乱でわめく父さん。壁に穴が開いた。襖もズタズタになり、中身が見えている。あれえ、壁や襖の中ってこんな風になっているんだねえって感心している場合じゃなかった。

「出てけ!出てけ!俺の家だ!俺の家なんだああああああ!!!!」

 へへ!ざまみろ!父さんのいちばん嫌がる事してやった!力づくでやめさせようとあたしに馬乗りになる父さん。

「お前さえいなければ、お前さえいなければ」

 母さんがまた言う。

「あなた、やめて。あなた、やめて」

 おーおーてめえの大好きな修羅場だよ!ねじ伏せられ、悔しくて、あらん限りの声でわめく。

 そうしたら、なんと!母さんがスカートの足を開き、あたしの顔の上にまたがったのだ!近所にあたしの悲鳴が聞こえたら困るからって、また体裁ばっかり気にして!手で口をふさぐならまだしも、股間でふさぐとは!

 薄い布たった一枚隔てて母さんのすえたような性器の臭い、尿の臭い、便の臭いをダイレクトに嗅がされた。

「臭い!」

と言ったら

「臭くてもいい!」

だと!信じらんねー事ばかりする母親だけど、この時も本当に信じられなかった。娘の口を股でふさぐかね?せめて手でふさげよ!テメエの股間はくせーんだよ!この人はあたしを人間扱いしていないと、何回目か分からないけど確信する。本当に酷い。

 その後部屋を出たら、父さんがあたしに殴られた腕をさすりながらテレビを見ていた。あたしの顔見てギクッとしてやんの。あははははは。またラケットで殴られると思ったのかい?望むなら殴ったるで!何がどうでもテレビだけは見るんだねー。

 

 母さんが狂ったようにお経を読んでいる。線香をバンバン炊きながら、大声で。

 そう、いつか小さかったあたしが幽体離脱した時のように、大声で読経し続ける。

 無駄だよ、母さん。お経読んでも線香炊いても、あたしの非行は止まらないよ。原因はあんたらなんだからさ。ついでに股間の臭いも消そうねー。

 読経後は、ばあちゃんの遺影に向かい、助けを求める。

「お母さん、助けて。マリはどうしてこうなったの?」

 無駄だよ、母さん。ばあちゃんは助けてくれないよ。どんな小さな出来事にも必ず原因と結果ってあるんだよ。そしてそれは絶対に合致しているんだよ。原因は、母さん、あんたなんだよ!よくよく考えてみ。あんたもあたしの嫌がる事散々したよね?さっきも股で口塞いだし。そんな事したら娘にどう思われるか、後々どうなるかなんて考えないんだろう。母親の股間の臭いを強引に嗅がされた娘がどんな思いをするか考えないんだろう。それはあんたがわめくから、と言い訳すればいいと思ってんだろう。

 だったらあたしがあんたの嫌がる事しても文句言えないよね?ねーっ?

 

 担任の先生から、あたしの髪が長いから、切るか結わえるか何とかしてくれと連絡があった。誰が切るかよ。長い髪をなびかせて歩くのは、イイ女のステータスだよ!

 父さんが力づくであたしを押さえ込み、母さんに言う、

「押さえているから切ってしまえ!」

「うん」

 母さんが頷き、ハサミを取りに行こうとする。こんな時ばかり夫婦で結託しやがって、滅茶苦茶に切る気だろ。みっともない髪形にされるなんてごめんだ!

「じゃあ高校行かない!高校行かない!高校行かない!」

 怒鳴ってやった。父さんの手が緩む。母さんもハサミを取りに行けなくなった。父さんの腕を振りほどいて言い続けた。

「高校行かない。高校行かない。高校行かない」

 先に変な交換条件したのはお前らだ!宿題しなきゃ飯抜きだの、言う事聞かなきゃ目の前にあるケーキ食わせねーとか。手も足も出なくなった二人を置いて外に飛び出した。

 何度も髪を手で触り、切られていない事を確かめる。

 

 繁華街をほっつき回り、夜中に帰ったあたしに父さんと母さんが詰め寄る。

「何時だと思ってる!」

 間髪入れずに言い返す。

「うっせー!バーカ!」

 父さんが激高する。

「誰のお陰で学校に行っている?誰のお陰で生活している?」

 また間髪入れずに言い返す。

「勝手に生んどいて、ふざけんな、バーカ!」

 父さんの右手と右足が唸り、滅茶苦茶に殴られ、蹴られる。事故の後遺症もなく、暴力が振るえるようになった訳だ。散々弱々しく吠えていたくせに!

「お前!出ていけ!」

「ああ出て行ってやるよ!」

 玄関に向かおうとすると腕を引っ張られる。

「どこ行くんだ!」

「出ていけって言ったろ!」

 父さんがまたあたしに馬乗りになる。

 母さんがこれ見よがしに言う。

「あなた、やめて、やめて」

 また始まった!演技過剰ババア!良い母親ぶりやがってドアホ!また股で口塞ぐか?

 

 ブチ切れた父さんがわめく。

「こんなん追い出したって、どうせどっかの不良にやられるだけだ。だったら、もう、いっそ、俺が」

 

 …は?あんた今なんて言ったの?

 その先は何?

 いっそ俺が、どうするの?

 実の娘に、中学生の娘に、言う言葉なの?

 

 いっそ

 俺が

 何を

 するの…?

 

 その夜、殺伐とした空気の中、家族全員が互いに互いを避けながら過ごした。

 父さんはあたしを滅茶苦茶に殴りはしたが、「そっちの手出し」はしなかった。いや、母さんと姉ちゃんの見ている前では「出来なかった」のか?ケツを出せなかった?それともあたしが抵抗しなければ「やった」のか?

 母さんと姉ちゃんが外出している時や、あたしが眠っている時だったら…?

 

 父さんの唯一の武器、それは腕力だ。

 あたしを抵抗できなくなるまで殴りつけ、蹴りのめし、

 その後、何を、すると、いうの…?

 

 …想像するだけで恐ろしい。と言うか、想像もしたくない。考えられない。そして誰にも相談できない。どうせこんな話など誰も信じてくれない。仮に信じてくれたとして、その人があたしに何をしてくれる。どう守ってくれる。それに変な目で見られるのはあたしだろう。悪く言われるのもあたしだろう。

 ああ、眠れない。眠っていはいけない。眠ったら父さんに何をされるか、本当に分からない。母さんも姉ちゃんもどうせ助けてくれないだろう。どうしよう。本当にどうしよう。どうすればこの家から、この劣悪な環境から逃れられる?どうすれば???もう、疑問符しか浮かばない。

 やはりこんな家、出るしかない。働いて金を作り、アパートを借りて逃げるしかない。

 ああ、誰か、誰でもいいから、誰か、あたしを助けて。ここから救い出して。あたしが中学生でなければ。どこか、あたしを雇って。この家から出して。働かなければ。何としても働かなければならない。住み込みなら?

 安心して眠りたい。家が最悪の場所だなんて。これから常に身構えていなくてはならないなんて。絶対に嫌だ。絶対になぶりものになどならない。絶対に性奴隷にもならない。冗談じゃない。こんな悩みと恐怖を抱えている中学生がどこにいるの?誰か、どうにかして、あたしを守って。

 いちばん信じられないのはこのあたしだよ。だが本当にやりかねない。小さい頃、風呂に入れてくれた時、体の洗い方が何ともねちっこくて嫌らしかった。にやけていたし。父さんと風呂に入るのは嫌だった。

 小学生の時も、強引に風呂の戸を開けてあたしの裸を見た。胸を、股間を、凝視した。力ずくでブルマーを脱がせるとも言った。

 次は、何を、されるんだろう。

 実の父親に、まさかそんな、信じられない。だがその信じられないような事ばかり起こるのがうちだった。明日の今頃、あたしは無事だろうか…?

 

 翌日、あたしは中学3年生に進級した。

 

     ★

 

 中学3年生ともなるとね、先生も友達も受験の事しか口にしなくなるよ。

 進路指導のたびにあたしは黙った。なんせぐれてる真っ最中だし、働くことばかり考えている訳だし。高校なんて、どうでもいいよ。働きてーよ、働いてアパート借りて、あの家を出てーんだよ。誰にもわかんねーだろうが、どうしても、どうしても、そうしなくちゃいけない事情ってーのがあんだよ。あたしには!

 父さんも母さんも「あの日」を忘れたかのように過ごしている。それは二人のすました顔を見れば分かる。唯一、姉ちゃんだけは心に引っかかっている様子だ。それもなんとも表現しがたい顔を見れば分かった。

 あたしの抱える深い孤独や実の父親に性的暴行を受ける恐れがある事など、誰にも分らない。母さんや姉ちゃんにさえ、分からないんだろう。仮にそうなったって、自分がやられている訳じゃないから何もしてくれないのは目に見えている。

 特に母さんなんて、前に父さんに足を触られるのが嫌だと言った時に

「大きくなったなあと思って触っているのよ」

なんて検討違いの事を平気で言っていたし。裸を見られた時もろくに聞いてくれなかったし。もしそうなってもろくに聞いてくれないだろう。

「あんたが悪いんじゃない」

とでも言いかねない。どうしても避けたい事態、どうしても避けたい人が家族であり、家庭だなんて…。

 

 母さんは確信にみなぎった口調で言った。

「高校は行ってね。高校は。中卒では絶対に就職も結婚も出来ないから。絶対に!」

 そうかねえ。中卒で働いている人も結婚している人もいっぱいいるじゃん、って思ったよ。自分が全日制の高校へ行っても、中退するのがオチだろうという予感もあった。

定時制なら行ってもいい」

と言ったら、

「あんた定時制なんて、夜の10時ごろ始まるのよ。終わったら夜中よ、電車なんて動いてないのに、どうやって帰って来る気?」

 そうかねえ?だったら定時制に通っている生徒や先生は、どうやって帰っているの?

「それに定時制は、例え卒業しても、法律的に、国家的に、高卒とみなされないのよ」

 そうかねえ?だったら定時制高校の存在自体、意味がないじゃん。母さんの言う事、本当かねえ?無知なあたしは、ひたすら頭の上に疑問符をいっぱい乗せていたよ。

 

 あたしは大人になってから知ったが、高校に限らず、夜間の学校というのは、夕方の5時または6時から始まり、授業時間はせいぜい3時間だった。つまり、遅くとも夜の9時には終わるから、電車にはじゅうぶん間に合う。また、法律的にも国家的にも卒業資格はしっかり与えられる。母さんが何故そう思い込んだのか、そっちの方が今なお謎だ。

 

「高校なんて行きたくねーよ」

 15歳のあたしは言った。早く自由になりたかった。どうせユウレイなら、中卒でも構わないだろうし。母さんは苛立ち、こう言った。

「あんた、高校には行かないなら、もうそれでいい。で、あんた家にいなさい」

 誰がこんな家にいたがるかよ。分かってねーなー。ぼんくらババア。

 

「どうしても、どうしても高校へ行って」

 母さんが言い続ける。

 あんたねー、昨日と今日と言う事が全然違うじゃん。

「昨日は行かなくて良いって言ったじゃん。家にいろって言ったじゃん」

と、苦手な反論をしたが

「体裁悪いから、高校は行って」

と、たった1日で意見が変わるし。そして勝手に苛立ち

「体裁が悪いのお。あんたのやっている事、物凄く体裁が悪いのお!」

とわめく。お、初めて「行為を咎めた」ね。あはははははは。

「何であたしを生んだの?周りに二人目は?って聞かれるからだよね?つまり体裁整えてあげてんじゃん」

と言ったら

「全然体裁整っていない!」

だと。

「あんたさえ生まれて来なきゃ、あんたさえ生まれて来なきゃ、バラ色だったのよ!とにかく高校は行ってったら行って!!!」

とわめき、リビングに行っちまった。もーおーお。明日になったらどうなるんだよ、大学行けとか言いだすの?大学なんて考えらんねーよ。大学なら、今姉ちゃんが受験勉強してんだろ!

 

「高校くらい行った方が良いよ」

 担任の中川先生も熱心に言う。

「沖本、お前あんな良いお父さんとお母さんがいて、何でそんななんだよ」

 分かってねーな。このおばさん。実情知らねえからって。

「うちの親のどこが良い親ですか?」

って聞いたらこんな答えが返ってきた。

「だってお前のお父さんJELだろう?おとなしいし。お母さんお花の先生だろう?きちんと挨拶するし、綺麗だし、立派じゃないか。お前の事で心を痛めているよ。早く立ち直って安心させてやったらどうなんだよ」

 …中川先生もみんなと同じ、その人の職業しか見ない人だった。もう言ってもしょうがねーや。あたしの口は、貝みたいに閉じたままだったよ。

 

「沖本、お前どうする気だよ」

 中川先生の頭の上にも疑問符がいっぱい並んでいる。ぐれるあたしに手を焼き、どう接していいか分かんねえんだろうなあ。

 あたしゃひたすらほっといて欲しかった。親も教師も、あたしにかまい過ぎなんだよ。そっぽ向いて逃げたら追いかけてくるし。おいおい、仕事があんだろ、あたしにだけかまけてどうすんだよ。どこまでついてくるんだよ。もーおーお。あっちいけよバーカ。

 全校集会で校長が

「中川先生は今、沖本の指導中です」

とかマイク通して言うし。

 生徒から凄いブーイングが起こる。

「固有名詞、出すんじゃねえよ!」

「みんなの前でいうなよ!」

 あれれ、生徒諸君、あたしの味方をしてくれるのかい?あたしゃ良い友達たくさん持ったさ。あはははははは。

 

「お前ら、どういうつもりだよ」

 不良生徒を一室に集め、生活指導の大友先生が説教をたれる。どうもこうもあるかいな。みんな聞いちゃいないよ。ぐれるのは楽しいぜ。心の中で歌を歌いながら、大友の言う事なんぞ聞き流す。

 さあ、この後どこへ繰り出すか?あたしたちの頭の中は遊ぶ事しかなかった。

 

「このままじゃ破滅の人生よ!」

 母さんが血相変えてのたまう。

「あんた、ここ行きなさい、どうしても行って!」

と塾のパンフレットを差し出す。

「もう入塾の手続きしたから!」

 まるで望みを叶えたような、達成感にみなぎった顔で言う。勝手に手続きすんなよ、もーおーお。誰がそんな事頼んだんだよ!

「行ってったら行って!」

 ヒステリックにわめく母さん。

「もう前期の分、払ったし」

だと。誰がカネ払ってくれと言ったの?誰が通いたいと言ったの?

 仕方なく行ってやった塾は、やる気満々の生徒もいたが、明らかに親に無理やり来させられてる子もいた。この中でいちばんやる気ないのはあたしだろううなー。あははははは。

 授業は超面白くないよ。ぜんっぜん、分かんないし、付いていけん!宿題もたんまり。

「あんた、宿題は?宿題!!」

 母さんがわめく。やる気ねえっつーの!

 宿題やらずに塾に行ったら、先生が名指しで怒り狂うし。

「沖本!お前どういうつもりだ!宿題やって来ないのお前だけだ!」

 大勢の前で怒られて、居たたまれねーよ。学校も、家も、塾まで。

「沖本!沖本!前へ来い!沖本!!!」

 血圧上がるよ、おっさん。誰が行くかよ!前も後ろも高校も、どこも行きたかねーよ!

 恥かかされて、もう行かなくなった。登校拒否ならぬ、登塾拒否。母さんがまた切れてる。

「入塾金も前期分も払ったのに!いくら払ったと思ってんのよ!!またあんたのせいでお金が無駄になった!勿体ない!勿体ないったら勿体ない!!!あんたなんて居なくなればいい!居なくなれ!居なくなれ!死んでよ!本当に死ねばいい!!お金返して!!!」

 だったらあたしにこの塾行きたいかどうか確認してから手続きしてくれよ。何の断りもなく、ある日突然無理に行かされる方がどんな迷惑するか考えろっつーの!

 

「塾が駄目なら家庭教師よ!」

 母さんがどこかの大学生を連れてきた。そのお兄さんがあたしとオトモダチになろうとして言う。

「マリちゃん、好きなアイドルは?」

 初対面のくせしてマリちゃん呼ばわりすんなよ。アイドルなんかどうでもいいよ。高校受験もどうでもいいよ。夢なんかないよ。あたしゃどうしようもないんだよ。だから死ぬしかないんだよ。死なせてくれよ。黙っていたらこう言う。

「マリちゃん、何してる時がいちばん楽しい?」

 だからマリちゃん呼ばわりするなってーの!楽しい時なんてねーよ。毎日どこでも怒られていじめられてつらいばっかりだよ。

「マリちゃん、どうしたい?」

 その質問にだけ即答した。

「死にたい」

 …お兄さんが絶句する。そのまま憐れむ目であたしを見続ける。

「もう来ないで」

 それだけ言って自分の部屋に退散した。お兄さんは二度と来なかった。

 母さんがまたわめき散らす。

「ただ来てもらうだけでもお金かかるのに!」

 金の心配ばっかり、娘の心配はしないんだねえ。してるっていうけど、あたしの心配っていうより、体裁を心配してんだろ!

「死ねばいい!あんたなんて本当に死ねばいい!!心臓発作でも起こせばいい!」

 はいはい、そうですか!

 

 母さんがどこかの宗教団体から得体の知れない誰だかを連れてきた。うちのリビングで、そのおばさんが涙ぐみながら懸命に言う。

「マリちゃん、絶対にあなたに立ち直って欲しい。あなたは本当は物凄く良い子なんだから。マリちゃん、もう悪い事しないで欲しい。マリちゃん、マリちゃん」

 勝手に来て、勝手にマリちゃん呼ばわりして、勝手に泣いてりゃ世話ねーよ。後ろで母さんが、ウン!ウン!と頷き続けている。

 アホ!自分の手に負えないからって誰か連れてくりゃいいってもんじゃないよ!自分が言っても聞かないからって誰かに説得やら説教やらさせても効果なんかねーよ!そんな事であたしゃ変わらねーっつーの!!死んだものと思っているならいいじゃねーか!死んだものと思っているなら!!!

 そのおばさん帰ってから母さんが言う。

「御高名な方なのよ。あんたみたいな非行少女の為に来てくれたんだから!」

 何が御高名だよ、どうせいくらか払ったんだろ!バーカ!!!あたしが不良になったらあたしを殺して自分も死ぬんだろ!早く殺せよ!テメエのその手で殺して刑務所入れよ!ドアホドアホドアホ!ぼんくらどあほ!

 それにあたしゃ非行少女じゃなくて、不幸少女だよ!ほんまもんのドアホ!

 

 高校なんて行きたくないよ。どうせ死ぬんだから。本当に、死ぬんだから。ノートの端っこにこう書いた。「自殺志願」

 ああ神様、早くあたしを殺してくれ。この苦痛から逃がしてくれ。確かにこのままでいいなんて思っていない。だけどどうすればいいか、分からないんだよ。

 あたしは欠けているんだ。このままではいけないんだ。愛される資格も何かする資格もないんだ。自信もない、自己肯定感もない、何もない。誰かに支えて欲しいけど、誰に何言ったってどうせ嘘つき呼ばわりされるだけだし、突き放されるだけだし、自分が何の為に生まれたか、生きているのか、それすら分からないんだよ。生きてる限り死ね死ね言われるし、だから死にたいんだ、生きる意味も価値もないから。毎日苦しいだけだから。生きていたって全然楽しくないし、夢もないし、どうしようもないんだよ。だから死にたいんだ。

 神様、どうか聞いてくれ。死にたい、死にたい。本当に、死にたい。

 

 家に帰った途端、母さんが怒鳴る。

「あんた!男から電話あったわよ!うちの電話番号教えないでよ!!」

 ああ、もう言わないでくれ。また死にたくなる。

 

 出かけようとしたら、また母さんが言う。

「この前、近所の人たちがあんたの出かける様子、じいっと見てたわよ」

 だから何だい?存在するなってーのか?悔しいからこっちも言ってやった。

「あんたも、あんたの旦那も最低だね」

 母さんが即答ってか、即激高する。

「今度あんたの旦那って言ったら殺すよ!」

 おーおー、殺せよ!その前にあたしの男友達をオトコ呼ばわりすんなよ!脅すなよ!

 学校では教師に内申書、書かないとか脅されるし、家では親に殺すと脅されるし、どうせいっちゅうーねん!

 

 学校の近くにある喫茶店「パラダイス」は、あたしたち不良生徒たちの溜まり場だった。みんな制服のまま集まり、平気でたばこをブカブカ吸ったり、酒を飲んでいた。

 ある時、その店のオーナーのおばさんが、べらべらくっちゃべっているあたしたちに、そっと近づいてきた。ちょうど目があったあたしにおばさんが言う。

「制服でたばこ吸わないで」

 そしてすぐ退散する。何で返されるか分からないから、怖かったんだろう。「勇気を振り絞って」言ってくれたんだろう。悪かったなって思って、まず自分がたばこを消し、みんなにも言った。

「制服でたばこ吸わないでってさ」

 みんなも意外と素直にたばこを消した。おばさんがほっとした顔をする。私服ならいいのかい?みんな老けてっからね。制服さえ着てなきゃ中学生には見えないんだろう。ん?制服を着ていても高校生に見られたりするんだけどね。あははははははは。

 それにしても何であたしにそう言ったんだろう。他の子よりは言いやすかったのかな?まだまともそうに見えたって事なのかい?

 

 家に帰ったらダイニングテーブルで、父さんと母さん、そして中川先生と校長先生が向き合っていた。おーおー、校長先生お出ましかよ。 

 母さんが大泣きしている。

「マリには本当に困っているんです。私たちもどうしてこうなったか分からないんです」

 父さんは黙っている。人前では、借りてきた猫みたいにおとなしくなる父さん。母さんは、必要以上に嗚咽しながら言う。

「私たち、ちゃんと育てました。現に、長女はまともです。長女もマリも同じように育てました」

 おーおー、嘘つき。姉ちゃんに死んだものと思っているなんて言ってるの聞いたことねーぞ。母さんが胸を押さえながら言う。

「マリがどうしてあんな風になったか、どうしてもどうしても分からないんです。本当に胸を痛めているんです」

 さあ、母さん。主役になって嬉しいかい?ヒロイン気取りでバッカじゃねーの?

 …中川先生と校長先生は帰る前に、家の中をぐるっと見回していった。母さんが手掛けたきれいな造花が、所狭しと飾ってある。こんなきれいな花に囲まれて、どうしてグレるのか分からないって顔をしていた。

「お父さん、お母さん、マリさんを一緒に立ち直らせましょう」

と言い残して帰っていく校長先生と中川先生。玄関まで見送る父さんと母さん。ドアが閉まり、足音が遠ざかる。

 振り返りざまに母さんは言ったよ。

「まったく、家まで来るなんて」

 すっかり醒めた顔だった。

「娘がそんな風だと、母親に原因があると思われるのよ」

 さっさとリビングに行き、お茶を下げてる母さん。

 …この人ってすげえな。一瞬で切り替えるんだもん。ジギルとハイドみてえ。呆れるやら、恐ろしいやら、なんやらだったよ。

 

 高校は「行かなきゃいけない」ものらしい。あたしたち、不良生徒たちも受験の準備をし始めた。

 ただ、単願ってやつ。この学校しか受けないから、落とさないでくれってーの。その高校側もさぞかし迷惑だろうよ。こんな不良を受け入れなきゃいけねんだからさ。

 

 その女子高の先生は、不良生徒の面接には慣れているのか、何だか知らないけど

「校則は守れますか?」

と、そればっかり何回も言う。横で父さんがウンウンと頷いている。ハイと返事しろと言わんばかり。オマエに聞いている訳じゃねえだろう。仕方なく、ハイと答える。

「本当に守れますか?」

 何回も聞く。仕方なく、本当に仕方なく、ハイと言う。

 …面接は終わった。

 

 学科試験を受けてびっくり!これ、小学生の問題じゃないの?ってくらい簡単なの。あたしでさえスラスラと解けちまったぜ。

 

 合格発表の日。同じく単願でその高校を受けた加山さんと伊藤さんと、結果を見に行く。

 あったよ、あった。合格者の所に「沖本真理」と確かに書いてあった。一応、嬉しかったね。単願だから落ちる訳ないんだけどさ。

 ああ、こんな学校に3年も行きたかねえな。ってか、3年ももつのかね。早々に中退するんじゃねえかって予感が走った。

 加山さんと伊藤さんは無邪気に喜んでいる。伊藤さんは喜んで

「この学校でいちばんになる!」

と言っている。なれるかもしれんわな。この偏差値ならさ。この子って幸せだなと羨ましかったさ。

 加山さんは、首がつながったような、ほっとした顔をしてた。あたしが昔、いぼ、いぼっていじめたのに、

「マリ、よろしくね」

って言ってくれたし。…ああ、良い子だなって思ったよ。あたし、こんな良い子をいじめちゃったんだって、その時初めて心が痛んだ。

 

 高校の制服やら鞄、靴を買う。身体測定をする。ああ、高校に行くって大変なんだな。

 

 大騒ぎして受験した姉ちゃんは大学に受かった。国立大だって。すげーな。自慢の長女と、不徳の次女、母さんあんたも大変だねえ。金ばかりかかって。あははははははははは。

 

 しかもその頃、我が家はやっと母さん念願のマイホームを購入したのだった。場所は千葉の成田。それまで暮らしていた東京の社宅からはちと遠かった。あたしを不良仲間から引き離したかった、ってーのもあったんだろうねえ。

 偶然だったが、あたしが通う予定の高校には歩いても行ける距離だった。加山さんと伊藤さんは通学大変だろうけど。父さんとしても、成田空港に通うのに便利だしって事で決めたらしかった。

 父さんと母さんは、色々な意味で家を買った事を喜んでいたよ。母さんは引っ越しをすれば、あたしがワル仲間と縁が切れるし、ずっと近所で変な目で見られていてつらかったから、新しい環境でリセット出来ると思ったらしい。だが、引っ越しが近づくにつれ、あたしにこう言うようになったよ。

「あんた、成田に行ってもそうするつもりなんでしょう!」

「そう」って、「どう」だよ。バーカ。こっちのセリフだよ。あんたこそ成田に行っても、どこに行っても、あたしをののしり続けるつもりなんだろ!

 父さんはこう言ったよ。

「お前のせいで引っ越しするんだ」

 おーおー、何でも人のせいにするね。事故に遭った時も、詐欺に遭った時も、あたしのせいだとキンキンわめいていたし。だったらまた引っ越ししなきゃだね!

 姉ちゃんはあたしと一切口を利かなくなっていた。あたしをいないものとして、完璧無視していた。友達と電話で話しながら

「え?あたし妹なんていないよ」

って平気で言い張っていたし。

 高いのは偏差値だけかい?国立大生さんよ!

 

 高校入学が決まったら、もう中学なんて用はない。誰が行くかよ、バーカ。卒業式?行く気しねえよ。何しに行くんだよ!「登式拒否」したる!卒業リンチ?センコー殴ってどうすんだよ、知らねえよ!もう、何もかも知らねーよ!

 

 あたしはお琴もやめた。ばっくれてやめた。お琴の先生が心配して家まで来てくれたけど、もうやる気はなかった。

 

 一児の母になった脇田さんの奥さんが、心配そうに見ているのに気付いていたけど、無視した。あの可愛かったマリちゃんがねえ、って顔してたよ。

 脇田さんだけじゃない。近所の大人はみんな、びっくりしてあたしを見ていた。

 同じ子?ってくらいあたしが容貌も放つオーラも変わっちまったからね。何もかも、引っ越しまでの辛抱だ。ご近所さん、あんたらも辛抱しなよ!あはははははは!

 

 引っ越しは大変だったよ。それまで暮らしていた社宅の体積よりデカいんじゃないかって量の荷物が出てくるし。家の中は段ボールだらけ。山のような荷物をくぐったり、またいだりして移動してたさ。

「いらないものはどんどん処分してね」

だってさ。母さん、いちばん処分したいのはあたしだろ!あははははは。

 でね、その荷造りをしている時に見つけちまったんだけどさ。以前あたしが万引きした化粧品が、どっちゃり取ってあったよ。やっぱり捨てるなんて嘘だったんだ。ケチな母さん!さすがに派手な洋服は捨てたらしいが、化粧品は何かに使えると思ったんだろうねえ。ウケるぜ!ドケチババア!!

 引っ越し当日、父さんはトイレの掃除ブラシまで持って行こうとして、母さんに捨てろと怒鳴られているし。こっちもウケるぜ!ドケチジジイ!

 

 新しい家は、駅から歩いて15分くらい(母さんは10分と言い張っていたが)。日当たりの良い一軒家だったよ。小さい庭もあってさ。

 1階にキッチンと広めのリビングと和室、バストイレ。2階には、太陽に向かって並ぶかのように3室あってさ。

 南西向きの角部屋、いちばんいい洋室は、姉ちゃんに振り当てられた。窓際にベッドを置き、姉ちゃんはご満悦だったよ。壁紙が淡い色でね。窓もふたつあったし。大学に受かったご褒美かいな。

 東南向きの角部屋、和室は父さんと母さんの寝室だった。砂壁だったが、そこも窓がふたつあって風通しが良かった。

 そしていちばん悪い部屋、というのはどうかと思うが、真ん中の洋室があたしの部屋としてあてがわれた。壁紙が濃い色でね。窓はひとつだった。

「あんた、たばこ吸うからこの部屋よ」

だってさ。じゃあたばこ吸うのを良しとした、認めたって事じゃないの? それに窓がひとつだから、風通しわりーだろ!

 まあ一応嬉しかったよ。初めての「オンリーマイルーム」だからね。もう父さんや母さんが着替えだ、何だと入って来ない訳だし。ただ部屋に入った瞬間、ここをあたしは何年も使わないんじゃないかって予感がした。

 引っ越しってーのは荷造りも大変だが、ほどくのも大変だった。どこに何が入っているか、わかんねーっつーの!4人ともカリカリしちまって、引っ越しそばどころじゃなかったよ。

 何とか家の中が片付き、父さんは会社へ、母さんは造花教室へ、姉ちゃんは大学へ、あたしは高校へ、それぞれ行く…筈だった。

 だがあたしだけ、それが出来なかった。

 

 高校の入学式、胃がよじれるほど緊張していた。あたしゃ小学校に入った時も、中学に入った時も、緊張していたけどその比じゃなかった。はっきり言って、行きたくなかったよ。自分の場所って感じがしなかったから。

 そんな自分をごまかすように、あたしは化粧して自分で染めた髪に花を飾って制服をアレンジして登校した。周りがあたしに「悪い意味で」注目しているのが分かったが、どうしようもなかった。校長先生に呼ばれ

「君はこの学校で何を学びたいのかな?」

と聞かれた。

 …答えはなかった。そう、あたしにとってその高校は「親に無理やり行かされた場所」だったから。

 2日目、やはり行きたくなかった。だからわざと歩きにくいように、という心理が働き、制服にヒールを履いて登校した。上級生の女に怒鳴られたが、知らん顔を決め込んだ。女子校特有の嫌な匂いを感じた。

 …その夜、退学届けを書いてカバンに入れた。

 3日目、あたしの姿を見た途端、同じ1年生の女どもが走って逃げた。

 つらかった。

 そして

 たまんなく

 さびしかった。

 

 2階の窓から上級生が言うのが聞こえた。

「わあ、凄いのが来た」

 教室に入っても、自分の机についても、そこが自分の場所と思えずいたたまれなかった。

 

 教室の外に、上級生の女どもが大勢集まって来ていた。明らかに「あたしに制裁を加える為に集まって来ている」のは殺気だった目を見れば分かる。ざっと見て20人はいた。

「理科室へ移動しなさい」

 先生がほざく。みんなが移動する。挨拶代わりに喧嘩したろか、そんな気がした。

 だが加山さんが囁いた。

「マリ、行こう、行った方が良い」

 あたしを守ろうとしてくれているのだと分かった。かつて自分をいじめたあたしをかばってくれる加山さん。加山さんを悲しませたくなかった。だから理科室へ移動した。加山さんがほっとした顔をする。上級生たちは凄い目で睨みながらも、引き下がって行った。

 下校時間、担任に「退学届け」を叩きつけた。

「そう簡単に行かないよ」

という声を背中で聞いた。決意は変わらない。

「沖本さん、明日も待ってるね」

と言ってくれたが、そんな日は二度と来ないという確信があった。

 

 翌朝、どうしても、どうしても、学校へ行きたくなかった。行ったら上級生にリンチされるのは目に見えていた。怖かった。だから行く訳にいかず登校拒否を極めるしかなかった。

 母さんがわめく。

「早く行きなさいよう!」

 父さんが殴る。

「行けったら行け!」

 わめかれても、殴られても、上級生に集団リンチされるよりは、なんぼかましだった。だから、絶対に、絶対に、行かなかった。 

 加山さんや伊藤さんが心配して電話をくれたが出なかった。

 

 高校には、マチコもいない。別の高校を単願で受けたマチコはどうしているんだろう。

 この世で唯一、あたしの話を真摯に聞いてくれたマチコ。

 あたしを信じてくれたマチコ。

 あたしを受け止めてくれたマチコ。

 あたしを励ましてくれたマチコ。

 マチコ…マチコ…マチコ…。

 マチコに会いたかった。

 

 あたしは

 学校から

 逃げた。

 

   ★

 

 よし、働こうと思った。あたしにも出来そうな仕事といえば、喫茶店のウエイトレスだった。

 千葉駅まで行き、駅ビルの中にある明るめの喫茶店に「ホール従業員募集」という張り紙を見つけた。応募したら即日採用。

 嬉しかったね。従業員のみんなも、常連客も、マリちゃん、マリちゃん、と可愛がってくれたし。まあ若かったしね。高校に居場所はなかったけどここにはある。そう思えた。

 だが、そこで働く20歳のオネーサンが嫌だった。あたしが来るまでは、自分が最年少でみんなに可愛がられていたのが、あたしが来た途端にその座をあたしに奪われて、悔しかったのか嫉妬したのか何だか知らないけど、毎日毎日嫌味ばっかり言うんだよ。

「マリちゃんってどうして高校行かなかったの?」

だの

「高校くらい出ていないとね」

って。お客さんにまであたしが中卒だって言いふらすし。たまりかねてこっちも嫌味言ったよ。

「大学どこ出たんですか?」

 そしたらすっとぼけて

「あたし大学は行ってないよ。でもいいじゃない。ちゃんと高校卒業してるんだから」

だって。エラソーに学歴の話するなら、有名な大学出てからにしてくれよ。高卒のあんたに言われたかねーよ。

 その上そのオネーサン、チアキさんって言ったけど、店の備品や食材の配達で、あたしが業者さんへの支払いのお金を立て替え、領収書を見せながら

「立て替えたのでこの金額を下さい」

と「正当なお願い」をするたびにこう言った。    

「ああ、このお金よこせって、そう言うんでしょう」

 毎回、毎回、大声で、他の人に聞こえよがしにそう言った。だから立て替えするのは苦痛だったよ。

 ある時、配達の為にやむなく立て替えし、その領収書に「ああこのお金よこせってそういうんでしょうなんて言わないで下さいね」とメモを付けて渡した。口頭で言うより良いかと思ったんだけど、チアキさん過剰反応したよ。小学校で同じクラスだった河野さんみたいに。その金額を「叩きつけるようによこして」きた。

 …あっけに取られたさ。その上、その日一日憎悪にみなぎった目で睨んでくるし。あんたが悪いんだろ!暴言吐くのは悪くなくて、それをやめてくれと言ったこっちが悪いなんておかしーだろ!

 けど、それ以来チアキさんはあたしに立て替え金を黙って払ってくれるようになった。この人も河野さんと同じで反撃した途端にいじめて来なくなったなと学んだ。

 そしてチアキさんは、ある時遅番で来ていながら、早く帰ろうとしていた。早番のあたしが仕事を終えて制服から私服に着替え、帰ろうとした所でちょうど鉢合わせになっちまってさ。びっくりして

「あれ?チアキさん今日は遅番じゃなかったんですか?」

って聞いたら

「え…ええ…えええええ」

って訳の分からない返事をして帰っちまった。ありゃま、大人のくせにさぼってやんの。しどろもどろで見苦しいねえ。

 で、翌朝の事。あたし自分の交通費の件で本社にいる社長に電話を掛けたんだよ。話が済んで切ろうとしたら、社長がこう言った。

チアキさんから電話もらえるように言ってくれる?」

 社長がチアキさんに何か用事あるんだろうと思って

「分かりました」

って答えて電話を切ったら、そこにちょうど中番のチアキさんが出勤してきてさ。

チアキさん、社長に電話してください」

って言ったら、ギクッとしてやんの。

「どうして?」

って聞くから

「してみればいいじゃないですか」

って答え、仕事にかかったよ。チアキさんったら茫然としてやんの。自分がやましい事あるからって馬鹿じゃないの?

「あんた、若いくせに生意気ね」

だって。自分が悪い事して、ばれて逆切れしてんじゃねえよ。恐る恐る本社に電話して真っ青な顔で社長と喋ってるし。結局全然違う要件だったらしく、あたしがチアキさんがさぼって早く帰ったとか言いつけた訳じゃないって分かったらほっとしてやんの。大人げないねー。

 だがチアキさんは、よっぽどあたしが憎たらしかったみたいで、その日の売上金が合わないからってこう言った。

「マリちゃんじゃない?」

 慌てて言ったよ。

「違いますよ」

 そうしたら母さんみたいなしたり顔でまた言った。

「マリちゃんじゃない?だって高校中退してるんでしょ?」

 高校中退してたら、店の売り上げ金を盗むのかよ!冗談じゃない!結局、前日の伝票が一枚紛れ込んでいて、それを抜いたら金額合ったからあたしの無罪は証明されたけど、犯人扱いされた事には深く傷ついた。きっとこれからも、何か悪い事があるたびに

「マリちゃんじゃない?だって高校中退してるんでしょ?」

って言うつもりなんだろう。

 おまけに本社の人が来た時に、チアキさんあたしを指差しながらこう言った。

「ああこの人、結構厚かましい所あるようで」

 本社の人もびっくりしてたよ。何であたしが厚かましいんだよ!

 あたしはチアキさんが嫌でそこを辞めた。

 働くってこんなに大変なんだって学んだ。

 

 次に選んだのは、やはり千葉駅から近い喫茶店だった。しかしそこにも似たようなオネエチャンがいた。

「マリちゃんって、どうして高校行かなかったの?」

と何回も聞くんだよ。うっせーな。どうしてもそうせざるを得なかったからだよ。その人も、前の店のオネーサンそっくりで

「高校くらい出ていないとね」

とほざいた。

 もうひとつ、あたしは小学生以来の持病である喘息に悩まされていた。年中喉に絡む痰に咳ばらいをせざるを得なかった。そのオネエチャン、それも気に入らないらしくてこう言った。

「マリちゃんの咳払い、あたしたちはもう癖だって分かっているけど、お客さんが聞いたらどう思うかしらね」

 癖じゃねーよ。喘息って病気だよ。痰がからむからしょうがないんだよ。もう咳払いさえ出来ないのかい?なんてやりにくいオネエチャンだ!その上

「その髪、くせ毛?真っすぐにならない?」

とか

「ほくろ、多いね」

って直しようのない事までとやかく言うし。しかも同じ事を何回も。たまりかねて

「あたしの顔見るたびに、どうこう言うのもう嫌なんですけど、やめてくれませんか?」

って言っても

「でもあたしは来たお客さんの上から下まで見なさいって言われたわよ」

って憤然と言い返してくるし。その人だって、それをあえて口に出して指摘しろとは言わなかったと思うけどなあ。

「顔、剃ったね」

とか、そんな事まで言って来るし、もう黙っててくれよ!うるさいよ!

 その上そのオネエチャン、ヒサコさんっていったけど、自分がシフトを間違えたくせに、それをあたしのせいにしやがった。なんて人だ!

「ヒサコさん、あたしじゃないですよね?ヒサコさんですよね?」

って勇気を出して言ったあたしの話を「凄い遮り方」するし。

「あーあーあーあーあーあーあーあーあーあーあーあー」

ってあたしの顔見ながら大声で言うんだよ。その「あーあー」であたしの声をかき消すの!酷いよもう!

 用事があって電話しても、話の最中にガチャ切りするし。どうせ、手が滑ったとか言い訳するんだろうけど。

 更にヒサコさんは、あたしに用事がある時に直接言わず、メモに書いてよこしてくるんだけど、そのメモの端っこに必ず「カス」って薄く書いてやんの。あたしをカスだと言いたいのか?もう嫌だよ、こんな変なねーちゃん。

 ある朝出勤したら従業員全員が一斉にあたしを変な目で見た。はて?なんじゃらほい?

 訳が分からんまま仕事したけど、みんながみんな、変な目で見続ける。

「どうしたんですか?」

と厨房の人に聞いたらこう言われた。

「マリちゃん、ヒサコさんの家に脅迫電話したんだって?今朝、ヒサコさん泣きながら言っていたよ」

 がーーーーーーーん!!!!

 だからみんなあたしを変な目で見るんだ!

「していませんよ」

と言ったが

「でもヒサコさん、そう言っていたよ」

と何回も言う。もーやだ。今度は濡れ衣かよ!あたしの言い分を聞いてくれる人はひとりもいなかった。

 悔しかったけど、もうここにあたしの居場所はない、と悟って辞めた。

 人間関係って大変だって学んだ。

 

 次に選んだのは、また千葉駅前の喫茶店だった。だが、またしても似たようなネエチャンがいた。もーおーお。前の二人とおんなじ事言うんだよ。

「どうして高校行かなかったの?」

だの

「高校くらい出ていないとね」

だの

「学校もろくに出ていないくせによくそんな平気な顔していられるね」

だのと。しばらく我慢してたけど、ある時もういい加減にしてくれと思って言ったよ。

「すごく失礼だよね。あたし高校中退した事を一度も後悔した事ないし、これからもしないと思う。だからもう高校くらい出ていないとねって言うのやめてくれる?」

 勇気がいったよ。何で返されるか分からないしね。けど、言って良かった。その人、ぴたっと言わなくなったし。前の二人にも、こう言えば良かったのかな。

 だけどそのネエチャン、サトコさんっていったけど、お客さんが店に入って来た時に従業員全員で

「いらっしゃいませ」

と言うんだけど、その時のあたしの声が小さい、小さいって言うんだよ。

「ほらもっと大きな声で言いなさいよ。ほらもっともっと大きな声で。でないとこの店の一員になれないよ」

だと。叫べってか?

 でね、開店前でお客さんが誰も居ない時の事。背中に何か冷たいものを急に入れられたんだよ。何だろうと思って取ったら、何と!死んだ魚だった。びっくりして悲鳴を上げたらサトコさんこう言った。

「ほら、大きな声出るじゃない。その調子でいらっしゃいませって言いなさいよ」

 他のみんなも失笑している。あたしをかばってくれる人も、サトコさんを咎める人もいなかった。酷いよ。こんなんいじめだよ!

 更にその日の夕方、サトコさんはみんなの前でこうのたまった。

「マリちゃん、マリちゃんに聞いても無駄だと思うけど、レジの日次と月次の集計の取り方って分かる?」

 さも馬鹿にしたような聞き方だった。ヘラヘラ笑ってるし。みんなも失笑している。確かに分からなかったが、その前に「教わってない」んだよ。それに何もみんなの前でそんな事言うなんて、と茫然としていたら、

「あ、やっぱ分かんないね」

ってニヤニヤしながら2回ウンウンって頷いた。これで黙って我慢したらいじめられると思った。だから勇気を出して言ったよ。

「サトコさん、サトコさんって本当に失礼な人だね。今朝も死んだ魚、あたしの背中に入れたし。酷いよね?」

 サトコさんの顔色がさっと変わる。みんなの顔色も変わる。そしてサトコさんは慌てたように

「マリちゃん、伝票の…」

とあたしが絶対に分かるだろうと思う事を、わざわざ聞こうとした。あたしはそれを遮って言ったよ。

「聞いても無駄だと思うなら、最初から聞かなきゃいいよね?ってか、教わってないし」

 サトコさんも、みんなも、黙る。

 サトコさんは二度とあたしを馬鹿にしたような事を言わなくなった。けど、意地悪な事は言った。

「マリちゃんには悪いけど、あたしたちみんな時給が上がったのよ」

 悪いと思うなら最初から言うなってーの!

 耐えられなくて辞めた。

 仕事そのものより、人間関係が本当に大変だと学んだ。

 

 次に選んだのは、60歳くらいの女の人がひとりで切り盛りしている喫茶店だった。オーナーひとりって事は、嫌な先輩にいじめられなくて済むかなって思ったんだけど、決してそんな事はなかった。そのオーナーっちゅーのがスゲー曲者で、あたしの「名前を呼ばない」上に、言った事ややったことで気に食わない事を「カレンダーに書き留める」人だった。

 お客さんがみんな帰って洗い物をしている時に

「あなた、お客さんに出すミルクカップ、ある程度使い回して」

と言うので、もしかしてあたしが洗うの大変だろうと気づかってくれているのかと思い

「大丈夫ですよ。まめに洗いますから」

と答えたら、むっとしたように黙っちまった。

 でね、その店は厨房からフロアへ出る壁にカレンダーが貼ってあったんだけど(つまりお客さんからは死角になっていて見えないけど、あたしは必ず目に入るって訳)、そこに「まめに洗いますから。お客さん100人の時、ミルクカップ100個」って書いてやんの。

 あたし、カレンダーを前に茫然としちまったよ。明らかにあたしに対するメッセージってか、嫌味ってか、不気味ってか、このオーナー異常じゃねーの?って思った。

 ただもしかしてあたしが悪いのかなって気もした。だからオーナーに言ったよ。

「済みません、あたしの言い方に問題があったようで…」

 オーナーは苦笑いしながら許してくれた。その日はもう月末であと何日か辛抱して次の月になればカレンダーめくれて、そのメッセージは見なくて済むようになるし我慢したよ。

 翌月になり新しい頁のカレンダーになり、ほっとしたのもつかの間、オーナーがお客さんと話している最中に電話がかかって来た時の事。

 あたし、取り次ごうとして

「電話です」

って言ったら、それも気に入らなかったらしくてむっとしてた。

 次に見たらまたカレンダーに「話の最中に電話と」って書いてあった。あたしその時も呆然としたよ。確かに

「お話し中済みません」

って言えば良かったんだけど、何もカレンダーに書く事ないだろうって。でさ、1回目は我慢したけど、2回目はやっぱり嫌で、そのメッセージを消しちまったんだよ。幸い鉛筆で書いてあったから消しゴムでサラサラと。まだ月初でこれから1か月近くこれを見るのは耐えられないって思ったからさ。そしたらオーナー、カレンダーを睨みながら鬼のような形相していたよ。あんたが悪いんじゃん。

 で、また翌日の事、お客さんが店内に居なくて二人で掃除していたら、オーナーが外した腕時計がないないって騒ぎだしたんだよ。目の前のカウンターに置いてあるっつーに気が付かないんだよね。

「腕時計、そこにありますよ」

と言ったが

「え?どこ?どこ?」

ってキョロキョロしてる。オマエが自分で外して「置いた」んだろ!「老いた」ババアめ!って駄洒落じゃないよ。あまりに分かっていないからついイライラしちまい

「目の前にあります」

って言っちまった。言っちゃってからイカン!って思ったんだけど、時すでに遅しで

「目の前にありますとは何ですか!」

って怒り心頭してやんの。それはあたしが悪いから

「済みません、済みません、済みませんでした」

って必死に謝ったんだけど、ババアの怒りは止まらなかった。で、次にカレンダー見たら「目の前にあります」ってやっぱり書いてあった。今度は消せないようにマジックで黒々と。

 何となく、昔母さんが父さんがお酒を飲んで帰ってくるたびに「父さん飲んだ日」ってカレンダーに書いてた事を彷彿させる出来事だった。

 更に翌日、嫌な気持ちと長続きしない予感を抱えながら出勤したよ。ひとりしかいないお客さんとオーナーが話し込んでいるから、洗い場をひとりで磨いていた。聞くともなしに聞いていたら、オーナーとお客さんがこんな会話していた。

「年は取りたくないねえ。目に来て、歯に来て、耳に来て、頭に来て」

「ほんと、ほんと」

 …なんのこっちゃい?分かんねーよ、何が目に来て歯に来て耳に来て頭に来るんだい?

「光陰矢の如しね、あたしなんてついこの前成人式だったのに」

「ほんと」

 バアサンたちの会話だねえ、と思っていたら

「ちょっと、あなた」

ってオーナーの声がする。だけどそのお客さんに言っているのかと思って、背を向けたまま洗い場を磨き続けていた。

「ちょっと、あなた、聞こえないのかしら、あなた!あなた!」

と声を荒げる。そこでようやくあたしを呼んでいるんだと気付いて

「はい、何か」

と振り返ったら、わざとらしく目をまん丸くして

「何回呼んでも聞こえないなんて、あなた頭がおかしいの?」

とそのお客さんの前で言われた。…だったら「名前呼んで」くれよ。「あなた呼ばわり」ばっかりして、分からないよ。

「お客さんと話しているのかと思ったんですけど」

と答えたら

「あなたよ、あなた。こんなに近くで呼んでも聞こえないなんて」

と、異常者を見る目で言う。母さんそっくり! 

 そのお客さんでさえオーナーに対して呆れた顔をして、こう口添えしてくれた。

「名前呼んでくれたらいいのにねえ。分からないよねえ」

 あたしはその言葉に頷いたよ。オーナーは相変わらず変な目で見続けていたけど。で、次にカレンダーみたら「いくら呼んでも無視」って書いてあった。

 もう限界だった。このオーナーやっぱり変な人だわ。そのうち出刃包丁でも持って追いかけて来るんじゃねーの?って思ったら、恐ろしくて働き続ける気にはならなかった。

「辞めさせて下さい」

って言ったら

「あなたはやっぱりそういう人ね。拾ってやったのに、恩を仇で返すのね」

だって。

 あたしの次にここで働く人が可哀想だから思い切って言ったよ。

「気に入らなかった事をカレンダーに書くのはやめた方がいいですよ」

 そして黙ってドアを開けて出て行った。なんか助かったような気がしたさ。

 年を取った人が大人になっているとは限らない、と学んだ。

 

 その頃、急に右手の甲が痒くなった。尋常じゃないかゆみでいつもボリボリ掻いていた。かさぶたが出来、無理にはがしたら、何と!真ん丸いいぼになっちまった!

 加山さんを、いぼいぼっていじめたのが返って来たような気がした。

 

 次も千葉駅前の喫茶店を選んだ。喫茶店なんて、いくらでもあると思った。ただそこは、常連客で嫌なオヤジがいてさ。

「スカート長いね」

だの

「化粧が濃いよ」

だの、うるさいっつーの!こういう人を女の腐った男って言うんだなと思った。

「甘ったれるのもいい加減にしろ、男だったら殴っている」

とも言ったし。

「あたしがいつ甘えました?」

と聞いたら

「生き方そのものが甘ったれてるんだよ!」

だって。誰もかばってくれないし。

「そんなにあたしを嫌いなら、ここに来なきゃいいじゃないですか」

と言ったら

「何だよ、儲けさしてやってんじゃん」

だって。儲かったなんて思わないよ。

 右手のいぼを気にしていつもバンドエイドを貼って隠していたら

「何でいつもそこに、ばんそこう貼ってるんだよ!」

とか余計な事言うし。どうしてもそうせざるを得ないからだっつーの!

 ある時バンドエイド貼るの忘れて仕事に行った時の事、利き手だし注文伝票を書くのに右手を出さない訳にいかない。気にしながら伝票書いていたら、さっと目をそらして見ない振りしてくれる人もいたけど(ああマリちゃんはいぼを隠すためにいつもバンドエイド貼ってるんだなと、気持ちを汲んでくれたんだろうね)、その人は目ざとく見つけてこう言った。

「何、そのブクブク。いぼ?いぼじゃん!いぼ!」

 ただでさえ気にしているのに、傷ついているのに。ああ加山さんもこんな気持ちだったんだなと、改めて悪かったと思ったよ。

 それからもその客、あたしの顔見るたびに

「よう!いぼ!」

ってせせら笑いながら言った。この人の手にいぼは出来ないんだろうなあ、と悔しかった。

「お前の欠点、全部言ってやる!」

とも言ったし。で、甘ったれだのいい加減だの、化粧が濃いの、手が荒れている上にいぼがあるだの、しつこく言ってさ。

「俺、あんた見てるとスゲー傷ついた過去あんじゃねえかって気がする」

とまで言いやがった。みんなもあたしを変な目で見るし。

 そんな事言って何になるんだよ。恥ばっかりかかせて、うるさいよもう。だったら

「あなたの長所全部言ってあげるね」

とか言って褒めてくれる方がずっとお互い気分も良いし、やる気も出るけどさ。

 パチンコの景品でもらったのか何か知らないけど、いかにも安そうなネックレスよこしてきて、そんな安物付けたら金属アレルギー起こしそうだし、付けたら付けたで何時にどこに来いとか言うんだろうし、着けなかったら

「ネックレス、どうしてしないの?」

って毎日来て、毎日聞くし。よく騒ぐねえ。うるさいからしまいに突っ返したわ!不満満タン!って顔してた。

 ある時、変な風が来るなと思ったら、その人が口を尖らせてあたしの耳をめがけてフーッ、フーッて息を吹きかけているし。変態か!そうすればあたしが急に変な気起こしてラブホでも行くとでも思ったのかね!その上急激に痩せたから何だろう、腹でも壊したかいな?と思えば

「君との来たるべき時に備えて15キロ痩せたよ」

だと!冗談じゃないよ!あたし、そのお客が嫌でそこを辞めた。

 一緒に働く人だけでなく、お客が耐えられない場合もあるって学んだ。

 

 次に面接したのは、クラシック音楽を流し続ける喫茶店だった。クラシック曲が流れてるって事は、みんな穏やかかなと思ったけどとんでもなくて、面接官が明らかに変なおばさんだった。

 顔の造作がどうって言うより、やってきた事とやられてきた事がそのまま表情に出てるってーか、なんてーか、酷い騙し方と騙され方をしてきましたって顔なんだよ。開口いちばんこうのたまうし。

「あなた、子どもをおろした事あるでしょ」

 …何言ってんの?このおばさん。頭おかしいんじゃねーの?って思った。

「ありません」

って答えたら

「じゃああなたのお母さんは?お母さんある筈よ」

と言う。って事は、あたしに水子のきょうだいがいるって事だし、父さんが妊娠した母さんに子どもをおろせと言う人だって事じゃん。

「ありません」

と答えたら

「じゃああなたのおばあちゃんは?おばあちゃんある筈よ」

と食い下がって来る。

「そこまでさかのぼったら分かりませんけど」

と答えたら、意気盛んに言う。

「それよ、それ!親子は一体だから」

だと。親子って…祖母と孫だろーが!それに祖母はおろしたなんて一言も言ってねーよ!面接に一切関係ないし、誰にでも当てはまる事をわざわざ言って、もしあたしに本当にそういう過去があったらドキッとするだろうから、その顔を見たかったんだろうし、それで自分を超能力者みたいに凄い人って思わせたかったんだろうし、それより何より、初対面でここまで侮辱するって事は、働こうもんならどんなにいじめられるか分かったもんじゃない。

 このおばさんこそ10回くらい子どもおろしたんじゃねーの?自分の不幸を人になすりつけるんじゃねーよ!こっちから蹴ったる、こんな変な所。

「働けません」

と言ってそのまま出て行った。

 世の中には色々なキチガイがいると学んだ。

 

 その日の帰り、電車内での事。

 隣の車両から中学生くらいの男の子が急に入って来た。…と思ったら、震える小声でこうのたまう。

「いちばん、タムラアキヒロ、歌います」

 そして調子っぱずれな歌をうたい始める。向こうの車両では、同じ制服を着た数人の男の子たちが嗤って見ている。歌っているタムラ君は、明らかにいじめられている。

 何とかしてやりたかったが、あたしもどうすればいいか分かんねーし、周囲の人も困惑しながら無視している。タムラアキヒロ君は、恥ずかしさのあまり、耳どころか首まで真っ赤になり、涙をポタポタこぼしながら去って行った。

 ああ、タムラ君。そんな悪い友達とは縁を切りなよ。

 

 さて、次に選んだ仕事はスナックだった。あたしもついに水商売かいなってドキドキした。なんてーか、母さんがあまりにも水商売やるようになる、なる、なるなるなるって言ったので、そうなったのかなって気もしたよ。人のせいにしちゃいけないけどね。

 だけど酔っぱらいのオヤジとチークダンス踊るのが嫌で、一日で辞めた。隣りに座ったら座ったで、嫌らしい手付きで太ももを何回も撫でるし。冗談じゃないよ!父さんみたい!

 水商売も楽じゃないと学んだ。

 

 次に選んだのはカウンターバーだった。カウンター越しだったので、お客に触れられる不快さがない。あたしは潔癖症までいくかどうか分からないけど、汚いのはとにかく嫌いだった。 

 だが、アブラギッシュなオヤジが自分の飲みかけのグラスを

「飲め」

と差し出してくるのは耐えられなかったし、何を話せばいいか分かんないし困ったさ。

 お客ってだいたいおんなじ事しか聞いて来ないんだよね。名前聞く前に年幾つ?って聞いてくるの。で、18歳(ふたつ上に言ったさ)って言えば、昭和何年生まれ?干支は何?って根掘り葉掘り聞いてきて、本当の事言ってんのかどうかいちいち確かめようとするし、どこで生まれたのかって聞いてきて、福岡って言えば必ず九州の?って聞くし、そうって言えば、そこ何があるでしょ、何が名物だよね、とかさも知ってるって顔で聞くし、もううるさいよ。今どこに住んでるの?ってのも必ず聞いてくるしさ。答えたくないよ、成田までついて来られたら嫌だし。あとタレントの誰それに似てるね、とかさ。それだけならまだいいんだけど、中には

「俺の事好き?」

と真顔で聞いてくる客もいたし。…嫌いとも言えず、黙っちまったよ。そのお客さん、じいっとあたしの顔色見てた。よっぽどさびしくて不幸で愛情に飢えているんだろうねえ。妻子にも相手にされず、会社でも誰にも相手にされないんだろう。でも好きじゃねーものは好きじゃねーよ。何て答えればいいか本当に分からず、絶句するしかなかった。こっちが居たたまれなくて辞めたさ。

 水商売はれっきとした「接客業」だと学んだ。

 

 次に選んだのは、クラブだった。高級っぽくて緊張したよ。営業は夜中の2時までだけど、電車に間に合わないからあたしだけ11時半にあげてもらう特別待遇だった。その点はありがてーな、と思った。しかし、やはり客と何を話せばいいか分からなかった。。

 …その店でこんな思い出がある。会社員風の男性客3人が来店し「席に着いた途端」に、そのうちのひとりがあたしに向かってこう声を荒げた。

「ねえ、あなた。お父さん何やってる人?」

 最初から怒り口調で、喧嘩腰だった。

「会社員です」

と答えたあたしに、その人は更に語気を強めて言った。

「どういう関係?」

「航空会社です」

 水割りを用意しながら答える。急に、その人の顔色が変わる。

「どこ?…」

「JELです」

 その人のこめかみに、サッと怒りが走る。

「うっそおお!じゃあその娘が何でこんな所にいるんだよ!」

 それは答えようがなかった。あたしは「聞かれたから本当の事を答えただけ」だった。

「絶対に信じない!」

と言いながら、その人はあたしを憎悪に満ちた目で睨みつけている。

 ああ、ここにもあたしを罵倒する人がいる。ここにも人の職業しか見ない、母さんみたいな人がいる。あたしは作った水割りを、3人の前にポンポンと置き、こう言った。

「お客さん、あたしの事、気に入らないみたいだから、ほかの子に代わりますね」

 そしてさっさと店長の所へ行き

「すいません、はずされちゃいました」

と言った。店長は不思議そうに言ったよ。

「え、どうして?」

「父親の職業を聞かれて、正直に言ったら嘘つき呼ばわりされて睨まれました」

って答えたら、

「お前のお父さんって何やってる人?」

と聞いてくる。

「会社員です」

「どういう関係?」

「航空会社」

「…どこ?」

「JELです」

「えーっ、そうなの?お前のお父さんってJELなの?」

 店長も、そのお客と同じ、信じられないって顔をしていた。

 あたしは思ったよ。ああ、この人もみんなと同じだ。もうめんどくさいから、今度から父親の職業聞かれたら、大工とか何とか言おうかなって。でもあたし、大工って、どんなんか全然知らないんだよな。大工見下す気はないけど。 

 本当の事を言えばいいってもんじゃないと学んだ。

 

 次は別のクラブを選んだ。クラブもいくらでもあると思った。今まで学んだ事を多少なりとも活かせればって気もしてた。

 その店ではこんな思い出がある。初めて付いたお客が、あたしをちらりと見て、気に入ったのか何だか知らないけど、したり顔でこう言った。

「俺はマサコの客だ。嘘だと思うなら支配人にでも誰にでも聞いてみればいい」

 誰も嘘だなんて言っていないし、思ってもいないのに、何このオヤジ、馬鹿じゃん?って思ったら更にこう言う。

「その俺をマサコから奪いたければ、店がはねた後、俺に付き合うがいい」

 …返事のしようがなかった。要はエッチをさせろ、という事なんだろう。だけど「落とした女」に金をかけて通うお客がいるとは思えないし、何の魅力もないオヤジだし、変な噂広がったら困るし、嫌なものは嫌だった。それにあたしは別にマサコさんからその人を奪いたいとも何とも思っていないし、口説くならもうちょっとマシな口説き方あるだろう。

「どうする、お前の心ひとつで俺はマサコからお前に乗り換えてやってもいいと思っているぞ。今日マサコは休みだし、チャンスだぞ」

 …どうするもこうするもなかろう。なんちゅう上から目線!電車じゃあるまいし「乗り換える」とは、なんちゅう言い草!チャンスともなんとも思わないよ、テメエみてえな何の魅力もないオヤジと寝たがる女なんていねーよ!!何て変なオヤジだろう、何てねじ曲がった人だろう、この人物凄く不幸な人なんじゃねーの?って思っていたら、駄目だと思ったのか何だか知らないけど、急に怒り出して

「あっち行け!」

と、まるで犬でも追っ払うかのように、シッシッてやりやがった。何がシッシッだよ!犬じゃねえよ!あんたにプライドあるように、こっちにだって少しはプライドあんだよ!ただ、里中さんにしっしってやったのが返ってきたような気もした。

 すぐ離れたら、支配人を呼び、あたしを二度と付けるなだの、すぐ首にしろだのと、聞こえよがしに言っている。

 あーあー、そうかよ!こっちから辞めてやるよ!こんな不愉快な仕事!

 切り返す能力を身につけなくては、と学んだ。

 

 次も別のクラブを選んだ。だがそこではこんな思い出がある。

 付いた客が、自分の女房がいかにお嬢様育ちか、得々と自慢するんだよ。そんなお嬢様を妻に出来た自分こそ甲斐性があると言わんばかりにね。どこの大学出ているとか、親の職業が立派とか、難しい漢字読めるとか、反物巻けるとか。で、一応こっちも感心したような顔で聞いていたんだけど、急にあたしに向かってこう言いやがった。

「あなた、どこの大学出たの?」

「…大学は行っていませんけど」

って、答えた。高校も行っていませんと言おうもんならどんな目に遭わされるんだろうと思いつつ。

 そしたらその人さも馬鹿にしたように

「だろうね、だったらこんな所で働いている訳ないもんね」

だとよ。返事のしようがなくて黙っていたら、急にコースターの裏に何だか難しい漢字書いて

「これ、なんて読むか分かる?」

だって。読めねーよ。首を傾げたら

「だろうね。あなたどうせ高校もろくな所行かなかったんだろうしね」

だって。その通りだから答えようがなかった。

「あなた、反物巻ける?」

だって。

「巻けません」

と答えたら

「だろうね。そうだろうね」

だって。居たたまれなくなって

「もっと頭の良い子に代わりますね」

って言って席を離れた。そのお客さん凄い目で睨んでいたよ。知らないよ、もう。反物なんて巻けなくたって負けないよって駄洒落じゃないよ。漢字読めなくても感じが良ければいいんだよ、あれ?親父ギャグ。

 ママはママで

「あなた、頭、悪過ぎるのよ」

って言うし。その席って言うより、その店に居たたまれなくて一日で辞めた。

 無知ってこんなにつらいんだって学んだ。 

 

 あたし、自分は水商売って無理だと思った。母さんはホステスなんて誰でも出来る、馬鹿の代名詞みたいな職業と思い込んでいる。もうひとつ!母さんはホステス=売春って思っている!あほか!

 全然そんな事ないよ。接客技術も、話術も、気配りも必要だし、馬鹿話だけでなく、経済やら何やら、色々な事に精通していないと話題についていけないし、客の名前も勤め先の会社名も覚えなきゃだし、馬鹿には務まらないよ。

 売れているホステスって、毎日必ず新聞を隅から隅まで読んで、どんな客のどんな話題でも上手についてっていたし、1回付いたお客の名前も会社名も役職も前回どんな会話したかもばっちり頭に入っていたしね。あたしなんて、どのお客もみんな同じオヤジに見えて(ホント!)、名前も何も覚えらんなくて、いつも名前呼ばずにごまかしながら接客してた。ああ無理だって思いながら。

 給料だって、世間の人が思っているほど高くないしさ。時給は良くても、拘束時間が短いからあんまし稼げない。それに同じ時間働くにしても、昼間と夜じゃ、疲れ方が全然違うんだよ。

「楽して稼ぐ事を覚えたら、もう普通の仕事は出来ない」

とか説教たれてくるお客もいたけど、全然楽じゃないよ!むしろ苦労してるよ!胃に穴が開くほど気を遣うし、緊張だってするよ!馬鹿にするな!ちきしょおおお!!

 

 次に選んだのはレストランだった。メニューが多く、セットで何が付くだの、ソースは何を選ぶのと、覚える事が多くて久しぶりに脳をフル回転させたぜ。ランチタイムは戦争みたいになるし、重いものを運ぶから体はきついけど、ホステスやってお客と苦手な会話したり、嘘つき呼ばわりされて責め立てられるよりいいや、と頑張れた。

 そこはそんなに嫌じゃなかったよ。あたしゃ喜々として働いていた。給料日を待ちわびながらね。

 

 だが父さんは言った。

「お前、学校に戻る気はないか?」

 ある訳ねーだろ!

「退校になるぞ!退校に!」

 そうなりてーんだよ、分かってねーな。バカジジイ!

「誰のお陰で生活してる?誰のお陰でこの家に住める?」

とも言っていた。あははははははははは。

 さすがに

「誰のお陰で学校行ってる?」

とは言えなくなったね!

「それでも育ててもらった恩は残るんだから!」

とは言っていたけどね。いくつになっても「家族を養う」ってー覚悟は出来ないんだねえ。自分の稼いだ金を家族の為に使うのがとことん嫌で、見返りばっかり期待するんだねえ。

 

 母さんは、あたしに家事を頼まなくなった。ラッキー!ってなもんよ。頼まれたってやらないけど。だが、口を開けば嫌味を言った。

「あんた、あんまり顔がしわだらけでびっくりした!たばこ吸うからよ」

だの

「その店は、昼間は喫茶店でも、夜はスナックになるんでしょう?そうなんでしょう?」

だの。

「その店は夜の何時まで営業しているの?」

と聞くから

「10時まで」

と正直に答えれば

「ああ、バーね」

と、したり顔で言うし。まったく、ウルセーよ。バカババア!顔がしわだらけと言えば、あたしがたばこやめるとでも思ってんのかよ!鏡をよくよく見たけど、あたしゃしわなんかねーよ!お前と一緒にするな!

 ああ、バーね、なんて、そんなにあたしに水商売して欲しいのかよ!そうあって欲しくないならわざわざ言うなよ、聞かされるこっちの身になれよ。

 いつもいつも「そうなって欲しくない状態」に言葉を重ねるなよ。そうなったらどうすんだよ。だいたい夜の10時に閉まるバーなんて聞いた事ねーよ!水商売を売春と間違えてるし。あれはれっきとした接客業であって、客といちいち寝る訳じゃないんだよ。それをまるで分かっていないアホ面母さん。

 前にあたしの働いている喫茶店に来て、窓から中を覗き込んでキョロキョロ見回してやがった事あるし、夜は飲み屋になるのかどうか見たかったんだろうけど。で、中にいたあたしと目が合うと、急に知らん顔して立ち去るし、ホントあほ!

「早く働いて好きな物好きなだけ買いなさい」

って言ったのだってどうせ忘れてるんだろうし。仮に思い出させてやっても

「誰が中卒で働けって言ったの?」

って憤然と切り返してくるんだろうしね。食事もわざとあたしの分だけ作ってくんねーし、あたしの使ったお皿だけ洗わねーし。

「あんたはいないものと思っているから」

だの

「あんたは小学生くらいで死んだものと思っているから」

だの、

「あんた、まさかと思うけど妊娠してるんじゃないでしょうね」

だの、もううんざりだよ。もーおー、黙っててくんねーかなー。

「あんた、新宿に行ってるんでしょう!」

とかほざくし。新宿?どこだよ、そこ。知らねーよ。行き方も何も。成田人のあたしにとって、当時千葉でさえ大都会、新宿なんて外国、まして銀座や六本木なんて宇宙だったよ。あはははははは!電車どう乗り継いで行きゃいいのか、知らんでー!!!

 姉ちゃんもあたしを相変わらず無視していた。まったく目を合わせない。いじめられるのも嫌だったが、無視も同じくらい嫌だった。相変わらず自分に妹なんていないって言い張っているし。そうかよ!そうかよ!

 

 そして働き始めて2か月後、あたしの退学が正式決定した。

 

 母さんが普段の百倍のヒステリーを起こしてやがる。

「これで全部が無駄になった。全部が!」

 怒りながら泣いてやんの。

「あんたを生んだ事も!苦労して育てた事も!何もかも!」

 中卒は人間じゃないって事かいな。

「どうしてくれるのよ!いったいどうしてくれるのよ!」

 どうする気もなかった。ってか、どうしようもなかった。上級生のリンチが怖いから行けないんだ。「行かない」のではなく「行けない」のだ。そう言えなかった。母さんに早く向こうへ行って欲しいだけだった。

「あたしあんたなんかいらないっ!あんたが中卒ならいらないっ!中卒の娘なんていらないっ!いらない!いらない!いらない!!!」

 そうかよ、そうかよ、まだ言うのかよ。

「あんた、今度こそ本当におしまいよ!本当におしまいよ!中卒のあんたにどんな未来があるっていうのよ!もう何も出来ないし何やったって無駄よ!無駄無駄無駄!!あんたは小学生レベルの学力しかないんだからね!!」

 だったらなんだっつーんだよ、卑下しろってか?それに母さんはあたしが

定時制なら行ってもいい」

って言ったのを突っぱねたよね?もしかして定時制なら続いたかも知れないじゃん。勉強も凄く後戻りしてスタートしてくれるっていうし、だったら付いて行けたかも知れないじゃん。あとは通信制とか。

 全日制にしたって単願ではなくいくつか受けさしてくれてどこの学校がいいか選ばせてくれた訳じゃなかったし、何にせよいくつか選択肢を出してくれて、どれがいいか選ばせてくれた事なんていっぺんもないじゃん。自分の意志で選んだ道なら続けられる可能性はあるけど、いつもいつもこれしかない、一択、だからこうしろってヒステリックにわめいてさ。1から10まで命令して、思い通りにならなきゃ切れるし、あたしゃあんたの奴隷でも持ち物でも何でもないよ。自分で決めさせてくれよ!

 それに中退したらしたで、定時制通信制高校に転入する事も出来た筈。大検受けるとか、そういう選択肢も何もなく、中退=おしまい、どうしようもないただの馬鹿って決めつけて、暴れ狂って、わめき散らして、もううるさいよ。本当におしまいなのあんただろ!とにかく早く黙ってくれよ、早く向こう行けよ。

「散々お金かけさせて!散々手間かけさせて!散々苦労させて!何の役にも立たない!あんたなんて死ねばいい!死ねばいい!死んでよ!本当に死んでよう!」

 どうかその口を閉じてくれ。本当に閉じてくれ。どうせ孤独。いずれにしても孤独。なら、放っておいて欲しかった。

 

 いづらい家を後にして、友達の家に行ったよ。

定時制通信制の高校に行こうかな」

って言ったら

「4年かかるよ。20歳になっちゃうよ」

って馬鹿馬鹿しいって感じで言われた。他の3人の友達も同感って顔で頷いている。

 けどさ、16歳のあたしが4年後に20歳になるの当たり前じゃん。要はどう4年過ごすかじゃん。同じ4年なら、何もせずにただダラダラ過ごすより、何かやりながら過ごした方が良いと思うんだけどなあ。

 あたし、間違っているかなあ。母さんもどうせ同じ事言うんだろうし、なんてーか、あたしを八方ふさがりの状態に追い込んでるの周りって気がするんだよなあ。あたし、おかしいかなあ。20歳まで生きていないんだろうから、どうでもいいのかなあ。あたしいつ死ぬんだろ。早く死にてーよ。

 帰りたくない家に、だらだら帰る。

 

 朝、出かける前にシャワーを浴びた。体を拭き、洋服を着てから湿気を逃がそうと、浴室の窓を開けて自分の部屋へ上がった。

 3分もしないうちに、ノックなしにいきなりドアがバン!と開き、激高した母さんが立っている。

「あんた!風呂場の窓が全開だったわよ!!そんなに自分の裸を人に見せたいの?そんなに見せたいの?頭おかしいんじゃないの?このストリッパー女っ」

 服を着てから開けたよ、そう言う気力を一気に奪われた。何で、窓全開でシャワー浴びたって決め付ける訳?開けたまま浴びたのか、服を着てから開けたのか、それくらい確認してから怒ってくれよ。そんなにあたしをストリッパーにしたい訳?色眼鏡でしか見られない訳?ああ、うぜーよ!もう何もいう気がしなかった。

 赤鬼より真っ赤な顔の母さんが怒鳴り散らす。

「出てってよ、さっさと出てってよ。あんたみたいな汚らしい娼婦を家に置いておくだけで恥ずかしくてしょうがない。早く死んでよ。ほらほら!死んでよ死んでよ!言っておくけどこれは冗談でも脅しでもなく本気よ。あたしは本気であんたを憎んでいるのよっ」

 毎度のパターンで、言っているうちに興奮してきた母さんが、顔をくしゃくしゃにしながらあたしをスリッパでひっぱたく。

「やめてよう!やめてよう!!裸を見せたり、男の子とセックスしたり、そういう事するの、もうやめてよう!そんな事するなら死んでよう!!ほらあ!ほらあ!死んでよおおお!」

 スリッパを投げ、そこにあったドロップの缶を投げ、ヒステリックにドアが閉められる。

「あんたは死んだものと思っているからね!」

 毎度おなじみのセリフも飛んで来る。

 ああ、やっと今日の修羅場が終わった。ある意味ほっとしながら、そして心底嫌な気持ちになりながら化粧を始める。娼婦とか死んでくれとか、実の娘によくそんな事言えるね。何度目かもう分からんが。

 

 翌日の修羅場もきちんと仕掛けられていた。風邪気味で病院へ行くつもりで保険証を探していたあたしの後ろ姿に、母さんの罵声が飛んできた。

「保険証ならないよ。あんたに保険証は貸さない!」

「は?何でよ?」

と振り返ったあたしに、母さんは得意満面で言い放った。

「あんたに保険証貸すと、産婦人科に行って中絶手術する。それが父さんの職場に知られたら出世に響く、とんでもない事になる。だから絶対に貸さない!」

 そいつぁー物理的に困るぜ。苦手な反論をしたよ。

「そんな訳ないじゃん、医者がわざわざそんな事言う訳ないじゃん」

「言うに決まっている!絶対に言うに決まっている!!」

「じゃあ風邪引いたり怪我したらどうすればいいのよ!」

「知らないわよ、そんなの。自分で何とかすればいいじゃない!あたしはあんたからこの家を守るんだから!」

「おお、素晴らしいね。そうしなよ。誰より家を引っ掻き回しているのあんただよ!」

「どうして?あたしに何のミスがあるのよ!あたしは万にひとつも間違った事は言っていないし、していないわ!断言するわよ!」

 母さんは本気でそう思っているらしかった。自分は絶対に間違っていないと。

「あんた、まさかと思うけど妊娠してるんじゃないんでしょうね!」

「またそれ?いい加減にしたら?嫌らしい、馬鹿じゃないの?」

「当たり前じゃない、親にそんな心配させる娘がどこにいるのよ。あんたが悪いんじゃない。あちこちでセックスしているあんたが悪いんじゃない。悔しかったらまっとうな道を歩いたらどうよ」

「悔しがっているのはあんたでしょ。まっとうじゃないのもあんたでしょ。大体妊娠しても中絶できないなら産むしかないじゃん。そんなにあたしに妊娠してもらいたいの?あんたの言う事なす事めちゃくちゃだよ!」

そう怒鳴ってやったら、また得意満面で言い返してきやがった。

「じゃあセックスしなきゃいいじゃない!そうすれば妊娠の心配もこっちだってしなくていいんだから。ふふっ、まあ、あんたは小さい頃から、手のしわが多かったからね。この子は苦労する人生を送るだろうとは思っていたわよ」

 この言葉に、ブチ切れたよ。おーおー、ブチ切れたさ。また人の神経を逆なでしやがって!あたしの手が荒れているのは、あんたに代わって家事をし続けたからだろーが!「なになにして」と言い続けるあんたの要望に応えてやったからだろーが!頭の中で闘いのゴングが鳴り響く。

 母さんを「黙らせる為に」思い切り突き飛ばしてやった。力いっぱい蹴ってやった(この時、わめき続ける母さんを黙らせる為に殴っていた父さんの気持ちがよく分かった)。わざとらしく顔をしかめ、両手を前に伸ばし、必要以上に後ろに吹き飛んでいく母さん。「あたしはこんなにか弱いのよ」ってパフォーマンスだ。

 もっとムカついた。だから滅茶苦茶に蹴りのめしてやった。壁に頭を打ちつけ、悔し泣きしながら亀みたいに丸くなっている、みっともない母親!

 あたしは家を飛び出し、あてもなく走りながら誰か殺してくれないかと本気で思った。そう、飛び出したってどこにも行く所なんかないんだから!

 

 世の中には何とかなるものとならないものとある。保険証を貸さないなら貸さないで、「国民健康保険証」の存在を教えてくれればいいものを、母さんはそれさえ教えてくれなかった。

 何も知らないあたしはそれ以降、風邪を引いてもどこを怪我しても実費で病院へ行っていた。そうするしかないと思っていたから。

「だってあんた、お金持っているんでしょう。働いているんだから」

 それが母さんの言い分だった。

「あんた、あたしの言う事全然聞かないし、困らせるから。あたしもあんたの言う事聞かない。あたしもあんたが困る事する」

だの

「あんたは死んだものと思っているからね!」

だの

「あんたがあたしの言う事聞かなかったらそのたびに、あんたの物をひとつずつ取り上げていく。しまいに何もないようにする」

というセリフももう何回も聞いたよ。自分の言った言葉くらい、覚えてろっつーの。どうせ前に何回も言ってるって事さえ忘れてんだろ!何回あたしを殺せば気が済むんだよ!

 無知なあたしに国民健康保険の手続きの仕方を教えてくれたのは、病院の看護婦さんだった。あたしも無知だったけど、母さんも無知で世間知らずでおまけに忘れっぽかった。医者にも看護婦にも「守秘義務」ってーものがあって、あんたんとこの娘が中絶しましたよ、なんて職場に知らせる訳ないって事も知らなかった。

 もうひとつ、妊娠は「保険適用外」って事も。2人も子ども生んだくせに!!

 

 母さんは常に「最悪のシナリオ」を抱えていた。

「最悪の事態に備えているのよ」

って言うけど。言えば言う程本当にそういう状態を「引き寄せる」よ!バカだねえ!!

 あたしが妊娠し、誰の子か分からないのを勝手に産む。その子を自分に押し付け、遊びまわる。また誰の子か分からないのを孕み、産み、自分に押し付ける。この家に訳の分からない子どもばかりがウヨウヨ増える。そのうち覚せい剤に手を出す。犯罪を犯す。自分たちが犯罪者の家族として、マスコミにさらされる。週刊誌にもバンバン出る。やくざの情婦になり、そいつに家も財産もすべて乗っ取られる。真顔でそう言い続けていた。

「あんたは一般社会ではバカで役立たずだけど、やくざから見たらいいカモだからいいようにやられんのよ。あんたくらいいいカモいないよ!」

だってさ。そうなって欲しいの?そうしなきゃいけないの?そうなって欲しくないなら、言わなきゃいいじゃん!母さん、気は確かなのかな?この人の方がよっぽどおかしくて、よっぽど狂ってるんじゃないのかな?本当に「キチガイ病院」に行くべきなのは母さんじゃないの?

「犯罪やる前に死んでよ!早く死んでよ!」

だってさ。誰が犯罪やるって言ったんだよ。てめえの発言こそ犯罪だろ!

 そうかと思えば

「近所には、あんたは中学浪人って言ってあるから」

だってさ。相変わらずきちんとものを考えないババアだねえ。中学浪人なんて聞いた事ねーよ。来年どうすんだよ、バーカ!いつもあたしに言っているように近所にも言えばいいじゃん。

「次女は死んだものと思っています」

って。相手はどんな顔するんだろうね!まあ来年あたしは生きていないんだろうから、あんたの言う通り死んでいるんだろうからいいんだろうけどね!

 

 言っとくけどね、あたしは「この程度」で済んで良かったと思っているよ。だって小さい頃、あんたに父さんと母さんどっちが好き?としつこく聞かれ、耐えられずに幽体離脱しちまった時、もうひとりの自分を見て、あたしこう思ったんだ。

「ああ、酷い目に遭っているのはあたしじゃない。あの子だ」

ってね。もっと進んだら多重人格者になっちまったかも知れない。その別人格が、それこそ犯罪やったかも知れねーよ!ましだと思ってくれよ!

 

 あたしは人間扱いされずに育った。まるで吠えるたびに電流が流れる首輪をされた犬のようだった。吠えるたびに電流という罰を与えられる方が、どんな気持ちになるか、飼い主にどんな不信感を持つか、憎しみを募らせるか、考えもしないんだろう。そしてそんな事をされ続けた犬は、例え首輪を外されても二度と吠えなくなる。吠えたら罰を与えられると学習しているからだ。

「さあ、吠えなくなれ」とばかりに、親はどんどん罰を増やしていった。首輪ばかりか、足輪も腕輪も胴輪も、全身に電流をあてがった。

「あんたが悪いのよ、吠えるから」

「これに懲りて二度とやるな」

 それが親の言い分だった。

 だが、こっちは「用があるから」もしくは「伝えたいから」もっと言えば「人間だから」吠えていた訳だ。

 親はあたしを本当に人間扱いしてなかった。

 

 ただね、これだけは分かって欲しい。恨みたくて自分の親を恨む奴はいないんだよ。子どもってーのは、ぎりぎり親を憎めない生き物なんだよ。親の愛情がなければ生きられないんだよ。あんたらは死ねとばかりにあたしを「まったく愛情のない状態」にしやがった。

 小さい頃から生きている事さえ否定され、行く当てもないのに出て行けと罵倒され、些細な事で殴打され、責め立てられ、これでもかとばかりに粗末にされ、メシは抜かれ、交換条件ばかり出され、脅され、その積もり積もった怒りがとうとう爆発しちまったんだよ。

 出来ない我慢をし続けた結果がこれなんだよ!天皇陛下じゃないけど、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだ結果がこの姿なんだよ!誰も分かってくれないし、あんたたちはあたしをいじめるだけいじめておいて、いじめる方は悪くなくて、そのいじめに耐えられない方が悪いような事言うし、冗談じゃないよ!

 本当の加害者はどっち?それのどこが「躾」なの?どこが「愛の鞭」なの?本当の被害者はどっち?子どもは育てた通りに育つんだよ!

 あたしは家でいちばん小さく弱い存在だった。それを良い事に、父さんも母さんも姉ちゃんも、あたしを滅茶苦茶にいじめた。あたしをかばってくれる人はいなかった。あたしの話を信じてくれる人も、マチコ以外はいなかった。そのマチコを母さんは遠ざけたしね。

 あたしだけが悪いのかな?父さんや母さんや姉ちゃん、そしてあたしを見殺しにした人たちも悪いんじゃないのかな?

 小さい頃は憎めなかった親が、憎かった。憎くて、憎くて、ああ憎くて、八つ裂きにしてやりたかった。小さく弱かったあたしをよくもあんなにいじめてくれたね!よくもそこまでやってくれたね!その頃の自分を擁護し、仇を取るような気持ちだった。

 そしていつもいつも、心の奥底でこう思っていた。あたしはきちんとした扱いを受ける価値のある人間じゃないのかな?ってね。…誰も分かってくれなかったけど。

 何故この人はそんな事をするのだろう、と周囲が不思議がる事でも、理解できずとも、当人にはきちんと理由がある。それは「そうしたかったから」あるいは「どうしてもそうせざるを得なかったから」だ。そしてほとんどの場合「どうしてもそうせざるを得ない」からそうしているのだ。

 あたしも、マチコも、ぐれているみんなも、どうしても、どうしても、ああ、どうしても、そうせざるを得なかった。当時、子どもの非行は100%本人が悪くておかしい、とされていた。みんながみんな、こう言った。

「あなたが悪いの!あなたがおかしいの!あなたの親は正しいの!」

 そう、あたしの抱える孤独、憂い、事情を分かってくれる人はいなかった。

 

 母さんがほざく。

「あんた、沖本って名乗らないで。あたしはあんたを沖本家の一員として認めてないから」

 黙って頷く。ああ、あたしはますますユウレイだ。名前さえ名乗れないんだから。アルバイト先に出す履歴書に、沖本、とさえもう書けない。

 翌日、母さんが聞く。

「名前、何にしたの?」

 あたしは短く答える。

「相川」

 それは母さんの旧姓だ。

「やめてよ、相川なんて、冗談じゃないわよ!汚らわしい!」

 相川も駄目なのか。疎外感は尽きなかった。

 翌日、また母さんが聞く。

「名前、何にしたの?」

 あたしは短く答える。

「水原」

 母さんがせせら笑う。

「は?水原?かっこいい名前にしたね。馬鹿丸出し!」

 …何だよ、沖本も相川も駄目なら、何て名乗ればいいんだよ。

 

 だが、あたしのアルバイト先から電話がかかってくる時に、毎回混乱する。うちは沖本なのか?水原なのか?あたしが電話に出た時はまだ何とかなるが、あとの3人が受話器を取った時は、かけてきた人も混乱していた。

「水原さんのお宅じゃないんですか?」

だって。そりゃそう聞くよね。慌てて

「ああ、お待ちください」

と答え、階段の下から上に向かって

「マリーっ!電話!」

と叫ぶ母さん。あんたが撒いた種なんだよー。自分で刈り取ってねー!!

 せめて名前くらい使わせてほしかった。

 

 ある時、母さんが何だか機嫌良さそうだったので(また展示会で母さんの作品がいちばん評判が良くて、完売して、みんなに褒められたのか何だか知らないけど)思い切って話しかけた。

「この前、シャワーの後、服を着てから窓開けたんだけど」

 母さんは言った。

「でも、そう思うじゃない」

 何が「でも」だよ。ああ違ったのね、勘違いして怒ってごめんね、くらい言えねーのかよ!あーもー、言わなきゃ良かった。せっかく歩み寄ってやったのによ!ばかばかしい!!!もう何も言わない!!!

 

     ★

 

 そうそう、初めてのアルバイト先で常連客だった人と付き合うようになっていた。あたしにとって初めての正式な(はて?)彼氏。6歳上で、親が経営する寿司屋の手伝いをしている人だった。

 ただ、きちんと従業員として働いているのではなく、気が向いた時や忙しい時だけ手伝っている道楽ぶりだったよ。自由出勤ってやつ?継ぐ気もなかったみたいだし。良い身分だねえ。だから暇みたいで、毎日店にコーヒー飲みに来ていた。

 あたしを好きだ好きだと連発し、あたしと付き合えるならどんなことでもすると言った。

 …だったら可愛がってくれるかな?と思っちまったよ。ただ、矛盾する所も多々あった。

「若すぎるんだよ。せめて18だったら付き合った」

と、付き合おうと約束なんてしていないのに言っているし。

「自分が27の時に21の嫁さんがいるなんて」

とも言った。って事は、結婚も考えてくれているって事かいな?と、ちょっとは嬉しかったしね。

 正直言ってあたしはその人をそんなに好きじゃなかったけど、せっかく言い寄ってくれるんだから「据え膳食っとくか」って気がした。6歳も年上で大人に見えたし、親は愛してくれない代わりに神様はこの人を与えてくれたのかな、とさえ思った。

 だがその人は初めてキスした時、妙にしつこかった。

「もう1回、もう1回」

とまたキスされた。顔が離れるとまた

「もう1回、もう1回」

とまたキスする。それを何回も何回も繰り返した。それこそ10回くらい繰り返した。なんてしつこいんだ。

 そして翌日、その人はアルバイト先のみんなの前でこう言った。

「ねえ、イーってやってみて。昨日歯が全然なかった気がする」

 ほかのみんなもあたしの口元に注目する。あたしは歯並びが悪いのをじゅうぶん気にしていて、いつもあまり口を開けないようにして喋っているくらいだ。それなのにみんなの前でそんな事言うなんて。ましてや、キスした事がみんなに分かってしまうってーのに。

 その人はあたしの口元を見ながらまだ言う。

「ねえ、イーッてやってみて」

「歯が全然なかったら、さしすせそ、も、たちつてと、も言えない筈じゃん。あたしは、さ行も、た行も、きちんと言えるんだから、歯があるって事じゃん」

 苦手な反論したが、それでもその人はあたしの口元を見ながら何回もしつこく言った。

「ねえ、イーッてやってみて」

 嫌なものは嫌だ。首を横に振る。

「ねえ、イーッてやってみてよう」

 夕べも今も、なんてしつこいんだ。絶対にやらなかった。

 そう言えば付き合う前にその人がこんな事を言っていた。

「20歳過ぎの処女なんて飲み開きのコーラだよ」

「何それ?」

と聞いたら得意そうにこう言った。

「気が抜けてる」

 だがその人は、後日にやにやしながらこう言った。

「面白い話聞かせてやろうか?」

 どうせ面白くないんだろうと思いつつ頷く。

「俺、キスしたのお前が初めてなんだよ」

 面白くねーよ、22歳にもなって、気持ちわりーよ。ああ、だからあんなにしつこかったんだ。もう1回、もう1回って。

「マリはキスするの初めてじゃないんでしょ?」

って言うから正直に

「初めてじゃないよ」

って言ったら

「でも、処女でしょ」

って言う。自分に経験ないからって相手にも同じもの求めんじゃねえよ!って思いながら

「違うよ」

って言っても

「でも、処女でしょ」

って何回も言う。

「だって俺の友達が言ってたもん。あれはヤッタ顔じゃないって。だから処女でしょ」

だと!顔でやるんじゃねえよ!体でやるんだよ!どあほ!もうしつこいよ!うるさいよ!気持ちわりいよ!ハタチ過ぎの童貞なんて、飲み開きのコーラだろ!!

 …別の日、その人は言った。

「君にひとつの課題を与える」

 は?って顔をしたあたしに、得意気にその人は言った。

「たばこをやめる事。出来ない場合は別れる!」

「バカバカしい!自分だって吸うくせに!」

 苦手な反論をすると、もっと得意満面で言い放った。

「俺は成人しているから。君は未成年!それに俺は吸い始めたの20歳過ぎてからだもん」

だと、何が「だもん」だよ。可愛ぶるな、あほ。もうひとつ、その人の揺るぎない主張があった。

「女は子どもを生むから」

「あたし子どもなんか生まない。一生、生まない」

と言ってやった。

「俺の子も生まない気?」

と聞くので大きく頷いた。

「結婚なんかしない!」

 結婚なんてしないよ!子どもだって一生産まないよ!結婚して、子ども生んで、不幸になった人たち見て育ったからね。子どもだって一生生まないよ!生んだ子をいじめたくないしね!

 自分の子なら可愛いよ、ってみんな言うけど、全然そんな事ないよ!現にうちの親は二人とも、実の娘であるあたしを滅茶苦茶にいじめたよ!本当だよ!事例ならいくらでもあるよ!

 その人は未成年だからという理由で煙草を禁じておきながら、あたしを平気で酒場へ連れて行ってどんどん酒を飲ませたし、ポルノ映画もどんどん見に行くし、ラブホテルも当然のように行った。

「怖くないから、怖くないから」

と言ってどんどんあたしの体を触る。誰も怖がっちゃいないよ!汚い手で触られるのが嫌なんだよ!石鹸できれいに洗って清潔なタオルで拭いてからにしてくれよ!!

「お前は全然俺の言う事を聞かないな。煙草やめろって言ってもやめないし、何の楽しみもないのは可哀想だから、じゃあお酒は飲んでもいいって事にしてやったのに酒は飲みたくないって言うし、映画も嫌だと言うし!」

だと!どアホ!ただ自分が酒好きで付き合わせたいだけだろうが!ホステス代わりに!!

 未成年だから煙草吸うなと言うなら、同じ理由で酒も禁じるべきだし、18禁映画もホテルも行くべきじゃないだろう!あたしの前で平気で煙草吸って、副流煙どんどん吸わすし!屁理屈を極めるな!

 ポルノ映画なんて最初興味本位で見たけど、1回で飽きたよ!見たかねーよ!普通の映画ならまだしも、もう見たかねーんだよ!!酒だってまずいし、飲みたかねーよ!自分の好み押し付けんじゃねーよ!!たばこやめられないなら別れる、上等だよ!

「じゃあ別れよう。あたしあなたよりたばこの方が好きだから!」

と言ったあたしにその人は慌てて言った。

「次のデート、いつにする?」

 そしてその人は、あたしが何か言うたびにそれをいちいち覚えていて、なになにって言ったじゃない、と蒸し返す人だった。母さんそっくり!

「映画観るって言ったじゃない」

とか

「ホテル行くって言ったじゃない」

とかね。仕方なく頷いただけじゃん。

「全然言う事聞かない」

って怒っているから

「正しいと思わないから聞かないんじゃん」

って苦手ながら反論したら絶句してやんの。

 苗字を聞かれ

「水原」

と答えると、わざわざ電話帳で調べて

「ないよ!嘘言ってんじゃん」

とあたしを責めるし。確かめるなんて、いやったらしいじゃん!本名は言えないから言わないんだよ!親にうちの一員と認めないだの、沖本家の恥とか、言われているからね。本名を名乗れない奴だっているんだよ!

「またポケられた」

だって。そういうの「ポケる」って言うんだ。あーそー。ボケる、じゃないのね。あはははははははは。いっそボケてあたしを忘れろよ!

 しかもその人は、あたしがアルバイトを変わるたびに毎回新しい店に偵察に来る人だった。それも初日の朝に!にやにやしながら!!

 そして必ずこう言った。

「どう?」

 何がどう?だよ!答えようがねえよ!母さんみたい。

「知っている人?」

と新しい所の先輩に聞かれるし、見張られているみたいで嫌だった。

「来ないでよ」

って何回言っても来るし。

「ちゃんとやっているかなと思って」

だと。オマエの紹介でこの店に入った訳じゃねえし、あたしゃあんたの所有物じゃねえよ!

 しかも変に新しい店のみんなに馴れ馴れしくして、あたしの仕事ぶりはどう?とか聞くし、店の電話番号なんて教えていないのに、番号案内の104で勝手に調べて電話もどんどんかけてきて、

「どう?」

って聞くし、元々あんまり好きじゃないのにそんな事されて、どんどん嫌になった。

「やましい事がないならどこで働いているか言える筈。そこに行っても電話してもいい筈」

 それがその人の言い分だった。やましかないけど迷惑なの!

 更にその人は、親に買ってもらったソアラってー車を得意気に乗り回していた。助手席に乗せてくれたはいいが、ある時降りようとした瞬間、強風に煽られてドアをガードレールにしたたかにぶつけちまった。勿論わざとじゃないし、すぐに謝った。

 だがその人は間髪入れずに大声で怒鳴った。

「この車、360万もしたんだぞ!」

 そして車を降り、ドアに傷がついていないか丹念に見ていた。あたしの心配は一切せず、車の心配ばかりしていた。親の金で買ってもらった車だろ!と言いたいのをぐっと堪える。

 それにその人、変な角度から自慢してくるし。

「夕べマリちゃんからうちに電話あった時に最初にユキオが出て、その後俺に代わったでしょう?俺の親が、ユキオの友達とお前があんまり関わらない方がいいんじゃないのかって言っていた」

と、満足げな顔で言う。

 ユキオ君というのは、その人の親が経営する寿司屋に住み込みで働いてる、あたしと同い年の見習いさんの事だ。…何が言いたいのかよく分からない。

「だから?何が言いたいの?」

と聞いても

「ん、そうやって言うから」

と満足気な顔をやめない。

 要するに、自分の親は、ユキオなんかより俺が可愛いんだぜ、俺を愛しているんだぜ、と言いたい訳だ。

 中卒のユキオ君は悪い子で、ユキオ君の友達とおぼしきあたしも不良だから、良い子の俺が悪い影響受けないようにして欲しいと、俺の親は俺の心配だけをしている、と言いたいんだろう。自慢しちゃって、大人げないねえ、22のくせに。

 おまけにユキオ君をむやみにこき使い、気分次第でこれでもかとばかりにいじめ、円形脱毛症になるほど虐げていた。ユキオ君、可哀想に、どんどん髪が抜けて禿げていくの。その人、いじめをやめるどころか

「ユキオの奴、禿げてやんの。その禿げがどんどん大きくなりやんの、ハハハハハ」

ってせせら笑っているし。我慢しているユキオ君の気持ち分からないんだろうねえ。

「ユキオが死にたいって言うから首絞めてやった。そしたら死ぬじゃないかだってハハハ」

とも言ってた。死にたいくらいお前のいじめが嫌なんだろうに。

 その上その人はあたしに毎月の給料の額を聞き、

「8万円くらい」

と正直に答えたあたしにこう言った。

「俺より良い給料もらってんな。これからデート費用は全部そっちが持ってよ」

と言いやがった。冗談じゃないよ!こっぴどく振ってやった。もううんざりだ。こんな彼氏ならいらない。何回振ってもまだしつこく付いてくるし。

「何でそんなにしつこいの?」

って聞いたら

「それだけ好きって事じゃん」

だって。本当に好きだったら相手の嫌がる事しねーだろ!つきまとっておいて

「俺にこんなに愛されてて嬉しいでしょ」

だと!全然嬉しかねーよ!そんなん愛情じゃないよ、ただ意地になってるだけだよ!何回も電話かけてきて

「昨日の別れ話、あれキャンセルだから!」

だの

「君の行く先々に押し掛ける俺を嫌っていた実績を考えれば仕方ないかも知れない。でも、俺はまだ君が好きだから付き合いたい」

だの(実績ってそういう時に使う言葉じゃねーよ!)

「俺は一度でも付き合った女には最後まで責任持つ。別れたからハイさようなら、なんてそんな事しない!だからこれからもお前と会うしホテルも行く!」

だの、アタマ狂ってんじゃないの?って言いたくなるような事を次々に言う。

 仮にこの人と結婚しても、子どもを生んでも、同じ事を言いそうな気がした。

「この結婚、キャンセルだから!」

とか

「この子が生まれた事、キャンセルだから!」

って。その人はしまいにこうのたまった。

「俺はあの時、初めてだったから責任とって結婚してよ」

 は?いまどき女だってそんな事言わねーよ。バーカ!

「親が喫茶店開業するんだ。俺、任されるんだよ。雇ってやるからお前コーヒー作れよ」

とも言った。誰も雇って欲しいなんて思わねーよ!

「俺、音楽とデザインの勉強の為に来月からアメリカに行く事になってるんだ。その前に会ってよ、会ってよ、会ってよ、会ってよう、ねえ、会ってようううう」

とミエミエの嘘もこくし、どこまで付きまとうんだ!

 この人は今でいうストーカーで、後年、あたしが通うだろうと思った美容学校の夜間部に、自分も生徒として通学するというキチガイ沙汰をやった。気が向いた時だけ親の店を手伝う、つまり無職に近い状態だから、暇だからこそ出来た事だろう。親が喫茶店を開業するというのも嘘だったのだろうし、学費も親に出させたのだろう。

 美容学校卒業後に受けた国家試験会場で姿を見かけ、一瞬で分かった。勿論さっと隠れて見つからないようにした。

 免疫のない人と付き合うものではないと学んだ。

 

 次に付き合ったのは、その次のアルバイト先で一緒だった人だった。前に人にしつこくされて困っているあたしを心配してくれた。前の人が変過ぎたから、その人はまともそうに見えたよ。ホールのチーフやっていたし。

 だがその人は初めてのデートに大幅に遅刻して来た。20分以上待たされ、もういい加減帰ろうかと思い、駅にある伝言板(当時は携帯電話などなく、風呂の蓋くらいのサイズの黒板が、どこの駅にもあった)に「もう帰るよ、マリ」と書いて立ち去ろうとした。

 そこには「遅いぞスージー」だの、「先に行くぞライデン」とも書いてあった。ロックバンドやっている人たちのステージ名なんだろうねえ、何がライデンだよ、と思ったさ。

 そこへやっと現れたその人は、何を言うかと思えばこう言い訳した。

「俺、お前が時間通り来ると思ってなかったんだよ、偉いじゃん、感心したよ」

 あほ!初デートで遅れておいて言えたセリフか!何回もデートしてあたしが毎回遅刻するから、とか言うならまだしも、1回目のデートであたしが時間にルーズだと勝手に決めつけて、遅れてきてごめんの一言もなく、そんな言葉でごまかすな!

 しかもお腹が空いていると言うあたしに、なんやかやと理由を付けて食事をさせてくれなかった。

「この店はたいした料理出さないから」

だの

「ここはコックが代わってから味が落ちた」

だのと言って。やっと入った店で料理を選ぶにしても、ああだこうだと通ぶってるし。ようやく運ばれてきた料理を食べようとすれば

「待て」

と言って鞄の中からなにやら怪しげなスプレーを取り出し、その料理に水をシュッシュッとかける。

「何すんのよ、汚い。断りもなく勝手な事しないでよ」

と言えば

「この水は魔法の水なんだ。毒を消してくれるからイイんだよ」

とのたまう。何の水だ!何の宗教入っとんのや!

 デザートにパフェを注文すれば、自分のパフェの生クリームを食べきれないとばかりに、勝手にあたしのパフェの上にドカドカ乗せるし。

「何で断りもなくそう言う事するのよ。スプレーしていい?とか生クリーム乗せていい?とかちゃんと聞いてよ」

と言ってもヘラヘラするばかり。余計イライラした。

 そしてその人は、手持ちのたばこがなくなるとごねる人だった。気が利く女だと思われたくて、その人がお気に入りの銘柄のたばこ、マルボロってのを密かに買っておき、なくなった途端にハイと差し出したんだよ。その時は勿論喜んでくれたよ。

 だがその人は、あたしが差し出したマルボロも、あっという間に吸い終えてこう言った。

「ねえ、第2のマルボロないの?」

 あたしゃ自販機じゃないよ!しかもその人は、あたしが店でほかの人にいじめられているのを見て見ぬ振りをした。

「だって俺の立場で向こうの悪口言う訳にいかないじゃん」

 それがその人の言い分だった。更にその人は綺麗事を言う人だった。

「5年かけて得た信用を一度失うと、取り戻すのに10年かかるんだ」

だの

「仕事だけはちゃんとやりなよ、仕事だけは。俺もこれからはそんなに助けてやれないし」

とかね。お前のやってる事はなんなんだよ!困っててもたいして助けてくれてないしね!

 その上その人はお母さんの話をよくする人だった。

「昨日、お母さんがボクの事をよく我慢したねって褒めてくれた」

とか

「お母さんがマリちゃんと付き合うのやめなさいって言うの」

とか

「お母さん、若い頃すごく美人だったの」

とかね。ハタチのオトコの言う事か!

「お母さんに反対されてるなら別れようか?」

と聞けば

「でも、俺はお母さんの反対を押し切ってまで、マリちゃんと付き合ってあげてるよ」

だと。何が「あげてる」だよ。全然有り難くねえよ!

 しかもその人は、当時浦安に出来たばかりのディズニーランドに行きたいというあたしに

「今月中には行こうと思う」

だの

「今年中には行こうと思う」

と言いつつ、決して連れて行ってくれない人だった。そんなに遠くないし、そんなに忙しくもないのに…。

 その上その人は、喫茶店やレストランに入っても一発でメニューや席を決められない人だった。この席、と決めても

「やっぱりあっちがいい」

と言い出し、店員に頼んで替わる。

「はい、お引越し、お引越し」

とか言いながら新しい席に替わる。そしてしばらくすると

「やっぱりあの窓際の席がいい!」

と言い出し、また

「はい、お引越し、お引越し」

と席を替わる。店員も呆れていたよ。あたしも嫌だった。じっと我慢して付き合ったけどさ。 

 メニューも、最初に

「アイスコーヒー」

と注文しても

「作っちゃった?やっぱりアプリコットジュースがいい!」

とか言うし。しかもその直後に

「作っちゃった?やっぱりアイスココア!」

とも言っていた。この人と例え結婚しても、妊娠しても同じ事を言うような気がした。

「やっぱりあっちの女の子がいい!」

とか

「子ども出来ちゃった?やっぱり子どもいない方がいい!」

とか

「はい、離婚、離婚」

とかね。

 しかもその人は、あたしの神経を毎度毎度逆撫でする人だった。あたしがコンビニエンスストアで何か買うとこう言った。

コンビニエンスストアがいちばん高くつくね!」

 …うるさいねえ。だったら

コンビニエンスストアで買い物すると高くつくから、ディスカウントショップで買えば?車で連れて行ってあげようか?」

等、プラスの言い方をしてくれてもいいのに。

 もうひとつ、あたしはコーヒーや紅茶、緑茶といったカフェイン飲料と炭酸飲料が体質的に飲めなかった。酒も決して好きじゃなかったしね。まずいから!

 喫茶店や自販機で飲み物を選ぶ時、必ず野菜や果物のジュースか牛乳を飲んでいた。腹を壊しちまうからしょうがないっつーのに、その人はそれも否定した。

「喉乾いた」

と本当に喉カラカラのあたしに

「どれ?」

と自販機を前に聞くから、飲めるものを選び

「オレンジジュース」

と言えば

「甘いの飲むとまた乾くよ」

と否定する。だから飲むなってか?

「もういい!」

 あたしは自分でお金を入れてオレンジジュースを買って飲んだ。

「だから、甘いの飲むとまた乾くよ」

と壊れたテープレコーダーよろしく言うから、言い返してやった。

「また乾いたらまた飲めばいいじゃん!10本でも、50本でも!!」

 別の時、トマトジュースを選んだあたしにその人はこう言った。

「トマトジュースじゃ乾き癒えないよ」

 だから飲むなってーのか?カフェイン飲料と炭酸は飲めねーって前に説明したじゃん!忘れたか!ドアホ!

 更にその人はあたしの気持ちをまったく考えず、自分がエッチしたければあたしが生理中だから嫌だと言っても押し倒す人だった。今と違い、「性的合意」なんて言葉もなかったけど…。

「俺は相手の気持ちを考えるんだ」

って言っていたくせに。口ばっかり、こんな奴嫌いだ。靴下の穴縫えとか、ボタン付けろとか、どんどん用事言いつけるし、有難うの一言もないし、もう嫌だ。

 何だか機嫌良さげに電話を掛けてきて他愛もない事をべらべら話すから、話し合いを試みようと勇気を出してこう言った。

「ねえ、あたし、もうあんまり便利に使われてあげられないわ…」

 その途端、不機嫌になり

「もう切る」

とガチャ切りされた。

 ああ、話し合ってもくれないのか、とさびしい気持ちでいっぱいになる。

 後日その人はまた電話を掛けてきてこう言った。

「俺あの時良い気分だったんだ。楽しい気分だったの。お前にぶち壊されたんだ。謝ってくれよ。さあ、謝れよ。早く」

 …絶句したよ。あたしの良い気分、楽しい気分を年がら年中ぶち壊しておいて言えたセリフかいな。決して謝らなかったらまたガチャ切りするし。なんて勝手な人だろう。

 そう思っていたらその人が、あたしのいない所で自分の仲間に

「マリ?あいつたいした女じゃねえよ。最初いい女と思ったけど。本当にたいした女じゃねえよ。だって俺なんかと付き合ってんだもん」

と平気で言っていたというのを聞いた。しかも

「マリを誘ってみろよ。洗剤みたいに落ちるかどうか。落ちたらくれてやるよ」

とも言ったそうだ。そんな事わざわざあたしに教えてくる人も酷いと思うけど。

「知らなきゃ可哀想だから」

だと。知れば可哀想じゃなくなるのかよ!その人も、その人の友達も、どっちも耐えられなくて離れた。

 綺麗事を言う人ほど心は汚れていると学んだ。

 

 次に付き合ったのは、別のアルバイト先の先輩だった。その人も、いちばん最初に付き合った人に付きまとわれて困っているあたしを心配してくれたよ。

「俺が守ってやるよ。マリは保護してやらなきゃいけないタイプなんだな」

 保護してくれるの?それこそあたしが求めていたものだよ。信じようと思った。

 だがその人は、初めてのデートで分かれ際にこう言った。

「ほっぺた空いてる?」

 何の事か分からず

「え?ほっぺた?」

と聞き返したら、断りもなく頬にキスしやがった。

「おやすみ」

と離れていくその人。それであたしが痺れるとでも思ったのかね!バカか!

 別の時は、塗ったばかりの口紅が取れるから嫌だと言うあたしに無理矢理キスしておきながら

「べったり付いちゃった」

って嫌そうに何度も口を拭いているし。なら最初からしなきゃいいじゃん!

 その上その人は、あたしがアルバイト先に提出した履歴書を勝手に見てこう言った。

「得意な学科、数学だって?すごいじゃん」

 …あたしはその人の履歴書を勝手に見て、書いてある事についてどうこう言わないのに。

 その上あたしが卒業した中学にわざわざ行き、あたしの友達に勝手に会うという信じられない事もしたし、あたしの手帳まで勝手に見て、あたしの友達に勝手に電話して昔はどうだったの?等、何人にも連絡して聞きまわった。

「昔っから見栄っ張りだったんだって?ケッケッケッケッ」

と、さも馬鹿にしたように笑うし。

「いい加減にしてよ、今度やったら別れるよ」

と言ったあたしにその人は平気でこう言った。

「まあ、なんだかんだ言って、お前は俺に惚れているんだからなあ」

 それで済ます気か!どあほ!しかもその人は、エッチの時に

「リードして、リードして」

と言うばかりで手ひとつ動かさず、マグロみたいに寝そべっていた。1回で嫌になったよ。

 その上その人は、映画を観ようとチケットを買った途端にこう言った。

「俺の兄貴が言っていた。映画観るほどつまらないデート法ないって」

 …これから映画を観るってーのに何でそんな事言うんだろう。

「だって、2時間黙って前向いて、つまんないじゃん」

 あたしが自分に「つまらない思いをさせた」って事なんだろう。更にその人は、映画の帰りにこう言った。

「ねえ、100円だけパチンコやっていい?」

 あたしといるよりパチンコの方が楽しいって事だろう。100円のパチンコに負けた訳だ。100円じゃ済まなかったしね。

 ましてそのパチンコ屋で、他の客に絡まれて困っているあたしを置いて逃げやがった。助けてくれたのはそこの店員さんだった。

 保護すると言ったのは、ただの口説き文句だったのだ。

「俺が変に手助けしたら、マリはハプニングに対応できなくなるだろう?」

だと!屁理屈こくな!ただ怖かったから自分だけ逃げたくせに!二度と会わなかった。

 保護する、と言う人ほど保護してくれないと学んだ。

 

 次に付き合ったのは、助けてくれたパチンコ屋の店員だった。

「俺ならマリを守れる」

と言ってくれた。現に助けてくれた事があるし、信じてもいいんだろうと思った。スカートのしわを気にしているあたしにアイロンを買ってくれたし。勿論嬉しかったよ。

 だがその人は会うたびにアイロンをかける仕草をしながら言った。

「これ、使ってる?」

 もう、うるさいよ。恩着せがましい。

 そしてその人は、「きちんとものを言わない人」だった。

 喫茶店で向かい合って話をしている最中に、急に顔をしかめて自分の肩を叩いて見せる。何の事か分からず、きょとんとするあたしにもう1回自分の肩を叩いて見せた。…何が言いたいのかさっぱり分からない。ポカンとしていると、自分の肩をやけになってバンバン叩き続ける。

「なあに?これなあに?」

とあたしも自分の右肩を叩きながら聞いた。

「違う!こっち!!」

と切れそうになりながら、さも嫌そうに顔をしかめながら反対の肩を叩いている。

「なあに?帰れって事?」

 訳が分からない。

「違う!だから!!!」

と、その人はひどい顔で肩を叩き続ける。

 …結局、下着の紐が肩から見えているよ、と言いたいのだった。だったら

「紐が見えているよ」

とか何とか、はっきり言ってくれればいいのに。それか手を伸ばして、すっと直してくれるとか…。肩をバンバン叩いて見せたって分からないし、みっともないのはあんただよって思った。

 更にその人は「相手の立場に立つ」って事が出来ない人だった。電話をかけてきて、雑誌に載っていた店に行きたいと言うから

「場所は?」

と聞けば

「雑誌に地図載ってるよ」

と言う。

「何て言う雑誌?その雑誌の何ページに地図があるの?」

と聞いても

「名前忘れた。ほら、本屋にあるからさ。黄色い表紙。その雑誌をパラパラってやったら出てくるよ」

だと。あほ!

「その説明じゃ分からないよ。何て言う雑誌の何て言う名前の店で何ページ目の右上、とかそういう説明してよ」

と言っても

「だから表紙の黄色い雑誌、パラパラってやれば載ってる」

と自分にしか分からない事を言う。何がパラパラだ!一緒にいてイライラするぜ!

 仕事先の人間関係について話を聞いて欲しかったんだけど、何言っても黙ってるし。解決策求めているのにさ。

 その上その人は初めてエッチをした直後にこう言った。

「これをなかった事にして欲しい」

 …なんのこっちゃ。さびしさを堪えながらひとりで帰ったよ。

 だがその人は翌日電話をかけてきて

「本気になっちゃったからもう1回付き合って。付き合ってくれるなら今から千葉駅まで来て」

と、のたまった。付き合いたくないなら行かなくていいんだろう、と放っておいたら何回も何回も電話をかけてきて

「来てよ!来てよううう!!どうして来てくれないのおおおおおおお!!!」

と絶叫しているし。

 勿論絶対に行かなかった。なんちゅう大人げなさ!なんちゅう男らしくなさ!と呆れた。23歳のくせに。

 そしてその人はどういう思考回路になっているのか知らないけど、家を出たがっているあたしの事情もよく理解せず、ただ出るな出るなと言い、女友達と一緒に暮らすと言ったあたしにこんな屁理屈をこねた。

「女同士で暮らしたら、その友達の彼氏とエッチな関係になっちゃうんだよ。そうなっちゃうんだよ、そうなっちゃうんだよ、そうなっちゃうんだよ、そうなっちゃうんだよおお」

 は?なんだそりゃ。って事は、あんたがあたしの女友達に手を出すって事じゃん。もうその屁理屈も、嫉妬に狂った発言も聞きたくないよ!けなし文句も多いし。

「褒めたら自信持つだろ、自分をいい女と思って他の男に向かうだろ。だったら毎日けなしてけなして一切の自信を無くさせればいいだろ。俺と居るしかなくなるし」

と、父さんみたいな事を言う。けなされる方がずっと嫌だよ。とことん嫌になって離れた。

 性別が男なら、男らしいとは限らない、中身は女みたいな男もいると学んだ。

 

 次に出会ったのは、テレビ局で働きながらひとり暮らしをしている人だった。

「一緒に暮らそう」

 初めて会った日にそう言われた。親に毎日出て行けと言われている身、この人のアパートに逃げ込めばいいのかな、と思った。

 だがその人は言った。

「俺、アシスタントディレクターなんだ。激務の上に給料安いんだよ。つまり徹底的に金も無ければ時間も無いの。マリちゃんが家賃や光熱費を払って、家事も全部やって。それなら一緒に暮らしてもいいよ。ずっとずうっと支払いと家事をしてくれるなら結婚もしてあげるよ。マリちゃん得意な料理ってなあに?毎月の給料は幾ら?」

 どあほ!ヒモなんかいらねーよ!!!付き合う前に蹴った。

 女のヒモになりたがる男など相手にしないと学んだ。

 

 次に付き合ったのは、友達の同棲している彼氏だった。勿論内緒で付き合った。

 だが「不倫をしている状態」に酔いしれているその人が嫌だった。だって彼女とあたしの両方に「同じ香水」をプレゼントしたり(移り香でバレるのが怖かったんだろうねえ。だからわざと違う香水付けてやったさ!あははははは!!!)、食事しようと入ったレストランでお茶しか飲まないし。

「どうして食べないの?」

と聞けば

「家で食べなきゃまずいだろ」

だって。しらけるぜ。

 そして彼女とその人と3人で会うとわざとらしく

「久しぶりだなあ、こいつ久しぶりだなあ」

を連発する。それも彼女に背を向けて、あたしにパチパチウインクしながら。話を合わせろって事だろう。めんどくせー奴だ!

 後で文句を言ったら

「昨日はどうも、って言えってか?」

って言うし。普通に

「いらっしゃい」

とか

「こんにちは」

って言えば良いんだよ。アホ!オマエなんかいらねえよ!

 彼女がトイレに立った隙にあたしの耳元に口を寄せて

「愛しているよ」

とのたまう。そして普通の声で

「忘れんなよ」

だって。忘れてーよ。全然嬉しくないし。それでうまく世渡りしてるつもりか!母さんみたい。

 しかもその人は、あたしに「笑顔で我慢しろ」と要求してくる人だった。

「お前が俺のわがままをニコニコして我慢する女になれば、もっと愛してやるし一緒にいてやる」

だと!そんな都合のいい話があるか!!

 待ち合わせしてあたしの姿を見ると、必ず手をパンパン叩いて呼ぶし。犬じゃないよ!名前くらい呼べってーの!!

「彼女にあたしとの事がバレたらどうするの?」

と聞いたあたしに笑顔爛漫でこう言い放った。

「任せて、俺嘘うまいから。俺嘘うまいから。俺の嘘にみんな騙されるから」

 ああこの人、彼女とあたしの両方に嘘ばっかりつくんだろうなあ。嘘うまくも何ともないよ。むしろ下手だよ。

「床屋が混んでいたって言う」

だの

「昔の彼女が今の彼氏に暴力振るわれているらしくて、相談に乗っていたって言う」

だの

「昨日急に鼻血が止まらなくなってさあ。謎の病気だよ」

だの、彼女との約束を破るたび、あたしとの約束を破るたび、変な嘘を、極めて下手な嘘をこき続ける。口遍に虚しいって書いて嘘って読むんだよ。虚しくないのかい?

「子どもの頃、毎日芸能プロダクションにスカウトされた。親が断ってくれた。断らなければ俺も今頃スターだったんだけどなあ」

だの

「ある人がまだ高校生だった俺の前に2000万円の札束を並べて、これで会社を作って下さいと頭を下げた」

とか、おかしな作り話ばっかりするし。

「俺その時の事、今でもはっきり覚えている」

って嘘の上塗りしているし!

 その上その人は電話魔で1日に何回も電話してくる人だった。

「今、彼女が風呂に入っているから」

だの

「さっき切り方が悪かったから」

だの

「声が聞きたくて…」

だの。我慢していたけど、段々嫌になった。アルバイト先にまで電話してくるし。

「別に用って訳じゃないけど」

だと。あたしが水商売をしているのが気に入らず、「自分を常に忘れないでくれ」と言いたい訳だ。店が終わる時間に待ち伏せまでしているし。

「いつからいたの?」

と聞けば

「1時間くらい前から。もしかして店が暇で、早く上げてもらえるかもしれないと思って」

と、同情して欲しそうにのたまう。わざとらしい!居たのは3分前からだろ!嘘つき嘘つきバレバレの嘘つき!こうして夜出歩いているのも、彼女に聞かれたら

「急に散歩したくなって」

とか変な下手な嘘をこくんだろうなあ。

 駅までただ歩いて分かれる時もあったが、居酒屋に連れて行かれる事も多かった。

 店員に注文を聞かれ

「何か栄養のあるものを」

とか言っているし。食い物ってーのはどれでもそれなりの栄養あんだよ!あほ!!俺はお前の体を気遣ってやっているんだって言わんばかり。それでいて自分のせいで終電を逃したあたしをタクシーに乗せ

「じゃあお願いします」

と運転手に向かって言ってやがる。さも「俺は送った」って顔して。タクシー代くれないくせに!その人といるとタクシー代がばかにならず、大変だった。何回かそれが続いた後、その人が待ち伏せしている場所を避け、わざわざ遠回りしてまで駅に向かった。電車賃の方がずっと安いしね!

「そんなに俺を避けるなら、わざわざ送る必要はないのだろうか」

だと!ねえよ!ねえよ!誰が送れと言ったんだ!貴様が勝手に待ち伏せして勝手に駅まで付きまとっているだけだろ!

 話題と言えば、誰と誰が付き合う事になったんだって、とか、誰と誰がポシャったんだって、とか人の噂ばっかり。ワイドショーの解説員か!

「マリ、今日店を休んで俺と付き合え。日当払うから」

と言って何度も店を休ませ、ただの一度も日当を払ってくれなかったし。こっちが黙っているのをいい事に、あんたと居ても、稼ぎ損ねるばかりでなんにも良い事ねえよ!

 しかもその人は「嘘泣き」する人だった。虚しくねえのか!!うんざりして

「もう別れよう」

と言ったあたしにすがって嘘泣きをし続けた。

「やめてよ」

と、もっとうんざりしながら言ったら

「だってマリちゃんが僕の言う事聞いてくれないんだもん」

だと。正しいと思わねーから聞かねーんだよ!頭使え!

「マリちゃん、僕はね、すごく良い子なんだよ。だって高校生の時、親に授業料をもらうのに済みませんって言ってたんだもん。普通、授業料出してもらうなんて当たり前でしょ?なのに僕は親に済みませんって言い続けたんだよ」

とも言っていた。あほ!本当に良い子ってーのはそういう事を黙っているんだよ!わざわざ言って聞かすなんて、良い子でもなんでもないんだよ!ただの自慢なんだよ!!

 それに高校生の時に2000万の札束で会社を作ってくれと頭を下げた人の話はどうなったんや!嘘つき!自分のついた嘘を忘れるドアホ!その場で捨ててやった。21歳のくせに

「親に育ててもらったのは19年。最初の2年、里子に出されてた」

とかバレバレの嘘こいて同情して欲しそうにしているし。本当に2歳まで里子に出されていたとして、その頃の記憶があるのか!大嘘つき!

 何回振っても振られたって認識出来ないみたいでしつこく電話をかけ続けてきて、泣き落そうとするし。てめえ認知症か!

「もういい加減にしてよ。あんたなんかいらない!」

と言ったら

「では、捨てられてしまったと解釈するしかないのだろうか」

だと!とっくにオマエなんか捨ててんだよ!解釈も何もあるか!脳みそねえのか!!

 受話器が壊れんばかりに叩き切った。

 嘘つきほど嘘が下手だと学んだ。

 

 次に付き合ったのは別の友達が同棲している人だった。前の人の事があるし、3人で会うのは避けた。また嫌な思いするのはまっぴらだったしね。

 だがその人はあたしに髪型を変えろだの、化粧や服装を変えろだの、言葉使いを変えろのとうるさかった。

「支えてよ」

と言えば

「重い!」

と突き放すし、それでも愛して欲しくて

「好きだよ」

と言えば

「好きよ、でしょ」

と言うし、

「そうだよ」

と言えば

「そうよ、でしょ」

と言うし、

「いいじゃん」

と言えば

「いいじゃんか、でしょ」

だの、本当にいちいちうるさいし、鬱陶しかった。何も言えないと思い黙り込むと

「何黙ってんだよ、何か喋れよ」

と言うし。それでいて何か無理に話題を探して喋っても

「それはお前が相手の気持ち考えないからだろう。相手の立場で考えろよ」

だの

「それはお前の知識が足りないからだろう。もっと勉強しろよ」

だの、否定ばっかりするし。何も言えないと黙ると

「何黙ってんだよ、何か喋れよ」

とのたまう。で、また何か喋るとまた否定された。母さんみたいな人がまた現れた!

 化粧や髪型を変えろと言われるのも不愉快だったが、言葉遣いを毎回直されるのも、何か喋れと言われるのも、本当に腹立たしかった。オマエはどうなんだよ!こっちはその人の髪型や服装に注文つけないし、言葉遣いを直しもしないのに!

 その上その人はどうやら生活費を彼女に出してもらっているらしかった。それは何となく分かった。向こうはあたしが分かっていないと思っていたみたいだけど。段々本気になり、彼女と別れてあたしと暮らすと言い出したその人が疎ましくなった。

「別れなくていいよ」

そう言ったが

「お前だってこんな状態、嫌だろう。彼女とは、はっきり別れてお前だけの俺になる」

と自己陶酔しながら言う。片方の目だけから涙を落とすっつー、女優並みの技を繰り出してくるし。いいよ、彼女と別れなくて。別れてあたしのお金をあてにするようになったらそっちのほうが困るんだよ、と言いたいのをぐっと堪える。

 …ほどなくその人は二股している方がいいやと思ったらしく、彼女とあたしの間を行ったり来たりする事に陶酔し始めた。

 彼女がいない時に限りあたしを部屋に入れ、いつ彼女が帰ってくるかとビクビクしながらあたしとエッチをする。ホテル代がかからないからだろうねえ。薄給なんだろうねえ。気の毒に。

 そしてその人は理解力がない人だった。

「電車の中からあなたの住むマンション見えるよ。いつも見ながら通っているよ」

と言った所、自分も見たいと言い出した。一緒に電車に乗り、車窓からその人のマンションを指しながら言った。

「ほら、あれだよ」

「ええ…?あんな風に見えるうううう?」

 その人は全然違う方向を見て顔をしかめている。

「どこ見てんの?あっちだよ、もっと右、ああもう見えなくなった」

と言ったら、その人はキョロキョロしながら混乱している。ああ、一緒にいてイライラする人だ、と思ったよ。

 …そう言えばその人の事を、彼女がこんな風に言っていた。

「彼はね、お鍋作っても、あたしが取って、むいて、食べさせてあげないと絶対に食べないのよ」

 ある時、その人が鍋を食べたいと言うから飲食店に入り、よせ鍋を注文した。運ばれてきた鍋をその人は決して食べようとしない。

「どうして食べないの?」

と聞いたが

「ん、いい」

と言うばかりで、決して箸をつけようとしない。あたしに取ってむいて食べさせて欲しいんだなというのは分かったが、彼女と同じ事をしたくなかった。そう、その人はあたしを「試した」のだ。母さんみたいに。

 取ってむいて食べさせてくれたらあたしを選ぶ、とか何とか思っていたんだろう。だがそうしないあたしはその人の「試験」に落ちた訳だ。受かりたかねーよ。子どもじゃないだからさ、自分で取ってむいて自分で食べなよ、と言いたいのをぐっと堪える。

 その人はとうとう最後まで鍋に手を付けなかった。しらけきって店を出る。その人も、空腹やら不満やらでゲッソリしながら黙って店を出る。この人との別れも近いな、と思った。

 家に戻り、わざわざあたしの前で彼女の勤め先に電話して、これ聞こえよがしに優しく話しかけちゃっているし。ホント、しらけるぜ。電話を切ってから

「何だよ、なんか文句あんのかよ」

だって。なーんにも文句ないよー。ただ、あたしが他にオトコ作っても文句言わないでね。あははははは。あたしは心の中で毒づいた。

 それでいてその人はこう言った。

「お前、オトコ作るなよ」

 勝手だねー。自分は女いるくせに!何かと言えば

「でも恋しているのはマリだよ」

って言い訳するし。だから?感謝しろってか?それに愛しているのは彼女だって事だしね。

 別れる時に揉めたくなかったからさ。あたしは何回もその人に言ったよ。

「あたしはあなたに何も望まないし、絶対に迷惑をかけないわ」

 言うたびにその人はニヤリと笑いそうになり、それを必死に堪えていた。心の中でシメシメと思っているのはミエミエだ。そしてその人は偉そうに口先だけでこう反論してきた。

「何も望まない奴が恋愛なんてするはずない」

「違う、あたしそういう事、言いたいんじゃない」

「じゃあ、どう言う事を言いたいんだよ」

「分からない?それはあなたが自己中心的にものを考えているから分からないんだよ。あたしの立場で考えてみな。一発で分かるよ」

「何だよ、はっきり言えよ」

「はっきり言ってんじゃん。あたしはあなたに何も望まないし、絶対に迷惑をかけない。だから何だと思う?」

 一瞬の笑いをかみ殺しながらその人は苛立った口調で言った。

「さあな」

「だからあたしを捨てないで、ではないよ」

と言ってやったら、その人はさも意外そうな顔で向き直った。

「どういう事だよ!」

「だからあなたもそうしてね。あたしに何も望まないでね、絶対にあたしに迷惑をかけて来ないでね!髪型や化粧や服装、言葉遣いを変えろとも言わないでね!鍋を取ってむいて食べさせてくれとも望まないでね!きれいさっぱり別れてね!引きずらないでね!」

 次の瞬間、ブチ切れたその人はあたしを滅茶苦茶に殴った。あたしが自分に捨てられたくない一心で、何も望まないだの迷惑をかけないだのと言っていると思っていたのに、裏切られたと思ったようだった。

 こんな男いらない!こっちも椅子で応戦し、部屋を滅茶苦茶に荒らした挙句にひとりでさっさと帰ってやった。

 彼女が帰って来てからこの割れたガラス窓やら飛び散った食器をどう言い訳するんだろうねえ、と思いながら。勿論、それきりだった。

 自己中心的な男も、依頼心の強い男も、相手にするものじゃないと学んだ。

 

 次に付き合った人は最初こう言ってくれた。

「毎日会いたい。毎日顔を見たい」

 親にあんたの顔を見たくないと言われ続けた身、そこは嬉しかった。

 だがその人は、前の彼女の話ばかりする人だった。仕事の帰りに津田沼駅の近くで働いているその彼女に会いに行ったら、冷たくされたとか言ってあたしの前で落ち込んでやんの。

「だって乗った電車が津田沼行きだったんだもん」

 それがその人の言い分だった。呆れていたらこう言い放った。

「じゃあ調べてみろよ。本当に津田沼行きだったんだから!」

 そういう問題じゃねえよ。そのあと千葉行きの電車に乗り換えればいい話だろ!

 その上その人は、当時ホステスのアルバイトをしていたあたしに日当がいくらか聞き、

「5000円」

と正直に答えたあたしに

「へえ、俺の前の彼女もホステスやってたけど日当1万5000円だったよ」

と平気で言い、あたしを馬鹿にした。

「3分の1か!」

とかね。こっちはその人の給料の額なんて聞かないし、他の人と比べて馬鹿にしたりしないのに!

「前の彼女、料理うまかった」

とか言って、あたしの料理を食べないし。

「だってあたし、その人じゃないもん」

と苦手な反論をしても

「前の彼女やってくれた。よく出来た。だからお前もそうして。前の彼女みたいにやって」

だと!

「前の彼女とあたしの区別つけてよ」

と言ったら、子どもみたいに口をぶーっと尖らせて

「でも、前の彼女の方が良かった」

と、まだ言う。何が「でも」だよ!一度そうめんを茹でようとした時、

「砂糖入れないでね」

とのたまう。そうめんに砂糖なんて聞いた事ねーよ!

「どうしてそんな事言うの?」

と聞けば

「前の彼女が砂糖入れてそうめん茹でる奴だったから」

と言う。

「じゃあその人に言えばいいじゃない。何であたしに言うの?相手を間違えてるよ」

と言ったけど

「でも、砂糖入れられたら嫌だから」

と口を尖らせて言う。あほか!頭直せ、この脳みそ縮み野郎!前の彼女は料理がうまかったと言った同じ口で何言うとんのや!ぼんくら!

 待ち合わせしたらしたで、会った途端に

「ああそう言えば、前の彼女と会うのもだいたいこのくらいの時間だったんだよ」

と聞きもしないのに自分から言うし、しかもさっさと背を向けて歩いていくし!そんな事聞かされたこっちが、どんな気持ちで後から付いて行くかなんて考えもしないんだろうなあ。この人はこういう目に遭わないんだろうなあ。

 しかもその人は避妊をしてくれない人だった。

「生の方が気持ちいい!!」

だと!

「あたしが妊娠したらどうする?」

と試しに聞いたら

「なんだかんだ言っておろす事になるんだろうなあ」

だって。お互い独身で、お互い働いているから結婚できない訳じゃないのに…。

 もしあたしが妊娠しても、この人は本当になんだかんだ綺麗事を並べつつ、あたしに中絶手術をさせるんだろうと思うとたまらなかった。 

 友達の彼女の事を

「あいつの彼女、雑誌のモデルだって!」

ってさも羨ましそうに言っているし。

 常に誰かと比較される方がどんなに嫌な思いするか、分からないんだろう。前の彼女だの、友達の彼女だの、いつまでも比べられるんだろう。

 その上その人はあたしに向かって

「はまっちゃいねえよ。俺はお前なんかにはまっちゃいねえよ」

と連発する人だった。要するにあたしなんか全然好きじゃないけど付き合ってやっている、前の彼女が忘れられないけど、あたしで我慢してやっているって事だろう。

 しかもその人は、仲間の就職祝いのパーティーを盛大にやるからお前も来いと呼んでおいて、いざその席で大勢の仲間の前であたしを指さしながらこう言った。

「こいつはね、なまじっか美人だから男にモテないんだよ!だから俺が仕方なく相手にしてやってるんだ!ハッハッハッハッハッハッハ!」

と、大声で笑っている。仲間のみんなはびっくりして、誰も笑っていなかった。

 あたしが他の男の人と仲良く喋っていたのが気に入らなかったのか何だか知らないけど酷いよ!

 更にその人は、就職が決まった人(その集まりの主役さん)の彼女にこれみよがしに優しくしていた。

「君は良い大学に行って賢くていいねえ」

 あたしは中卒だから馬鹿だと言いたいのか?人間扱いされていない気がして居たたまれず、黙って帰った。みんなの憐れむ眼差しに耐えられなかったし。

 過去にとらわれ過ぎている人も、罵倒してくる人も、相手にするものじゃないと学んだ。

 

 次に会った人は1回キスしただけで

「ドツボにはまった。ドツボにはまった」

と言ってくれた。前の人に「はまっちゃいない」と言われ続けた身、そこは嬉しかった。

 だがその人は、親がひどすぎるから家を出たいと言うあたしの話を否定した。

「お前の親は正しいんだよ。お前がおかしいんだよ」

と真っ向から反論してくる。

「凄い暴力振るうし、出ていけ、そればっかり言うよ」

と言ったが、信じられないって顔して

「それはお前がなんか悪い事したからだろう」

と否定する。

「お父さんはお酒飲んで暴れるの?」

だの

「血は繋がっていないの?オマエ、ままっ子なの?」

とかね。

 父さんは酒なんか飲まなくても暴れるっていうか、抑えきれずにって感じで暴力振るうし、血は繋がっているよ。ものすごーく嫌らしいし。ああ、この人もあたしを理解してくれない人だ。うんざりして言う。

「あなたには分からないよ。あなたは愛されて育ったんでしょう?あたしは疎まれて育ったの」

 その人は間髪入れずに反論してくる。

「自分でそう思っているだけだよ!」

「飯抜きなんてしょっちゅうだったし、体罰も毎日だったよ」

 苦手な反論をしても

「そりゃあ、たまーにそう言う事あったかも知れないけど、毎日ではなかった筈だよ。お前がそれをあまりにも強烈に覚えていて、毎日だったって思い込んでるだけだと思うよ」

 あーもう、説明するのめんどくせー。もう黙るしか、あきらめるしかなかった。

 特にやりたい事もなく、アルバイトをしょっちゅう変わりながら

「俺は40歳くらいになったら、さあこれから何しようかなって考えるつもりだよ」

とも言ってたし。それじゃおせーっつーの!

 しかもその人は、母さんみたいに脅したり、交換条件を出してくる人だった。

「マリ、家を出ないんだったら、この後この前行った居酒屋に来て」

 家を出ないなら来い、という事は、家を出るなら行かなくていいんだろうと思い、行かなかった。その人はあきらめきれず、何回も何回も電話をかけてきて

「来てよおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

と絶叫した。誰が行くかよ、自分の言った事に責任持てってーの!居酒屋には他にもたくさん人がいるだろう。自ら恥かいちゃって、嫌じゃないのかい?

 結局来ないあたしへの当てつけか何だか知らないけど、その店の階段から飛び降りて足を打撲して、それさえあたしのせいだと言うし。何でも人のせい。父さんみたい。

「家を出るなら別れる」

と脅すから、

「じゃあ別れよう」

と言えばキレるし、泣きつくし、何か気に入らない事があれば、何時間でもあたしと口をきかなくなるし、手を焼いたぜ。勇気を出して

「そういうの、やめてよ」

と言うとこんな答えが返って来た。

「お嬢ちゃん、おいくつ」

 …絶句した。あたしより5つも年上のくせに。

「お嬢ちゃん、おいくつ」

 何回も何回も言う。しかも毎回舌打ちしながら。その舌打ちは「呆れているよ」という事だったし、「お嬢ちゃん、おいくつ」というのは「黙れ」という事だった。黙り込むとその人は笑いながらこう言った。

「ハハハハハハハハ。ヤンキー女が!」

 黙らないと怒鳴られた。

「おじょうちゃん!おいくつ!!」

 この人、どうしてあたしといるのかなあ、そんなにあたしが嫌いなら一緒にいなきゃいいのに。

「おっじょうっちゃんっ!おっいっくっつ!!!!」

 一字一句、区切って言う事もあったし

「おじょーちゃん、おいくつー、おじょーちゃん、おいくつー」

と変な節をつけて歌う事もあった。お嬢ちゃんおいくつ、以外の事を言うボキャブラリーがないんだねえ。呆れて黙るしかなかった。

「もうぐれてる年じゃないでしょ!」

とかね。

 しかもその人は、デートの約束を平気でドタキャンする人だった。

「どうして?」

と聞くと

「選挙だから」

と答えにならない答えが返ってくる。

「どうして選挙だと会わないの?」

と聞いても

「だから、選挙だから」

としか言わない。要するに、あたしとはいつでも会える、多少の事をしてもあたしが自分から離れて行かないとたかをくくっているのだった。馬鹿にするな!

   都合が悪くなると電話でも黙りこくるし。電話で黙られるとイライラするんだよね。

「聞いてる?」

と聞けば

「マリが喋るのを待っていた」

ってあたしのせいみたいに言うし。

 デートの約束をして待ち合わせ場所に現れた途端に

「兄貴と飲みに行く約束入っちゃった!」

と言って平気でそれを優先するし、ああしろ、こうしろ、言う事聞け、聞かないなら別れるって毎回交換条件付けて、脅して、他にする事あんだろ!それでいて

「じゃあ別れよう」

と言うと慌てて

「嘘、嘘だよ、うーそー!!」

って半泣きで言うし。それが何回か続いた後

「何か、段々腐れ縁って感じになってきたね」

と言うから

「どうして?」

と聞けば

「だって何回別れても元に戻るから」

とのたまう。

「そっちが別れたくないって泣きついてくるんじゃん」

と言えば

「そうだけど」

と口ごもる。

「腐れ縁なんて、そこまで言うならもう今度こそ別れよう」

と、冷たい背中を向けて去ってやった。その後何回も電話してきたが、毎度叩き切り、絶対相手にしなかった。

 変に安心してたかをくくる男も、脅す男も相手にするものじゃないと学んだ。

 

 次に付き合った人は、毎回あたしをホテルへ誘う人だった。前の彼女とは「義務」でエッチをしていたと豪語していた。

「君のファンだ」

と熱心に口説いてくれたので、可愛がってくれるかなと思った。愛されずに育った身、どんな愛でも無いよりは良いような気がした。

 だが何回目かのエッチの時、その人は急に枕をべろりと舐めた。ドキリとした。その後もシーツやらなんやら、色々なものをべろべろ舐めていた。

 あたしの体が汚くて、あたしとエッチをするのが嫌で、枕やシーツで舌を拭いているのだった。あたしの目の前で何回もやっているんだから、分からない筈がない。でもその人はあたしが気付いていないと思っているらしかった。

 何回も何回も枕やシーツを舐めているその人。あたしから目をそらしながら、あたしから顔を背けながら。

 それこそ「舐めんじゃねえよ」だった。ああこの人、あたしとも義務でエッチするようになったんだ…。だったら最初からホテルなんかに誘わなきゃいいのに…。決して「あたしのファンではない」人だった。

 しかもその人は、せめて会話を楽しみたいと、エッチの後色々話しかけるあたしの話を無視する人だった。

「あたしのどこが好き?」

 勇気を振り絞り、震える声で聞いても答えてくれないし。要はどこも好きじゃないって事だろう。いつも何か別の事を考えて、他の人の事を考えていて、心ここにあらずだし。

 義務のエッチも耐えられなかったが、何を言っても無視されるのも、あたしときちんと向き合ってくれず他の事を考えていられるのも、本当につらかった。はけ口としか見てもらえないなんて、酷いよ。

「もう会うのよそう」

と言ったらこんな答えが返って来た。

「俺あなたに対して、捨て猫拾って餌やるような気持ちだったんだ」

 …あたしゃ猫じゃねーよ!人間だよ!人間扱いしてくれてねーよ!

 無い方が良い愛もあると学んだ。

 

 次に付き合った人もすぐにエッチな関係になる事を望んだ。だが前の人との心の傷が癒えていないし、簡単にそうなりたくなかった。そう、あたしは「エッチにより傷ついた」のだから。

 なかなか「そうなりたがらない」あたしにその人は焦れていた。だがあたしはあたしを大事にして欲しかったから、決して密室には行かなかった。

 映画(勿論普通の恋愛映画。ポルノ映画は嫌だ!)を見て、食事をして、普通のデートを楽しみたかった。そして何より、会話を楽しみたかった。前の人とは会話が成り立たなかったし…。

 仕事先の人間関係に悩むあたしの話を聞いて欲しかったんだけど、その人はこう言った。

「君は君で税金を払っている身だ。まして俺が使っている部下という訳でもない。つまりその問題は俺の管轄外だ」

 …絶句したよ。突き放されたと思った。税金とか管轄とか…。もう何も言えない。悲しく口を閉じるあたし。

「黙ってるなら帰ろうよ」

 その人が言う。頷くしかない。

「じゃあね」

と改札前でその人に背を向け、試しにすぐ振り向いてみた。どんな顔で見送るか、見てみたかったんだよ。

 …と、そこで実際凍り付く事になる。

 その人は、まるで鬼のような形相で思い切り舌を出しながら、あたしに向かって中指を立てていたのだ。

 びっくりして固まっちまう。その人もまさかあたしが一瞬後に振り返ると思っていなかったんだろう。お互い茫然とする。

 すううう…、とその人の舌がひっこみ、中指も下がる。どうしていいか分からず、お互い固まったままだ。

 …気まずそうに、その人は背中を向けて走り去っていった。恐ろしいものを見たあたしもその場から逃げた。

 こういう人を性格異常者っていうんだと学んだ。

 

 次の人は、初めて会った時にこう言ってくれた。

「君は箱に入れて、たいせつに取っておきたいような綺麗な女の子だ」

 勿論嬉しかったよ。

「君が20歳になって気持ちが変わらなかったら結婚しよう」

とも言ってくれたしね(未成年の頃って、むやみにプロポーズされた気がする)。笑顔で頷いたよ。16歳にして婚約したぜ!って安心した。最初、大盤振る舞いしてくれたし。

 だが段々ケチになり、しまいにデートの場所はその人のコキタナイアパートの一室に限定された。金がかからないからだろうねえ。

「マリは安上がりでいいね!前の彼女、この部屋嫌がっていたから、ホテル代も飲み食い代も馬鹿にならなかった。本当にマリは安上がりでいいね!!」

とか平気で言うし。人ってここまで変わっちゃうのかと悲しかった。

 親に無理やり家事をさせられ続けた身、家事を押し付けられるのはごめんだった。一切財布を出さない上、食事の支度や後片付け、掃除や洗濯をあたしにさせたがるその人が嫌だった。 

 あたしが自分の為に、掃除だ洗濯だ料理だ後片付けだと忙しくバタバタ働いているのに、寝転んでテレビ見てるしね!タダで使える家政婦かいな?さぞかし便利だろうね!母さんみたい。

 しかも!あたしを呼び止めてうちわで扇げと命令して

「王様気分~!」

とか歌っているし。飛び蹴りしたろか!

 その人は本当に何をしてやっても喜ばず、文句ばかり言う人だった。焼き肉をしても

「この焼き肉のたれは好きじゃないので別のにして」

と言う。別のたれを買ってきても

「これも好きじゃないから別のにして」

とのたまう。冷蔵庫の中に、使いかけの焼き肉のたればかりゴロゴロ溜まっていく。ついに、一緒に買い物に行き

「どれ?選んで」

と焼き肉のたれのコーナーで本人に選ばせたら、すっと進み、あたしが思いもよらないたれを選んだ。ああこの人とあたしは味覚が違う、と思った。

「焼酎のお湯割りを一杯だけでいいから作って」

と言うから作ってやったらすぐ飲み終えて

「もう一杯だけ」

と言う。仕方なく作ってやったら

「あと一杯だけ」

と言う。さっきもそう言っただろ!と言いたいのをぐっと堪えて作ってやれば

「もう一杯だけ」

とのたまう。それを12回くらい繰り返した。きりがなくてイライラしたぜ。普通に、おかわりって言えばいいものを。もう一杯だけで終わるのかと思うじゃん!ムカつくぜ。

 その上家事に疲れ果て、横になろうとするとすかさずエッチを試みて来るし。疲れてんだからそんな事したかねーよ。エッチすれば疲れが取れるとでも思ってんのか?ドアホ!

 そしてその人は「説明が出来ない」人だった。父さんみたい。食事に関しては

「普通のものを普通に用意してくれればもうそれでいいから」

だと!ふざけるな!

「それじゃ分からないよ。どんなものが食べたいのか言ってよ」

と言っても

「だから普通のものが食べたい、普通のもの!」

と言うばかり。さっぱりわかんねーよ!

「何を指して普通のものって言っているの?」

と聞けば

「普通のものを指して普通のものって言ってる」

と答えにならない答えが返ってくる。

「だからどんなんよ!」

と切り返しても

「だから普通のものは、普通のもの」

と言うばかり。

「材料は?」

と聞けば

「普通の材料」

と、やっぱり答えになっていない。

「これ、変な材料?」

とあたしが作った料理を指しながら聞くと黙っちゃう。

「どんな色?どんな匂い?どんな形?」

と聞けば

「普通の色、普通の匂い、普通の形」

と、ますます答えになっていない。

「だからどんなんよ!ちゃんと説明してよ!その通りやってあげるから」

と言ったら

「だから普通のもの!普通のもの!ふっっっつーーーーーーのもの!!!」

と苛立ちながら言う。お互い意志の疎通が図れず、気が狂いそうだった。

「分かるように言って」

と言うと目と口を大きく開けて

「ふつうの、ものが、たべたい」

と一字一句はっきりと言ってみせる。

「あたしは耳の遠いぼけ老人じゃないの!内容が分からないの」

と言えば

「普通の内容」

と返してくるし、それで分かる奴いねえっつーの!!

「漠然とし過ぎていて分からない。具体的にどんなもの?」

と聞けば、混乱しながら

「具体的に、普通のもの」

だと!何作ってやってもさもまずそうに一口だけ食べてから、これ見よがしに三角コーナーに捨てに行くし(おかげであたしゃ、大人になっても三角コーナーが嫌いだ!)。一度なんて、カレーを作り、付け合わせのサラダをテーブルに出した途端に

「サラダでご飯食べろって事?」

って突っかかってくるし。誰がサラダおかずに白米食えっつったんだよ!そうしたきゃしろよ!あほ!!その後カレー出したらおとなしく食べ始めたけどさ。面倒みきれねーよ。掃除洗濯に関しても

「普通の事を普通にやってくれれば、もうそれでいいから」

だと!ふざけるな!自分は何もせず口ばっかり!しかも靴下から下着からシャツから全部裏返しに脱ぐし!

「いちいち表返すの大変だから裏返しに脱ぐのやめてよ」

と言っても、にやにやするばかりで全然改めてくれないし。家事労働がどんなに大変か、分かってんのか!!

「チャッチャッチャて、やってってくれれば、もうそれでいいから」

だと!何がチャッチャッチャッだ!それじゃ説明になってねーだろ!場所の説明も、勿論出来ない。

「近くに薬局ある?」

と聞いたあたしに

「そこ」

と、あらぬ方向を指さして言う。

「このアパート出て左へ行って、最初の角を右へ、細い坂を上がって信号を渡って、とかそういう説明してよ」

と言っても

「だから、そこ」

と相変わらずきょとんとしながら、あらぬ方を指さしているばかり。自分にしか分からないものの言い方しか出来ない。その人が何か言うたびに、よく分からない要求をしてくるたびにイライラした。

 しかもその人とあたしは趣味も考え方も何もかも違っていて、一緒にいてもほんの少しも楽しくなかった。同じテレビを見ていても笑う所が違ったしさ。

 食事を用意してちゃぶ台に並べ

「食べよう」

と言ったけど、あたしに何かを「目で訴える」ばかりで食べないんだよ。腹が減ったっつーから作ってやったのに。

「早く食べなよ」

と言ったら、何と!手づかみで食べだした。そこでようやく箸を出すのをあたしが忘れていたって事に気付いたけど、呆れたよ。

「箸ちょうだい」

 そのたった一言が言えないし、言わない、自分で箸を取りに行く事さえ出来ない。100%面倒見なきゃいけないなんて、疲れるぜ。仕方なく箸を取りに行き呆れながら渡したら、ご飯粒の付いた手で黙って受け取り、続きを食べていた。熱い味噌汁にも手を突っ込む気だったのかねえ。

 食事する時も新聞ばかり読んで、あたしと一言も口きかないし。黙って食べるご飯は味気なかったしさびしかった。この人と例え結婚しても、こういうさびしい生活になるんだろうなあと思ったら付き合い続ける気にはならなかった。

 その上その人は聞き間違いと被害妄想がひどく、話にならない人だった。一緒にテレビを見て、がん保険のコマーシャルが流れた時の事。

「がんになった人がね、死ぬときに千年も万年も生きたいわって言って死んだんだって」

と何の悪気もなく言ったあたしに急に激高した。

「おきれいだな、お前はおきれいだな。千年も万年も生きたいだと?がんになった奴がそんな事言うか、そんな事言うもんか」

と、あたしの胸ぐらをつかんで迫ってくる。

「何て聞こえたの?あたしは何の悪気もないよ」

と言ったが

「俺の知っている35の奴ががんになったんだ。お前に分かるか?がんってどんな病気か」

とひとりで興奮している。この人、母さんみたい。勝手に勘違いして勝手に荒れ狂うんだから。

「お前に分かるか?18の女の子が抗がん剤の影響で髪がすっかり抜け、苦しむ姿を。見舞いに行っても呻き声しか聞こえない。お前に分かるか?」

だと。作り話もいい所だろう。何良い人ぶってんの?このぼんくら、頭直せよ。俺の知っている35の奴が、いつの間に18の女の子になったのか知らないけど。

 あたしを勝手に悪者にして、自分が良い人ぶって、悪者のあたしを正してやっている正義の味方のつもりなんだろう。1時間も2時間も説教たれてくるし、暴力振るうしもう嫌だ。

 それでいて暴れた後

「マリ、ごめんな。二度とやらない」

って泣いて謝るし。そうかと思えば

「お前は散々酷い目に遭ってきたんだろう、だったら俺を有り難く思え!もっと幸せがって、俺に精一杯尽くせ!」

とのたまうし。全然有り難くないし、ちっとも幸せじゃないよ。むしろ不幸だよ。

「別れよう」

 耐えられなくてそう言ったら、こんな答えが返って来た。

「俺、本当はね、マリちゃんとは友達でいたかったの」

 だったら最初からそうすりゃ良かったろ!今更そんな事言ってもしょうがねえだろ!あんたなんかいらねえよ!

 勘違いする人を相手にしてはならないと学んだ。

 

 次に出会ったのは50歳くらいのおじさんだった。

「マリちゃんって、時々ふっとさびしそうな顔するんだね」

って言われた。そうかなあ。無意識にそう言う顔してるのかなあ。確かにさびしいけどさ。

 そのおじさんは食事やお茶を一緒にするだけで、奢ってくれる上に毎回1万円もお小遣いをくれた。何となく、天涯孤独で病気らしいという事は分かったが、心の中でそれがあたしとどういう関係あるんだよ、とも思っていた。会うたびに顔色がスゲー悪くなっていくし痩せていくので、もしかして病気が進行しちまっているのかとも思ったが、3万円くれるようになったので、まあいいやくらいに思っていた。

 おじさんだし、恋愛の対象にはならなかった。向こうもそうだろうとタカをくくっていたら、ある時分かれ際にこう言われた。

「マリちゃん、今日、女になれよ」

 …エッチをさせろという事だろうというのは分かったが、おじさんだし、不細工だし、全然好きじゃないし、気持ち悪いし、とにかく嫌だった。びっくりしてはいかん、と思いながらびっくりしていたら、必死になってこう言う。

「ちゃんとしてあげるから。ちゃんとしてあげるから」

 お金をたくさん渡す、財産を全部くれるという事なんだろうというのも分かったし、もうひとつ、あたしが自分を全然好きじゃないのも分かっている、それでも、と言いたいのも分かった。だが嫌なものは嫌だった。

「ごめん」

そう言ってちょうど来たタクシーに手を上げ、ひとりで乗った。一刻も早くそこを離れたい一心だった。捕まって無理やりホテルに連れて行かれるのは死んでも嫌だからね。

 立ちすくむおじさんが、茫然としながら手を振っている。追いすがりたいのを懸命に堪えているのが分かる。悪いな、と思いながら手を振った。タクシーは遠ざかる。おじさんが追いかけて来ない事に心底ほっとする。タクシー代は痛いけど、好きでもないおっさんとエッチするよりなんぼかましだった。

 それきり、逃げたよ。

 …しばらくしてから、人づてにその人が死んだと聞いた。末期癌だったそうだ。そして本当に天涯孤独だったのだ。

「あんたが冷たくするから」

と言われたが、やっぱりおじさんの相手はどうしても嫌だった。

 そのおじさんとしたら、あの世にお金を持って行けないし、財産なんかあたしにくれてやるから、看取ってくれ、孤独死だけは嫌だから、面倒を見てくれという気持ちだったんだろう。悪かったな。

 あたしがその人から学んだ事は…何だろう…?

 

 あたしは思ったよ。誰かあたしを愛してくれないかなって。だけど寄ってくるのは変な男ばかりだった。そしてどの人の事も、あんまり好きじゃなかった。誰かに愛して欲しかったんだけど。このままのあたしを無条件に愛して欲しかった。でも親も男も誰も、このままのあたしを愛してはくれなかった。

 誰かに支えて欲しいけど、相手にされないか、条件付きか、重いと突き放されるか、嘘つき呼ばわりか、いじめられるか、望まない事ばかりだしね。何の為に生まれてきたか、生きているのか、それさえ分からないよ。自信も自己肯定感も、何もないよ。

 さびしいからって誰かを相手にしても、愛情がなければもっとさびしくなるしね。どうすりゃいいんだろうね。

 ため息ばかりつく親を見て育ったけど、気が付いたらあたしもため息ばかりつくようになっていた。親は小さい頃からあたしの未来を悲観し続けていたけど、あたしも自分の未来を悲観せずにいらんないよ。本当にどうすりゃいいのか、どうすれば愛されるのか分かんないよ。愛し方も愛され方も、生き方も、どうして生まれたかも、なんにも分かんないよ。

 仕事だってこのままどんどん変わり続けていいとは思っていないよ。けど何をすればいいのか、自分に何が出来るのか、分からないんだよ。だからウエイトレスかホステス続けていくしかないんだよ。しょっちゅう転職するのはきついし、いい加減ひとところに落ち着きたいけど、何故かいつも辞めざるを得ない状況になっちまうしね。信じてくれる人も応援してくれる人もいないし、まわりに助けを求める事も、相談する事も出来ないし、本当にどうしたらいいんだろうね。どこにも居場所なんかないしさ。出口の見えないトンネルの中をずーっと歩いているような気持ちだよ。

 神様はどうしてあたしにこんな過酷な人生与えたんだろうな。…たまんねえよ。

 

 ある時、付き合ってもいいかなって思う人に電話番号を教えた。その人は翌日、目をまん丸くしてあたしにこう言った。

「夕べ、マリちゃんの家に電話したらお父さんが出て、おたく、うちの娘とどういう関係ですか?って聞かれたよ」

 絶句したぜ。昨夜、あたしが帰った時に、父さんはまるで「珍獣を見るような目」であたしを見ていた。あたしゃ珍獣じゃねえっつーの!男から電話があったからだったんだ。電話があった事さえ言わなかったしね。

 あーもー、父さんと母さんは

「お前さえいなければ」

って言うけど、あたしは「この親さえいなければ」って思っているよ。

 

 また別の時、女友達と遊んでいるうちにその子が最終電車を逃した。

「マリちゃんちに泊めてよ」

そう言われ、見捨てる訳にもいかずに家に電話した。

「友達が電車逃したからうちに泊めてもいい?」

そう律儀に聞いたあたしに母さんが激高する。

「最終電車なくなるまで遊んでいるのが悪いんじゃない!」

 苦手な反論をする。

「逃したものはもうしょうがないじゃん。2時間くらい歩かなきゃいけなくなるんだよ」

 母さんが居丈高に言う。

「歩きゃいいじゃない」

 もう言っても無駄だ。黙って電話を切る。母さんは夫選びを失敗しただの、気の合わない夫とやっていくのは嫌だのと、散々言った。その時にあたしは決して

「よく考えずに結婚するのが悪いんじゃない」

だの

「やっていけばいいじゃない」

とは言わなかった。やってしまった事はもう仕方ない。大事なのはこれからだ、とかそういう考え方を母さんは一切してくれなかった。

 自分は結婚の被害者、可哀想な自分に同情して言う事を聞け。電車逃した友達が悪い、本人が加害者、2時間歩けって、…なんだかなあ。

 結局朝まで喫茶店でその子とくっちゃべって過ごしたよ。本当はこの子、わざと電車逃したのかな?この子も家に帰りたくなかっただけなのかな、って気もした。

 

 その頃、うちには不審な電話が何度もかかってくるようになっていた。あたしが出ると、知らない男の声で

「沖本マリさんですか?」

と聞く。

「そうです」

と答えると

「大村マチコって知っていますか?」

と言う。

「はい」

と答えると

「最近、大村マチコと会いましたか?」

とのたまう。…何だ、こいつって思った。

「誰ですか?」

と聞くと

「シミズです」

って言う。

「だから誰?」

って聞けばまた

「シミズです」

ってハンコで押したみたいに言う。絶句していると

「大村マチコと会ったのはいつですか?」

と聞いてきやがる。

「どうしてそんな事聞いてくるんですか?」

と聞いても

「だから最近会ったのいつですか?」

と馬鹿のひとつ覚えよろしく聞いてくる。

 …恐ろしくなって切ったよ。何か、マチコがとてつもなく恐ろしい事態に巻き込まれている気がした。何回もかかって来たけど、下手な事を言おうもんならマチコが酷い事されそうで、切るしかなかった。

 

 また、別の時に以前アルバイトしていた店で一緒だったチアキさんから電話があった。

「元気?」

だって。…はて?意地悪したくせに!何の用じゃい?

「元気ですよ」

と答えると

「うん、久しぶりに声聞きたくてさ」

ともじもじのたまう。何だか歯切れが悪いなあって思っていると、何とこう言い出した。

「ねえ、マリちゃん今いくら持ってる?」

 びっくりして

「どうして?」

と聞くと

「しばらく…貸しといてくれない?」

だって。ガーン!

「無い」

と言うと

「もらったばっかじゃん」

と言う。そう言えば今日は26日。昨日給料日だったって分かっていて電話して来たの?

「無い」

と言っても

「頼むよ」

と、恥ずかしさを堪えたように言う。

「無い」

と突っぱねても

「今一緒にいる男が働かねーであたしの金使っちったんだよ」

だと!そうじゃなくてチアキさんが優しい女と思われたくて、自分のお金を差し出したんだろ!その人から回収すればいいだろーが。どうしてあたしから借りようとすんだよ!苦手な反論を飲み込みもう一度言った。

「無い」

 そしたら不機嫌丸出しで

「分かったよ。もう頼まねえよ」

だって。

「もう電話しないで」

と切ったわ。あーあー、チアキさんたら変な男に引っかかっちゃって、さっさと断ち切ればいいのに断ち切れないんだろうなあ。アホだねえ。

 

 またしばらくして、サトコさんから電話が来た。サトコさんもあたしに意地悪したけどね!

「マリちゃん、良い話があるの。絶対儲かる話」

と、興奮してベラベラ話してくる。一応話聞いてやったけど、聞けば聞くほど怪しいってか、変な感じがした。当時、組織販売とかねずみ講って知らなかったんだけどさ。

「今サトコさんが言ったような事を、あたしも誰かに言う事になるんでしょう?」

と聞いたら

「そう。マリちゃんが1カ月に二人ずつ友達を紹介して、更にその友達が二人ずつ紹介すれば、それだけで毎月15万ずつ入って来るようになるよ。良い話でしょ?」

だと!

「え…。なんか話がうま過ぎない?怪しい感じするよ」

と言った所

「勿論最初に50万くらい払うんだけどね。でもすぐにモト取れるからいいじゃん」

とのたまう。50万!そんな大金ないし、あればアパート借りてらあ!

「そんな話、誰にすればいいの?友達から変って思われたらどうするの?」

と言ったら、急に素に戻り

「うん、だから大事な友達に言えないの」

だって!おーおー、サトコったらすぐボロ出しちゃって!

「じゃあサトコさんにとってあたしは大事じゃない、どうでも良い友達って事になるよね」

と苦手な反論をしたら

「そんな事…ないけど」

だってさ。たった今、大事な友達に言えないと言った口で何いうとんのや!嫌になって切ったさ。まったく、どいつもこいつも!あたしを大事にしてくれないんだねえ。

 

 チアキさんとサトコさんはともかく、マチコは心配だった。だがあたしはテメエの心配もしなくてはならなかった。家族のひでー仕打ちは続いていたしね。あたし宛の電話は一切取り次いでもらえなくなっていたしね。

「あんたはあたしを困らせてばかりいるから、あたしもあんたの困る事する!」

っておなじみのセリフが飛んでくるばかりだ。 

 アルバイト先のシフトの変更等、何か用事の時でも、親は決して電話を取り次いでくれなくなった。 

 電話だけは、取り次いで欲しい。

 電話だけは…。ずっとそう思っていた。

 ずっと困っていた。

 

 家の電話が鳴る。あたしは母さんを押しのけ、すばやく奪うように受話器を取った。かけてきたのは父さんだった。

「母さんいる?」

「いねえよ!」

と叩き切ってやった。慌てる母さん。

「誰だった?」

と聞くが、あたしは答えない。すぐまた電話が鳴る。受話器を取ろうとする母さんを力づくで押しのけ、強引に奪う。

「母さんいる?」

 父さんの焦った声。

「いねえよ!」

 また叩き切ってやった。

「誰だった?」

 もっと慌てる母さん。答えずに怒鳴ってやった。

「電話を切られるってこういう事なんだよ!」

 あたしは外へ飛び出しながらこう思ったよ。電話の相手が父さんで良かったと思え!

 

 あたしはこれで、電話を切られるのがどんなに困るか分ったろうから、あたしにかかってきた電話を取り次ぐようになって欲しかった。そう言いたかったんだ。相手が父さんだからこそ、そういう対応したしね。

 だが、これが「決定打」になっちまったようだった。

 父さんと母さんは、その電話がたまたま父さんで良かったけど、ほかの人だったら困る。ましてや父さんの会社の上司や造花教室関係の人だったら、仕事に差し支える。もう限界だ。マリを施設に入れよう、という結論に達しちまったようだった。

 あたしに気付かれないよう、母さんは密かに施設選びを始めた。最初、父さんの言う通り、「精神病院への強制入院」をさせようとしたらしかった。だが、少年院と精神病院は、「調べられたら分かる」らしかった。そこでやはり施設にしようという事になったらしい。誰が調べるんだろうねえ。

「戸沢学園」も候補に挙がっていたらしい。だが、何人も死者が出ているから、という理由で見送られたらしい。へえ、一応あたしを生かしておきたいと思ったんだねえ。

 次に母さんの目に留まったのが「光の園」だった。母さんはわざわざ静岡まで足を運び、相談に来たらしい。そこでクミコと会い、話をしたそうだ。後々クミコはあたしが入園して来た時に

「ああ、あの時の人の娘だ」

とすぐ分かったと言っていた。

 クミコは母さんに

「どう?」

と聞かれ、答えようがなく黙ってしまったそうだ。娘を更生施設に入れるのに「どう」も「こう」もなかろう。ただ母さんなりに「ましな所」へ入れようとしてくれていたらしい。あたしが知らぬ間に、着々と準備は進められた。

 

 もうひとつ、当時の流行のひとつに「積み木くずし」というものがあった。有名な俳優が、非行に走った娘を妻と共に立ち直らせた日々を本にして、それが大ベストセラーになっていたのだ。映画化、ドラマ化もされ、積み木くずしはその年のブームだった。

 その不良娘をあたしと重ね合わせたのか、本に影響されたのか知らないけど、単純な母さんはすっかり感化されちまった。門限を10時と決めたり、必要最低限の事しか言わないようにしたり(それまで干渉し過ぎたんだよ!)、積み木くずしをなぞるようにしていた。そうすれば近い将来あたしを立ち直す事が出来て、またご満悦って顔するつもりだったんだろうねえ。

 だがオチがある!積み木くずしの娘は施設に放り込まれていないぞ!!!

 

 ある朝、母さんは仕事に行こうとするあたしにこう言った。

「マリ、今日はまっすぐ帰ってきなさい。今日だけは」

 今日、ちゃんと帰ってきたら、施設行きは勘弁してやる、そう言いたかったんだろう。だがあたしは無断外泊した。それも「致命傷」になったようだ。

 

 そして「その日」は来た。真夜中、何も知らないあたしは新しい男とのんきに酒を飲み、気持ちよく酔い、のんきに帰宅した。そして、光の園の幹部たちに拉致された。

 

 光の園を含む、あらゆる更生施設には法律も本人の意思もない。訳が分からないのは本人だけで、ほかの人は分かっている。腑に落ちていないのは本人だけで、周囲は腑に落ちている。

 

 ただ、今、

 たった、今、

 鉄格子の中にいる、この瞬間、

 あたしはシャバにいた時以上にさびしいんだよ。

 

 父さんに、母さんに、姉ちゃんに、時々優しくしてもらった記憶が鮮やかに蘇り、

 身を切り刻まれるような思いに浸るんだよ。

 

 おむつを替えてもらっている時の光景(あたしはそれを覚えている)。

 その時の母さんの忙し気な表情。

 家族で手をつなぎ出かけた事、

 父さんに抱っこされてイルカを見た事。

 知らない人に会い、母さんのスカートの陰にさっと隠れた事。

 みんなでパンダを見に上野動物園へ行った事。

 七五三のお祝いをしてくれた事。

 名作と呼ばれる映画を観に映画館へ連れて行ってくれた事。

 何度も海外旅行へ連れて行ってくれた事。

 そこで宮殿や、芸術品、有名な画家の作品を観せてくれた事。

「本物」をたくさん観せてくれた事。

 4人でバースデーケーキを囲み、笑顔で過ごした事。

 こたつに入り、トランプや人生ゲームを楽しんだ事。

 クリスマスに、サンタさんからだとプレゼントを用意してくれた事。

 名前をちゃん付けで呼んでもらった事。

 父さんの膝の上で一緒にテレビを見た事。

 母さんとおはぎやマドレーヌを一緒に作った事。

 頭を撫でてもらった事。

 笑いかけてくれた事。

 歌を歌いながら母さんの周りをスキップして、何周でも何周でも回った事。

 

 涙があふれて止まらない。

 あんな日もあったのに。

 

 幼い頃、父さんと母さんはあたしのすべてだった。親は世界と一緒だった。

 親に否定される事、無視される事、ないがしろにされる事、暴力を振るわれる事、締め出される事、いじめられる事は、世界に否定され、無視され、ないがしろにされ、暴力を振るわれ、締め出され、いじめられる事と同じだった。

 苦しんでいるあたしを助けてくれる人は、誰もいなかった。当の親でさえ、虐待しているという認識はなかったんだろう。あたしは親に疎まれていると感じることは多々あったが、愛されていると感じた事はほとんどなかった。

 人は例え、貧しくても家族の仲が良い、とか、その仕事は大変だけど給料も良いしやりがいもある、とか、ひとつ失ったけど、ひとつ得た、とか、厳しくても根底に愛情がある、等々、バランスが取れている状態なら何とか頑張れる。

 だがあたしの生まれ育った家庭は、いかんせんバランスが悪過ぎ、まったく愛情がなかった。何にどう救いを求めていいのか、どうしても分からなかった。

 あたしにできたのは、「荒れ狂う事でバランスを取る」事だけだった。派手な格好をしたり、何かやらかす事で、誰か助けてくれとサインを出す事だけだった。

 あたしは本来安らげるはずの家で、家族である父さんからも、母さんからも、姉ちゃんからも、滅茶苦茶にいじめられた。家の中でいちばん小さくて弱い存在だったあたしを、家族は滅茶苦茶にいじめた。

 それはどうなの?ねえ、どうなの?それは間違っていなくて、苦し紛れに道を踏み外したあたしが悪いの?

 あたしはずっと、ずっと、ずうっと、早く大人になりたかった。早く大人になって、早く働いて、早くアパートを借りて、早くひとり暮らしをしたかった。この家を、この家族を、捨てたくてたまらなかった。もう誰からも、暴力や暴言を受けなくて済むようになりたかった。誰からもいじめられないように、どこかへ逃げたくてたまらなかった。そう思わざるを得ない家庭環境を与えたのは誰?本当の加害者はどっち?そして本当の被害者は誰?答えてよ!

 それに、光の園に入れる以外にも道はあった筈。学校は定時制通信制ならもしかして続いたかも知れない。無理矢理全日制に入れておいて、耐えられなくて中退したあたしが100%悪くて加害者、自分らはれっきとした被害者と言い切った父さんと母さん。そんなにあたしを追い出したければ、どこかにアパートを借りてそこに住めという追い出し方もあった筈だし、寮のある職場を見つけて追い出すとか、本当に死んだものと諦めて黙るとか、いかようにもやりようはあった筈。

 光の園へ入れるには、まず保証金を50万円支払い、毎月養育費という名目で10万円ずつ払う。その金を別の事に使う事も出来た筈。それこそアパート借りるとか。

 更生施設へ入れるしかない、一択のみ!他の選択肢は一切ない!頭に思い浮かばないなんて、そうするしかなかったなんてあまりにも極端じゃん!監禁なんて、たいていの人がいちばん嫌がる事だしね。父さんと母さんはこういう目に遭わないんだろうけど。

 まあ極端なのも今に始まったこっちゃないけどね。福岡のばあちゃんの家から着物を送って来た時も、家にあった桐の箪笥に入りきらないからって

「新しく桐の箪笥買っても置く場所ないしねえ、着物を段ボールに入れて置いたら虫が付くしねえ。どうしたもんかねえ」

とか言っていたし。桐の箪笥か段ボールどっちかしか頭に浮かばないってアホだろ!プラスチックの衣装ケース買って押し入れにしまえばいいだろ!防虫剤を山ほど入れて!!!

 料理の味付けだって、まったく何の味もしないか、滅茶苦茶濃いかどっちかだったし、米だって炊飯器使って炊いてるっつーのに、ごわごわか、べちゃべちゃどっちかだし、魚焼いても生焼けか、真っ黒こげかどっちかで、食えたもんじゃなかったし、あたしに対しても、無視したり放置し過ぎるかと思えば干渉し過ぎるし、ちょうどいいって所がなかった。あたしはちょうどよくして欲しかった。ちょうどよく! 

 毎日、毎時間、毎分、毎秒、あまりに極端で、振り回されるあたしの気持ちを一切考えてくれない、それがうちの親だった。

 

 光の園に来て、はや一カ月が経とうとしていた。あたしは次第にそこに慣れ始め、少女たちとも友達になっていった。臭い飯にも慣れ、うまいとさえ思うようになっていた。

 しかしさびしさに慣れる事は出来なかった。この張り裂けそうな孤独感を、何でどうまぎらわせれば良いのか、思案に暮れていた。それこそバランスの取り方が分からなかった。

 食欲はない、眠れない、考えても堂々巡りになる事ばかり考え続ける。すべてに無気力であり続ける。あたしはまさに病人になりつつあった。

 そしてもう、これ以上痩せられない、というほど痩せ細ったある日、突然爆発的な食欲があたしを襲った。

 あたしは食べた。漬物ひとつ、米粒ひとつ、お茶ひとしずく、何ひとつ残す事なく猛烈に胃に送り込んだ。…と言ってもそれほど量が多い訳ではない。どうしても食べ足りなかった。食事の後すぐに空腹を感じ、みんなで食べ物の話ばかりに明け暮れていた。

「あげパンが食べたい」

 誰かが言えば、すかさず誰かが応じた。

「食べたか」

「ハンバーグ食べたい」

「食べてー」

「何か、何でもいいから食べたい」

「食いだぇ」

 こんな調子だった。あたしたちは飢えに飢えていた。満たされぬ胃に、満たされぬ心に。

 あの頃なら本当にどんなものでも喜んで食べただろう。何でもいいから、どんな料理でもいいから、腹を満たしたくて、心を満たしたくて、食べたくて、食べたくて、食べたくて、ああ、食べたくて、もう、たまらなかった。

 

     ★

 

 入園して2カ月を過ぎた頃、あたしはタカエ、マユミ、ノリコ、ミナコと共に「奥の院の奥」から「奥の院」に移された。奥の院にはかなり旧式であるものの、ストーブがある。それだけであたしたちは天国に来たような気持ちになった。ようやく寒冷地獄から解放された訳だ。シャバにいる頃はストーブなんぞあって当たり前だったが、光の園に来てからはないのが当たり前であり、ストーブを囲んだあたしたちはその温かさに笑顔を交わした。

 ちょうどその頃、同じ入園者のアサコに、父親からバースデーカードが届いた。アサコは封を切る前から涙ぐみ、読み終える頃には体を折って泣き崩れていた。あたしたちはアサコをいたわりながらそのカードを見せてもらい、同じように泣き崩れた。

 特別な事が書いてあった訳ではなかった。「アサコ、誕生日おめでとう」とだけ書かれたその小さなカードが、さびしくてたまらないあたしたちの心を強く打ったのである。アサコは自分のベッドにもぐりこんで、体を震わせて泣き続けていた。何も言わなかったが、心の中で父親に深く詫びている事は痛いほど分かった。

 父さん母さん、姉ちゃんはどうしているだろう。シャバにいる頃は殺してやりたいほど憎んでいた家族がたまらなく恋しかった。

 

 午前中のお経が終わって、あたしはベッドにもぐり込んでいた。タカエとノリコが心配げに具合でも悪いのかと聞いて来たが、そうではなかった。確かに顔色は悪かったのだろう。あたしは泣く事に飽き飽きしていた。泣いても泣いても泣ききれないし、どうしようもない。かと言って泣かずにいられない。

 ここには何もない。あたしの存在価値はゼロだ。シャバにいる頃、一緒になって遊び回っていた友達も男も、みんなあたしの事など忘れているだろう。誰もあたしの事なんか考えちゃいないだろう。

 社会と断絶されちまった鉄格子の中、言いようのないさびしさがあたしを支配し続ける。何故あたしの親は会いに来てくれないのだろう。何故手紙ひとつくれないのだろう。親さえあたしの事を忘れたのか。被害妄想は日増しに大きくなる。あたしなどいない方が良いのか。安泰なのか。だから何の連絡もよこさず放っているのか。一生ここで過ごせという事か。

 20歳になっても、40歳になっても、ここにいる自分を想像して気が狂いそうになる。たまらなく不安になる。こんな所にいたくない。

 一日に7回お経を上げる以外に何もする事がない生活。食べる以外に楽しみがない生活。がんじがらめに束縛され、拘束される事に慣れきってしまったあたしたち。普通一般では考えられない事ばかりがここでは起こる。ここでは考えられる。

 いっそ物凄く悪い事をして、大問題を起こして、施設側を怒らせれば追い出されるかとも思うが、よく考えたら「どうしようもない」上に「手に負えない」から「こんな所」にぶち込まれた訳だ。これ以上問題を起こしてもシャバに出られるとは考えにくいぜ。あはははははは。

 それにこれ以上悪い事をしても、これ以上問題を起こしても、反省室に叩き込まれるのがオチだろう。反省室よか奥之院の方がまだましだぜ。もう、笑いさえこみあげて来ない。

 あたし、前世で何か悪い事して少年院に入るべき所をバックレちまったのかな?だから今世で帳尻合わせする羽目になったのかな。ああもう分かんねーよ。何でこんなヒデー人生なんだろ?

 あたしはベッドに横になったまま、鉄格子の間から見える「小さな空」を見上げ、一体いつになればここから出られるのだろうと悔し涙にかきくれていた。

 

「シャバに出たい」

 あたしたちの頭の中はそれでいっぱいだった。他の事は何も考えられなかった。

「シャバに出たい」

「ここから出られさえすれば後は何とかなる」

 みんなそう思っていたし、そう言っていた。

「出られないなら、いっそ逃げたい。脱走したい」

「でもどこへ?」

 そう、逃げても行く所など、落ち着く所などなかった。連れ戻されるのは目に見えている。実際逃げて沖縄や鹿児島まで行ったが連れ戻され、丸坊主にされた上、酷いリンチを受け、反省室に半年も閉じ込められている脱走者は何人もいた。そうなるのは恐かった。 

 シャバに出たい一心で変な事する子もいたよ。落ちていた釘を飲んだり(よく飲んだねえ、便と一緒にその釘出てくれるといいねえ)、ガラス窓割ってその破片で手首切って病院へ担ぎ込まれようとしたり(ただ包帯ぐるぐる巻きにされて終わりだったよ)、気が狂ったふりしたり(下手な芝居だねえと思って見ていたさ)。

「逃げたい」

「どこへ?」

 誰も答える人などいない。それでもみんな吠える。

「出たい、出たい、ここから出たい」

 吠えながら、みんなで悔し涙にかきくれる。ノリコだけはそうでもなかったけど、ほかのみんなはシュプレヒコールのように

「出たい、出たい、シャバに出たい」

と、誰が聞いていてもいなくても、年がら年中吠えていた。しかし親はなかなか出してくれない。イライラは募るばかりだ。

 そしてその苛立ちは、弱い者に向かった。非行少女の中でも比較的おとなしい子や、病人さんに対するいじめが始まっていた。

 ミナコは「喋れない病人さん」を選んで殴ったり蹴ったりしていた。

 借金地獄から逃げてきたカナエさんの娘、3歳のミホちゃんもターゲットにされた。ミホちゃん、ではなく、アホちゃんとあだ名を付けられ、

「アホちゃん、飴あげる。げんこつ飴」

とヤスエにげんこつを食らったり、チカコとアサコに手足を掴まれ

「ブランコ~」

とゆさゆさ揺らされたりしていた。嫌がってギャーギャー泣くミホちゃんをカナエさんが必死にかばっていたが、少女たちは面白がってやめなかった。

 クミコは

「お世話してあげる」

と言いながら病人さんを風呂に入れ、わざと冷水をかけて寒がる病人さんを嗤っていた。

 フサエは身体障害者の真似をして嗤いを取っていた。

「エへ、エヘ」

と言いながら、首を変な角度に曲げたフサエが部屋の中を跳ね回るのを、みんな嘲って見ていた。

 タカエとマユミだけは笑わず、ただ黙って見ていた。あたしも笑わなかったよ。あたしの母さんは確かに酷い母親だったけど、障害のある人を嗤ってはいかん、と言っていた(そこはまともだった!)。

 フサエは今日も、身体障害者の真似をして跳ねている。みんなは、嘲笑い続ける。

 みんな、みんな、どんどんすさんでいった。

 

 あたしはフサエの変な芸を笑いはしなかったし、ミホちゃんをいじめもしなかったが、イライラを堪えきれずにヨウコという子をいじめた。ヨウコはあたしを慕ってくれていた。

「マリちゃんが好き」

って言ってくれた。ヨウコはシャバにいた時、エッチなお店で働いていたそうだ。

 母さんに言われた言葉を思い出す。

「あんたみたいな汚らしい娼婦を家に置いておくだけで、あたしは恥ずかしくてしょうがない」

 あたしはヨウコに言ったよ。

「あんたみたいな汚らしい娼婦、近寄らないでほしいもんだね!」

 ヨウコが、何かの間違い?って顔をする。ヨウコはいじめが度重なると、悲しそうなつらそうな顔であたしを見た。そう、小学生の時と一緒だ。あの時も友達はあたしを恨む目をしながら耐えてくれた。あたしはまだ小学生レベルのままだった。

 母さんに言われて嫌だった言葉を、そっくりヨウコにぶつける。

「あんたは娼婦だよ、娼婦!」

 罵詈雑言を浴びせても、ヨウコはあたしを慕ってくれた。こんなにいじめているのに、何で許すんだよ!

 きっとヨウコはあたしの中に自分を見たのかも知れないだろう。だがあたしもヨウコの中に自分を見ていた。だからヨウコを見るとイラつく。つまらない事でいちゃもんをつけ、ヨウコを殴ったり蹴ったりしたよ。

 ヨウコをずたずたにいじめながら、何とか精神のバランスを取ろうとした。ヨウコに申し訳ないなんて全然思わなかったよ。

 ヨウコ!あんたが悪いんだよ!

 我慢強いから!

 いじめるあたしを許すから!

 反撃して来ないから!

 はっきりやめてと言わず、ただ目で訴えるだけだから!

 あたしの心はもっと荒れていった。

 

 尼さんたちが、ヨウコに対するいじめをやめさせようとしたのか何なのかよく分からないが、「事務所」で働く事になった。光の園に入園して、すでに3カ月が過ぎようとしていた。

 光の園の入り口には、仰々しいまでにバカデカい玄関があり、そこに事務所というものがあった。ウエイトレスやホステスなど、水商売しか経験のないあたしにとって(16歳にして、そんな仕事ばかりするな)初めての事務作業である。

 光の園では入園してしばらくたった者を「向上心を養う」あるいは「社会復帰してからの為」または「仕事の有り難みを理解する」という名目において、園内で働かせるのだった。

 それに男子も女子もない。多くの者は食堂や喫茶店(これは来客用のものだった)で、皿洗い、清掃、調理などの仕事を与えられていた。

 もしくは反省室の管理人、車の掃除、お上人さんの身の回りの世話、病人さんの世話、入園者のお迎え(これは「お迎え」なんてなまっちょろいものではなく、ある日突然人の家に押しかけ、嫌がる者を殴る蹴るの暴行を加えてまで車に乗せて、光の園まで連行するという恐ろしい仕事だ。あたしもその被害者のひとりである)、などである。

 しかし何もする事がなく退屈し、無気力になっていた入園者にとっては大変有り難く、みんな喜々として働いていた。

 みんな働いている時の表情は明るく懸命である。とても良い顔をしている。シャバでろくな仕事をして来なかった、という事もさながら「人の役に立つ」のが嬉しいのだ。

 無論あたしも例外ではなかった。事務所内の清掃も雑用も一心にこなした。労働。これがこんなに楽しいものだなんて。

 あたしは毎朝身支度を整えると、奥の院から事務所まで元気に「出勤」して行った。あたしは社会復帰してからもきっと人の役に立てるだろう。そんな確信を持ちつつ。

 

 勿論、あたしはもうヨウコをいじめなくなっていた。そして仕事を与えられるようになったミナコ、ヤスエ、チカコ、クミコ、アサコも誰もいじめなくなったし、フサエも身体障害者の真似をしなくなった。

 

「この子、お願いね」

という尼さんの声と共に、誰かが奥之院に入って来る。そのまま「奥之院の奥」に直行する場合も多かった。

 室内にいるみんなはじろりと見て、その新入園者が非行なのか病人なのか判別した。

 あたしみたいにこてんぱんに殴られて、ヘロヘロになって投げ込まれてくる奴、

 ショックで放心状態の奴、

 ふてくされた奴、

 ギャーギャー泣き散らかしている奴、

 キョロキョロしてる奴、

 真っ青な奴、

 動揺した奴、

 真っ暗な反省室から引っ張り出されたばかりで眩し気に瞬きをしてる奴、

 何故か「笑顔」の奴(これだけは分からなかった。後はみんな分かった!)、

 色々な奴がいたさ。

 その頃から確実に病人より非行の子が入ってくる割合が増えた。またかいなって感じでみんな受け入れてた。まあ受け入れるしかないんだけどね。

 でね、新入園者に共通して言える事がひとつあったんだよ。特に非行の場合。

 それはみんな「肌がえらく汚い」って事!若いのにさ。シャバで汚い空気(煙草の煙が充満したスナック等で働いていた奴が多い)の中で、厚化粧やら酒やらシンナーやら寝不足で荒れていたってーのがあった。手に根性焼き(煙草の火を押しつけた跡)がある奴も多かったし。  

 で、ホントみんなに共通して言えたんだけど、しばらく光の園で過ごすと確実に肌が綺麗になるんだよ。ずっと紫外線の当たらない室内にいるし、すっぴんだし、煙草や酒やシンナーとも縁が切れる。何より睡眠時間がたっぷり取れるというのが大きかった。みんな暇こいて、寝てばっかりいるしね。光の園効果ってーか、みるみる肌が綺麗になっていくんだよ。これが非行少女の肌かってーくらい。

 それだけは、嬉しかったね。勿論あたしの肌もピカピカになったよ!あたしは新入園者の荒れた肌を見るたびに思った。まあ待ってな。あんたの肌も綺麗になるからさ。

 

「沖本さん、ちょっと」

 お上人さんの奥さんに呼ばれ、本道に連れて行かれた。途中すれ違う坊さんや尼さんが、にこにこと笑いかける。中には

「沖本さん良かったね」

と声をかけていく人もいる。何が良かったんだろう?訳も分からず奥さんに連れられて延々と歩いた。光の園の内部は結構広い。

「どうしたんですか?」

と訪ねてみたが、奥さんはただにこにこしているだけだ。

 長い廊下を歩き(廊下の脇にはいくつもの反省室がある)、お道を通り抜け(本道以外にもお道はたくさんあった)、階段をトコトコと上がり、やっと本道に入った。本道には巨大な祭壇が設置され、大きな仏像や生花や菓子などが祭られてあ(見慣れないうちは仏像の般若面が怖かった)。

 その祭壇の前に、見覚えのある人が正座して合掌している。はっと息を飲む。

「沖本さん、娘さんを連れて来ましたよ」

 奥さんの声に「母さん」が振り返る。その途端、情けない事にあたしはビイビイと声を張り上げて泣き出してしまったのだ。

 無理もない。あたしは何だかんだと偉そうな事を言っても、まだたった16才の子どもだったのだから。突然施設に叩き込まれ、どこが天井でどこが床かも分からない場所(滅茶苦茶に殴られ、放置された時は本当に分からなかった)で見知らぬ人々と過ごし、あげた事もないお経をあげ、説教され、臭いメシを食わされ(慣れたが)、飢えに飢え(足りなくて)、どうして良いものか、何が何だかさっぱり分からないような、分かったような気持ちで5カ月近くも過ごして来たのだ。

 母さんが言った。

「この前、父さんと離婚しようか考えている時に、おばあちゃまの声が聞こえたの」

「…なんて?」

「許すお稽古よって」

「…良かったね」

 後はお互い、ただ泣くだけで終わってしまった。これも「許すお稽古」なのか?

 帰りに母さんはタクシーの中から身を乗り出すようにして、元気でと一言いった。そしていつまでも手を振り続けていた。あたしは言葉もなく、ただ泣きながら母さんが見えなくなるまで手を振り続けた。

 良かった。あたしたちはまだ親子だったんだ。

 良かった。あたしの心はまだ涸れていなかったんだ。

 良かった、良かった、本当に良かった。

 ああなんて幸せなんだろうと思った。

 その夜、あたしは生まれて初めて自分の親に手紙を書いた。

 

 母さんが面会に来た翌日から、あたしは希望を持って過ごせるようになった。それは「自分はいつか必ずここから出られる。親が出してくれる」という希望だった。

 母さんがあたしの存在を忘れずに、気にかけていてくれた事が、無上の喜びだったのである。それは普通に考えれば当たり前の事であろうが、猜疑心の固まりになっていたあたしにとっては奇跡だった。

 あたしは働いた。事務所の仕事も勿論、病人さんや新入園者の面倒も一心に見た。新入園者は日々、続々と入って来る。早朝といわず、深夜といわず、いつどこからどんな人が入ってくるか分からなかった。

 新入園者の気持ちは、文字通り言葉通り、痛いほど、苦しいほど分かる。泣きわめき、動揺し、自分の身に何が起こったのか理解に苦しみながら途方に暮れている。それはほんの少し前までのあたし自身の姿だった。訳が分からず、わめき散らしている人を見るたび、暴れている人を見るたびにこう思った。

 ああ、あの人は、もうひとりのあたしだ。

 

 廊下の脇には反省室がズラリと設置されてある。そこには常に誰かが監禁されている。暴れる新入園者は、たいていそこにまずぶち込まれる。または脱走しようとして捕まった奴、喧嘩した奴、悪さした奴。女でも髪を丸坊主にされて叩き込まれる。

 この光の園自体が刑務所みたいなもんだけど、反省室は更に過酷だ。窓がなく真っ暗で空気も悪い上に、アルミ缶に大小便がされ、酷い臭いが常に充満しており、そこでわずかな水と臭い飯をあてがわれ、動物以下の扱いに耐えながら命をつなぐ。人間としての尊厳など木っ端みじんにされる。

 ガチャリ、というドアの音を聞くたびに、いちばん最初にぶち込まれた張り裂けそうな悔しさを思い出す。

 あたしはその頃から、かなり自由に園内を歩き回れるようになっていたので、何かの用事でそこを通る事は少なくなかった。

 中から誰かのうめき声が聞こえる。ここから出せと怒り狂っている。すすり泣き続ける声が、重いドアの隙間から静かに流れて来る。母親を呼ぶ声がする。父親に詫びる独り言が聞こえる。恋人の名を叫び続ける声がこだまする。壁に張り付いて、廊下の様子を窺っているであろう気配が感じ取られる。

 長い廊下を渡り終えるまでに、延々と誰かの悲痛な叫び声が響き続けるのだった。次第にあたしはたまらなくなり、耳をふさぎ走るようにしてそこを通るようになっていった。

 

 幹部僧侶に連れられて「お迎え」に行く事になった。遂に来ちまった。あたしにとっていちばんやりたくなかった仕事が。

 もう7カ月以上ここに「お勤め」しており、お迎えにも何度か行った事のあるヤスエとミナコから、お迎えの様子を聞いた事がある(相手が女の子の場合は、大体において女が迎えに行く。幹部連中だけで行くよりも、その方が相手を怖がらせないという事だ。と言ってもあたしの時は幹部の男ばかりで来たではないか。何だ、この差は!)。

 ヤスエたちの話によると、連行しようとした女の子に殴られて鼻血を吹いた上、逆に追い回されてボコボコにやられてしまっただの、手ごわそうな子だと身構えていたら、なよなよと父親にすがりついてどうかやめさせてくれと泣き出し、ついついこっちまでもらい泣きしてしまっただの、急に気が変わった母親が(変わってくれるな)ヤスエや幹部たちを相手に鉄パイプを振り回して(しかし鉄パイプなどというものが、よく一般家庭に置いてあったものだ)大暴れを始め、あまりの怖さに決死の思いで逃げ出したはいいが、すぐに気を取り直してその家に戻り、非行娘をふんづかまえて車に押し込んだなど、なかなか苦労が多そうな仕事である。

 しかも場所は、あたしが中学生まで住んでいた東京だ。やりたかない。本当に嫌だ。殴られたりその家庭の内情を見たり、泣かれるのがつらいから嫌だというのではない。こんな所に(慣れたとはいえ、やはりこんな所はこんな所だ!)放り込まれるなんて、同情すべき事ではないか。

 被害者の立場だったあたしが、加害者になるような気持ちだった。そう、学校でいじめの被害者から加害者に転じた時と同じ。まあやるしかないだろう。あたしは意を決した。

 

 本祥(ほんしょう)さん(この人はあたしを“お迎え”に来て、散々殴ってくれたひとりである。しかし園内ではお上人さん、奥さんに次ぐ立場にある人だ)と、石川さんという僧侶と、タカエの4人で夜の8時に園を出た。

 本祥さんは運転席に、石川さんは助手席に、あたしとタカエは後部座席に座り、出発してしばらくはとりとめもない雑談をしていた。車が静岡を抜けた頃、石川さんとタカエは眠りこけてしまった。本祥さんは無言のまま運転している。あたしは寄りかかってくるタカエに肩を貸したまま、窓の外を眺めていた。そしてあり得ない偶然を期待していた。

 誰かに会いたい。誰でもいい。友達でも昔の男でも。東京なら誰かに会えるのではないか?しかし会ってどうするのだろう。こんなみっともない姿(多少伸びたとはいえ、髪はザンギリの「光の園カット」で、身にまとうは紺色のジャージだ。しかも胸には白いマジックで「沖本」と大きく書いてある)を見られたくないという気もする。

 車は次第に東京に近付いて行く。そして見覚えのある懐かしい風景が飛び込んで来た。

 覚えている。覚えている。この高速道路も、夜景も、橋も、ネオンも、何もかも。車は高速を降り、街中を走り始める。窓の外を流れる、すべてのものがたまらなく懐かしい。

 ああ、こここそがシャバなんだ、と実感する。あの電話ボックスから友達に電話した。受話器を通して流れて来たあいつの温かい声。

 あのバーガーショップで仲間とたむろした。あの日のみんなの笑顔がそこに蘇る。

 あすこの角を曲がった所に古い木造アパートがある筈だ。同い年の友達が部屋を借り、引っ越し祝いと称して仲間が集まり、シンナーパーティーを開いた。

 あの日見た幻覚。火花が散り、壁に張られたポスターの中のアイドル歌手が歌い踊り、あたしたちはそれが幻覚だと分かっていながらも、分かるまいと意識を背け、親や世間から除外された悲しみを似た者同士との連帯感でごまかしながら酔いしれていた。あのアパートは今も変わらずあの位置にこぢんまりと建っているだろうか。寄って戸を叩きたい。

 このゲームセンター。ここに来れば必ず誰かに会えた。みんな今でもここにたむろしているのかな。

 この小さな橋、シンナーでイカレた仲間が飛び込んで骨折した。もう治ったかな。

 このスナック、友達が年を3つも上に言ってバイトしていた。でももう辞めただろう。彼女は今どこで何をしているのだろう…。

「おい、石川。確かこの辺だよな」

 本祥さんの声で我に返った。石川さんが地図をめくっている。

「ええ、そうです。この角を左です」

 二人の声に、タカエも寝ぼけ眼で起き上がる。そしてあたしと目が合うと照れたようにほほ笑んだ。こちらもつられてふっと笑い返す。

 いつかタカエの事を懐かしく思い出す日が来るのだろうか。そしてタカエがあたしを思い出してくれる日があるのか。

「ここだ、この家だ」

 本祥さんが車を止めた。

 

 今日あたしたちが連行するのは、15才のヤク中娘だ。明けても暮れてもクスリをやるか、家にヤクザのような男を引っ張り込んでヤルかどちらかで、しかも家庭内暴力も酷いのでまるで手に負えない。何とかしたいので新聞で見た光の園に入れる決意をした。

 一週間前に、そのジャンキー娘の母親が光の園にやって来て、涙ながらに語った内容だ。その前日に電話を受けたのはあたしだった。とても暗い声を出す人だなと思いつつ、お上人さんの奥さんに取り次いだ。

「ええ、ええ。それでは明日にでもお待ちしております。はい、失礼します」

 奥さんは電話を切った後、事務所内にある大きなボードの翌日の欄に「午後2時、東京から川島さん相談、非行」と書きとめた。

 そのボードには、相談や入園の予定がびっしりと書きこまれてある。それだけ困っている人が大勢いる訳だ。彼らは様々な対策をもくろんだ後、疲れはてて我が子を手放す決意をする。

「死んでも文句は言わない」と戸沢学園の門を叩く親もあれば、精神病院に放り込む親もいる。

子どもを鎖でつなぎ、ウサギ小屋に監禁する親もいる。子どもを逮捕させるべく警察に願い出る親もいる。いよいよ追いつめられた場合、子どもを殺す親もいる。

 そんな親もいる事を考えれば、この光の園を頼って訪れて来る親は、まだマシという事なのだろうか。

 そして翌日の午後2時、その人は現れた。あたしは彼女が名乗る前に、前日の電話の川島さんである事に気づいた。その人は言った。

「あの…」

 それだけでじゅうぶんだった。あたしは反射的に笑顔をつくり、素早く立ち上がった。

 あたしが奥さんを呼びに言っている間、川島さんは何を考えていたのだろう。暗くうつむいたままのその姿勢は、まるで老婆のようだった。

 明るい蛍光灯の下で、奥さんと向かい合ってソファに腰を下ろした川島さんは、やはり驚くほど老けた顔をしている上に、やましくてたまらないように身を縮めている。

 しばらくして奥さんに呼ばれた。

「沖本さん、ちょっといらっしゃい」

 あたしは二人に近付き、会釈をしてから腰掛けた(この会釈してから腰掛けるっつーのは、光の園に来てから身に付けた技だ。シャバではできなかった)。

「まあ、かわいい方ねえ」

 川島さんは感心したように言う。

「この子も最初はみんなと同じように、親御さんに強制的に入れられた子なんですよ」

 奥さんが言う。

「呼ばれてすぐに来るなんて、素直なのねえ。うちの娘なんていくら呼んだって来やしないのに」

 川島さんは、あたしをいとおしむように見つめる(そりゃあ来るしかないんだけどね)。

「この子も本当にどうしようもなかったんですよ。でも今はこの事務所で一生懸命働いてくれていますし、将来はきちんと社会に対応できると私もお上人も信じているんです」

 奥さんが誇らしげに言う。

「ですから川島さん、お宅の娘さんもきっと」

 川島さんは、ハンカチで顔を押えて泣き崩れている。

「娘が、こちらのお嬢さんのように、良い子になってくれたらと、そう、思います。どうか、どうか、よろ…しく、お…願いしま…す」

 途切れ途切れのその言葉に、あたしは非行に走った子どもを持つ親の、深すぎる悲しみを見た。あたしの母さんもここに相談に来て、こうして泣いていたのだろうか。

 

 そして今日、あたしたちは川島家にヤク中娘をひっ捕える為にやって来た。事前に娘の両親とは打ち合わせしてある。知らぬは連行される本人のみである。そんなの酷い、そう思うのが普通だ。しかし一般常識や法律が通用しないのが光の園である。それに本人が知っていたら逃げられてしまうではないか!

 本祥さんは玄関に通じる庭の入り口の陰に隠れる(これは娘が飛び出して来た時にひっつかまえる為である)。石川さんは裏に回る(娘が裏に飛び降りて逃げるかも知れんからだ)。タカエは車の前に立つ。そしてあたしが川島家のチャイムを鳴らす。なかなか用意周到だ。チャイムの音が、響き渡る。

 待っていたかのように、ドアはすぐに開かれた。顔を出したのは川島さんの旦那さんらしかった。すぐ後ろに相談に来た奥さんが立っている。奥さんはあたしと面識があったので、緊迫した表情の夫に小声でささやいた。

「あ、この子よ。光の園の子」

 安心させようと軽く会釈する。旦那さんの表情が、わずかに緩む。奥さんは決意したように言う。

「娘を呼んできます。ちょっと待っててね」

 そして階段の下から、2階に向かって張りつめた声で娘を呼んだ。

「アユミ、お友達が来てるわよ」

 アユミっていうのか。降りて来る娘を待ちながら、張り裂けそうに緊張していた。

「え、友達?誰よ」

 どたどたとジャンキー娘は降りて来た。かなり体格の良い大柄な娘だ。とっ組み合いしたしたくねーなと内心ビビる。あたしは顔をはっきり見せないまま、玄関から外に出た。

 アユミは不審げに

「誰?誰?」

と言いながら、門の外に出て来た。手招きをしながら車の方へ誘導する。このまま素直に車に乗ってくれれば、あんたに乱暴したくない、そんな思いだった。だが車にたどり着く前に、アユミは街灯に照らされたあたしの顔を見た。

「誰だ、てめえ」

 身をひるがえして家の中へ逃げ込もうとした瞬間、ドアは内側からバンと閉められてしまった。娘は青ざめドアノブにしがみつく。家の中から川島さん夫婦が、鍵をかけた上にノブを握りしめ、アユミが入ってこられないようにしているであろう事が、はっきりと分かる。

 アユミ、もうあんたに行き場はないよ、光の園以外には。

「こっち来て」

 あたしはアユミの背後からつかみかかる。人につかみかかっておきながら、こっち来て、とは我ながらマヌケである。しかし他に何と言いようがあろうか。

「何だ、てめえはっ。おめえなんか知らねえぞっ」

 随分と言葉の荒い奴だ。まあ、あたしも人の事は言えないが。ばたばたと本祥さんたちが走って来た。あたしを含め、4人の怪しい奴に力づくで引きずられたジャンキー娘は必死だ。

「お父さーんっ、お父さーん」

 あらん限りの声を張り上げ、死にもの狂いで暴れる。

 お嬢ちゃん、こんな時ばかりお父さんを頼るのかい?しかしこっちだって必死だ。早いとこ車に乗せちまわない事には、通報されかねない。現に隣家の窓がいくつかパタパタと開いて、こちらを驚いたように見ている。

 それにしてもこいつの腕力は物凄い。まさに百万馬力。とにかく暴れる、暴れる。石川さんは弁慶を蹴られ、タカエは顔を引っ掻かれ、本祥さんは顔面パンチをくらって鼻血を出しているぜ(本祥さんはあたしを連行しに来た時は、遠慮会釈なく殴ってくれたくせに、何だよ。チキショー、もっと殴れっ)。

 しかしさすがのアユミも、本祥さんが本気でおみまいしたみずおちパンチには勝てなかった。ぐう…。うめき声と共に一瞬ひるんだアユミを、あたしたちは申し合わせたように素早く手足を一本ずつ持って車まで走り、中に押し込んだ。四方八方から声が飛んで来る。

「誘拐だっ」

「誰かさらわれていく」

「警察っ警察っ」

 全員がその声に押されつつ車に飛び乗り、まるで暴走族のような勢いで東京を後にした。

 交通事故を起こさなかったのは奇跡だった。

 

 その川島アユミという、おしとやかな名を持つ凶暴なヤク中娘は、後部座席で石川さんとタカエに両側からがっちりと押え込まれていた(実を言うとあたしは威勢が良いだけで非力なのである。タカエの方がまだ力持ちという暗黙の了解によって速やかに「席替え」は行われた)。

「何なんだーっ、てめえらーっ」

 アユミの問いに(これが質問あるいは問いかけと言えようか)、助手席にいたあたしは振り返ってニタッと笑った。

「アンタ香港に売られるんだよ」

 アユミを始め、全員が汗だくで、しかもまだ溶けきらない緊張にぶるぶると震えていた為に、リラックスさせてやろうと気配りしたつもりだった。案の定、石川さんやタカエはワッハッハと高笑いしたが、アユミに通じる冗談ではなかったようだ。

「何だとーっ、ふざけるなーっ」

 アユミは両腕を取られている為に全身では無理があったらしく、顔だけであたしにつめ寄って来る。

「このアマッ。ダチヅラしやがって、ただで済むと思ってんのかっ」

「ダチが聞いて呆れる。あんたねえ、不良っつーのは常にオシャレをしているもんだよ。それがセンスいいかどうかは別にしてね。不良のダチは不良って昔から相場は決まってんの。それがこのジャージっつーのは情けない。アンタ、あたしのこのジャージ姿を見た瞬間に異変を察知しなきゃ駄目よ、駄目。まあったく甘いわねー」

 …確かにアユミの神経を逆撫でしたあたしも悪かった。

 次の瞬間、あたしはアユミの足蹴りをまともに受けてひっくり返り、そのまま昇天した。

 そして更に次の瞬間、アユミはタカエの顔面パンチをくらって失神した。

 タカエ、ありがとよ。アンタはダチ思いの優しい子だよ。

 

 光の園に戻ったのは、夜中の3時過ぎだった。そしてそれからが、むしろいちばん大変だった。

 気絶したままでいてくれりゃいいのに、アユミは少し前から意識を取り戻し、車内で再び大暴れを始めていたのだった。

「とにかく反省室へ放りこめ!」

 本祥さんの言葉に、あたしたちは決死の覚悟でアユミに挑んでいた。

「人殺し!人殺し!」

 アユミが何度もわめく。座席のシートカバーにしがみつき、びりびりと破く。破れた布を手にしたままのアユミを石川さんが反省室に引きずって行く。

「人殺し!人殺し!!」

 酷く殺伐とした気持ちになる。だが今のアユミに何を言っても通じない。石川さんが必死に反省室のドアを閉め、鍵をかける。

 ガチャリ。無情な音に全員ほっとする。もう誰も何も言わなかった。言葉も出ないほど疲労困憊していながら、それぞれの部屋に引き上げようとする。

 ガスン!ガスン!アユミが、凄まじい勢いでドアに体当たりしている。最後に聞こえたのは、およそ少女と思えない唸り声だった。

六法全書おおおおおおおおおおおおおっ」

 あたしとタカエは奥の院に戻ったものの、後味の悪さと奇妙な興奮の中、朝まで一睡もできなかった。

 

 翌日、アユミは髪を刈られ、ひどいブスである事が判明した(長髪の時はまだイイ女に見えたが)。ジャージに着替えさせられ、イナカッペになった。そしてすべてを諦めたような顔になり、メシも食わなければ、口も利かないようになった。

 しかし最初はみんながみんなそうなのだ。アンタも例外じゃないって事なのよ、アユミ。

 あたしはアユミがどんなにふてくされようとも、決して突き放す事なく、特に目をかけて細々と気を配り、可愛がった。自分が連れて来たという、負い目にも似た気持ちがそうさせたのだ。

 ふてくされていたアユミも次第に心を開き、ほかの誰よりもあたしを頼ってくれるようになった。人に頼られるって嬉しい事だね。アユミから学んだよ。あたしはさびしがり屋だけに、人一倍仲間思いだったし面倒見も良かった。

 そうしてあたしはこの仕事以来、一気に園内で信望を厚くしていったのである。

 

 その頃とても嬉しい、そしてとても不思議な出来事があった。右手のいぼが、何故かきれいに治っていたのだ。それも気づかぬ間に。

 ああ、加山さんのいぼもきっと治っていますように。

 あたしは何度も右手の甲を撫で、加山さんを想った。

 

     ★

 

 4月、春めいていた。そして万事がうまくいっていた。

 あたしは尼でもないのに、園内を自由に歩き回り、事務所の仕事のみならず、新入園者の管理や、反省室の看護、さらにはお迎えの担当にまでなっていた。

 本祥さんのいちばんのお気に入りとなり、お上人さんや奥さんにまで可愛がられ、一目置かれる存在になっていたさ。

 昨日、17歳の誕生日を迎えたけど、園内のどこで誰に会っても

「お誕生日おめでとうございます」

って言ってもらえたし、なんだかスターになったような気分だったぜ。こんなとこでスターになったって嬉しくも何ともないけどね。あははははははははは。この分ではあと少しで退園出来るだろうと思っていた。

 退園。それはこの光の園に生活するすべての人々の願いだった。しかしあたしは、みんなの信用を一気に失う事件を起こしてしまうのである。

 

 欲求不満という言葉がある。それは多くの場合、性的に満たされていない場合に使われるのではないだろうか。そんなものは異性に縁がなく、どこに行ってもモテない中年がいだくものだろうと思っていた。しかし、あたしたち10代の少女にそれが起こったのだ。

 当時、光の園には老若男女問わず250名ほどの人々が収容されていた。大きく分けると精神病者と非行に分かれる。それは半々といった所だ。男子の方が圧倒的に多く、非行の女子は全体から見れば極めて少ない。病人さんは恋愛の対象としては除外されていたので(妙な差別である)非行の女子は希少価値だった。

 そんな所に(施設や寺に叩き込まれるなんて、どいつもこいつもロクな奴じゃない)いながらも、人々は男を、あるいは女を捨てられなかったのだ。何と園内のあちこちで「男女交際」が始まっていたのである。

 あたしは心底驚き、心底呆れていた。こんな所に(くどいようだが)入れられてまで恋人が欲しいなんて。サナエは平然として言い放った。

「よかじゃなか。ないもすっ事なかし」

 横からミキも口をはさむ。

「そりゃ誰だってシャバの彼氏がいちばん好きよ。だども何も楽しみがなえなんて面白うも何ともなえじゃなえ」

 確かにここの生活は、面白くも何ともない。二人ともシャバに彼氏がいながら、光の園にもシッカリと男を作っていた。

「マリのシャバの彼氏だって待っちょってくれーかどうか分からんよ。新しえ女おーかもよ」

「そうだよ、ここで男作ってしまえなよ」

「あたしは、ここで作る気はないよ」

 まったくここまで来て信じられないよ、と喉元まで出かかったが飲み込む。しかしそう言うあたしも、欲求不満になりつつあったのは事実だ。

 そしてもうひとつ、井の中のかわず、大海を知らずという言葉がある。狭い世界に慣れ(ここはひとつの国であり、世界だった)、視野も何も思いきり狭くなっちまっていたあたしたちは、まさに井の中のかわずだった。

 ここで男を作った者の多くはどういう訳か、もうこの人しかいないと思い込み、必要以上に惚れ込んじまうのだ。冷静になってみればたいした男ではない。しかし小さな世界に浸りきって盲目的になってしまった少女たちにはそれが分からない。仕方ないと言えば仕方ないが、結婚式には誰を呼ぶだの、新居はどこにする、間取りはどうするだの、ましてや育児方法などを真剣に話し合っている姿はこっけいだった。結婚さえすれば幸せになれると信じられていた時代だったというのもあるが。

 結婚したって幸せになれない。それが結婚して不幸になった人たちを見て成長した、あたしの持論だった。

 

 今月19歳になるノリコは(非行グループでは最年長者だった)、園内で3才年下のケンジという男と付き合っていた。自分はもうトシだからというのが口癖で、ケンジを若い女に取られる事を何より恐れ、ケンジが18才になったら(まだ結婚できないというのが10代の恋愛の美しく儚い所である)結婚するのを夢みていた。

 あたしは自分で言うのもナンであるが、園内では結構人気があったぜ。仕事をガンガンこなし、お上人さんたちにも気に入られ、目立っていたという事もさながら、男好きする女の典型である(自分で思ったのではない。人様によく言われるのだ!)という事が、その理由だった。

 入園してから何人かの少年に、自分と付き合って欲しいと言われていたが、こんな所で男などいるかと頑なに断り続けて来た。しかし半年も監禁され、光の園に染まりきり、慣れに慣れ、次第に退屈し始めたあたしは相当危険な状態にあった。

 

 ある時、あたしを気に入っていると分かっていた幹部僧侶のひとりと話をしてみた。

 あたしに舐めるような視線を送ってくる、33歳、シャバでチンピラやってたおじちゃん。何か便宜をはかってくれるのか?と、よこしまな考えが頭をかすめる。だがその人は言った。

「マリはここで相当目立っちゅーけど、シャバに出たらどうかなあ。わしの女房が務まるかなあ。われみたいなどうしようもない奴、どっかの寺に3年くらいぶち込んでおこうかな。そうすりゃちっくとはましになるろうき」

 …冗談じゃない言葉だった。ここで監禁され、またどこかに3年も監禁されるなんて、だったらもう死んだ方がましだ。

 そのおじちゃんとは、二度と口をきかなかった。やっぱりここで男は作らない!と決意を新たにしながら。

 

 ところで10代の少女、それもいわゆる不良少女が退屈を通り越して欲求不満状態に陥ったら、どうやってそれを紛らわすだろうか?

 答えは二つあると思う。ひとつはシャバにいた頃のあたしのように、手当り次第に男を喰う事。

 そしてもうひとつ、それはリンチだ。

 

 あたしは光の園に生活する、すべての人々に思いやりを持って接していた(元チンピラのおじちゃんだけは例外だったが)。それが病人さんであれ、借金地獄から逃げてきた人であれ、誰に対してでも愛想良く接した。人に優しくする事に酔っていたのだ。調子に乗り、のぼせ上がっていたその八方美人的行為が裏目に出た。

 ある日あたしは熱を出したケンジに、事務所の人にバレないように、解熱剤を持ち出して欲しいと頼まれた。言うと自己管理がなっていないと叱られると、困った顔をしている。

 同情したあたしは言われるままに事務所から解熱剤を持ちだし、その上ちょうどそこにあった菓子まで失敬して、ケンジに持って行ってやった。その時、男子部屋にはケンジの他にマモル(こいつはタカエと付き合っていた)やナオキ(こいつはアサコの男だった)もいた。彼らは日頃からあたしを「ミス光の園」と誉めたたえ(そんなもんに選ばれたって嬉しくも何ともない!)、マリさんはキレイだキレイだと言ってくれるカワイイ奴らである。

 本当につい魔がさしてしまった。男子部屋に女子は決して入ってはならないという規則をブチ破って、あたしはすすめられるままに室内に入ってしまった。そして20分を経て、部屋から出て来た所で運悪く、尼の栗原さんと奥の院で同室のマユミとハチ合わせしてしまったのだ。

 噂はたちまち光の園中に広まった。退屈している奴というのは、ちょっとした事ですぐ大騒ぎするものだ。

 あたしは事務所に呼ばれ、薬と菓子を盗んだ事と、男子部屋に入った事を目茶苦茶に怒られた上、すべての仕事を降ろされてしまった。

 がっくりと肩を落として奥の院に戻ったあたしを、今度はマユミから話を聞いて怒りに燃えたノリコたちが待ち構えていた。

 あたしは確かに男子部屋に20分いたが、ケンジとも誰とも何もしていない。ただ話をしていただけだ。しかし嫉妬に狂ったノリコに、そんな言い訳が通用する筈はなかった。

 不良っちゅーのは変な所に真面目で義理堅い(そう!「真面目に非行に取り組んでしまう」のである!)。どんな悪事をしても友達同士では許し合い(親や学校や世間は許してくれないから、せめて仲間同士では許すのだ)無罪とするのだが、友達の男を寝取る事だけは重罪、即!極刑だった。

 ほんの何時間か前まで、本当に仲良しだったみんなの豹変ぶりには驚いた。人ってここまで変わっちまうのかよ!

 ヨウコが必死になって言ってくれた。

「マリちゃんをいじめねぁーで」

 そんな言葉、誰も聞いちゃいない。

 ノリコが、タカエが、クミコが、マユミが、ミナコが、チカコが、アサコが、キミコが、室内の非行少女全員が、鬼と化してあたしを襲った。顔と言わず、頭と言わず、あたしの全身を、満身の力を込めて殴打する。みんな腕力がありあまっているので、その痛さときたらハンパじゃなかった。殴られた瞬間、本当に火花が見えた。

 とにかく手加減も何もしやしない。日頃のうっぷんを晴らすかのように、所構わず痛め付ける。謝っても無駄だった。いくらゴメンと言っても聞く耳なんて持っちゃいない。

 ノリコが怒るのは分かる。しかし関係ない奴らにまでヤラレるのには頭に来た。しかしみんな欲求不満なのだ。あたしをリンチする事でそれを解消しようとしている。何て事だ。ここは何て所なんだ。

 遠くからヨウコの声がおぼろげに聞こえる。

「もうやめで、みんなもうやめで」

 

 やっぱりここは狂っている。

 光の園は狂っている。

 狭い檻に閉じ込めて、病気や非行を治すどころか狂気に走らせる。

 人を野獣に変えてしまう。

 

 約20分、あたしは仲間のリンチに耐えた。20分も良い思いをしたのだから、同じ時間リンチを受けるのは当然だろう、そう言ってノリコは最後に唾を吐きかけた。あたしは朦朧とした意識の中で、ようやく恐ろしいリンチが終わった事を心から喜び、そのまま深い眠りに落ちていった。

 

 どのくらい経ったろう。うっすらと意識が戻って来た。起き上がろうとしたが、体中に砕けそうな痛みが走り動けない。極端に体温が低下しているのを感じる。もう目鼻の区別も付かないほど腫れあがっているらしい。おかげで呼吸困難に陥っている。

 誰かがあたしの肩をそっと揺すった。ヨウコか?しかし返事をする気力はおろか、目を開ける事もできない。

 たったひとつ分かるのは、「自分がまだ生きている」という事だけだ。そう「痛い」という事は「生きている」という事だ。

 あたしの肩を揺すった誰かは、しばらくとどまっていた様子だったが、やがてあきらめたように立ち去った。

 あたしは微動だにせず、そのまま眠り続けた。もうこれで終わったのだ。そう思いつつ。

 しかしそれでは済まされなかった。獲物を手にしたノリコたちが、あたしというおもちゃを手放す筈はなかったのだから。公判のない成敗は、まだまだ続いたのである。

 

 このままでは、リンチ殺人に発展しかねない。そう思ったのは、何度目のリンチの時だったろう。

 この光の園ではあたしのように、何らかの理由で集団暴行を受ける人は何人もいた。リンチの対象になった者は大概脅えに脅え、みんなの言いなりになってしまう。そして調子づいた奴らに更にこてんぱんにやられる。堂々巡りだ。悪循環とはこの事だ。

「殺したって3年で出て来られる」

 ノリコがそう言っているのが聞こえる。少年法の事を言っているのだろう。

「やっちめー。みんなでやれば怖ない」

 タカエの声が聞こえる。

「どっかに埋めちまえば良いんだよ」

 マユミの声がする。

 なんてこった。みんなであたしを殺そうとしてるなんて。

 ただ、みんなそれだけ刺激を求めているのだ。退屈から逃れる為に、何かしらの理由をとって付けて誰かを襲う。監禁されている者なら尚の事、退屈ほど怖いものはないのだから。

 そしてもうひとつ、早くシャバに出たいのになかなか出られない、その苛立ちもあった。だがそんな欲求不満のはけ口にされたのではたまらない。

 あたしは朝が来るたびに思ったよ。ああ、また朝が来やがった。もう来なくていいのに。また恐怖の一日が始まっちまう。今日はどんな目に遭わされるのか?

 

 人は例え、死にたいという口癖を持っていたとしても、本当に命をおびやかされれば、死にたくないと願う。往生際が悪いと言われようがどうしようが、いざとなると死ぬのを拒む。そして猛烈なパワーを発揮して立ち上がる。

 あたしは本当に殺されかけていた。本当に。

 そしてリンチされるたびに、「まだ生きているぞ」と実感していた。

 まだ、生きていたかった。

 

 だから

 反撃を

 開始した。

 

 頭の中で闘いのゴングが鳴り響くのが、はっきりと聞こえた。

 

 あたしはまず、ひとりでいる事を選んだ。暴行がエスカレートするのに比例して、あたしに同情を寄せる者も増えてきたが、安心するもんかと歯をくいしばった。

 ヨウコ以外の誰が話しかけて来ても無視した。アユミさえしばらく相手にしなかった。

 あたしを使い走りにしようと、誰に何を言い付けられても無視した。ただでさえ少ない食事を取られたり、持物を盗まれたりしたが、強引に取り返した。消灯後、ベッドの回りを囲まれた時は大声を上げて追い返した(この時、高校で教室の前にあたしをリンチしようと、上級生が大勢集まって来た時の事を思い出した。あの時もそうすれば良かった)。殴られれば殴り返した。

 奴らは過剰反応し、ますますむきになって殴ってきたが、こっちもむきになって殴り返した。怒らせない方が良いと言う、誰の助言も聞かなかった(すでに怒らせた後だ!)。

 奴らは怒りをたぎらせ、何とか言いなりにしようと躍起になったが、あたしは決して負けなかった(この時、小学校で河野さんという女の子があたしを使い走りにし続け、反撃した途端に何も言わなくなった事を思い出していた。また、アルバイト先であたしに、ああこのお金よこせってそう言うんでしょう、と声を荒げ続けたチアキさんも、やめてくれとはっきり意思表示した途端にそう言わなくなった。いっとき相手が過剰反応してもこちらが反撃し続ける事でいじめはやむ、そう信じてあたしはあらん限り踏ん張った)。

 彼女らが怒りを緩和させない理由のひとつに、ケンジたちがあたしをかばった事という事がある。

 ケンジたちはあたしが男子部屋にいた事がバレたと知った時に、それぞれ自分の彼女にマリに手出しするな、変な目で見るな、もしそんな事をしたら別れると宣告し、何とかあたしを守ろうとしてくれたのである(ご厚意は有り難いが、裏目に出たご行為だった。駄洒落ではない)。

 しかしそれがかえって、ノリコたちの逆鱗に触れた。そこまでかばうと言うことは、やはりヤッタのだろう。それがノリコたちの結論だった。

 そしてノリコたちが、あたしをメッタ打ちにしたのを聞いたケンジたちは、何故自分の言う事を聞かないんだと彼女らを責めたて、本当に別離を言い渡したのだった。ノリコたちは泣きわめいて荒れ狂い、すべてをあたしのせいにして、これでもかと圧力をかけ、益々ひどいリンチを加えるようになった。

 それでもあたしはひるみもへこたれもしなかった。1発殴られたら3発殴り返し、5発蹴られたら10発蹴り返した。

 言いなりになったらもっとやられる。

 我慢したら終わらない。

 だったら闘う!

 命がけで闘ったる!

 

 ゴングはガンガン鳴り響いている!

 おーおー!あたしってこんなに強かったんだ!

 こんなに闘えるんだ!

 ヨウコがあたしを頼もし気に見ている。

 アユミも「ほう」って顔で見ている。

 ノリコたちは「こんなに歯向かってくるんだ、こいつ」って顔で見てる。

 尼さんたちは「手に負えない」って顔で見てる。

 坊さんたちは「スゲーねえちゃん」って顔で見てる。

 ケンジたちは「かばうまでもないのかな?」って顔で見てる。

 お上人さんも、奥さんも、本祥さんも、絶句して、ただ見てる。

 みんな、みんな、あっけに取られている。

 傷だらけでもまだ立ってるぞ!まだ生きてるぞ!

 見ろよ、こんなになってもまだ闘えるんだ!

 闘うぞ!闘うぞ!闘うんだ!沖本の乱だ!

 負けるもんか!負けるもんか!

 負けるもんかあああああああああああああ!!!

 

 実は負けなかったのには、このいじめを何としてもやめて欲しいというのとは別に、もうひとつ理由があった。

 当時あたしは、目標を持ったのだ。「メイクアップアーチストになりたい」それは、あたしが初めて持った夢だった。その夢を叶えたかった。命さえあれば、いつか夢は叶えられる。だから死ぬもんか、絶対に負けるもんか。生きてここから出て、メイクアップアーチストになるんだ、その一念だった。

 逃れられない場所において、絶体絶命の危機にさらされようとも、あたしはこの夢の為にくじけずにいられる。そうそうこんな経験は出来まい。まんざらここに来た事は無駄ではなかったようだ。

 …と言っても、あたしもいい加減疲れつつあったのは事実だ。一日も早くここを退園したくて焦るようになっていた。

 

 ちょうどその頃、父さんと母さんが揃って面会に来た。助かった!心底そう思った。

 あたしは二人を前に、必死で帰らせてくれと哀願した。ここでひどいリンチを受けている。我慢できない、早く出してくれ。あたしは必死で頭を下げ、プライドを捨てて頼み続けた。

 しかしである。父さんも母さんも承知してくれなかったのだ。父さんは、顔も体も痣だらけの惨めな姿のあたしにこう言った。

「お前は親に対して酷い事をしてきた。盗みはするし、親を殴った事もある。その報いが来ているのだ。当然の償いだ。我慢しなさい。まあ1年くらいはここにいなさい。お前の為だ」

 父さんは、自分が家族に散々暴力を振るった事をすっかり忘れている。あと1年もリンチされていろってか?あと1日も嫌だよ。あと1回殴られるのだって嫌だ。冗談じゃない!

「リンチされているんだよ」

と言ったが

「お前がまた悪い事しないなんて、そんな保証どこにもない」

と子どもみたいに口を尖らせて言う。絶句したぜ。散々いじめておいて、逆撫でしておいて、暴力振るっておいて、やる方は悪くなくて、耐えきれなかった方が悪いなんて。

 母さんは母さんで、得意気に質問してくる。

「あんた、ここに来てどんな事が分かった?」

 仕方なく答える。

「今まで自分がどんなに恵まれていたか分かった」

 本心じゃないよ、実際恵まれてなんかいなかったしね。母さんがこれ見よがしに聞く。

「それでこれからどうしようと思う?」

 シャバに出たい一心で答える。

「父さんと母さんを大事にしようと思う」

 母さんがまた聞く。

「それからどんな事が分かった?」

 母さんが答えて欲しそうな事を言う。

「学校を続ければ良かったという事が分かった」

 母さんが満足そうに聞く。

「それでこれからどうしようと思う?」

「美容学校に行こうと思う」

 これは本心だ。

「それからどんな事が分かった?」

 母さんがまた聞く。

「殴られたら痛いという事が分かった」

 仕方なく答える。実際、毎日リンチされてイテーよ。

「それでこれからどうしようと思う?」

 得意満面の母さんが言う。

「人を殴らないようにしようと思う」

 いいから早くここから出してくれよ、と思いながら答える。

「それからどんな事が分かった?」

 母さんは、自分の方が立場の強い事を誇示しながら言う。

「派手な格好をやめようと思う」

 母さんの顔色を見ながら言う。

「それでこれからどうしようと思う?」

 母さんが居丈高に言う。

「地味な格好をしようと思う」

 母さんの勢いは止まらない。

「ほかにどんな事が分かった?」

 仕方なく答える。

「男遊びは良くないという事が分かった」

 母さんがにやりとする。

「それでこれからどうしようと思う?」

 本心じゃないが答える。

「真面目になろうと思う」

 母さんは黙らない。

「ほかにどんな事が分かった?」

 まだあるのかよ。

「水商売は良くない事が分かった」

 母さんの口が動き続ける。

「それでこれからどうしようと思う?」

 何でもいいから早くここから出してくれ、その一念で答える。

「真面目に働こうと思う」

 母さんは止まらない。

「ほかにどんな事が分かった?」

 何を言えば母さんは満足するのか?

「姉ちゃんや友達と喧嘩するのは良くない事が分かった」

 母さんは更に満足そうに言う。

「それでこれからどうしようと思う?」

 マニュアルがあるのかい?と思いながら答える。

「姉ちゃんや友達と仲良くしようと思う」

 母さんがまた言う。

「ほかにどんな事が分かった?」

 なんてしつこいんだ。

「勉強は、した方がいい事が分かった」

 母さんが言う。

「それでこれからどうしようと思う?」

「勉強しようと思う」

 母さんが間髪入れずに聞く。

「ほかにどんな事が分かった?」

 まだあるのかよ。いい加減にしてくれよと思いながらも答える。

「目立つのは良くない事が分かった」

 母さんが顎を上げながら聞く。

「それでこれからどうしようと思う?」

「目立たないようにしようと思う」

 母さんがまた言う。

「ほかにどんな事が分かった?」

 …もうない。もう答えられない。茫然として黙る。母さんの眉が吊り上がる。

「なあに?もうないの?」

 どうせ後から、あんたはあの時ああ言ったこう言ったと蒸し返すのだろう。

 

「あんた、勉強するって言ったじゃない」

 あたしの好きな漫画を捨てようとつかみかかる母さん。

 

「あんた、交換日記やめるって言ったじゃない」

 あたしがたいせつにしている日記につかみかかる母さん。

 

「あんた、ちゃんとご飯食べるって言ったじゃない」

 山盛りのご飯を前にした母さん。

 

「あんた、加藤さんとは付き合わないって言ったじゃない」

 不満満面の母さん。

 

 なになにって言ったじゃない。 

 まだ幼かったあたしに声を荒げ続ける、居丈高な母さん。

 その光景が、ひとつ、ひとつ、ありありと、蘇る。

 

 今、目の前で、母さんが不満満面の顔を向け続けている。

「早く言いなさいよ。他にどんな事が分かったのか、ほら言いなさいよ」

 

 唖然とする。もうない。それにどうせ答えたって、それでどうしようと思う?ほかにどんな事が分かった?と1万回でも2万回でも聞くつもりなんだろう。立場の弱いあたしを永久にいじめ続けるつもりなんだろう。もう嫌だ。うんざりだ。黙り込んだあたしに母さんが詰め寄る。

「なあに?たったそれだけ?」

 もう言葉なんて出て来ない。同じ事を繰り返し繰り返し聞かれるだけだ。母さんは弱い立場のあたしをいじめたいだけだ。

 

 まだ幼稚園にも上がらない幼い日、

「父さんと母さんどっちが好き?」

と拷問のように繰り返し聞かれた事を思い出す。答えられず、幽体離脱するまであたしを追い詰めた母さんは、あの時と寸分も進歩していない。

 

「なあに?なに黙ってるの?」

 目の前の母さんがあたしをいたぶる。

 

 テレビに夢中になっている幼いあたしに自分の言う事を聞かせようと

「マリ、あんたみたいな子は施設に引き取ってもらうよ」

と脅し、ダイヤルを回す事なく、ただ受話器を耳に当てたまま睨みつける母さんを思い出す。母さんは10数年経ってからそれを実行したのだ。

 

 小学生のあたしに

「食事はおしゃべりしながら楽しくするものよ」

と言い、あたしが無理に話題を探して何か言うたびに、それはあんたがああだからでしょう、こうだからでしょう、と否定した母さん。絶句するあたしに

「何黙ってんのよ、何か喋りなさいよ」

と更にいたぶった母さん。

 

 今、目の前の母さんが言う。

「あんた、なんにも変わっていないじゃない。直っていないじゃない。出してやらないよ」

 

 …愕然とする。

「出してやらないよ」という言葉が頭にこびり付く。

 

 小学校2年生の時、あちこちの医者や宗教団体のお偉いさんの所へ連れて行かれた事を思い出す。

「どっかおかしいんじゃないでしょうか?」

と、丸聞こえなのに囁く母さん。

 

 今よりもっと若かった母さんと、幼かった自分が蘇る。

 

 変わっていないのはこの人だ。おかしいのもこの人だ。

 逃げられない場所でのリンチがどれほど恐ろしいか、悔しいか、あんたに分からないんだろう。どうしても我慢できない。後1年もリンチされたくない。1日も、1回も、嫌だ。だからここから出して欲しいんだ。もう誰からもいじめられないように家に逃げて帰りたいんだ。

 どうして分かってくれないんだ。こんな土壇場で裏切るなんて。こんな緊急事態にも対応してくれないなんて。自分を満足させる言葉を散々言わせ、まだ言わせようとし、言葉を尽くしたあたしにまだ言えと迫り、「出してやらないよ」で済ますなんて。

 まだ交換条件を掲げる気か、きりがない。悲しさやら悔しさやらじれったさやらで、気が狂いそうだった。自分の娘がリンチされているのに助けないなんて。あたしはあんたらをかばい続けたのに!

 あたしは頭の中で、何本もの血管がちぎれていく音を聞いた。ゴングもガンガン鳴り響いていた。

 次の瞬間、二人に湯飲みをブン投げ、どこかの頑固オヤジのようにテーブルを引っくり返し、二度と来るなと啖呵を切り、奥の院に戻っちまったのである。

 ああ、短気は損気。あたしはこれで何もかもブチ壊し、振り出しに戻った訳だ。もはやここからは当分出られまい。

 もう溜息も出なかった。

 

 ノリコたちの怒りがようやく静まったのは、それから2カ月後だった。それはとてつもなく長い2カ月間だった。頭の中で毎日ゴングが鳴り響いていたし。

「マリは何を言っても聞かない。どうせ無駄だ。もう放っておこう」

 ノリコ自身がそう言ったらしい。

 その頃からあたしは再び園内の仕事をするようになり、少しずつ信用も取り戻していった(この時、5年かけて得た信頼を一度失うと取り戻すのに10年かかるという言葉を思い出していた。10年も、やってられるか)。

 この間、アサコとチカコとマユミが退園していった。男子ではケンジとマモルが(ケンジが退園したのもノリコの怒りが静まった原因のひとつだ。しばらくノリコは腑抜けのクラゲだった)。

 それぞれ様々な思いが胸をよぎった事だろう。ひとりひとりに元気でと言って去って行った。

 あたしたち見送る側も胸が詰まるような思いに浸りつつ、頑張ってねと送りだした。送る方も送られる方もつらい。しかし新しい門出なのだから、精一杯祝ってやらなければならないだろう。何もしてあげられなくとも。

 新入園者は相変わらず、日々続々と入って来る。これもなかなかつらい。迎える方も迎えられる方も。この少年少女たちが退園出来るのは、一体いつの事だろう。そして何より、あたし自身が退園できる日が果して来るのだろうか。 

 今、シャバはどうなっているのだろう。

 

     ★

 

 昼食後のお経をあげている最中に、何かが焦げているような異臭を感じた。それは段々とひどくなってくる。何だろう、不審に思っているとみんなも気づいたらしくざわつき始めた。それは奥の院の奥から漂って来る。

 尼の中井さんが奥の院の奥へと走って行った。みんな読経を中断して、不安げな表情のまま中井さんを待つ。

「火事っ、火事っ、火事ばーいっ」

 中井さんが叫びながら駆け戻って来た。全員が驚いた。あたしもぶったまげた。尼さんたちが慌てて立ち上がる。奥の院中が蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。

「みんな、落ち着いてっ、早う非難しなっせ、早うっ」

 落ち着けるかってーの!!病人さんも少女たちも金切り声をあげながら奥の院を飛び出す。あたしもみんなに続く。奥の院の奥からも、収容者たちが次々に飛び出して来る。

「火ん回りが早かっ、凄か勢いばいっ」

 中井さんの声が後方から聞こえる。

 

 光の園に収容されているすべての人々が、園の裏手にある山まで逃げて来た(園の裏手に山がある事を、その時初めて知ったぜ)。振り返ると、炎に包まれた奥の院が見える。

「燃えろ、燃えろ」

 あたしの後ろでアユミが喜んでいる。

「バカッ、聞かれるとまずいよっ」

 あたしは一応アユミをたしなめたものの、心の中では同じく光の園なんか燃えちまえと思っていた。

 だがそれはみんなの思いだったようだ。燃えさかる光の園を見る人々の目は、期待と野望に満ちていたのだから。タカエだけが異常に怖がっていた。

 消防車が来た。火はすぐに消し止められる。みんなざわざわしながらも、園に戻り始める。

 それにしても…。どう考えたって奥の院の奥から火が出るなんて不自然だ。園内では煙草は禁じられていたし、このくそ暑い真夏に暖房器具を使う訳もない。つまり火の元はあり得ないのだ。…と言う事は誰かが、それも奥の院の奥にいる誰かが放火したのか?

 あたしはハッと顔を上げて周囲を見渡した。そして見た。にやにやしている新入園者のカズコとエリを。まさかこいつらが…。

 二人にフサエが近付いて行き、小声で囁く。

「チョロイもんよ、ね」

 

 光の園の「放火事件」は新聞にまで載った。

 様々な雑誌やワイドショーでも取り上げられ、第二の戸沢学園は、戸沢学園の二の舞(つまり閉園)の危機にさらされる事になった。

 犯人のカズコ、エリ、フサエ、その他拘わった者はひとり残らず少年院送りになった。少年院と光の園とどっちがマシだろうか(どっちもどっちという気もするが)。

 動機は「シャバに出たいから」だそうだ。

 まったくバカな奴らだ。放火して自由の身になれれば誰も苦労しないよ。八百屋のお七じゃあるまいし。火あぶりの刑で殺されちまうぜ。そんな大規模な事を、小娘の悪い頭(しかも酒やらシンナーでイカレきった脳みその詰まった)でやらかしてバレない訳がない。

 施設にいた事は何とか隠し通せるだろう。だが少年院にいた事は隠せない。まして放火なんて重罪だろーが。

 彼女らはそれが分っていたのだろうか、いなかったのだろうか。とにかくやってしまった。そして少年院に送られて行った。

 

 収容者の人数が増えるにつれ、光の園の内部は荒れ狂っていった。このままではもっと大きな事件がドカンと起こりかねない、誰もがそう予感している中、第二の事件が勃発した。

「女子寮大脱走」である。

 それは放火騒ぎの翌月のお祭りの直後に起こった。尼さんの誘導のもとに奥の院に戻りかけた非行少女たちは、突然シャバに向かって一斉に走り出したのだった。

 その数、総勢109名。まさに大脱走である。

 即座に幹部連中が車で出動したが、逃げた人数の方があまりに多かった為、全員を捕まえる事は当然不可能だった。首根っこを押えられながら引きずり戻されたのは、ミナコとクミコだけだったというお粗末さだ。二人はその場でバリカンで丸坊主にされ、別々の反省室に投げ込まれた。

 どうにか逃げおおせた脱走者たちは、そのまま警察に駆け込んで助けを求めた。だが大半の者はそのまま光の園に連れ戻されてしまう。家に帰る事ができたのは、わずか12名だった。

 しかし警察に保護された時、全員が全員、刑事や親の前で光の園をボロクソにこきおろし、ひどい所である事を訴えたのだった(確かにひどい所だ)。助かりたい一心だったのだろうが、それにしても91名もの少女が、光の園を告訴までしたのには驚いた。それがまた世間を賑わす事になった。

 連日のようにテレビの取材人が光の園を訪れ、園内を取材して回った。

 この時、面白がってカメラに映りたがる少年少女も多かったが、カナエさんだけは絶対に映らないようミホちゃんを抱えて逃げ回っていた。

 カナエさんが逃げ込んだ部屋の扉の前に、お上人さんが立ちはだかる。

 インタビュアーがお上人さんにこう聞いた。

「この中でいちばん良い子って誰ですか?」

「沖本です。あいつ良い子ですよ」

「ではいちばん悪いのは誰ですか?」

「それも沖本です。あいつ悪いですよ。ちょっと目離すと、なんかやってますから」

 おいおい、全国放送だぜ、勘弁してくれよ。カナエさんかばおうとしてるんだろうけど。

 お構いなしのマスコミは、この光の園を「狂気の園」と題して滅茶苦茶に書き立てた。

「親としての責任を放棄して自分の子どもを施設に放り込む行為」は、文教委員会や文部省にも取り上げられ、あっという間に社会問題に発展した。その騒がれようは、かつての戸沢学園事件を遥かに凌ぐ勢いで世論を動かし、ついに国会答弁、そして海外のメディアにまで光の園は登場してしまう。

 

 日本中、そして世界中が光の園に注目する中、

 追い討ちをかけるように、極めつけの事件が起きた。

 殺人だ。

 

 殺人。それは心が凍えるような出来事だ。まして身近で起きたとなれば、誰だってショックを受ける。

 その17才の少年は、両親に温泉に行こうと言われ、たまには親孝行をするかと仏心を出した。

 何も知らぬままやって来た彼は、親に裏切られた事を知り、ましてそこが今騒がれている光の園と知り、驚愕し、狼狽した。監禁されるのだけは嫌だ。どうしても嫌だ。何とか助かろうと暴れ回った彼は、反省室に叩き込まれそうになった際に逆上し、隠し持っていたナイフで僧侶のひとりを刺し殺してしまう。

 少年は少年院ではなく「少年刑務所」に送られていった。殺された24才の僧侶は、元覚醒剤中毒者であったものの、もう間もなく退園が予定されていた優等生だった。

 あたしはちょうど現場には居合わせなかったが、加害少年の

「死んだ方がマシだっ、てめぇら全員道連れにしてやるっ」

という断末魔の声は、奥の院にまで響いて来た。この事件にマスコミが大喜びで飛び付いた事は、言うまでもないだろう。

 マスコミ界の「光の園叩き」はそこまでにとどまらなかった。そんな甘いものでは済まされなかった。

 過去に起こったいくつかの事件(真冬に反省室に入れられた少年が凍死したり、悲観した精神病者が自殺するなど)まで暴かれ(何と!公にする事なく内密に片付けられていたのだった!)、散々書き立てられた上、それぞれの事件の遺族たちが結束して「光の園を廃止する会」が発足された。

 会の代表者が記者会見を開く様子が大々的に報道され、週刊誌や新聞にも一面トップで取り上げられた。

 

 光の園は、今、崩壊しようとしていた。

 

 台風の目の中にいるような日々だった。どんなにテレビで放送されようと、新聞や週刊誌に何と書かれようと、当事者たちは自覚ができず、どうしたものか見当もつかず、ただ息をひそめて見守るしかなかった。無論あたしもそのひとりで、自分の身は一体どうなるのかほとほと心配だった。

 その矢先だった。父さんが、あたしを迎えに来たのだ。退園させるべく。

 もう一生放って置かれるのかと思っていたので驚いたぜ(いつ脱走しようか、どこへ逃げようか、その後どうするかまでとヨウコやアユミと話していたくらいだった)。

 どうやら光の園に関する一連の事件を知って「あんなバカ娘でも殺されちゃかなわん」と心配になったらしい。それに光の園に毎月支払う10万円という養育料は、やはり貧乏サラリーマンには痛かったのだろう。

 ぎりぎり、あたしは助かった。

 

「真面目にやるか?」

 父さんはたたみかけるように聞いた。あたしは目を輝かせ、大きく頷いた。

「本当だな」

 父さんは何度も念を押した。あたしはその度に、大きく大きく頷き続けた(父さんは母さんほどしつこくないのが幸いだった)。

 お上人さんや奥さん、それに本祥さんまでニコニコしながら出て来る。

「沖本さん、娘さんはもう大丈夫ですよ」

「この子は立派にやっていけます」

「マリさん、良かったね」

 いつの間にか幹部の坊さんや尼さんまで集まって来ている。みんなそれぞれうっすらと涙を浮かべ、あたしの社会復帰を心から祝ってくれている。あたしもつられて泣きそうになったが、父さんの手前ぐっとこらえた。

「よし、じゃあ家に帰るから荷物を取って来い」

 父さんの言葉にあたしは立ち上がり、奥の院に向かった。

 

 あんなに出たかったこの光の園が、今たいせつに思えてたまらない。あたしは奥の院に戻るまでに、見慣れた筈の園内の様子をひとつひとつ記憶に刻み付けながら、一歩一歩踏みしめて歩いた。もう二度とここに来る事はないだろう。この小さな世界からあたしは今日、巣立って行くのだ。

 奥の院に一歩入る。あと10分もしない内に、荷造りを終えたあたしはここを立ち去るだろう。もうこの部屋から「出る」事はあっても、こうして足を踏み入れるのは、つまり「入る」のは、これが最後なんだ。

 室内には別れを惜しむ仲間たちが待っていた。みんなさびしさを押えきれないながらも、精一杯の笑顔を見せてくれる。

 奥之院の奥からまで、みんなが出てきてくれた。尼さんたちのはからいだった。

 ヨウコが涙ながらに近付いて来る。

「マリちゃん、頑張ってね」

 喉の奥に酸っぱい感覚が広がるのを感じる。

「マリ、マリ」

 ノリコはそれ以上言葉にならない。何度もリンチして悪かったと言いたいのだろう。

「マリちゃん、元気で」

 キミコが潤んだ目で言ってくれる。無視して済まなかったと言いたいのだろう。

「マリ、負けんでね」

 タカエが精一杯声を押し出す。食事や持ち物を奪ってごめんと言いたいのだろう。

「マリ、あたしたちを忘れねえでね」

 ヤスエが激励してくれる。近くを通るたびに蹴って悪かったと言いたいのだろう。

 そしてみんなが、一斉に抱きついてきた。

 あたしも両手を広げてみんなを抱きしめる。

 みんなの思いが痛いほど伝わって来る。お上人さんたちの前では我慢できた涙が、こらえきれずに溢れ出す。

 悔し泣きばかりしていたあたしが、生まれて初めて嬉しくて泣いた。

 

 この光の園に来てからの事が、短い映画を見るように蘇る。仕事の事も、反省室に入れられた事も、飢えていた事も、リンチの事すらも、すべてが懐かしいたいせつな思い出に変わっていった。

 ここでは金も物も必要なかった。だから何かあげる事もできないし、もらおうとも思っていない。それだけに、みんなの思いやりが、優しい心が、あまりに有り難くてならない。

 ここに来て良かった。初めてそう思った。

 あたしはここに来て、本当に良かった。

 ここに来なければ出会う事のなかったみんなに会えたから。

 ここに来なければ学べない事をたくさん教わったから。

 言葉にならぬ思いをたくさん与えてもらったのだから。

「みんな、有り難う」                                      

 それだけ言うのがやっとだった。

 あたしは少ない荷物を抱え、ぽろぽろと泣きながら奥の院を「出て」行った。

 

 みんなが揃って正門まで見送りに来てくれた。少女たちは涙ぐみながら、お上人さんや奥さん、本祥さんたちは無言で微笑みながら、みんながそれぞれの優しさで、愛情で、あたしを社会へ送り返そうとしてくれている。

 あたしは父さんに呼ばれ、未練を残しながらも車に向かった。

 …ふと思い立ち、ぐるりと空を見上げ、その大きさと美しさに眩暈がするほど感動する。

 そう、あたしはこの9か月間、奥之院やその奥、宝前、廊下等の窓から見える「小さな空」しか見ていなかったのだ。反省室には窓さえなかった。

 この空を、愛おしいようなこの空を、ずっと見ていたい気もしたが、父さんに急かされて助手席に乗る。

「マリーッ」

 みんなが口々に叫んで手を振る。

 あたしも助手席から大きく手を振り返す。

「ありがとーっ、みんな元気でーっ」

 父さんがエンジンをかけ、車は走り出す。

 

 ああ

 光の園

 遠ざかって行く。

 

 みんなが手を振り続けている。

 あたしもいつまでも手を振り続ける。

 光の園はどんどん小さくなって行く。

 あたしはここにいた9カ月間を忘れないよ。

 有り難う。有り難う。心から有り難う。

 あたしは涙を拭き、正面に向き直った。

 そして明日に向かって、ぐいと顔を上げる。

 父さんは黙ったまま運転している。

 車はどんどん千葉に、我が家に、近付いて行く。

 

 そして…。

 

     ★

 

 …そして今朝、新聞で光の園が閉鎖された事を知った。

「狂気の園」は脱走しようとした少年16名を「反省室なる密室」に監禁、7名を死に至らしめた。

 4人は度を越した体罰による外傷性ショック死、3人は凍死。残り9名も餓死寸前の極めて危険な状態で保護された。

 警察は光の園の代表である「お上人(おしょうにん)」こと剛野正弘と妻の剛野松子を傷害致死の疑いで逮捕したほか、事件に拘わった幹部僧侶を全員逮捕した。

 収容されていた人々は、すべて家族もしくは身元引受人の元に返され、園は完全閉鎖された。

 閉鎖される直前、収容者の人数は1200余名にも膨れ上がっていたのだった。

 

 私は溜息をついて、新聞を床に投げ落とす。

 

 頭の中は雪よりも真っ白だった。

 もはや何も考えられず、何も出来ず、ただ茫然としていた。

 

 しばらく立ちすくんだ後、だらだらとカーテンを開け、ベランダに出る。そして慌ただしく出勤していく人々を眺めつつ、このマンションに施設や少年院あがりの「元非行少年少女」は何人いるのだろうと考えた。

 そんな人はひとりもいないような気がする。世界中にただのひとりも。今日の新聞に載っている、閉鎖された更生施設の「卒業生」が今ここでこうしているとは、誰も想像さえしないだろう。

 

 あれから私は何をして生きてきたのだろう。

 昭和という時代はとうに終わり、平成さえ終わり、私は新たに始まった時代をひたすら堅実に生きようとする57歳の主婦になっていた。

 そう、あの日から丸40年もの気が遠くなるような歳月が流れていた。

 

 退園してからモデル、美容師や結婚式場のヘアメイク(夢は少し叶った訳だ)、デパートの店員、コンパニオン、クラブホステス、企業の受付、販売員、事務員、派遣、秘書、婚礼や葬儀の司会者など、様々な職業を転々とした。

 希望を持ち、懸命に働き、輝いた時代もあった。

 

 18歳でスカウトされ、所属したモデルクラブの仕事で美容雑誌の仕事をした際、私の纏う衣装やアクセサリー、髪型、化粧品の問い合わせが集中し、電話線がパンクした事がある。

 救世主と呼ばれるほど発行部数を伸ばし、マリちゃんブーム到来ともてはやされ、イベントを行なった際、大勢集まったカメラ小僧のいちばん人気を博したモデルは私だった。矢継ぎ早に焚かれるフラッシュに心酔したものだ。

 また、美術学院で仕事をした際には、多くの生徒や講師から

「あのモデルを是非」

と毎回指名を受けた。

 特に雑誌の撮影現場では皆にちやほやされて気分が良かったが、ひとつの仕事に対していくらのギャラ、というスタイルだった為、生計を立てるには厳しく、アルバイトをせざるを得ず、ましてレッスンを受けるのに毎回料金はかかる上、夜間の美容専門学校にも通っていた為、常に時間もお金もなかった。

 子どもの頃にバレエを習っていたおかげか、姿勢が良い、立ち姿も美しいと褒められたが、いわゆるダンスは下手で、歌も決してうまいとは言えない上、表現力にも乏しく、歌手や女優、ダンサーに転向する事は到底出来ず、専属モデルとして活動した美容雑誌の売り上げも次第に低迷、事務所の契約更新は叶わず、タレントとしては短命だった。

 ただそのおかげで、20歳で美容学校を卒業と同時に就職、美容師として生計を立てる事は出来、勤めていた大手の美容室でも上司や先輩みんなに可愛がられ、お客さんからも慕われ、本社でも評判の高い美容師になれ、その年大勢いた新人の中から特別賞を受賞出来た。

 美容師としては、結婚式場で働くまでになれ、美容学校の同期に出世頭と羨望された。

 花嫁や親族等のヘアメイクを手掛けるのは楽しかったが、拘束時間が長い割に給料は少なく、特殊な姿勢で仕事をする為に腰痛に悩まされる上、手荒れも酷く、何より年配の女性がメインの職場において働く者同士の人間関係もうまくいかず、大勢の中にひとりぼっちでいる事に耐えられず辞めた。

 ただそのおかげで、23歳で始めた販売員としては一目置かれる存在になれ、全国規模の百貨店でレザージャケットの販売の仕事をした際、単価が高かったというのもあるが、売上高全国一位を取り、全従業員の前で表彰され喝采を受けた。

 店に入って来たお客さんに似合う商品をドンピシャリと出せ、相手の目が輝く瞬間が楽しく、購入したお客さんが喜んでくれる事にやりがいを感じていたし、拘束時間もそれほど長くはなく、給料も美容師より良かった。会計を済ませたお客さんに手入れ法を書いた能書(のうしょ)を見せ

「お買い上げいただき、誠に有難うございました。こちらにお手入れ方法書いてございますのでお目通し下さい。それではどうぞ、お品物をたいせつになさいませ」

と言って商品を手渡す時、相手が「本当に買って良かった」をいう顔をしてくれる瞬間が好きだったし、上司が他の販売員に

「沖本の接客を見習え」

と言ってくれ誇らしかったが、丸一日立っているのが段々つらくなり辞めた。

 ただそのおかげで、25歳から始めた営業の仕事ではなかなかの成績を上げる事が出来、バブル経済の勢いを借りられたという事もあったが、勤めていた不動産会社で並みいる男性営業マンをおさえ、トップセールスレディとして君臨出来、不動産業界のマドンナとして雑誌に掲載された事もあった。

 厳しい条件を掲げて来る客と渡り合い、取引先の男性営業マンやオーナーさんとも対等に仕事をし、次々に契約成立させ、何か月間か契約件数ナンバーワンを誇り、最高月収150万(完全歩合制だった為)を勝ち取った。

 豪遊も経験し、幼少期にお古ばかり身に付けさせられたり、父にタオルキチガイと言われ、タオルさえ満足に使わせてもらえなかった恨みを晴らさんばかりに高級タオルをふんだんに揃え、洋服も滅茶苦茶に買い漁り(クリーニング代だけで10万円払う程だった)、棚やクロゼットを満杯にし、客を洗脳せんばかりのトークを展開し

「今日も沖本節、炸裂」

と周囲に言わしめたが、美容師や販売員時代と違い「お客さんが喜ぶかどうか」に焦点を当てて仕事をしていたとは言えず、自分の売上額ばかり考えていたように思う。

 お客さんが本当は望んでいない物件に、半ば強引に契約させた事もあり、

「今月も沖本ダントツ!」

と上司に言われてもあまり嬉しくなく、心の奥底でそのお客さんに申し訳なくて沈んだ。

 その上直属の上司に「休みなしでも働けるように」という理由で麻薬を勧められ、恐ろしくて逃げるように退職(中学時代にシンナー遊びをし、脳が解けていくような感覚を恐ろしいと思った経験が、ここで役に立った)、次に入った会社でも好成績は上げられたが、そこの男性社長に自分の不倫相手の女性社員のサポートをする事を強要され退職、業界内で3回転職したが、いずれも不倫や麻薬、暴力、客との駆け引きが横行しており、私のいた3社がたまたまそうだったのかも知れないが、もう不動産業界は無理だと思い1年足らずで辞めた。

 長続きしなかったのは、私の心の片隅にあった良心が、こんな仕事の仕方は嫌だと悲鳴を上げてくれたからだろう。その後、派遣、コンパニオン、水商売を経験する事になる。

 

 仕事がすべてではないが、仕事や人間関係がうまくいっていると人は幸せを感じるものだ。

 だが何をやってもうまくいかず、やけをおこした時代もあった。そしてその時代は、とてつもなく長かった。

 どうしてもその仕事が好きになれず、関心がない為に覚えられず、周囲に給料泥棒と言われ、自分でもそう思った(本当に惨めだった)。

 ただそのおかげで、後々愛社精神を持って働ける会社に出会え、敬愛出来る上司にも恵まれ、友達も出来たし、給料も良かったし、長続き出来た。この会社が好きだ、明日も来年もここで働いていられたらいいなと思える事が有り難く、まあまあ良い状態が続いた。

 もしここを辞めるとしたら、それは嫌な事があって辞めるのではなく、良い事があって辞めようと思え、実際そう出来た。

 

 人は「その職業の顔」になる。私は転職するたびに自分の顔が変わるのを鏡の中に見てきた。合う仕事に出会えた時、極められた時、称賛された時、やはり「いい顔」になれた。そして合わない仕事をしている時、認められない時、上に登れない時、辞めたいと悩んでいる時、やはり「そういう顔」になった。使っている脳の部分が違うという事か?

 特にモデルをしていた頃、いわゆる「モデル顔」になれたし、美容師時代も「美容師顔」になった。だがお客さんを騙すような仕事をした不動産会社時代には「悪徳業者」という顔になったし、水商売をした時にも「いかにもホステス」という風貌になり、自分でも恐ろしかった。

 社会は真面目に働き続ける人しか雇わない。若いうちはいかに楽をして稼ぐか、手を抜くか、真面目にやるなんて馬鹿馬鹿しい、と思いがちだが、いい加減な仕事をすればすぐ切られ、またどこかへ職を求めなければならなくなる。

 軽はずみでいい加減だった私は次々に職を失う羽目になり、真面目な人しか生き残れない、真面目にやった方がむしろ得だという事をその経験から学んだ。ならば給料以上の働きをしよう、同じ給料ならたくさん働こう。遅刻すれすれより、時間に余裕を持とう。誰より私が私の目を見張らせ、感心させようと思えるようになった。実際、真面目に誠実に生きる方が人生は楽しいと学んだ。

 

 光の園にいた頃、退園さえすれば、シャバにさえ出れば、後はどうにかなると思っていた。

 しかし実際は、園の中にいた時間よりも退園してからの方が余程長く、それは決して何とかなるようなものではなかった。16歳で飛び出した社会も甘くなかったが、退園以降に経験した社会も、決して甘くなかった。大人を、社会を舐めてはいけないと、嫌と言う程学んだ。

 頑張ればきっと良い暮らしができると我慢した日も、いくら辛抱しても神様はご褒美なんてくれやしないじゃないかと苛立った日もあった。

 ほどなく酒に溺れる生活を送るようになり、どうせ毎晩飲んでいるのだからと水商売を始め、生活も精神も健康状態も、それこそ何もかも滅茶苦茶になった。

 家庭のある男と付き合ったり、格好だけの男に危険だと分かっていながら近づいたり、ひどい恋愛を繰り返した。

 精神が壊れそうになるくらい好きな人もいたが、その人はあまり私を好きではなかった。反対に、私を愛するがあまり気が狂いそうになっている人もいたが、私はその人をあまり好きではなかった。

 同じ職場の人と付き合い「恋人でしか分からない事」を社内で言いふらされ、居たたまれず辞めた事がある。

 またある時付き合った人は

「俺は前の彼女に騙された。だから人を信じない」

と言い、私に騙されまいと構えすぎる為、一緒にいてつらかった。バレンタインデーにチョコレートを渡した時も、その時は大喜びで受け取って得意そうにしていたが、ホワイトデーにお返しのひとつもくれず、試しに

「今日、ホワイトデーだよ」

と言っても

「俺はお返しなんかした事ないから」

と即答して来た。

「人に何かしてもらって当たり前と思っている?まあいいわ、もう二度と何もしてやらないから」

と言った私に、不満そうにふくれっ面をしていた。勿論二度と相手にしなかった。

 またある人は、今はもう辞めたが、過去にホステスをしていたと正直に話した私に

「ますます好きになった。あなたは俺に、私のすべてを見て、と言ってホステスをしていた暗い過去を話してくれた」

と言いのぼせていた。

 水商売をしていたというのはあくまで私の一部であり、すべてではないし、決して暗い過去でもないと何度言っても理解せず、それ以降いつまでたっても「水商売の女」と扱い続け、何かにつけ私をいじめた。

 自分が待ち合わせに遅刻しておいて

「水商売の女だから時間にルーズかと思った」

と言ったり、親指と人差し指でクイっと一杯引っかける仕草をしながら

「あなた、コレやってる時に聞いた事ない?」

と全然関係ない話の途中に言ったり、道を歩いている時にホステスらしき女性を見ると

「ほら、あなたの仲間だよ」

とも言った。また居酒屋で飲食している時に、ビールを酌する事を要求しておきながら

「やっぱりこういう事は手慣れているね」

とも言った。耐えられずに別れてくれと言った私に

「こういう考え方もあるよと、言いたかったんだ」

と言い訳したが、私はけんもほろろに切り捨て、二度と相手にしなかった。ただ過去を正直に言えば良いというものではないと学んだが。

 格好の良い外車を乗り回しながら、運転席にだけエアバックを取り付け、助手席には取り付けず、事故の時に自分さえ助かればいいのだと豪語している人もいた。

 この人は、ここで待っていろと突然街中に私を置き去りにした。こういう逃げ方をする人なんだと納得し、私はまったく追いかけようとしなかった。

 他に置き去りにした女性はみんな自分を追いかけて来るのにまるで追わない私が信じられなかったらしく、私の様子を知ろうと無言電話を繰り返した上に、私の友達に私がどうしているか探りを入れるという見苦しい事をした。

 また、私の部屋の電気のスイッチ(たったの3つしかない)の位置を何回教えても覚えられず、パチパチ付けたり消したりを繰り返し、ビデオのリモコンの使い方も何度教えてもどうしても理解出来ず

「ねえ、これ、どうやってやるの…?」

と10回くらい聞いてきた上、私が面白いと勧めたビデオを5分も見ないうちに

「つまんない!」

とリモコンごと投げ出した人もいた(なんて大人げないのだろうと呆れた)。

 また、当時まだ30歳の私に

「もう愛だの恋だのそんな年でもないだろう、だから結婚しよう」

と、まったく愛情のないプロポーズ(しかも、寝る寸前の暗くした部屋の中で、冷たい背中を向けながら)をして、

「あなたと居ても、イライラして全然幸せじゃないから嫌だ」

と断った途端に物凄くいじめてきたひと回り年上の人もいた。

 この人は私に振られた事を逆恨みしてアパートの窓ガラスを割って侵入しようとしたが、補助錠が外せずに窓を開けられないというお粗末な結果を生んだ。私はちょうど不在で恐ろしい思いをせずに済んだのは不幸中の幸いで、まして貯金があった為、すぐ引っ越し出来てもっと良い部屋に住めるようになったのでかえって良かった。 

 私のやる事なす事気に入らず、何を言ってもしても否定する人もいた。この人は最初、職探しをしている私に

「もしどこも雇ってくれなかったら、専業主婦に雇ってあげる」

と言ってくれ、その時は多少嬉しかったが、異常に嫉妬深く、束縛ばかりし、同窓会にさえ行かせまいとする人で一緒にいて疲れた。

 嘘ばかりつき、言い訳ばかりして(嘘や言い訳というのは、言っている本人だけが納得するものであり、聞いている方は少しも信じていない)、自己満足に浸っている上、クリスマスプレゼントと称して指輪を選んでくれたはいいが、安物しか買えないのが悔しいのか

「はい、安物」

と投げるようによこしてきた。間髪入れず

「安物ならいらない、この指輪もあなたも」

と投げ返し(その人の顔に命中してしまった)不快でたまらず、すぐアパートから追い出した。その人が顔を押さえ、痛がりながら帰って行く様子を窓から見ながらせいせいした。

 孫までいながら、私を食事に誘い、開口いちばん

「実は今、女房とうまくいっていないんだ」

と、不倫相手になってくれと言わんばかりの「随分元気なお爺さん」もいた。

 その人は私がまだ食べ終わっていないのに

「もう行こう」

と立ち上がった(早くホテルへ行きたい一心だったのだろうし、それしか用事がなかったのだろう。勿論私はホテルなど決して行かなかった)。

「俺、本当に誰か好きになった事、一度もないんだ」

と言いながら迫って来た人もいた(その人は私の事も決して好きではなかった。ただの自己満足者だと思い相手にしなかった)。

「俺、たくさん恋して来たけど、あなたくらい好きになった人いない」

と、私以外の女にも言っていた人もいた。この人は当時50歳を過ぎていたがナイスミドル気取りの不倫ばかりしているナルシストで

「俺ならもっと若い女に相手にされると思う」

と仲間に吹聴し(私の耳にも入って来た)私の後輩に手を出し、すぐに振られ、慌てて私の所に戻ろうとして私にも振られ、その上妻にも離婚され、随分な醜態をさらした。

 当時私が住んでいたアパートに何度も押しかけてきて、ドアの郵便受けから中を覗き

「開けてくれー」

と大声でわめき、近所の人に通報され、

「マリ、助けてくれ」

と言いながら警察官に引きずって行かれ、パトカーに押し込まれ、連行され、本当に見苦しかった(その後どうなったか知らない)。

 質問に質問で返答し、まるで会話が成り立たない上に、普段左側に置いてある箱を右側に置いておいただけで、ないないとパニックになり騒ぐ人もいた(その姿を見てすぐ醒めた)。

 この人は最初

「幸せにする自信がある。俺を信じろ」

と言ったが、つまらない事ですぐに切れ、暴力で自己表現するしかなく、しかも暴れた後毎回泣いて謝る人で手を焼いた(俺を信じろという男ほど信じてはいけない男はいない、とはこの事だと学んだ)。

 顔だけは映画俳優になってもいいくらい二枚目だったが、性格が悪いが為にその端正な顔を年中醜く引き歪めていた(その顔を見てますます醒めた)。

 二枚目も不細工も、3回で慣れる。性格の良い人は何度会っても飽きない。頭の良い男は何度会っても勉強になる。男は星の数ほどいるが、自分と縁のある人は滅多にいない。何より、私に恋してくれる人が、愛してくれるとは限らない、恋と愛は違う、趣味が合っても価値観が合わなければうまくいかない、例えお互い好きでも「縁がなければどうしようもない」と、もう勘弁してくれと言う程学んだ。

 何故か、私を軽んじる人が多かった(私が私を軽んじていたのかも知れない)。そして私をいじめる人も多かった(私が自分をいじめたかったのかも知れない)。私を嫌いながら交際する人もいた(私が私を嫌いだった。誰に嫌われてもつらいが、自分に嫌われるほどつらい事はない)。

 まれに私をたいせつにしてくれる人もいたが、私は何故かその人を選ぼうとしなかった(幸せになってはいけないと、私が私に罰を与えたかったのかも知れない)。

 そう、嫌われたり馬鹿にされたり、軽んじられるほどしんどい事はなく、たちまち酒の量は増え、恋人も友達も失い、人の信頼も、自己信頼も、仕事も、金も、次々に失った。

 私は惨めさと闘いながら、何故自分は男性からも仕事からも人生からも、そして何より、自分自身からも愛されないのだろうと、もがき苦しむ日々を送った。今度こそ、今度こそと同じような男を相手にし、わざわざ大変な仕事にトライし、ことごとく失敗した。

 あまりにも長い挫折期間に音を上げ、どの企業からも相手にされず、男性からも相手にされず、就職とはどうすれば出来るのか?恋人とはどうすれば出来るのか?と頭の上に大きな疑問符を乗せながら生きた時代もあった。

 恋愛の仕方も、仕事の仕方も、人間関係の取り方も、何もかも分からなくなった。私にはもうこんな仕事しかないのか?こんな男しか残っていないのか?とさえ思った。

 だがやはり不幸な結婚も就職も人生も嫌だった。絶対に幸せな結婚と就職と人生が良かった。絶対に。だがなかなかそれは叶わず、毎日がつらくて情けなくてたまらなかった。

「見えない檻」の中に閉じ込められているような、がんじがらめの束縛を常に感じていた。この檻から出たい、出たい、そう願った。そう、光の園に居た頃のように。

 囚われの身から自由の身になれたと思ったのに、見えない檻の中にいるのでは、何も変わらないではないかと自分の不運を呪った。

 変に自虐的になり、わざわざ傷つき、その傷によって前の傷を忘れようと、おかしな行動を散々した。自分は目に見えぬカタワ者ではないかとさえ思った。

 

 だがそのひどい経験から学んだ事は多かった(つまり必要な経験だった)。それは自分を不幸な檻の中に閉じ込めているのは、他ならぬ自分自身だという事。幼少期の心の傷を断ち切れずにいるのは、親の責任ではなく、自分の責任だという事。何か嫌な事があって逃げても、次に行って同じような嫌な事が待っているという事。

 例えばAという困難から逃げても、次に行った所でそのAがひと回り大きくなって追いかけて来る。そこからまた逃げても、次で更に大きくなったAが待ち構えている。そのAを克服すれば、二度とAは現れない。現れたとしてもどうすれば乗り越えられるか学習しているので対処法が分かるという事。

 ただしBという課題は突き付けられるという事。だがAを超える事が出来たという自信がBに立ち向かわせてくれるという事。更にCという課題はやって来る事。

 つまり次から次へと神様は「私が乗り越えるべき課題」を突き付けてくれた。

 人は何から逃げようとも、自分の人生からは逃げられないし、誰の目をごまかせても、騙しても、たったひとりだけごまかせも騙せもしない、本当はどうだったのか知っている人がいる。それが他ならぬ自分だという事も学んだ。

 また、10代で道を踏み外して軌道修正するよりも、20代で転落してから軌道修正する方が、余程骨の折れるという事と、何もなさそうに、すべてうまくいっていそうに見える人でも、よく聞けば自分がその立場だったら耐えられるだろうかと思う程の、重い十字架を背負っているという事も学んだ。

 せめて30代では転げ落ちるまい、誰も祝ってくれなかった30歳の誕生日に、自分自身に誓った。

 

 31歳の時、転機が訪れた。誰かから何か特別なものを与えられた訳ではない。自分の内部で、稲妻のようにひらめいたのだ。神様が私に渡そうとしていたバトンのひとつを受け取った。

 まず私が私を愛そう。私が大事に思っていない私を誰も愛せない筈だ。

 誰か私を幸せにしてくれと願うよりも、私が私を幸せにしよう。私が私の喜びを何倍にもしよう。そして私が私の悲しみを、半分にも百分の一にもしよう。私が私のたいせつな人になり、運命の人になり、未来を切り開こう。

 安心していて大丈夫だよ、私の事は私が守るから。私が私の為に、あらゆるものと闘っていこう。何があっても100%、私は私の味方でいよう。他力本願ではなく、自力本願でやっていくんだ。

 もう二度と、人のせいにも過去のせいにもしないし、影響もされない。もう誰の顔色も見ないし機嫌も取らない。

 私の責任は私が取り、私がして欲しい事を私にしよう。駄目な私も許し、私が私の尻拭いをし、私が私の信頼回復をし、私が私の人生の最高責任者になろう。今度こそ、これからこそ、私は私の為に生きよう。

 そう思った時、人生はまた私の味方をしてくれるようになった。

 愛社精神を持って働ける会社に巡り合い、10年働けた。健康食品を扱う地味な零細企業だったが、初めて長続きし、初めて惜しまれて辞める事が出来た。

 その会社に面接に行った時、ビルを見た瞬間に「ああここだ」と思った。 

 仕事を通して知り合った人と40歳で結婚、二人の間に生まれた子どもは、15歳の男児だ。もうひとり欲しかったが、それは叶わなかった。

 年齢が上がれば上がるほど、自然妊娠の確率は下がるという事を、私は自分の身を持って思い知った。不妊治療等色々と試したが、何をしても神様は私に二人目の子を授けてくれなかった。ただ考えようによっては、体がそうなる前に(生めなくなる前に)神様は元気な子を「ひとりも」授けてくれたのである。そして、神様は私に男児を授けた。

 まだ独身の時、職場の上司が

「女の子を二人育てるのと、男の子をひとり育てるのと、大変さは一緒だ」

と話すのを聞いた事がある。その時に、だったら男の子が良いなと「思わず思った」事がある。神様はその願いを「聞いてくれた」のだろう。

 もうひとつ、私は若いうちに子どもを産んだら虐待してしまったかも知れない。だから神様は42歳まで「待たせてくれた」のだろう。

 長く独身でいると、色々な人から

「どうして結婚しないの?」

と聞かれる。

「沖本さんってどうしてそういう風にするの?」

と小・中時代のように聞かれるよりはましだったが、やはりそう聞かれるのは返事のしようがなく、嫌だった。

 酷い人になると、変質者呼ばわり、異常呼ばわりもされた。

「あなただって結婚したいでしょう?」

と決めつけたように言われ

「いいえ」

と答えると

「どうして?」

と何度も詰問された。答えたくなかった。親の喧嘩を見て育った為、結婚に夢を描く事がどうしても出来なかったなど言おうものなら、どこまでも質問攻めにされるだろう。過去を、プライバシーを、丸裸にされるだろう。

「子ども欲しいでしょう?」

という質問に

「いいえ」

と答えると、やはり

「どうして?」

とさも不思議そうに何度も聞かれた。

「人は親業をやって初めて親を安心させられるのよ。私の娘は私の言う事を聞いて結婚、出産、だからこそ幸せなのよ。沖本さん、あなたはいい年してスクール通いばかりして少しも素晴らしくないわ。少し私の娘を見習ったらどうなの?」

と言われた事もある。

 この人は、当時まだ33歳の私に

「独身主義なの?」

と、さも不思議そうな顔で聞いてきた。

「子ども好きでしょう?」

と聞き

「嫌いです」

と正直に答えると、びっくりした顔をして自分の隣りにいた人に

「子ども、嫌いなんだって」

と私を指さしながら言い、変態を見るような目でいつまでも睨んでいた。その「隣の人」は

「自分の子なら可愛いよ」

と教え諭すような口調で言ったが、私はそんな事は決してないと経験から知っていたので、黙っていた。

 そう、私の父母は、実子である私を少しも愛さず、否定し、いじめ、施設に監禁までした。虐待の事例ならいくらでもある。私の父母も子どもが苦手で嫌いだった。周りに言われ、仕方なく生み、愛せずに育てた。その結果がこれだ、と言いたかったが、言えなかった(また嘘つき呼ばわりされるだけだから)。

 世の中には重い障害を抱えた子どもを授かり物と喜んで育て、幸せを実感している親もたくさんいるが、私の親は五体満足に生まれた私を粗末にし、

「この子はどっかおかしいんだわ」

だの

「お前は異常だ、俺はお前のような子どもは欲しくなかったんだ」

だのと言い続け、不幸を実感しながら生きていた。

 その頃私は一生独身は嫌だが、不幸な結婚はもっと嫌だと思っていた。あてはないが、するなら幸せな結婚をしたかった。結婚さえすれば幸せになれるとは決して思えなかった。

 人はよく親と同じような人を結婚相手に選ぶ。例えば暴力の耐えない家庭で育った人は、同じく暴力を振るう人をパートナーに選び、親に無視されて育った人は、自分を無視するような人を選ぶ場合が多い。無論私も10代、20代はそういう男を選んでいた。ひとりずつ思い起こして見れば、必ず父か母どちらかに似ている男たちだった。

 私はそこから脱した。親に似ている男や私を傷つける男なら、もう二度といらなかった。今度付き合うなら、心根の良い人を選ぼう、私と、私との家庭を守ってくれる人にしようと、強く思った。

 何かをやり過ぎたり、やらな過ぎたり、言い過ぎたり、言わな過ぎたり、そんな人は嫌だった。すべてにおいてちょうどいい人を選ぼう。念じるようにそう思った。

 そしてもうひとつ、「両親に愛されて育った人である事」を絶対条件にしようと誓った。

 そしてそれは叶った。学歴、経歴、年齢、過去不問、そして不倫、暴力、薬物無縁、優しく穏やかで知的で頼りがいのある男を選ぼう。職業は土日休みの会社員、出来ればシステムエンジニア。パソコンに精通、勉強熱心で、資格をたくさん持っていて、親をたいせつにしている人(親を粗末にする人は妻も粗末にする)。

 最高の男を選び、その男から選ばれよう。人に尊敬する人は?と聞かれた時に、自分の夫ですと即答できる、そんな人と一緒になろう。拳を握りしめるように誓った。

 そう決意してから、出会う男が理想の人なのか、そうでないのか、きちんと判断できるようになった。

 そして私が39歳の時に現れてくれたのが夫だった。愛社精神を持って働く会社員、感情の起伏が少なく常に冷静沈着、知的で、それをひけらかす事がなく、何も自慢せず、誰の悪口も噂話もしない。周囲に信頼され、周囲を信頼している。何もかもがドンピシャリだった。

 9歳下の夫は私を変えようとしない。私の良い所もそうでない所も含めて受け入れてくれる。未来だけを見る。そして何より「両親に愛されて育った」人だった。

 だから私も、夫の良い所もそうでない所も含めて受け入れている。彼と付き合うようになってから、いつしか自分は幸せになれないのではないか、自分が子どもを持ったら虐待してしまうのではないか、という強迫観念は消えた。

 好きな人と家庭を築けるほど幸せな事はない。反対に、嫌いな人と家庭を営んでいくほど苦痛な事もない。だから父母は喧嘩が絶えなかったのだ。

 単調で同じ事の繰り返しの毎日だが、嵐の中にいた頃、何より望んでいたのはこんな平坦かつ穏やかで「同じ人と異なる季節を過ごす事」であり、「同じ事の繰り返しの日々」であった。

 そう、何度も転職をせざるを得なかったり、恋人と決して長続きしなかった私は、いつも「違う人と違う季節」を過ごしていたし、「同じ事をしたいのに、違う仕事をしたり、違う場所へ通勤せざるを得ない」人生だったのだ。「同じ人と同じ場所に住み、同じ仕事を続ける」それこそが私の心からの望みだった。

 更に学んだ事、それは「人を変える事は決して出来ない」という事だ。唯一変えられるのは、ほかならぬ自分自身である。自分はこのままではいけない、そう骨身に堪えた時、人は己を変える事が出来る。

 人は絶対に変わらない。そう、子とはいえ親を変える事はできない。勿論、親も子を変えられない。同じく過去を変える事はできないが、未来を変える事はできる。

 年の功か、今ならそれがよく分かるが、退園した当初にはどうしても分からなかった。何とか両親を変えようとした。私に優しくなるように変わって欲しかったし、過去の仕打ちを謝って欲しかった。同じ事を未来に繰り返して欲しくないと、良い親になって欲しいと切に願った。私が頑張れば、愛情を持って接すれば、両親は変わってくれるのではないかと期待を捨てられなかった。

 だが駄目だった。悲しいほど駄目だった。二言目に

「また光の園に逆戻りさせる。今度は一生だ」

と言うのには耐えられなかった。それこそ毎日言われた。両親には脅しの、そして従わせるが為の言葉だったのかも知れない。しかし私には冗談じゃない言葉の暴力だった。そう、両親の交換条件は尽きなかった。

「だってそうでもしないとあんたは言う事を聞かないから」

 それが二人の言い分だったが、私は「そうしたくない」から「そうしない」のだ。理由があるから、私にも主義があるから、それを曲げられないから、だからそうしなかった。

 理解されず、相変わらず脅され続け、交換条件も付きつけられ、嫌で、やりきれなくて、泣いてばかりいた。そう、光の園に叩き込まれて間もないあの頃のように。枯れない涙に辟易した。

 どうしてうまくいかないのだろう。私たち親子は、元々縁がなかったのだったのだろうか。親子とはいえ相性はある。子どもは親が作った環境の中で生きていくしかない。どうしてもそれが嫌なら、心に傷を負ったまま飛び出す事になる。一度は愛情を注ごうとした両親を再び憎んでしまいそうだった。

 そして次第に、光の園に入る前と同じ事を繰り返しそうになっていった私は、それこそ再入園させられるのを恐れ、退園後わずか9か月(偶然なのか、私は光の園にもちょうど9か月いた。まったく同じ長さの時間「出来ない我慢をした」という事になる。そしてそれぞれの9か月間が私の限界だった)で東京にアパートを借り、逃げるように家を出た。

 どんな犠牲を払っても家を出たかった。そしてその後丸11年、実家と断絶した。

 母は祖母の妹と、裁判をし、負け、断絶した。叔母と「断絶した」から、私に「断絶された」ような気がする。つまりやった事が巡り巡って返って来たという事だ。

 わずかな収入で生活費をまかなうのは確かに大変ではあったが、精神面では家にいた頃よりずっと安らげるようになった。風呂なし、共同トイレ、駅から遠く、日も当たらない4畳半ひと間の部屋が最高に居心地の良い快い場所になった。金で買えない穏やかな生活が、ようやく送れるようになった。ああ、こんな静かな暮らしがあったのかと驚いた。

 誰も私に暴力を振るわない。

 誰も私に暴言を吐かない。

 誰も私を追いつめない。

 誰も私を否定しない。

 誰も私を脅さない。

 誰も私をいじめない。

 つらい幼少期と少女時代を過ごした私がいちばん望んだのは、外ではどうあれ帰りついた家は、心から安らげるほっとできる場所である事に、ほかならなかった。外には外の、家には家の戦場を築いていた父と母は、一体どこで休んでいたのだろう。

 しかしひとつ、困った問題が頭をもたげてきた。それは他ならぬ私の血の中に父と母がいた、という事だ。それはどうしようもなかった。

 気がつくと私自身が修羅場を起こしているのだ。普通にしていればうまくいく所を、わざわざうまくいかないようにしていた。何故か素直になれず、斜に構え、人の言葉を悪く取ったり、わざわざ厄介なものを選び取ったり、揉めるように揉めるように立ち回ってしまっているのだ。

 はて?これはどういう事か?答えはずっと出なかった。自分でも分からなかったから。

 そう、10代で荒れ狂い、どうしてそんな風にするの?と周りに聞かれ、答えられなかったように。

 回答は意外な時にひょっこりと出てきた。

人は与えてもらったものしか持っていない。優しくされた人は優しさを、冷たくされた人は冷たさを持っている。

 虐待され、修羅場を否応無しに押し付けられた私は、恋人を虐待したり、自分を虐待する人をわざわざ選び取り、されて嫌だった説教をしたり、修羅場を押し付けたり、押し付けられたりせずにいられなかったのだ。

 そんな事、やめたいのに、つらいのに、なかなかやめられなかった。それが「慣れ親しんだ環境」だったから。

 いわば病気だった(その頃私の周りにいた人たちがよく我慢してくれたと、今なお感謝している)。

「ああ、私は病気だったんだ」そう気づいた時、私は37歳になっていた。37歳にして、自分が何者であるのかようやく分かったような気がした。

 幼少期から長い時間をかけ、ゆっくりと蝕んでいた病はそう簡単に治らないのでは、と不安に駆られたが、「病気なら治る筈」という気もした。では治そう、何年かかっても必ず治そうと自分に約束した。

 以来、妙な事(危ない男と関わりそうになったり、友達に悪い薬を勧められたり)に出くわしそうになると、自分で自分をセーブできるようになった。これは私ではなく、私の病気がやろうとしている、だから駄目、とぎりぎり堪えた。

 そのうち踏ん張らずとも、いかなる誘惑も断ち切り、跳ね返せるようになった。しばらくすると、妙な事件は私の前に現れなくなった。後から考えると、人生から試されたように思う。

 もうひとつ、神様から大きな学びを得たのが「固執しない方が良い」という事だ。

 仕事でも恋愛でも何でもそうだが、縁がない場合は何かで必ず離れる事になる。どうしても手放したくないと固執していると、神様がせっかく次のチャンスを与えようとしてくれているのに、それに気づかない事になる。

 合わないものは合わないし、ご縁がないのもどうしようもない。という事は、他に合うものがあるし、他にご縁があるという事だ。

 思い切って手放せば、次の縁は必ず「すぐ」つながるし、合うものに出会える。そしてその新しい縁の方が良い場合が多い。

 特に恋愛の場合。全国のストーカーの人にそう言いたい気持ちだ。

 

 30代前半の時、電車内で同級生に偶然出会った事がある。

 ただ懐かしくで声をかけた私にその男性は

「何だお前、随分女っぷり上げたじゃねえか」

と言いながら、私の胸を触った。

 驚き

「どうしてこんな事するの?」

と聞いたが、謝りもせず、にやにやしながら私の股間を平気で触った。

 我慢する事はないと判断し

「降りて」

とその人の腕をつかみ、次の駅で下ろした所

「何だ、何だ、早速ラブホテルか?」

と言いながらヘラヘラ付いて来た。

「この人に痴漢されました」

と駅員に突き出した途端に慌てふためき

「だってお前は昔遊んでいたじゃねえか」

と言い訳し始めた。

「昔遊んでいたらこういう仕打ちしても良いの?」

と反論したが

「だって、だって、お前は遊んでいたから、だからこれくらい何でもないと思った。子どもねって言うかと思った。そんなに怒ると思わなかった」

と駅員室内で喚き散らした。

「同級生のくせに自分だけ子どもぶらないで。あなたは大人よ。30過ぎた大人よ」

と本人に言い、その後駅員に

「示談金とか、そういうものはいりません。この人を刑務所に入れてください」

と、毅然と言い放った私に

「悪かった、悪かったよう。俺、今度の日曜日に結婚式なんだ、だから許してくれよう」

と、情に訴えてきた。

「自分の彼女が痴漢されたらどうするの?二度とそんな事するんじゃないよ」

と啖呵を切り、反省している様子だったので一応許してやったが、電車内で胸や股間を触られた不快さ、何より昔遊んでいたから痴漢しても良いと思ったと言われた悔しさは大きかった。

 その人以外にも同級生に会った事は何回かあるが、みんながみんな、私を宇宙人を見るような目で見る上、男性陣はどの人も「やらせてくれるんだろう?」と言わんばかりだったし、女性陣は

「マリはおませさんだったね」

とやはり低く見ている様子だったし、毎度嫌な思いをした。

 もう20年近く経っているにも関わらず、人はいつまでも私を「そういう目」で見るものなのだと痛感し、情けなく、惨めで、段々昔の知り合いにあっても声をかけなくなっていった。

 本当に過去も、人も、変えられない。だったらせめて今からでも誠実に生きようと学んだ。

もうひとつ、私はもっとたいせつにされて良い存在なのでは?とも。

 

 そう言えば退園して間もない頃、光の園にいた頃の仲間と何度か会った。思い出話で盛り上がり、現況を報告し合い、笑い転げ、誰に何度会っても楽しかった。

 園にいた頃は、頭はザンギリの光の園カット、顔はすっぴん、常時ジャージの上下という姿でありそれしか知らなかったので、待ち合わせをして最初に会った時は、あまりの派手さに互いに相手を指さして大笑いしてしまった。

 お互いに退園した途端に派手になり、ついでに入園前よりワルくなったようだった。少なくとも私や彼女らはそうだった。大人たちに言わせれば「どこも直っていない」だったろう。

 ただ牙を抜かれて表面的におとなしくなるか、牙を研ぎ(ワルとして、あるいは人として)一層タフになるか、その差である。私たちはタフになってしまった方だった。

 また、入園前に遊び回っていた、大村マチコを始めとするワル仲間は、退園した当初は私を取り巻き「あの光の園にいたマリ」などともてはやしてくれたが、やはり次第にどちらからともいう事なく遠のいてしまった。マチコだけは後にしばらく一緒に暮らしたが、他の仲間は自然に離れた。

 妙なもので私は必死に働いていても、自分が「真面目になった」ような感覚はなかったし、そう見られるのも嫌だった節がある。光の園や昔の仲間に会う時は一段と濃いメイクをほどこし、派手な衣装を纏って出かけた。

 しかしそれは、案外向こうも同じ事だったのかも知れない。普段は地味な仕事に耐え、私と会う時だけワルぶっていたのかも知れない。

 あの頃の仲間で、退園してすぐ更生した奴なんてひとりもいやしない。いくら仕事を一生懸命頑張った所で、非行少年少女がそのまま大人になったに過ぎない。自分も昔はワルかった、というのが口癖で、過去の悪事を披露して、自分がいかに有名な不良であったかを自慢するような奴らだ。

 だが、誰もが年を重ねるごとに落ち着いていったのも事実だ。落ち着いていったというよりも「忘れていった」と言う方が正しいかも知れない。

 かつて、大人は昔の自分を忘れてしまう生き物さ、と唄った歌手がいた。その通りだ。私はともすると、自分が「そうだった事」を忘れている。現在、多くの元ワルたちはあっさりと過去を捨て、まともな人生を送っているだろう。この私のように。

 同じくあの頃、精神を病んでいた病人さんたちで、今は正常に市民生活を送っているという人も極めて少ない。

 父親から届いた菓子を配ってくれた、あのチヨミちゃんが退園し、福祉の仕事に就いたというのは、いっとき仲間の間で有名になったが、それ以外の病人さんたちの消息はあまり良いものではない。家族と暮らしている人もちらほらといるようだが、ほとんどの人はどこかの病院や施設に再び入れられ、そこで薬浸けにされつつ静かに生息している。場所が変わっただけで、内容は変わっていない。

 あの経験は私たちにとって、一体何だったんだろう。今も全国にたくさんある更生施設の存在理由は何だろう。「どうしようもない人を受け入れる」という事か。          

 確かに簡単にへこたれない精神は、光の園で培ったような気がする。どう打ちのめされても必ず立ちあがれる気力、負けるもんかと歯を食いしばれる意地や根性は、入園前より退園後の方が格段に強くなった。

 だが私が10代で転落した時も、20代で挫折した時も、そこから「這ってでも、のし上がってきた」のは、自分自身がこのままで終わるもんかと強く念じたからであり、何がしかの目標を持ったからである。決して光の園に「立ち直らせてもらった」訳ではない。多くの収容者が立ち直ったとすれば、それは自分の問題である。光の園に導いてもらった訳では断じてない。

 では私はいったい何故、光の園と「縁を持ってしまった」のか?

 

 私は光の園にいる頃、何度も脱走を考えた。実行し、見せしめの為に丸坊主にされる女子や集団リンチされる人、反省室(別名、忍耐室とも呼ばれ、人間以下の扱いを受ける)に監禁される人等見せられて思いとどまったが、実は「まともな人生を送れなくなる」のがいちばん恐かったのだ。

 逃げてどこかへたどり着いても、光の園はどこまでも追いかけて来るだろう。そして力づくで連れ戻され、もっと酷い目に遭うだろう。

 逃げ続けても、アパートひとつ借りる事も難しいだろうし、まともな働き口も見つけられなかったろうし、何かになりたい等の夢も持てなかったろう。ひとところに落ち着く事さえ出来ず、常に追われる恐怖を味わい続け、気が休まる時も一生なくなる。それはまっぴらごめんだった。

 つまらない例えだが、食材のまとめ買いひとつ、友達との約束ひとつ、化粧品の定期購入ひとつ出来ない人生になった可能性が高い。その月暮らしどころか、その日暮らしを余儀なくされるのはやはり嫌だった。

 私が今「望んだ通りの人生」を送れているのは、運が良かったという事も勿論あるが「あの時逃げなかった」というのが大きいように思う。

 私が今付き合っているのは、息子の友達のお母さんたちだ。自分がワルだった事やブチ込まれた実体験がある事など話す気はない。家族を持った以上、奇異の目で見られるのも悪い噂を立てられるのも困るからだ。

 一緒にテーブルを囲んで笑ってまあまあ楽しめるが、あの仲間たちと騒いでいた頃の「天まで届くような楽しさ」はない。どんなに仲良くなった所で、ここまでしか話せないという線引きをしている。

 光の園の仲間と会うのは楽しかった。話も合うし、気心も知れている。私たちは同じ修羅場を共にくぐった「戦友」だったのだから。

 それなのにどうしてだろう。私は次第に誰とも会わなくなり、電話連絡する事も、手紙のやり取りもなくなっていった。27歳を過ぎた頃には、誰がどこでどうしているのかなど、知る術もなくなった。

 最後に会ったのは、ヨウコだった。栄養士になったヨウコは、光の園で私にいじめられた事を恨む事なく、気持ちよく付き合ってくれた。この子はどうしてこんなに心が広いのだろうと思った。

「またね」

と笑顔で分かれたが、その「またね」が実現する事はなかった。

 

 ヨウコ、生まれてすぐ親に捨てられ、嫌味ばかり言うおばあちゃんに育てられた。

 病気がちなおばあちゃんの為、学校さえまともに通えず、まだ15歳だったのに風俗店で働くのは、本当は嫌だったろう。彼氏の借金を返す為に懸命に働き、稼いだ金を全額渡し、周囲から変な目で見られ、私にまで娼婦呼ばわりされ、殴られ蹴られ、どんなにつらかったろう。

 妊娠した時、喜んでくれると思ったのに、散々尽くした彼氏に

「客の子だべ?俺は知らねぁ」

と言われ、冷たい背中を向けて去っていく、一度は愛した人の姿に絶望したろう。

 何とか金をかき集めて中絶手術を受けるのは、宿している赤ちゃんに申し訳なくてたまらなかったろう。 

 その上、その産婦人科の医院長が

「この少女はどうせお気楽さセックスして妊娠したんだべ。それなりの罰を受げさせる。麻酔なしで手術をする!」

と麻酔なしでの手術を強行した。

 はかり知れない恐怖と、脳天まで轟くような激痛から逃れようとする幼いヨウコの手足を、若い男の医師が5人がかりで押さえた(当時、ワイドショーや週刊誌に取り沙汰された。勿論ヨウコの実名は伏せての報道だったが、ショッキングな事件として大きなニュースになり、その産婦人科は閉院へ追い込まれ、医院長も、加担した医師たちも逮捕された)。

 しかも過剰掻把で、二度と妊娠出来ない体になり、もっと絶望したろう。

 宮城県出身、白崎葉子さん、いじめて、本当にごめんなさい。

 

 アユミ、小さい頃からお父さんが経営する高級レストランの手伝いを朝から晩までさせられ、友達と遊ぶ事も許されなかった。

「アユミちゃんはどうせ遊べないんでしょう」

と学校のみんなに言われ、仲間外れにされ、いつもひとりぼっちで過ごしていた。

 親には

「この店の後継者としての自覚を持て」

と言われ続け、仕込みの為、修学旅行にさえ行かせてもらえなかった。誰に相談しても

「いいじゃない、最初から経営者なんて。しかも高級なんだし」

としか言われず、誰からも共感してもらえないさびしさを常に抱えていた。

 初めて恋した相手が、アユミの気持ちを理解してくれ

「必ず救い出してやる」

と約束してくれたその直後に、アユミの目の前で事故死し、生き残った自分を責めてつらい日々を送っていた。

 何度も死のうとして死にきれず、麻薬に手を出さずにはいられなかったのだろう。やけになり、好きでもない男を家に引っ張り込まずには、精神のバランスさえ取れなかったのだろう。すべての原因を作った親を相手に暴れずにいられなかったのだろう。その親が、娘の苦しさをまったく理解せず、本当にやりきれなかったろう。

 東京都出身、川島歩未さん、今は健やかですか?

 

 タカエ、お父さんが生まれつきの身体障害者で、お母さんが精神病者で、

「お前もいつかそうなるで」

と周囲に言われ続け、もう聞きたくなかったろう。

 お姉さんがそれを苦にタカエの前で焼身自殺をし、調理の火は勿論、煙草の火も、キャンプファイヤーの火も、空を彩る花火でさえ駄目になり、何よりお姉さんを守れなかった自分を責めてつらかったろう(光の園で放火事件の時、タカエだけ異常に怖がっていた)。

 何度恋をしても、相手に親の事を知られるたびに振られ、惨めだったろう。やけを起こし、暴走族に入らざるを得なかったのだろう。

「走りょーる時だけは嫌な事を忘れられた」

と遠い目をしながら言っていた。

 決してそんなつもりはなかったのに、その暴走族のヘッドに色目を使ったと言いがかりを付けられ、集団リンチされ、追い出され、行き場を失い、途方に暮れたろう。

 岡山県出身、魚住孝枝さん、今は穏やかな毎日で、火を見ても大丈夫になりましたか?

 

 マユミ、見た目は普通だが、実は学習障害で普通の事ができず、親にまでうちの家系にそんなのいないと罵られ、いたたまれなかったろう。

 年上の従兄弟にドライブしようと誘われ、車で山へ連れて行かれ、性的暴行を受けた上に

「お前が俺を誘うたんだ。この知恵遅れ」

と罵られ、置き去りにされ、丸三日飲まず食わずで歩き続け、本当に死にそうになりながら、やっと自力で下山した。

 勇気を振り絞り、親に話しても

「幻でも見たんでねえ?あのお兄ちゃんは優秀で一流大学に行っとるさかいほんな事する筈ない」

と一蹴され、絶望しただろう。

 犯された自分が悪い、自分を汚いと思い込み、自分がいちばん嫌いなのは自分だと言っていた。どこも雇ってくれず、誰もかばってくれず、理解もしてくれず、夢のない環境はたまらなかったろう。 

 石川県出身、漆戸麻弓さん、今は普通に働いていますか?

 

 チカコ、躁鬱病を患い、自分が爆弾だと言っていた。その爆弾がいつ噴火するか分からず、恐ろしかったろう。

 お母さんの再婚相手が働かず、ギャンブルに明け暮れる上に暴力を振るい、つらかったろう。叩かれた耳の鼓膜が破れ、片耳が聞こえなくなり、絶望したろう。かばってくれず、その男と別れてもくれないお母さんに苛立ったろう。

 いくら働いても収入はすべてお母さんが泣きついて取り上げていき、何の楽しみもない毎日は地獄だったろう。

「誰に借らるるか、それだけば考えれ」

と再婚相手に言われたお母さんが、会う人会う人に借金乞いをし、恥ずかしかったろう。

 知人に会うたびに、私はあなたのお母さんに5万円貸している。僕は10万円貸している。自分は20万円貸している。さあ早く返してくれ、と言われ、しかもみんながみんな、手の平を上にして自分に向け、迫って来たそうだ。返事のしようもなければ、借りた金を返す事も出来ず、近所を歩く事さえ恐ろしかったろう。じゃんけんのパーでさえ、その時の事を思い出してしまうと言っていた。

 その上、恋した相手がいい加減な男で、チカコから金をせびるばかりでなく、自分の子を身ごもったチカコに平気で中絶手術を受けさせた。仕方なく子どもをおろしたチカコを相手に、その男はまたしても避妊をせずに自分の欲望だけを果たし、行為の後

「お前、ガバガバになったな」

と言い放ち、傷つけ放題に傷つけた。

「誰のせい?」

と聞いたチカコに、

「おいのせいにしなしゃんな、自分のせいやろう。こん人殺し!赤ん坊殺し!」

と罵声を浴びせ、ホテル代も払わずさっさと帰ってしまった。

 なけなしの金を払い、そのラブホテルを出る際、闇から闇へ葬り去った赤ちゃんの幻覚を見た上、泣く声を幻聴で聞いたと、恐ろし気に言っていた。

 長崎県出身、三條千佳子さん、今は生活も精神も安定していますか?

 

 アサコ、お父さんが浮気ばかりし、その相手とうまくいっている時は家族にもむやみに優しく、うまくいかなくなった途端に八つ当たりしてくるのは嫌だったろう。

 その上、お母さんが他人の借金の保証人になり、五千万もの返済に追われていた。その日食べるものさえなく、パン粉や小麦粉を水でねって食べる毎日で、カップラーメンでさえ、御馳走だった。

 中卒で就職せざるを得ない状況に耐え、懸命に働き続けても、稼ぐ金は残らず親に取られ、周囲に中卒、中卒、と馬鹿にされ、悔しかったろう。職場で支給される昼の仕出し弁当が、唯一の食事で、休みの日は何も食べずに過ごすのは、若く食べ盛りの身には堪えただろう。だから光の園では臭いとはいえ、一応3度食べられてそこは嬉しかったと言っていた。

 何の楽しみもなく、おしゃれも出来ず、同世代の友達の華やかな格好が羨ましく、ふと魔がさして綺麗なワンピースを万引きし、その場で店の人に捕まってしまった。たった一度の過ちを周囲は許さず、職場を追い出され、万引き少女と近所にも言われ、居たたまれなかったろう。お母さんがお金の為に、痴漢の冤罪を何度もでっちあげ、罪のない人から和解金をせしめるのは相手に申し訳なくて、心苦しかっただったろう。

 愛媛県出身、守岡安佐子さん、今は良い香りのするおいしい食事を毎日3回食べられていますか?

 

 キミコ、お母さんが次々に男を替え、恥ずかしかったろう。派手な格好をし、男に媚びるお母さんを見ていられなかったろう。結婚、離婚を繰り返し、自分までしょっちゅう苗字が変わり、何て名乗ればいいか分からず、それを理由に学校でもいじめられ、嫌だったろう。

 しかも金がかかるからという理由でまったく引っ越しをせず、同じアパートに住み続け、近所にも軽蔑の目で見られ、

「あ、また新しいお父さん?」

と嫌味を言われ、せせら笑う人たちの声に耳をふさぎたかったろう。

 それぞれ父親の違う弟二人の面倒を見るのは苦痛だったろう。早く大人になってひとり暮らしをしたくてたまらず、高校を中退して仕事を探しても、正社員として雇ってもらえるのはだいたい高卒以上だったから、どこも雇ってくれず、途方に暮れ、アルバイトを掛け持ちして体を壊すまで働き詰めだった上に家事も全部させられ、小さい弟たちの世話もさせられ、自分の時間なんて1秒もなかった。だから光の園ではゆっくり出来て、そういう意味では幸せだったと言っていた。

 アパートを借りる目的でやっと溜めたお金を、お母さんの6人目の再婚相手に力づくで取られ、頭に血がのぼって刺してしまった。警察沙汰にしない代わりに光の園へ行けと言われ、悔しかったろう。

 福井県出身、小菅君子さん、今は誰か優しい人と結婚して、同じ苗字でずっと暮らしていますか?

 

 ノリコ、もう好きじゃなくなった彼氏に

「俺に逆らったら殺す」

と言われ続け、裸の写真を強引に撮られ

「別れるならこの写真をばらまく」

と脅され、仕方なく付き合うのは嫌だったろう。

 妊娠しても暴力を振るわれ、そのせいで流産し、入院した時だけ病院スタッフや他の入院患者の前で、これ見よがしに優しさをひけらかす彼氏のわざとらしさに辟易したろう。

 退院し、アパートに帰った途端に豹変して

「お前がどこに逃げても必ず見つけ出して殺す。俺は刑務所に入っても平気だ」

と言われ、逃げるに逃げられず、いっそ心臓発作でも起こして死んでくれと思わずにいられなかったろう。親に光の園に入れられた時、心のどこかでほっとしたと言っていた。それだけに

「シャバに出るのが怖い。またあいつが追いかけて来る」

と本気で怯えていた。

 だから光の園でもあえてケンジという男を作り、早く結婚して守って欲しかったのだろう。そのケンジも、光の園に入る前に起こした傷害事件で負傷させた相手に多額の賠償金を払わねばならず、決して余裕のある身ではなかった。

 ノリコはケンジと一緒にその賠償金を払う覚悟は出来ていたが、先に退園したケンジが自分を待っていてくれず、シャバで年下の女を見つけ、早々に子どもを作って結婚したと聞き、目の前が真っ暗になっただろう。自分の退園が決まった時も、もともと暮らしていた北海道以外のどこに行こうかと悩んだろう。

 なるべく遠くに、という考えから沖縄の叔母さんの所へ行ったはいいが、そこでも朝から晩まで叔母さんの旦那さんが経営する民宿でただ働きさせられ、衣食住完備してやっていると恩着せがましく言われ続け、貯金も出来ず、将来に希望も持てず、つらかったろう。

 北海道出身、桑名徳子さん、今は安心していますか?

 

 クミコ、何年も何年も目を合わさず、口もきかず、お互いを無視しあうお父さんとお母さんの間を、何とか取り持とうとするのはしんどかったろう。

 お母さん方のおじいちゃんが死んだ時に、それさえお父さんに言うに言えないお母さんがお父さんに黙って葬儀を出した時、せつなかったろう。列席者に

「あれ?お父さんは?」

と聞かれ、返事のしようがなかったろう。

 お父さんが平気で家に若い女を連れてきて、お母さんが負けじと若い男を作り、お互い対抗意識丸出しの親を見ているのは、やっていられなかったろう。

 妹がそんな家庭環境に耐えられず家出して、アダルトビデオに出るようになった時は、恥ずかしくて、妹が可哀想で、たまらなかったろう。

 お母さんの彼氏に力づくで犯され、妊娠、お母さんには勿論、お父さんにも誰にも相談出来ず、その後も平気な顔で家に出入りするその男の悪魔のような無神経さに身の毛がよだったろう。中絶手術を受けようにも同意書がなければ手術さえ受けられず、日本の法律のおかしさに心底困っただろう。加害者であるお母さんの彼氏にそんな事を頼む訳にいかず、知人の男性に頼み、どうにか同意書を用意して手術を受けたが、その知人男性がそれをネタにクミコを脅迫、関係を迫る上に金までで要求するようになり、もっと困っただろう。おまけにお父さんの彼女にまでいじめられ、悔しかったろう。

 鳥取県出身、稲代九三子さん、今は胸を張って生きられていますか?                             

 

 ミナコ、異常に嫉妬深い彼氏にいつも疑いの目で見られ、誤解され、言う事なす事すべて悪く悪く取られ、いちゃもんを付けられ、顔の骨が折れるまで殴られるのは耐えられなかったろう。

「他の男に相手にされへんように」

と、背中に入れ墨を入れられたり、髪を滅茶苦茶に切られたり、陰毛も何度も剃られ、そのせいでたわしのように濃くなってしまったと悩んでいた。別れたいのに別れられず、どうしていいか分からず、誰に相談しても

「ええやん、そないに愛されて」

としか言われず、理解も助けも得られず、途方に暮れたろう。

 いっそ嫌われようとしてわざと20キロも太ったり、ベッドの中で大きい方を失禁しても、彼氏が怒るか、異常な目で見るか、どちらかで別れてはくれず、これ以上何をしたらいいんだろうと思いあぐねただろう。

 思い切って親の所へ帰ってみたら、お母さんはまだ話を聞いてくれたが、その相談をしている最中にお父さんがお腹の膨れたフィリピンダンサーの女の人を連れて帰って来て、久しぶりに帰って来ていたミナコの顔を見ても嬉しそうな顔ひとつせず、

「俺、お前と別れてこいつと結婚する。こいつ俺の子を妊娠しているんや」

と高らかに宣言し、その場で強引に離婚届にサインをさせ、けんもほろろにお母さんと自分を追い出した。

 行く当てもなく、お金もなく、お母さんと二人でお母さん方のおじいちゃんの家へ行ったら、一応住まわせてはくれたが、来る日も来る日も邪魔者扱いされ、食事さえろくに食べさせてもらえず、些細な事で暴力を振るわれ、いたたまれなかったろう。フィリピン人を見るたびに、憎しみがこみあげてたまらなかったろう。

 お母さんも自分の事に精一杯で、ミナコの事を少しも考えてくれず、誰も自分を守ってくれない状況に張り裂けそうだったろう。それだけに、光の園では尼さんたちが一応自分の事を考えてくれて、そこは有り難かったと言っていた。

 光の園を退園後、何年も就職活動を続けたがなかなかうまくいかず、25歳の時にやっと正社員として雇ってもらえた宝石店で、五百万円もするダイヤの指輪を万引きされ、そこの社長に責任を取れと迫られて強引に五百万のローンを組まされ、毎月少ない給料からローンを払い続けていた。

 犯人も捕まらず、また似たような事があればローンを組まされると恐れおののきながらも他に雇ってくれる会社があるかどうか分からず、その宝石店を辞めるに辞められず、払っても払ってもローンは終わらず、生活は苦しく、満足に食べる事さえ叶わず、つらかったろう。

 大阪府出身、関山南子さん、今はローンも完済し、誰かにたいせつにされていますか?

 

 フサエ、お兄さんが中学生にしてヤクザになり、親がその途端に自分をがんじがらめに束縛するようになった。

 ヤクザの妹など、誰も相手にしてくれず、学校でいつも誹謗中傷にさらされながらひとりぼっちで過ごしていた。遠足の時でさえ、ひとりで弁当を食べるのは、ほんの少しも楽しくなかったろう。家では親に1から10まで命令され、気が狂いそうだったろう。

 恋した人がほどなく麻薬に溺れ、自分に救いを求めてきて、初めて誰かに頼られて嬉しかったと言っていた。何とか立ち直らせようとしたが、どうにもならず、自分の無力さを呪ったろう。

 いっそ同じ気持ちになりたいと自分もクスリに手を出し、多量摂取した彼氏が自分の目の前で泡を吹いてショック死し、その後1年くらいの記憶がまったくない、どうしても分からないと首を傾げていた。それこそ「死ぬほどのショック」を受けたろう。

 光の園で起こした放火事件で少年院に服役、出所後に知り合った人と19歳にして結婚、やっと幸せになれたと思ったのに、結婚式を挙げた翌日に

「なあ、釣った魚に餌はやらんって知っとるか?わしにとってわれはもう釣った魚じゃ。餌はやらんけぇ一生そのつもりでいろ」

と旦那さんに言われてしまう。

 その上、生まれてきた女児が身体障害者で、周囲から奇異の目で見られ、歩き方まで笑われた。

「エへ、エヘ」

と言いながら首を変な角度に曲げて跳ねるように歩く我が子を、祖父母であるフサエと旦那さんの親でさえ愛さず、気持ち悪がって遠ざけ、近所も遠慮なく嘲笑い、まるで自分が光の園身体障害者の真似をして馬鹿にしたのが返って来たようだと言っていた。

 子どもにも自分にも友達が出来ず、さびしかったろう。旦那さんが支えるどころか、過去を正直に告白したフサエに

「前科者のわれと一緒になってやったんじゃ。有り難う思え」

と何度も言い、子どもの前でもフサエをいじめ、外に女を作り、あっけなく離婚され、自分の人生は何なのだろうと虚しかったろう。

 何とか子どもと生きて行こうと就職したが、その会社がすぐに倒産、子どもも短命で小学校に上がる前に命を落とし、身体障害者でも何でも生きてさえいてくれれば良かったと、きちんと守ってやれず申し訳なかったと死ぬほど悔いたろう。

 広島県出身、高科房枝さん、今はたくさんの良い友達に囲まれ、悔いのない生き方をしていますか?

 

 ヤスエ、小学校5年生の時に、実の父親に凌辱された。ずっと自分が何をされているのか分からないまま、激痛に耐えていた。お母さんが見て見ぬ振りをし、同居するお父さん方のおじいちゃんとおばあちゃんも助けてくれず、誰にも相談出来ない苦しい日々を送っていた。

 ヤスエが中学3年生の時にそれを知った2歳下の弟が、自分を助けようとして、お尻を出したままのお父さんを突き飛ばし、階段から落としてしまった。その時の弟の信じられない現実を見せられた、驚愕の表情が忘れられないそうだ。

 救急車が来る前に、そんなお父さんのズボンを、ヤスエはそれでも上げてやった。救急隊員の人に見られたら恥ずかしいだろうと気遣い、最後の親孝行と思ってお父さんの尻を隠してやった。尻拭いならぬ、尻隠しをしてやった訳だ。

 お父さんは階段から落ちた際に頭を強く打ち、植物状態になり、半年間寝たきりの末、肺炎になり、意識がないまま寒がって震えながら死亡した。稼ぎ手がいなくなり、家族がそれでも体裁を気にして弟がやったとは言わず、お父さんが自分で階段から落ちたと家族全員が言い張り、事故処理され、やっとお父さんの毒牙から解放されたとほっとしたが、弟がそんな環境に耐えられず、わずか13歳で蒸発してしまった。まだ子どもなのにと、心配でたまらなかったろう。お母さんたちは心配もせず、探そうともしなかった。

 自分が働くしかなく、中学を卒業するのと同時に平日は工場で汗にまみれて働き、週末も朝から晩まで電話営業の仕事をして家族を養った。お母さんが働きもせず、家事もせず、おじいちゃんとおばあちゃんの面倒を見ようともせず、ただ恨み言を言いながら、自分を軽蔑の眼差しで見続ける事に耐えられなかったろう。ひとつの地獄が終わって、新しい地獄が始まったのだから。

 降りないと思われていたお父さんの多額の生命保険金が降りた途端、お母さんがおじいちゃんとおばあちゃんを安く質の悪い老人ホームへ放り込み、若い男と再婚し、ヤスエを光の園へ叩き込んだ。

 たった一度、面会に来て

「絶対に自分の邪魔をしないと約束するんだら出してやる」

と言い放ち、仕方なく頷いたヤスエを退園させてくれたはいいが、ヤスエのこれからを考えてくれる訳でもなく、本当に一切の関りを断ち、ただ放り出した。

 行く当てもなく、お金もなく、どうしたものか途方に暮れながら、念の為に家まで行ったヤスエの目に飛び込んで来たのは、売りに出され、更地になっていたかつての我が家だった。お母さんはお父さんの生命保険金と、家を売ったお金を手にし、新しい亭主とどこかへ消えてしまったのだ。

 中学時代に仲の良かった友達を頼り、その親が経営する中華料理店に住み込みで働かせてもらうようになったが、その父親が自分を嫌らしい目で見る上、調子に乗った友達が自分を奴隷のように扱い、顎で使い、また別の地獄が始まったと悔し涙を飲む毎日だった。  

 随分経ってから、弟が風俗店の呼び込みの仕事をしているのを見かけ、決して幸せそうには見えなかったが、帰る家もなければ、温かく迎える家族もなく、ヤスエ自身も引き取る力も何もない上、弟も昔の事を思い出すのも嫌だろうし、もしかして今の方がましなのかも知れないと、声を掛けるに掛けられず、遠くからただ元気でいてくれと願うしかなかったと言っていた。

 長野県出身、伊駒安恵さん、今は天国のような毎日で、弟さんとも仲良く交流していますか?

 

 尼の中井さん、まったく自分に関心を持ってくれない両親を見て育ち、何とか幸せになりたいと、賭けるような気持で結婚した旦那さんに光の園に入れられ、つらかったでしょう。仏教だけは自分を裏切らないと信じて毎日7回どころか、50回くらいお経をあげていた。

「必ず主人が迎えに来てくるる」

と言いながら、懸命にお経を上げ続ける中井さんを旦那さんは平気で裏切り、勝手に籍を抜き若い女と再婚していた。

 旦那さんは、自分をまだ中井という苗字だと信じる中井さんに、一度だけ面会に来て

「三橋さん、これが俺ん新しか家族」

と中井さんを旧姓で呼びながら、笑顔で奥さんと赤ちゃんと自分が3人で映る写真を見せつけた。茫然とする中井さんに、旦那さんは

「一生ここしゃいろ」

と言い残し、冷たい背中を向けて去っていった。

 誰かに退園手続きを取ってもらえなければ、光の園から一歩も出られない為、中井さんは焦り、お上人さんに相談するものの

「では一生いたらいい。尼なら毎月10万円の養育料は払わなくていいし、出世出来るし、良かったね」

と言われてしまう。そういう問題ではない、と絶望しただろう。

 6年経過後、ようやく娘の不在に気付いた親御さんに退園させてもらえたが、社会経験がほとんどないまま35歳になっていた為、どこにも就職出来ず、同じく精神病者の世話をする仕事にしか就けなかった。もううんざりだったのに、別の仕事をしたかったのに、と不満だったろう。

 自分の娘に徹底的に無関心で、不在にさえ何年も気づかなかった両親も、裏切った旦那さんも許せなかったろう。

 熊本県出身、三橋郁子さん、今はやりがいのある仕事に就いていますか?

 

 元チンピラで当時33歳だったおじさん。開業医の曽祖父、後を継いだ祖父、医師の両親を持ちながら、子どもの頃から何をやってもうまくいかず、

「どいて出来んのじゃ」

と言われ続けて育った。

 医学部に進学し、親の後を継ぐ事だけを考えていればいいお兄さんにまで

「うちでおかしいの、われだけや」

といじめられ、誰に相談しても

「やれば出来るろう?やろうとせんだけやろう?」

としか言われず、理解者のひとりもいない苦しい人生を送っていた。

 友達に誘われ、やくざな道へ進んだ途端に周囲が自分を必要としてくれるようになり、初めて生きている実感が持てて嬉しかったと言っていた。

 苦しみながら医師を目指すより、楽しくチンピラをしている方を選んだ自分を両親と兄は

「頭がおかしいがよ」

と決めつけ、精神病院へ放り込んだ。中で酷い扱いを受け、たまりかね、出してくれと頼み続ける自分に、家族は

「犯罪者として有名になったら自分たちが困る」

と言って光の園へ押し込んだ。

 一生知らないとばかりに手紙ひとつくれず、面会にも来てくれない家族に絶望し、何の為に生きているかさえ分からなくなり、たったひとり、お上人さんだけは自分を理解してくれる事が嬉しく、光の園で「出世コース」を選ぶしかなかった(それこそ一択だった)。

 どこへも行きようがない。ここにいるしかない、と覚悟を決め、お上人さんを信じて仏教を極める自分にようやく満ち足りた気持ちになれたものの、園内で私に会い、初めて「シャバに出てこいつと暮らしてみたい」と思うようになった。

 だが、便宜をはかろうとしない自分に、私がすぐにそっぽを向いた為、また「こがなもんだ。どうせこがなもんだ」と、絶望した。

 自分には光の園しかないと、光の園にしがみついて長年生きてきた。その光の園が、今回事件を起こし、閉園され、それこそ行き場を失くし、73歳にして路頭に迷っているだろう。

 高知県出身、班目孝彦さん、新しくどこかのお寺で僧侶として迎えてもらえましたか?

 

 チヨミちゃん、私はそれまで精神病と言うのは治らないものだと思い込んでいました。ですがあなたがお父さんから送られた箱詰めのお菓子をみんなに配っている姿を見て、まして座り込んで声を出さずに泣いている姿を見て、決してそんな事はない、精神病は治るものだと学びました。

 見事に病気を克服し、仕事をするようになったあなたは本当に立派です。

「マリちゃん」

と私の名を呼び、きちんと目を見てお菓子をくれた時の、あなたのまっすぐな瞳と優しさに満ちた声を忘れません。

 徳島県出身、奥野知代実さん、今も福祉のお仕事を続けていますか?

 

 借金地獄から光の園へ逃げ込んだカナエさん。親の借金の為、20歳の時に35歳も年上の好きでもないおじさんと結婚させられた。ギラギラした旦那さんが気持ち悪くてどうしても好きになれず、前妻や自分よりずっと年上のその人の息子や娘にもいじめられ、周囲のみんなに財産目当てと言われ、やりきれなかったろう。

 借金がある以上、離婚する訳にはいかず、毎夜自分を求めて来る旦那さんに吐き気がしながらも応じるのは不本意だったろう。ベッドの中で必要以上に「演技」をして、自分をごまかすしかなかったのだろう。せめて子どもが生まれれば気も紛れるかも知れないと思ったが、一向に妊娠出来ず、虚しかったろう。

 7年経過後、相変わらず妊娠も出来ず、満たされもしない結婚生活を友達に相談した所、憂さ晴らしにとホストクラブに誘われた。たった一度の遊びのつもりだったが、接客してくれた9歳年下のカリスマホストに

「この店内にぎょうさん女性客いるやろう?いちばん綺麗で可愛いのんは君やで」

と言われ、心を鷲掴みにされる。

 その日から毎日電話が鳴り

「会いたいで、会える?今日、店においでよ」

と囁かれ、心臓を撃ち抜かれたような感覚に陥り、もっとはまり込んでしまう。

 二度目はひとりで店に行ったカナエさんに、その人は

「僕の姫やで。ひと目惚れしたんや」

と仲間たちに宣言、免疫のないカナエさんは、ホストたちの羨むような眼差しに舞い上がってしまう。

 3度目にカナエさんが店に行った時の事、そのカリスマホストはカナエさんを見るなりすっと立ち上がり、黒服の男たちに何事か指示をして、他のホストを別の席に行かせた。そしてカナエさんをいちばん良いボックス席に案内し、自分も腰を下ろした。

 何か特別待遇を受けたような高揚感を味わうカナエさんの目をじっと見つめ、彼は口を開いた。

「姫、僕の希望を言うてもええ?」

 何だろうと思いながらも頷いたカナエさんに、その人は真顔でこう言った。

「これが、最後の恋で、ありますように」

 骨の髄まで痺れてしまったカナエさんは、その日彼と一線を越える。

「僕、本気やで」

 彼はそう言って、カナエさんのすみずみまで丹念に愛してくれた。

 初めて本当に好きな人と結ばれ、カナエさんは有頂天になったが、彼の方は他にもたくさんの女性客と関係し、同じ事を言っていた。

「姫、綺麗やで。姫、可愛いで。姫を愛してんで。姫は僕を愛してる?ねえ目ぇ見て、僕を愛してるって言うてや。僕をもっともっと愛してや。本気で愛してや」

 愛し合う際、瞬きさえせずに自分を見つめ続け、熱に浮かされたように言い続ける彼にカナエさんは「この人はすっかりうちの虜なんや」と寸分も疑わなかった。それが演技だとは、とても思わなかったし、後から考えても思えなかった。

 そして姫と呼ぶのは、決してカナエさんの苗字になぞらえている訳ではなく、ましてやお姫様のように思っているからでもなくて、他の女性客と名前を呼び間違えないようにする為だった。

「僕と姫は今、心も体もひとつになったんやで。溶け合う感じ、分かるやろう?」

 そんな言葉に、カナエさんは身も心もとろけてしまう。

 行為が終わって一緒にシャワーを浴びながら

「また欲しなった。まだ姫の愛が足らんよ。もっと頂戴。もっともっと」

と、その場で立ったまま愛し合う事もあったし、お互い服を着て帰ろうとする寸前に

「もっと姫が欲しい。もっと愛し合いたい。ここでええさかい」

と、後ろを向かされ、スカートをたくし上げられ、下着をおろされ、ドアの前で愛し合う事もあった。

 夫と違い、果てても果ててもすぐに蘇る彼の若いパワーに圧倒されながら、それに応えられる自分も凄い女だと自負していた。その人はカナエさんの敏感な位置を一発で覚え、果敢に攻め込み、悶えるカナエさんに見とれ、果てた後も体を離そうとしなかった。

「姫、姫ってなんでそないに魅力的なん?まだ離れちゃ嫌や。まだこのままでいたい」

そう言って「一体になったまま」飢えたように愛撫を繰り返し、また次の行為へ挑む。

「交じわったまま3度も4度もいたす」その人に、カナエさんはフラフラになりながらも付いていった。

「姫は僕が今まで会った中でいちばんイイ女や。絶対離さへんからね、ええ?」

と会うたびに確認するように言われ、「うちらは付き合うてるんや」とカナエさんは確信、

「もっと愛撫して、もっともっと」

とせがむ彼に、自分が「特別イイ女」だからこの人はもっともっとと欲しがるんだと信じ込んだし、年上の自分が是非とも面倒を見ようという気にもなった。

 店で

「姫、フルーツの盛り合わせが食べたい」

と言われ、ひと皿30万円もするフルーツの盛り合わせを注文し、口移しでお互いに食べさせ合い、たまらなく楽しい時間を過ごした。他の女性客の嫉妬に満ちた目に酔いながら。

「姫、姫ってば。もっと食べさせて」

と甘えたように言われ、次々に果物をくわえ、彼に食べさせた。他のホストの

「ええなあ、俺にも」

と言う声にのぼせながら。

「姫、ドンペリおかわり」

と言われ、躊躇なくひと瓶40万円のシャンパンを注文した。人目もはばからずにカナエさんの胸やお尻を撫でる彼に興奮しながら。

 同伴出勤で待ち合わせた際

「姫、店で着るスーツが足らへん。いつも同じもの着ている訳にいかへんよ」

と言われ、すぐにスーツを10着も新調してやった。

「靴も傷んできた」

と言われ、その場で靴を15足も買った。

「腕時計も壊れた」

と言われ、600万もする高級時計を、ねだられるままに買い与えた。

「運気が上がるように金色の指輪をペアで買おうよ」

と言われ、高級店で1000万もするペアリングも購入。

「姫とドライブしたいさかい、車、欲しい」

と言われ、3000万の外車もプレゼントした。

 求められるままに買ってやれば、素直に喜ぶし、身に付けるし、見事なハンドルさばきでドライブも連れて行ってくれたし、何より自分が彼を作り上げていくような錯覚にとらわれていった。勿論そのたびに

「姫、元々綺麗やけど最近ますます綺麗になったで。その美しさはもはや奇跡レベルやで」

等の、誉め言葉も漏れなく付いてきた。

 特に指輪を買った際、

「お互いに付け合おう」

と言われ、それぞれの左手薬指に指輪をはめた時には、まるで結婚式を挙げているような神聖な気持ちになった。

「僕たちの結婚式や」

 彼もそう言ってくれたし、その店の従業員が全員集まって来て口々に

「おめでとうございます」

と言ってくれ、カナエさんに羨望の眼差しを送った。その視線にカナエさんはまた舞い上がり、本気でこれが自分たちの結婚式だと思った。

 家の電話も鳴りやまず

「僕の姫、僕は今日も姫に恋焦がれてんで。会いとうて会いとうてうずくで。店に来て」

と言われ、ますますのめり込み、彼に会いたい一心で旦那さんの金庫からどんどん金を抜いて店に通いつめる。

 必ず指名してやり、高い酒を注文し、売り上げに貢献し、店がはねた後はラブホテルへ直行、何度愛し合っても彼は

「姫、姫、もっと欲しい、もっと愛して。姫のなんもかも見して、もっと広げて、もっと見して。僕のすべてを見てや。ああもっと見てや。姫が欲しおして欲しおして、ああ欲しおして狂いそうや」

と叫ぶように言い続け、カナエさんは狂喜乱舞、四六時中その人の事しか考えられなくなってしまう。

 自分を求め続ける彼と是非とも一緒になりたい、夫のいる身では彼に悪いし、このままでは彼が可哀想。自分は彼と一緒になって新しく人生をやり直そう、彼も喜んでくれる筈。

 カナエさんは決断し、旦那さんに離婚を切り出した。旦那さんは当然怒り狂い、肩代わりしたカナエさんの親の借金も放り出した上に、今までカナエさんがくすねたお金も返すように要求。その場で離婚届と借金を返すという念書にサインさせられ、家を追い出されてしまう。

 玄関を出る寸前、開き直ったカナエさんは

「うち、ほんまはあなた、気持ち悪うおして嫌やった」

と言い放ち、茫然とする旦那さんに冷たい背を向け立ち去った。

 カナエさんはいったん実家に帰ろうとしたが、旦那さんから連絡を受けていた両親が

「何て事してくれたんや。こうなっても金だけは払うてくれ」

と言って、娘を助けるどころか家に入れてもくれなかった。

 その足でホストクラブへ行き、彼に相談した所

「良かった。姫が独身になってくれて」

と無邪気な笑顔で言われる。

 この人だけは自分を見捨てないと、天にも昇る気持ちになったが、現実には何もしてくれず、カナエさんはキャッシングをしてお金を作り、ウイークリーマンションと電話を契約、そこで暮らしながらアルバイトを始めた。アルバイトではたいして稼げず、途方に暮れるカナエさんに彼は

「話、聞くさかい店においで」

としか言わず、店に来させて自分の売り上げを伸ばし続けた。

 いよいよ焦ったカナエさんが

「あなたの為にこうなったんやで」

と言っても

「考えてるさかい、ちゃんと考えてるさかい」

と言って自分を引っ張るばかりで、実際はカナエさんの事をまったく考えてくれず、シャンパンを何本も空け、フルーツの盛り合わせも何皿も平らげ、カナエさんの支払う金額をますます増やした。

 帰る場所を失ったカナエさんは、せめて彼だけは離すまいとしがみついたが

「店に来て」

としか言われず、店に行く為にキャッシングを繰り返す事になる。ある時

「もう限界」

と言って店を飛び出したカナエさんを、彼は勤務中にも関わらず追いかけて来てこう言った。

「分かってるさかい、分かってるさかい。僕が悪いって…」

 行き交う通行人の視線も気にせず自分を力強く抱きしめる彼に、カナエさんはまた脳の髄まで痺れる感覚に陥ってしまい、そのままウイークリーマンションへ帰り、むさぼるように愛し合った。

「僕の目ぇ見て。お互い最後の恋と誓うたやろう?」

 ベッドの中で静かに言う彼に、カナエさんは深く頷いた。

 そうだった。私たちは魂から愛し合い、すべてにおいて強く結びついているんだった。

 彼は一体となったまま、カナエさんの胸に自分の胸をぴったりと押し当てた。

「僕の鼓動を感じる?僕も姫の鼓動を感じんで。ほら、あったかいやろう?」

そう言われたカナエさんは嬉しくなり、それ以上何も言えなくなってしまう。

「僕は姫じゃなきゃ嫌やし、姫も僕じゃなきゃ嫌やろう?お互いにお互いじゃなきゃ、僕たちはもうあかんようになってんで」

 耳元でそう囁く彼に、カナエさんは現実を忘れ、醒めない夢の中へうっとり沈んでいった。

 体の相性は抜群に良かったし、避妊をせずに自分の中で果てるという事は、将来を考えてくれているという事だろうと、勝手に思っていた。何より数々の殺し文句に翻弄されたカナエさんは、すっかり恋人になったつもりだったし、いずれ彼がホストを辞めて普通の仕事をしてくれる、自分の借金も何とかしてくれると信じたが、彼はあらゆる支払いをカナエさんにさせ、自分がどこに住んでいるかさえ決して明かさなかった。

 妊娠した事を告げてもなお、その人はホストであり続けた。

「どうしたらええ?」

と聞いても

「大丈夫、僕が守ったる」

と口ばかりで、カナエさんが困り果てていると告げると

「稼げる仕事があるで」

と、風俗店で働く事を勧めてきた。

「そないな事言うなんて信じられへん。そないな仕事、絶対にしいひん」

と怒ったカナエさんに彼は急に冷たい素振りを見せ、他の客の所へ行ってしまう。ひとりぼっちで席に取り残されたカナエさんは、彼が他の女性客と仲良くシャンパンを空けたり、口移しで果物を食べさせ合ったりしている姿を見ていられず、ましてその女性客を

「姫、姫ってば」

と呼ぶのも聞こえてしまい、惨めさを堪えながら慌てて会計を済ませ、夜の繁華街をとぼとぼ帰った。心の片隅で、風俗店で働けばまだ彼をつないでいられる、と思いながら。

 ぷっつりと連絡の途絶えた彼に業を煮やしたカナエさんが遂に自宅を探し当て、大きなお腹で会いに行った所、意外にも両親や、いかにも素行の悪そうな二人の妹ばかりか、要介護状態の祖父母と同居しており、しかも家は傾きかけた印刷工場だった。

 店で会う時の都会的で精悍な様子とは打って変わって、よれよれのジャージを着て祖父母の介護をする姿に幻滅したが、もしかして本来は真面目な人だったのかも知れないと一縷の望みをたくし

「うちらの愛の結晶がもうすぐ生まれんねんで」

と言ったが

枕営業やった」

と言われてしまう。茫然とするカナエさんに彼は

「俺、ほんまはあんた、気持ち悪おして嫌やった」

と言い放ち、冷たい背を向けて立ち去った。

 そんな事を言われたらもはや追うに追えず、帰るしかなかった。だがもしかして、自分が35歳年上の旦那さんに放った言葉とやった事が全部返って来たような気もしたと言っていた。

 もうひとつ思い出した事が、その人はカナエさんと性交し、射精する寸前に必ずこう言っていた。

「姫、今から僕の命をあげんで」

 言葉通りその人は自分の「命」をカナエさんの中に宿したのだ。新しい命を。母親以外の誰にも決して歓迎されぬ、実の父親でさえ迷惑な「命」を。

 はっと我に返ったカナエさんを待ち受けていたのは、膨大に膨れ上がった借金の山だった。元旦那さんは勿論、親も、友人も誰も助けてくれず、やくざのような借金取りを恐れ、臨月のお腹を抱えて光の園に身を隠した。

 幸いお上人さんたちの理解は得られ、園内で女の子を出産、ミホちゃんと名付け、園の仕事をしながら育てていたが、そのミホちゃんが非行少女たちのいじめの餌食にされ、悔しかったろう。

 自分を騙し、散々金を搾り取ったホストも、借金のかたに娘を中年男に売った親も、知らん顔を決め込んだ友達も、遂に愛せなかった元旦那さんも憎んだろう。自分の苗字を呼ばれるたびにそのホストを思い出して嫌だったろう。2億7000万もの借金が恐ろしくてたまらなかったろう。

 京都府出身、姫井佳苗さん、美帆ちゃん、今は親子で朗らかに暮らしていますか?

 

 小学校の同級生だった木本君。離婚したお母さんひとりの稼ぎでは自分と妹は満足に食べられず、給食のメロンの種まで食べていましたね。

 私が一度、何故種まで食べるのかと聞いた所、少しでもお腹を満たす為だと正直に答えてくれました。懸命にお母さんを支え、妹の面倒を見て、家事をしながら学校に通っているのに、私にいじめられ、つらかったでしょう。

 一切反撃せず、私の悪口も言わず、じっと耐えてくれた木本信一君。酷い事をして、本当にごめんなさい。

 

 加山さん、私にいぼいぼといじめられ、悔しかったでしょう。きっと皮膚科へ行ったり、薬を塗ったり、色々努力していた事でしょう。

 私が高校で上級生に集団リンチされそうになった時に、懸命にかばい、守ってくれたあなたの勇気と優しさを忘れません。

 私は自分の手にいぼが出来た時に、あなたの気持ちが嫌と言う程分かりました。

 加山篤子さん、あなたをいじめた事を深く悔い、そして深く感謝しています。

 

 金井さん、癖毛だから仕方ないのに私に髪型や服装にいちゃもんを付けられて嫌だったでしょう。服装も、ただ親御さんの好みに忠実に従っているだけなのに、私に変な趣味等言われてつらかったでしょう。他の友達を経由してやめてくれというメッセージを送ってくれていたのに、汲み取れず、いじめをやめず、悪かったです。

 金井伸代さん、今は自分で選んだ髪型や服装で、誰かと笑顔で過ごしていますか?

 

 小山さん、あなたが独り言が多かったのは、友達が欲しかったから、誰かに聞いて欲しかったから、誰かに返事をして欲しかったから、誰かに相手にして欲しかったからでしょう。理解せずいじめて悪かったです。

 私が友達になり、私が聞いて、私が返事をして、私が相手にすれば良かった。

 小山瑞紀さん、面白がって、馬鹿にして、罵った私を許して下さい。

 

 里中さん、あなたの体臭を誰より気にしていたのは里中さん自身だったでしょう。何とかしようと病院へ行ったり、使う石鹸を替えたり、毎朝毎晩風呂で懸命に体を洗っていた事でしょう。私に臭い臭いと言われ、深く傷ついていたでしょう。

 里中幹代さん、鼻をつまみ、犬を追い払うようにシッシッと手を払った私を許して下さい。

水商売をしていた時、あるお客さんにそうされて初めてあなたの悔しさが分かりました。

 今は体臭も消え、楽しい毎日ですか?

 

 寡黙児だったナツミちゃん、あなたが一切口をきかなかったのは、きっと誰かがあなたが何か言うたびに、あなたの言葉遣いを咎め、いちいち直していたからでしょう。何を言っても咎められ、直されるのがどんなに嫌な事か、私も昔付き合った人にそうされたので、よく分かります。だったらもう一切口をききたくない、と黙り込んでしまったのでしょう。あ、って言ってみて、と何とか声を出させようとして、悪かったです。

 私が何か冗談を言った時に、楽しそうににっこり笑ってくれた、あなたの可愛らしい笑顔が蘇ります。

 原口夏美さん、今は誰かと楽しくお喋りしていますか?

 

 黒板の数字を書き変えていた高橋さん。あなたはきっと誰にも言えない程、苦しい何かを抱えていたのでしょう。そして私が愛されて育っているように見えて、妬ましかったのでしょう。

 私の親の職業を聞いて、では立派な家なのだろうと思ったのでしょうし、英字新聞を学校に持って行ったりして、自慢しているように見えたのでしょう。父にしょっちゅう海外旅行へ連れて行ってもらったり、母の手製のワンピースを着ていたり、髪を母に編み込みにしてもらったり、授業参観にも母は毎回来ていたし、可愛がられているように見えて、そうではない自分が惨めだったのでしょう。

 そう言えば、私は高橋さんのお母さんが授業参観に来ているのを見た事がありませんでしたし、あなたが家族の話をするのも聞いた事がありませんでした。そして何より、いつもどことなくさびしそうで、それを隠そうとして荒れていたような気がします。

 だから誰も居ない家に遊びに来させて待ちぼうけを食わせたり、嫌味を言ったり、黒板の数字を書き変えて私を犯人扱いしたりする事で、精神のバランスを取っていたのでしょう。親御さんにされた意地悪を私にする事で「苦しみの順送り」をして、気を紛らわせたかったのでしょう。そして自分は正義の味方、と言う顔で騒ぎ立てる事で、つらい気持ちを一瞬でも忘れたかったのでしょう。

 私が

「昨日見たよ」

と言った時の、あなたの追いつめられたような眼差しを、今もよく覚えています。

 ただ高橋さん、あなたはそれ以降、誰かが何かまずい事をしているの見たとしても、もうやめなという気持ちを込めて

「見たよ」

とは言っても、人に口外する事なく見逃して、相手のプライドをぎりぎり守ってあげたのではないでしょうか?あの時私がそうしてあげたように。もし高橋さんが私から「思いやりの順送り」を学んでくれたとしたら、本当に嬉しいです。

 そして高橋さん、あなたの名前は、愛が実ると書いて、まなみと読みます。きっとあなたの親御さんはあなたが生まれた時は、愛情を持って育てようと思っていたのではないでしょうか?あなたも愛されていると思えた瞬間も、時々はあったのではないでしょうか?

 高橋愛実さん、今はみんなに話したいような、嬉しい何かを溢れるほど抱えていますか?

 

 私が最初に付き合った男性の親が経営する寿司屋に住み込みで働いていたユキオ君。

 あなたは私に、寿司職人として一人前になる夢を何度も語ってくれました。独身のままあなたを産んだ貧しいお母さんを助ける為に、自ら中卒で、しかも住み込みで働く事を選び、自分をいじめる経営者の息子の暴君ぶりに耐えながら、夢を叶えようと懸命に努力していました。

 それこそ出来ない我慢をし続け、円形脱毛症になり、若いながらも全部の髪が抜け、やつれ、痩せこけ、それでもいじめをやめてくれないその人と、たしなめようとしないその親を恨みながらも、他で雇ってもらえるか、通用するか、お金がないのでアパートも借りられず、住み込みの職場があるのか、田舎に帰ってお母さんに迷惑を掛けたくない等、色々な不安を抱えながら、毎日を懸命に生きていました。助けてあげられなくてごめんなさい。

 私が東京に出る前に、これが最後と称して一通の手紙をくれましたね。そこには、何度も相談に乗ってくれて有難うと感謝の気持ちが切々と綴られ、東京へ行っても頑張ってねという応援メッセージと、マリちゃん頑張れと旗を振っている自分の似顔絵、そしてもうひとつ、寿司屋に入ったばかりで元気だった頃に撮影した写真が入っていました。

 そして追伸として「俺の初恋はマリちゃんだったかも知れません」と添えてくれていました。嬉しくて何度も読み返しましたよ。あばずれだった私に初恋をしてくれて有難う。

 内藤幸雄君、今は髪も生え揃い、どこかの寿司屋で一人前になり、活躍していますか?

 

 中学時代の同級生であるマチコ、あなたは唯一私の話を信じてくれた友達だったよ。

 私が東京にアパートを借りて間もない頃、あなたは彼氏の暴力から逃れる為に私を頼って来てくれたね。何か月も監禁され、一瞬の隙をついて身ひとつで逃げてきた。たったひとつ、私のアパートの住所を書いたメモだけを握りしめて…。

 一文無しの為、駅の柵を乗り越えてホームに入り電車を乗り継ぎ、見知らぬ街を住所だけを頼りに歩きに歩き、やっと探し当ててこのアパートまでたどり着いたと興奮気味に話してくれた。  

 テレビも電話もないアパートで、しばらく一緒に暮らしたね。ひとりぼっちでさびしかった毎日が、あなたのおかげで一気に楽しくなったよ。

 私と同じく、おかしな男に何度もひっかかり、散々な目に遭ったマチコ。

「誰も共感してくれなかったけど、マリだけは分かってくれる」

と嬉しそうに言ってくれた。私もそうだったよ。

「シミズって奴も酷かった。俺はお前に一世一代賭けたんだ、とか言って、がんじがらめに束縛されたし、散々殴られたし、お金も取られたし、あたしの手帳を勝手に見て、色々な友達に勝手に電話するし」

 ああそんな事あったね。私もそのひとりだったよ。逃げられて本当に良かったね。

 狭い部屋の中、時間を忘れてお喋りしたり、笑い転げたり、一緒に銭湯に行ったり、ひとつの弁当を分け合って食べたり、食中毒になってアパートの共同トイレに交代で通った日々が蘇ります。

「こんな事、マリだから、出来たんだよ。マリだから」

と、ある日突然転がり込んで来た心情を、感謝に満ちた目で話してくれた私の親友、マチコ…。

 それなのに、当時私が働いていたナイトクラブで一緒に働くようになり、私よりマチコの方があっという間にお客さんの人気者になり、有望株と言われ、たいそう売れて日当も良くなった。

 昔から踊りが得意だったマチコ。店の大きなステージでお客さんや従業員の注目を一身に集めながら気分良さそうにダンスを披露していましたね。それを見て、紹介した私より売れるなんてと妬ましくなり、つらく当たってしまいました。私が売れないのはあなたのせいではなく、私に魅力がなく話術や気配りも出来なかったからなのに、嫉妬してごめんなさい。

 私とあなたは長年の親友ではありましたが、一緒に暮らすには習慣が違い困りました。あなたが手を洗った後、タオルやハンカチではなく、ティッシュを何枚か取り手を拭くのはティッシュが勿体なくて嫌でしたし(オイルショックを引きずっていた訳ではありませんが)、食事をする際に口を開けてペチャペチャ言いながら咀嚼するのも、気持ち悪くて耐えられませんでした。タオルで拭いてくれ、口を閉じて噛んでくれ、と指摘しようか、しまいか、胃をよじっていました。

 もうひとつ、あなたが生理が来たか確認するのに、私の前で下着を下ろすのにもびっくりしていました。それも何度も何度も…。トイレで確認すればいいものを、何故部屋の中で、私の前でするのかと、本当に吐きそうでした。

 女同士だからいいと思っていたのでしょうけど、やはり親しき仲にも礼儀ありと言いますし、最低のマナーさえ守ろうとしないあなたが下着を下ろすたび、本当に目を疑っていました。私は確かに細かくて神経質だったのでしょう。

 一緒にデパート等に行って何を見ても

「高い、買えない」

を連発。何故こんなにマイナスの言葉ばかり口にするのだろうと、聞いていて気分が悪く、あなたと外を歩くのは恥ずかしくて嫌でした。人の悪口も多かったし、面倒を見ている私にまで嫌味を言うし、何て恩知らずなんだろうと苛立っていました。

 私が後からアパートに帰り着いた時、アパートのドア(引き戸タイプ)をきちんと閉めずに2センチくらい開けたまま鍵だけ掛けている不注意さにも困りました。

「マチコ、ドア開けたまま鍵だけ掛けても意味がないでしょう。気をつけてよ」

と言っても

「そんな事言ったって、あたしの顔は前についてるから、わざわざ後ろなんか見ないもん、開いたままなんて分かんないもん」

と平気で反論し、自分は悪くないと言わんばかりの態度も嫌でしたし

「出掛ける時に開けたまま鍵だけ掛けるような事しないでよ」

と注意して欲しい一心で言っても

「やる訳ないじゃん」

と言うのも苦々しく思っていました。

「帰って来た時によく見ないでドア開けたまま鍵だけ掛けるって事は、出掛ける時もドア開けたまま、よく見ないで鍵だけ掛けるんじゃないの?」

と言っても

「うるさいなあ」

と不機嫌丸出しで、誰のお陰でこの部屋に住めるんだと言いたい心境でした(誰のお陰で暮らせると思っているんだ、とよく言っていた父の気持ちが分かりました)。

 ナイトクラブの仕事を終え夜中に帰り、私は翌日の為に休もうとしているのに、お客さんと付き合い遅く帰って来たあなたは、いつまでたっても電気を点けっぱなしで、煙草を吸ったりだらだら過ごし、ひと部屋しかないのに眩しくてうるさくて、早く寝たいのに寝られず、私の事を全然考えてくれないあなたが本当に迷惑でした。

 あなたは口を開けば

「あたしは中学時代もいちばん目立っていたけど、今の店でも百人以上いるホステスの中でいちばん目立っているし、いちばん若くていちばん綺麗でいちばん売れている」

と自慢するか

「今日の客はチップをくれなかった」

だの

「今日も儲けようと思ったのに、タクシー代で200円の赤字だわ」

と、お金の話をするばかり。それも何度も何度も…。不快でたまりませんでした。

「たっぷりご馳走になったんでしょう。その分と思えば200円くらいいいじゃない」

と言っても

「嫌だ!200円も!あたしの大事な200円!」

と、金の亡者のような発言を繰り返し

「自分のアパート、探しているの?」

と聞けば

「探してない」

と、気まずそうに答え

「予算とか決めて、不動産屋廻れば?」

と言っても

「出せて3万だな。風呂ないと嫌だし」

と言っていましたね。この風呂なし、共同トイレのアパートの家賃が2万と分かっていながら、3万で風呂付きのアパートなど借りられる筈もないのに、何て考え無しなんだろう、出せて3万とは何てケチなんだろうと思っていました。

 明け方になりやっと眠り、翌朝になっても昼になっても起きず、私はモデルの仕事の為に出かける支度をしているのに、大きな図体でいつまでも厚かましく寝ているあなたが邪魔で仕方ありませんでした。

 ある時、出かける寸前の私がガス臭い事に気づき、時間がない中、窓を開けて換気をし

「ガス会社の人呼んで対処してね」

と言い残して外出し、帰宅後

「ガス会社の人、呼んだ?」

と聞いても、しばらく黙ってから

「呼んだけど来なかった。来たくないんじゃない?」

と下手な嘘をつくのにも困りました。確かにもうガス臭くはなかったけど、万一爆発等何かあると困るので一応見てもらいたかったのです。

「ガス会社に本当に電話した?」

と聞いても

「したけど来なかった。もうガス臭くないからいいじゃん」

と嘘を突き通すのも困りました。部屋に電話を引いておらず、わざわざ公衆電話まで行ってガス会社に連絡するのが面倒だったのはミエミエで、たったひとつ頼んだ事さえやってくれないあなたに腹が立ってたまりませんでした。

 また、月末になると必ず

「今月の家賃、もう払った?」

と聞くあなたに

「払ったよ」

と答えると

「ああ、ごめんね」

と、たった一言で済ませるのにもたいそう困ってました。

 あなたにとってここはタダで住める都合のいいアパート。水道、光熱費もタダで済ませられる便利な毎日。稼いだ金は全部自分のもの。200円さえ出したくない。さぞかし気分が良いだろう、とはらわたが煮えくり返っていました。きちんと払って欲しかったのですが、それも言うに言えず、悶々としている私に気付いて欲しかったです。

 臭い足を平気で私に向けて投げ出して座っていられるのも嫌でした。足を洗うか正座してくれと喉元まで込み上げ、ぐっと堪えていました。私が何か言うたびに、するたびに、いちいちそれを真似するのも嫌でした。言いたい事は山ほどあったのです。

 あなたは異常に金離れが悪く、ほんの少しも払おうとせず、私に負担をかけて平気でした。自分でお金を払ってアパートを借りるくらいなら、私に邪魔者扱いされたり彼氏に殴られている方が良いのかと思っていましたが、もしかして散々酷い目に遭ったからこそ、そこでプラスマイナスゼロにしたかったのかも知れませんね。小さい事でした。

 そうそう、私が何日か分の食料にしようと、時間をかけ(つまり苦労して)鍋いっぱいにシチューを作り、自分だけ食べる訳にいかず、皿によそい二人で食べた時の事。

 あなたがよそったシチューを全部食べきれず

「捨てんの勿体ないから戻すね」

と自分の食べかけのシチューを、私が止める間もなく鍋に戻してしまいました。急に頭に血がのぼり

「何するのよ、汚い。もう全部食べられなくなった」

と、鍋のシチューをその場で全部捨ててしまいました。

「戻したら全体が食べかけになって汚いから、それだけラップをして冷蔵庫に入れて。後で自分で食べてね」

と穏やかに言えず、本気で怒り、汚い部分だけすくって捨てる事もせず、目の前で全部ごみ箱にぶちまけ、悪かったです。

「私はあんたよりシチューの方が大事なのよ」

とまで言ってしまった私。そう言われたマチコの唖然とした顔を思い出すたび、心が痛みます。

 そんなつまらない事で私はいつまでも怒り、もう顔も見たくないと、アパートも追い出してしまいました。実家は勿論居たたまれず、監禁男の所に帰る訳にも行かず、どこへ行こうか、困り果てた事でしょう。

 ごめんねマチコ、あの後どうしていたの?お店にも急に来なくなったし…。

 私を信じ、私だからこそ頼って、助けを求めてくれたのに、突き放し、行き場のないあなたを見殺しにして、本当に悪かったです。

 ただマチコ、あなたはその時「逃げた先からは、また逃げる羽目になる」と学んでくれた事ではないのでしょうか?

 …今から3カ月くらい前の事、電車を待っている時に別のホームに立っているあなたによく似た人を見ました。見た瞬間、年齢の割に派手な色のパンツスーツと毛皮を纏った人がいるなと思わず思ったのですが、あれはあなたでしたか?

 声を掛けるには遠く、急いで階段を駆け上がり、そちらのホームへ行こうかとも思ったのですが、電車が入って来てしまったので出来ませんでした。何となく、飲み屋の雇われママといった風情でした。それでも幸せなら良いんですけど…。

 大村万知子さん、今、幸せですか?                                              

 

 末期癌だったおじさん、あなたはきっと、私の中に自分を見たのでしょう。家族に愛されずに育ったさびしい少女と、天涯孤独だったおじさん。

 財産など全部あげるから、自分を看取ってくれ、孤独死だけは嫌だ、無縁仏も困る、言葉や目つき、態度の端々にそう言いたいのは表れていました。

 この世の最後に、命が尽きるその前に、あなたはまだ幼かった私を愛し、救いを求め、頼ろうとしてくれたのでしょう。突っぱねて、冷たく捨てて、ごめんなさい。

 一度待ち合わせした時に急に雨に降られ、傘を持っていなかったので、近くの自転車屋さんの、シャッターが半分降りた所にしゃがみ込んでいた所、あなたは私を見るなり

「可哀想!」

と言って両手を広げて走って来てくれましたね。何だかおかしかったですよ。

 あの時あなたの胸に飛び込んでいたら、どうなっていたんでしょうね。もしかして光の園には行かなくて済んだかも知れませんね。拉致され、監禁され、リンチされたり、飢えたり、あそこまで悔しくつらい思いはしなくて済んだのかも、とは思います。16歳にしてあなたと結婚し、すぐ未亡人になって、遺産をたくさんもらい、違う人生を送っていたのかも知れませんね。

 けれど私はあなたの言いなりにならなくて、本当に良かったと思っています。

 お陰で私は「自分の人生を自らの意志で決められるようになった」のだから。それがあなたから学んだ事だったのでしょうね。

 末期癌で苦しかったでしょう。自分の命の期限を突き付けられ、私以上にさびしかったでしょう。

「マリちゃんって時々ふっとさびしそうな顔するね」

というのは、本当は自分の事を言っていたのでしょうね。そして私も、あなたの前では少し気を許していてさびしそうな顔をしてしまっていたのかも知れませんね。

「マリちゃん、今日、女になれよ」

というのも、勇気を振り絞って言ってくれたのでしょう。追いすがりたいのを懸命に堪えていた事でしょう。ずるい私を恨んだでしょう。

 病気と薄々気付いていながらお小遣いをもらうだけもらって、看病もせず、励ましもいたわりもせず、気持ち悪がって指一本触れさせず、嫌がって逃げて悪かったです。

 今の私はあの頃のあなたより年上なんですね。何か不思議な気がします。

 迫川勲さん、今は天国で安らかですか?

 

 私と同じ会社で働いていた小椋純子さん、日本人にしか見えなかったけど、実は朝鮮人で子どもの頃から朝鮮、朝鮮といじめられていたそうですね。そう言われるのがいちばん嫌だったと、随分後になってから話してくれました。人は国籍を選べないのに、仕方ないのに、つらかったでしょう。よく我慢しましたね。そしてよく明るく振る舞っていましたね。

 あなたは仕事の出来ない私を精一杯フォローしてくれました。他の人に悪口を言われている私をかばい、笑顔で接してくれました。

 この人は私と同い年なのにどうしてこんなに大人なんだろうと、実は感心していました。なのに私の悪い癖で、みんなに信頼されているあなたが妬ましく、仕事の出来ない自分が嫌で、いじめてしまいました。

 散々酷い事を言ったのに、あなたは私が当時付き合っていた悪い男性の事で相談に乗ってくれましたね。ああ小椋さんは私をちゃんと見ていてくれていたんだと嬉しかったですよ。あの変な彼氏(あまり好きではなかったけれど)と別れられたのは、小椋さんのお陰です。

 小椋さんは、実は一家の大黒柱で、もらう給料は全部、要介護状態の親御さんの為に使っていた、来る日も来る日も家事と、お父さんとお母さんの食事やしもの世話に明け暮れていたと、後から人づてに聞きました。

 そんなに大変な人だったとは分からず、きっとみんなに愛されて良い思いばかりしてきた人なんだろうと嫉妬し、いじめてしまい、本当にごめんなさい。

 また、当時ヘビースモーカーだった私が

「煙草をやめたい」

と言った時に

「応援するよ」

と言って本当に応援してくれた事も感謝しています。煙草が吸いたくてイライラし始めると、察してお水を持って来てくれましたね。禁煙出来たのは小椋さんのお陰ですよ。

 また、先輩の度重なる暴言に傷ついた私が、非常階段でひとりで泣いているのを見て

「沖本さん、泣いて良いよ」

と言ってくれた言葉も忘れていません。泣かないで、と泣いている事を否定するのではなく、肯定してくれたあなたの心の広さに感動しました。その何日後かに

「沖本さん、よく我慢したね」

とも言ってくれました。その言葉が、あなたの存在が、どれほど私の支えになっていたか、言葉に尽くせません。

 もうひとつ、小椋さんは私に何か頼む時に

「これ、お願いしちゃっていいですか?」

という言い方をしていましたね。ああ素敵だなと思い、すぐ自分に取り入れましたよ。お陰で人に何か頼んだ際に、相手が気持ち良くやってくれるようになりました。

 またミスをした時に、どこを間違えたか書類に付箋紙を貼り、こことここが違う、だからこうなっている、とその付箋紙に書き、次から気をつけてくれればいいよ、とニコニコマークも書き添えておいてくれましたね。分かりやすくて次から気を付けやすくて、本当に助かりました。人間関係がうんと良くなったのも、小椋さんのお陰です。本当に有難う。今も独身と風の便りに聞きました。

 小椋純子さん、今も誰かを応援し、誰かに必要とされ、尊敬されていますか?

 

 私と5年も同棲してくれた桜井正一さん。あなたは私の為に懸命に働き、生活を支えてくれました。お金がなく、アルバイトも長続きしない私の為に、生活費は勿論、その頃通っていた夜間美容専門学校の学費まで出してくれた事もありましたね。

 音楽が好きで、バンドを組み、ドラマーとしてメジャーデビューするのがあなたの夢だったのに、私の為にその夢を断ち、家電量販店に就職もしてくれました。決して高給取りではないのに精一杯お金を出してくれる、そんなあなたに私は口ではごめんねと言いながらも、当たり前という態度を取り、嫌味を言ったり、神経を逆撫でしたり、変に嫉妬したりして、散々いじめてしまいました。尽くしても尽くしてもまったく変わろうとしない私に、あなたがどんなに傷ついていたか、苛立っていたか、悔しかったか、今なお心が痛みます。

 決して評判の良くない私と付き合い始めた頃、周囲のみんなに

「マリは危険だからやめろ」

と、警告されても

「マリを信じる」

と言ってくれたそうですね。そして本当に信じて接してくれました。

 私をまるで眩しいものでも見るように見つめ、何度もこう言ってくれましたね。

「ある日突然、嵐のように現れたマリ」

 その時の気持ちをお互い保てなかった私たち。

「マリは俺が初めて、自分から好きになった人だ」

とも

「俺、マリとなら結婚しても良いと思ってる。子ども出来たら生もう」

とも言ってくれました。

 私は以前付き合っていた人に、妊娠したらどうするか聞いた所

「なんだかんだ言っておろす事になるんだろうな」

と即答され、深く傷つけられた経験があるだけに、その言葉は嬉しかったです。

 思いをまっとうしようと誠実に付き合ってくれたのに、それなのに、恩を仇で返してしまい、出来ない我慢を何年もさせてしまい、本当にごめんなさい。一緒に暮らしているから逃げ場もなく、誰にも相談出来ず、どんなにつらかったでしょう。精神安定剤を飲みながらしのいでいたなんて分かりませんでした。前の彼女に会い、その人に救いを求めずにいられなかったのでしょう。そこまで追い詰めたのは私です。

「急に居なくならないでね」

と心細そうに言っていたあなたを思い出すと、気の毒で今でも本当に涙が出ます。

 私は天国と地獄を同時に味合わされる家庭に育ち、それが嫌だった筈なのに、あなたに天国と地獄を同時に味合わせてしまった気がします。天国もいらないから地獄も勘弁して欲しかったでしょう。

 親に所有物扱いされるのが嫌だったのに、あなたを所有物扱いしてしまいました。冗談じゃないと思っていたでしょう。

 そしていつの日も、男性に経済的な負担をさせてしまったのですが、いちばん酷い負担をさせてしまったのが、正一さんだったと痛感しています。

 私が不満で、将来が不安で、たまらなかったのでしょう。ねずみ講に手を出したり、自己啓発セミナーに心酔する事で、不満や不安を振り払いたかったのでしょう。何故そんな事をするのかその時は分かりませんでしたが、原因はやはり私でした。いちばん振り払いたかったのは私の存在だったでしょう。

 あなたは心根も優しく、一緒にいて楽しい人で、笑いのツボは合っていましたが、家事と防犯、清潔に対する価値観と生活のリズムが違いました。

 あなたが家事を全部私に押し付け、いつ見ても座椅子の形通りに座ってテレビばかり見ている(そこは父に似ていました)のはやはり嫌でしたし、玄関の鍵や部屋の窓を開けたまま外出するのも信じられませんでした。

「うちの実家では鍵なんか掛けないんだよ。閉め切ったらこもるから、窓は開けたままでいいんだよ。すぐそこの工事現場の人たちが見張っていてくれるから大丈夫だよ」

という考え方も信じられませんでした。

 私は中学生の時に家に泥棒に入られた経験があり、人より神経質だったかも知れませんが、それにしても窓から見える工事現場の人たちがうちを見張ってくれているとは思えず、むしろあの家は開けっ放しだと思われて、その人たちが泥棒に入る動機を作りそうで、何回注意しても改めてくれず、ヘラヘラ笑って取り合ってくれないあなたには本当に困っていました。

 朝から晩まで仕事をし、帰ってからも家事でいっときも休む間のない私に「家事は女の仕事」と決めつけ、電話が鳴っても取ってもくれず、家事を中断して電話に出た私が

「電話だよ」

と言っても、テレビの前の座椅子から1ミリとも動こうとせず、ただ手を伸ばして「自分の手に受話器を持たせろ」と言わんばかりの態度も嫌でした。

「私忙しいのに、電話くらい出てよ」

と言っても

「この時間にかかってくるのマリだから」

と言い訳をし、

「実際違ったじゃない」

と言っても

「でも、マリは金をたいして出していないから、その分家事を完璧にやって俺に返してくれたっていいじゃないか」

と口の中でもごもご言うのも、話題を変えようと

「今日のご飯、何?何作ってくれんの?」

と「作ってもらって当たり前」という態度を貫くのも、食事の「直後」に

「何かおいしいもの食べたいね」

と不味かったと言わんばかりに言うのも、苛立つ原因でした。

 私が仕事で、あなたが休みの時、帰宅すると必ず

「頭、痛い」

と言いながら、散らかった部屋でただ寝ていられるのも嫌でした。おそらくあなたは偏頭痛があったのでしょうが、家事をやりたくないが為の仮病だろうと思っていましたし、雨が降っても洗濯物を取り込んでくれないのにも苛立っていました。

「あ、気が付かなかった」

と毎回言い、干す手間と取り込んで畳んでしまう手間をまったく考えず、

「もう1回洗えばいいじゃないか。洗濯機に放り込めばいいだろう」

と平気で言い、家事の大変さを分かってくれないあなたに心が煮えくり返っていました。

 一度だけあなたが自分から洗濯物を取り込み、畳んでしまってくれた事がありましたね。帰宅後、それになかなか気が付かない私に、気付けとばかりに視線を送り、さも大変だったとばかりに、ハーハーため息をつき、こう言いましたね。

「洗濯物、取り込んで、畳んで、しまう所までやっておいてあげたよ」

 そこでやっと気づき、喜んで何度もお礼を言う私に急に顔を曇らせ

「今日は、たまたまやったけど、でも、またやってもらえると思って期待しないで」

と、家事は本来私の仕事で、自分が手伝うのは稀な事なんだと主張したげなのも、困りました。何より私に家事を期待しておいて、自分には期待するなとは何事か、と怒り心頭してしまい、あなたの言葉を借りれば「取り付くしまもない怒り方」をしてしまいました。

 当時、あるテレビコマーシャルが世間の批判を浴びていました。男性と女性がカメラに向かい

「私、作る人」

と女性が言い

「僕、食べる人」

と男性が言うもので、専門家や解説員が、男尊女卑だのこれからはそういう時代ではない等言っていましたが、あなたはまさにそのタイプで、私は家事をする人、自分はしてもらう人、と決め込み、私がどんなに疲れたと訴えても、まったく何も手伝ってくれませんでした。

「俺は男子厨房に入るべからず、で育ったんだよ」

と言い続け、お湯ひとつ沸かそうとしませんでしたね。

 仕事でクタクタに疲れてアパートへ帰り着き、給料日前でお金がなかったのであるもので済ませようと、残った野菜でカレーを作り、スパゲッティを茹で、出来上がったカレーをかけて食べ終えた所であなたが帰って来た時の事。

「スパゲッティだから作り置きしておく訳にいかなかった。カレーは出来ているからスパゲッティだけ自分で茹でてカレーかけて食べてくれる?」

と言った所、さも大儀そうにお皿にカレーだけよそい、コップに氷水を入れて「疲れて帰って来て、どうしてこんなもの食べさせられなきゃいけないんだ」と言わんばかりの顔で不味そうに食べ始めたあなたに

「スパゲッティ茹でるくらい何でもないでしょう?それくらいやってくれてもいいじゃない。飲み物だって、私には毎回お茶淹れろって言うくせに自分がやるとなったら氷水飲むなんて、あまりにも酷いと思うよ、私には手抜きを許さず、給料日前でも完璧な食事を作れって言わんばかり。いい加減にしてよ」

と言っても、いつものごとく

「だから俺は男子厨房に入るべからず、で育ったから」

と言うばかり。

「だったら掃除と洗濯、ごみ捨ては出来る筈」

と私が涙ながらに訴えても

「でも、俺の方がたくさん払ってるから」

と毎回口の中でもごもご言い、まったく進展しない日々にも、いくら掃除しても泥棒が入った後のように部屋を散らかすのにも、支払いのもとを取ろうとばかりに次々に家事を命じられるのにもうんざりでした。男子厨房に入らずと言われて育ったからやりたくないのではなく、やりたくないからそう言っているだけなんだろうと思っていました。

 はっきりと言った事はなかったけれど、どうしてそんなに家事が下手なんだろう、どうしてそんなに時間がかかるんだろう、どうしてそんなに上達しないんだろう、どうして俺が好きな料理がひとつも出来ないんだろう、と言わんばかりで、あなたも業を煮やしていましたね。

 手伝わないくせに、と苛立ち

「私あなたの気持ち分かるわ。自分が滅茶苦茶に汚した所がいつのまにかきれいになっていたら気分良いもんね」

と嫌味を言ってしまった私。

「仕事で疲れて帰って、ご飯をおいしく食べたい。俺の願いはそれだけだ。聞いてくれたっていいじゃないか」

というのがあなたの言い分でしたが、その願いを叶える為に凄まじい苦労をしている私をねぎらってくれた事は一度もなく、当たり前と思い続け、家事を終えやっと座った途端に

「お茶淹れて」

と言うのも「座るな」と言われているようで切れそうでした(そこは母に似ていました)。淹れたての熱いお茶をかけてやりたい衝動に何度もかられ、ぐっと堪えていました。

 わざとではないのでしょうが、みそ汁やお茶をしょっちゅうこぼし、そのたびに

「あ」

と言って、拭けと言わんばかりに、にやにやと私の顔を見ていられるのも嫌でした。なんて手のかかる人だろう、なんて厄介な人だろうと、どんどん疎ましくなっていきました。何回拭いても汚すあなたに辟易し、拭かなかったらどうなるんだろうと拭かずにいたら

「前は拭いてくれたじゃないか。どうして今は拭かないんだよ」

と口の中でもごもご言われるのも、うっとうしくてたまりませんでした。

 料理を手伝うくらいならご飯なんか食べない。俺に食事して欲しければきちんと料理しろ。洗濯を手伝うくらいなら着替えない。俺に着替えて欲しければ洗濯しろ。ごみ捨てや掃除を手伝うくらいなら散らかった部屋にいる。俺にきれいな部屋に住んで欲しければごみを捨てて掃除しろ。

 俺が好きならそうしろ、愛があるなら出来る筈。俺はお前の為に夢を捨ててやった。だから感謝しろ。恩に着ろ。恩に報いたければ尽くせ。…と常に言葉や態度や目つきの端々に表わしてこられるのも、うんざりでした。

 一緒に出掛けたら出掛けたで、毎回レコード店や楽器店で何時間でも店員と話し込み、退屈している私を放置し続けて平気でいるのも信じられませんでした。文句を言っても聞き流すばかりで、あなたと出掛けてもまたどうせ長時間放っておかれるのだろうと思うと苦痛で少しも楽しくありませんでした。ひとりで行って欲しかったです。

 どんな料理を何度作っても、箸でお皿を叩きながらこう言っていましたね。

「俺、こういうの、好きじゃないじゃん」

 箸でお皿を叩くとは、なんて失礼な人だろう、全部やってもらっておきながら文句を言うとは、なんて傲慢な人だろうと思っていました。

「じゃあどんなのが好きなの?」

と聞いても「考えろ」と言いたげな顔で私の顔をじっと見るばかりで、きちんと言ってくれた事は一度もなく、じれったくなった私が切れたら切れたで

「昨日、今日の付き合いじゃないんだから」

お茶を濁すのにうんざりでした。

 またどんなに味付けをしても

「なんの味もしない」

と言い続け、ソースひとつ、ドレッシングひとつ、自分でかけようとせず、何の努力もせず、ただ文句を言い続けるあなたがどんどん嫌になっていきました。しまいにやけになった私が醤油さしの醤油を全部かけた時、ただ絶句していましたね。食べられなくしてしまい、ごめんなさい。

 ただ文句を言ったり否定をするのではなく「代替案」を出して欲しかったのです。あなたは私の出す料理を全部否定し続ければ、いつか自分が好きなものにいきつくだろう、と思っていたんでしょうね。そしていつまで経ってもそこにいきつかない私に腹を立てていましたね。あれも駄目、これも駄目と言われ、本当にどうすればいいか分かりませんでした。

 私が料理をしている間、いつも炬燵の中で居眠りをし、

「ご飯出来たよ」

と声を掛けると、むっくり起き上がり、並んだ料理を見て必ず気落ちしたような顔をしてみせ、それから仕方なさそうに食べていましたね。

「そうやってご飯はパクパク食べるじゃない。家事もテキパキやれば?」

と苛立って言った私に唖然としていましたね。厭味ったらしくてごめんなさい。

 また水を飲む時に、必ず喉をぐびぐび鳴らしながら飲むのも嫌でした。

「そのぐびぐび言うの気持ち悪いからやめてよ」

と言った私にまた唖然としていたあなた。ご飯も食べられないのか、水も飲めないのか、と言いたげでしたね。うるさい私で悪かったです。

 苦しい生活の中、年に一度旅行へ連れて行ってくれて有難う。ただ恩着せがましく

「こうして年に一度は旅行へ行けて、良い生活させてやっているだろう。だからマリも俺の喜ぶ事をやれよ。完璧な家事しろよ」

と、もごもご言われるのは、やはりたまったものではありませんでした。旅行もいいけど、それより毎日の家事を分かち合ってくれる方が嬉しかったのです。

「俺が手伝ったらマリは家事うまくならないだろう、だから俺、あえて手を出さないようにしているんだ」

と言うのがあなたの言い分でしたが、それはただの屁理屈でしかなく、仕事と家事でクタクタの私がやっと寝ようとしても、部屋の電気を点けっぱなしで本を読み、その上耳元で音楽をガンガン鳴らされるのも、眠れなくて本当に困りました。

「俺の親父がそうだったから。俺はそうしないと眠れない」

と言って、私が仕事中に気絶しそうになるほどの睡魔に襲われるから、せめて家で夜しっかり眠りたいのだと何度言ってもやめてくれませんでしたし、家事をひとりで全部やるのは大変だから分担してくれと何度話し合いを試みても

「その話、また今度にしない?」

と、やはり取り合ってくれませんでした。その「今度」は絶対にありませんでしたし。

「自分の時間なんて1秒も持てない。少しは気づかって。私は煙草吸う暇さえないよ。吸う時、開いた手で片づけ物しているくらいだよ」

と訴えても

「そこまでして煙草吸う事ないだろう。家事はやり方工夫すればいいだろう。そうすればもっと睡眠時間も取れるし自分の時間も持てるだろう。工夫しろよ、工夫」

と言うばかりで、いつまでたっても何も協力せず、自分は何も工夫もせず、ゆったりと煙草を吸い続け、家事を頼もうとすると、敏感にそれを察知し

「俺、マリが家事をやっている姿が好きなんだ」

と遮るように言ったり、例え頼んだとしても

「後でいいでしょ?あはははははは」

とテレビを見てわざとらしく楽し気に笑って見せ「俺は今テレビを楽しんでいる。用事を言いつけたら申し訳ないと思え」と言わんばかりの姿も見たくありませんでしたし、家の中で常にバタバタ働く私の横で、いつ見てもだらだら過ごしながら

「よく働くね、少し休めば?」

と言うのも信じられませんでした。

「休んでいたら家事が終わらないじゃない。寝るのが遅くなるから結局同じじゃない」

と言えば

「気づかってやってるのに」

と、また口の中でもごもご。

「そんな事を言うなら手伝えば?」

と言えば、言わなきゃ良かったという顔をしていました。それでいて少しでも座ろうものなら

「麦茶、もうないよ。作っといて」

だの

「タオル足りない!洗濯!」

という声が飛んできましたし、私が高熱を出した時でさえ

「大丈夫?心配だよ」

と口では言いながら、心の中では「早く起きて家事をやれ」と思っているのもミエミエで(そこも父に似ていました)、病気になっても家事をしなくてはいけないのか、と情けなかったです。 しんどくて寝ている私の鼻をつまみ、息が出来ず苦しがるのを面白がっていた事もありましたし、それでいて自分が体調を崩し、私が看病しながら

「大丈夫?」

と聞けば、必ず

「駄目」

と即答していましたね。何もしたくない、出来ない、だから何も頼むなという事だろう。甘えているんだろうと思っていました。そこも父にそっくりでした。

 あの頃私の朝は、あなたの鞄から「腐った弁当箱」を取り出す事から始まっていました。あなたはいくら言っても弁当箱を出してくれず、鞄の中で腐り、朝まで放置し平気でした。

 それだけでなく、台所には帰宅時間の遅いあなたが使った前夜の汚れた食器が放ってあり、酷い悪臭が充満し、朝から腐った臭いを嗅ぐのは耐えられず、きれいに洗った弁当箱に、作った料理を詰めながら、私はこの家の何なのかな、女中かなと思っていました。

 温かい弁当をすぐに包むと腐りやすいので、作った昼用の弁当と夕方用のおにぎり二つの横にバンダナを置いておいただけで文句を言いましたね。

「どうして包んでくれないんだよ。こんなの30秒じゃないか、どうして俺が包まなきゃいけないんだよ」

 自分で包んでも30秒なのに、指一本動かしたくないのか、と不満でした。

「腐ると困るから」

と、理由を説明しても

「でも、ちゃんとやって欲しいんだよ。ちゃんと」

と苛立ちながら言ったり、仕事から帰って来た途端に

「今日、箸が入ってなかったし、肉もよく焼けていなかったし味付けもイマイチだったよ」

と文句。私が洗濯物を干していれば

「干し方、変えてよ。マリの干し方嫌いなんだよ」

と文句、料理をしていれば

「今日なあに?えっまた魚?もう飽きたあ」

と文句、

「ほらあ埃たまってるよ。掃除機かけて。俺、風呂に入りたいのに、風呂掃除も、まだあ?」

と声を荒げて文句ばかり。耳をふさぎたい毎日でした。

 自分の友達を大勢連れてきて、部屋を散らかし放題にした時も、その後片付けを私にさせましたね。

「遊んだ方が片付けないで、遊んでいない私がどうして片付けなきゃいけないのよ。少しは手伝ったら?」

と言っても

「でも、招いた方が片付けるって暗黙のルールがあるんだよ」

ともごもご言い、苦労して片付ける私をただ突っ立って見ているのも嫌でした。招いていない私に後片付けを押し付け、遊んだあなたが何故何もしないのか、面倒な事を全部私に押し付け、いつ見ても暇そうに煙草を吸いながらテレビを見ているなら、家事くらいやればいいだろうと思い、何か頼めば情けなさそうにこう言いましたね。

「俺、はっきり言って動けないくらい疲れているんだ」

 煙草を吸い過ぎるから、血流が悪くなって動けないんだろうと思っていました。それでいて仕事に遅刻しそうになりながら、これ見よがしにやってみせる時もありました。

「遅刻しそうなんでしょ、早く行きなよ。やって欲しい時にやらず、やらなくていいって言ってる時に何でやるのよ」

と切れる私の顔色を見ながら玄関に立ち尽くしていましたね。あなたはとにかく私をイライラさせる人でした。そしてそれは、一緒に暮らさなければ分からない事ばかりでした。

「どうして俺の喜ぶ事しないんだよ。家事くらい簡単だろう。料理だって簡単だろう。やればすぐ出来るだろう?やろうとしないだけだろう?」

 それがあなたの言い分でしたが、家事を全部やっている以上、あなたと私は対等な筈でしたが、あなたはそれを遂に理解してくれませんでした。

 家事が10対0なら、いっそ支払いもそうして欲しかったのです。支払いが7対3なら家事も3対7にして欲しいと言っても、支払いを多くしている自分が上、支払いが少ない私が下、支払いするのは偉大な事、家事は金にならないし意味もない、魔法のようにさっとやれて当たり前な事、と決めつけ、支払いのもとを取ろうと家事を全部押し付け、威張ってばかりでした。

 それでいて友達の彼女の事を

「あいつの彼女、お嬢様育ちだから家事は一切出来なくて、梨ひとつ剥けないんだって。お嬢様だから。お嬢様だから。おっじょうううさまだから」

とさも羨ましそうに言っていましたね。あなたの為に休みなく家事をし、懸命に尽くしている私をないがしろにして、家事のまったく出来ない友達の彼女を羨ましがるとは何事か、と怒り心頭し

「その人の家、お手伝いさんいるの?いないよね?それにその人のお兄さん、やくざだよね?やくざの妹がお嬢様なの?」

と詰問したり

「本物のお嬢様なら、しかるべき大学出て、親のコネで大企業に就職する筈でしょう。どうして高卒でその辺の洋服屋で働くのよ。おかしいじゃない」

などと責め立ててしまいました。

 私はいつも親に拷問のように責め立てられるのがつらかったのに、あなたを拷問して苦しめてしまいました。私の前で他の女性を褒めないで、きちんと私を見て、私を褒めて、私を評価して欲しかったのです。

「俺はどうすればマリが喜ぶかいつも考えているよ」

と言ってくれるあなたに

「家事をして欲しい。それがいちばん嬉しい」

と答えると

「それだけは…」

と、また口ごもり

「何か買って欲しいとか思っていない。家事をやって欲しい」

と言っても

「だから、俺は台所に入ろうものなら、親戚のおばさんとかに、あなたは男の子だから台所に入っちゃいけないよって注意されるような、そんな育ち方をしたんだよ」

と「素晴らしい育ち方」をひけらかすばかりでした。

 仕事と家事に疲れ果て、この状況を何とかしたいと願い、嘆願書を書くつもりで切々と書き綴った家事を分担してくれという手紙と、家事分担表を作った私にこう言いましたね。

「こんなもの書く暇あったら、さっさとやればいいだろう」

 ああ嘆願書さえ受け付けてもらえないのか、ともっと落胆し、こんな人の為に一生懸命やる事はないと思ってしまいました。ただあなたも、こんな私に尽くす事はない、こんな女に操を立てる事もないと思ったでしょうね。

 外で彼女と会って帰って来た日は妙に優しかったし、望みもしない洋服を買ってくれたりしました。やましくて、そしていちばんつらかったのはあなただったのでしょう。そして「俺はお前が想像もしないような事を外でしてきたんだぜ」と言いたげな顔もしていました。

 同い年でありながら「どう?俺って母性本能くすぐるでしょ?」と言いたげなあなたが段々疎ましくなり、どんどん粗末にするようになった私にこんな警告をしましたね。

「仮に、仮にだよ。俺に新しい出会いがあったとして、その人に俺を取られたらどうするの?」

 もう俺はひとりじゃないんだ。お前にはライバルがいるんだ。俺は今にもその人を選びそうなんだ、そうされたくなかったら俺を大事にしろ、家事をもっと一生懸命うまくやれ、そうすれば俺はお前を選んでやる、安心せずに危機感を持て、と言いたかったのでしょう。私と外の彼女を勝負させたかったのでしょう。

 ですが疲れ果てていた私は、本心ではなかったのですが、ついこう言ってしまいました。

「どうぞ。あなたみたいな厄介な人いらないわ。もう別れてもいいと思ってるわ」

 あなたは愕然と、ただ突っ立っていましたね。酷い事を言ってごめんなさい。

 矛盾していますが、私はあなたが好きでずっと一緒にいたかったのですが、結婚したら一生これが続く、それは嫌だ、と思っていました。 

 文句ばかり言われる毎日に嫌気が差し、ある時ついこう言ってしまいました。

「じゃあ自分でやればいいじゃない!」

 それは私が母に言われてつらかった言葉でした。なのにあなたに言ってしまった心無い私。

 ただそう言うと必ずあなたは黙り込むので、文句を言われるたびに毎回言うようになりました。しまいにあなたが

「ねえ」

と言っただけで

「じゃあ自分でやればいいじゃない!」

と怒鳴ってしまいました。あなたはきっと

「ねえ、明日一緒にどこかに出かけようか?」

等言おうとしていたのでしょうね。最後まで聞かず、強引に遮り、また文句言うのだと決めつけ声を荒げ、本当にごめんなさい。どんどん会話が成り立たなくなっていきましたね。

「あなたはいくら何をしてやっても無駄なのね!」

と言いながら、あなたの背中を蹴った事もありました。あなたは「そんなに尽くしてくれていないじゃないか」と言いたげな顔をしていましたね。このずっと後、母に同じ事を言われ、背中を蹴られる羽目になりました。自分のやった事が返って来たのでしょうね。

 毎年私の誕生日に靴や洋服を買ってくれて有難う。ただ、あなたの誕生日に洋服や靴など、何をあげても喜んではくれませんでした。さも嬉しくなさそうに

「…わあい…」

と、口だけで取り繕うように言い、全然使ってくれませんでしたし。

「何が欲しいの?」

と聞くと、一瞬言ってもいいの?と言いたげな嬉しそうな顔はしますが、はっきりと言ってくれた事は一度もなく、焦れた私が切れると

「何年付き合ってるんだよ。どうして俺の好きなものが分からないんだよ」

とまた口の中でもごもご、あなたといると本当に気が狂いそうでした。

 あなたは私以上に反論や説明が苦手で、口の中でもごもご言うのが精一杯でしたね。苛立ち、怒鳴りつけ、ひっぱたいたり、蹴ったりしてごめんなさい。狂暴で、年中切れていて、手に負えなかったでしょう。

「これに懲りて二度と文句言うな!」

と怒鳴ってしまいました。それは私が父に言われて嫌だった言葉です。

 あの頃私は暴力を振るったり、拷問のように詰問した後、恥ずかしくなってわざと知らん顔をしたり、つらく当たった穴埋めをしようと変に優しくしたり、ベタベタ甘えたり、キャッキャッとはしゃいだりしていました。どう接していいか分からず心底困っていたでしょう。そんなに優しくしてくれなくても良いから、つらく当たるのをやめてくれと思っていたでしょう。そしてどうすれば私が変わるか、あなたを愛するようになるか、試行錯誤していましたね。どうしようもない私でごめんなさい。

 悪意はなかったのでしょうが、野菜や食器の上で手を洗ったり、部屋やトイレを毎日滅茶苦茶に汚す不衛生さにも耐えられませんでした。

 トイレ掃除した直後にまた汚くなっているのを見てつい激高してしまい、私をなだめようとしたあなたが洗っていない手で私の顔を触った事に、まるで燃え盛るように怒り狂い、

「汚い汚い!大腸菌男!出ていけ、二度と帰って来るな、そんな事するなら死んでしまえ」

と啖呵を切ってしまった時の、あなたの悲しそうな、居たたまれなそうな顔が忘れられません。そのままバイクで出かけ(きっと彼女の所へ行こうとしていたのでしょう)、事故に遭い本当に二度と帰って来なくなってしまいました。

 私はそれ以来、言葉に気を付けるようになりました。言った事が本当になってしまったのですから。

 命尽きるその瞬間、私との楽しい思い出も少しはよぎってくれましたか?

 痛かったでしょう?

 苦しかったでしょう?

 誰かに助けて欲しかったでしょう?

 文字通り言葉通り「死ぬ思い」をしたでしょう?

 あまりにもあなたが可哀想で、あまりにも申し訳なくて、私はまともでいられなくなりました。あっという間に酒浸りになり、借金まみれになり、本当に酷い生活になり、そこから立ち直るのに丸5年かかりました。偶然なのか、あなたと暮らしたのとまったく同じ歳月を費やしました。

 ただあなたと暮らした日々と、別れてからの5年間は、私にたくさんの学びをもたらしてくれました。

 私が今、満ち足りた心持ちでいられ、夫をはじめとする周囲の人に感謝しながら暮らせるのは、あなたが「結婚のリハーサル」をしてくれたお陰です。人と暮らすというのはいかなる事か、予行練習をしてくれて本当に有難う。

 人は皆、使命を持って生まれ、その使命をすべて果たした時に天国へ還ると言いますが、あなたの使命に私の生活を助ける事と、結婚のリハーサルをする事、そこから色々学ぶ事、と言うのがあったのでしょうね。また

「1ケ月くらい働かなくても生活出来るように貯金しておいた方がいい。何かの時にその貯金が自分を助けてくれる」

という言葉も忘れていません。その通りにした結果、私は失業しても余裕を持って次の仕事を探す事が出来、お陰で愛社精神を持って働ける会社に出会えました。

 いつもいつも「その月暮らし」だった私が、自分の人生を長い目で見て行動出来たのです。本当にあなたのお陰ですよ。有難う。

「良い事と悪い事はセットで来るね。俺はマリといて他の人とでは絶対味わえないくらいの楽しさを得られるけど、ひとたびマリが切れると死ぬほどつらい思いをせざるを得ない。このつらさを断ち切ろうとすると、楽しさも手放す事になる」

と、私が暴れた後に涙ながらに言っていた言葉も

「信用されるっていうのは大変さも一緒に連れて来るね。社会的信用がないとクレジットカードも作れないけど、カードを作ったが為に借金を背負う事になる」

と支払いしながら言っていた言葉も、心に留めています。

 天国と地獄をセットで与えてしまってごめんなさい。支払いをさせてしまいごめんなさい。

 家事を嫌う私に、何とかやる気を出して欲しいと願い、近所に出来た新築のアパートに引っ越しをしたり(近所だから通勤が便利になった訳でもなく、広くなった訳でもなく、全然意味がないと思っていました。まして家賃も高くなったし、踏切を2回も渡らなくてはいけなくなり、むしろ不便になり不満でした)、可愛いお皿を買い揃えたり、調理器具やダイニングテーブルを買ったり、報われない努力を重ねていましたね。汲み取れず、この人無駄なお金を使うな、望む事はやらないくせに、望まない事ばかりして、と思いながら知らん顔してしまった、鬼のような私。

 消費者金融から多額の借金をしていたと後から知りました。私のせいで、首が回らなくなる程の借金を抱えさせてしまい、本当に申し訳なかったです。

 お互いどうしたら良いのかさえ分からなくなり、お互いを憎みそうになった時に、そうならないように神様があの事故を起こし、二人を永遠に引き離してくれたのかも知れませんね。

 今はもう、痛くも苦しくもつらくもないでしょう?

 そう言えば、私はあなたが事故死して以降、毎年春先になると精神が乱れていました。どうして人にこんな事を言ってしまうのか、してしまうのか、というようなおかしな言動を繰り返したり、気が狂いそうに苛立ったり、あまりにも何年も何年もそうなるので自分を持て余し、何の精神病だろうと思っていました。

 そしてある時、4月27日のあなたの命日が近づくと調子が狂う、命日が過ぎると症状が治まる、という事に気づき、愕然としたのです。もうひとりの私が、必死に甘え、思い出してくれと訴え、下手なりにバランスを取ろうと、荒れてくれていたのでしょうね。

 それ以来、私は春先になると先回りするように、もうひとりの自分をいたわり、分かっているよと話しかけ、じゅうぶん甘えさせ、優しく守るようになりました。お陰でそれからは精神も乱れなくなり、もうひとりの私も暴れなくなり、落ち着けるようになりました。

 そのもうひとりの私というのは、私の中にいつの間にか入り込んでいたあなたの魂だったのかも知れませんね。もっとあなたをたいせつにすれば良かった。その想いを今、家族に向けています。

 しょうちゃん、空の上で楽しくバンド活動していますか?

 

 正一さんを支えてくれた牧原道子さん。あなたは私という「他の女と暮らしている」正一さんに、懸命に尽くしてくれました。

 家事を放棄した私に代わり、あなたは毎日お弁当を昼用夜用と二つも作り、正一さんの職場まで届けてくれていました。材料費も往復の交通費も、時間も手間も労力も、ばかにならなかったでしょう。

 休みの日は一日中自分のアパートでゴロゴロする正一さんの為に家事をし、私にどんなに酷い目に遭わされているか愚痴を言い続ける正一さんを受け止め、黙って優しくしてあげられたあなたは、本当に立派です。あなたの使命のひとつに正一さんを助け、癒すと言うのがあったのでしょうね。

 あなたは元々「自分の恋人だった正一さん」を私に横取りされたのだから、神様が元に戻すべく正一さんに再会させてくれた。本当の彼女は自分なのに、愛人のような日陰の存在でいるなんて、と不満だった事でしょう。好き放題している私が本妻(未入籍でしたが)で、尽くしている自分が愛人、こんなおかしな話はないだろうと、理不尽な状況に苛立っていたでしょう。私の所に帰って行く正一さんを内心恨んでいた事でしょう。

 ただ道子さん、あなたは賢い人です。私が何年もかかってたどり着いた結論(正一さんは物凄く手のかかる厄介な人である事。説明が出来ず目で訴えるしかない事。言うべき事は言わず、すべき事はせず、言っても仕方ない事ばかり言い、やっても仕方ない事ばかりする上、こちらの望む事はせずに望まない事ばかりして人を苛立たせる事。何かしてもらって当たり前という態度を取る上、自分が何かすると物凄く恩着せがましい態度を取る事)に、あなたはほんの数カ月でたどり着いた事ではないでしょうか?きっとあなたは私の事が憎くて嫌いだったでしょうが、私が正一さんのどこにどうイライラしたのか、何故そこまで暴れたり暴言を吐いたのか、実は共感してくれていた事ではないでしょうか?

 一度、あなたが風邪を引いてお弁当を届けられなかった時がありましたね。その時に正一さんの職場に電話を掛け、今日はお弁当を届けられないと言った時の正一さんの対応に愕然とした事でしょう。

「あ、いい、いい、いい、お弁当なら自分で何とかするから、だからいい、いい、いい」

 もはやお弁当を届けてもらって当たり前、という態度、体調の悪いあなたをいたわる、大丈夫?とか、お大事に、の一言もなく、ただ弁当の事だけしか頭にない正一さんに、自分は宅配業者ではないと心の中で憤慨した事でしょう。自分に懸命に尽くすあなたに、最初のうちは有り難がったものの、すぐに慣れて当然という態度を取るようになった正一さんに「人ってここまですぐに変わるのか、こんな人の為に一生懸命やる事はない」と思ってしまった事ではないでしょうか。私もそう思っていました。

 正一さんが事故死した時に、私以上にショックを受けたでしょう。自分も酷い精神状態だったでしょうに、通夜や葬儀で受付を買って出たそうですね。

 あまりにいじめてしまった為、自分が殺したような気がして錯乱し「ただ逃げた私」に代わって本当に「八面六臂の大活躍」をしてくれたんですね。棺にお花を入れる時に

「これで何かおいしいものでも食べて」

と言いながら現金を五千円入れてあげたと、正一さんの友達から聞きました。あなたの手料理の方がずっとおいしいでしょうに。その時のあなたの張り裂けそうな心情を思うと、私も張り裂けそうになります。

 そしてその後、よく立ち直りましたね。偉いですよ。本当によく頑張りましたね。

 正一さんはきっと、私の前では死ねないけど、道子さんの前でなら死ねる、自分の死を私は受け止めきれないけど、道子さんなら受け止めてくれる、と思っていたのかも知れませんね。

 そして道子さん、違っていたらごめんなさい。まるで私に「殺してでも正一さんをあなたにだけは渡さないよ」と言われているような気がしたのではないでしょうか。精神安定剤を飲みたいくらいつらかったでしょう。悪魔のような私を恨んだでしょう。

 私は道子さんに「間接的にお世話になった」と感謝していますし、あなたにも出来ない我慢をさせてしまったと申し訳なく思っています。

 いつか天国でお会いしましょう。友達にもなりましょう。そしてしょうちゃんって、ああだったね、こうだったねと言って、同じ人を愛した者同士、仲良く笑いさざめきましょう。

 牧原道子さん、本当にお疲れ様でした。

 そして本当に有難うございました。

 

 正一さんの親友で、道子さんの友達でもある本田泰之さん。あなたは昔から細身で顔立ちも整い、不思議なオーラを放った美少年でした。正一さんと同じバンドでボーカルを務め、女の子にも大層モテて、格好良かったですよ。正一さんがどうしていたか、道子さんがどうしていたか、教えてくれて有難う。

 最初あなたは、自分の親友をいじめた私に復讐する目的で近づいたんでしょう。いっとき私と本当に恋人になってしまった、自分も本気になった事は、あなたの大きな誤算だった事でしょう。

 ですが我がまま、勝手、潔癖症、ヒステリック等、私の欠点が露わになるにつれ、本来の目的を思い出したようで、散々いじめてくれましたね。まだ食べ終わっていないラーメンに火のついた煙草を投げ入れて、食べられないようにした上、唖然とする私を嗤っていた事もありましたし。ただ私も正一さんに、なんの味もしない、と言われる事に苛立ち、作った料理に醤油を滅茶苦茶にかけて正一さんが食べられないようにした事があります。それが返って来たのかも知れませんね。そしてあの後あなたも誰かに、食べかけのものを食べられないようにされたのかも知れませんね。

 あなたは私が何度歩み寄っても、罵詈雑言を浴びせました。ただ私も、何度も歩み寄ってくれる母に罵詈雑言を浴びせました。それが返って来たんでしょうね。あなたにいじめられ、つらくて泣いている私に

「正一の墓の前で自殺しろ!」

と言った事さえありましたね。いいんですよ。私も正一さんに死んでしまえと言ってしまいましたから。自分の言動は、巡り巡って必ず返って来るんですね。

 私はあなたに滅茶苦茶にいじめられながら、正一さんもこんな気持ちだったんだろう、これはすべて私が正一さんにやったのと同じ事だ、と必死に耐えていました。正一さんが私のいじめに耐えてくれたように。出来ない我慢をする事で、知らず知らずに大きな業を落としていたような気がします。

 その頃、私はあなたに対し「この人が私を愛してくれれば。愛してさえくれれば」と思っていました。幼い頃、自分の親に対してそう思っていたように。

 そしていつまでたっても愛してくれず、尽くしても尽くしても応えてくれないあなたに苛立っていました。正一さんのように。私も精神安定剤を飲みたかったです。

「急に居なくならないでね」

 私はあなたに何度もそう言いました。今にも消えそうで、心もとなく、大事に思ってもらえていないのがありありと分かっていましたから。ですが、正一さんも私にまったく同じ事を何度も言っていました。こんな気持ちだったんですね。

 いじめ抜き、復讐を果たし、泣きすがる私を無残に捨て、良い気持ちでしたか?決してそんな事はなかったでしょう。  

 きっとあなたは、正一さんが私のどこを好きだったかよく分かったとも言ってくれましたが、どこに耐えられなかったかもよく分かった事でしょう。うまくいっていた時は、私を可愛いとか純粋とか言ってくれて嬉しかったですよ。付き合い始めて間もない頃、

「私、やっちゃんとだったらうまくいくような気がする。きちんと向き合いたい」

と言った私に

「俺もそう思う。マリとならうまくいくと…。ただ、きちんと向き合いたいなら水商売辞めろよな」

とも言ってくれたし(それがいちばん嬉しい言葉でした)、お揃いの指輪も買ってくれたし、ずっと一緒と約束してくれたし、正一さんがまずいと言い続けた私の料理を、あなたはおいしいと喜んで食べてくれたし、良い思い出もたくさんありますよ。一度だけ、発熱した私に卵粥を作って食べさせてくれた事がありましたね。嬉しかったですよ。おいしかったし。

 もっとあなたにたいせつにされたかった。ただ、今は夫からたいせつにしてもらえています。

 おそらくあなたは「復讐などしても何にもならない。虚しいだけだ」と私から学んでくれたのではないでしょうか。あなたの使命のひとつはそれを学ぶ事だったかも知れませんね。

 そして私はあなたから「好きな人が他の女性の所へ帰って行くほどさびしい事はないし、不倫ほど虚しい恋はない」と学びました。

 正一さんが生きていた頃、まだそんな関係でなかった私とあなたと、あなたと長年同棲している山村冴子さんと、4人で出かけたり、ホームパーティーをしたり、狭い部屋で4人並んで押し合いへし合いしながら寝たりしましたね。楽しかったですよ。あの頃、まさかあなたが私の相手をしてくれるとは思っていませんでした。

 冴子さんと私は二人でコンサートへ行ったり、食事に行ったり、買い物したり、友達付き合いもしました。その友達を裏切り、悲しむような事をして、冴子さんには本当に申し訳なかったです。

 あなたは私の前でどんなに凄まじい冴子さんの悪口を言っても、それでも冴子さんの所へ帰って行きました。私の使命のひとつにあなたを癒す事があったのでしょうね。

 ただおそらく正一さんも牧原道子さんの前で、どんなに凄まじい私の悪口を言っても、それでも私の所へ帰って来ていたのでしょう。道子さんの虚しさや切なさが骨身に堪えて分かります。そして冴子さんの惨めさも、どう接すれば良かったか分からずに困惑していた気持ちも分かります。

「俺は昔、散々悪い事したんだ。クスリもやったし、人も騙したし、女も泣かせた。冴子に会った時に、この辺で償っておかないとって思ったんだ。我がままで勝手で家事も出来ず稼ぎも悪いあいつと暮らしている理由はそれだけだ」

とも言っていましたし。「償い」なんて、あなたのような人でもそんな事を考えるのかと意外でした。と同時に冴子さんの欠点(家事が下手とか我がまま等)はそのまま私の欠点でした。つまり冴子さんと私はよく似ていたと言えます。

 私は昔、あなたがステージに立ち、歌っている姿を見てから、ずっとファンだったんです。なのでそのあなたが復讐目的でも何でも、私を相手にしてくれるようになった時、まるでずっと好きだったスターが自分と恋人になってくれたような気がして、舞い上がってしまいました。自分を特別だと勘違いしました。

 あなたは一緒に歩いていると、他の女の子が振り返って見るくらい格好良くて、私の言う冗談に明るく笑ってくれて、好きなテレビドラマも同じだったし、一緒にいて楽しくて、ときめきも止まらず、あなたと付き合った1年間は、本当に夢のようでした。

「あいつとは別れるから、だからマリ、待っててね」

 私の目を見て言ってくれた、あなたの言葉を信じました。あなたが本当に好きだったから、だから信じられました。一緒に暮らすようになったらああしよう、こうしようと、胸を躍らせながら夢を描き、指折り数えるようにその日を待ちわびていました。

 そして遂に、あなたと冴子さんを別れさせた時、私は勝ったと思いました。

 あなたと恋に堕ち、滅茶苦茶に好きになり、私は狂いました。かつて正一さんが私に恋して狂ったように。

 そして私を愛してくれないあなたが、どうすれば愛するようになってくれるか、穏やかになってくれるかと、試行錯誤していました。正一さんのように。

 あなたはどこも掴みどころのない人で、掴んでも掴んでも、今度こそ捕まえたと思っても思っても、するりと私の手から抜け落ちる異星人のような人でした。多分、正一さんにとって、私はそういう存在だったのでしょう。

 お互い疲れ果て、お互いを憎みそうになった時に、そうならないように神様が二人を引き離してくれたのかも知れませんね。ただ生かしておいてくれて、有り難い限りです。

 あなたは私と別れた後、冴子さんと結婚したそうですね。正一さんのお母さんから聞きました。道子さんが結婚して子どもを生んだ事も、正一さんの妹さんが結婚して妊娠した事もその時に聞きました。

 きっと正一さんのお母さんは「ひとりぼっちはあなただけよ、自分の人生のこれからをきちんと考えなさい。もう目を醒ましなさい」と言いたかったのでしょう。正一さんのお父さんも私にわざと冷たくし、桜井家に来られないようにしました。…というか、してくれました。29歳になっていた私を案じてくれたのでしょう。 

 私はそれ以来、正一さんの実家に行くのもお墓参りも電話もやめました。何より死んでしまった正一さんに依存するのをやめました。

 私は祖母の死に依存し続ける母が疎ましかったのですが、自分が恋人の死に依存する悲劇のヒロインになっていた気がします。

 今度こそ前を向こうと決意し、小学生以来ずっと下を向いて歩くのが癖でしたが、顔を上げ、前を見て、胸を張り歩くようになれました。ずっと疎遠だった自分の親とも連絡を取り合うようにもなれました。お陰様であらゆる事から立ち直れたのです。

 桜井正一さん、今は石井道子さん、本田泰之さん、そして今は本田冴子さん、私を心配してくれた正一さんのお父さん、桜井保さん、お母さんである桜井和子さん、妹の、今は町田明美さん、皆さんから学んだ事は本当にかけがえのない事ばかりで、今の私の支えにも糧にもなっています。本当に有難う。有難う。有難うございました。

 保さん、和子さん、明美さん、たいせつな家族を失い、耐えられなかったでしょう。それ以上悲しい事などなかったでしょう。正一さんの死後、1年以上経ってからのこのこ現れた私をよく突っぱねずにいてくれましたね。

 やっちゃん、かけがえのない親友を失い、つらかったでしょう。しょうちゃんをいじめた私を許せなかったでしょう。もうひとつ、実のお父さんが暴力団員というのも耐えられなかったでしょう。もしあなたと結婚していたらやくざと親戚になってしまった所でした。

 道子さん、守ろうとした恋人を失い、無念だったでしょう。あなたも私を許せなかったでしょうし、しょうちゃんと再会する前に水商売をしていて、客であるおじさんの愛人をしていたのも本当は嫌だったでしょう。ましてそのおじさんに

「君、俺との事は誰にも言わない方が良いよ。君もいつか誰かと結婚するんだろうけど、自分の妻が妻子持ちに何年も抱かれていたカスだなんて知ったら旦那さんショックを受けるからね」

と別れ際に言われ、カスとは何事かと、怒り心頭した事でしょう。

 冴子さん、恋人を友達である私に横取りされ、腹が立ったでしょう。勿論あなたも私を許せなかったでしょうし、出来ない我慢をしていたでしょう。あなたのお兄さんが暴力団員だと聞いた時、やっちゃんと見えない糸で結ばれていたような不思議な縁を感じました。

 あなたについて忘れられないのが、しょうちゃんがやっちゃんにアリバイを頼み(もし私から電話がかかってきたら買い物に行った等言ってくれと)、私と道子さんの間を行ったり来たりしている時に

「マリさんと道子さん、どっちがひとりにしておくと危ないと思っているの?」

とやっちゃんに言っていたという事です。

 あなたは私を友達と思って、愛情を込めて見守ってくれていたのに、裏切り、深く傷つけてしまい、本当にごめんなさい。やっちゃんが私なんかより、あなたを選んだ気持ちが分かります。

 ただ、私はひとりでも大丈夫になったら結婚出来ました。冴子さん、心配してくれて、思いやりを持ってくれて、出来ない我慢を散々してくれて、本当に有難う。

 

 今は、皆さんの幸せを願ってやみませんし、感謝する心もやみません。

 突き放してくれて有難うございました。

 無下に捨ててくれて有難うございました。

 お陰様で今があります。

 皆さん、教えてくれて、勉強させてくれて、

 短期間と言えども私と共に過ごしてくれて、

 私の人生に彩り豊かな思い出を作ってくれて、

 心から、心から、心から有難うございました。

 

 みんな、みんな、たまらなかったろう。

 私もたまらなかったが、何もないように見えるみんなも、本当にたまらなかっただろう。

 みんな、よく生きてきた。よく死ななかった。よく頑張った。そう褒めたい人たちばかりだった。何も事情のない人などひとりもいなかった。

 そしてみんな、もうひとりの自分だったような気がする。

 

 私がホスト遊びにはまらず、借金を抱えても300万円程度で済んだのは、カナエさんのお陰かも知れない。

 私の夫が9歳年下でもしっかりしているのは、カナエさんの相手になったホストのお陰なのだろう。

 私がナイトクラブで働く事はあっても、風俗で働かずに済んだのは、ヨウコとヤスエの弟のお陰だ。

 私がどんなに貧乏になっても、アダルトビデオに出ないでいられたのは、クミコの妹のお陰。

 私がヤクザな道に進まないで済んだのは、班目孝彦さん、フサエのお兄さん、本田泰之さんのお父さん、冴子さんのお兄さんのお陰。

 私がお酒に溺れる事はあっても薬物に手を出さなかったのは、アユミとフサエの彼のお陰。

 私が中絶した事がないのは、ヨウコとクミコとチカコのお陰。

 私が実父に凌辱されずに済んだのは、ヤスエのお陰。

 私が誰にも裸の写真を撮られず、脅迫されなかったのは、ノリコのお陰。

 私がどんなに腹が立っても人を刺さずに済んだのは、キミコのお陰。

 私が父母や男性に暴力を振るわれても、耳の鼓膜を守れたのは、チカコのお陰。

 私が結婚出来たのは、小椋純子さんのお陰。

 私の姉が何があっても生きているのは、タカエのお姉さんのお陰。

 私の父や夫が浮気をしないのは、アサコのお父さんのお陰。

 私の子どもが健康に生まれたのは、フサエの子どものお陰。

 私自身が健康に生まれ、元気に生きられるのは、マユミと、タカエの親御さんのお陰。

 私が髪を滅茶苦茶に切られず、体に入れ墨もなく、フィリピン人を見ても平静でいられるのはミナコのお陰。

 私が好きな事を職業に出来たのは、尼の中井さんのお陰。

 私がどんなに言葉を直されても寡黙児にならずにいられたのは、ナツミちゃんのお陰。

 私の両親が離婚しなかったのは、木本信一君の親御さんのお陰。

 私が光の園以外で監禁された事がなく、水商売を辞められたのは、マチコのお陰。もうひとつ、マチコは私の代わりに今なお水商売を続けてくれているのかも知れない。

 私が事故に遭っても軽症で済んだのは、アユミの彼と、桜井正一さんのお陰。そして牧原道子さんは、私の代わりに正一さんの死を受け止めてくれた。

 みんな、私の代わりにそうしてくれたのだ。

 私がぎりぎり「取り返しのつく状態」でいられたのは、みんなが代わってくれたお陰だ。

 本当にお陰様です。

 本当に大変な思いをさせて済みませんでした。

 本当に有難うございました。

 

 人はみな、何かしら重い荷物を抱えている。何もなさそうに見えても、よく聞くと重くつらい荷物をいくつもいくつも…。

 そう、私も重くつらい荷物をいくつも抱えていた。誰も理解してくれなかったが。

 光の園のみんなだけは、マチコ以外に誰も信じてくれなかった私の話を熱心に聞き、信じてくれた。だから私もみんなの話を熱心に聞き、信じられないような話でも、ただただ信じた。

 若ければ若いほど、女であればあるほど、器量が良ければ良いほど、無知で経験値が浅いほど、純粋であるほど、悪い人に狙われる可能性や誰かに妬まれる確率は高くなる。だから相手が若くて綺麗だから、何もつらい思いをした事はないだろうと思うのは間違っている。その人は、どんなに若くても、例え子どもで、重い荷物を背負っている。そう、誰も、彼も、彼女も、どんな人も…。死ぬほど重く、つらい荷物を抱えているものだ。

 だからこそ、絶対に人の人生を軽んじてはならない。平凡な人生を送っている人などひとりもいない。

 そして、最後と言うのは後から思うものだ。あの人と会うのは、あれが最後だった。あの人が私に優しくしてくれるのは、あれが最後だったんだ。あの仕事が最後だったんだ。あそこへ行くのはあれが最後だったんだ。

 そう、「これが最後かも知れない」と思えば、どんな人も、どんな仕事も、絶対に粗末にすることは出来ない。「明日、何かでその人たちやその仕事と永久に別れるかも知れない」のだから。家族でさえ。

 

 そういえば私は子どもの頃に、学校で色々な科目がある事を不思議に思っていた。

 何故、国語や算数、理科、社会、歴史、体操や道徳を学ぶんだろう。何故方程式など覚えるのだろう。何故粘土や絵画や料理をするんだろう。何故読書感想文や詩を書いたりするんだろう。何故歌を歌ったり楽器を演奏するんだろう。何故生徒会の役員を決める選挙などやるのだろう。何の役に立つんだろうと心底分からなかった。

 だが大人になった今なら心底よく分かる。

 それはその人が将来どんな仕事をするか分からないから、その人にどんな才能があるか分からないから、それを開花させる為に、合う職業に出会う為に、幼少期のうちに色々な経験をさせてくれる場所、社会で通用する為に学ぶ、覚える訓練をする、それこそが学校の役目なのだとよく分かった。よくよく腑に落ちた。

 また、母が毛嫌いしていた漫画も決して悪くはない。私はフランス革命を、漫画のベルサイユのばらで学んだし、歴史に関心も持った。 

 

 どんな職業も「世の中に必要」であるが為に存在している。世の中に馬鹿にしていい職業などひとつもない。ヨウコやヤスエの弟が働いていた風俗業界も、決して馬鹿にしてはいけない。「一般の女性を、性犯罪から守ってくれている」のだから。

 父はそうでもなかったが、母は人の学歴や職業しか見ない人だった為、私が美容師になっていたと知った時、いちばん大変な仕事だの、社会的信用が低い等、散々言った。

 そして母は私が転職するたびにこう言った。

「それは、いちばん大変な仕事よ」

 世の中にいちばん大変な仕事は随分たくさんあるんだなと、呆れた。大人になってから

定時制高校や通信制高校も、卒業すればきちんと高卒として認可されるよ」

と話した事があったが、

「でも、そう思うじゃない」

と、昔窓を開けたままシャワーを浴びたと決めつけた時と、まったく同じ答えが返って来てがっかりした。母はどこまで行っても分からない人だった。

 また母は、私のいとこで、なっちゃんとよしこちゃんという姉妹が親のコネでスチュワーデスになった時(本人たちも優秀だったのだろうが)、旅行先の空港でスチュワーデスを見るなり、さも羨ましそうにこう言った。

なっちゃんとよしこちゃんもこうなるのよ」

 私は聞き流した。母は私が小学生の時に悪意無く言った言葉、友達の親が子どもが困っている時だけ助けてやると言う考えの持ち主である、それを聞き尊敬した、というのに過剰反応した。そして事あるごとに蒸し返し、一生忘れないとねちねち私をいじめた。

 私は母を許したが、母はスチュワーデスになれなかった私を許さなかった。

 だが、同じく私のいとこで母親の過干渉の為に30年以上引きこもっている、まさくんとゆみちゃんというきょうだいと比較して、私の方がまだマシだと、おかしな感心の仕方をして褒めてくれた事もあった。あまり嬉しくはなかったが。

 そのゆみちゃんだが、自分の家族にこんな事を言ったそうだ。

「私は沖本家に生まれたかった」

 それを聞き、父母も姉も私も仰天した。繊細なゆみちゃんがうちに生まれていたら大変だったろう。姉と私だからこそ何とか突っぱね、跳ね返し、蹴って、外に飛び出せたのだ。隣りの芝生は青く見える、とはこの事だと思った。

 また母は、父とさえ結婚しなければ、だの、あんたたちはもっと酷い家庭に生まれていたかも知れない等よく言っていた。うちより酷い家とはどんな家だろうと当時は想像も付かなかったが、クミコやヤスエはうちより酷い家庭環境だった。

 母について物凄く意外だったのが

「私は造花の仕事でも、英語の勉強でも、努力をしたらそれなりの結果を出したし、良い評価も受けたけど、家族だけはどう努力しても良くならなかった」

と言っていた事だ。私には「自ら引っ掻き回し、わざわざ修羅場を起こしている」ように見えたが、母はあれで「努力していた」のだった。返事のしようがなく、黙ってしまった。

 

 私は中高年になった今なお、あまり深く考えずに何かしてしまう事がある。それは幼少期,母に考える力、工夫する力、最後までやり遂げる力をことごとく潰された経験があるからではないかと言う気がする。勿論いい年をしてそのせいにしてはいけないが、だったら尚の事、息子が何かするのを辛抱強く待たねば、と思っている。

 確かに子どもがなかなか出来ずにいる姿を見ているのはじれったい。だがそこをぐっとこらえ、口出し手出しせず、考える力を、工夫する力を、最後までやり遂げる力を育ててやらねばならない。子育ての基本は「待つ事」と言っても過言ではない。

 母は待てない人だった。

 

 私は母が絶対に無理と言い切った事を次々に成し遂げてきた。まともな就職、まともな生活、まともな人生、幸せな結婚、婚礼司会、愛情のある育児、そして何より自分で選択、決断、実行する事。

 そして母がおしまいだと言い続けたどん底の状態から、何度でも蘇って来た。これからだって負けるもんか。これからも次々に奇跡をおこしてやる。スチュワーデスにはなれないが。

 ひとり暮らしを長く続け、あらゆる手続きを自分でこなした。何をどうするか、自分で選び、決断し、行動した。

 また、10日間に渡り、北海道をひとり旅をした事もある。パックの旅行ではなく、ガイドブックを見て、泊まるホテルから、乗る飛行機、新幹線、汽車のチケットの手配、名所はどこを見る、どの順番で回る等、全部自分で決めて実行した。お金もかかったし、頼れるのは自分だけで、緊張し過ぎ、腹を壊しっぱなしだったが、私のたいせつな財産になっている。

 やれば出来るんだ、物凄い達成感を味わった。

 幼い日、その日着る洋服を自分で決めた事や、渡れなかった信号を渡れるようになった時の達成感を思い出した。

 そう、母に1から10まで命令され、何もかも決められていた時代は捨てた。

 私の仕事や交友関係に必ず口出ししてきた母だが、ひとつだけ「口出し出来ない」仕事があった。それが「婚礼司会」だった。分からないから、口を出せなかったのだろう。

 つまり婚礼司会だけは「思い付かなかった」のだ。また、結婚式の仕事は儲かってたまらない事もなかった。お金に糸目を付ける人は多かった。おしめを付ける人はいなかったが。

 子どもを自分の思い通りにしようとするのは、その子を「自分以下にする」という事だ。自分が思いつかない事は「させられない」のだから。

 だから子どもを尊重し、個性や可能性を信じるべきなのだ。そうすれば子どもも親を信頼しながら、親が思いもよらない人生を満ち足りた気持ちで歩んでくれる。いちばんの親孝行とは、温泉に連れて行く事でもなく、豪華な結婚式を挙げる事でも、孫の顔を見せる事でもなく、幸せに生きる事だ。

 そして人を変える事は出来ないし、その必要もまったくない。それが私の持論である。

 私は小学生の時、授業中に手を上げられない子どもだった。先生に促されても、友達みんなが手を上げていても、それでも私の手だけは上がらなかった。母は呆れたし怒ったが、上がらないものは何をどうしても上がらなかった。

 また16歳の時にアルバイト先で、いらっしゃいませ、と大きな声で言えないという理由で、先輩に死んだ魚を背中に入れられるという嫌がらせを受けた事がある。びっくりして悲鳴を上げた私にその人はこう言った。

「ほら、大きな声出るじゃない。その調子でいらっしゃいませって言いなさいよ」

 だが私は婚礼司会者として何百人を前に堂々と話し、悠然と仕切った。その頃、先生も、友達も、その先輩もみんな私がそんな職業を選ぶとは考えもしなかったのだろう。

 つまり「今の状態」だけを見て、無理矢理方向転換させる必要はないのだ。長い目で見れば、相手は思いもよらない方向へ進む可能性がふんだんにあるのだから、性急に直す必要はない。

 

 また、人に文句を言ったり責める事も出来ないし不必要だ。相手の美点はそのまま自分の美点で、相手の欠点はそのまま自分の欠点だからだ。

 この人はずるい、と思っても、誰かにとって自分はずるい人間だ。この人は親切と思ったら、誰かにとって自分は親切な人という事だ。文句があっても、まったく同じ事が自分にも当てはまる。

 例えば旦那さんが奥さんにこう言ったとする。

「お前、母親だろう、きちんと子どもの面倒見ろよ」

 まったく同じ事が言える。奥さんはこう言えば良い。

「あなた父親でしょう、きちんと子どもの面倒見てよ」

 旦那さんがこう食い下がったとする。

「お前、誰のお陰で生活が出来る」

 奥さんはこう言い返せばいい。

「あなた、誰のお陰で仕事が出来るの?私がいなければ、子ども抱えてどうやって家事と育児と仕事するの?私が家事と育児をやっているお陰でしょう」

 親が子どもにこう言ったとする。

「誰のお陰で学校に通える?」

 子どもはこう言えば良い。

「じゃあ行かない。不登校する」

 困るのはどっちだ?その親はなおもこう食い下がったとする。

「勉強しなさい、あんたが壁にぶち当たるのよ」

 まったく同じ事が言える。

「そっちこそ仕事の勉強しなよ。壁にぶち当たるよ」

 その子どもはこうも付け加える事が出来る。

「だからその程度の人生なんだよ」

 不倫していた男性が、別れ際に相手の女性にこう言ったとする。

「君、俺との事は誰にも言わない方が良いよ。君もいつか誰かと結婚するだろうけど、その時に自分の妻が妻子持ちに抱かれていたカスだなんて知ったら、君の旦那さんはショックを受けるからね」

 女性はこう言い返せば良い。

「あなた、私との事は誰にも言わない方が良いですよ。自分の夫が他の女を抱いていたカスだなんて知ったら、あなたの妻も子どももショックを受けるからね」

 結婚式を挙げた翌日、旦那さんが新妻にこう言ったとする。

「なあ、釣った魚に餌はやらないって知っているか?俺にとってお前はもう釣った魚だ。餌はやらないから一生そのつもりでいろ」

 新妻はこう返せば良い。

「じゃあ私にとってもあなたはもう釣った魚だから餌はやらない。ご飯も作らないし、掃除も洗濯もしない。勿論優しくもしないし今後一切口も利かないから、一生そのつもりでいてね」

 動揺するのはどっちだ?旦那さんがこう言い訳したとする。

「冗談だよ、ちょっと困らせてみたかっただけだよ」

 新妻は宣言通り、今後一切口を利かず、黙って離婚してしまえば良い。家庭裁判所は必ず妻の味方をするはずだ。結婚生活たったの一日で棄てられた旦那さんは、周囲に言い訳さえ出来ない。

 同僚のだらしなさに腹が立ったとする。だが自分もだらしなく、そんな自分が嫌だからこそ、その人のだらしなさが目に付くのだ。ずるい人をみて苛立つのは、自分も誰かにとってずるい人で尚且つそれが嫌だから。

 つまり自分の欠点を受け入れていれば、苛立つ事はまったくない。神様は、その都度必要な人を目の前につかわしてくれる。

 何故今この人に会ったのか?

 何を学べばいいのか?

 常にそう考えればいい。

 

 私は10代で荒れた時代も、20代ですさんだ頃も、決してこのままでいいと思っていた訳ではなかった。

 挫折の真っただ中にいる時、人は我を失う。そしてどうしようもないながらもバランスを取ろうとする。傍から見てどんなに間違っていても本人はそれでバランスを取っているのだから、「間違っていない」という事になる。

 ましてや神様は必ず立ち直りのチャンスを与えてくれるから、率先して自分がこの人を立ち直らせようと、説教したり、ああせい、こうせいと、導こうとする必要もない。事情があって「そうせざるを得ない」のだから。誰よりもこのままではいけないと自覚しているのは、他ならぬその人だから。

 それに私の非行に代わるものは何だったのか?

 犯罪か?

 精神病か?

 何十年にも渡る引きこもりか?

 終わる事ない家庭内暴力か?

 家出をして未来永劫行方不明になる事か?

 それより「すぐそこで元気に非行に走っている」方がましではないか?

 

 世の中に何も事情のない人も、学ばせてくれない人も、ひとりも居ない。

 銭湯で泣きわめいているその赤ちゃんは、気が利かない母親に熱い湯と冷水を交互にかけられ、熱くて冷たくて心臓発作を起こしそうだと、ちょうどいい温度のお湯につけてくれと訴え、学ばせてくれているのだろう。

 よちよちと歩いているそこの幼児は、実は育児放棄されているのかも知れない。

 ランドセルをしょったその小学生は、実は小児癌の上、虐待されているのかも知れない。

 通学路で友達の鞄をいくつも持たされているその中学生は、いじめられているのだろう。

 笑いさざめき歩いているそこのギャルは、実は脅迫されているのかも知れない。

 中卒で働いているその少女は、実は一家の大黒柱で親兄弟や祖父母を養っているのかも知れない。

 随分と痩せたその少年は、極端な薄給で一日一食しか食べられないのかも知れない。

 制服のままゲームセンターにいるその女子高生は、たださぼっているのではなく、ただ遊んでいるのではなく、集団リンチを恐れて学校へ行くに行けないのかも知れない。

 にこやかに販売の仕事をしているその若い女の子は、罪を犯し、今朝刑務所から出てきた父親の身元引受人になっているのかも知れない。

 笑顔で上司の秘書を務めているその青年は、親からお金をせびられている上に、統合失調症と闘っているのかも知れない。

 学校や仕事の帰りに必ず寄り道する人は、家庭内に居場所がないのだろう。

 バスの中で立ったまま寝ている人は、不眠不休で親の介護をしている人なのだろう。

 道端で吐いている人は、酷い上司に無理矢理お酒を飲まされて苦しんでいるのだろう。

 喧嘩をしてる人は、誰かをかばおうとしてやむを得ず争っているのかも知れない。

 仕事を掛け持ちしてる人は、友達の借金の保証人になり、その人が逃げてしまった為に自分で返そうとしているのかも知れない。

 会社をしょっちゅう休む人は、たったひとりで障害のある子を育て、その子が頻繁にてんかんを起こしているのかも知れない。

 転職した人は、前の会社で酷いいじめに遭い、居たたまれなかったのだろう。

 訴訟を起こした人は、理不尽なパワハラをされているのかも知れない。

 宝くじを買う為に長蛇の列に並んでいる人は、恐ろしいご近所トラブルを抱えている上、息子と娘が行きたがっている私立大学と海外留学の費用を捻出したいのかも知れない。

 遺産相続で揉めている人は、きょうだいに死んだ親の預貯金を盗られたのかも知れない。

 不正をしている人は誰かに弱みを握られ、仕方なくそうさせられているのかも知れない。

 駅や公園で寝泊まりしてる人は、信じた人に騙されて全財産を奪われたのかも知れない。

 高齢で職を探している人は、貧しい息子夫婦に代わって、孫に渡すプレゼントを買おうとしているのかも知れない。

 ミスを隠そうとしている人は、実は発達障害を抱えそれを周囲に知られたくないと思っているのかも知れない。

 電車の中で歌を歌っているその少年は、誰かから無理矢理歌わされているのだろう。

 誰かをいじめている人は、別の場所で誰かからいじめられているのかも知れない。

 いじめられている人を嗤っている人は、自分がかつていじめられた経験があるからこそ、二度と誰からもいじめられたくないと恐れているのだろう。

 地方から急に上京し、都会の駅の構内で人を探している人は、振り込め詐欺に遭っている上に、末期癌なのかも知れない。

 案内板を見つめている人は、筋金入りの方向音痴の上、吃音で人に聞けないのかも知れない。

 街中で道に迷っている人は、若年性アルツハイマー病で自分がどこにいるか分からなくなった人かも知れない。

 よろよろと歩いては立ち止まり動けなくなった人は、筋ジストロフィー病と闘っているのかも知れない。

 しょっちゅう倒れる人は、白血病なのかも知れない。

 アタッシュケースを持ち颯爽と歩いているその人の手は、実は義手なのかも知れない。

 ナイトクラブでお客さんを接待しているその華やかな女性は、実の親に食い物にされ、給料を全部巻き上げられている上、無理心中を迫られているのかも知れない。

 自殺しようとしている人は、どうしてもそうせざるを得ない事情があるのだろう。

「どうしましたか?」

そう声を掛けた時に、どう説明したらいいのやら、という顔をする人の何と多い事か。

「お手伝いしましょう」

または

「良ければお話を聞かせてください」

と言うと、嬉しそうな顔をする人の何と多い事か。相手が何か言わずとも

「何かご事情があるのでしょう」

と言った時に、ほっとした顔をする人の何と多い事か。

 人は必ず、事情を抱えている。

「何もかも」出来ずとも、「全部」は手伝えなくても、「何かひとつ」は出来る。

 だから私は絶対に人の人生を馬鹿にしない。 

 今日も誰かに声を掛け続ける。

「何かご事情があるのでしょう」

そう言って、相手にほっとして欲しいから。

 

 41年前、電車の中で無理矢理歌を歌わされていたタムラアキヒロ君は、その後悪い友達とは縁を切っただろうか。今の私だったら

「こっちへ来なさい」

と言って庇ってやるだろう。タムラ君をいじめる子たちに

「あなたもいつか同じ目に遭うよ。だからやめな」

と言えるだろう。それでタムラ君が少しでも救われるなら。一瞬でもほっとできるなら。

 そう、タムラ君も弱みを握られている等、何か事情があったのだろう。

 …婚礼の仕事をしている時、よく入っていた式場で「多村明弘さん」というスタッフがいた。もしかしてあの時の少年だったのか?という気もしたが(歌わされている時、あまりに気の毒で、ちらりとしか見られなかった為、顔を覚えていなかった)、まさか本人に聞く訳にもいかず、黙っていた。

 もしそうなら、今は幸せという事だ。結婚指輪もはめていたし、きりりと仕事をこなし、仕事仲間にもお客さんにも信頼されていた。

 多村キャプテン、本当に良かったですね。

 

 母が愛したJELは、いっとき経営破綻し、会社更生法の適用を受けるまでに至った。それもそうならざるを得なかったからだろう。

 その後V字回復を遂げたが、もし低迷している時だったら、母は果たして父と結婚しただろうか?しなかった気がする。そして姉と私もこの世にいなかった筈だ。自分から勉強する子どもだった姉も、スチュワーデスにはならなかったしJELに入社もしなかった。

 

 くどいようだが、世の中に馬鹿にしていい仕事はないし、事情のない人もいない。それは何度も転職をして、様々な職業を体験し、色々な人に会った私だからこそ言える言葉かも知れない。

 

 いっとき水商売にはまった。それも借金という事情があっての事だった。ただ若いから、まあまあ器量が良いからと言うだけで、そこそこ売れた時代もあった。

 ある銀座の店では短期間だったがナンバーワンになれ、最高月収200万円を得た。ちやほやされ、天職と勘違いし、男性とうまくいかず別れてばかりいた事もあり、失恋特攻薬だとのぼせた。

 その頃は、新聞に毎日目を通すようになっていたし、客に個人的に付き合えと言われても、絡まれても、かわせるようになっていた。

 どんな話題を振られても、即答すればいい。相手が気付かぬ間に別の話題にすりかえ、延々と盛り上げてやればいい。自慢話に騙されてやればいい。

 例えば

「俺はマサコの客だ。そのマサコから俺を奪いたければ店がはねた後、俺に付き合え」

と言われたら

「マサコさん美人だし性格も良いし、本当に憧れます。彼女テニスやっていたんですってね、だからあんなに健康的で爽やかなんですよね。所で、スポーツやっていました?」

などと。それで相手が

「野球をやっていた」

とでも言えば

「わあ凄い!だから体格も人柄も立派なんですね。どんな思い出あります?」

等返せばいい。たいていそれでかわせた。しつこい客もいるにはいたが、毎度かわした。

「俺の事好き?」

と真顔で聞いてくる人には

「そりゃあ好きですよ、みんな!〇〇さんの事、好きよねー?好きな人、手を上げてー」

と周囲を巻き込み、笑いを取ればいい。

 何を言ってもいったん受け止め、かわせばいい。

「どこに住んでいるの?」

と聞かれれば

「田園調布です。皆さん、私を田園調布のお嬢様とお呼び!おーっほっほっほ!」

とかわした。

「あなた、お父さん何やってる人?」

と聞かれても

「大会社の社長に決まってるじゃないですか」

とかわし、

「私生まれは良いんですよ、育ちも良いんですよ、ただ単に性格が悪いだけで。おほほ」

とも返した。

「反物巻ける?」

と聞かれれば

「反物は巻けないけど、負けなくってよ!」

とかわし、難しい漢字を読めと言われたら

「私はフランス人ですから」

とかわし、フランス語を喋ってみろと言われたら

「どぶにどぼーん。着物の下はながじゅばーん。更にその下はコシマキとハダジュバン。更にその下はハダカンボ」

とかわし、自分の妻がいかに凄いお嬢様かと自慢されたら

「あら、わたくしもお嬢様よー!おーっほっほっほっほっほ!」

とかわした。

 馴染みの客となれば

「水商売をする為に、この店で働く為に生まれてきました!」

と笑いを取った。

 オーナーにも気に入られ、少しは良い状態が続き、いい気になった。

 だがやはり水商売は浮き沈みが激しく、半年ほどで人気は落ち、低迷した。辞めたい、もう辞めたい、普通の仕事がしたい、そう思いながらずるずる続け、何度も店を移り、悪い人脈ばかり出来て、貯金も出来ず、月収20万ほどしか稼げず、本当に嫌だった。

 この仕事は苦痛だ、と思いながらも借金を返す為に働き、わざと馬鹿騒ぎをして自分をごまかしている最中に突然

「さびしい?」

と一緒に働く女の子に聞かれた事がある。

 思わずうなずいてしまった私。そこで初めて自分がずっとさびしかった事に気づいた。ああ、この仕事辞めよう、辞めなくては…。でも私に何が出来るの?と思った。

 水商売をしていて、ひとつだけ良い事があったとすれば、客とカラオケを歌う場面が多かったのだが、この時ボイストレーニングを受けた経験が役立った事だ。歌手にはなれなかったし「素人にしてはうまい」というレベルだったが、それでも酒場で歌う分には上手ともてはやされ、やはり無駄な事はひとつもないと思えた。

「あなたは歌が決してうまくはないけど、歌う心を知っているね。だから聞き惚れるよ」

とその店のママに言われ、お客さんも同感という顔で頷いてくれ、嬉しかった。

 だがいずれにしても、私は水商売には向いておらず、嫌だ嫌だと思いながら上辺だけで働いていたような気がする(今となっては、雇ってくれた店や付いたお客さんに悪かった)。

 ある時勤めた店で、尻文字をやれと言われたり、王様ゲームで客の耳を舐めろと強要された事があった。どうしても嫌で、どんなに言われても耐えられず、仕事を放り出して途中で帰ってしまい、そのまま辞めた。

そして新しい店に面接に行った時の事、「驚愕する事」があった。

 ああ、この道、覚えている。

 このビル、覚えている。

 このエレベーター、覚えている。

 この店のドア、覚えている。

 …そう、私は一度面接に行き、何かで断ったか断られたか(そこは忘れた)した店に、もう一度面接に行こうとしていたのだ。

 その店のドアの前で愕然とする。私はあまりにお酒を飲み過ぎ、記憶力がおかしくなっていたのだ。面接はせず(出来る訳なかった)くるりと踵を返し、アパートに戻った。

 今度こそ水商売を辞めよう。そう心に決め、少ない給料でもやっていけるようあらゆる工夫と節約を試みた。そしてナイトクラブではなく、会社に面接に向かうようになった。

 28歳の時だった。水商売としてはぎりぎりだった。神様がその一件で私を水商売から抜け出させてくれたのだろう。勿論、さびしいかと聞いてくれた女の子のお陰もある。彼女もあの後、水商売を抜けられたろうか?どちらも有り難い、奇跡のような出来事だった。お陰で今があるのだから。

 すぐにどこかに正社員としては就職出来ず、派遣で生計を立てる毎日だったが、それでも小椋純子さんをはじめとする良い友達が出来るようになった事は嬉しかった。

 ああ、これからは良い人脈が出来る。今度こそ良い経験を積んでいこうと思えた。それも水商売で悪い人脈ばかり作って嫌な思いをしたおかげだ。洋服を買えない事なんて、外食出来ない事なんて、遊びに行けない事なんて、何でもなかった。

 今はぎりぎり生活するだけだが、近い将来必ず貯金し、やりたい事をやれるよう、好きなものを好きなだけ買えるよう、なりたい自分になれるよう頑張ろうと思えた。

 決してこのままでいいとは思わないが、借金があるから今はこうするしかない、と思っていた。借金を完済するのとほぼ同時にその「尻文字・王様ゲーム事件(私はそう呼んでいる)」が起こり、水商売を辞められた。それも神様がそうしてくれたのだろう。

 借金返済に追われていたというのもあるが、水商売をしていた頃に稼いだ金はまったく残っていない。よく楽をして稼いだ金は身に付かないというが、ホステス稼業は決して楽ではなかったが、それでも貯金は出来なかった。

 だが会社勤めをして得た給料は少しずつでも貯められた。その「少しずつ」が大きな金額になっていくのは嬉しかった。やはり、何か違うのか。いずれにせよ「楽な仕事はこの世にない」と学んだ。

 年齢が上がるごとに転職は難しくなる。若いうちはどこへ行っても自分が最年少だったが、だんだん中間層になり、最年長になっていくのもつらい。年下に叱られるのも悔しいし、若いうちに足元を固めておく方が賢明だ。真面目に働いた派遣先では、正社員にしてやるとも言ってもらえた。その経験が、得た自信が、今につながっている。

 

 私の人生は、良い嵐と悪い嵐が交互に吹くような気がする。

 良い嵐が吹いてくれていた時、私はそれが永遠に続いて欲しいと願った。だが絶妙なタイミングで悪い嵐に代わってしまった。

 悪い嵐が吹きすさぶ中、私はいつまでこれが続くんだろうと辟易しながら過ごした。コツコツとすぐには報われない努力を重ねながら。

 そしていちばん良いタイミングで良い嵐に代わってくれた。そして積み重ねた自分の努力が一気に花開くのを、目を見張る思いで見た。それは何度も何度も続いた。

 そのうちこう思うようになった。

 さあ、この悪い嵐から何を学ぶ?

    そして良い嵐が来たらこう思った。

 ああいらっしゃい、待っていたよ。

 …という事は、みんなそうなのか?という気もする。

 もうひとつ、悪い嵐の中からでも必ず幸せは見つけられるものだと学んだし、自分の努力だけでなく色々な人のお陰で良い嵐になった事を忘れなければ、感謝し続ければ、良い嵐は続いてくれるし、例え悪い嵐が来ても「この程度で済んで良かった」と思えるものだ。

 

 いっとき不倫にはまった。男たちは私に、好きだの、愛しているだの、守ってやるだのと鼻息荒く言った。最初は口説き文句かと思ったが、そうではなく本当は妻に言いたい言葉を代わりに私に言っていたのだ。誰かの代わりはさびしかった。さびしいからと、あまり好きでない人を相手にしているともっとさびしくなってしまう。

 その時に学んだのは「男は絶対に妻を愛している」という事だった。私の前でどんな凄まじい妻の悪口を言っても、必ず家に帰って行った。あれ?嫌いじゃなかったの?別れたいんじゃなかったの?と言いたいのをぐっと堪え、私はそれこそ大きな不満と疑問符を頭に乗せながら、その人を見送った。

 何故私はこんな風に「恋してはもらえても、愛してはもらえない」のだろうと、言葉に尽くせぬ孤独感にいつも悩み狂った。

 結局妻が好きなんだな。不満があるから私の所に来るのだ、そして本当に好きなのは妻だから帰って行くのだ。家事が下手だろうが、自分の親きょうだいと仲良く出来なかろうが、金遣いが荒かろうが、結婚以来15キロ太ろうが、それでも妻が好きなのだ。結婚しようとまで思った人なのだから。

 妻の所に「帰る」為に私の所に「来る」のだという事を、何もやましい事のない人生がいちばん楽しく充実していて幸せなんだと、嫌というほど学んだ。

 もうひとつ、決まった相手のいる人に横恋慕して無理に奪ったとしても、必ずその人は元の女性の所へ戻っていく。何年かかっても必ず戻る。

 桜井正一さんも、本田泰之さんも不倫した何人かの男性も「必ず」元の女性に戻って行った。その悔しさといったら歯ぎしりするほどだった。

 だったら私の存在は何だったのか、あの月日は、あの努力は、労力は、一体何だったのか、と頭の上に乗りきらない程の疑問符と怒りのマグマが乗った。

 だがこうも思った。だったら私も、毎日毎日私の所にきちんと帰って来てくれる男を見つけよう。私を「決まった相手」にしてくれる人にしよう。…見つかって本当に良かった。

 不倫をしていていちばん嫌だったのは

「ただいま」

と言われる事だった。あなたの家は他にある。何故私の家に来てそんな事を言うのか、理不尽な、と腹が立ち

「いらっしゃい」

と返した。不満そうにするその人を、なお冷たくあしらってしまった心無い私。

 さびしいからただいまと言うのだろうが、嫌なものは嫌だったし、私の部屋に髭剃りや着替え等、自分の私物を置いていかれるのも腹立たしく、見るたびに捨てた。 

 ひとつだけ不倫して良かった事があったとすれば、仕事で多少便宜をはかってもらえた事だろう。だが相手に新しい女性が現れるとそれもなくなった。これも転職が多かった理由のひとつだ。

 だったらえこひいきしてくれなくていいから、惨めな思いもさせないでくれと思った。何もない方が返って気まずくなくて良いと、プラスマイナスゼロ、というのはこういう事だと嫌という程学んだ。

 …最後に不倫関係になった人には、出会って間もない頃にこう言われた。

「俺には忘れられない人がいる。その彼女への償いをあなたでしたいと思っている」

 その人は妻の前では私に操を立て、私の前では妻に操を立てるというおかしな人だった。それは何となく分かった。その上忘れられない女性がいるとは…。

 さびしさに負け、付き合ったが、無論長続きせず、すぐ別れた。その人は別れ際にこう言った。

「もう妻の前であなたに操を立てなくていいし、あなたの前で妻に操を立てなくて良いと思うとほっとする。昔の彼女に対する償いを、あなたではやはり出来なかった。彼女とあなたは全然違う人だった」

そう聞いて目から10枚くらい鱗が落ちた。

 この人はそれを学ぶ為に私と会い、私はやはり不倫に向かないと学ぶ為に、その「駄目押し」の為にこの人と出会ったのだ、と。

 付き合っている間、いつもお互い不快だったが、別れる時だけは満面の笑顔で別れ、もう二度と不倫をしないと誓った。

 決して良い思い出ではないが、それさえ今に活きている。

 

 実家の成田には時々帰る。

 …と言うか、「行く」。

 今は空き家になっている。

 

 12年前、母が子宮癌で逝った。母の病気のきっかけは、他ならぬこの私だ。

 年を重ねても両親は変わらなかった。過干渉も、過支配も、大人げないのも、交換条件も、罰則も、脅迫も、ついに変わらなかった。

 息子を産んだ時、しばらく実家の世話になった。母も最初は多少優しかった。息子をあやす私を見てこんな事を言った。

「あんたが赤ん坊の頃の事を思い出すわ。あの頃暮らしていた社宅の壁の色、ドアの色、間取り…思い出すわ」

 感傷的になり、ひとりでヒロインになり、めそめそ泣く母を私はまったく構わず、相変わらず泣くのが好きなのだろうと放置していた。それに気分を害し

「あんたは自分の子にだけ優しくて、親には優しい言葉のひとつもないのね」

と言い放った上

「あんたはいくら何をしてやっても無駄!」

と私の背中を蹴った。産後間もない私をよく蹴るなと別の意味で感心した。そして私が家事をしない事にも苛立ち(産後すぐは家事が出来ないから実家の世話になるのだという事を、母はまったく理解しなかった)一週間もたたないうちにカリカリ怒りだした。

「自分の家に帰って、もう面倒見きれないわ」

と言った。そんなに面倒見てくれていないだろうと思ったが言わなかった。

「産んでからもう一週間近く経つしもういいでしょう!家事もやって!」

 母はヒステリックにわめいた。

 まだ赤ん坊の息子の前で、

「私は育児に失敗したわ。もっと親思いになるように育てれば良かった、あんたは失敗作だわ!失敗作!!あんたは私の最大の失敗作よ!」

と大声で怒鳴った。今まさに育児をしている私に向かって…。

 何を言っても無駄だと分かっていたから、ただ黙って母の罵る姿を見ていた。ああ、この人変わらないな、と悲しいまでに冷静だった。

 

 ただ翌年の私の誕生日にくれたメールが、私を爆発させた。

 私の誕生日なのだから、私の事について何か書いてくれればいいものを、自分の事ばかり、自分の人生は失敗続きだったが何とかここまでやってきた、と書いてあった。そしておちゃらけたように、あなたが人生というカンバスにどんな絵を描くのか楽しみにしていると結んであった。

 携帯電話を持つ手が震えた。

 あらがたい程の怒りが込み上げる。

 まだ言う気か。

 まだ口出しする気か。

 まだ侮辱する気か。

 まだ見下すか。

 まだ足りないのか。

 心底、猛烈に、腹が立った。

 

 そしてその怒りと共に、私の潜在意識から滞在意識に上がってきた「ある記憶」が、鮮烈に脳裏に蘇り、私の全身を、全霊を、稲妻のように打ち抜いたのだった。

 

 それは

「マリ、あんたはもう小さいうちに死んだものと思っているからね」

という言葉だった。

 

「マリ、あんたはもう小さいうちに死んだものと思っているからね」

 その時の母の表情から、台所仕事を中断してツカツカと歩いてきた様子から、ぐっと身をかがめる姿勢から、私の目をじっと見下げる冷たい眼差しまで思い出した。

 

「マリ、あんたはもう小さいうちに死んだものと思っているからね」

 その言葉は、記憶は、何十年も私の潜在意識の中に眠っていたのだった。

 

 あんたは小さいうちに死んだものと思っていると何千回も言い、生まれてきた事も、生きている事も、存在そのものも、何もかも否定した事。

 幼い私に向かい、自分は夫選びに失敗したと言った事。

 父の悪口を散々言った後に、あんたは父さんそっくりと罵倒した事。

 父さんと母さんどっちが好き?としつこく聞き続け、幼い私がパニックに陥り、幽体離脱するまで追いつめた事。

 真冬の寒空の下、家から閉め出した事。

 これ見よがしに手首を切り、自殺未遂をしてみせた事。

 小学生の頃から私の友達の悪口を言い続け、あんたの友達はみんなあんたの財布を狙っている、と真顔で言った事。

 忘れ物の多い私を、あちこちの医者や宗教団体に連れて行き、

「どっかおかしいんじゃないんでしょうか?」

と丸聞こえなのに囁いていたり

「こんなおかしい子、生まれる筈ないじゃないいですかっ」

と私を指差しながら叫んだりした事。

 蜂に刺され、激痛に泣きわめく私を大声で嗤った事。

 この家にあんたの居場所はない、と言った事。

 何度も食事を抜かれた事。

 強引に大量の水を飲まされた事。

 私の日記を勝手に読み、内容についてとやかく言った事。

 気に入らない友達からの電話を勝手に切った事。

 汚れたナプキンを強引に私の顔に押し当てた事。

 私が琴を習っていた頃、テレビで琴の演奏をしていると必ず指さしながら

「マリ、ほら、お琴」

と何十回も言った事。やめた後でさえ同じ事を言い続けた事。

 学校から帰った私に

「何故ここに帰って来るのだ」

と言い、居たたまれない気持ちにさせた事。

 出掛けようとする私を「いなくなれ」という目で見送った事。

 いつもはしゃぐか荒れるか極端だった事。

 安心させてくれた事はなく、常時不安にさせられた事。

 わめき散らす私の口を「股で塞いだ」事。

 手に負えなくなった私を施設に放り込み、「親に逆らうとこうなるんだ」と正当化した事。

 ここに来てどんな事が分かったかとしつこく聞き、しまいに答えられなくなった私に

「出してやらないよ」

と言った事。

 光の園で集団リンチに苦しむ私を助けてくれなかった事。

 自分を低く見ろ、安売りしろと言った事。

 父と離婚しようかと思い悩んでいる時に

「許すお稽古よ」

という祖母の声がどこからともなく聞こえてきた、と何度も興奮しながら言っていたが、私に対しては「許すお稽古」どころか「罰するお稽古」ばかりした事。

 私だけでなく私の恋人もいじめ、セックスフレンド呼ばわりしたり、面と向かって

「絞め殺してやりたい」

と、言った事(歪んだ愛情でしかないし、その人もびっくりしていた)。

 ひとり暮らしを始め、11年経過後、ようやく連絡先を教えるようになった途端に毎日電話をよこし、そのたびに必ず名前は名乗らずに

「私よ。別に用は無いわ」

と、切り口上で一万回は言った事。その舌の根も乾かぬ内に、仕事や交友関係に口出しした(つまりそれが用だった)事。

 留守番電話にもまったく同じ言葉を吹き込んでいた事。

 その用無し電話をやめてくれと、何回言ってもやめてくれなかった事。

「用がなきゃ電話しちゃいけないって言うの?」

と喧嘩腰で言った事。

「あんたは用のある時しか電話して来ない」

と理不尽な怒り方をしていた事。

 電話のたびに30分も1時間も私の時間を奪い、切る前に自分だけ機嫌よく

「またかけるね。グンナイッ(good night)」

と言って、翌日またまったく同じ電話をかけてきた事。

 うんざりしている私の事をまったく考えず、自分さえ良ければ良いという態度を貫いた事。

 歌舞伎を観て楽しかった、同窓会に行って楽しかった、映画を観て楽しかった、口内炎が痛い(私にはどうしようもない)等々、自分の事ばかり機関銃のように喋りまくり、父とうまくいかない自分のストレスだけを解消し、私に凄まじいストレスを与えた事。

「何か変わった事ない?」

と聞いておきながら、こういう事があった、と話しても

「さあどうしたらいいかねえ?私にはそういう経験ないから分からないねえ」

と答え、まったく役に立たなかった事。

 それでもまた翌日電話をかけてよこし

「何か変わった事ない?」

と前日の会話をすっかり忘れ、まったく同じ事を言い放った事。

 美容師は無償で髪を切ってもらえるしパーマやカラーもしてもらえるんだと言った時

「それくらいメリットなくっちゃね」

と、また逆撫でした事。

 自分は言いたい放題のくせに、私の悪意のない失言は許してくれず、

「あんたの言葉はメスのように私の心に突き刺さった」

と言ったり、過剰反応して道の真ん中で泣き出したり、レストランで泣きながら食事したり、泣きながら電車に乗り

「泣くような事を言うのが悪いんじゃない!」

と恥をかいた事さえ私のせいにした事。

 私の言い分は聞いてくれないくせに、自分の言い分が通らないと酒の力を借りてまで、暴れ狂い

「死んだ方がましよ!」

と怒鳴り散らした事。

 酒を飲んで暴れるというより、暴れる為に飲む、「タチの悪い酒乱」だった事。

 選択肢を出す事も、どうして欲しいか聞いてくれた事も一度もなく、こうするしかないからこうしろ、出来ないならこういう罰を与える、と常に罰則を設け、脅し続けた事。

 私が恋人と別れた後、毎日電話をよこし、毎回

「彼から連絡はないの?」

と丸4か月間も言い続け(私よ、別に用はないわ、とも言っていたが)、いい加減にしてくれと怒ったら

「1回しか言っていない」

と後の120回くらいを忘れていた事。

 それに限らず、自分の言った言葉を忘れて同じ事を何十回も何百回も言った事。

「あんた、まさかと思うけど妊娠してるんじゃないでしょうね」

と3000回は言った事。

 毎年私の誕生日に電話をよこし

「どう?〇歳になった気分は?」

と必ず言った事(それも何度やめてくれと言ってもやめてくれなかった)。

 自分の言う事を聞かないなら、アパートの保証人にも、就職の際の保証人にもならないと、また交換条件を持ち出した事。

 熟年夫婦の離婚を扱ったドラマに影響され、父と別居して私と暮らすと言い出し、アパートを探してくれと言う母の要望に応えて部屋探しを始めた途端に尻込みし

「あなたがそんなにどんどん手続きすると思わなかった。私はもう少しこの家にいて貯金をする」

と逃げた事(最初から別居する気はなく、ただ修羅場になる事を望んでいただけだった)。

 それに限らず常に修羅場を求めていた事。

 私がストーカー被害に遭い、早急に引っ越しをしなくてはならず、必要書類を「書留」で送ってくれと何度言っても「速達」で送ってよこした事(速さは問わない、確実に私の手元に書類が届かないと、そのストーカーに大事な書類を集合ポストから盗まれて新しい住所を知られてしまう可能性がある。だから書留、と何度言い聞かせても母は理解せず、速達で送って来た)。しかも郵便番号を毎回間違える為にきちんと届かなかった。その郵便番号も何度違うと訂正しても別の番号に間違え続け、私を苛立たせ続けた事。

 親戚の葬儀に出た時に

「私が今何を考えているか分かる?おばあちゃまの事よ」

と言って、何年経っても祖母の死を引きずり、悲劇のヒロインを気取っていた事。

 例え幸せな状態であっても、その中から不幸を見つけ出してわざわざ言ってきた事。

 私が母に対していい加減にしてくれ等怒ると毎回ゲラゲラ笑った事(怒っている時に笑われるほど腹の立つ事はない)。

 私を可哀想がる事で優しさをひけらかそうとしていた事。

 水商売=売春と決めつけていた事。

 夫と付き合い始めた頃、9歳も年下ならばすぐ捨てられる筈だと決めつけ、電話のたびに、会うたびに、

「どう?彼は」

と、さも早く捨てられろと言わんばかりに200回は言った事。

「その人といて幸せな気持ちになる?」

と、まだ干渉した事。

 結婚を決めた時に

「どんな人でも年を取ると結婚したくなるのねえ」

と、また逆撫でした事。

 子どもを産む時に、産院まで来てくれたは良いが、陣痛に七転八倒する私に、

「昔はお産でよく人が死んだものだけどねえ」

と何度も何度も言って、苦しむ私をいたわる訳でも助ける訳でもなく、ただ苛立たせた事。

 元気に五体満足に生まれてくれた息子の事を

「私はあの子がダウン症とかでも愛するし可愛がるわ」

と言った事(ダウン症を見下しているし、ダウン症の人たち、その家族に失礼である)。

 息子の足の中指が人差し指より長い事を

「ここが奇形ね」

と平気で言った事(奇形の人に失礼である)。

 産後間もない私と、まだ新生児の息子を、面倒を見きれないと放り出した事。

 そんなに面倒を見てくれていないのに

「あんたはいくら何をしてやっても無駄!」

と言って私を蹴った事。

 幼少期は勿論の事、大人になっても尚、私を自分の「所有物」と思い込んでいた事。

 私を人間として駄目だと否定し続け、負の財産を有形無形に注ぎ込んだ事。

 まったく愛情のない状態にし続けた事。

 親が子どもに向ける言葉や態度でなかった事。

 出来ない我慢をさせられ続けた事。

 人間扱いされなかった事。

 

 封印していた記憶が、一気に蘇り、凄まじい勢いで爆発した。

 許そうと、潜在意識に押し込んでいた記憶が、滞在意識に変わった瞬間だった。

 

 グラリ。目眩がするほどの衝撃を伴いながら、その記憶は滞在意識に上がってきた。

 母の「そのメール」だけは「斜めに読む事」が出来なかった。

 

 闘ってやる。

 頭の中で久しぶりにゴングが鳴り響くのを聴いた。

 

 怒りのまま、頭に血がのぼったまま、長文の返信を打った。母に、失敗続きとは何事か、失礼な、言っても良い事と悪い事がある。あなたはいつの日も、自分を被害者と言っていたが、そうではなくむしろ加害者であると、事例を並べながら怒りのままに書いた。

 そう、「事例」ならいくらでもあった。

 そして思った。どうせこのメールも読みながらゲラゲラ笑うんだろう。そうはさせない、と決意した。

 だからメールの最後に、どうせ今笑ってるんでしょう?私が何かで怒ると必ず笑ったものね、私はそっちが怒っている時に笑った事など一度もないけどね、と書き、続けてこう書いた。

 まあ、今に始まった事ではないけどね、私が幼い頃から自分は夫選びに失敗しただの、マリ、あんたはもう、小さいうちに死んだものと思っているからね、というのも何度も何度も聞いたしね、と原文通りに付け加え、送信ボタンを押した。母が受けるであろうショックを思ったが、幾分すっとした。

 すぐ言い訳がましい返信が送られ、再び爆発した。

 そこで子どもは育てたように育つ。私はあなたが育てたように育った。そこまで否定されて親思いの素晴らしい娘になる訳ないだろう、死んだものと思っているなら何をしていても構わないだろう、私が汚らしい娼婦なら、そのように産み育てたのは、他ならぬあなただと書いた。躊躇なく送信ボタンを押した。

 またすぐ返信が来た。今度は泣き落すかのように、あなたが間違った道に進むのが悲しくて恐ろしくていけない言葉を使ったかも知れないが、それは非行に走ったあなたに原因がある。あの頃自分は本気で自殺を考えていた、それもあなたのせいだった。ましてあなたが親になったら自分の気持ちを分かってくれると思った、と書いてあった。

 怒りのマグマは頂点に達し、親になってもあなたの気持ちは分からない。あなたは私が非行に走る、そのずっと前から死んだものと思っていると私を否定し続けた。そして自分がまず子どもになって私に甘えていた。私の不幸を願っていた。私は迷惑だった。親が子どもに対する態度では決してなかった。そして何より私は自分の子を虐待していないと並べ立てた。

 あなたは私の失言を一生許さないと言ったが、では私があなたに虐待された事を一生許さないと言ったらどうするか考えろと書き立てた。「虐待」という言葉を遂に使ってしまった。

 なすすべを持たぬ幼女を、無知な少女を、保証人がいなければ就職さえ出来ない若い女を、初産の女を、弱い立場の実の娘を、徹底的にいたぶり、嘲笑い、交換条件を出し尽くし、これでもかといじめ、侮辱し、脅し、虐待したのはあなただと、私の心に鋭いメスを突き刺し続けたのはあなただと、あらん限り書き立て、決定打を振り下ろすつもりで、致命傷を与えるつもりで送信ボタンを力いっぱい押した。

 …返信は来なくなった。

 ほどなく母は子宮癌になった。

 

 母の子宮癌という病気と、私のあのメールはつながっていたと思う。

 だが、私の幼少期からの出来事すべてが、その3通のメールにつながっていた。

 

 癌になった人がどういう死に方をするか、私たち家族は目の当たりにした。

 どんな凄まじい臭いを放ちながら悶え苦しむか。どんなに自分の行いや発言を後悔しながらひれ伏し、心身共に病むか。

 母は、とても緩やかで、そして、とてつもなく激しい自殺をはかったのだ。

 

 元気だった頃、誰より若々しく、光を放つように美しく、華やいでいた母。

 姉や私が結婚する際に、ブーケを作り、ウエディングドレスも喜々として縫ってくれた母。

「娘たちのブーケを作りたくて造花を始めたの」

と、幸せそうに言っていた母。

 普段着もたくさん手縫いしてくれた母(おかげで何万も節約できた)。

 旅行に何度も連れて行ってくれた母(旅費を必ず出してくれた)。

 私の給料でラーメンを奢った時、たかが500円のラーメンに感動して何度も有難う、御馳走様と言ってくれた母。

 私が32歳の時に、初めて自慢の娘と言ってくれた母。

 何度罵詈雑言を浴びせても連絡をくれ、歩み寄ってくれた母。

 60歳にしてイギリスへ1年間、語学留学をした母。 

 癌と診断された時、私の事だけが気掛かりだ、他の事はもう何も未練がないと言った母。

 延命治療を望まなかった母。

「もう歌舞伎も宝塚も観に行けないよ」

と涙ながらに呟いた母。

 一度は手術が成功し、造花の仕事を再開出来るかも知れないという夢を持った母。

 癌の再発によりその夢を絶たれた母。

 抗癌剤の影響で髪が抜け、気力も体力も奪われ、ただ横たわるしかなくなった母。

 余命宣告を笑顔で受け入れた母。

 孫の見舞いに心から喜んだ母。

 点滴のスタンドにつかまりながら、よろよろと病室へ歩いた母。

 日に日に弱っていった母。

 まったく闘病しようとせず、

「新しい世界へ入れる事を嬉しく思っている」

と言った母。

 初めて私に心から謝ってくれた母。

 自分の病気は絶対に私のせいではないと、初めて「自分の責任」と言った母。

 病気になって初めて、一切言い訳をしなくなった母。

 見舞いに行くたびに私を気遣い、時計を気にして

「そろそろ帰りなさい」

と言ってくれた母。

 自分の友達が見舞いに来た際

「まだ帰らないで、まだ帰らないで」

と懇願した母(私に言えない我がままを、友達になら言えたのだろう。また、もうあと何日も生きられないという自覚もあったのだろう)。

 私が息子を夫の両親へ預け、泊まり込みで看病すると言う申し出を、愛情を持って断ってくれた母。それでも泊まり込もうと準備を始めたその日に、迷惑をかけまいとばかりに逝った母。

 容姿や美声、度胸やセンス等の、金で買えぬ「正の財産」をたくさん残してくれた母。

「教えてくれて有難う」と言ってくれた母。

 世界でたったひとり、私の母。

 

 おそらく、私と母は、お互いにお互いしか手に負えなかったのだろう。

 母は普通の母親ではなかった。きっと姉と私にしか「こなせなかった」のだろうが、姉と私も母にしか「こなせない娘」だったのだろう。母しか姉と私を「育てる事は出来なかった」し、姉と私にしか母に「育てられる事が出来なかった」のだろう。

 そう、私と母は、あらゆる意味でお互い様だった。

 母は私が悪いと言い続けている間、私も母が悪いと言い続けた。

 そして母が自分が悪かったと思うようになったら、私も自分が悪かったと思えるようになった。

 本当にあらゆる点で「お互いに、お互い様」だった。

 

 よく堪忍袋の緒が切れる、という言い方をするが、私は袋どころか、大きな我慢の箱を持っていた気がする。その箱が、溢れ、壊れてしまった。

 箱の中には、もうひとりの小さな私がいたのだろう。

 溢れるまで、壊れるまで、箱の中を怒りで満たしたのは、主に母だった。

 

 ただ、葬儀の際に来てくれた人が皆驚くほど、母の死に顔は「微笑んでいた」のだった。本当に笑っているようだった。末期癌で逝った人の顔ではなかった。

 その顔を見て私はこう思った。ああ、母は自分の人生に納得して逝ったんだな。どうしてこうなったか分からない、娘があんな風だと母親に原因があると思われるんだと散々怒鳴り散らしていたが、自分こそ被害者だと言い続けていたが、何故こうなったか、何が原因だったのか、自分がどういう種を撒いたのか、その種がどんな芽を出し、どんな草木を伸ばし、どんな実をつけ、どんな花を咲かせたのか、骨身に応えるように理解した顔だった。

 どんな小さな出来事にも必ず原因と結果があり、その二つは必ず合致している。それをしっかりと理解した表情だった。

 母の「最後の使命」はそれを学ぶ事だったのだろう。すべての原因を作ったのは、他ならぬ自分だと悟った上、自分の撒いた種を自分で刈り取った、充足感に満ちた良い笑顔だった。

 鬼のように我がままで酷い母親だったが、死ぬ寸前は杜子春の母のようだった。私もいつか、微笑んで死のう、そしていつか、杜子春の母のような母親になろうと思えた。

 もうひとつ、母の顔を見てつくづくこう思った。

 ああこの人、綺麗な人だな。

 幼い頃、周囲に散々

「こんな綺麗なお母さんいないよ」

等言われた事を思い出し、「さびしい嬉しさ」を感じた。勿論悲しかったが、見えない檻からようやく出られたような気もしてほっとした。

 また、当時まだ幼かった息子がよくまわらない口で何度もこう聞いてきた。

「おばあちゃま、どこに行ったの?」

 涙ながらに

「天国に行ったんだよ」

と答えながら、もう母は家中、世界中、どこを探してもいない。本当に死んだのだと実感した。

 ああ良かった。母は地獄のような入院生活を経て、ようやく天国に辿り着けたのだ。

 

 そしてこんな考えもよぎった。

 もしかして母は、発達障害があったのかも知れない。父も。だから二人とも、徹底的に相手の立場に立って考える事が出来なかったのではないか?同じ事を何百回も言ったり、普通は絶対しないような事をしたり、性格異常と言うよりも、障害だったのかも知れない。

 ならば、ある意味仕方なかった気もする。

 幼い私を医者や宗教団体に連れて行き

「どっかおかしいんじゃないんでしょうか?」

と言っていたのは、実は自分の事だったのではあるまいか?と言う気もする。

 

 だが、母の死後、姉と険悪になった。

 姉は、母を殺したのは私だと罵った。自分は母の子だ、私は父の子だ。父と母がたまたま夫婦だったというだけで、自分と私は赤の他人以下だと、それこそ罵詈雑言を浴びせた。

 さあ、謝れ、自分に頭を下げて謝れ、母がどんなにショックだったか、思いを馳せろ、母を生き返らせろとまで言った。

 誰よりも母を死なせた原因を作った事に責任を感じ、自分を責めている私に、追い打ちをかけるように責め立てた。こちらが言葉を失う程、姉は怒り狂った。

 自分は被害者だ、私を加害者だと言いきった。その怒りようは、まるでかつての母のようだった。本当に「全盛期」の母を見ているようで、恐ろしくなった。母が姉に乗り移り、姉の口を借りて、私を再び罵倒しているようにさえ見えた。

 

 いっときは本当に仲が良く、一緒に映画を観たり、美術館へ足を運んだり、毎週待ち合わせをし、きょうだいで毎週会っていて、まるで恋人みたいだねと笑いあったり、お互いのアパートに泊まりあったり、お互いの結婚を心から祝福したり、子どもがいない姉が私の息子を我が子のようにかわいがってくれたり、たくさん良い思い出を作ってくれた姉が、他人以下になってしまった。

 同棲していた恋人の事故死を受け止めきれず、荒れ狂った私を支えてくれた時。

 満たされない心を物で埋めようと買い物依存症になり、借金まみれになった私を心配してくれた時。

 水商売にはまり、酒や男に溺れ続ける私をそれでも見捨てなかった時。

 何年もかけて借金を完済した私を、本当に偉いと褒めてくれた時。

 私の立ち直りを心から応援してくれた時。

 会社に就職した際に、自分の事のように喜んでくれた時。

 32歳にして、初めてのボーナスをもらえたと報告した時に、ちゃんと貯金しなよと言ってくれた時。

 自分の結婚式で私にヘアメイクを頼んでくれた時。

 私の結婚式(私は勿論、きちんと結婚式を挙げた。写真だけの結婚式ではなく。母に可哀想がられる人生など断じて送っていない)で、心のこもったスピーチをしてくれた時。

 妊娠した私を気遣ってくれた時。

 息子に愛情を注いでくれた時。

 そのときどき、私は姉をいちばんの親友だと思った。神様がいちばんの親友を姉として会わせてくれたと、心から喜んだ。子どもの頃にいじめられた事など、どうでも良くなった。今、良くしてくれるから、過去はどうでも良い。心からそう思ったのに、もはやただ残念だ。本当に残念でたまらない。

 何年も音信不通で、何度か歩み寄ろうとするたびに私を突っぱねる姉に、もはや取り付くしまもなくなった姉に、どうにも接しようがなかった。  

 たったひとつの救いは、姉が私に「無関心」ではない事だ。愛の反対は憎悪ではなく、無関心だ。これはマザーテレサの有名な言葉である。姉は確かに私に対して憎悪にみなぎっているが、決して無関心ではない。

 この経験から私はこんな事を学んだ。いくら本当の事といえども、人に「仕返し」をしてはならない。

 あの時あなたは、ああ言った、こう言った、こんな仕打ちをした、と後から蒸し返して思い知らせた所で、攻撃した所で、何にもならない。並べ立てた事例が本当の事であればあるほど、心当たりがあればある程、相手は衝撃を受け、打ちのめされる。そして自責の念にかられ、自分を罰する。

 そう、母のように。

 そして最悪の場合、命を落とす。

 母のように。

 

 私は何故、人に「仕返し」をしてしまうのか、じっと考えた事がある。そして小学生の頃、友達にいじめられ、父に話した所

「お前も同じ事やり返せばいいだろう」

と言われた事を思い出した。その言葉が私の潜在意識にあったのだろう。勿論そのせいにしてはいけないが、もう二度と仕返しなどするものではないと学んだ。

 もうひとつ、どんなに腹が立っても人を追い詰めてはならない。父と母は私を物凄く追い詰めた。

「親が絶対って思わせる」

そう言いながら、出口をふさぎ、追い詰めた。追い詰められれば追い詰められるほど私は逃げたくなった。親や教師が追えば追う程、私は逃げた。

 だが私も共に暮らした桜井正一さんを追い詰めてしまった。悪かった。逃げ道を作ってあげるくらいの気持ちで付き合えば良かった。正一さんは私を決して追い詰めなかったし、馬鹿にしなかった。

 正一さんだけでない、友達や恋人を追い詰め、いじめた事は何度もある。悪かった。私を追い詰め、いじめた人もいたが…。神様がそうする事で勉強させてくれたのだろう。

 ならば、だからこそ、私は夫や息子に寛大でありたい。

 母は私によく「なになにって言ったじゃない」と蒸し返して思い知らせようとした。私はそれを嫌々ながら「受け取ってしまった」のだろう。

 そして「なになにと言ったね」と、事例を並べながら、受け取ったものをそっくり母に「返してしまった」のだ。

 そして母はよく「いちばん怖いのは人よ」と言っていた。だから私という「人」に命を落とすほどの「怖い目」に遭わされたのだろう。

 また、「事故に遭ったり病気になって,スッと死ぬならまだしも、重い障害持ったら大変よ」とも言っていた。だから病気になった時、スッと死ぬ努力をしたのだろう。

 母は幼少期から私に何度も言い続けた。

「だって本当の事じゃない。何が悪いの?」

「自分の撒いた種は自分で刈り取りなさい」

 文字通り、言葉通り、母は自分の撒いた種を自分で刈り取ったのだ。

 私はその悪魔のようなメールを送る時にそう思った。本当の事だ。何が悪い。自分の撒いた種を自分で刈り取れ。

 だが、やはり本当の事を言えば良いというものではない。現に母は打ちのめされ、逝った。そして、姉は私をなかなか許そうと「しなかった」。

 

 ではどうすれば良いか?この回答は夫から学んだ。夫は私が忙しい等で苛立ち、声を荒げた際にビシリとこう言う。

「ああ随分きつい言い方するね」

 これにはハッとさせられる。我に返り、すぐに謝り、改める事が出来る。

 そして彼は私や息子に苦情を言いたい時に、褒め言葉でサンドイッチしてくれる。

「ママ、俺はママを信頼できる人だと思っているけど、イライラしてヒステリックな声を出すのは子どもにも良くないと思うよ。後は完璧だもんね」

「ママ、家事を一生懸命やってくれるのは有り難いけど、疲れて怒りっぽくなるのは勘弁してよ。せっかくの美人が台無しだよ」

等々「褒める→本当に言いたい事を言う→また褒める→その話をすっきり終わらせる」という図式にそって神対応してくれる。

 一発で良いと思い、すぐに自分に取り入れた。おかげで人間関係は昔よりずっと良くなった。神様がよくこんなに出来た人に巡り会わせてくれたものだ。関白タイプでありながら暴力などとんでもない人だ。

 そう、神様はかつて関白タイプの人と結婚したいという私の願いもかなえてくれた。駄目な私をどんどん引っ張ってくれる、優しくて頼もしい関白タイプの人を。どこまで私は幸運なのだろう。

 そして私が夫をたいせつにするのは、彼が年下だからではない。母は年上女房は逃げられたら困るから若い亭主を大事にするのだと言っていたが、私は彼の精神や性格が好きだから、一緒にいて楽しくて幸せだから、感謝しているから、大事にする価値があるから、何より「たいせつだからたいせつにする」のだ。

 一日経つごとに愛情が増していく。私の喜びを何倍にもしてけれ、私の悲しみを千分の一にしてくれる。そんな人は初めてだ。

 今ほど静かに人を愛し続けている時はないし、今ほど幸せを実感している時も、安心している時もない。今世で会えて本当に良かった。来世でも再来世でもその次も次も次も、私は夫と結婚するし添い遂げる。私は本気でそう思っている。

 ああ、これが奇跡でなくて何だろう。

 

 また、かつて母や私に暴力を振るい続けた父は年を重ねて足腰が弱り、車椅子で移動するようになった。姉か私が交代で車椅子を押す。病院で長い待ち時間に苛立つ父を何とかなだめ、文句をまったく言わずにただ黙って車椅子を押し続ける私に、ある時父が言ってくれた。

「良い娘を持って俺は幸せだ」

その言葉に報われた。私はこの父親を選んで生まれたのだろう。勿論あの母親も、私は選んで生まれたのだろう。

 そう言えば、母は大人になった私に一度だけこんな事を言ってくれた。

「子どもっていうのは、生きていればいいんだなって思うわ。あなたを見ていて。どんな風にもなるから」

 それで許せば良かった。もうひとつ、

「マリは小さい頃からお菓子でも何でも、最後のひとつなんて絶対に手を出さなかった」

と言ってくれた事もあった。

 …幼少期、家族4人で4つのお菓子を食べる際に、父は必ずふたつ食べてしまっていたせいで、私は食べられず、姉に最後のひとつを渡していた。その時母は気が付かないのかと思っていたが、実は気付いていたのだった。

 だったら、何故その時に何も言ってくれなかったのか、という気もするが。

 

 そして父も、大人になってから私に良くしてくれたように思う。私が婚礼司会の仕事をしている時に

「お前がそんな仕事してくれるようになるとはねえ」

と言ってくれた。また、別の時には

「うちの娘たちは打って出るからねえ。よくあの若さで家を追い出されてまともに生活してきたねえ」

とも言ってくれた。これも意外だった。

 母は「勝手に出て行った」と言い続けていたが、父は「追い出した」という自覚があったのだ。またこんな事も言われた。

「お前をもっと良い学校に入れてやりたかった。そうしたらもっと良い会社で働けたのに」

 私は即答した。

「私は愛社精神を持って働ける最高の会社で10年も働けたし、最高の人間関係に恵まれたし、婚礼司会も出来たし、最高の旦那さんと結婚できたし最高の子どもを生めたし、今以上の人生はないと思っているよ」

 父は言ってくれた。

「なら良かった」

 そう、それが私の本心だ。この人生で、本当に良かった。

 それに私は父から「たったひとつの事を最後までやり遂げる辛抱強さ」を学んだ。父は38年間JELで働き、生活費を家に入れ続け、家庭をぎりぎり捨てなかった。嫌らしく、大人げなく、酷い父親ではあったが、そこだけは良かった。

 

 いずれにしても、過去の仕打ちは許そう。あのつらかった日々があるからこそ、今がある。私はあの父母と、姉と、あの家庭環境を選んで生まれた。でなければここまでの精神力はなかった。神様が私なら耐えられる、私なら多くを学べると思ってそうしてくれた。

 おそらく、私の場合どちらかだったんだろう。幸せな家庭に生まれ育ち、不幸な結婚生活を送るか、またはその反対か。生まれる時に私は神様に聞かれ、今の状態を選んだのだろう。だとすると、すべて合点がいく。     

                                               

 私は今、自分が与えてもらっているものを当たり前と思った事が一度もない。すべては奇跡だ。

 生きている事。

 心身が健康である事。

 たいせつに思う家族がいる事。

 住む家がある事。

 良い人間関係に恵まれている事。

 私の話を信じてもらえる事。

 何も我慢する事なく、穏やかに暮らせる事。

 それを当たり前と思う事なく、奇跡だと有り難がる、神様がそうさせてくれた。

 

 死にたくてたまらなかった日々もあった。だが何故か死ねずに「生かされた」。

 家族を憎んだ時期も長かった。家がいたたまれない場所だった。すべき仕事がない時代もあった。悪い人に騙されて地団駄を踏んだ事もあった。

 そのすべてが今につながっている。

 

 例えば30歳を過ぎてやっと「正社員として就職」した私は(実家と断絶していて保証人を立てられなかったという事もある)、年下の先輩に仕事を教わる事が多かった。良い気持ちはしなかったが、フリーターや派遣でいるより、ましてや水商売よりずっと良いと割り切れた。二度と不正規の仕事をしたくなかった(現在、不正規の仕事をしている人や水商売で生活している人を否定するつもりは毛頭ない)。

 またその会社で嫌な事があっても、嫌な人がいても、辞めるものかと踏ん張れた。二度と無職も職探しをするのも嫌だった(無職の人、職探しをしている人を否定するつもりもまったくない)。

 そして衝動買いやローンを組んでまで物を欲しがらなくなった。借金地獄を経験したおかげだった(借金をしている人を否定するつもりも一切ない。応援する気はある)。

 人の悪口を言わなくなった。言い過ぎてみんなに嫌われ、その時の仕事を辞めざるを得なかった経験のおかげだ。

 それに人の悪口というのは言っても何も良い事はない。それを聞いている自分の耳がすぐそばに二つもある。相手も自分も気分が悪くなる。

 だが誉め言葉は相手も自分も気分が良い。それを聞いている自分の耳もすぐそばに二つある。だから私は今日も誰かを褒め続ける。

 上司の表情を見て、何が必要か、どうして欲しいのか、瞬時に判断出来るようになった。親の顔色を見続けて育ったおかげだ。

 会社の友達と600円の弁当を食べている時に満ち足りた気持ちになれた。200円の弁当さえ買えないほどの極貧を味わったおかげだ。

 上司や先輩、同僚や後輩、みんなにあてにされ、仕事を頼まれるのが嬉しかった。誰からもあてにされず、その職場にいたたまれなかった経験のおかげだ。

 謙虚になれた。 仕事を覚えられず、後輩に追い抜かれる惨めさを経験したおかげだ。そしてその会社で数字を見ている部署に配属された。これも縁があったと言えよう。

「沖本さんは数字に強いね」

と言われるのが嬉しかった。

 この時、中学時代に数学が好きだった事を思い出していた。ドンピシャリ!と合う瞬間が、大人になっても好きだった。

 また、その会社は固定客の仕事に介入する事もあったのだが、あるお客さんが和楽器の演奏者をしており、定期的にコンサートを開き、社員がよく招待された。みんなが退屈して居眠りをする中、私だけは関心を持ち、姿勢を正して最後まで堪能する事が出来たのは、お琴を習っていたお陰だろう。やはり無駄な事は何もない。

 そして35歳にして、婚礼司会者としてプロデビュー出来た。会社に正社員として雇ってもらえ、ボーナスをもらえるまでに長続きし、そのお金でアナウンススクールに通えたおかげだ。

 勿論仕事は甘くない。式場スタッフや所属事務所の人に滅茶苦茶に叱られる事もあった。だが、言えば何とかなる、と思うからこそ言ってくれるのだろうと受け止められる。誰からも何も言われず、いちばんつらいのは人から何も言われない事、すなわち見捨てられる事だと実感した経験のおかげだ。

 そして仕事の時、私は必ず母の作ったコサージュを左胸に飾った。

「天才華道家・沖本麗子」の手掛けた見事なコサージュを。

 

 婚礼司会者は、有名な大学を出た人や、元局アナ、元タレント、有名な劇団にいた人など、そうそうたる人が多い。だが私にはそういう華やかな過去やブランドがない。モデルとして活動した期間も短く、自慢できるほどのキャリアではない。

 MCとしては何のコネもツテもなく、それこそただ努力するだけで昇りつめ、夢を叶えた自負と自信が私にはなみなみと溢れていた。母のように。母の娘でなければ、この声と度胸はなかったろう。やはり、私は母を選んで生まれてきたのだ。

 そしてものは言いよう、考えよう、という言葉がある。私は確かに低学歴であるが、その事をあまりコンプレックスに感じた事がない。母は言い過ぎ、気にし過ぎたが、私自身はまったく感じていないしそう思わない。

 と言うのは、働いてきた喫茶店やレストラン、デパートや会社が「最高の大学」だったからだ。

 あまりにも中卒、中卒と馬鹿にされる事に辟易し、19歳以降は高卒と偽った(美容専門学校の高等科コースを卒業したという事もある)。そしてその途端に周囲の扱いが変わった事に驚いた。誰も

「どうして高校行かなかったの?」

と聞いてこないからだ。当然と言えば当然だが、もう余計なダメージを受けたくなかったし、言い訳をするのも嫌だった。

 …私の主婦仲間で成人した子を4人持つ女性が、堂々とこんな事を言っていた。

「うちの子たち、みんな中卒で働いてくれているから助かっている」

 母に聞かせたかった。

 母は姉が国立大学に受かった時、知友人みんなに自慢して回った。そして私が高校を中退した事は一切口にせず隠し、私に関しては貝のように押し黙っていた。

 そして父が会社に私が高校を卒業したという証明を出せず恥ずかしかった、という事をねちねち言い、私のせいで居たたまれなかった事を恨みがましく言い続けた。父も母も、言っても仕方ない事を、いくつになっても言い続けた。

 母は

「お姉ちゃんもマリも自分の手の届かない遠い所へ行ってしまった」

だの

「その会社には高卒って言ってあるの?」

と言った事もある。「所有物」そして「低学歴」と思えばこそ出てくる言葉だろう。いつまでたっても私を中卒と見下し、馬鹿にし続けた。

 だが私はこう思う。私の「最大の強み」は、「中卒である事」だ。お陰で人の話を素直に聞けるのだから(経営の神様と言われた松下幸之助さんのように)。

 もうひとつ、今まで本当に色々な人に会ったが、私にまったく何も学ばせてくれない人はひとりとしていなかった。

 そう、私の座右の銘「我以外、皆、師成(われ・いがい・みな・しなり)」。自分以外はみんな先生である。

 ある人は、私に優しく教えてくれた。またある人は、厳しく言ってくれた。別の人は

「沖本さん、私たちのペースに付いて来られないのね」

と苛立って言い放つ事で(嫌味を言う事で)伝えてくれた人もいる。また別の人は軽蔑の眼差しで見る事で、どう思っているのか伝えてくれた。またある人は

「ああ…沖本さん?…」

と嫌そうな声を出す事で、私を嫌いなんだと意思表示してくれた。

 が、その人たちはあくまでも私の「行動が嫌い」なのであった。私自身を嫌いな人はあまりいなかったような気がする。

 本当に私を嫌いな人と言うのは、私の目も見てくれないし、名前も呼んでくれなかった。目を見てくれただけ、名前を呼んでくれただけ、ましだった。

 いずれにしても何も教えてくれない人や、何も伝えてくれない人は、本当にひとりもいなかった。しかもその人たちは私から1円たりとも授業料を取ろうとしなかった。

 こんな有り難い話があろうか。本当に「教えてくれて有難う」と心から御礼申し上げたい。

 

 さらに、借金を完済した時に感じた達成感は、並大抵のものではなかった。自分の撒いた種を自分で刈り取る事が出来たのだ。はげたおじさんひとりを騙せば済む話なのに、という友人もいたが、それではあの物凄い達成感はなかったろう。変な例えだが、自分の前をずっと覆っていた雲が一気に晴れ、爽やかなお花畑に舞い降りたような感じだった。

 ああ、良かった。もう借金の為に働かなくていい。欲しいものはおろか、必要なものさえ買えなかった時代は終わったんだ。これからはきちんと考えてお金を使おう。金銭管理能力を今度こそ身につけようと思えた。

 そしてこんな風に思った。ああ私は今いちばん幸せだ。貯金もゼロだけど、借金もゼロだ。

 更にこうも思った。ああ幸せだ。今、私を可愛がってくれる恋人もいないけど、いじめる恋人もいない。ああ幸せだ。良い友達もいなくなったけど、私を騙そうとする悪い友達もいなくなった。

 そう、悪い方でなく、良い方を見れば、幸せは山のようにあった。

 そして借金がなくなったお陰で生活にゆとりが生まれ、友達との外食や旅行も楽しめるようになった。何より水商売を辞めた事で、良い友達がたくさん寄ってくるようになった。

 私はきっと悪い友達や悪い出来事を自ら引き寄せていたのだろう。私自身が悪かった時、変な友達や男や出来事がどんどん寄って来たし、借金は借金を呼んだ。

 そして私はもう二度と馬鹿な事をしない、と決断して以降、良い友達や良い出来事がどんどん寄って来てくれたし、貯金は貯金を呼ぶようになった。

 

 歳月が私を強くしてくれた。出来なかった反論や説明を出来るようにしてくれた。そのせいで母は命を落としたが。

 もうひとつ、感謝も出来るようになった。何か良い事があるから感謝するというよりも、何もなくても、悪い事が起きても、それでも私はこの程度で済んで良かったと感謝して生きる。

 毎日寝る前に、今日の奇跡は、家事がスムーズに済んだ事、家族がきちんと帰って来てくれた事、ストレッチやウォーキングが出来た事。道で友達に会えた事、茶碗を割ったが怪我をしなかった事、宝くじで一万円も当たった事等思い起こし、微笑んで眠る。

 そして目覚めた時はこう思う。「さあ、今日はどんな楽しい事があるのかな?」

 いつしかこういう考え方が身に付いた。

 信号や電車の乗り継ぎがスムーズであれば良かったと喜ぶ。スムーズでなくても時間に余裕を持って外出したから大丈夫だと喜ぶ。時間に余裕がなければ、どうすれば一刻も早く到着するか知恵を絞り、そんな自分を喜ぶ。

 狭い道で行き交う人が譲ってくれたら、勿論早く進めるから喜ぶ。自分が譲ってあげられたら余裕があるという事だ、と喜ぶ。なるべく譲るようにしている。

 電車で座れれば勿論有り難い。だが人に席を譲れるのも、健康という事だから有り難い話だ。私はいつも座れた時に、誰に席を譲ろうかと辺りを見回し、座りたそうな人と目が合うとにっこり笑い、すっと席を立って車両を移るようにしている。

 鼻血を出した子どもや人を見たら、さっとポケットティッシュを渡す。そういう時も、恩着せがましい顔をせぬよう車両を移る。

 意地の悪い人がいたら、この人は不幸なんだろうと思いを馳せ、私は幸せだからこそ人に優しく出来ると喜ぶ。

 外食や買い物をする時、新人らしい店員がもたついていても

「ゆっくりどうぞ」

と言える。相手が何かミスをしても「その行為」だけを注意し、さっとおさめられる。

 若い店員がわざと手抜きをした対応をしても、やはり「その行為」だけを注意し

「自分の子だと思って言っているんだからね。お母さんだと思って聞いてね」

と救いのある言い方で早めに切り上げ、横で恐縮している上司らしき人に

「あなたはもうこれ以上注意しなくていいですよ。この人はじゅうぶん応えているだろうから。あと若いなりに、何か事情があるでしょうから、首にもしないで下さい」

と言える。人に厳しかった自分が、寛大になれた事を喜ぶ。

 もしも仕事を首になったら、切られるより切る方がつらいだろうと相手をいたわり、傷つかないように切ってくれて有難うと喜ぶ。自分から辞めた場合は、首になった訳ではないから良かったと喜ぶ。

 恋人に振られたら、振られるより振る方がつらいだろうと相手をいたわって、傷つかないように離れていってくれて有難うと喜ぶ。自分から振った時は、振られた訳ではないから良かったと喜ぶ。

 いずれにしても、その会社や男性と合わなかったりご縁がないという事は、他にご縁があるという事だし、合わないという事は、どこかに合う所があるという事だからそこを探せばいい話だと喜ぶ。

 神様が新しい未来をプレゼントしてくれたと喜ぶ。次はどんな会社や男性が私の前に現れてくれるのかなと楽しみに、喜ぶ(そうしたら本当に愛社精神を持てる会社に出会えたし、最高の夫に出会えた)。

 何があってもなくても、良い所を見つけて喜ぶ。喜んで喜んで喜びまくる。更に喜ばしい事がやって来るから、また喜ぶ。ますます幸せが満ちる。

 小さな事でも良かった点を見つけて喜ぶ。自分の幸せが世界平和につながると喜ぶ。私の人生は幸せに満たされていると、心から喜ぶ。

 不満を山のように抱えて生きていた私が、何があっても喜べるようになった。人に会うとまず欠点に目が行ってしまっていた私が、まず美点に着目出来るようになった。人の悪口ばかり言っていた私が、いつも誰かを褒めてばかりいられるようになった。

 何て素敵な人生だろう。

 

 私には、自分の運勢が音を立てて上がった瞬間というのがある。

 それは「口角が上がった瞬間」だ。

 鏡に向かい試してみれば分かるが、口角だけ上げようとしても上がらないし、1秒ともたない。だがこれを簡単かつ、永続的に上げる方法がひとつだけある。

 それは目が微笑む事だ。目が微笑むと自然に口角は上がる。

 では目が微笑む為にはいったい何をすれば良いか、これも簡単だ。

 それは「自分の周りにいる人の美点に注目する事」だ。

 例えば、ああこの人は家族を大事にしている人だな、とか、この人は決して人の悪口を言わない人だ、とか、この人は人を傷つけないものの言い方を出来る人だ、とか、この人は神対応が出来る人だ、この人はパソコンに精通している、この人は誰かを叱る時はみんなに分からないように叱り、褒める時はみんなの前で褒める人だ、等々、人それぞれの良い所に注目すると、本人を前にした時に思わず尊敬の念が込み上げる。必ず目は微笑み、口角は上がり、それが相手にも伝わり良い気持ちになってくれる上に、自分の運勢も音を立てて上がる。

 ああ、何て幸せなんだろう。

 

 箱入り娘という言葉がある。

 多くの場合、たいせつに育てられた御令嬢の事をいうのだが、私の親は私を狭く暗く窮屈でつらい箱に閉じ込めた。そしてきちんと育てた、姉と同じように育てたと言い張った。姉に死んだものと思っていると言った事は一度もないのに…。

 反論も説明も苦手だった私は、言葉で言えない分、行動で伝えようとしてしまった。それは全然違うよ、と。…誰にも理解されなかったが。

 そう言えば、かつて交際した男性で最初にこう言ってくれた人がいた。

「君は箱に入れてたいせつに取っておきたいような綺麗な女の子だ」

 その人も決して私をたいせつにしてくれず、心地良い箱に入れてもくれなかった。勘違いする人を相手にしてはならないという学びはもたらしてくれたが…。

 ただ私は、結果的に自分で自分を心地良い箱に入れる事が出来たのだから良かった。

 

 一昨年、私は大きな決断をした。

 それはずっと経過を診ていた子宮の病気を手術により完治する、という事だ。子宮筋腫、内膜症、卵巣嚢腫、と豪華三本立てだった。

 筋腫は、赤ちゃんの頭くらいの大きさに成長し、尚且つ「塊」が見える。切除して検査をしてみないと良いものか悪いものか分からない、このまま「経過を診続ける」事は命の危険を伴っていた。

 夫や息子と離れたくない。生きて二人の役に立ちたい。夫と添い遂げたい。息子の成長を見届け、幸せな大人になる姿を見たい。入院すれば一時的に迷惑をかけるが、長い目で見て行こうと思った。

 そして結果的に、また大きな幸せを実感する事になれた。

 

 手術をする、と夫と息子に告げた時、二人が動揺しない事にほっとした。夫も、夫の両親も、地に足のついた対応をしてくれた。私も自分の事ながら、あまり、というか、全然動揺しなかった。いちばん動揺したのは父だった。

「母さんと同じ病気なんて」

と何度も言った。

 だが私は「それは違う」と思った。母が私を、自分と同じ「子宮癌にさせない為に」わざわざ子宮を全摘出するようにしてくれるんだろうと嬉しく思ったし、私の子宮の病気に代わるものは何だったのかと考えると、痛み等の自覚症状もなく、日常生活に一切支障のない子宮の疾病は、むしろ幸運だと思えた。

 神様は二人目の赤ちゃんは授けてくれなかったが、その代わりに子宮の病気を全部持ち去ってくれようとしているのだろう。体のあちこちに病気があるのではなく、子宮という場所に3つの病気が「集中してくれた」のも有り難い話だ。一気に治せるのだから。

 母が逝ってちょうど10年という節目の年でもあり、まして命日月に手術と言う事にも不思議な縁を感じた。

 もうひとつ、当日は大安吉日であった。婚礼の仕事をしている者ならではの価値観だろうが、手帳を見て大安と分かった瞬間に、この手術を機にあらゆる事が一気に好転するという確信が生まれた。根拠のない自信にみなぎっていた。

 ああ嬉しい。早く手術したい。新しい自分になれる。それに私は、きっと誰かの代わりに子宮を全摘するのだろう。だったら尚更良かった。フサエか、マユミか、中井さんか、チヨミちゃんか、加山さんか、マチコか、誰か分からないが、誰かが子宮を取らなくて済むのだ。今まで散々代わってもらったのだから、今度は私が代わる番なのだろう。

 ああ良かった、なんて恵まれているんだろう。なんて幸せなんだろう。ワクワクする心を抑えられないほど浮足立ってしまった。どこの世界に手術をこんなに楽しみにするやつがいるんだろうと、我ながらおかしかった。

 一日に何度も下腹に手を当て、まだそこに存在してくれている子宮たちに話しかけた。

「子宮さん、卵巣さん、筋腫さん、今まで私と一緒にいてくれて有難う。私の為に働いてくれて有難う。お陰で良い子を生めました。お陰様で良い人生です」

と、御礼を言い続けた。

 入院中、夫の両親が、手伝いに来てくれる事になり、有り難く受け入れた。申し訳ない気もしたが、ここは頼んでしまおうと思った。

 そして入院までに、可能な限りの事をやろうと思った。ちょうど仕事がなく、良いタイミングと言う気もした。

 神様が暇を与えてくれたと思い、家事を一心にこなした。万一(命を落とす)、という事もあるので、整理整頓をして、例え私がこの家に帰って来られなくても、家族が困らないようにと、家の中を整えた。

 そして息子に家事を一通り教えた。食事の作り方、後片付けの仕方、ごみの出し方、部屋や風呂場やトイレの掃除の仕方、洗濯機の回し方、干し方、取り込み方、畳み方、しまい方、息子は毎日繰り返される家事に疲れ、大文句を言ったが、私は容赦しなかった。私が死んでも息子が困らないように。

 もうひとつ、世の中に無駄な事はひとつもない。息子がいつかひとり暮らしをしたり、家庭を持った時には勿論、仕事をする上でも家事経験は役に立つ。「段取りが良くなる」のだから。

 

 要領の悪い母に育てられた私は、若い頃は家事がどれもこれも苦手だったし下手だった。

 だがいかにして時間と水道光熱費、手間や体力を節約するか、洗い物を少なくするか等々考えに考え、色々な情報を集め、工夫を凝らすようになった結果、まあまあ段取りは良くなったように思う。

 弁当も彩り良く作れるようになったし、ひとつの食材を活かしきる、使い切る、おいしく食べられるよう愛情を込め続ける。洗濯物ひとつ、どう干せば乾きやすいか、どう畳めばしまいやすいか、どう収納すれば探しやすいか、どう掃除すれば効率がいいか、ごみの出し方は、等々考え続け、ひとつのやり方に固執せず方法を変え続ける。

 それを懸命に息子に伝授した。いつかきっと息子の役に立つ筈だ。私が居なくなっても。

 そう、私は命を落とすかも知れない事を覚悟し、受け入れていた。母も一切闘病せず「病気を受け入れて」いた。

 友達にも事情を話し、ランチした。もしかしてこれがこの人との最後のランチになるかも知れないと思いながら、笑顔で分かれた。

 

 そして入院の半月前の事、「人生最後の生理」が来た(この半月前、というのも、物凄くナイスなタイミングだった。生理が済み、ちょうど一週間した所で、つまり出血していないきれいな状態で手術が受けられるのだから)。

 それが凄かった。溢れかえるのではないかという程の量。もはやトイレから出られないくらいだった。まるで子宮が意志を持ち「これが最後だ」と悟っているかのようだった。

 その時に思い出したのだが、私は光の園で過ごした9カ月間、生理が止まっていたのだった。環境の激変に体がついていけなかったのだろうが、私と同じように生理が止まった女子入園者は何人もいた。誰も妊娠はしていなかった。

 そして退園した翌月、まるでそれまでの生理がまとめて来たような凄まじい生理に見舞われたのだった。その時も子宮が意志を持って「今まで止まっていた分だ」と言っているような気がした。なかなかトイレから出られなかったし、生理用品もいくらあっても足りなかった。

 その後、ひとり暮らしを始めた時も生理は半年近く止まった。やはり環境が変わった事に体が反応したのだろう。転職や引っ越しをするたびに、私の生理は止まった。

 だが同じ会社で働き続け、同じアパートに住み続けるようになったら生理も安定した。何か、体が私に「安定してくれ」と訴えかけていたような気がする。

 …人生最後の凄まじい生理に付き合いながら、私は下腹に手を当ててこう言った。

「今まで私の為に働いてくれて有難う。あなたはお役御免と分かっているんだね。本当にお疲れ様でした。有難う。有難う」

 段々生理が終わりに近づくにつれ、不思議な安堵感に包まれた。ああ閉経だ。有り難い話だ。つくづく、人の体というのはよく出来ていると感動した。

 

 さあ、入院までもうあまり時間がない。気持ちを切り替え、私は家事に邁進した。可能な限り料理の作り置きをして、冷蔵庫の中をタッパーで埋め尽くし、買い物をした。布団を干し、部屋を掃除し、当日も早起きして洗濯物を残らず洗って干してから、病院へ向かった。家族の負担を少しでも軽減したかった。

 そうしながら、母は祖母の看病に行く時にめそめそ泣いて悲劇のヒロインを気取るばかりで、家事は一切しなかった事を思い出していた。

 

 入院の翌日、夫が忙しい仕事を休んで来てくれた。何か、久しぶりに会ったような気がして嬉しく、手をつないで病院内を歩き、帰る彼の後ろ姿をいつまでも見送った。

 

 手術当日の朝、腕につけていたパワーストーンのブレスレットが突然バラバラになった。

 夫がこう言ってくれた。

「ママの身代わりになってくれたんだよ。良かったね」

 ああこれで、全部うまくいくとますます嬉しくなる。

 

 夫と、夫の両親が、手術室の前まで一緒に来てくれた。いよいよ看護師に呼ばれる。

 まずはお舅さんに言った。

「お父さん、行ってきますね」

 そしてお姑さんに言った。

「お母さん、行ってきます」

 そして夫と息子と握手をして言った。

「行ってくるね」

 心配そうな顔をする4人を見て、こっちが心配になった。

 大丈夫だよ、笑顔で手術を受けて来るよ、というメッセージを込め、笑って手を振った。手術室のドアが閉まるまで、満面の笑顔で手を振り続けた。実際嬉しかった。さあ、やるぞ。腹が決まる。

 手術室に入った時に、担当医が言ってくれた。

「頑張りましょうね」

 その時、口をついてこんな言葉が出てきた。

「100%信頼してお任せします」

 担当医が、はっとした顔をする。そして、嬉しそうに、嬉しそうに、笑ってくれた。

「スタッフの皆さん、よろしくお願いします」

 司会の仕事で、披露宴会場に入る時のような気持ちでそう言った。背中に注射を打ち、手術台の上に仰向けになる。若い女性看護師が、緊張する私を安心させようと手を握ってくれ、こう言った。

「私、ずっとここにいます」

 性格の良さそうな、可愛らしい子だな、いつか息子のお嫁さんにこんな子が来てくれたらいいなと思った。

 麻酔をかけるまで、まだあと数分あるようだ。意識があるうちに何か話したかった。

「私は今、いちばん幸せなんです。家族も友達も、みんな応援してくれていて、本当に、今まで生きてきて、今この瞬間いちばん幸せなんです」

そう言うと、その看護師が笑顔を見せてくれた。周囲では、この手術に関わるスタッフが、何人も何人も立ち働いている。何事か打ち合わせたり、機械を運んだりしている。

 有り難い気持ちでみんなを見回し、思わずこんな言葉が出てきた。

「みんな、私の為に働いてくれて有難う」

 看護師がはっと息を飲む。そして、心から笑ってくれた。ああ、言葉と言うのは、魔法だ。暴力にもなるが、こんなに人を幸せそうに微笑ませる事だって出来るのだから、と誰より私自身が幸せだった。

 さあ、笑顔で手術を受けるぞ。

 さあ、運命を変えるぞ。

 麻酔医が言った。

「これより麻酔をかけます」

 笑顔で頷く。

 …これ以降の記憶がまったくない。あっという間に眠り落ちた。そう、小学生の時に貧血を起こし、無理をして自力で家に帰り、布団の上に崩れ落ちた時のように。

 

「1、2、3!」

という掛け声が遠くから聞こえ、手術台からベッドへ移されたような気がした。うっすらと意識が戻る。

 そう、光の園でリンチされ、ヨウコの

「みんなもうやめで」

という声を遠くに聞いた時のように。

 スタッフが手早く後処置をしているような感覚があった。

「終わりましたよ」

そう声をかけられ目を開けた。手を握ってくれた看護師だった。

 ああ、生きている、と思った。ベッドごと移動されている。天井の蛍光灯が眩しかった。移動していく様子を見ていたかったが、目が回り嘔吐しそうな気がして目を閉じる。

 

 ガチャリ。ベッドが定位置におさまる音がする。その音を聞いて一瞬こう思った。ここは反省室か?それとも奥之院の奥か?

「病室に戻りましたよ。分かりますか?」

 同じ声がした。目を開け、看護師に頷く。

 …と、ここで初めて夫と夫の両親、息子の4人がベッドの周りを囲み、心配そうに私をのぞき込んでいる事に気付いた。

 それを見て、最初に奥之院の奥へ叩き込まれた時に少女たちが倒れている私を取り囲んで、心配げに見入っていた事を思い出す。

 反射的に両手を上げる。夫と、お姑さんが握ってくれた。夫が何度も何度も瞬きをしている。

 その憐れむような眼差しに、幼少期に自分を見ていた大人たちの眼差しを思い出す。母が連れて行った病院の医者や看護師、宗教団体の幹部、同じ社宅の脇田さん。

 まったく声に力が入らないが、それでも絞り出す。

「だいじょうぶ?」

 酸素マスク越しで聞こえなかったらしく、夫が耳を寄せる。安心させようともう一度笑いかけてから言う。

「わたしは、だいじょうぶ」

 声が掠れている。フガフガとしか喋れない。治るのか?また声の仕事が出来るのか?

「あしたも、しごとでしょう?はやく、やすんで」

 夫の眼差しがこう言っていた。

「こんな時まで人の心配をしなくていいよ」

 お姑さんに言った。

「おかあさん、わざわざ、きて、もらって、ありがうございました」

 自分でも説明できぬ涙が滂沱と溢れる。そう、幼い頃、瀕死の祖母を前に、自分でも分からぬままに涙が溢れたように。

 幸せだった。私は病んだ子宮を全摘して「もらった」のだ。自分では出せないから、医者や看護師がチームを組んで「出してくれた」のだ。

 子宮と引き換えに、輝かしい未来の扉が、音を立てて開いた。

 

 その夜、手術当日の夜、凄まじく長い、長い、長い夜、

 麻酔が切れ、痛み出した傷は容赦なく私を苦しめた。

 もうひとつ、真冬の海へ落とされたような凄まじい寒気。3時間に及ぶ手術中、私は全裸にされていたのだ。意識がなかった為その時は寒さを感じなかったが、その悪寒が「今頃来た」のである。光の園で経験した寒冷地獄の比ではなかった。

 看護師に助けを求めようとするが、体も手もガタガタに震え、ナースコールさえ掴めない。ようやく掴めた、と思ったが、今度は指が言う事を聞かずボタンをなかなか押せない。ようやく押せた、と思ったが、今度は口がうまく回らず

「寒い」

そのたった一言がなかなか言えない。看護師に何とか寒さを伝え、電気毛布をかけてもらい、ようやく寒冷地獄から救われるが、下腹の痛みはどうしようもない。

 凄まじい下血の臭いが鼻を突く。これとまったく同じ臭いを嗅いだ事がある。他ならぬ母の病室での事だった。紛れもなく母と同じ手術を受けたのだと、腐敗したような濃い血の臭いで思い知らされる。

 喉が焼け付くように乾いているが、吐いてしまうからという理由で水を飲ませてもらえない。

 測らなくとも高熱に見舞われているのが分かる。

 膀胱に入れられていた管が曲がっていた為、小水がうまく排出されておらず、凄まじい尿意で股間が痛い程に熱い。

 この苦しみを、母も味わったのだ。

 

 ようやく訪れた朝。ありついた一杯の水。差し出してくれた看護師が天使に見えた。母もきっとそうだったろう。

 その入院生活を、私は奇跡の入院、と呼んだ。

 起きられなかったのが、起きられるようになった。

 重湯とはいえ、食事が出来た。

 座れなかったのが、座れるようになった。

 飲めなかった水を、好きなだけ飲めるようになった。

 歩けなかったのが、点滴のスタンドにつかまりながらとはいえ、歩けるようになった。

 自分でトイレに行けるようになった(しもの世話になるのはやはり嫌だった)。

 傷が日に日に痛まなくなった(痛いという事は勿論、治っていくというのも、生きているという事だ)。

 母も同じコースをたどった筈だ。

 下腹に大きな手術痕が残ったが、私はこれを「名誉の負傷」と呼んだ。少しも嫌ではなかった。母の下腹にも同じ傷があった筈だ。

 同室の人たちとも仲良くなれた。点滴のスタンドにつかまりながらとはいえ、よろよろと歩けた時は、同室のみんなが笑顔で励ましてくれた。誰かがくしゃみをし(くしゃみさえ傷に響いた)、痛みに呻けば誰かが声をかけた。

「大丈夫?今の痛かったでしょう」

 そう、痛いというのは生きているという事だ。痛みさえ嬉しかった。

 ただ、やはり化粧品の匂いやドライヤーの音等、トラブルはあった。個室は料金が高いので、夫に負担をかけまいと気を使い8人部屋を選んだが、同室の人に一日中気を使う事になった。同じく入院中8人部屋にいた母もそうだったろう。

 何でもそうだ。一長一短。良い所もあれば、困る事もある。早く退院したくて息をひそめるように2週間を過ごした。

 傷の癒着と合併症を防ぐ為、病院のフロア内を毎日ウォーキングした。スムーズに歩けるようになった事が嬉しく、誰彼となくハイタッチしたいような気持になる。

 そう、幼い頃、誰かれとなく手を振っていた時のように。ハイタッチの代わりに、スタッフや他の入院患者に笑顔を向けた。相手が必ず微笑み返してくれるのが嬉しかった。そう、人に微笑して欲しければ自分から微笑する事だ。

 夫が心配した筋腫の中の塊は、検査の結果、癌ではないと分かった。私は生かされた訳だ。まだ使命があるという事だ。

 

 退院当日、夫が迎えに来てくれた。

 同室の人たちに挨拶をし、スタッフにもお礼を言う。清掃スタッフの女性が、大真面目な顔で私にこう言った。

「もう二度と、こんな所に来るんじゃないのよ」

 何か、刑務所を出所する人の気持ちが分かった。笑顔で頷く。

 

 会計を済ませ、2週間ぶりに病院の外へ「出た」時、見上げた空の大きさと美しさに感動した。

 私はたった2週間といえども、病室や廊下の窓から見える「小さな空」しか見ていなかったのだ。この空を、愛おしいようなこの空を、ずっと見ていたかった。ああ、外に出たんだ。心が舞い上がる。光の園を退園した時と同じだった。

 自宅に帰った時、広い病院に慣れたせいか家が狭く思えた。夫、息子、夫の両親、私の5人で食卓を囲む。ベッドの周囲にカーテンを引き、ひとりで食べていた病院食はまずくて孤独でつらかった。そう、幼少期に家族で囲む食卓が苦痛だったように。

 ああ、生かされている。

 ああ、自由の身になった。

 ああ、空はこんなにきれいだったんだ。

 ああ、私は自分の足で立ち、歩いているんだ。

 ああ、私にはたいせつに思う家族がいるんだ。

 不平不満ばかり言っていた私が、自分の人生に感動できるようになった。

 

 そして体が徐々に元に戻っていく過程を経験し、また感動した。家の周りを歩けるようになった。家事を少しずつ出来るようになった。私には奇跡だった。

 これは母には出来なかった事だった。そう、母はいっときは持ち直したが、ほどなく再発し、まっしぐらに死へ突き進むことになったのだから。

 そう言えば、家事が出来ずに弁当や総菜を買って食事を済ませていた時、夫も息子も一言も文句を言わずにいてくれ有り難かった。

 段々持ち直し、退院後に初めて米を炊いた時に息子が「本当に嬉しい事」を言ってくれた。

「良かった、母さんの炊くご飯が、俺にはいちばんおいしい」

 翌日、味噌汁を作った時も

「この薄からず濃からず仕上げた味噌汁が、俺にはいちばんおいしい。市販の味噌汁はしょっぱくて嫌だ」

と言ってくれた。

 翌日、おかずを作った時は

「良かった、コンビニ弁当はまずくて嫌だった。母さんの作るご飯の方が2億倍おいしい」

と言ってくれた。「2億倍」嬉しかった。

 ああ、家事をあなどってはいけない。家族がこんなに喜んでくれるんだからと、仕事以上にやり甲斐を感じた。

 そう、私にとって家族以上にたいせつな人などいない。

 

 私は夫や息子を送り出す時に必ず

「行ってらっしゃい。待っているよ」

と言う。外でどんな事があってもあなたの帰ってくる場所はここだよというメッセージだ。

 そして帰って来た時は

「お帰り、待っていたよ」

と言う。ここがあなたの居場所だよというメッセージだ。

 私も親にそうして欲しかった。父母は出かける私に、二度と帰って来るな、と言い放ち

帰宅した私に、どうしてここに帰って来るのだと言った。

 酷い育ち方をしたからこそ、だからこそ、私は家族をたいせつにする。

 

 もうひとつ、姉とはもう仲直り出来ないのかと思っていた時に、父が脳梗塞で倒れた。変な言い方だが、これもタイミングが良かった。私が入院中だったり、退院したばかりだったら、対応できなかった。ある程度体が元気になった時に父は「倒れてくれた」のだ。

 一日おきに実家に来ていたヘルパーが父の異変に気付き、救急車を呼んでくれた。もしヘルパーが来ない日だったら、父は助からなかったろう。

 母が助けてくれたような気がしてならない。発見と処置が早かった為に父の命は助かった。そう、命だけは。

 父は脳梗塞の後遺症で「右半身不随」になった。これも意味がある気がしてならない。

 かつて家族を殴り続けた右腕を、蹴り続けた右足を、神様がおさめてくれた。交通事故の時も父は右腕と右足を負傷したが、それは一時的なものだった。このたびは「永久に」右腕と右足を神様はおさめてくれたのだ。

 もうひとつ、父は徹底的にハプニングに対応できず、何かあれば暴力でねじ伏せるか、黙ってその嵐が自分の前を通り過ぎるのを待ち、解放された途端にほっとした顔でテレビを付ける人だった。

 神様は永遠に暴力を振るえない体にしてくれた上、その嵐が未来永劫通り過ぎず、父の中に留まる事にしてくれた。

 父に、ここから学べと、あなたの問題なんですよ、と、口で言って分からないなら体で分からせますよ、と、避けようのない障害を与える事で、これ以上ないメッセージを贈ってくれているのだ。

 父は介護付きの老人ホームに入った。こまめに顔を出すが、行くたびに家に帰してくれと懇願され、気が滅入る。が、これも意味がある気がしてならない。

 自分が言った事、やった事は巡り巡って必ず自分に返ってくる。父はかつて手に負えなくなった私を施設に叩き込んだ。そして私がどんなに出してくれと頼んでも

「お前がまた悪い事しないなんて、そんな保証どこにもない」

と子どものように口を尖らせて言い、なかなか出してくれなかった。母もしまいに家にいられず、激痛と闘いながら病室で命を落とした。

 父も、母も、自分のやった事が返ってきたのだろう。

 

 父が言う。

「お前はどうして俺を家に帰してくれないの?」

「帰さない」のではない。「帰せない」のだ。

 右半身不随の上、認知症も患っている為、もうひとり暮らしは無理だといくら説明しても父は理解しない。いっそこっちも口を尖らせて言ってやりたい。

「家に帰ってもひとり暮らし出来る保証なんてどこにもない」

と。だがそれを言った所でどうなるものでもない。ぐっと堪える。

 

「病院に入ってからおかしくなった。薬を盛られた」

と被害妄想も、大人げないのも相変わらずだ。

「俺は意地悪されている」

とも

「俺、ここを逃げ出そうと思う。警官雇え」

とも言った。

 そう、人は年齢ではない。人間性だ。

 たまたま「92年生きてきた」だけで、人間性は変わらない。

 

「牢獄に閉じ込められているようだ。早く出してくれ」

 父が言う。あなたも私を牢獄に閉じ込めた筈だ。特に反省室は、牢屋より酷かった。

「俺、ここで死ぬの?」

 父が言う。あなたも私を

「今度やったら一生だ」

光の園に一生居ろと、光の園で死ぬまで過ごせと何度も言った。

 ある日突然,否応なしに光の園に入れられた私。

 ある日突然、否応なしに脳梗塞になり施設に入るようになった父。

 お父さん、私にやった事が返って来たんだよ。

 神様が帳尻を合わせてくれているんだよ。

 

「お前、俺に何してくれた?」

 父が私を責める。なかなか帰れぬ苛立ちを、思うように動かなくなった体に対する絶望感を私にぶつける。関節が固まらないように、自分の右手足をマッサージする私をなじる。

 そう、小学生の時、友達の誕生日プレゼントを買う金をくれと言った私に、

「その友達はお前に何をしてくれた?」

と聞いた時のように。

 父が何度も何度も言う。

「お前、俺に何してくれた?」

 父の、何かしてくれたから何かする、とか、何かしてやったから何かしてくれ、という交換条件、損得勘定は、直らない。

「お前、俺に何してくれた?」

 黙って父の手足を曲げ伸ばししながら、私は耐える。

 

 私は色々な事をした筈だ。

 会社でボーナスをもらうたびに5万円ずつ送った(姉はそんな事をしなかった)。

 学校に行かなかった分、学費をあまりかけさせていない(姉は国立大学を卒業した後、一度就職したが、その後、美術大学に入り直し、多額の学費を父母に出してもらった)。

 大きな病気をしなかった(姉は盲腸で入院し、費用を父母に出してもらった)。

 結婚式のバージンロードを父と歩いた(姉は旦那さんと歩いた)。

 披露宴で両親への感謝の手紙を朗読した(姉は読まなかった)。

 孫の顔を見せた(姉には子どもがいない)。

 そして何より、あなたの暴力と暴言に耐えた(私は大人になった今なお、顔の前に手や物があるのが耐えられない。父の手がスローモーションのように近づき、殴打され、吹き飛ばされた場面が蘇るからだ)。

 虐待された割にまともに育ち、まともな就職をし、まともな結婚生活を送り、自分の子を虐待せずに育てていられる。

 補導された事も逮捕された事も一度もない(姉もないが)。

 姉ときょうだい喧嘩した際、あなたは理由も聞かずに姉の味方をして私を殴っておさめたが、それにも耐えた(きょうだい喧嘩で学ぶ事は多かった筈。ただ暴力を用いておさめた父は学ばず、私と姉にも学ばせなかった。また母は泣き落すだけでおさめようとし、やはり学ばず、学ばせなかった)。

 父は私が30歳になった途端に

「その年で」

と言うようになったが、それにも耐え、反論も、父を年寄り扱いもしていない。

 頻繁にあなたの所へ通い、身の回りの事をしている(姉もしているが)。

 大も小も、しもの世話をした(姉は今の所していない)。

 理不尽な言い分にも、凄まじい暴力にも、裸を見られ、股間や胸を凝視されても耐えた(私は最近、息子が湯上がりということを知らずにうっかり脱衣所のドアを開けてしまい、すっぽんぽんの息子に遭遇してしまった事があるが、即座に目もドアも閉じ、股間を凝視など絶対にしなかった)。

 施設に放り込まれても、それでも耐えた。

 息子が幼い頃、食事に行った店内で、走り回る姿に苛立ち(子どもは走り回ってなんぼだ)、

「あいつナントカ言う病気だよ、医者に見せろよ」

と異常児呼ばわりしても耐えた(幼い私にもまったく同じ事を言った)。

 当時3歳の息子がおむつをしているのに対し

「お前もう大きいのに、まだおむつしているのか」

と馬鹿にしたように言ったが、それも耐えた。

「そんな事言うなら、お父さんが将来おむつするようになった時に同じ事言うよ」

とも言わなかった(現に今、父は大人のおむつをしている)。

 ぎりぎり堪え、口にしない。言っても仕方ない。それはお前がああだから、こうだからと言い訳するばかりだろう。

 仮に自分が悪かったと理解したとしたら、父は自責の念に駆られ、母のように逝くだろう。 

 父は学ばないから長生きなのか?長寿な人が学ばない人とは思わないが。

                                   

 ただ父の脳梗塞は、姉と私を再び姉妹にしてくれた。頻繁に会い、連絡を取るようになれた。私に対して敬語を使ったり、名前にさん付けで呼ぶなど、ぎりぎり距離を置いているのは分かるが、何年も連絡を取り合わなかった頃よりはずっと良い。共に老人ホームの見学に何軒も回った。実家の点検をし、少しずつ片付けもしている。行き帰りの電車でもよく話すようになった。 

 ある時、姉は言った。脳梗塞で命を落とす人は多い。助かっても誤嚥性肺炎で死亡する場合も多い。父がそうでないのには意味がある。

 それは私たちに甘える為だ。父は母にも娘ふたりにも甘えられなかった。勿論、戦後の混乱期に育ち、親にもきょうだいにもあまり甘えられなかった。今こそ、人生の最後に、父は誰かに甘えたいのだろう。だから右半身不随になってまで、命だけは残したんだろう。…それを聞いて目から鱗が落ちた。

 もしかして、父の暴力は「甘えたい」という気持ちの表れだったのかも知れない。そして母も、暴力と暴言で「甘え」を表現していたのだろう。どこまで虐待しても自分を慕ってくる私を試し、安心し、甘えていたのだろう。

 それに父の脳梗塞に代わるものは何だったのか?癌か?アルツハイマーか?筋ジストロフィー病か?詐欺にお金をむしり取られ続ける事か?孤独死か?徘徊し行方不明になり、山の中で凍死する事か?なら今の方がずっと良い筈だ。

 もうひとつ、目から鱗が落ちた事がある(私の目には何枚の鱗があるのか?)。私は義務感から父の所へ「行かねば」と思うと、高熱を出したりぎっくり腰になったりする。何故そうなるか?おのずと答えは出た。要するに「行きたくない」のだ。だから体が熱を出したりぎっくり腰になったりして「行かなくていい状態」にしてくれるのだ。ああ、なんて私の体はよく出来ているんだろう。

「分かったよ」

そう体に話しかけると症状は治まった。

 ある時、行きたくないと思いながら駅へ向かった所、電車が不通になっていた。ああ神様がわざわざ電車を不通にしてくれた、ここまでしてくれるのかと驚いた。

 

 父が言う。

「帰してくれ。家に帰してくれ」

 私は感情を殺しながら答える。

「右手も右足も動かないから無理だよ」

 父が激高しながら言う。

「そんな説教も理屈も聞き飽きた!」

 もう、黙るしかない。

 私はあの頃決して「そんな説教聞き飽きた」とは言わなかったのに。気持ちは分からなくもない。私もかつて、いつ退園できるか分からない状態に焦れ、光の園の友達をいじめた。その友達は私のいじめに耐えた上、私がリンチされそうになった時にこう言ってくれた。

「マリちゃんをいじめねぁで」

 私はそんな良い子をいじめてしまったのだ。

 中学の同級生である加山さんも、高校で私が上級生に集団リンチされそうになった時に私を守ろうとしてくれた。私は加山さんをいじめたのに。

 

 父が焦ったように言う。

「この施設、一日1万円かかるんだよ」

 私は穏やかに答えた。

「一日1万円で面倒見てくれるなら良いじゃない」

 父がすねたように言う。

「家に帰ればタダじゃないか」

 相変わらず浅はかな人だ。もし家に帰れば一日1万円では済まない。24時間交代勤務のヘルパーを何人も雇わなくてはならない。幾らかかるか分からない。だったら今の方が良い筈だ。

 

 父が言う。

「俺、アカデミー賞取ったんだ。受賞式に出ないといけないから帰して」

脳梗塞認知症がいよいよ進んだのか?私は絶句する。

 

 父が言う。

「いつ帰してくれるか確約してくれ」

 …それさえ忘れてくれ。

 

 父が言う。

「俺、再婚したんだ。もうすぐ子どもも生まれるんだよ。俺の3人目の子ども」

 …妄想もいい加減にしてくれ。

 

 ある時、見舞いに行った私に父が言った。

「ここにいるのは嫌だ。死ぬ思いだ」

 何故かと聞いた私に父は言った。

「複数の女の職員が俺を蹴るようになった」

 驚き、誰がそんな事をするのかと問いただしたが父は答えられなかった。白内障と老眼を極めた父の目は、その職員の名札は勿論の事、顔の特徴もよく見えないと言う。

「施設側に相談しよう」

と言ったが

「そんな事したら仕返しされる。やめてくれ」

と、昔詐欺に遭った時と同じ事を言う。父はまったく進歩していなかった。

「相談しないと解決しないじゃない」

と言ったが

「解決策は家に帰る事じゃないか」

と言う。

 

 そう、父は92歳の子どもだった。いつ家に帰れるか分からない状態に焦れ、何か問題を起こせばこの老人ホームを追い出され、家に帰れると甘い考えを持ったのだ。どうしようもないから、手に負えないから老人ホームにいるのだという事を、父はどうしてもこうしても理解しなかった。そして「家に帰れば体が元に戻る」という幻想も捨てられなかった。

 何をすれば職員を怒らせるかと幼稚な考えで、父は自分の股間を掻き、その手で女性職員の顔を嗤いながら触った。当然相手は怒り狂い、頭に血がのぼったまま父を思い切り蹴った。そしてその職員から話を聞いた介護士仲間も父に怒りを覚え、忌み嫌うようになり、寄ってたかって父を蹴るようになったのだ。

「怒らせれば追い出されて家に帰れる筈」だったが、父のその行為は「いじめ」につながった。食事だけはかろうじてさせてもらっていたが、他は酷かった。目が開かないほどの目ヤニだらけ、髪もボサボサ、何日も着替えをさせてもらえず、風呂にも入れてもらえず酷い加齢臭を放ち、何もかもぐちゃぐちゃ、情けなく惨めな姿の父が半泣きで頭を下げながら言う。

 そう、まるで「可哀想な象」のように。

「頼む、頼む、家に帰してくれ。もう嫌だ、ここは嫌だ。1日も嫌だ。あと1回も蹴られるのは嫌だ。誰にもいじめられないように、家に逃げて帰りたい」

 それを聞いて、私も昔まったく同じ事を父に言った事を思い出す。

 光の園でリンチされ、ここは嫌だ、あと1日も嫌だ、あと1回も殴られるのは嫌だ、誰にもいじめられないように家に逃げて帰りたいと訴えた。髪を短く刈られ、顔も体も痣だらけ、惨めな姿の私の訴えを父は退けた。お前が家族に暴力を振るった報いが来ている。あと1年は辛抱しろと。…いっそ、同じ事を父に言ってやりたかった。

 あなたも家族に暴力を振るった。私を施設に放り込み、中でリンチされているから助けてくれと頭を下げて訴えても突っぱねた。その報いが今来ているのではないのか?まして股間を掻いた手で顔を触られたら怒るのも分かる。

 排泄も入浴も自分では出来ないし食事も通常食は食べられない。通常食を食べたいとあなたは言うが、食べたら誤嚥して死んでしまう。私も忙しい身、毎日3食、ペースト食を作れない。毎日風呂を沸かしてあなたを抱えて入浴させる事も出来ない。四つん這いになっても、と言うが、右半身不随のあなたは、四つん這いにさえなれない。自分の事を自分で出来ない。そして過活動膀胱ゆえに10分おきにトイレに連れて行けというあなたの面倒を見きれない。介護虐待したくない。

 そう、家族があなたに暴力を振るう訳にいかないから、代わりに施設職員が、介護と暴力を「ワンセット」で行なってくれているんですよ。

 ただお父さん、娘にやられるより良かったでしょう?人に暴力振るわれるとつらいでしょう?へこむでしょう?私もあなたやお母さんに殴られるたびにへこんでいましたし、本当につらかったんですよ。

 

 言いたい放題の父母に育てられた私は、確かに若い時は人に言いたい放題だった。だが母の死後、自制するようになった。言ってはいけない。何でも言えば良いというものではない。ぐっと、堪える。

 その時私に出来たのは、施設長に掛け合う事だった。複数の女性職員が父を蹴るようになった。父が失礼な事をしたならば、私が父に代わりその人に謝罪をさせていただく。父は右半身不随で逃げる事も抵抗する事も出来ない。そんな弱い父を蹴るのはどうか容赦して欲しい。

 施設長は「犯人を捜す」と言ってくれたが、私は誰が犯人でもいいのでとにかく蹴るのだけはやめてくれ、ただその人にも生活があるだろうから解雇処分はしないでくれと訴えた。

 次に見舞いに行った時、父に訊ねた。

「最近どう?まだ蹴る人いる?」

父は言った。

「そう言えば最近は蹴られなくなった。それでも帰りたい。四つん這いになっても家に帰りたい。帰ったら固いご飯食べたい」

 蹴られなくなったんだと、少しほっとする。

 そして父はリンチに悩む私を放置した事を思い出す。父は光の園側に掛け合い、リンチをやめるよう言ってはくれず放置した。父は助けを求める私の手を振り払い、「悪くした」が、私はその父に手を差し伸べ「良くして」いる。

 だが加山さんやヨウコや小椋さんを始めとする友達に、私は「悪くしてしまった」のに、友達は「良くしてくれた」のだ。何か、巡りあわせを感じる。

 ブラック会社、というのがあるが、父が居たのはブラック施設だった。ただそのブラック施設で、父は大きな業を落としたような気もする。

 これも「巡りあわせ」なのだろうか。

 

 その後、父は別の老人ホームに移った。新しい施設では虐待もなく、何とかなっている。相変わらず

「帰せ」

と言い続けるが。

「少しでも何か言うとすぐ報復される。ご飯だってみんな普通のご飯なのに、俺だけペースト食で。お前が職員に何か言ったんだろう。お前のせいで俺は意地悪されている」

とも言った。脳梗塞だから誤嚥を防ぐ為にペースト食しか食べられないのだと、どうしても父は理解しないし出来ない。

 そう言えば50年ほど前にもまったく同じ事を言っていたね、私が喘息の治療の為に行った病院であまりにも待たされ、文句を言った途端に診てもらえ、次にその病院に行ったあなたが物凄く待たされた時に

「お前が文句言うから俺は今日凄い待たされた。お前のせいで俺は意地悪されている」

と。あの日の父の声が蘇る。お父さん、成長しようね。

 もうひとつ、何年か前に膝に人工関節を入れる手術をした事がある。この時父はこう言った。

「なんか、カタワになっちゃったみたい」

 …せっかく手術したのに、その言い草は何だと腹がたった。外から見る分には何も変わらないし、痛みも消え、不自由なく歩けるようになったのだから、それを喜べばいいものを、と言いたかった。

 ただ、神様がその言葉を聞き、父を右半身不随にし、本当にカタワにしたのだろうかという気もする。お父さん、言葉に気を付けようね。私は子宮を取ろうが、卵巣を取ろうが、自分をカタワなんて思わないよ。むしろ良くなったと思っているよ。

 

 私は常々、あらゆる事はプラスマイナスゼロで釣り合いが取れていると思っている。

 もうひとつ、強く願った事は必ず叶うという事も。

 幼少期に強く願った事を、神様は今、叶えてくれている。優しく穏やかな人と静かに暮らしたい、という願いを。

 そう、父と母は猛り狂うような日常と修羅場を姉と私に与えた。私は静かに暮らしたかったのに。

 夫は仕事が多忙であまり旅行等は行けないが、毎日の生活の中で小さなプレゼントをしてくれる。それは「有難う」という言葉だったり、いたわってくれたり、嫌な顔ひとつせずに家事や育児を手伝ってくれる事だ。

 息子が小さい頃、絵本の読み聞かせをしてくれた。決してうまくはないが、愛情のこもった読み聞かせだった。また、おむつ替えやミルクも頼まなくてもやってくれた。

 何より、私の仕事がうまくいっている時も、うまくいかず悩んでいる時も、何も言わずに支えてくれた。私が自力で乗り越えるのを黙って見守り、待ってくれた。

 父と母は、不要な物は買い与えてくれたし(ランドセル等必要な物は買ってくれなかったが)、旅行もたくさん連れて行ってくれたが、肝心の愛情がまったくなかった。まだ小学生(つまり義務教育)の私に、誰のお陰で学校に行けるかと恩着せがましく言い続けた。

 夫は特に物は買わないし旅行も何年かに一度だが、日々愛情を持って私や息子に接してくれ、気持ち良く養ってくれる。誰のお陰で生活出来るかなど、一度も言われた事はないし、喧嘩らしい喧嘩もした事はない。私が本当に望んでいたのはそれだった。

 また、父母は私が幼い頃から家事をさせ、幼稚園の上履きも必ず自分で洗えと命じた。手も荒れたし面倒で嫌だったが、お陰で自立心が付いたし、何より自分の撒いた種は自分で刈り取れる心構えもついた。

 そして父母は、親は子を養ってやっているのだから子は親の言う事を聞き、100%従って当たり前、と言い続けた。だが、私はそうは思わない。子は親の言う事を聞かなくて当たり前だ。まったく別人格なのだから。考え方も価値観も違って当然だ。だからこそアイデアを出して選択をさせる。父母はそれこそ今さえしのげれば、私さえいなくなれば、という考えから私を施設に監禁したが、長い目で見れば絶対にそんな事は出来なかった筈。「今さえしのげれば」ではなく、「どうして欲しいか」聞くべきだった。だからこそ私は家族に希望を聞く。

 

 私は親が子どもを可愛いと思う理由が分かる。それは、我が子が自分の好きな人に似ているからだ。

 そして親が我が子を虐待する理由も分かる。それは、自分の嫌いな人(夫や妻)に似ているからだ。

 だから父と母は「父にそっくりで、母にそっくりな私」が憎かったのだろう。

 虐待により幼い子どもが命を落としたと聞くと心が痛む。つらかったろうと、その子の魂に手を合わせる。だがその子の使命は「親の体罰を禁じる法案」を国会で成立させる事だったのだろうかとも思う。

 

 そう言えば独身の時、友達がどんどん結婚していくのを見てこう思った。「どうして私にはそういう幸せが来ないんだろう」離れていく友達が増えるほどに、さびしかった。

 母に自分を低く見ろ、安売りしろと言われ続けた身、不倫相手に不実な事をされてもこう思った。「愛人なんて立場に立っている私はこんな目に遭って当然だ」

 街で小さな子を見てこう思った。「子どもを生むなんて、私には許されない事なのかな。散々悪い事をしたのだから」

 家族連れを見ても同じ事を思った。「陽だまりみたいだな。私は決してそこに入っていけないのかな」何となく、自分には普通の幸せは来ないような気がしていた。

ただこうも思った。私が結婚するのにふさわしい人になれば、神様はいちばん良い人に会わせてくれるかな。そしてその予感は当たった。

 

「取引先の会社の人が来るから駅まで迎えに行って」

 上司に告げられた私は、言われるままに駅に向かった。

 

 改札前に横向きで佇む彼を見た瞬間、私は「ああ、この人だ」と思った。まったくの初対面で、言葉も交わさず、ただ姿を見ただけだったのにもかかわらず。

 

 彼のもとに歩いていくその何秒間の間、周囲の音が消えた。

 音のない世界を私はゆっくり進んだ。

 見える映像はスローモーションになった。

 

 私はこの人と結婚するために、今までの恋人とうまくいかなかったのだ。私はこの人と望んだ以上の幸せな結婚生活を送り、この人にそっくりな男の子を生み、この人の両親とも仲良くやっていける。待ち焦がれた人生が今、幕を開けたんだと確信した。そして彼の前に立ち、笑顔を交わし合った時、音が戻ってきた。これも、不思議だった。

 私はこの時の事を生涯忘れないだろう。人は死ぬ前に、自分の人生を走馬灯のように思い出すというが、私はこの映像を間違いなく見るのだろう。

 

 私はみんなに祝福されて結婚した。人は結婚するから幸せになるのではない。その人と一緒にいて幸せだから結婚するのだ。良い結婚はこの世の天国、そして結婚式は夢の舞台だと心底実感した。

 出来ればもう少し若い時に花嫁衣裳を纏いたかったが、それでは相手が夫ではなかったろうから、ここまでの幸せや感動を実感できなかったろう。私は夫でなければ絶対に結婚しなかった。だから40歳のその時が最高の適齢期だった。

 

 新婚の頃、会社から帰宅する際に心が弾んだ。「ああ幸せだ。待っていてくれる人がいるから」誰も待っていないアパートにひとりで帰る虚しさを、何年も経験したおかげだった。

 妊娠していると分かった時にこう思った。「ああ幸せだ。育児が出来るようになったと神様が言ってくれているんだ」

 子どもを生んだ時にこう思った。「ああ幸せだ。赤ちゃんを生ませてもらえた」面倒を見ているという感覚はない。「育てさせてもらっている」という感覚はあるが。

 息子は我ままな私に色々な事を教えてくれる「先生」だ。神様が最高の先生をつかわしてくれた。

 私は色々な仕事を経験させてもらったが、育児以上に勉強になる仕事はない気がする。そう、子どもは育てた通りに育つのだから。私は息子に生まれた時から言い続けている。

「パパみたいな人になって。パパ素敵でしょう?パパそっくりになって」

 

 母は父の悪口を散々言った後、必ずこう言った。

「あんたは父さんそっくり!」

 父は何度も言った。

「お前さえいなければ」

 

 私は息子に繰り返して言う。

「生まれてきてくれて有難う。パパとママを選んでくれて有難う。君がいてくれて嬉しい」

 幼かった息子は笑顔でこう言ってくれた。

「僕が輪の真ん中に居て、たくさんのパパとママがぐるっと囲んでいたの。それでこのパパとママが良いって選んだんだよ」

 有難う、有難う、私と彼を選んでくれて、本当に有難う。

 

 母は私に何度も言った。

「あたしの人生の最大の失敗は、父さんと結婚した事と、父さんそっくりのあんたを生んだ事よ」

そしてその言葉通り、家族を粗末にし続けた。

 

 私の人生の最良の出来事は、夫に出会えた事だ。おかげで夫の両親にも息子にも、ママ友達にも幼稚園や学校の先生にも会えた。そして私はこの生活が尊いから、純粋に、好きだから、たいせつだから、有り難いから、大事にするのだ。たいせつにせずにいられない。こんな良い夫と可愛いい息子を。

 

 息子が保育園に通っている時にこんな事を言われた事がある。

「ママ、僕を好き?」

 きっと私が忙しくて苛立っているのを敏感に感じたのだろう。慌てて言った。

「好きだよ、大好きだよ」

 ほっとした顔をした息子が更にこう聞いた。

「ママはどうして僕を生んだの?」

 自信を持って即答した。

「ママはね、パパが大好きで、パパの子どもを是非生みたいって思ったの。パパの子どもを生まないなんてそんな勿体ない事は出来ないって思ったの」

 息子が嬉しそうに笑ってくれた。私もそう言われたかった。

 

 その頃息子はよくこう言ってくれた。

「僕、ママだあい好き!パパもだあい好き!」

 私は笑顔で答えた。

「有難う、ママも、パパと君が大好きだよ」

そう答えながら、かつて母にこう言われ、責め立てられて事を思い出す。

「父さんと母さんどっちが好き?」

 母はそう言って私が幽体離脱するまで追い詰めた。

 

 また息子はこうも言ってくれた。

「僕、大きくなったらママと結婚する」

「有難う、結婚しようね」

 私もかつて父にプロポーズをした。良いものも、悪いものも、必ず返って来る。なんて有り難いんだろう。

 

「もうねんねしよう」

そう言った私に息子が言った。

「ママ抱っこ」

 家事や仕事の準備で忙しく、ちらりと苛立ったが、それでも私はしゃがみ込み息子をぎゅうっと抱きしめる。息子の満ち足りた顔が嬉しかった。

 私も幼い頃、母にそうして欲しかった。

 母は私を布団に向かって突き飛ばし、襖を閉め、開けられないように力づくで押さえていた。私の満たされない心は母に届かなかった。

たまらなくさびしかった。

 だからこそ、私は息子を満たしたい。

 

 小さかった息子を連れて買い物に行ったり、歯医者に行ったり、そんな時にお店や病院の人が息子にこんな事を言う事が多かった。

「君のお母さん美人だねえ」

「こんな綺麗なお母さん、いないよ」

 それは私が幼い頃、母と共に出掛けた時によく言われた言葉だ。まったく同じ言葉を、世代がひとつ降りて再び聞くようになったのだ。勿論嬉しいし、鼻も高い。息子もにこにこしている。

 だがある時、家事と仕事で忙しくて苛立った私に息子がこう言った。

「僕にとってママが綺麗かどうか、どっちでも良いんだ。そりゃ汚いより綺麗な方が良いけど、それより僕に優しいか優しくないか、そっちの方が大事なんだ」

 ああ君は私より余程弁が立つねえ。私も小さい頃まったく同じ事をおばあちゃんに対して思っていたけど、うまく言葉にならなくて伝えられなかったんだよ。私の代わりに言ってくれて有難うねえ。

 

 息子について、不思議に思う事がある。それは良くも悪くも私に似ている事だ。親子とはこんなに似るのかと驚く。パッと見た感じは夫似だが、目、鼻、口、耳、と言ったパーツは私にそっくりだ。歯並びが悪く、下の歯が前に出ていて上の歯が後ろになっている。頭のつむじも二つある。そんな所まで似てしまった。おまけに私と同じ遠視で、右目の視力は良いが左が極端に悪い。

 父と母は私の目も歯も矯正しなかったが、私は長い将来を考え、小さいうちに矯正する方が良いと躊躇なく矯正を行なった。矯正歯科に行き、歯にワイヤーをかけ、眼科に行き、低視力の良い方の目にアイパッチという大きな絆創膏のようなものを貼って塞ぎ、強制的に左目を使って視力を上げるという方法を取った。毎朝ノルマのように息子の右目にアイパッチを貼り続けた。

「これ貼ってると、よく見えないからつまんない」

と息子は言ったが、私は剥がさなかった。お陰で左目の視力は随分上がったし、歯並びも綺麗になり、上の歯が前になった。お金も手間もかかったが、やって良かったと思っている。

 また息子は乗り物酔いが酷く、電車で出かけてもひと駅ずつ降りて酔いを癒し、それからでないと乗れない。車はもっと酔う。

 だが私も酔う子どもだった。父は理解してくれず

「そんなに酔うならお前を遊びに連れて行かない。遊びに連れて行って欲しければ酔うな」

と無理難題を言ったが、私は酔う息子を理解出来るし、全然嫌ではない。何時間でも待てるし、落ち着いていられる。

 そうしながらふと、父母が私にすべきだった事を、私がこの子にする。それが私の使命のひとつであり、この子の生まれた意味のひとつなのかも知れないと感じた。

 もうひとつ、母は私を宿した時にお腹の子は男の子だという予知夢を見たという。それは本来息子だったのだろう。だが神様が、母に息子を育てさせる訳にいかないと判断し、私と息子を急遽入れ替えたのかも知れない。いずれにせよ有り難い話だ。お陰で私は息子に会え、育てさせてもらえる事になったから。

 息子は父の色盲が隔世遺伝してしまい、色弱である。それさえ有り難い。色盲までいかず良かった。色は私が教えよう。この焼き肉は火が通っているよ、それはまだだよ、と。

 神様、息子の目を見える状態にしてくれた上で生まれさせてくれて有難うございました。

 

 もし神様が好きな時に戻してあげると言ってくれても、私はこのままでいいと答えるだろう。

 例え今の記憶を持ったまま20歳の時に戻してくれても、15歳の時に戻してくれても、3歳の時に戻してくれても、結果は同じという気がする。

 何故こんなにつらい事ばかりと思った事もあったが、すべて意味があった。

 あの経験があるから今がある。あの人に会ったからこそ、こんな学びを得た。あの仕事をしたからこそ、この仕事が有り難くてならない。あの職場で働いたからこそ、今なお付き合える友達が出来た。

 決して回り道をした訳でなく、必要だからその道を通った。だから、このままでいい。私はなんて恵まれているんだろうと嬉しくてたまらない。私はこの人生を選んで生まれ、たいせつに生きている。

 

 そう言えば、実家の片付けをしていて大量の写真が出てきた。母方の祖母の結婚式の写真や父の赤ん坊だった頃の写真まで出てきた。当然の事ながら、父にも赤ちゃんの時代があったのだ。

 そして、母の少女時代の写真を見た時に、あまりに姉の少女時代と生きうつしで驚いた。親子はここまで似るのかと、良くも悪くも見とれた。そして今の姉は、私を罵倒していた頃の母にそっくりだ。

 また、祖母をいじめた祖母の妹の写真もあった。私はその人に会った事はないが、ひと目でこの人が祖母をいじめた人だとはっきり分かってしまった。

 

 最近、夫現病(ふげんびょう)という言葉があるが、私は父現病(ちちげんびょう)と姉現病(あねげんびょう)を患っている。二人の事を思うと胃が痛む。父はいつまでたっても大人げないし同じ事ばかり言うし、姉は姉で私を責めてばかりいる。

 施設で父にプリンを食べさせている時(自分では食べられない為)、少しでもこぼそうものなら

「こぼれているじゃない!」

と姉は声を荒げる。今拭こうと思っていたのに…。父の親指の爪が巻き爪になっているのを見て

「どうして気が付かないんですか?私が気付かなきゃ誰も気づかないんだから」

といきり立ち、私を延々と責めた。

「あなたの方が家がここから近いし、もっと来て下さいね。家が近いんだから」

と何度も言う。確かに父のいる施設から、姉の家は遠い。だが父が倒れた当初

「私の方が家が近いから」

と言って、私は頻繁に父の所へ通ったし、大量の洗濯物も持ち帰って洗い、次に見舞いに来る時に持参し、またたまっている洗濯物を、文句ひとつ言わずに引き受けた。つまりそれは私が自分から言う言葉であって、姉が言う言葉ではない。

 姉は「自分だけが正しい」という態度を崩さない。いつも私を責め、間違いを指摘し、改めるよう要求し、馬鹿にし続けている。誠に疲れる。子どもの頃からそうだが。

 私は姉に決して

「長女だから、あなたは親に学費をたくさん出してもらったから、あなたも親不幸したから、あなたは私ほど虐待されていないから」

などと決して言わないのに。

 姉現病はまだある。ある時、息子について

「どんな大学行くのかな。どんな仕事するのかな」

と言った私に姉はこう言った。

「そんな良い所に行ける訳ないでしょう」

 何故そんな事を言うのだろう、と不思議に思い

「先の事は分からないじゃない、どうしてそんな事言うの?」

と聞いた所、こんな答えが返って来て絶句した。

「じゃあご自分は、どこの学校出ました?」

 …それはそうだが、我が子の将来を楽しみにしない親はいない。相変わらず意地が悪いな。母と同様こちらのいちばん痛がる所を上手に突いてくる。常に私の上に立ちたがり、マウントを取ろうとしている。国立大学を出たこの人はこういう目に遭わないのだろう。

 私も親に迷惑をかけた娘だが、姉も私に負けないくらい暴言を吐き、迷惑をかけ、金をかけさせた娘だ。

 ましてや今年の母の命日に息子と3人で会った際

「あなたのお母さんは小さい頃から嘘つきでね。まことしやかに嘘つくのよ」

とせせら笑いながら言った。

 確かに私は嘘つきな子どもだったが、それは父母の体罰や罵詈雑言、追い出しや否定を免れる為、つまり自分を守る為に仕方なくそうしていたのだ。

「そんな事を聞いたら、この子は私がこれから言う事も全部嘘だと思うでしょう」

と反論した所、まるで囃し立てるように

「難しーい」

と言った。何て酷い事を言うんだろう。失言する方は悪くなく、それに苦情を言う方が悪く難しいなんて…。母そっくりな、この姉こそ目に見えぬカタワ者だと思った。  

 姉は自分が高校生の時、教師と恋愛沙汰を起こし、親に下手な嘘をついていた事も、小学生の時にスカートで昼寝をして陰部を父に見られ悔しがっていた事も忘れている。私がそれを一言も言わないのをいい事に。

 また、父に関する事を話した時だけはまともな返事が返ってくるが、仕事の悩みを話した時、姉は必ず黙り込み、返事をしなくなる。

 何故そう言う対応なのかと聞いた所、こんな答えが返って来た。

「そういう事は、何年も疎遠だった私ではなく、ご家族に相談したらいかがですか?父の事を念頭にしましょう」

 …これも絶句した。それ以降、私は息子の事も、仕事の事も、姉の前で一切口にしなくなった。そう、言ってもどうせ黙ってしまうか絶句させられるかどちらかだから。

 私は家族であって、家族でないという事か。私は母にも何度も絶句させられたが、姉にも絶句させられる。鉛筆の芯で刺されないだけましと言う所か。それとも「許すお稽古」なのか?

 

 悩みの種だった婚礼司会の仕事は、厳しいが好きだった。ずっと続けて行きたかった。

 だが3年前に辞める事になってしまった。信頼する上司(所属事務所の女社長)に、辞めざるを得ないパワハラをされてしまったのだ。

 私はその上司を「師匠」と慕っていた。上司は、何年も自分の都合いいように立ち回り、思い通りになる私を「都合よく便利に使われている間」は大層可愛がってくれた。私も良くしてくれる上司を敬愛した。自分を無条件で慕う私を、その上司はいじめたのだった。

 きっかけは、息子の幼稚園や小学校の運動会だった。運動会はたいてい土日に行われる。だが結婚式もたいてい土日に行われる。運動会だから休ませて欲しいと頼んでも、仕事だからと休ませてもらえなかった。毎年私が折れていたが、ある年の運動会で夫が仕事になる事が前もって分かった。叱られるのを覚悟で私は懸命に上司に頼んだ。

「この日は夫が仕事なんです。私が行かなければ、息子がひとりになってしまいます。お弁当を一緒に食べる人もいなくなります」

 上司はカンカンになって怒った。

「この日は大安よ!運動会を別の日にしてもらってよ!仏滅の日に!」

 何というたわけた発想だろう。そんな馬鹿な事を頼める訳がない。私ひとりの為に大勢の父兄の予定を狂わせる訳にいかない。この人はもしかして物凄くおかしな人だったのか?と思った。その屁理屈のこね方は、まるで母のようだった。

 結局、私は強引に休みをもらい、運動会に参加した。息子の運動会に初めて最初から最後までいられ(毎年オープニングだけ見て、仕事へ行った。午前中に始まる婚礼ならオープニングさえ見られなかった)、息子の喜ぶ顔を見てこの決断は正しかったと確信できた。  

 だが上司は私を許さなかった。それを機に嫌味ばかり言うようになり、遠方の式場ばかり行かされるようになった上、仕事自体も激減した。

 ずっと我慢していたが、ある日決定的な事が起きた。

 それは事務所主催の勉強会での事だった。他のメンバーや外部の人(式場関係者)の前で、大声で理不尽な個人攻撃を受けたのだ。

 ひとりずつ反省点を述べよと言われ、自分の番になった時に

「今まで会ったすべての人に感謝しています。これからも我以外皆師成(われ・いがい・みな・しなり)いう価値観でやっていきます」

と笑顔で言った途端、その上司は激高した。何故そんな事でそこまで激高するのかと思う程、その上司は怒り狂った。

「あんた、そんなんだから駄目なのよ!だからあんたは駄目なのよ!」

と大声で人格否定をされた。

 感謝していて何が悪いのか?私の頭の上に大きな疑問符が浮かぶ。

 そして上司は、私が歯並びの悪い事を気にしている事を知りながら、こう声を荒げた。

「あんた!口開けて笑いなさいよ!口!口!口!口!口!口!口!口!口!口!」

 そして私の隣りに座っていた、直村さんという男性司会者にこう怒鳴り散らした。

「直村!あんた沖本係よ!沖本の顔見るたびに口!口!口!って言いなさいっ!!」

 私は上司と直村さんの両方から

「口!口!口!口!口!口!口!口!口!口!口!口!口!口!口!口!」

と50回以上怒鳴られた。

 そんな事を言われ、口を開けて笑う馬鹿はいない。決して私は笑わなかった。ただ傷つきながら、ひとり茫然としていた。

 他のメンバーも30人ほどいたが、誰ひとりとして私をかばってくれなかった。みんな、攻撃されているのが自分でなくて良かったという顔をして傍観者を決め込んでいた。その上司は「社長」であるがゆえ(つまりトップの為)、誰も止める人などいなかった。

 その直後、顔見知りの式場関係者の前でパワハラ上司はあざ笑いながらこう言った。

「パープーの沖本です。パープーの沖本です。パープーの沖本です」

 何回言えば気が済むんだろう、この人は本当に母そっくりだ。

「ほら沖本、お世話になったんだから挨拶しなさいよ」

と挨拶させられた。

 とことん、とことん、傷つけられた。

 その式場関係者の男性が、私を気の毒がっているのが手に取るように分かった。「ああ沖本さんってパワハラされていたんだ。この事務所、パワハラがあるんだ」と顔に書いてあった。その男性の憐れむ視線にも、私は耐えられなかった。そう、少女時代に付き合った男性に友達の就職祝いのパーティーの席で

「こいつはなまじっか美人だから男にモテないんだよ!だから俺が仕方なく相手にしてやっているんだ!」

と大声で罵られ、憐れむ眼差しをそこにいる全員から浴び、耐えられなかった時のように。

 私はその場において、ひどい恥をかかされた上に、たったのひとりぼっちにされた。

 

 その一件で、私は深く傷ついた。最初から信用していなければここまで傷つかなかった、というほど傷ついた。そう、それが「決定打」になった。

 それまでも

「テレビのニュースを見てアナウンサーの喋りを真似してみたら?そうすれば少しは頭の回転良くなるんじゃないの?あなたははっきり言って頭の回転良くないから」

だの

「あなたの司会は時代に合っていないわ。昭和の喋りよ。ある支配人があなたを大正浪漫って言っていたわよ」

だのとせせら笑いながら言われていた。

 元上司は楽しかったかも知れないが、私は傷ついていた。元上司はいじめているという認識はなかっただろうが、こちらは腹に据えかねていた。そこまで仕事に私情を挟んでくるなんて…。

 いずれにせよ「口開けて笑え、口!口!口!」と怒鳴られたのにも、外部の人の前で「パープーの沖本です」と言われた事にも、「お世話になったんだから挨拶しなさいよ」と挨拶させられた事にも耐えられなかった。

 もう耐えなくていい、耐えてはいけない、こんな事務所も上司も要らないと思った。その社長は私に「致命傷」を負わせたのだから。

 この人は社長という立場だし、こういう目に遭わないんだろうと思うと、ますます悔しかった。信じた上司に心を殺された。100%従っている間は可愛がってくれたが、そうでなくなった途端に手の平を返された。人ってここまで変わるのか、という程その社長は豹変した。メンバーも、誰も助けてくれなかった。その人たちもこういう目に遭わないのだろうし。

 私にだってプライドがある。蹴るようにその事務所を辞めた。その上司は

「愛の鞭だった」

と母とまったく同じ言い訳をしたり

「辞めるならブライダル業界中にあんたの悪い噂広げる」

と脅したりしたが、私は一切取り合わなかった。

 辞めた事自体はまったく後悔していない。だが婚礼司会の仕事そのものは辞めたくなくて、どこかに雇って欲しかったが、いくら探しても新しく私を雇ってくれる司会事務所はなかった。

「年齢制限」という壁が私の前に立ちはだかったのだ。

 54歳。もう決して若くない、悲しいがそれが現実だった。

 だが考えようによってはそれも喜ばしい事だった。そう、私は婚礼司会の仕事を「定年退職」したのだから。何をやっても長続きしなかった私が、定年まで勤めあげられたのだ。

 

 若い頃、私は何度も転職をした。給料が安いから、嫌な上司や先輩がいるから、お客にいじめられるから、ブラックッカンパニーだから、残業代が出ないから、きついから、汚いから、立ち仕事で足が痛いから、乾燥していて肌に悪いから、様々なわがままで私は仕事を転々とした。

 だが学んだ事は多かった。

 いちばん大きな学びは「良い給料や待遇を求めて職を転々とするより、まともな会社で真面目に働き続けるのがいちばん年収も待遇も良い」という事だ。

 更に人間関係において「甘い汁を不当に吸おうとすると、その何倍もの苦い汁を飲む羽目になる」という事と「自分がやった事は必ずそっくり返って来る」と学んだ。

 周囲が呆れかえるほど転職を繰り返した私が「辞めたくない」と初めて思えた仕事が婚礼司会だった。大変な仕事ではあったが、それだけに何回現場に立ってもまだ足りなかった。自分の仕事に決して満足出来ず、もっと上達したい、まだまだやりたいと心から願った。明るく華やかで幸せな仕事だった。幸せそうな新郎新婦を見ているのが嬉しかった。列席者や新郎新婦の家族の喜ぶ顔を見ているのも楽しかった。何より、「お客さんから幸せをもらえる仕事」だった。

 式場スタッフに

「沖本さんじゃなきゃ」

と言われるのが本当に幸せだった。

 そう、人は必要とされるほど嬉しい事はないし、あなたに会えて良かったと言われるほど幸せな事もない。そしてあなたは要らないと言われるほど悲しい事はないし、あなたに出会わなければ良かったと言われるほど不幸な事もない。

 今回は難しいお客さんだから、ここの支配人は厳しいから、このプランナーは細かくてうるさいから、このキャプテンは時間にルーズで頼りないから、この音響オペレーターはまだ新人でミスが多く頻繁にフォローが必要だから

「だから沖本さんで」

と言ってもらえた。本当に嬉しかった。

 婚礼司会者として、勿論最初から売れた訳ではない。デビューして最初の7年は鳴かず飛ばずで誰もあまり相手にしてくれなかった。

 この時に「いちばんつらいのは叱られる事ではなく、誰も何も言ってくれない事だ」と学んだ。

 悔しいからこそ色々な人に教えを乞い、勉強を重ねた。負けるもんかと歯を食いしばった。同期が厳しさに耐えられずどんどん辞めていく中、絶対生き残るぞと自分に誓った。

 何か注意されるようになると嬉しかった。ああ私は注意してもらえるようになったんだ、少しは前進出来たんだと、心から喜んだ。

 ひとつずつ課題を克服し、苦手なものを得意にしていくうちに、少しずつ信頼を得られるようになった。そして仕事は段々増えていった。

 披露宴はあくまで生なので、急に間があいたり、スピーチする人が席にいなかったり等で司会者がつながなくてはならない場が多々ある。最初は何を言えば良いのか分からずつなげなかったが、その惨めな経験は次の仕事に活きた。 

 あらかじめ新郎新婦に細かく取材をしておく上、披露宴のひとつひとつの出来事を心に留めておく。それをつなぎに使うのだ。本当に心を込めれば、コメントする事は限りなくあった。 

 尻込みしたくなる仕事もあったが、試しにトライした所、案外「出来てしまった」という結果が付いてきた。やはり駄目だったという事は一度もなかった。

「沖本さん、司会上手くなりましたね」

 私に厳しい目を向けていたプランナーにこう言われた時は、本当に嬉しかった。

 危うくハプニングになりそうな所を難なく拾い上げ、意地悪で有名なキャプテンに

「咄嗟の判断で、有難うございました」

と言われた時も、誇らしかった。

「あの司会者上手いね。全然台本なんて見ていなかったよ。ずっと状況見て、全部アドリブで喋っていたよ」

と新郎の父親に言われた式場支配人が

「当式場、自慢の司会者です」

と言ってくれた時も司会者冥利に尽きた。アイデアも、言葉も、ほとばしるように出てきた。

 

 そう、本当に良い時代があった。多くの式場に出入りし、どのプランナーもスタッフも支配人もキャプテンも、奪い合うように私を可愛がってくれた。

「もはやスケジュールを抑える事が不可能なMC」

「婚礼業界の革命児」

とまで言われ、飛ぶ鳥も落とす勢いで指名を受け、先々までスケジュール帳が真っ黒になった。

「沖本争奪戦」と呼ばれたそれは、8年に及んだ。私が自分を特別だと勘違いするのにじゅうぶんな歳月だった。その時も私は、世界中が自分に微笑みかけてくれているような気がしていた。

「私はナンバーワンになります」

「私は稼ぎ頭になります」

「私は自分のスケジュール帳を真っ黒にします」

 有限実行する私に、周囲は圧倒されていた。

 新郎新婦を圧倒し、ゲストを圧倒し、スタッフを圧倒し、所属事務所の上司、先輩、同期、後輩を圧倒し、自分自身を圧倒する、そんなスローガンを掲げた私をみんなが尊敬と羨望の眼差しで見ていた。

 受けるオーディションはすべて受かった。そのオーディション会場に一歩足を踏み入れた瞬間に、会場責任者が私をひと目見て、書類に丸を付けるのがはっきり見えた。そして一言喋った途端に、担当者全員が書類に丸を付けるのがもっとはっきり見えた。

 私は鼻高々で闊歩した。他の司会事務所から引き抜きの声もかかった。私はもっとのぼせ上った。そう、中学生の時に通りすがりの人が

「お姉さん綺麗だね」

と囁いた声に高揚した時や、モデル時代にカメラ小僧が私に群がった時に興奮したように。

 婚礼司会の仕事は宣材用の写真や動画を撮影する事が多いが、この時にもモデル経験が活きた。撮影が済むとすぐに「素に戻る」人が多い中、私だけはシャッターが下りても、

「はい、お疲れ」

と声がかかっても笑顔を崩さず、そこもスタッフに褒められた。

 スタッフに対する態度がそのままお客さんにも出る。私はスタッフ間で評判が良かった為、仕事は途切れず、お勧め司会者の欄に必ず載った。そう、沖本旋風は止まらなかった。

 もらったギャラはすぐに仕事用のスーツや化粧品に化けた。お洒落をして仕事に行くのが楽しくてたまらなかった。

 雑誌を見て最新のメイクを研究し、試してみるのがときめいてたまらなかった(ヘアメイクの仕事をした経験がここで活きた)。

 みんなに実力派だ、第一線で活躍していると褒められるのが誇らしくてたまらなかった。

 実年齢よりずっと若く見られ40代でありながら

「若くて綺麗な人と言えば沖本さん」

と言われるのが得意でたまらなかった。

 小さな子どもがいると言うとびっくりされ、

「子どもいるの?詐欺だよ」

とまで言われ、独身に見られるのが快感でたまらなかった。

 お客さんが喜ぶ事に焦点を当てて仕事が出来る事が嬉しくてたまらなかった。

 どこの式場に行ってもスタッフに

「沖本さん待っていたよ」

と言われるのが得意でたまらなかった。

 新郎新婦に「緊張で真っ白でしたが、沖本さんの優しい声に救われました」と手紙をもらった時も、有り難くてたまらなかった。

「カリスマ司会者」としてテレビ番組に出た事もあり、それ以降、会う人、会う人に

「テレビに出ていましたよねえ?見ましたよ」

と言われるのも鼻が高くてたまらなかった。

 同じ「たまらない」でも良い方の「たまらない」が私の人生を覆い尽くしてくれた。

 所属事務所の社長も贔屓にしてくれ(その社長が私にパワハラしたのだった)、先輩司会者の嫉妬に満ちた眼差しの中、トップを走る喜び、プロとして周囲に認められた興奮感、事務所の稼ぎ頭に躍り出た高揚感、それを維持する達成感、披露宴中のいかなるハプニングにも冷静に対処できる臨機応変さ、お客さんのどんな要望にも即答できる機転、大勢の中から自分だけが選ばれ、大きな仕事に何度も抜擢される誇らしさ、自分は出来るという自信に満ちたオーラを放ち、まるで台風の目の中にいるような引く手あまたの忙しさを味わいつくした後、落ちていくさびしさを味わった。

 そして自分より若く、どんどん頭角を現していく後輩を嫉妬の目で見る羽目になり、選ばれない惨めさを思い知った。これも「与えられたものをそっくり与え、与えたものがまた与えられる」という事だったろう。

 自分の努力の賜物だと、これこそが本来の姿だと、私の時代が来たんだと、感謝を忘れて思いあがっていた傲慢さを、神様は見逃さなかった。栄光を失い、若さを失い、勢いを失い、自信を失い、悪い方の「たまらない」が私の仕事人生を覆うようになった。

 そう言えばその事務所は「恐ろしい誓約書」を書かせる方針だった。

 研修を無償でやってもらえる(他社は有償で中には50万円払わされる所もある)代わりに辞めさせてくれない。辞めるなら罰金を50万円払う、というもので、それを私だけは書いていなかった。

 最初からその事務所に入った他のメンバーは全員書いていたが、他社(そこでは売れない時代が続き、移籍しようとしても出来なかった。少し進歩した時に出入りしていた式場関係者の口利きで移籍は叶った)から引き抜かれてその事務所(前事務所よりギャラ等の条件が良かった上に仕事も多かった)で活動するようになった私だけは何度も研修を受けたにも関わらず書いていなかった。何の不手際か、今となっては有り難いが、お陰で1円の罰金も払わずに辞められた。

 

 私は時々自分を物凄い強運と感じるが、これもそのひとつだった。

 婚礼の仕事は訴訟沙汰になるケースも、その式場に出入り禁止になる事もあるが、私はそうなった事は一度もない。

 また16歳の時に初めて付き合った寿司屋の息子が、何度振っても付きまとって来る人で本当に迷惑したが、光の園を退園後もアルバイト先を何度変わっても付きまとわれ、ヘアメイクになる為に美容専門学校へ行こうとした際にも、ここへ行こうと思うと友人に話した一言がその人の耳に入ったらしく、その学校にその人は「生徒として」通学した。その学校は入学金が高かった為、直前に別の美容専門学校に変えたのだがそれが大正解だった。でなければその人と同級生として毎日顔を合わせ、アパートの場所も知られてしまった所だった。

 その人以外にも元交際相手や、時にはまったく知らない人につきまとわれた経験はあったが、殺される事も傷つけられる事もなく逃げられたし、不倫相手の妻に追われた事もあったが無傷で済んだ。

 交通事故に遭った際も軽症で済んだし(ここは桜井正一さんが代わってくれたのだろう)、アパートのガラスを割られた時も、ちょうど不在で恐ろしい思いをしなくて済んだ。

 男性に街中に置き去りにされた時も、歩いて駅まで行ける所に置き去りにしてくれたので良かった。これが山の中だったら(ここはマユミが代わってくれたのだろう)命に関わる所だったが、そうでなく助かった。見知らぬ土地でもなく、北海道や沖縄等の遠方でもなく、銀座という勝手のよく分かる場所だったし、夜中ではなく夕方だったので電車も動いていたし、何のダメージもなく、大きな厄が落ちたと本当に「喜び勇んで」帰った。

 また、光の園にいた時につくづく感じたのだが、私は地方出身者の割に訛りがない。これは父と母が、家の中で中で常に標準語で話をしてくれたお陰だ。転勤族であることをふまえ、どこに行っても通用するようにする為だった。細かいイントネーションはかすかに福岡訛り、大阪訛りがあるが(小学生の時にいじめられたものだ)、そう酷い訛りではない。これは司会業をする上でも役立った。

 集団リンチされても命は助かったし、顔や体に傷も付けられなかった。

 良いタイミングで退園も出来たし、ひとり暮らしも何とかやって来られた。

 詐欺にも通り魔にも押し売りにも押し買いにも遭わず、タレント活動出来た時代もあったし、美容師として輝いた時代もあったし、販売員として全国一位になった事もあったし、短期間と言えども銀座の高級クラブでナンバーワンにもなれたし、31歳で正社員就職出来たし、婚礼司会という誰にでも出来る訳ではない専門職を35歳でスタート出来たし、曲がりなりにも20年くらい続けられたし、売れた時代もあったし、40歳にして恋愛結婚も出来、42歳で自然妊娠、出産も出来た。

 夫は今時珍しいくらい好青年だし、仕事熱心でありながらも家庭を顧みてくれるし、息子も保育園にスムーズに入れ(入れない人も多い)、良い先生や友達に恵まれた。

 そう、いつもぎりぎり間に合って来たし、助かって来たし、良い縁がつながった。

 何か、おおきなものに守られていたような気がする。

 

 私が辞めた後、そのパワハラ事務所は第二第三の沖本を出さない為に、という名目で「もっと恐ろしい誓約書」を残りのメンバーに書かせた。それは、辞めるなら罰金を500万円、借金しても払う、この誓約書は法的に有効と書いたものだった。私はそれも免れた訳だ。

 無理矢理サインさせられたメンバーたちは「沖本はいちばん良いタイミングでこの事務所へ入り、いちばん良いタイミングで辞めていった」と思ったろう。

 更にその事務所は「45歳定年」を打ち立てた。45歳以上の所属司会者は、急に仕事が来なくなり、問い合わせると

「あなたは年だから、もう仕事はない」

という一言で切られ、長年尽くしてきたのにと、もっと悔しい思いをした。

 私は50代前半まで居られ、自分から辞められた。これも運が良かった。

 その社長は自分の部下を、それこそ所有物のように思っていたから、そんな仕打ちが出来たのだろう。

 

 婚礼司会の事務所を落ち続けた後、葬儀の司会とアテンドの仕事をした。55歳にして新しい仕事、殊に専門職を始めると言うのは奇跡だ。

 最初は「一軍から二軍に落ちた」ような気がして嫌だった。いくら婚礼の仕事をしたくても、雇ってくれる会社がなければ出来ない、と悔し涙を滝のように流し、円形脱毛症(ユキオ君の気持ちが骨身に堪えて分かった)になるほど悩んだ。だがある時、それは自分の思い上がりだったという気付きが生まれた。

 あのまま婚礼にしがみついていたら、出口の見えないトンネルの中にいる状態が続いただろう。しかし私は「婚礼」というより「司会業」そのものにこだわるなら葬儀もありだと考えを変えてみた。そして、その決断は正解だった。

 婚礼の仕事はただでさえ、年々少なくなっていた。少子高齢化、という事もさながら、結婚しても挙式披露宴を行わない夫婦が多いからだ。

 だが葬儀の仕事はふんだんにあった。家族が死んで通夜・告別式を行わない人は滅多にいないからだ。

 婚礼時代は、家庭を犠牲にする事も多かった。発声練習や滑舌、リハーサルに時間をふんだんに使い、平日をまるまるその週末の本番の為だけに捧げるような生活の仕方だったし、私だけ帰省出来なかったり、家族旅行へ行けなかったり、息子の学校行事や運動会も行けない事の方が多かったし、用事があり休ませてくれと頼んでも休ませてもらえなかったり、パワハラもあった。

 葬儀はそれがない。家庭をたいせつにしたいという私の思いを叶えてくれる。休みももらえるし、パワハラもない。

 故人を縁として、多くの人が集まり、その死を悼む。精一杯弔い、皆が故人を思って泣き、精一杯見送る。ある意味故人は「ものすごく幸せ」と言える。

 そう、無縁仏の場合、病院等から真っすぐ火葬場へ行く事になるのだから。誰からも悲しんでもらえずに。末期癌で天涯孤独だった迫川勲さんも、きっとそうだったろう。

 なかなか尊い仕事だと気付いた時に、私は葬儀の仕事を有り難く受け入れられるようになった。自分は一軍から超一軍へ上がったのだ。この仕事をやっていこう。神様がその為に婚礼の会社を全部「落としてくれた」のだから。落としてくれて有難う。おかげで今があるとさえ思えた。

 きっと最初から葬儀の仕事をしていたら、やはり婚礼をやってみたかったと思っただろう。神様はそうならないように、少しでも若いうちに華やかな婚礼の仕事をさせ、良い時代を経験させてくれた上で、年齢を重ねた私を葬儀にシフトさせてくれた。

 だが不満がないと言えば嘘だった。電車の中で結婚式の帰りと思われる(お洒落をして結婚式場の名前が書いた引き出物の手提げを持っている)人を見たり、あちこちの結婚式場の広告を見ると、何ともさびしい気持ちになった。

 そんな時に、ピアノ教室を営む友人が手を差し伸べてくれた。

「発表会を行うから、あなたに司会をして欲しい」

 彼女はそう言って笑ってくれた。

 ああ、私を必要としてくれる人がまた現れてくれたのだ。私は迷わず、彼女の手を握った。

 頭の中で、別のゴングが鳴った。

 幸せなゴングだった。

 教会の鐘だったかも知れない。

 

 私は一心に発表会の準備をした。毎日、発声練習や活舌は勿論、何度も何度もリハーサルを行なった。何度リハーサルしてもまだ足りない気がした。

 そして迎えた当日、口から心臓が出そうな緊張感に包まれていた。私以上に緊張している子どもたち(その発表会に出演し、ピアノ演奏する生徒たち)を励まし、いたわりながら、慎重に仕事を進めた。

 そして本当に幸せな、夢のような時間に包まれた。当日いちばん嬉しかったのは、私だったかも知れない。

 そして主催者がどんなに長い時間をかけ、どんなに大変な思いをしてひとつの発表会を作り上げるのかを目の当たりにした。私はずっと司会者の立場でしかものを見ていなかった気がするし、考えていなかったように思う。主催者は自分の教室を、発表会を、こんなにたいせつに思っているんだ。新郎新婦もきっとそうだったろう。

 発表会が終わった後、友人は本当に喜んでくれた。来年も再来年も是非やって欲しいと言ってくれた。

 彼女以上に嬉しかったのは私だった。久しぶりに明るい気持ちで好きな司会が出来、達成感と幸福感で満たされていた。

 その時に思い出した事だが、私はずっと目の前にある課題に誠意を持って取り組んでいたら、自然に次のステージが降りてくる人生だったのだ。有り難いと思いそこに進むと、また次のステージが自然に降りてきた。それは何度も続いた。

 向かない仕事を嫌々こなしていた時は、早くそのステージから降りなさいと、神様は色々なサインを出してくれた。例えば首になったり、自分から辞めざるを得ない状況になったり、円形脱毛症になったり、ぎっくり腰になったり。

 思わぬ道に進む事もあるが、それが天職という可能性もある。今回もそうなるのでは?と良い予感があった。

 

 葬儀の会社に辞めさせて欲しいと願い出た私に、そこの社長は(この人は決して私をいじめなかった)残念だと言ってくれたが、もう一度本当に好きな仕事にトライしたい言う私の思いを汲んでくれた。

 葬儀も辞めずに新しい仕事を探したら?と友人は言ってくれたが、私はいったん今持っているものを手放せば、必ず神様が新しい事務所に会わせてくれると信じた。

 好きな事を職業に出来るほど幸せな事はない。もう一度、もう一度…。私は祈った。

 だが、やはりパーティーセミナー、様々な発表会の司会をする事務所も56歳の私を雇ってはくれなかった。

 私はそこでまた視点を切り替えた。

「司会業」に固執するのではなく、「仕事をする事」そのものにこだわってみよう。

 

 派遣会社に登録したと言った時、息子が「物凄く嬉しい事」を言ってくれた。

「母さんはベテランなんだから、司会やればいいじゃないか。どうして派遣の仕事やるんだよ」

 ああ、息子なりに私を応援してくれていたんだと本当に嬉しかった。夫も同じ事を言ってくれた。

 だが司会事務所はもう当たり尽くし、これ以上どこに面接に行けばいいのか?という状態だった。その言葉だけでじゅうぶん報われた気がした。

 …と言うか、その言葉こそ私が求めていた、「いちばん言われたかった最高の誉め言葉」だった。

 成功の反対は失敗ではなく、何もしない事だ。私は決して何もせずに夢を手放した訳ではなかった。

 だからもう闘わなくていいと納得し、電話オペレーターや工場での単純作業をアルバイト的に経験したのだが、この時ヤスエが昔こんな事を言っていたのを思い出した。

「一日中、電話しているのは本当に疲れるし、工場勤務も気が狂いそうになる」

 その言葉の真意が、やってみて初めて分かった。確かに一日中、電話も工場での作業も大変で気が狂いそうになった。若い身で続け、まして家族を養っていたヤスエは凄いと思った。

 私には無理で早々に辞めた。夫が私を気遣い言ってくれた。

「どうしてそんなに働きたいの?専業主婦でいいよ」

 私は社会とつながっていたかった。だから仕事がしたかったのだ。

 だが、還暦に近い私にはもう選べる仕事も少ない。選ばなければあるかも知れないが、屋外の仕事は日焼けするから嫌、力仕事は非力だから無理。営業はノルマがきついから嫌、事務はパソコンに疎いから無理、スーパーのレジ打ちは金額が合わなかったら弁償させられそうだから嫌、コンビニは強盗に遭いそうで怖いから嫌、掃除婦も嫌、介護職も嫌、あれ嫌、これ嫌、という我がままな私にはなかった(母も我がままだったが、私も本当に我がままだ)。

 そう言えば若い頃、年配の人がこんな事を言っているのを聞いた。

「年は取りたくないねえ。目に来て、歯に来て、耳に来て、頭に来て」

 その時は意味が分からなかったが、今なら物凄くよく分かる。

 本当に年は取りたくない。目は老眼になり眼鏡かコンタクトレンズがないとよく見えず、歯は黄色くなるし歯周病になり歯茎は痩せていくし、耳は高い音が聞きづらくなって聞き返す事が多くなり、物覚えも確実に悪くなるし、言われた事をすぐに忘れてしまう。

 これで仮に婚礼司会の仕事をしたとしても、何か訴訟沙汰でも起こしそうで怖い。

「ついこの前、成人式だった」

と言っていたのも分かる。私もそうだ。ついこの前16歳だったのに…。

 おまけに腰は痛い、足もすぐ疲れる、更年期障害のひとつなのか、異常に喉が乾き多飲にならざるを得ず、それに伴い頻尿になりトイレばかり通う(ホットフラッシュや幻覚よりはいいが)。

 偏頭痛も酷いし(桜井正一さんが偏頭痛で何も出来なかった気持ちが分かるようになった)、体力も確実に衰えている。

 みどりの黒髪と言われた髪にも白髪が目立ち、頻繁に染めずにいられない(ただ円形脱毛した頭皮の髪がまた生えてきてくれて、それは物凄く嬉しい)。

 毎年健康診断を受けるたびに少しずつ身長が縮んでいくのも恐ろしい。168センチあったのに、162センチになってしまった。

 朝だって昔はアラームを即座に止めて起きられたが、今はすぐに起きられない。だらだら二度寝、三度寝してしまう。つくづく若さと言うのは神様が与えてくれた一過性のご褒美なのだと思い知る。

 仕事を探す気力を「年齢」に奪われた。更に恐ろしい事に、後もうたったの8年(沖本争奪戦とまったく同じ期間。つまりあっという間)で「年金がもらえる年」になってしまう。せめて保険料をしっかりおさめていて良かった。

 幸い家庭は私を必要としてくれる。すべき仕事というか、家事がある。要介護状態の父もいる。専業主婦も決して暇ではない。神様は私から仕事を取り上げた。家庭は与え続けていてくれたが。

 はて?ここから何を学べばいいのか?

 

 そして、その答えが、

 ドカン!と、やって来た。

 

 専業主婦になってすぐ、本当にすぐ、中学3年に進級したばかりの息子が「不登校」になった。

 まるで私が一切の仕事を辞めるのを待っていたかのように、息子は学校へ行かなくなった。 

 まったく勉強もせず、部活も辞め、携帯電話ばかり見て過ごしている。

「高校には行かない」

と、かつての私とまったく同じ事を言う。

 自分に勉強を教えられないだの、自分の部屋に勝手に入っただの、室内ドアやカーテンをきちんと閉めなかっただの、料理のレパートリーが少ないだの、私がすぐに言われた事や自分で言った事を忘れる等でいちゃもんをつけ、何時間でもモラハラするし、死ねだの、居なくなれだのと暴言も吐くし、暴力も振るう。

 何か巡りあわせというか、やった事がそのまま返って来たようだ。昔の自分と、やった事が本当にそっくり返って来た。

「お帰り、私」という感じだ。

 

 中学3年の私に向かい、母は何度も言った。

「あんた、どうするつもりよ!」

「中卒では就職も結婚も絶対に出来ない」

「体裁が悪いから高校くらい行って」

 そして一切の選択肢を与えず、無理矢理行きたくもない高校へ私を押し込んだ。だが耐えられなかった私は3日でドロップアウトした。

 世間体や体裁、固定観念に縛られるあまり、いちばんたいせつな「本人がどうしたいか」を見なかった母は、もう今度こそおしまいだと私に烙印を押し、将来はいかようにもなるという事を一切考えなかった。そして文字通り私の未来や可能性を潰した。あんたは駄目なんだと言い続け、洗脳し、力の限り潰し続けた。

 そして学校の先生や友達も、口をそろえてこう言った。

「沖本さんて、どうしてそういう風にするの?」

 そう、誰ひとりとして

「どうしたの?」

「どうして欲しい?」

「どうしたい?」

と聞いてくれた人はいなかった。

 そしてみんながみんな、私がおかしくて悪い、と決めつけ、私の言い分を嘘と決めつけ、厄介だと放り出した。本当に悔しかった。私はただ突っ張って意地を張っていたように見えたかも知れないが、あれでバランスを取り、ぎりぎりの所で踏ん張っていたのだ。危うさや脆さを含みながら。

 私は「加害者に見える被害者」だったのだろう。

 

「その経験」を踏まえ、私は息子に言う。

「どうしたの?」

 息子が即答する。

「どうもこうもねえよ!ババア!!てめえなんか母親として認めねえ!」

 私におむつを替えてもらっていた子がこんな口をきくようになったか、随分大きくなったものだ。もうおむつもいらないし、安心だ、と思いながら聞く。

「炊き込みご飯と雑炊、どっちがいい?」

「うるせーよ、てめえ本当に嫌いだ」

 私のおっぱいを嬉しそうに飲んでいた子が、たいしたものだ、と感心しながら聞く。

「どうしたい?」

 息子が言う。

「どうでもいい」

 もう一度聞く。

「どうして欲しい?」

「他界して欲しい」

 ババア、というのは、お母さん、という事だろう。母親として認めないというのは、もっと良い母親になってくれと言うことだろう。嫌い、というのは、そういう行為をやめてくれ、という事だろう。どうでもいい、というのは、どうしていいか分からないという事だろう。他界して欲しいというのは、ちょっと黙っててね、あっちに行っててねという事だろう。

 私は心の中で「変換」をする。

「中卒より高卒、高卒より大卒の方が選択肢が多くて肩身も広いしお金も稼げるし、好きな事の出来る幸せな人生送れるよ」

と言うと

「今が良ければ先はどうでもいい」

という答えが返ってくる。

 そんな刹那的な育て方をしたのか?私は息子にただの一度も、死んだものと思っている、などと言った事はない。否定も、虐待も、所有物扱いも交換条件もしていない筈。ご飯抜き等の罰を与えた事もない。なのに何故?私の頭の上に大きな疑問符が浮かぶ。

 が、子どもは育てた通りに育つと言うからそうなのだろう。いずれにせよ私と同じダメージを受けて欲しくない。やはり、幸せになって欲しい、それが親としての本心だ。

「高校行けば友達も出来るし将来も安泰だし、普通の男の子っぽい青春送った方が得だよ」

 もう一度、プラスの言い方をしてみる。

 まるで勉強もせずやる気もない息子は、成績もすこぶる悪い。本当に昔の自分を見ているようだ。母の気持ちが多少は分かるが、それでも私は息子を否定はしないと決めている。

 夫は全日制高校へどうしても行って欲しいというが、無理にそんな事をしても早々に中退しそうな気がする。

 そこでまた「お帰り、私」というのも困る。

 

 息子が言う。

「全日制は嫌だ。どうしても嫌だ。俺の成績で受かる学校もない」

 夫が言う。

「今から頑張れば大丈夫だ。塾へ行け」

 だが、息子としては何をどう今更頑張ればいいのか分からないのだろう。塾も嫌なのだろう。

 私もそうだった。無理に塾を申し込んだり、家庭教師を手配する訳にいかない。ましてどこかの宗教団体の人を連れて来て説得させてもしょうがない。突っぱねるのは目に見えている。 

 そこで提案をする。

定時制は?」

 息子がブンむくれながら言う。

「毎日行くの嫌だ」

通信制は?」

「…通信制なら良い」

 おお、やっと心がほぐれたか。私はほっとする。

 昔は県立高校へ行けない子が私立高校へ、それも駄目な子が定時制、それも駄目なら通信、最後の砦が大検を受ける事だったが、今は違う。定時制通信制も昔は4年通学だったが、今は3年で卒業出来るし、卒業率も高くなっている。

 時代が良いように変わってくれた。有り難い話だ。要は幸せなら良いのだ。母は体裁しか気にしなかったが。

 やった事がそっくり返って来たのだろう。ならば笑顔で受け止めれば良い。そして神様はその人が越えられない試練を与えないから、必ず乗り越えよう。

 もしかして「この試練」を超える為に「あの試練」をあらかじめ手渡されたのかも知れない。だったら大丈夫。私も息子も大丈夫。もともと頭の良い子だ。本人に選ばせよう。

 大丈夫、大丈夫、必ず良くなる、そう信じて息子に付き合っていこう。

 

 暴れる息子に手を焼いた夫が言う。

「親に暴力振るうなんて信じられない。いよいよ手に負えなくなったら施設に入れるか」

 ぞっとした。親子二代で更生施設を経験するなど考えられない。自分に施設経験があるからこそ、だからこそ、息子をそんな目に遭わせたくない。

 私は夫に更生施設に入った経験がある事を話していないが、それでも自分の子にそんな仕打ちをするなど、よくそんな発想をすると驚いた。間髪入れずに反論する。

「駄目よ、捨てられたと思うよ。鬼畜みたいな扱い受けるし。まだ大丈夫、手に負える。それに施設にかける何百万を、学費に充てた方がいいよ」

 夫が言う。

「甘やかし過ぎた」

 私は愛情を持って即答する。

「違うよ。ずっと我慢し続けていたんだよ。それが今爆発したんだよ」

 息子が小学校3年生から2年半、中学受験の為に週に6日も塾通いをさせた。夫の意向だった。

 私もこの子は学校の成績も良いし、テストの点も良いし、もしかしたら中学受験に打ち勝つかも知れない。頭の良さは夫に似てくれた、と思っていた。当時、夫はこんな脅し文句を言っていた。

「私立中学に行けば金の稼げる人生を送れる。公立に行ったら貧乏な人生になる。金持ちになりたければ私立中学を受験しろ」

 私は夫に言った。

「それは公立に行っている子に失礼でしょう。この子は確かに頭の良い子だけど、もし何かで公立に行く事になったら本当に貧乏な人生になるよ。人の人生は言った言葉の通りになるからそう言うマイナスの言い方はやめて。プラスの言い方をしてね」

 だが夫は息子に脅し文句を言い続けた。

「お前は友達と遊ぶ暇なんかないんだ。友達に差を付けろ。何がなんでも受かれ、死ぬ気で勉強しろ。この中学校に受からなければうちの子じゃないぞ」

 夫としては本当に申し分ないが、父親としては厳しすぎる人だ。お舅さんとお姑さんも優しい人だが、子どもに甘えを許さない厳しい教育理論を持っている。

 夫もお姑さんもこう言った。

「父親と母親の考え方は一致していた方が良いよ」

 確かにそうだろうが、両方から言われたら逃げ場がなくてつらいだろう。私も子どもの頃、父母の両方からいつも責められつらかった。

 せめて私は息子を優しく慰めたい。親にして欲しかった事を、今、私は息子にしたい。虐待されたからこそ、私は夫と息子に愛情を注ぎたい。

 少なくとも施設に放り込む事だけはしない。息子がいつか父親になった時、孫が施設に放り込まれるのを防ぐ為もある。

 もしかして「こういう考え方」や「対応」をする為に、神様は私を中卒にしてくれた上、施設に放り込まれる経験をさせてくれたのかも知れない。

 ああ、中卒で本当に良かったし、光の園に入って本当に良かった。私は息子の代わりに施設に入ったのだろう。ならば尚の事本当に良かった。

 

 息子が小学校1年生の時、友達に誘われて万引きをした。夫は息子を1時間以上立たせたまま説教し続け、二度とやらないと誓約書も書かせた。

 勿論夫は息子を「良くなって欲しい」と思いそうしたのだが、息子はやはりつらかったろう。いけない事をした自分が悪いと頭では分かっていても、厳しい父親がうざかっただろう。立ちっぱなしで足も痛かったろう。

 また3年生の時には、友達をいじめて不登校にさせてしまった。その時も夫は息子を立たせたまま叱りつけ、二度と人をいじめないと誓約書を書かせた。

 息子が何か我がままを言うと、夫はこう脅した。

「もうどこへも遊びに連れて行かないよ」

 私は言った。

「違うよ、私たちがこの子に遊んでもらっているんだよ。そういう事言うのやめてね」

 

 夫に叱咤され、誓約書を仕方なく書いていた息子。

 夫にうるさく言われ、泣きながら勉強していた息子。

 終わった後、抱きしめる私の腕の中でいつもすすり泣いていた息子。

 自分の意志に反して中学受験を押し付けられ、スローガンを「掲げさせられた」息子。

 もっとあなたをかばえば良かった。

 もっともっとかばえば…。

 

 夫は言い続けた。さあ、塾へ行け。自習室で勉強をしてこい。成績を上げろ。この中学に合格する事だけを考えろ。言えば言う程息子は苦しんでいった。

 結局やる気があったのは夫だけで、本人にまるっきりやる気がなかった為、受験はしなかった。私はそれで良かったとホッとした。

 夫は塾に払った200万近いお金が無駄になったと悔しがっていたが、私立中学へ行けばもっと大金を使う所だったし、環境が合わず、公立に転校する子もいる事を考えれば、ぎりぎり助かったと考えていいだろうと安堵した。

「良かったね。友達と同じ中学に行けて、楽しい中学生活送ろう」

 私は息子に心からそう言えた。

 だが夫は、公立中学へ入った息子にこう言った。

「夏休みまでに学年で100位以内に入れ、二学期で80位以内に入れ、2年生に進級するまでに50位以内に入れ、3年生で1位になれ」

 言えば言う程、息子の成績はどんどん下がっていった。そしてどんどん荒れていった。

 私は夫に言った。

「もう言わないで。追いつめないで」

 息子は夫も嫌っているが、私も嫌っている。

 その原因は、私がこう言い続けた事にある。

「パパ凄いでしょう?パパ偉いでしょう?パパみたいになって」

 私はそれが「良い事だ」と信じていたが、よく考えたら決して良い事でも何でもなく、むしろ悪い事だった。私も息子を追いつめてしまった。

 幼い息子は確かに父親のようになろうと思っただろう。だが「そうなれない自分」をコンプレックスに感じたのだ。そのコンプレックスを抱かせたのは他ならぬ私だ。本当に申し訳なかった。否定されたと思ったのだろう。

 今更ながらこう言えば良かったと思う。

「あなたはそのままでいいんだよ」

 

 息子よ、君は私より大きくなった今、小さく弱かった自分を擁護して悔しさを晴らしているんだろう。自分の方が強くなったと、今、君より小さく弱くなった私をいじめてプラスマイナスゼロにしているのだろう。私をお前呼ばわりする事で、暴力を振るう事で、自分の方が上だと知らしめたいのだろう。いいよ、そうしてくれて。私は大丈夫だよ。

 ただ救いは、息子は決して非行には走っていないという事だ。学校に行かないというだけで法に触れる事はしない。いつも家に居るが、友達と出掛ける事もあり、引きこもっている訳でもない。いつ家に帰って来るか分からず、法に触れていたかつての私よりずっと良い。

 息子に蹴られた足をさすりながら、私に蹴られた箇所をさすっていたのであろう母を思う。あなたも痛かったろうねえ。

 息子に罵詈雑言浴びせられた後、痛む心をさすりながら、こう思う。ああまだ見ぬ孫よ、お父さん(息子)を罵ったりしないでおくれ。

 

 息子が言う。

「こんな家嫌いだから早く出たい。アパート借りて暮らしたい」

 まったく同じ事を私も思っていた。ここでまた「お帰り、私」だ。

 

 完璧な子育てなどないのだろうが、私が息子に対して本当に済まなかったと思っているのが、息子が小さい頃からこんな話をしてしまった事だ。

「ママはね、あまり幸せでない家庭に育ったのだけど、神様は結婚相手は恵んでくれたのよ。ママはパパと結婚して、あなたを生んで本当に良かったよ」

 私は「諦めなければ幸せになれる」と言いたかったのだが、きっと息子は「小さな人生相談員」のような気持ちになってしまったのだろう。

 私が幼い頃、母は頼みもしないのにつらかった経験を勝手に話し、勝手に大泣きしてしがみついてきて、本当に迷惑だったのに、同じ事をしてしまった。

 私は息子の前で、号泣もしがみつきもしなかったが。

 

 私は若い頃、親に済まないなんて思わなかった。親が悪いと思っていた。

 だが息子は多少私に済まないと思ってくれているらしく、こんな事を言ってくれた。

「約束する。高校生になったら真面目にやる」

 信じようと思う。元恋人の桜井正一さんや元同僚の小椋純子さんが、私を信じてくれたように。

通信制ならちゃんと行く。大学も行く」

とも言ってくれた。それも信じようと思う。

 私が行けなかった高校に、大学に、お行きなさい。たいせつな息子よ。

 

 人は良くも悪くもされたようにしか出来ない。私も忙しさに苛立ち、息子をひっぱたいた事がある。悪かった。母は私が悪いと言い続けていたが。

 本当に子どもは親の真似をする。私が落ち着いていれば息子も落ち着いているが、私が焦ったりキーっとなると、息子も焦りキーっとなる。

 お母さん、私はあなたの真似をしていたんですよ。そっくりだったでしょう?

 

 そして最高の先生である息子よ、教えてくれて有難う。真似してくれて有難う。分かったよ。落ち着いて静かに話すからね。

 必ず君が本当に良かったと思える結果になるから大丈夫だよ。君の使命を果たしておくれ。私も使命を果たすよ。

 君の頭につむじが二つあるのはきっと、「僕は二人分だよ」という事なんだろうね。だから私は二人目を授からなかった訳だ。年齢のせい、というよりも。君は本当にひとりで二人分親孝行だよ、二人分私に教えてくれているよ。

 

 そしてお母さん、私の頭につむじが二つあるのは、私もひとりで二人分、という事だったんですよ。私から二人分学んだでしょう?

 あなたは変に憂いて、私に死んでくれと散々言ったけど、まさか私がこうなると思わなかったでしょう?だから私も息子を変に憂いませんよ。息子もきっと、私が望んだ以上の人生を歩んでくれるでしょう。信じて、安心して、命がある事を喜びながらその時を待ちます。

 お母さん、あなたは今ほど安心している時はないでしょう。現世にいた頃より、今の方がずっと心穏やかでしょう。

 ただ、あなたがあまりに心配し過ぎ、悪く悪く考え過ぎるから、マイナスの事ばかり口にするから、「だからこそ」私は悪く考えずに済むしマイナスの事も口にせずに済んでいるのかも知れませんね。

 私の代わりに憂いてくれて、悪く考えてくれて、お疲れさまでした。

 

 ひとつだけ息子に取って私が母親で良かったと思える事があるとしたら、私が曲がりくねった道を歩んできたという事だ。だから曲がりくねった道を進みそうな息子を理解できるし、大丈夫だと安心していられる。

 夫も夫の両親も、いわゆる王道を真っすぐ突き進んできた(挫折も経験しているだろうが)。だから王道を進めない息子が分からないんだろう。

 私は散々回り道をしてそこから何がしか学んで来た。それが今日に活きている。

 どんなに曲がりくねっても、遠回りしても、人は必ず自分に向いた仕事に就けるし、幸せになれると身をもって学習している。だから息子も大丈夫だ。

 私は親と暮らしていた頃、常に限界を感じていたし、光の園でも限界と思っていたが、息子に対して限界と思った事は一度もない。

 まだ大丈夫。

 まだ踏ん張れる。

 まだ力は尽きない。

 光の園で集団リンチされた時に、まだいけると踏ん張った経験がここで活きている。

 

 通信制高校の資料を取り寄せた時にこう思った。世の中に通信制高校は随分とたくさんあるんだな、と。

 婚礼司会の仕事を始めた時も同じような事を思った。世の中に結婚する人は随分たくさんいるんだな、と。いずれにせよ有り難い話である。

 どこに見学に行くか息子に選ばせた。10校候補を決め、一緒に見学に行った。必ず息子に合う「運命の高校」がある筈だ。さあ安心して一緒に見学しよう。

 

 1校目に見た所は本人が気に入らず、クズだカスだと帰り道に散々言った。

 2校目、やはり気に入らず、けちょんけちょんに言った。

 3校目、段々疲れてきて、二人とも黙って帰った。

 そして4校目を見学した帰り道、息子が自分から聞いてきた。

「どうだった?」

 自分から聞くとは珍しいなと思いつつ答えた。

「うん、いいと思うよ」

 息子が漲った口調でこう言った。

「この学校が良い。俺の求めていたものがすべてここにある」

 驚いた。

「他はどうする?もう少し見てみる?」

 息子が即答した。

「そんな必要ない。俺はここに通う」

 夫は最初から通信なんて、と嫌がったが、私は息子が決めた事なら必ず良い結果になると確信し、その通信制高校に願書を出した。

 その学校は不登校の生徒を対象とした補習授業を入学前に半年間行う。中学校には決して行こうとしない息子だが、補習授業には喜々として通い始め、その頃からモラハラも暴力もかなり少なくなった。

 きっと未来の見えない不安や不確かさにもがいていたのだろう。不安であればあるほど、吐き出し方も激しかったのだろう。

 私もかつて、激しく吐き出した。私には行き場がなかった。息子は縁のある学校に出会えて本当に良かった。

 

 何か、息子は今になって、私の愛情をはかっているような気がする。きっと「愛されている」という実感がなかったのだろう。

 悪かった。私も幼少期、疎まれていると感じる事は多々あったが、愛されていると感じた事はほとんどなかった。

 

 息子よ、今からでもたくさん甘えておくれ。

 意思表示をしておくれ。

 私は24時間体制で受け止めるよ。

 それは「専業主婦」でなくては出来ない「重要な仕事」だ。

 今こそ君は私を試したいのだろう。

 愛されたいのだろう。

 いいよ、じゅうぶん気が済むまで私を試しておくれ。

 

 私は君の蜘蛛の糸になろう。私につかまりながら社会へ登っていきなさい。私は決してちぎれる事なく君を支え続けるから。

 そして君が無事に社会へ出て、これで生活していけるなという良い職業に就き、心身共に安心できる状態になったらプツンと切れても良い。それまでは何としても踏ん張るよ。どんな事をしても君を落とさないよ。

 

 今この瞬間も、母が本来私にすべきだった事を、私が息子にしているような気がする。

 君の選択を丸ごと肯定し、精一杯応援しよう。今こそ愛情を注ぎ、あらん限りの力であらゆるものから君をかばい、今こそ君を守ろう。色々な人が色々な事を言うけれど、それでも私だけは100%君の味方でいるよ。成田のおじいちゃんとおばあちゃんは私の味方をしてくれず、被害者面をして、私を加害者にし、私を矢面に立たせ続けた。

 それでも、だからこそ、私は君を矢面に立たせないよ。

 矢面には私が立とう。

 ダメージは全部私が受けよう。

 君に傷ひとつ負わせない為に。

 私は大丈夫だよ。

 条件付きの愛情しかもらえなかったからこそ、だからこそ、私は無条件で君を愛するよ。

 

 ああ神様、こんなにも感動できる人生を、本当に有難うございます。

 あなたが私に渡そう、渡そうとしていたバトンはこれだったんですね。

 今、しっかりと受け取りましたよ。

 

 いずれにしても中学3年の「今」でぎりぎり良かった。高校生だったら退学になっていた。社会人でも解雇されていた。40歳、50歳で暴れられても困る。その頃は私も夫も高齢化していて対応出来なかったかも知れないし、その年齢だと息子の再就職もままならなかったかも知れない。

 本当に「今」で良かった。まして90歳過ぎて甘えるよりずっといい。その頃は私も生きていないだろうし。ナイスタイミングだよ。

 小学校低学年だったら、ひらがなやかたかな、掛け算の九九を覚えられなかったかも知れない。高学年でも漢字や割り算、繰り上がり繰り下がりを学べなかったかも知れない。だから今で本当に良かった(小学生で不登校している人を否定するつもりはない。特に息子がいじめて不登校にしてしまったお子さんには悪かったと思っている)。

 私立中学にもし入っていたとしたら、通っていないのに高い授業料を払い続けている所だったし、中高一貫としても、高校へ内部進学出来なかったかも知れない(私立中学で不登校の人を否定するつもりも勿論ない。応援する気はある)。

 ましてその頃、ニュースで中学受験を子どもに強要した父親が、勉強しない息子を包丁で刺し殺す事件もあり、そうならなくて良かったと安堵した。

 今で、公立で、本当に良かった。有難うとお礼を言いたいくらいだ。

 不登校なんて今時珍しくもなんともない。体裁もどうでもいい。

 幸いにして私にも不登校経験があり、人生はいかようにもなると学んでいる。

 不登校に関する本をたくさん読み、その本から「安心」を学んだ。何より、子どもが学校に通うのは決して当たり前の事ではなく、奇跡だという学びがあった。

 もっと言えば生きている、元気だ、これも奇跡だ。

 家の中でいつも本を読む私の姿を見て夫は言った。

「本をよく読むね」

 それを聞いて、昔母が自分の友達に向かって、あなたは中卒なのに本を読むのかと侮辱していた事を思い出す。あの時まさか自分の娘が中卒になるとは考えもしなかったのだろう。お母さん、中卒でも本を読んでいいし、生きている価値もあるんだよ。

 大人になってから引きこもる人は、子どもの頃に我慢し過ぎた人と言うし、ならば今で良かった。失敗しても、何もしないよりいいし、そこから学ぶ事は多いし、それが息子の財産になる筈。まだまだじゅうぶん若いし幾らでもやり直せる。

 息子よ、「今」荒れてくれて有難う。罵詈雑言浴びせてくれて、暴れてくれて、学ばせてくれて本当に有難う。痣になるほど蹴ってくれて、小さい頃一緒にバトミントンをして遊んだラケットで殴ってくれて、私の業を落としてくれて、本当に有難う。私もラケットで親を殴ったよ。

 

 もしかして君は幼かった私の代わりに不登校をしてくれているのかも知れないね。私は小学生の時に過活動膀胱になり、授業中にトイレに通う子どもだった。先生にもみんなにも不審がられ、仮病と言われ、おばあちゃんにもおむつさせると脅され、登校拒否(当時はこのような言い方をした)したかったが勇気がなく出来なかった。

 おばあちゃんは自分の理想通りでない私を忌み嫌っていたけど、私は君にそもそも理想を求めていないから、君が元気に生きていてくれるだけで幸せを感じるよ。有難うね。

 ニュースで子どもが命を落としたと聞くと、うちの子は不登校でも何でも生きているから良いと思える。そう、暴れるという事は、そして不登校でいるというのは、生きているという事だ。

 

 生きてさえいれば、命さえあれば、どんな風にもなる。

 必ず良くなる。

 

 そしてこういう考え方は、元恋人の桜井正一さんが事故死したからこそ生まれたという気もする。

 私は君が生後半年から司会の仕事で急に売れ出し、忙しくなり、毎週末仕事へ行き、平日も発声練習や活舌、リハーサルで時間を使い、普通のお母さんではなかった気がする。君はずっと理解しながらも、我慢してくれていたのだろう。申し訳なかった。本当に悪かった。

 君は出来ない我慢をし続けた結果、どんどん耐えられなくなり、私があらゆる仕事を辞めたのを機に力尽き、不登校というサインを出してくれているんだろう。君なりに考えて、気を使ってくれているのだろう。

 気付かなくてごめんなさい。今気付かせてくれて有難う。君は確かに小さい頃から人に気を使う、優しくて思いやりの深い子だった。

 司会の仕事はいったん受けると家族が病気になっても、自分が病気になっても休めない。風邪ひとつ引くまい、怪我もすまい、いい加減だった私が健康管理に人一倍気を使い生活するようになれたのは、婚礼司会のお陰だ。

 高熱に見舞われた君を、病児保育院に預けてまで仕事をしてしまった私。

 私を気遣い

「早く仕事へ行きな」

と言ってくれた君の熱に浮かされた赤い顔を思い出すたびに胸が痛むよ。

 本心では、こんな時くらい仕事を休んで家で看病してくれと思っていただろう。仕事を優先する私を許し続けてくれていたんだろう。初対面の保育士や看護師に看病されながら、君はどんな思いで知らない部屋の天井を見ていただろう。どんなにさびしかったろう。本当に申し訳なかった。ごめんなさい。

 毎週土日になると

「今日休み?」

と聞いてきた君。

「仏滅だから、休みだよ」

と答えると、嬉しそうに

「どこか行こう」

と無邪気な顔で誘ってくれた。

「ごめん、仕事だよ」

と言うとそのままウンと頷き、それ以上何も言わなかった君。

 遊びたい盛りの君とじゅうぶん過ごせなかった私。

 可愛い盛りの君より、自分のキャリアを積み重ねる事しか考えていなかった私。

 仕事の予定で埋め尽くされている私の手帳を見て、黙り込んでいた君。

 君の気持ちを考えず、自分の事ばかり考えてしまった私。

 

 悪いお母さんでごめんなさい。仕事と顔の手入れは手を抜かなかったが、育児は手を抜いた気がする。そう、君のおばあちゃんのように。

 そして息子はぎりぎり気を使っているのか、私の顔だけは殴らない。

 

 あのまま仕事がうまく行き続けていたらどうなったかと思うとぞっとする。

 辞めてよかった。

 パワハラされて良かった。

 愛社精神を持って働けた会社も、大好きだった婚礼も、尊い葬儀も、学んだ派遣も、全部の仕事を辞めて良かった。

 全部、いちばん良いタイミングで辞められた。それぞれの仕事で、それぞれの定年を迎えられた。本当に今のこの状態で良かった。神様がそうしてくれた。

 

 ただね、君を生めたのは私だけなんだよ。

 君の母は世界で私だけなんだよ。

 ママを嫌いでも、パパを嫌いでも、自分だけは好きでいて。

 自分の人生だけはたいせつにしておくれ。

 私も懸命に生きている。

 賢明ではないにしても。

 

 ああ私はやはり幸せだ。君はやっぱり私の最高の先生だよ。不登校でも、細かくて神経質でも、私は君が好きだよ、大好きだよ。

 今日のモラハラはたったの15分で済ましてくれたし、蹴りも「加減しながらの一発」でやめてくれた。

 高校が決まるまでは4時間も5時間もモラハラしたし、蹴りも殴打も一発では済まなかったし加減もなかった。扇風機で殴られた事もあった。扇風機はバラバラに壊れ、私も痛くて、悔しくて、惨めで、情けなくて、張り裂けそうになった。

 だが、それさえ考えようによっては良い事だった。扇風機は私の身代わりになり、バラバラに壊れてくれたのだ。幸いもう一台あったので、何も困らなかった。私がバラバラに壊れるよりずっと良かった。

 ああ、良かった。

 ああ、恵まれている。

 ああ教えてくれて有難う。

 

 母は父や私に暴力を振るわれると、わざとらしく吹っ飛んで見せたり、さも助けて欲しそうに悲鳴を上げたりしていた。

 そして父に暴力を振るわれ、やめさせようとわめき散らした私の口を股で塞いだ。

 だが私は息子にどんなに殴られても一言たりとも悲鳴を上げなかった。近所に息子が私に暴力を振るっている事を知られたくないからだ。ましてや自分の股で息子の口をふさぐなど、間違ってもしない。

 

 そうだ、私も杜子春の母のような母親になろう。どんなにムチ打たれても、それでも子どもの幸せを願って激痛に耐える母親であろう。

 母もしまいにはそんな母親になってくれていたし、教えてくれて有難うと言ってくれた。私に出来ない筈はない。

 

 息子よ、だから私に暴力を振るって良いよ。 

 外で誰かを殴るよりずっと良い。

 さあ、息子よ。

 私を好きなだけ殴りなさい。

 ずっと耐えられなかったんでしょう?

 私は耐えられるよ。

 耐えてみせるよ。

 そして君が一度だけこう言ってくれた言葉を忘れないよ。

「俺だって本当はこんな事したくねえんだよ!」

 ああ、そうだったんだね、君は本当はこんな事したくないんだね。したくない事をさせて悪かった、本心を言ってくれて本当に有難う。

 

 私は親に「娘として認めない」と言われて育った挙句、息子から「母親として認めない」と言われているが、考えようによってはそれさえ幸せだ。

 それは、私は息子を自分の子として「認めている」からだ。自分の生んだ子に向かって「子どもとして認めない」と言うよりずっと良い。

 悪い方ではなく良い方を見れば、幸せは必ずある。本人がそこに気付くかどうかだ。

 来年の今頃は落ち着いてくれているだろう。暴力もモラハラもなくなっているだろう。

 ああ有難う、君以上の子どもいないよ。

 君は千人分親孝行だよ。

 君が何と言おうと、君は私と私が尊敬するパパさんの愛の結晶だよ。

 

 君は不登校を貫き、卒業式にさえ行かなかった。私が代理で行き、担任や学年主任が見守る中、校長先生から卒業証書を受理した。

 他の子は自分で受け取るのに、何故私がここまでしなくてはならないのか、という考えもよぎったが、それも考えようによっては「必要な経験」だった。

 そう、私は自分の中学の卒業式に出なかったのだから。だから神様が代わりに卒業証書を受理させてくれたのだ。息子にも、息子の通った中学にも感謝している。

 ああ、これで私もやっと中学を「きちんと卒業した」のだ。

 息子よ、間もなく行われる高校の入学式にはきちんと出ておくれ。

 そしてまだ見ぬ孫よ、お父さん(息子)を代わりに卒業式に出さないでおくれ。

 

 思えば私はやった事は必ず返って来た。振った男性の数だけ男性に振られた。蹴った仕事の数だけ企業に蹴られた。いじめた人の数だけ誰かからいじめられた。親を蹴った挙句、自分が生んだ子から蹴りを入れられている。

 だが良い事をした数だけ、誰かから良くしてもらえた。プラスマイナスゼロ、だ。

 有り難い、尊くてたまらない人生を送らせてもらっている。

 いない子に泣かされる事もないが、喜びを感じる事もない。息子は私に子育ての喜びを味合わせてくれたのだから、じゅうぶん親孝行だ。

 君に算数や数学を教えている時に、自分が数学が好きだった事を思い出し、嬉しかったよ。有難う。他の教科は教えられなかったけれど。

 

 そして私は子どもの頃から痛い目に遭うたびにこう思った。

「この人はこういう目に遭わないんだろう」

 だが、それは違った。

 

 葬儀の仕事を辞める少し前の事。ある葬儀場で仕事を終え、帰る際に水色の作業着でモップ掛けをしている「掃除のお婆さん」とすれ違った。

「お疲れ様です」

と言った所、相手も

「お疲れ様です」

と答えた。聞き覚えのある声だった。

 一瞬目が合い、酷く濁ったさびしい目の人だと思わず思った。目は心の窓と言うが、「どうして自分がこんな仕事をしなくてはいけないんだ」と言いたげな眼差しだった。

 誰か分からず通り過ぎ、従業員用の通用口を出てから気付いた。

 何と、それは私にパワハラした元上司だったのだ。ほんの一瞬だったが、それでその人の現状がすべて分かった。

 その人はクーデターにでも遭ったのか、会社を失い、仕事を失い、人脈を失い、肩書を失い、元社長でありながら、掃除婦になっていたのだ。

 婚礼の仕事をしていた頃は、年齢(60代前半)の割に若々しく溌剌としていたし、髪も黒かった。それが真っ白髪になり、生気のない憂いに満ちた眼差しになっていた。

 もはや誰からも相手にされていない人特有の「孤独でたまらない目」だった。たったの2年で、人はここまで変わるのか。まるで浦島太郎のようだった。プライドだってあるだろう。ましていじめた私に掃除婦になった姿を見られたくなかったろう。

 だが私は決してその人に対して、ばちが当たったともざまみろとも思っていない。勿論掃除の仕事を見下していないし、掃除を含む如何なる職業も馬鹿にしていない。

 おそらくその人は、やった事がすべて返ってきたのだろう。あまりに強引過ぎ、あちこちでトラブルを起こし、信用を落としたのだろう。落とした信用はどうしても回復出来なかったのだろう。

 雇う側から雇われる側へ、面接をする側から面接を受ける側へ、あちこちへ足を運んでもどこも雇ってくれず、途方に暮れ、路頭に迷い、それこそ滝のように悔し涙を流したろう。

 食べる為に何としても働かなくてはならず、職を求め続け、断られ続け、どんどん堕ち、どうしても、こうしても、何をしても、「掃除婦にならざるを得なかった」のだろう。

 その人が経営していた事務所は、私の婚礼司会者としての黄金時代を支えてくれた会社だった。そこは感謝している。

 が、同じ事が言える。私もその事務所の黄金時代を支えたひとり、という事だ。お互い様だ。

 あらゆる結婚式場から仕事が舞い込み、さばききれない程多忙な時代もあったが、どの式場からも次々に契約を打ち切られ、干されていったのだろう。その要因のひとつに「沖本に極めて理不尽な個人攻撃をしていた」という噂が業界に広がり、「あの事務所はパワハラがある悪い会社だ」と烙印を押されたというのがあるのかも知れない。

 元上司は、どんどん傾く会社を必死で立て直そうとしたが、誰も助けてくれず、四面楚歌の中、遂に手から抜け落ちるように会社を、仕事を、人脈を、肩書を、失ったのだろう。この人だけは自分から離れていかないだろうと思っていた相手が、次々に離れていったのだろう。そのひとりが私だったのだろう。

 私も花形と言われたが、その元上司も婚礼業界で花形と言われた存在だ。女王様然としていた人が、つらいだろう。

 もしかして離婚をされ、家族さえ失ったのだろうか、あの孤独な眼差しは…。

 信頼した人に仕事を紹介すると言われ、内容を知らされぬまま、それこそ藁をも掴む気持ちでたずねた会社で、突然掃除婦の仕事をさせられ、それがあまりにショックで、フランスのマリー・アントワネット王妃のように、たったの一晩で真っ白髪になったのか?裏切られ、傷つき、悔しく、どうにもならぬ状態の中、それでもモップをかけるしかないのか?

 …白鳥「元」社長、あなたもたまらないでしょう。だけど考えようによっては、それも良い事と言えますよ。

 だってあなたは今「業を落としている」のだから。そしてその出来事から大きな学びを得、使命を果たしているのだから。

 もうひとつ、あなたは私の代わりに掃除婦になってくれたのかも知れませんね。私はどんなにあがいても婚礼司会には返り咲けなかったけど、今最高に幸せですよ。

 

 …と言う事は、例えばうちに詐欺を働き、二重請求をしてきた便利屋もどこかの会社から二重請求され、お金を払わされ、悔しい思いをしたのか?

 うちを金持ちと言い、人を使って泥棒を働いた民生委員のおばさんの家も泥棒に入られたのか?

 祖母をいじめた祖母の妹は、誰かからいじめられ、祖母の家を売って得たお金をあっけなく失ったのか?

 私にしつこく付きまとった人は、誰かからしつこく付きまとわれ、同じ学校に生徒として通うというキチガイ沙汰をされたのか?

 私の背中に死んだ魚を入れた人は、誰かから同じ事をされたのか?

 私を首にした会社の人は、誰かから首にされたのか?

 私をこっぴどく振ったかつての不倫相手は、妻に不倫されたり、愛人にこっぴどく振られたのか?

 私に暴力を振るった男は、誰かからひどい暴力を振るわれたのか?

 自分は嘘がうまいと豪語した人は、誰かから嘘がうまいと豪語されたのか?

 私を見捨てた人は誰かから見捨てられたのか?

 義務で私と交接した人は、誰かから義務丸出しの交接をされたのか?

 私をいぼ、いぼ、といじめた人の手には、いぼが出来たのか?

 私の言葉遣いをいちいち直した人は、誰かから言葉遣いをいちいち直されたのか?

 私を前の彼女と比較し続けた人は、誰かから前の彼氏と比較されたのか?

 私に中指を立てた人は、誰かから中指を立てられたのか?

 私を安上がりと言った人は、誰かから安上がり呼ばわり言われたのか?

 私にシッシッと手を払った人は、誰かから同じ事をされたのか?

 私に自分の価値観を押し付けた人は、誰かから価値観の強要をされたのか?

 私の神経を逆撫でし続けた人は、誰かから神経を逆撫でされ続けたのか?

 私に脅迫電話をされたと濡れ衣を着せた人は、誰かから濡れ衣を着せられたのか?

 私にこのお金よこせって言うんでしょうと言った人は、誰かに同じ事を言われたのか?

 私の話を「あーあー」と言って遮った人は、誰かから話を「あーあー」と遮られたのか?

 あの人もこの人も、まったく同じ目に遭ったのか?

 そして姉はこれから誰かにたいせつな人の前で嘘つき呼ばわりされ、さも馬鹿にしたように「難しーい」と侮辱され、深く傷つけられるのか?

 そう考えるとまったく腹は立たない。

 もうひとつ、私を傷つけた人たちは「本当はそんな事をしたくなかった」のだろう。私も根底では不本意と思っている事を何度もしてしまった。

 

 ああ私はこれから本当にしたい事をしよう。 

 相手が微笑んでくれるような良い事をしよう。

 良い種をたくさん撒こう。

 そうすれば、それもめぐり巡って必ず私に返って来てくれる筈だから。

 

 私は昇りくる朝日を見ながら思った。

 ああ、幸せだ。

 また今日という日を迎えられた。

 また新しい日を神様から贈られた。

 

 柵に背をもたれ室内を眺めると、眩しさに目が慣れた故に室内が真っ暗に見える。壁には息子が描いた私の似顔絵のクレヨン画が飾られてある。幼稚園時、母の日にプレゼントしてくれたものだ。

 あの夜の反省室も暗かった。あの壁には不気味な大仏の絵が画かれてあった。あれは一体誰が画いたものだったのだろう。あの部屋はどう処分されたのだろう。

 

 私たちはほんの小さな箱のなかにいたのだ。中にいる時は何も分からず、ここをひとつの世界と思った。しかしそこは、引き裂けば破れる程度の紙でできた箱だったのだ。その紙を誰も破ろうとしなかった。無理に外に出たらもっと恐ろしい事になりそうな気がしたから。

 私たちに出来たのは、この箱から外に出たい出たい、出してくれと願う事だけだった。

 しかしその小さな箱から出た時、もっと大きな箱に飲みこまれる事になった。箱から出ても出ても、次々に新しい箱は現れた。それはある時は「困難」という名の箱であり、「挫折」という名の箱の時もあり、「苦痛」という名の箱の時もあった。

 私はどうにか「幸せ」という名の箱を見つけ、その中に入った。…いや、もしかして「入った箱の中で幸せを見つけた」と言った方が正しいかも知れない。

 あの荒れ狂っていた日々からは、こんな日常は考えつかなかった。欲しているようで、何故か思い付きはしなかった。

 この先何がどうなっても、私はその環境の中から幸せを見つけられるだろうという自信がある。現に息子にモラハラされても、暴力を振るわれても「今いちばん幸せだ」と言い切れる。本心だ。この経験でさえ、必ず何かに活きるのだろう。

 

 神様がたくさんの経験をさせてくれた。与えられたたくさんの試練を、ひとつひとつ乗り越えてきた。越えられない試練は本当にひとつもなかったし、意味のない出来事もひとつもなかった。

 神様は私に葬儀の仕事をさせる事で、白鳥元社長の現状を知らしめてくれたし、やった事は必ず返って来るというのは父母や私だけでない事も教えてくれた。その上、白鳥元社長の姿を目撃した直後に私をぎっくり腰にしてくれ、葬儀の仕事を辞めさせてくれた。何という良いタイミングで色々してくれる事だろうか。

 

 光の園でさえ、もしかして私は叩き込まれた、と言うよりも、自ら入ったのかも知れない。

 通常では学び得ない事を一気に学ぶ為に、高校では教わらない事を勉強する為に、光の園に行かなければ絶対に出会えない「全国の人たち」にいっぺんに会う為に、自ら入園という「究極の選択」をしたような気もする。だから私は光の園に「縁を持った」のだろう。

 光の園を経験しなければ味わい得ない学び、幸せ、感動、生きている実感が確かにあったのだから。

 前世で何か悪い事をして少年院に入らずに済ませた帳尻を合わせたのではなく、今世で大きな学びを得る為だったのだ。

 まして大人になってからではなく、16歳のあの時入っておいて、苦労の前借りをしておいて、本当に良かった。

 そして何年も入るのではなく(ここは尼の中井さんと元チンピラの班目孝彦さんが代わってくれた)17歳で出られて良かった。新しく学ぶ為に「出た」のだから。勿論、退園後は光の園とは違う学びが続いた。   

 もう二度と経験したくはないが、光の園は本当に得難い、そしてたまらなく有り難い経験をさせてくれた特殊な場所だった。その経験、超えてきた試練が、私にかけがえのないプレゼントをしてくれた。

 まったく無かった「自信(自己信頼)」と「自己肯定感」だ。自信と自己肯定感を持つが為に、経験と試練があったと思えばむしろ幸せだ。

 これからも、どんな環境からもいかなる出来事からも、私は学び続ける。今与えられているこの試練も、きっと超えてみせよう。

 

 さあ、じゅうぶんに感傷に浸った。そろそろ夫を起こし、家事をしよう。私はベランダから室内に入る。

 …と、そこで足元に落ちていた新聞を思わず「踏んで」しまった。

 ドキリとして、恐る恐る足をどけると、

光の園、閉鎖される」という見出しが現れた。

 

「踏み絵」という言葉を思い出す。

 私はたった今、光の園に「背いた」のである。

 

 そっと新聞を拾い、丁寧にたたんでからダイニングテーブルの上にぽんと置く。

 そしてそのまま、いつまでも、いつまでも、動こうとする事なく、立ちつくしているのだった。

 

 たいせつな青春が

 ゆっくりと

 私の手からこぼれ落ち

 ずっと遠くへ離れていった。

 

     ★

 

   エピローグ

 

 カーテンで仕切られた病室のベッドの上、パジャマ姿の初老の女が、傍らに立つ娘の手を握り、小さく左右に振っている。

 自分に注意を向けたい一心で振っている。

 しぶしぶ見舞いに来た娘が、母親にじろりと視線を当てる。

 俯きながら、誰にともなく、うん、うん、と頷く母親。

 自分が犯した罪を納得し、うん、うん、とまだ頷いている。

 娘が鋭い目で母親を見ている。

 母親が、ようやく顔を上げた。

「真理ちゃん」

 母親の目に溢れる、いっぱいの、いっぱいの涙が、頬を切れ目なく流れ落ちる。

「謝りたいと思っていた」

 やっとひと声、押し出す。

 その瞬間、娘もこらえきれずに涙を落とした。

 幼少期からの、長い長い年月が、ふたりの間を走馬灯のように駆け抜ける。

 娘は何も言わなかった。言えなかった。

 母親の気持ちが分かるから、骨身にこたえるほど分かるから。

 

 わたしを愛してくれないおかあさん、

 あなたを深く憎みながら、心が崩壊するほど愛し、

 あなたのすべてを焦がれるように追い求めながら、あなたのいっさいを拒絶したよ。

 

 ただおかあさん、

 あなたもきっと、いじめられて育ったのだろう。

 だからいじめる以外の愛情表現が、どうしても、分からなかったのだろう。

 わたしをいじめながら、あなたもつらかったのだろう。

 どうしても、どうしても、ああどうしても、そうせざるを得なかったのだろう。

 本当はそんな事をしたくなかったのだろう。

 

 余裕がなかったんだ。いじめと躾の区別さえ付かないほどに、切羽詰っていたんだ。

 そして、その過ちに気づいた時に、子宮癌なんかになったんだ。

 そうして自分を罰する事で、わたしに詫びたかったんだ。

 そういう謝り方しかできないんだ。

 病気がおかあさんを選んだのではなく、

 おかあさんが自らの子宮に癌を引き寄せたんだ。

 かつておとうさんと愛し合い、

 おねえさんとわたしを宿した子宮という場所に、

 あえて、わざわざ、癌を呼び込んだんだ。

 

 おかあさんも悪かったけれど、もっと悪いのはおかあさんをいじめた人たちだ。

 そして更に悪いのは、その人たちをいじめた人たちだ。

 だからおかあさんは悪くない。

 悪いけど、悪くない。

 悪くない、

 悪くない、

 わたしのおかあさんは、決して、断じて、なにも悪くない。

 

 それにおかあさん、 

 自分でも分からなかったのだろうけど、発達障害だったんでしょう?

 だから造花に関しては天才的だったけど、他の事は一切駄目だったんだよね?

 だったら仕方ないよ。

 障害が悪いのであって、おかあさんは悪くないよ。

 

 それでも

 おかあさん

 悪いんだからね。

 

 そしておかあさん、謝ってくれて有難う。

 初めて、あなたの「本物の涙」を見た気がするよ。

 だからいいよ、もういいよ。そんなふうに、自分で自分をいじめなくていいよ。

 もういいから。ゆるしているから。

 お稽古ではなく、本当にゆるしているから。

 

 母親は、娘の手をまだ放そうとしなかった。

 かつて幼かった娘の手を、何度も乱暴に払いのけた。

 その娘の手を、今、母親は放そうとしない。

 

「早く、元気になって」

 娘が、やっとひと声、押し出す。

 

 母娘に、初めてお互いをいたわる笑顔が生まれた。

 心から、心を救われた母親が、やっと娘の手を放す。

 安心して、放す。

 

 娘は自分が羽織っていたショールを母親の膝にかける。

 母親が冷えないようにと、愛情を持ってショールをかける。

「真理ちゃん優しいねえ。わたし、あんなに、いじめたのに」

 母親もやっとひと声、押し出す。

 娘の目から落ちる涙にも切れ目がない。

 母親が可哀想で、可哀想で、たまらない。

 

 娘は母親のベッドを囲っていたカーテンをするすると開ける。

 他の7人の入院患者の姿が現れる。

 

 娘は病室にいる他の入院患者ひとりひとりに声をかけ、きちんと頭を下げた。

「どうぞ、お大事になさってください」

 7人に、ひとりひとりに、丁寧に、全員に。

 

 娘は病室の出口で、もう一度頭を下げる。

「失礼します」

 

 そう、娘は気付かぬ間に、母親が望んだ以上の娘に成長していたのだ。

 誰よりもきちんと挨拶の出来る、

 誰よりも優しさと思いやりと愛情と、

 そして知性を持つ娘に。

 

 母親は、娘が立ち去った病室の出口をいつまでも見ていた。

 ああこんな幸せがあったのかと、自分はずっと幸せだったのだと、心から実感しながら。

 

 異常だと思っていた娘が、実はいちばんまともであり、

 いちばんまともだと思っていた自分が、実はいちばん異常だった。

 加害者と思っていた娘が、実はいちばんの被害者であり、

 被害者と思っていた自分が、実はいちばんの加害者だった。

 娘はこんな自分と機能不全の家庭に、幼い身で懸命に耐え、人生を賭してまで、たいせつな事を教えてくれたのだった。

 今日、お互いにまたひとつ、使命を果たしたのだ。

 

 そして娘は、止まらぬ涙を拭いながら廊下を進んでいた。

 温かい、温かい空気で、満たされていた。

 

 娘は窓の外に広がる、美しい青空を見上げながらこう思った。

 

 ああわたし、生まれてきて良かったんだ。

 これまで生きてきて、良かったんだ。

 これからも生きていって良いんだ。

 わたしはこれでいいんだ。

 わたしはこのままでじゅうぶん価値があり、たいせつにされていい存在なんだ。

 

 娘が初めて自分の人生、

 何より

 そのままの自分を思わず好きになり、

 本当に大好きになり、

 無条件にたいせつに思え、

 いっさいを肯定出来た瞬間だった。

 

 

 

     ★

 

 

 

 おかあさん

 あなたの むすめは

 きょうも しあわせです

 

 

 

 

 黒木真理